Dominance&Submission

Short

 

 

 

 

 

 十一月も下旬に差し掛かったある休日の昼下がり。
 広いルーフバルコニーに椅子とテーブルを広げ、男は恋人と向かい合って座り、少々マナーを崩した気楽な英国式のアフタヌーンティーを楽しんでいた。
 否、楽しんでいるのは男だけだった。
 向かい側に座る恋人…桜井僚は、睨むような、縋るような眼差しで男を見上げ、身体を強張らせていた。
 テーブルの上には、重ねられた二人の手があった。
 どんな時も、お互いの体温を感じ取っていたい。
 見る側が赤面して呆れてしまうような、仲の証。
 だが――見ようによっては、男が少年の行動を封じる為にそうしている、そんな風にも受け取れた。
 やんわりと重ねられた男の手の下で、僚は拳を強く握り締めた。
 唇の内側を強く噛む。
 険しい顔付きで見上げる少年とは裏腹に、男はどこか楽しそうに、向かい合った恋人をじっと眺めていた。

 嗚呼、どうして……

 僚はもぞりと身じろぎ、掴まれた手をわななかせた。

 

 

 

 その日は、まさに小春日和という言葉がぴったりの、穏やかで暖かい晴天に恵まれた。抜けるような青空に、さっと筆をすべらせたような雲が並んで浮かんでいた。
 目を覚まして僚は、布団を干すにはもってこいの休日だとささやかな喜びを噛み締め、いそいそと窓を開けた。
 少々古いアパートだが、周りに高い建物はなく、窓の外は駐車場になっているお陰で、日当たりは申し分なく良い。
 干したての布団は病み付きになる心地好さなのだと、広げたそばから布団にもたれかかる。
 惜しみなく降り注ぐ暖かな陽光が、まだ少し寝ぼけている僚を心地好い眠りに誘う。白いシーツが眩しいのに、それすらも気持ちいい。
 存分に味わってから僚は身体を起こし、今日の準備を始めた。

 今日は男と、ドライブを楽しんで、ランチを食べて、それから――

 ぱんぱんと頬を両側から叩き、火照った顔をやや乱暴に宥める。
 痛い、いたい。よし。ひりひりする頬を撫でながら時計を見やる。ゆっくり着替えて朝食を済ませた頃に、ちょうどよく約束の時間が来ると、頭の中で計算しながら、僚は寝衣代わりのシャツを脱ぎ始めた。
 男が迎えに来たら、布団を取り込もう。
 真っ白に輝くシーツを眺め、僚はにんまりと笑った。

 

 

 

 淡い紅色、朱色、茜色。
 黄金色、橙色、山吹色。
 車窓を過ぎる様々な木々を、僚は淡く笑んで眺めた。
 合間に常緑のくっきりとした緑が混じるのがまた鮮やかで、より紅葉の美しさを際立たせた。

「どの木も、本当に鮮やかで素晴らしいね」

 僚を助手席に乗せ、ゆっくりと車を走らせながら、神取鷹久は嬉しそうに言ってちらりと目をやった。
 本当にと、僚は笑いながら目を見合わせた。そしてまた、車窓からの眺めを楽しむ。
 黄色いのはイチョウで、赤いのはモミジ…とそこまではわかるのだが、それ以外にも様々な葉の形、色の種類が織り連なって、僚を困惑させた。
 神取は軽く笑った。

「今は、綺麗だなと見とれるだけでいいんだよ。そして必要になった時に調べればいい。欲しい時は頭もよく働くからね、すぐに覚えられるよ」

 ちなみにと、あれは何、あれは何と、信号待ちの間に、神取はいくつかを僚に教えた。
 僚は一つひとつ見やって、顔を輝かせた。さすが、と男を振り返る。それを期待しての事だが、思った以上に煌めく眼差しで見られると、神取はいささかむず痒くなった。
 少年の素直さがとても眩しい。

「私のマンションの、裏の公園にある桜も、今がちょうど見ごろだよ」

 裏の公園とは、男のマンションの程近くにある小さな児童公園の事で、そこの桜はやや小さい枝ぶりながら満開となれば充分見ごたえがあり、毎年沢山の人の目を楽しませていた。
 春にばかり気を取られがちだが、桜は今の時期も楽しめるお得な樹木だ。

「へえ、そうなんだ」

 桜…ソメイヨシノもまた、モミジに引けを取らぬ紅葉の一つで、僚は、自分の名字に入っている事から、桜には多少思い入れがあり、ある程度は調べていた。
 頷いたのは、マンションの裏手にも桜があった事。
 もう、随分な回数通っているのに、まだ知らない事があった。裏手に回る事がまずないので、気付きもしなかった。
 男のマンションは、室内もさることながら最上階という事もあり、かなり広いルーフバルコニーが備わっていた。甚だ馬鹿馬鹿しい発想ではあるが、やろうと思えばそこにテントを張って生活する事も可能だ。それくらいの広さ、余裕がある。
 まだそう回数は多くないが、窓越しに何度か眺めた事がある。いつも丁度良く晴天だったからか、思い返す時、そこは日を受けて白く輝く場所として記憶に残っていた。
 今日のように、風もなく日差しも穏やかな日に思い浮かべると、ルーフバルコニーはとても居心地の良い場所となって頭に展開された。
 そこから見る秋色の桜は、どのようなものだろうか。

