チクロ

絵本

 

 

 

 

 

 届いた年賀状を上からめくっていて、数枚目のところで、神取鷹久は事務的だった手を止めた。左手の残りの束を一旦デスクに置き、両手で一枚を持ち、じっくりと眺める。
 自然と笑みが浮かんでくる年賀状の送り主は――桜井僚。
 性格に見合ったやや固めの文字が、あらかじめプリントされた富士山の麓に連なっている。
 余白には、今年の干支である丑の絵。どうやら彼の手描きのようだ。牛の背の模様の一つが、チェロになっているのがまた小憎らしい。
 彼は絵も中々得意なのか。初めて知った。ユーモラスな牛の顔が何とも微笑ましい。
 今すぐ彼に連絡を取り、届いた報告と感謝を述べたい。三日の金曜日に会う約束をしているが、それまで待ち遠しい。
 こちらから送った年賀状に気付くのは、二日の夜だろうか。二日にはアパートに戻る予定だと、彼が言っていたのを思い出す。
 嗚呼、実に待ち遠しい。子供のように心待ちにしているはしゃいだ自分に一つ笑い、頬杖をつく。
 神取はじっくりと年賀状を楽しむと、重要な書類を保管するファイルに挿んだ。台紙に年月日を書き込む。記憶にも。
 翌日の午後、空けた時間にチェロの練習に取り組んでいると、テーブルに置いた携帯電話が鳴った。練習中は音を消し、電話そのものも遠ざけておくのだが、この時は予感がして、消さぬまま傍に置いていた。果たして予感は当たった。
 待ちかねた恋人からの、今年初めての連絡に、頬が緩んでしようがない。
 どうやら向こうは留守録になっていると思っていたらしく、直接出た事に少し驚いた声を出した。問題ない事を告げると、とても嬉しそうに新年のあいさつをしてきた。こちらこそ、と返す。
 何をしていたのか聞かれ、そのまま、チェロの練習をしていたところだと、やや挑発気味に答える。果たして彼は、じれったいような声を出し、明日は自分も練習するのだと張り切って言ってきた。顔が思い浮かぶようで、声を顰めて笑う。
 それから本題の、年賀状の話に移る。

「つまらない年賀状だったろう。君くらいの時、どんな文章で出していたかもうすっかり忘れてしまってね」
『そんな事ないよ、鷹久の字も文章も、すごく綺麗で嬉しかった。ありがとう』
「こちらこそありがとう。君のあの牛の絵、感心したよ。優しい表情が気に入っている。模様が特にいいね」
『だろ、それはちょっと自信があった』

 いいだろ、と笑う彼に素直に感心する。だが彼もまた文面でひどく苦労したようで、カレンダーの裏一杯に書いては消してと、散々頭をひねったという制作秘話を聞き、実に彼らしいとまた笑う。
 おかしな文章ではなかったかとしきりに心配するので、間違いも誤りもない素晴らしい年賀状だったと感謝すると、ようやく彼はほっとした声を出した。
 そして明日の予定を話し合う。
 待ち合わせの場所と時間を確認し、少しお喋りしたところで、彼ははっとした様子で息を飲んだ。どうしたのかと問うと、チェロの練習の邪魔をしているからと、謝ってきた。彼とお喋りするのも同じくらい楽しいが、根が真面目なだけに、自分が納得出来ないようだった。口では邪魔してやると笑うのだが、本当には出来ない性格。彼の、そんなところも大好きだ。
 また明日と通話を切り上げる彼に、少々寂しく終了を告げる。
 携帯電話をテーブルに戻し、少々の間を置いて、神取は練習を再開させた。
 約束の当日、待ち合わせ場所に向かうと、どれだけ早くからそこに立って待っていたのだろうか、遠くからでもわかる見慣れた姿が歩道にあった。同じ、待ち切れない気持ちを抱えているのだと思うと、自然と口端が緩んだ。違反ぎりぎりまで速度を上げる。
 彼ははつらつとした笑顔で車に乗り込んできた。挨拶を交わし、寒くなかったかと尋ねると、これがあったから平気と左右のポケットからそれぞれ缶コーヒーを取り出した。

