月まで届く思い出を

 

 

 

 

 

 ザラザラ、ガラガラン…コロコロ

「ああ残念、はい参加賞!」

「ちぇー……」

「せめて四等取りたかったね!」

 

 昼下がり、米花駅前の噴水広場に賑やかな音と声とが飛び交う。

 噴水の前に並べられた長机、その向こうには数人のスタッフと立て看板、長机の上には年季の入った色つやをしたカネと大きなガラガラ。

 長机の前には人々が列をなし、自分の番…福引きの順番が来るのを、今か今かと胸高鳴らせて待っていた。

 立て看板に貼られた景品の種類、玉の色に応じた特等から四等の景品、ハズレの代わりの参加賞の内容こそが、居並ぶ人々の一番注目する点だった。特等の商品券十万円か一等の豪華ディナー付き年越しクルーズか…どうかどちらかでも当たりますようにと皆一心に祈りをささげていた。

 列の後方に並んだ蘭もまた、祈る人の一人であった。右手に握った六枚の福引券に真剣な眼差しを注ぎ、唇を引き結んだ顔は、福引きに挑むというには少々険しすぎた。まるで空手の試合直前といったところか。

 その隣には、正反対で対極の、寝惚け眼で大あくびの大人が一人立っていた。

 毛利小五郎その人だ。

 大晦日までもう数えるほどとなったこの週末、二人は、昨日から始まった歳末福引大会の会場へと来ていた。

 正確に言うならば、昼間っからビールを煽り心底退屈そうな態でテレビを眺めていた小五郎を、蘭が不健全極まりないと引っ張り出したのだ。

 事務所にはもう一人、コナンもいたが、怪我人は大人しく留守番と蘭が厳しく言い付け残らせた。

 今日は風もなくすっきり晴れ渡り陽射しもおだやかだが、空気が冷たい。

 傷に障っては大変だ。

 今頃退屈しているかもしれないが、連れ回して余計な風邪を引いてはいけない…本当は一緒に行きたい気持ちを抑えて、留守番を命じた。

 いってらっしゃいと見送る眼差しが、少しつまらなそうだったのを思い出し、蘭は小さく唇を尖らせた。自分だって、つまらないのだから、お互いさまだと強引にねじ伏せる。

 

「うう、さみぃ。次の次か……ま、参加賞がせいぜいだろうな」

 

 立て看板に貼り付けられた景品表をちらりと見やり、小五郎はもう一度大あくびをした。

 ハズレの代わりの参加賞、景品はポケットティッシュか携帯用の使い捨てカイロのどちらか。

 六枚ともハズレのカイロでも、あのボウズに留守番の駄賃代わりに渡せば無駄にはならないだろう…そんな事を考える父親の横で、蘭は一心不乱に一等を願っていた。

 

「はい、残念! 参加賞です!」

「ちぇ…じゃあカイロの方で」

「ありがとうございました!」

 

 受け取った大判のカイロをポケットにねじ込み、若い男が列を離れる。

 ついに自分たちの番が来た。

 

 

 

 事務所のソファの上、A4大の用紙に印刷された文章と、最下段に記入された小五郎、蘭、コナンの三人分の名前を、コナンはポカンと口を開けて眺めていた。

 目の前に応接テーブルには、五つのカイロが置いてある。

 福引大会に出かけた二人、蘭と小五郎が帰って来た時、まずそれを蘭から渡された。

 参加賞のカイロ、コナン君にあげるね…参加賞、つまりはハズレという事だが、それにしてはやけに顔がニヤついていた。

 ありがたく受け取りながら、ニヤける顔をよくよく観察する。

 抑えても抑えても弾け出てしまう喜びを何とか押し込めている表情。

 今までも何度か、目にした事がある。

 まさか、そのまさかかと、彼女のニヤニヤにつられた半ばの笑いを浮かべながら尋ねようとした直後。

 

「じゃーん! 一等当たっちゃった!」

 

 とろける声が頭上から降り注いだ。

 そして用紙を渡された

 米花商店街主催の福引大会、一等景品はこの豪華ディナー付き年越しクルーズ。

 当たり数は一本。

 その一本を、蘭が見事引き当てたのだ。

 本来ならペアご招待だが、蘭はすぐさま連絡を取り小学生一名の追加を求めた。

 結果、三人での参加が認められ、晴れて大当たりとなったというわけだ。

 

「すごいね、蘭姉ちゃん……」

 

