おすそ分け
タケノコ
筍とコーヒーゼリーと熱いお茶
とっぷりと日が暮れ、オレは部屋でのんびり愛読書をめくっていた。 誰もいないのをいい事に、思いきり顔を崩して熱中する。多分よだれも出ていたかもしれない。 この時間いいなぁたまらんなぁと没頭していると、オレのすぐ目の前に何の前触れもなく斉木さんが現れ、心臓が飛び出しそうなほど驚いた。 尻が浮くほど驚くオレの頭上に、間髪入れずどさどさっと何かが立て続けに降ってきた。驚くわ痛いわで踏んだり蹴ったりだ。せっかくの高揚もどこかへ行ってしまった。 何スか何スか。 よく見ると新聞紙に包まれた何かが四つ五つ六つ…この形、これは筍かな。 何です斉木さん、お届けにしても随分乱暴じゃないっスかね。 見上げると、どんより曇った顔がそこにあった。 え、え? 部屋に一人の時くらい、エロ本読んだっていいじゃないスか。オレの自由時間まで束縛なんて、そりゃちょっと辛いっス。 それにしても斉木さん、オレがこんなだってもうとっくに知ってるのに、そんな膝まで震わせて嫌がるなんて…そこまで思って、オレはぴんときた。 違うわこれ、嫌がってるんじゃなく、怖がってるんだと理解する。 天下の超能力者サマをここまで震え上がらせるのは、アレしかない。 そうか、家を出る時に運悪く遭遇しちゃったんですね、アレに。 突っ立ったまま小刻みな震えを繰り返すばかりだった斉木さんは、そこでほんの少し、かろうじてわかるほどささやかに頷いた。 はいはい、わかりました斉木さん、ひとまず座って落ち着きましょう。 オレはよいこらせと立ち上がり、震えて立ち尽くす斉木さんの肩に手をかけた。 コーヒーゼリーと熱いお茶と、どっちがいいっスか? 両方? 了解っス、コーヒーゼリーとお茶はちょっと合わなかったかもっスけど、すぐ用意するっスよ |
台所に向かおうとすると、斉木さんもついてきた。いいっスよ、一人は怖いですもんね、一緒に行きましょう。 廊下を歩いていて、背後に妙な違和感があるので肩越しに見下ろすと、斉木さんの手が服の裾を掴んでいるのが目に入った。 可愛い! 可哀想に! オレは出そうになった声を慌てて飲み込み、よしよしと肩を叩いた。本当は正面から抱き着きたかったけど、あんまり大げさにするとこの人のプライド傷付ける事になる、それは嫌だしなあ。 だから極力なんでもない風に振舞って、当人が落ち着くのを待つ。 台所についてお茶の準備をする間、斉木さんは何を言うでもなくオレにくっついて歩いた。 迷子に頼られているみたいで、オレの中から一時的に邪な気持ちが消える。恐怖のあまり小さい子になっちゃった斉木さんにまで欲情するほど、ケダモノじゃないっスからね。 嘘つけって、ずっと無言だったのにこういう時だけ突っ込むのやめてよ、もう、斉木さんのいけず。 湧いたヤカンから急須に湯を注いでいると、斉木さんのおでこが肩に乗っかってきた。続いて大きなため息。 オレの心臓破裂させる気ですか斉木さん! この人が甘えてくるなんて滅多に、まずない事だから、驚きと興奮で全身が熱くなった。 そんなに大物だったんスか、災難でしたね、ちょっとは落ち着きましたか、斉木さん。 もう用意出来ましたからね、部屋に戻りましょうか。 帰りは掴まらないだろうと思ったが、予想を裏切り斉木さんの手はまだそこにくっついていた。 オレはまた、抱きしめたい衝動と戦う羽目になった。 ほらみろって、斉木さん、はいはいオレが悪かったっス。 さあどうぞ斉木さん、あつーいお茶で気分を落ち着けて下さい。 部屋には幽霊たちが三人ばかりいて、大丈夫か大丈夫かとオレに話しかけてくる。ちゃんと慰めてあげなさいよ、あんたの恋人でしょ、なんておせっかいおばちゃんもいたりして、オレは左右の手を振って追っ払う。みんな、静かに。 |
