秋の色に

 

 

 

 

 

「うーな重うなじゅーう〜!」

 

 高速を順調に走る六人乗りの車の中、元太の少し調子っぱずれな歌…らしきものが高らかに響き渡る。

 走り出してすぐ始まったそれをもうかれこれ十回は聞かされ、最初は楽しみですねと輝く顔で返していた隣の光彦もさすがに苦笑いになり、十一回目でとうとう我慢出来なくなり終了を言い渡した。

 

「嬉しいのはもう充分伝わりましたから!」

「悪い悪い……」

 

 さすがに浮かれ過ぎたと頭をかき、元太は歌らしきものを引っ込めた。

 

「元太君、ホントにうな重好きね」

 

 光彦の前列に座っていた蘭が振り返り、照れる元太に笑いかけた。

 

「元太君、歌ってお腹空かせて、より沢山食べようって考えてるんでしょ!」

 

 元太の前列に座っていた歩美が、もしかしてと振り返る。

 

「ピ……ピンポーン!」

 

 元太は少々やけ気味に声を張り上げると、自分を待っているだろううな重に顔中輝かせた。

 やっぱり、だと思った…途端に賑やかな笑い声が車内に溢れる。

 

「……ったく!」

 

 彼らの様子を助手席から振り返り、コナンはやれやれと肩を竦めた。そこでふと蘭と目が合う。嬉しそうにはしゃいだ、綺麗な色が目に留まる。誰も見ていないのを確かめてから、大きな眼鏡越しにコナンとは少し違う色で笑いかけ、もう一度肩を竦める。

 隣の運転席では、はしゃぐ子供たちの声に博士がにこにこと満面の笑みを浮かべていた。

 今日は土曜日、雲一つない晴天に恵まれた休日。

 六人を乗せた車は、博士の運転で、東京郊外にある老舗の鰻専門店へと向かっていた。

 

 

 

 提案者は元太、賛同者は光彦、歩美、そして博士。

 十日ほど前の事だ。

 コナンの左手を長らく拘束していたギプスもようやく外れ、順調に回復していると聞かされた探偵団の三人は、見舞いの際元太が書いた『うな重はらいっぱい』を今こそ実行する時だと博士に相談を持ちかけた。

 そこでさらに歩美が追加の提案をする。

 昨夜に家族と見た旅番組の中で、怪我の回復に良いとされる温泉がいくつか紹介されていた、近い場所を選んで、次の連休を利用し一泊旅行をするのはどうだろうか。

 それを聞いた二人は口々に賛同の声を上げた。

 完全な回復はまだ先だが、大切な友達の為に何かしたいと案を出し合う三人に博士はいたく感激し、歩美の持ってきた温泉旅館の資料やネット検索を駆使して、昼は豪華なお食事会、夜は温泉旅館でのんびりという、一泊二日の立派なツアーさながらに計画を組み立てた。

 博士の協力を得た三人は、コナンの保護者の了承を得るべく探偵事務所を訪れた。

 小五郎はともかくも、蘭が渋るのではないか…完治していないコナンの怪我を案じて許可しないのではないかと、三人は心配を重ねた。

 

「コナン君いつも結構無茶するから、蘭お姉さん心配だよね……」

 

 鋭く言い当てた歩美にコナンは苦笑いを一つ。返す言葉もない。

 うな重により大きく心が傾いている元太も含めて、コナンの回復祝いをしたい三人は、それこそ決死の覚悟で難関の蘭に挑んだ。

 が、意外にも蘭はあっさりと賛同の声を上げた。

 彼女と小五郎を人数に加える事は博士にも了承は取ってある、あとは蘭さえうんと言ってくれれば万事よしだと意気込んでいた三人は、イエスとの返事を寄こす蘭に再度頼み込んでいる最中に、ようやく耳で受け取った言葉を理解し遅れて喜びの声を上げた。

 しかし残念な事に、小五郎が不参加となってしまった。

 予定している日の前日から、泊りがけで調査に出かけるというのだ。

 遊びに行くのなら大勢の方が楽しいと盛り上がっていた子供たちは、口々に残念だと言い合った。

 そんな彼らに大人が嫌味を垂れる…小うるさいガキどもの面倒を見なくて良かったと。

 途端三人はむくれた顔で小五郎をじっとり見上げるが、博士も蘭も、コナンも、それが心根の優しいひねくれ者なりの三人への気遣いだと、理解していた。が、あえて口には出さない。

 