 用紙から蘭へと顔を上げ、コナンは半ば呆けた声で言った。用紙の文章を三回読んでようやく理解したほど、それほど、この幸運は信じがたい。

 まったく、なんという右手だろう。

 彼女の背には一体どんな女神が寄り添っているのだろう。

 

「すごいでしょ!」

 

 心底嬉しそうに蘭はこたえた。

 

「コナン君の怪我が治ったら豪華ディナーって、言ってたでしょ。だからどーしても当てたかったの」

「五回目までは全部ハズレだったから、ダメだと思ってたんだけどな……」

 

 事務所での定位置である窓際のデスクにどっかり腰をおろし、小五郎が続けた。

 そしてまた蘭が口を開く。

 

「それで六回目に、どうせ最後だからって事で、お父さんと一緒に引いたの。そしたら……」

 大当たり

 

 説明する蘭と小五郎とを交互に見やり、コナンはもう一度手にした用紙を見た。

 あの日、病院のベッドの上で約束したものが、こんな風に果たされるなんて、思ってもいなかった。

 正直に言えば、ただの軽い口約束程度に考えていた。

 まさかこんな、違わず叶うなどとは。

 

「豪華ディナーにクルーズも楽しめるなんて、凄いよねコナン君」

「うん!」

 

 驚きのあまり喉につかえる声を何とか押し出し、コナンは頷いた。

 すぐに何かを思い出し、はっと息を飲む。

 

「あ、でも……半分出すって言ったけど……」

「あん? んなもん、冗談に決まってるだろ!」

 ガキは冗談が通じねえから困る

 

 上目遣いでもごもごと言葉を濁すコナンに大げさに肩を竦め、小五郎はふんと鼻を鳴らした。

 素直でない大人の優しい仕草に、まず蘭が笑った。コナンへと目配せし、一緒になってくすくすと声を零す。

 

「楽しみだね、コナン君」

「ホントだね」

「体調整えておこうね」

「うん」

 

 ようやく実感の湧いたコナンは、相槌を打つほどに頬を紅潮させ輝く眼差しになった。

 蘭の向こうに見える壁のカレンダーを確かめ、あと半月もすれば訪れる幸いに頬を緩ませる。

 

 

 

 それから二日ほどして、事務所あてに分厚い封筒が届けられた。

 送り主は旅行会社からで、詳しい行程の書かれたパンフレット、乗船券、各種引換券がそれぞれ入っていた。

 小五郎はソファに座るとそれらを丁寧に応接テーブルに並べ、向かいに座った蘭とコナンは端から順繰りに目をやって、一つ見るごとに顔を輝かせた。

 

「へえぇ、洋上カウントダウンパーティ、年越しソバ無料サービス、ビンゴゲーム大会…かあ。お、振る舞い酒も出るのか、こりゃいいや!」

 

 楽しげにパンフレットを読み上げる小五郎の声にいてもたってもいられず、二人はソファを立つと小五郎を挟み込むようにして向かいのソファに腰掛け、一緒になって行程表に目を通した。

 

「餅つき大会もあるって、コナン君!」

「うん、楽しみだよね蘭姉ちゃん!」

「商店街の福引の景品にしちゃあ、豪華だよな!」

 

 右から左から飛び出すはしゃいだ声につられて、小五郎も弾む声で言った。

 

「船の上から見る初日の出って…どんな感じだろ」

 

 あと十日もすれば訪れる生まれて初めての体験に胸躍らせ、蘭は瞳をキラキラ輝かせた。

 

「晴れるといいがな」

 

 何気なく零れた小五郎の心配ごとを耳にした途端、蘭はきっと眦を決した。

 

「よし、今からお願いしとこ!」

 

 言うなり立ち上がる。

 何をするのかとコナンはつられて顔を上げた。

 

「例のてるてる坊主にお願いするのよ」

 

 コナンの尋ねる視線に気付き、蘭は胸を張って答えた。

 

「ああ……」

 

 頷くと、頼もしい顔をしたてるてる坊主の姿が脳裏を過ぎった。つい頬が赤くなってしまうのは、条件反射だろうか…コナンは一人うろたえた。

 意気揚々と事務所を出てゆく蘭の後ろ姿を、少々ほてった顔で見送る。

 

 

 