熱いお茶を啜ってやっと落ち着いたのか、斉木さんはようやくいつもの顔になった。 はあ、と零れるため息、可愛いな。 ほらコーヒーゼリーもありますよ、食べて食べて。 一口二口と食べる内、斉木さんの顔がとろりと緩んでいく。 ああよかった、よかったよかった。 美味しいね、良かったね、いつも変わらず可愛いね斉木さん。 心の中で繰り返しているとじろりと睨まれたけど、コーヒーゼリーに緩んだ顔じゃ全然迫力ないっスよ。 諦めて、オレの目と心をたっぷり潤わせて下さい。 食べ終わる頃、斉木さんは切り出した。 |
『夕方、田舎から届いたんだ、山ほど筍が』 でかい段ボール箱にぎっしり詰まっていて、ちょっとした恐怖だった。お隣さんに配ったりして減らしたが全然減らず、しばらく筍尽くしの献立を組む事にしたがそれでもまだまだ残るので、お前の所にも持ってきたと、斉木さんは説明した。 「こんなに貰っちゃって悪いなって思いましたけど、じゃあ遠慮なく頂いていいんスね」 『いい。お前も筍に埋もれてしまえ』 「さっき、間違いなく埋もれましたよ」 ちょっと笑って言うと、斉木さんはバツが悪そうな顔になった。やめやめ、そんな顔、アンタに似合わないっスよ。 「じゃあ、お詫びって事でチュー一回でいいですよ」 両手を広げると、斉木さんは唇を歪めて心底嫌そうな顔になり、斜めに見やってきた。 挫けずにオレは言った。 「来ないんならオレからいきますね」 返事を待たずに抱き着く。さっきからずうっと我慢してきたのだ、これも拒まれたらオレもう干からびて死ぬ。 『離れろ、もう一回筍を降らすぞ』 「こんなにくっついてちゃ、斉木さんも巻き添え食いますよ」 『じゃあお前の後頭部に当てる』 「もう、斉木さん……痛い痛い! 髪ダメ、ハゲちゃう!」 つむじの辺りの髪を鷲掴みにされて引っ張られ、オレは泣き叫んだ。 『じゃあ離れろ』 「わかりましたよう!」 オレは言われた通り離れ、半分泣きながら掴まれた辺りを両手でさすった。 もういいっス、斉木さんは、オレに干からびて死ねって言うんスね! 正面には、不敵に笑う斉木さんの顔。ああもう、この人の顔はどんな時でもオレの目を釘付けにするんだから。悔しいやら誇らしいやら複雑な気持ちで見つめていると、その顔が不意にぼやけた。近過ぎてよく見えなくなった時、唇にあたたかいもの触れてきた。 なんだ、離れろってそういう意味…思わず笑ってしまう。 そのまま一秒、二秒、三秒して離れた間近の瞳は、思いの外真面目ぶった色をしていて、ついどぎまぎしてしまう。 オレが見ているように、斉木さんもまたオレの目を見ていた。しきりに瞬きしているのは、透けてしまわないようにだ。 そこまでして何を見ているのだろう。オレは息をひそめて、斉木さんの眼鏡越しの目を見続けた。 ああ斉木さん、好きです、好きだ、大好きだ。 そうやってじっと過ごしていると、斉木さんは何かを得たような顔になってふと笑った。 あまりの愛くるしさにオレは一時的に呼吸困難に陥った。 「さいきさ……」 その顔はどんな意味を含んでいるのか聞こうとした時、お休みのひと言を残して斉木さんは帰ってしまった。 部屋に一人残されたオレは、最後のあの嬉しそうな顔を反芻しては悶絶し、もう一回チューしとけばよかった、チャンスはあったのにと、頭を抱えて畳の上を転げまわった。 |