 こうして計画は着々と進み、迎えた土曜日、待ち合わせの十時半。

 探偵事務所の前に集まった五人は、珍しく時間通りにやってきた博士の運転する六人乗りの車…馴染みの黄色いビートルではなく、最大七人乗りのレンタカーに乗って、うな重と温泉目指し出発した。

 

 

 

 出発してすぐは賑やかに時に騒がしく車内を沸かしていた元太だが、件の店が近付くにつれ次第次第に口数が減って行った。

 最初にはしゃぎ過ぎたからだろうとコナンは振り返って笑うが、まっすぐ前を見据える元太の顔付きはどことなく厳かで、何かに挑む者が見せる輝きを双眸に宿らせていた。

 

 おいおい…まさか

 

 コナンの頭にある一つの推測が過ぎった。

 うな重一つにそこまで命を傾けるものかと、さして変わらぬ『バカ』が呆れつつ感心する。

 そしてついに六人は一つ目の目的地にたどり着いた。

 

「さあ、到着じゃ」

 

 車が完全に停止したのを確認すると、元太は、決戦の地に赴く王者の風格で車を降りた。

 一瞬とはいえそれを錯覚させた元太の意気込みに、コナンは笑うやら感心するやら、素直にすごいとため息さえもらした。

 すごいねと、そっと耳打ちする蘭に頷く。

 就学前から付き合いがある光彦と歩美は、一年に一回あるかないかの元太の真剣な眼差しにごくりと喉を鳴らし、顔を見合わせ小さく笑った。

 昼間近という事もあって店内はテーブル席もカウンター席もあわせて混み合っていたが、事前に阿笠の名で予約を取っていた為、六人は店の奥にある和室へと案内された。

 広い窓があり、和と洋の入り混じる不思議な雰囲気の中庭が一望出来た。

 歓声を上げ、歩美が真っ先に窓に駆け寄った。

 

「あ、お池に亀さんがいるよ!」

 

 窓から外の一点を指差し、歩美ははしゃいだ声を上げた。

 

「え、どこ歩美ちゃん」

 

 しゃがんで目の高さを揃え、蘭が尋ねる。

 

「ほらあそこ、池の右側、岩が一つ突き出したところだよ、蘭姉ちゃん」

 

 コナンはゆっくり指先を動かし、視線を誘導した。

 

「あ、ホントだ、いたいた!」

 

 岩の上によじ登り、気持ちよさそうに甲羅干ししている大きな亀が一匹。

 ようやく見つけた蘭は、可愛いねとコナンに笑いかけた。

 そうだねと、コナンも笑みを返す。

 

「さて、どれにするかね」

 

 ひとしきり声が収まったところで、博士はお品書きを手にそれぞれに聞いた。

 

「ワシの発明品で臨時収入があったばかりじゃからの、遠慮はいらんぞ」

「さすが博士、太っ腹ね!」

 と歩美。

 

「コナン君の退院祝いですからね、ぱぁ―っと豪勢にいきましょう!」

 と光彦。

 

 二人は肩をぶつけるようにお品書きを覗き込み、これもいいこっちも美味しそうとわいわい言い合った。

 そんな二人と対照的に、元太は部屋について早々きちんと座し、神妙な面持ちで控えていた。

 お品書きにはうな重単品の他に、サラダや茶わん蒸しのついたコースメニューも充実していた。

 

「元太君は何にするの? やっぱり一番高いコース?」

 

 ふと歩美は顔を上げ、欄の一番端に書かれている品数豊富なコースを口にした。

 

「いや、オレは……うな重単品五人前」

 

 それに対し元太は、厳かにそう返した。

 一拍間を置いて、残る五人がおおと慄き声をもらす。

 

「元太君、本気ですね……」

「だって『はらいっぱい』だったもんね」

「にしたって元太…五人前って……」

「さすが元太君じゃな……」

「すごい……」

 

 肩を寄せ合い、五人はひそひそと言葉を交わした。

 言葉でさえ衝撃的だったうな重五人前は、実際目の前に並べられると更なる衝撃を見る者に与えた。

 もはや言葉も出ない。

 誰ひとり、食べ切れないなどと微塵も思っていない。

 ただただ畏怖するばかりだった。

 気を取り直し、食事の前にオレンジジュースで乾杯をする。

 おめでとうの言葉が絶え間なく降りしきる中、コナンは照れ臭そうにグラスを掲げ一つひとつに礼を言って受け取った。

 真向かいに座った蘭は、その様子に微笑を浮かべ静かに見つめていた。

 

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