 翌日の昼下がり、コナンはやや早足で事務所への帰路をたどっていた。

 ひっきりなしとまではいかないが今日は風が強く、マフラーに手袋と防寒は万全だが、早く事務所に帰り着いてあたたかい室内にほっとひと息つきたい…その思いから急いでいた。

 階段を駆け上り、体当たりするように事務所のドアを開く。

 

「ただいまー」

「あ、お帰りコナン君!」

 

 入口のまっすぐ正面のソファに座った蘭が、元気な声で出迎えた。

 

「外は寒かったでしょ」

 

 少しドアを開けただけで吹き込んでくる寒風に肩を竦ませる。

 

「うん、もう耳たぶがちぎれそうだったよ」

 

 コナンは笑って答えた。回り込んでソファに座ると、室内を満たす暖気がじわじわと身体を包み込んだ。ようやく、強張った肩から力を抜ける。

 

「あれ、蘭姉ちゃんお掃除?」

 

 応接テーブルに広げられた沢山のミニアルバムを目に留め、コナンは訊いた。

 

「うん、そう。最近ちょっと整理サボってたから、時間のある時にやっちゃおうと思って」

 大掃除も近いし

 

 そう言って蘭は微苦笑で肩を竦めた。説明するついでに、小五郎は今買い物に出ていると付け加える。

 コナンは、蘭から目を移し向こうのスチール棚を見やった。彼女が今広げているアルバムは、普段は棚の最下段に収められている。見れば、取り出した分だけぽっかり隙間が空いていた。

 再び蘭に目を戻す。

 年月日順に揃える作業の最中なのだろうが、今は、どう見ても鑑賞中だ。

 一ページずつじっくり眺め、小さく笑ったり頷いたりしている。

 興味の赴くまま、コナンは傍によってアルバムを覗き込んだ。

 気付いた蘭が、少し見る角度を変えた。

 やや置いて口を開く。

 

「コナン君と写ってるの…少ないなあ」

 

 風景や、自分を写したものは山ほどあるが、彼と一緒に写したものは数えるほどもない。

 

「でもこれ、ボクが撮った写真だよ」

 

 それを聞いて蘭ははっと息を飲んだ。

 

「ほら、これとかこれとか。この時は確か、蘭姉ちゃんがあんまり撮って撮ってせがんでばかりだから、ボクこう言ったんだよね。…蘭姉ちゃん、山に登る前にフィルムなくなっちゃうよ…って」

 

 コナンの言葉をきっかけに、蘭の脳裏にその瞬間の光景が鮮明に蘇る。

 丹原山へ縦走登山に行った時の事だ。

 依頼人の護衛と偽装という大役を果たさんが為少々舞い上がってしまい、大張り切りで『娘役』を演じた。到着した登山口からの眺めの良さに気持ちは更に昂り、大はしゃぎで写真をねだった。

 少し困った顔でカメラを構える彼、いいからいいからと調子付く自分。声も空気も光の具合も、全てが綺麗に蘇る。

 少し恥ずかしいけれど、大切な一瞬。

 

「うん…そうだ!」

 

 頷き、蘭は瞬きも忘れ写真に見入った。

 思い出が愛くるしい笑みとなって顔に浮かぶ様をじっと見つめ、コナンは微笑んだ。

 

「思い出したでしょ」

「うん、覚えてる。あ…これ!」

 

 と、次のページをめくった蘭が突然ふふふと肩を揺すり出した。

 何があったかなと思い出しながら、コナンは伸び上がって写真を見た。

 そこに写っているのは、ランチボックスに綺麗に詰められたサンドイッチ、そしてデザートの果物。

 確か、昼休憩でのひとコマだ。

 それを真上から撮っただけの何の変哲もない一枚だが、蘭には吹き出すほどおかしい一枚だった。

 

「この時コナン君がね、こんなのまで撮るの? って呆れて言ったんだけど、その時の言い方がね……ふふふ」

 

 思い出すと腹を抱えるほどおかしい言い方だった。

 

 ええ、こんなのまで撮るの?……もう、しょうがないなあ

 

 渋々ながら、適当に済ませてしまわずきちんとカメラを構えて撮ってくれた。いつだって彼は一生懸命に真剣に、眼差しを向けてくれる。

 それら全部ひっくるめて、笑い転げるほど愛しい一枚だ。

 

「……今度も」

 

 眺めていたアルバムから目を上げ、蘭は静かに口を開いた。

 

「今度の旅行も、一杯写真撮ってね」

 

