晴れる日もある

 

 

 

 

 

 器が、一つある。
 器は、洒落た丸いテーブルの中央に乗っていた。
 テーブルは、窓が一つきりで後は何もないがらんとした広い部屋の中央に置かれていた。
 テーブルには椅子が一つ添えてある。
 椅子には男が座っていた。
 目の前にある器を見つめて座っていた。
 縁は欠け受け皿は割れて、器は見るからに傷んでいた。ひび割れて穴だらけで、とても器としての役目を果たしそうにない。
 男は足を組み、器を見ながら作りかけの玩具をしきりにいじっていた。
 そしてやがて、飽き飽きしたと言わんばかりに深く息を吐いた。
 どれだけ嘆いても器は元には戻らない。もっとも、元に戻そうと思ったこともないが。
 はじめからこうだった。器としての価値もないがらくた。
 ほんとうにうんざりする。
 男は足を組みかえる。
 その時部屋の扉が開いて、少年が一人入ってきた。
 彼もまたみすぼらしい器を持っていた。
 男は苛々した様子で舌打ちした。
 自分の器だけでも嫌気がさすのに、これ以上そんなもの見たくもない。
 男が目を逸らすと少年は、自由に扱っていいとばかりに器を差し出した。
 その顔に浮かぶ笑みは、まるきりご機嫌取りだった。
 大人に媚びる子供…かつての自分を見せられたようでしようもなく腹が立った。
 男は怒りに任せて少年の器を力一杯床に投げ付けた。
 少年は黙って見ていた。
 器は、割れなかった。ひび割れて穴だらけで、見るからに脆いのに、壊れはしなかった。
 少年は気にした風もなく器を拾った。
 表情一つ変えず器を持って、黙っていた。
 途端にどっと後悔が押し寄せてきた。
 気にしていない訳ではないのだ。
 気にしていない訳がない。
 ただ、今まで何度もそういったことをされてきたから、もはや悲しむことに疲れ果てていたのだ。そういうことをされた時、どうやって対処すればいいのか、学んでいたのだ。
 そして嗚呼…悲しいことに少年は、そういう方法でしか自分を見てもらうことができないと、誤った思い込みに囚われていた。
 男は作りかけの玩具を放り出し、少年に謝罪する。
 少年は口を利かなかった。
 当然だ、粗末に扱われて、誰が許せるだろう。
 男は何度も詫びながら、少年の器をテーブルに置いた。
 みすぼらしいと思われた器は実は、途方もなく美しかった。そしてとても強かった。
 自分のそれに似ているが、まるで違う。
 少し叩いただけで壊れてしまいそうに見えるのに、途方もなく強いのだ。
 自分の器はとても脆い。
 どうしても手に入れたくなって、男は器に身を乗り出した。
 そこで初めて少年が反応した。
 男の器を手に持って、とても尊いもののように扱った。
 ひび割れて穴だらけで、到底器としての役目を果たしそうにないがらくたを、貴重なもののように扱ったのだ。
 これまで誰一人として、そんな風にしてくれた者はいない。そんな価値もないと思っていたが、少年の目には違うものに映ったようだ。
 男は考えを改め、心から感謝した。そしてできるかぎり、少年の器を丁寧に扱った。
 少年のことを一番に気にかけ、少しでも居心地がいいように心を砕いた。
 もう二度と傷付けるような真似をしないと誓う。
 手放したくなくて、テーブルの中央に器を置く。
 気が付くと、部屋の中の様子が一変していた。
 何もない、殺風景でがらんとした部屋ではなくなっていた。
 テーブルに乗った少年の美しく強い器と、少年が愛でる自分の器に似合う、穏やかで優しい色で満ちていた。
 自分の部屋がこんな風になるなど、男は今まで思ったこともなかった。
 部屋はとても居心地が良かった。
 なにせ少年と一緒にいるのだ。
 楽しいに決まっている。
 以前は見る気にもならなかった窓の外も、少年と二人で望むと、何の変哲もない庭の景色すらまるで楽園のように思えた。
 少年も、そのように思ってくれたようだった。
 外は何も変わらない
 自分の気持ちが変わったのだ。
 こんな心持ちは初めてだった。
 何もかもが楽しいなんて。なくしたくないと思うなんて。初めてのことだ。
 作りかけの玩具にも、すっかり興味がなくなっていた。
 今まではそれしかないと思っていた。
 今では、どうしてあんなに玩具に心を奪われていたのか、思い出せないほどだ。
 しかし放り出してしまう訳にはいかない。
 作り始めたのだ、最後まで成し遂げる責任がある。
 そこで男は、有害な玩具を無害になるよう作り変えようとした。
 楽園のような庭の景色を眺めながら、手を尽くした。
 しかし残念なことに、楽園には堕落を囁く蛇が潜んでいるものなのだ。
 男が蛇を跳ね退けることができなければ、飲まれてしまうまでだ。



 男も、少年も、世界も――すべて。

 

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