「熱いくらいだった」

 僚は笑って、どちらがいいか聞いてきた。どちらも同じものだ。ご丁寧に、ラベルの向きまで揃えている。いたずらっ子のように笑う顔を見てすぐに察し、調子を合わせる。
 眉間にしわを寄せ、わざと難しい顔をして唸る。
 ううむ……右も捨て難いが、今日は左の気分だ。
 そう言うと僚は嬉しそうに笑い、左を差し出した。
 ありがとうと礼を言って受け取ると、笑いながら肩を叩いてきた。笑い返し、缶を掲げる。
 久々に口を付けた缶コーヒーは、思いの他甘く、美味だった。
 車で半時間ほどの場所にある、規模はそれほど大きくはないが古くから知られる神社へ向かう。さすがに今日ともなると並ぶほどではないが、途切れる事無く参拝客が連なっていた。波に乗り、揃って詣でる。参道では年越しの様子や年賀状についてお喋りを交わすが、進むごとに段々と口数が減り、厳かな気持ちになり、終えてようやく、ほっと息をつく。
 今年もよろしく。
 こちらこそよろしく。
 どちらからともなく言って頭を下げる。
 それから目を見合わせて、笑った。

「さて、どこか行きたいところはあるかい」

 駐車場に戻る道すがら、神取は尋ねた。答えはもうわかっていたが。
 思った通り、僚はチェロの練習がしたいと言ってきた。寒さのせいか、気分が高揚しているからか、頬に赤みがさしている。やる気十分の頼もしい面構えに、神取は小さく笑った。
 日数にすれば三日開けただけだが、今年最初とあってか、僚の顔が初めてチェロに触れた時のように輝いていた。
 本当に好きなのだなと、神取はしみじみと思った。
 僚はチェロを受け取ると、肩慣らしの後、目標とする曲を通して弾いた。
 先日…去年帰省ぎりぎりまで男の元に通い、苦手部分を重点的に繰り返した。いつも同じ個所でつまずき、歯痒い思いを味わった。出来るまで弾く事の他に僚は、出来る自分を頭にイメージする方法でもあがいた。
 料理の最中、トイレの間、風呂の中で、夜寝付くまで、とにかく時間があればしがみついて、イメージを繰り返し思い浮かべた。
 そしてついに、思い浮かべる通りの自分を再現した。
 あんなに苦労していた指の運びが、嘘のように解けていた。
 男が言っていたように、ひょいと一歩踏み出せたのだ。
 見守っていた神取は、ある音を境に顔付きの変わった僚に内心喜び、最後まで口出しせず演奏に聞きいった。
 終了後、僚は顔を向けた。

「良かった。その音を待ってた」

 男の答えに顔一杯に笑みを浮かべる。
 偶然上手くいったのではない証明を求めて、僚は再び始めから弾き直した。
 神取は安心して聞き惚れた。良い調子に乗っているからか、音色に余裕と、少しの色気が感じられた。実に彼らしい健康的なそれに、頬が緩んだ。

「そろそろ、次の曲に取り組んでみようか」

 練習を終え音楽室の整頓の最中、神取は言った。

「なら、全部弾けるようになりたい」

 これまでは一部であった。組曲のほんの始めの一曲。挑戦するなら、組曲を完成させたい。父親の真似ごとではなく、自分の音を追求したい。
 自然な欲求を支持して、神取は協力を申し出た。

「ありがとう。ほんとに嬉しい」
「私の方こそ、君の音に出会えて最高だよ」

 今の出来は素晴らしかったと肩を抱く。
 僚は満面の笑みで応えた。まだ興奮が残っているのか、頬が紅潮していた。手の甲を軽くすべらせる。
 昼を挿み、午後も練習に励む。
 その後のティータイムの最中、男は口を開いた。

「以前も言ったが、須賀が、バイオリン奏者だという事」

 遠い親戚の名を出し、僚の反応を伺う。
 覚えていると頷き、機会があったら聞いてみたい、バイオリンの奏でるあの高音域が特に好きなのだと続けた。
 自分も同感だと神取は軽く頷いた。