「うん、そうだね……」

 男はしばし考え込んだ。口先だけの言葉を重ねても、本物にはとても敵わない。是非、実物を見てほしいところだ。
 今日見る事は無理だろうか。僚は顔を向けてきた。そう言うだろうと、男はある程度予測していた。
 喜んで承諾した。

「あと、ちょっとしたい事があるんだけど」

 言いにくそうにしながら、僚は付け足した。
 何かと問うと、ルーフバルコニーで英国式のアフタヌーンティーを楽しみたい、というのだ。

「本格的でなくていいから、ただちょっと、ああいうの楽しんでみたいんだ」

 これは予測していなかった。
 さしもの男も目を見開く。
 もちろん断るわけもない。
 あまりに突飛だったかと肩を竦める僚に笑いかけ、喜んでと引き受ける。
 たちまち彼は、やった、と目を輝かせた。

「本当に? あの、三段に重なったトレイにサンドイッチとケーキと…あと……」

 答えを求め、僚はちらりと男を見やった。

「サンドイッチ、スコーン、プチケーキ。そして紅茶」
「そうそう、それ。サンドイッチは俺が作る。鷹久はスコーン担当で。そしてケーキは買ってくる。これでどうだ?」

 一人意気揚揚と計画を練る僚に思わず声を上げて笑う。すでに、今日の昼下がりは決まってしまったようだ。

「こんな事なら、イギリスに留学していたなんて、言わなければよかったかな」

 愛しい恋人のおねだりに、満面の笑みで応える。やれやれと大袈裟に首を振っても、本当は歓喜で一杯だ。

「ごめん……駄目か? 一度やってみたいと思ってたんだ」
「もちろんいいとも。最高に美味いスコーンを作るよ」

 ありがとうと僚は満面の笑みを浮かべた。
 こちらこそ、その笑顔を見られただけで最高だ。

 

 

 

 それからもうしばらくドライブを楽しみ、予定していたランチを堪能した後、必要な材料を買い込んで帰路に着く。
 伝統的なアフタヌーンティー…知識としてはある程度備えているが実際作るのは男も初めてで、買ったレシピ集を見ながらあれも必要これも必要と店内を回りふと気付けば、カートに山積みになっていた。
 思いがけず大荷物になった袋をそれぞれ抱えてマンションのエレベーターに乗り込み、リビングのテーブルにどさりと積んで、早速二人は準備に取り掛かった。
 が、僚は袋から荷物を出すのもそこそこに、自分の頭に思い浮かべていた白く輝く場所へ引き寄せられる。
 スコーンに必要な材料を揃え、早速作業に取り掛かった男の耳に、するりと窓の開く音が聞こえてきた。顔を上げると、ルーフバルコニーに出た僚が、胸まである柵から身を乗り出して、感嘆の声を上げていた。
 小さな子供ではないのだから、どこまでが安全かわかっているとしても、今にも落ちそうに見える姿に思わずどきりとさせられる。足早に歩みより、一番掴みやすいベルトを無意識に握る。
 すると僚は満面の笑みで男を振り返り、桜の紅葉ってモミジやカエデにも負けないよな、とはしゃいだ声を上げた。
 確かに、言葉では表しがたい。
 葉の厚みと色合いのせいで、下から見上げる桜の紅葉はあまり冴えない。だから春ばかり注目されがちだが、こうして葉の表を十分望める場所からならば、本来の美しさを思う存分楽しむ事が出来る。

「中々、いいものだろう」

 少し自慢げに男は言った。
 僚は大きく頷き、しばし眺めた。

「春は、ここから毎日楽しんだんだな」

 羨ましい、少し妬ましい声音で男を見上げる。

「それがね……その頃はまだ越して来たばかりでね。仕事も詰まっていたし。だから気付いたのは、すっかり葉桜になった頃だったよ」

 それは、非常に残念だ…僚は顔をしかめた。

「まあでも、これからこうして君と二人で楽しめる。春も、秋も」

 夏の青葉も冬の枝ぶりも。
 一緒に、四季を楽しむ。それぞれを待ち遠しく思いながら。
 僚は微笑んで頷いた。

「よし、じゃあとっとと作ろう」

 それからくるりと踵を返し、大袈裟に腕まくりしてみせた。その後を、浮かぶ笑みに頬を緩ませた男が続く。

 

 

 