 まっすぐ見つめてくる蘭をまっすぐ見つめ返し、コナンは笑顔で頷いた。

 

「蘭姉ちゃんが撮ってって言うもの、全部撮ってあげるよ」

「お願いね。ああ! 楽しみだなあ!」

 

 もう一日だって待ちきれないと、事務所中に声を響かせて蘭は天井を仰ぎ見た。

 自分もまったく同じだと、コナンは大きく頷いた。

 

「ところで蘭姉ちゃん、そろそろ再開させないとやばいかもよ」

 

 すっかり、アルバムを見る事だけに落ち着いてしまっている蘭の当初の目的を思い出させようと、コナンはテーブル一杯に散らばったそれらを指差した。

 

「!…分かってます!」

 

 蘭は気まずい顔でアルバムをぱたんと閉じると、表紙に書かれた年月日を頼りに作業を再開させた。

 自分もよくやる失敗なんだと、コナンは苦笑いを浮かべた。

 

「何か手伝える事ある?」

「あ、じゃあ、棚のホコリ、雑巾で拭いておいてくれる?」

「うん、分かった」

 

 二人はテキパキと、自分の作業に取り掛かった。

 しかしそれは三十分もしないで打ち切られた。

 気が付くと、並んでソファに座りアルバムを見ながら、思い出話に花を咲かせてしまっているのだ。

 結局、その日は片付けを完遂する事は出来なかった。

 出来たところと出来なかったところの境目に、裏の白いチラシに『ここまで!』と大きく書いて挟み込んだが、果たして続きが着手されるのはいつになるやら。

 帰宅した小五郎の呆れた声を背に受けながら、二人は顔を見合わせ渋く笑った。

 

 

 

 アルバムの整理は見事失敗に終わったが、事務所と三階の大掃除はその教訓を生かしてか最後までスムーズに進める事が出来た。

 埃もヤニもすっかり綺麗になった事務所の中、男二人が少し誇らしげに立っている。

 

「掃除した後ってのは、空気まで違うもんだな」

 

 床掃除で移動させた椅子を元に戻し、腰かけて、小五郎は言った。

 心なしか顔がにやけていた。

 

「うん、なんだか気持ちいいね」

 

 応接テーブルに灰皿を置いてコナンが答える。その顔も心なしかにやけていた。

 

「ちょうどお昼出来たわよ」

 

 奥のキッチンでスパゲティを茹でていた蘭が、角盆を手にやってきた。彼女の顔も同じく、にこにこと緩んでいた。

 

「お、もう腹ペコだ。よーし食うぞ」

 

 リクエスト通りの山盛りを嬉しそうに受け取り、小五郎は真っ先にいただきますと声を上げた。

 

「うん、うま…うまい!」

 

 食べて喋って忙しない小五郎に蘭とコナンは顔を見合わせくすくす笑った。

 綺麗になった部屋で食べる食事は格別…それもあるし、いよいよ明日に迫ったクルーズ旅行に、三人とも気持ちが高揚しての表情でもあった。

 

「ああ、とうとう明日かあ…今日眠れるかな」

 

 くるくるとフォークにまき付けながら、蘭はとろける笑顔で言った。

 

「後でもう一回、荷物チェックしとかなきゃだね」

「そうね。あ、お父さん、チケット忘れないでね」

「おう、任せとけ。お前らこそ忘れもんするなよ」

 

 万一の為の酔い止め、万一の為のサポーター…本人たちがそれぞれうっかり忘れかけていた細々とした物を一つひとつ口にし、小五郎は湯飲みを手に取った。

 普段はとことん大雑把なのに…蘭もコナンも、小さく驚き返事する。

 

「今日は早く寝ろよ。特にお前、夜更かしすんなよ」

 

 しょっちゅう、夜遅くまで本を読んでいるのは知っているんだぞ…そう含んでにたにた笑う小五郎を横目で見返し、コナンも負けじと言った。

 

「おじさんこそ、飲み過ぎて二日酔いなんて事にならないようにね」

 

 瞬間、二人の間の空気がぴし、ともみし、ともつかぬ音を立てて軋んだように見えた。

 

「おう、分かってらあ……」

「ボクも気を付けるよ……」

 

 男二人、スパゲティをすすりながら睨み合う様に蘭がやれやれと肩を竦める。

 いつもの光景、放っておくに限る。

 これでいて二人は、とても相性がいい。

 呆れてみるが、その顔はやはり、すぐに緩んだ。

 

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