「それで、一つ提案があるんだが」

 今度一緒に合わせてみないか。もしよければ、君のチェロ、私のピアノ、彼のバイオリンで、一つ合わせてみないか。そう持ちかける。
 僚はたちまち顔を引き攣らせた。誰かと、他の楽器と合わせるなんて、今まで考えた事もなかった。

「答えは今すぐでなくていい。じっくり考えて、それからで構わない」
「……すごくやりたいけど、でも俺、まだまだ下手くそだし、鷹久がそれだけ弾けるなら、彼だって……」
「まあ、同じ年数、バイオリンを続けている。ちなみにピアノも。お互い、親がうるさくてね。他にもあれこれと習い事をさせられたが、本当に興味を持ったものだけしか残らなかった。それが、私はチェロ、向こうはバイオリンだった」
「じゃあ、すごく、上手い……」

 怖気づく僚に、そう構える事もないと軽く笑いかける。
 だから合わせるのだ。良い音を聞くのはもちろんの事、良い音と合わせるのも大いに役に立つ。

「きっと、いい刺激になると思うよ」

 まだ具体的な日時どころか、はっきりした答えも出していない内から、僚は緊張に息を乱れさせた。

「私が思い付いただけで、この話をするのは君が最初だ。
向こうには、君がチェロを好きだった、チェロを弾くようになった、とだけ言ってある。一度聞いてみたいとは言っていたがね」

 たちまち僚は首を左右に振った。それもかなりの勢いで。頭を抱えて唸る。
 神取はひと息笑った。

「ご……五年くらいしたら」

 それだけの年数腕を磨けば、多少は聞かせられるものになるだろうと、僚は赤くなったり青くなったりして答えた。
 堪え切れず神取は肩を揺すった。

「大丈夫、やってみればきっと気に入るよ。病み付きになる事請け合いだ」

 自分もそうだった。音を競わせ、一緒に織り上げてゆくのは中々の快感だ。席を立ち、僚の隣に並ぶ。

「とりあえず今日は、休憩しよう」
「あ、うん。夜はまた、練習お願い出来る?」
「そうだね、とりあえず様子見をして、無理ならまた明日にでも」
「何か用事があるのか、ごめん。じゃあ……」
「いや、私ではなく君だ」

 何を言っているのかと僚は訝る目を向けた。
 同時に、男の手が額に伸びる。
 僚は咄嗟に顔を背けた。直後はっとなる。

「やっぱり、少し熱があるね」

 今度は観念して手を受ける。男の手は額を覆い、次いで首筋を確かめた。
 どんな状態か訊かれるが、僚は口を噤んだ。

「僚?」

 しばし間を置いて、優しく男が繰り返す。
 僚は小さなため息の後答えた。

「少し、……頭が、ずきずきする」

 他におかしなところはないと続けた。

「わかった。すぐに寝室を整えるから、横になってゆっくり休みなさい」
「……ごめん」

 自分にうんざりすると、僚は顔を俯けた。
 神取はそっと抱き寄せ、宥めるように背中をさすってやった。

「大丈夫、気にせず休むといい」

 男に寄りかかり、僚はごく小さく頷いた。

 

 

 

