GUESS 青 15
始まりに向かう為の終焉
土曜日の午後に、部活動以外で学校に残る生徒はほとんどなく、校舎はまるで別世界のように静まり返っていた。 中庭のベンチに一人腰をおろし、学校の七不思議の一つに数えられる奇岩に目を向けたまま、見神真物はぼんやりと浅く物思いにふけっていた。 着込んだ学生服の襟元には、三年生を示す学年章がつけられていた。 膝の上にはスケッチブックがあり、目の前の風景とは違う物が描かれていた。 長い事考え込んでいた真物は、まあ上出来だと清々した顔で鉛筆を置き、大きくため息をついた。 頭の中に浮かぶ思考は様々でとりとめがなく、たとえばそれは一年前に起こった異変についてであったり、母の事であったり、自分の事であったり。それらが次々に湧いては、渦巻いた。 その中には決着したものもあれば、未だ解決を模索しているものもあった。 後者を真物は、少し持て余していた。 問題から目を逸らし、どうでもいいと隅に追いやっていた頃の悪い癖が、ぶり返すからだ。 そうして思考の堂々巡りに陥ってしまう時、一番の味方がくれた大切な言葉を思い出す。 色々と、ゆっくり向き合っていけよと、彼は言った。 分かったからといって、すぐには変えられない。変える事は出来ない。 そういうものとは、ゆっくり向き合えばいい。 投げ出して逃げずにいれば、上出来だ。 笑うように目を閉じて、真物は脇に置いた缶コーヒーを手に取った。 『あ、いたいた』 残り半分を一気に飲み干していると、誰かの思考の断片が明るい響きで肩を叩いた。 やや遅れて中庭の扉が開かれ、校舎から一人の男子生徒が姿を現した。 『今日もやっぱりここだったか』 真物は飲み終えた缶を置くと、すぐに片付けを始めた。 「待たせて悪いなシン、行こうぜ」 そう言ってマークは済まなそうに片手を上げた。 真物は目を上げて応え、手早く荷物をまとめて肩にかけた。マークが心の中でぼやいているのが、途切れ途切れに聞こえてくる。 彼は今日、教科の教師に呼び出され。ついさっきまで少々の『お説教』を食らっていたのだ。心の中のぼやきは、それに対する反省と感想。合間に何度も、腹減ったと繰り返しているのが、何とも彼らしい。 「南条にゃイヤミ言われるし上杉にゃからかわれるし…ったくよぉ」 大げさにため息を吐きながら、マークは中庭の扉を開けた。 昇降口の扉の前には、見知った面々が集まっていた。その中には珍しく、玲司やゆきのの顔もあった。 今日はこれから、以前約束したのをいつにするか、その打ち合わせに行くのだ。 行き先はいつもの通り、ピースダイナー。 靴を履き替えていると、親友である陽介が声をかけてきた。 「今日は何描いたんだ、真物」 彼らの中で唯一、自分がテレパスである事を知っている人間。こちらが、他人の思考の断片を聞き取る事が出来ると知っても、気にせず付き合いを続け、常に誠実に接し身を案じてくれるかけがえのない人物。 「ああ、今日は、こんな感じになった」 以前の自分なら、決してしなかった行動を取る。 真物はスケッチブックを取り出すと、今日描いたページを開いた。 以前はいつも、また今度とはぐらかし、当たり障りのない絵だけ見せてきた。 今は、何かが変わって、見たいという要求に素直に応じる事が出来るようになった。 それが、自分の、何とも言えぬ内面を描いたものであっても。 「へえ、今日のもまた…面白いな」 細部を見つめ、全体を見回し、陽介が感嘆する。 「ねえ、私も見ていい?」 その時背後から、園村麻希が声をかけてきた。 真物は咄嗟に思考を遮断した。 「ああ。どうぞ」 込み上げるかすかな緊張を押し隠し頷く。 まいは、約束を守った。彼女は秘密をしっかり抱え、麻希の中に戻った。 同じようにだからもう、マキをここに聞く事は出来ない。 それが分かり、分かるのが嫌で、麻希の内面の声はごく浅い所だけ拾うようにしてなるべく聞かないようになった。 けれどまいやマキがそうしたから、今ここにこうして園村麻希がまっすぐ立っていられるのだ。 好きな絵を描き上げるのに根をつめても、以前のように発作を起こす事もない。 友人らと出かけたり、時間を忘れてお喋りに没頭しても、以前のように疲れを覚える事もない。 白く狭い世界で独り暗く思い描いていたものを、一つずつ確実に獲得し、麻希は前進を続けた。 暗い翳を捨てるのでなく、それも糧にしてまっすぐ前を向く。 『園村麻希を助けたい』 ずっと切望した願いはついに叶い、それは純粋に喜びだった。 そしてその分だけ、何かが残った。 自分はまだ、それを解決出来ていない。 持て余しているものの一つ。 「真物君の絵って、やっぱりいいな。この影の付け方とか特に好き!」 大地を掴み踏ん張る獣の絵を、麻希が絶賛する。 「ちょっとあの人に似てるかな、えー…あれ? えーと……」 作家の名前を度忘れしてしまったと、麻希は片手で頭を押さえた。 喉元まで出かかっているのに掴めそうで掴めない名前を、真物は掬ってやった。 「そうそれ! 真物君のは、それの重さがちょっと違う感じ」 自分もこんな風なのを描きたいなと、麻希は続けた。 真物は曖昧に笑ってスケッチブックをしまった。 持て余しているものばかりで、自分は中々前に進めずにいる。一番の味方の言葉に甘え、足踏みばかりしている。 「おい貴様ら、いい加減行くぞ」 各自好き勝手にお喋りを続け、中々歩き出そうとしない事に焦れて、南条が声を上げる。 「はいはぁい」 「わぁーってるよ、そんなせかせかすんなって」 「ぼっちゃまは空腹のご様子です、なんちて、でひゃひゃ!」 「う、上杉!」 半分図星をつかれ、南条がうろたえる。 「私たちも行こう!」 思考の堂々巡りにはまった真物の手を、麻希はしっかり掴むと、引っ張り上げるようにして駆け出した。 「!…」 軽い既視感に真物は目を瞬かせた。 繋ぐ手を通して、遮断しきれない彼女の思考が流れ込んでくる。 園村麻希がどうやってここまで来たか、自分は何をしてきたか…何が出来たか。全部そこに残されていた。 消える訳じゃない――かつて自分が彼女に渡し、 いつでも、会える――受け取った彼女が返してくれた言葉。 何故今まで忘れていたのか。 その通りだと小さく笑って、真物は目を上げて歩き出した。 |
終