Dominance&Submission

黒の支配

 

 

 

 

 

 誰かの心地良い手が、頭を撫でてくる。僚は夢うつつに受け取り、うっとり微笑んだ。自分はこの手を知っている。初めて肩を支えられた時の動揺も、胸の高鳴りも、全部覚えている。
 思えば自分はあの時から、気になっていた。
 気に食わない眼差しだと睨み返したけど、本当はそうではない。
 あの時から、好きになっていたのかもしれない。

「誰を、好きになったんだい?」
「たかひさ……」

 声に出して応えたところで、僚ははっと意識を取り戻した。ぱっちりと目を見開く。
 目の前には男がいた。ベッドの傍に椅子を置いて座り、横たわる自分の顔を覗き込んでいる。
 僚は即座に口を押さえた。

「今、俺……!」

 何と言っただろうか。僚は懸命に思い出そうとした。しかし、声を出した記憶はあるのに、果たして何と言葉を綴ったのか、そこがあやふやで思い出せない。
 男に答えを求める。

「鷹久…俺……今、俺、何か変な事…言っちゃった?」

 微笑んで見つめてくるばかりの男に、恐る恐る尋ねる。
 神取は笑みを深めた。いいや、なにも。

「ただ、好きだと言ってくれただけだよ」

 僚は忙しなく瞳を左右に揺らした。言った言葉自体、否定はしない。ただ、寝惚けてそんな事を言った自分が恥ずかしい。

「私も好きだよ、僚」

 僚は何とか動揺を鎮めようと、深呼吸を繰り返した。縋るようにピアスを掴み、苦笑いを零す。

「具合はどうだい?」
「うん……なんともないよ」

 大分落ち着きを取り戻したのか、僚は静かな声で答えた。
 まっすぐ見上げてくる目を見つめ返し、神取はもう一度ゆっくり頭を撫でた。安心したように軽く目を閉じた僚にほっとし、笑いかける。
 繰り返される男の優しい愛撫に浸っていてある時ふと、僚は忘れ去っていた自分を思い出し、全身を強張らせた。

「どうした?」

 ぎくりとした様子で目を見開き、どこか凝視する僚を訝り、神取は問いかけた。

「あ……」

 目を左右に揺らし、僚は口ごもった。
 男が帰宅したら、言いたい事があったのだ。真っ先に渡そうと思っていた言葉があったのだ。
 たったひと言だが、自分にはとても大切なもの。
 しかし、もうすっかり、タイミングを逸してしまった。今更こんな言葉を口にするのはたまらなく恥ずかしい。
 なんでもないと逸らそうとするが、言ってごらんと男は促す。
 僚はそっぽを向き、歯噛みした。
 ますます言葉が出にくくなる。
 こんな事なら、思い出した瞬間の勢いで言ってしまえばよかった。
 破れかぶれになって、男を凝視する。
 そして、およそ言葉の優しさとは正反対の険しさで、おかえりと投げ付ける。
 男の目が一瞬びっくりしたように見開かれる。
 それを見て、ああほら失敗だと僚は悔やんだ。
 男はすぐに嬉しげに微笑み、ただいまと応えた。

「……ほんとは、帰ってきたらすぐ言うつもりだったんだよ」

 それがあんなで。
 ふてくされた声で僚は弁解した。

「ただいま」

 照れ隠しだというのがよく分かる乱暴さで背中を向ける彼に、男はもう一度繰り返した。
 少しして向こうから、おかえりと小さな声がした。先程よりは、ずっと穏やかな声。自然と頬が緩んだ。
 もう少しして、僚は仰向けになり、そろそろと男に目線を向けた。
 目を見合わせると、窺うような苦笑いが顔に浮かんだ。どうやら機嫌は直ったようだ。たまらなく愛しくなり、神取は頭を撫でた。

「もう、起きられるよ」
「そうか。出かけるまでまだ時間はあるから、慌てなくて大丈夫だ」
「ありがと」

 僚はゆっくり手を動かし、頭を撫でる男の手に重ねた。唇を寄せる。

「鷹久の、手も……」

 安心しきったため息と共に僚は言った。最後は吐息に紛れてしまったが、神取は確かに聞き取った。たちまち頬が緩んだ。
 愛してるよ…胸が痛くなるほどの想いを込めて告げる。

 

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