 着替えてベッドに横になると、僚はいくらかほっとしたとため息を吐いた。
 神取は窓際の椅子を引き寄せて傍に座り、優しく頭を撫でた。

「具合は、どうだい?」
「ちょっと……寒い」

 かたかたと小刻みに震えながら、僚は答えた。
 神取は即座にエアコンに目をやり、部屋の温度を調節した。

「熱の、せいかな」

 部屋の中は充分に暖かい。それでも僚は、寒そうに震えていた。肩が冷えないようにと、神取は毛布をしっかりと掛けてやった。

「しばらくは、仕方ないね」

 僚はまた、うんざりすると己の情けなさに息を吐いた。
 神取は小さく笑いかけた。

「君は、とても嬉しい事があると、思い切りはしゃいでしまう性質なんだね」

 以前のコンサート、今日の初詣、そして練習。心待ちにすればするほど、興奮して、身体がついていかなくなる。
 僚は男から顔を背けた。

「子供…子供だよな、もう」

 今にも泣きそうな声に神取は手を伸べて頭を撫でた。

「いいじゃないか、君はまだ、本当に子供なのだから」

 そんな自分が許せないと、僚は小さく首を振った。

「大丈夫。今しかないんだ、今の内にうんと甘えて、たっぷり蓄えるといい。じきに調整の仕方もわかってくる。心配する事はないさ」
「やだよ……また、鷹久にめいわく……」
「迷惑? とんでもない。前も言ったろう、君の世話を焼くのが好きだって」

 だから何ともないと笑いかける。

「それに、前の時も君は一日で治した。今日もすぐに治るよ。ひと晩ゆっくり休めば、明日には元に戻っている。まあ私としては、少しつまらないがね」

 わざと、がっかりした声を出してみせる。

「……意地悪」

 顔を向け、ぼそりと呟き、僚はまたそっぽを向いた。
 神取はもう一度ゆっくり頭を撫でた。

「僚、寂しいから、こっちを向いてくれるかい」

 しばらくして、僚は仰向けになった。ふてくされて、唇を尖らせている、

「そんな顔をすると、いい男が台無しだよ」
「熱出て寒くて震えてる奴のどこが、いい男なんだよ」

 遠足と、幼稚園児。
 不機嫌そうな声で呟く僚に微笑を向け、神取はそっと頬に触れた。

「全部だよ」

 嘘や偽りのない言葉に触れ、僚は心が震えるのをはっきりと感じた。小さくほどいた唇から熱く息をもらす。

「何で鷹久って……こんなに俺甘やかすんだ? 俺、いつも甘えっぱなし……」
「そうかな。私は、もっともっと甘えてもらいたいと思ってるがね」
「……ヘンな奴」
「ひどいな」

 男は穏やかに頬を緩めた。

「だって、ヘンだよ」

 僚は一つ息を吐いた。あの夜男が出会ったのはどこから見ても胡散臭い人間だ。よくもあんなのを信用して車に乗せたものだ、自宅に連れ帰ったものだ。

「まあ、その点では確かに少々変だな」

 少々どころではない。その上何度も食事に誘い、無駄な時間を過ごした。

「一度だって無駄だと思った事はないよ。どの夜も本当に楽しく過ごせた。こう言っては失礼だが、怒った君の顔、あれは特に強烈に記憶に残っている」
「うん……ほんとさ、俺、おかしな奴だったじゃん。今もあんま変わりないけど。なのに鷹久は……俺をこんなに」

 僚の言わんとするところを把握する。
 神取はゆったり笑い、頭を撫でた。

「君はその頃、とても嫌な思いをしていたろう? その分良い思いをしないと、釣り合いが取れないじゃないか」

 だから自分が出来る事をして補っているのだと続ける。
 僚は険しい顔付きで唇を歪ませた。あんなもの、自業自得だ。馬鹿な奴が、馬鹿な理由で馬鹿な事をした。ただそれだけの事。

「けれどあの時の君は、それがどうしても必要だったのだ。そうだろう?」

 僚の顔がいくらか歪む。泣きたいのを堪えているように見え、男はまた手を伸ばした。
 しばしためらった後、僚は見やった。

「聞かないの?」

 何をしてきたか、どうしてそうしたのか、訊かないのか。

「聴くよ、いつでも」

 受け止める準備は出来ている。
 僚は片手で顔を覆った。幾分呼吸が乱れる。どうやらまだ、その時ではないようだ。
 声をかけようとして神取は思い留まる。代わりに、彼の手に自分の手を重ねる。
 やがて呼吸が鎮まり、何事か呟きがもれた。
 ごめんなさい。

「いいんだ。私はここにいる」

 聞き取ったひと言に静かに応え、もう一度頭を撫でる。
 ありがとうと吐息がもれる。
 僚はゆっくりと手を退かした。少し濡れた眦は見ないふりをする。

「さあ、少し眠るといい。私は隣の書斎にいるから、何かあったらすぐに言いなさい。夜は何が食べたい?」

 僚は申し訳なさそうに口籠った。神取はゆっくり頭を撫でて、溶けるまで待つ。
 やがておずおずと口を開く。

「あの……前に作ってもらったあのお粥、すごく、美味しかった」
「中々良かったろう。じゃあそれを作るよ」
「ありがと……たかひさ」
「どうした?」

 前髪を優しく梳きながら聞き返す。

「……せっかく……なのに、駄目にしてごめん」

 熱のこもった吐息まじりに、僚は小さく呟いた。

「駄目になんかなっていないさ。初詣も行けたし、練習もしっかりこなした。君はよくやった。本当に良い音だったよ。少し無理をさせてしまったようで、済まなかったね」

 もっと早く気付いてやればよかった。

「今度から気を付けるよ」
「なんでそんな……俺が悪いのに」

 僚は手を伸ばした。
 神取はその手を両手に包み温める。

「ありがとう。本当に君は、優しいね」

 そんな事はないと顔をしかめる。男の優しい微笑を見る内、段々と気持ちがほぐれていった。
 やがて僚は小さく笑った。

「明日はまた、一緒に練習出来るくらい元気になっているといいね」
「うん……早く治す」
「おいしいものを食べて、ゆっくり休めば、すぐに治るよ」
「あのさ…それって、自分の作る料理は美味いぞって意味?」
「まあ、そういう事になるかな」

 少々の皮肉などではびくともしない男に、僚は唇を歪めて笑った。これでこそだと嬉しくなる。

「でも本当に、美味しかったよ。ほんとに」

 一生懸命言葉を重ねる僚にむず痒そうに笑い、神取は頷いた。

「とびきりのお粥を作るよ。君の好きなフルーツも添えて。そしてぐっすり眠れるように、寝る前には絵本を読んであげよう」
「絵本? 絵本なんかあるの?」

 思いがけないひと言に目を丸くし、僚は聞き返した。

「ああ、とっておきのがね」

 神取はにやりと口端を緩めた。
 三年ほど前、悪友からのジョークの誕生日プレゼントが、手作り絵本のセットだったのだ。楽器をテーマとした、五冊セットの絵本。
 製本から色塗りから全て手作りで、それはもうひどいものだった。
 いや、本としてはきちんと完成している。開いたらページが取れてしまうとか、紙の大きさがばらばらで揃っていないなんて事はない。つくりも本格的でしっかりしていた。
 ただ、あれには絵心がない。絵本だというのに、肝心の絵が壊滅的なのだ。実に奴らしい、ジョークのプレゼント。だが、話は思いの他いい出来だった。短いながらもよくまとまり、どの話も読んだ後に心がほっと温かさに包まれる。
 絵の部分さえ我慢すれば、お話としては完成度が高い。こんなにもったいないと思わせる絵本は、そうそうないだろう。
 絵も楽しむ本としては非常に残念だが、読み聞かせるにはもってこいだ。今の彼を慰め、励ますのに丁度いい話がある。
 それを思い出して、神取は言った。

「君の為に、心を込めて読むよ」
「へえ……鷹久が、絵本だって」

 僚は声に出して笑った。

「ああ。私の演技力は中々のものだよ」

 目に涙を溜めて笑う僚に自信たっぷりに言って、男もくすくすと笑った。

「じゃあ、楽しみにしてる」

 咳込んで喉を鳴らしながら、僚はにっと笑った。
 毛布の上から、咳込む僚を優しく宥めてやり、神取は額に口付けた。

「ゆっくりお休み」

 そう声をかけて立ち去る男に、僚はうんと頷いた。
 目を瞑る。
 あの声が、どんな風に絵本を読むのだろう。
 どんな絵本を、どんな風に読むのだろう。
 想像すると、優しい色が見えてきた。自分を取り巻く優しさの中、僚は眠りについた。

 

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