 オーブンが、完成の合図に電子音を響かせたのは、それから小一時間ほど経った頃だった。
 食べ頃よと、白い湯気を立ち上らせる熱々のスコーンを男が皿に並べ、僚が冷蔵庫からプチケーキの入った箱と、サンドイッチを取り出す。二人してそれぞれテラスに運び、何度も顔を見合わせてはにっこり笑う。
 数回往復してついに準備は整い、バルコニーの丸いテーブルの上に、僚の希望以上にまとまった英国式のアフタヌーンティーの姿が、完成した。
 やった、すごい、とはしゃぐ僚に笑みを向け、男は紅茶を用意した。
 伝統的なスタイルを重んじるならば、食べきれないほど用意するのが正しいのだが、そもそもの始まりは今で言うところの三時のおやつと一緒だ。そう考えればそれほど間違ったものでもない。
 何より、食べきれないほど用意したのではもったいないし、食器類にはそれなりにこだわったので、これでいただく事にしよう。
 本来は積み方も食べる順も何かと決まりごとがあるが、そういうのは店で食べる時に気を付ければいい、美味しく楽しく食べようと、神取はどれでも好きなものから、とすすめた。
 僚は席に着くと、早速スコーンに手を伸ばした。

「出来はどうかな」

 蜂蜜をたっぷりかけて口に運んだ僚に、男は少し心配そうな笑顔で尋ねた。本を見た限りでは易しそうだったが。料理はそこそここなせるが、製菓はこれが初めてだ。
 大きく噛み締めながら、僚は指でオッケーのサインを示し、満面の笑みを浮かべた。

「良かった」

 ほっとした顔で、男はサンドイッチをつまんだ。
 サンドイッチの具にも決まり事があるが、美味しく食べるのを優先しようと、ツナや卵、チキンを選んだ。

「ホントに美味い、これ最高」

 僚は絶賛して二個目をつまんだ。
 にこにこしながら、男はサンドイッチにかぶりついた。具が飛び出さないようにと、ポケット状に切込みを入れた心配りに感嘆の声を上げる。
 聞けば、先日調理実習の時間で似たような品を作り、これはいいと思ったので、早く披露したいと機会を伺っていた、今日申し出たのも、それがあってのことだと彼は言った。

「なるほど……いや、これは美味いよ。実に良く出来ている」

 ありがとうと投げかけると、僚はむず痒そうに笑いながら、作った甲斐があったとほっとした顔になった。
 そしてまた、スコーンに手を伸ばす。
 そんなに気に入ってくれたとは、こちらも作った甲斐があると男はしみじみ感謝する。
 お互いを褒めちぎり微笑む様は、もしこの場に他の人間がいたならば赤面してしまうほど甘いムードを醸し出していた。
 あっという間にスコーンを三個平らげ、次いで僚は一口サイズのプチケーキに手を伸ばした。
 つい先刻ランチを食べたばかりだというのに、まるで三日三晩飲まず食わずだったといわんばかりの驚くその旺盛な食欲に、男は思わず目を丸くした。
 大きく頬張っているのにちっとも卑しく見えないのがまた不思議だ。意地汚いところがないからだろうか。一つずつ順番に口に運び、零したり飛ばしたりせず、一つずつ丁寧に味わっているからだろうか。とても嬉しそうにしているのがまた小憎らしい。
 男は微笑ましく眺めた。
 味わいながらも紅茶を一息に飲み干して、僚はふうと息をついた。

「やっぱり、美味い」
「それはなによりだ」

 二杯目を注ぎながら、男は微笑み礼を言う。
 果実と木の葉が踊る洒落た器から、アールグレイの癖のある香りがふわりと立ち上る。
 二杯目にもたっぷりとミルクを注ぎ、僚は口をつけた。半分ほど傾け、じっくりと息を吸い込む。
 見るからに美味そうにスコーンを口に運び、紅茶のカップを傾ける僚に、神取は目を細めた。

「私が食べる前に、なくなってしまいそうだね」
「え、あ…ごめん!」

 僚は慌てて謝り、いいよと笑う男にたっぷりの生クリームを乗せたスコーンを差し出した。

「あんまり美味しくて、つい」

 そう言って、ごく自然に男の口へとスコーンを運ぶ。
 一瞬驚いた男だが、すぐに嬉しそうに口を開けてスコーンを頬張った。

「ほらな?」

 同意を求める僚に、至福の表情で頷く。
 言葉に出来ないほど、心地好いものだった。

「喜んでもらえて、私も嬉しいよ」

 やがて二人はどちらからともなく立ち上がり、眼下の紅葉を楽しもうと手を繋ぎ歩み寄った。

「そんなに大きくはないけど、綺麗な形してるね、この桜」
「ああ、春も、待ち遠しいね」

 眺めていると、少し強い風が吹き、一枚また一枚と葉が散って、樹の傍を通りかかった親子連れの、幼児の小さな頭に乗っかった。すぐに母親が気付いて葉っぱを取ってやった。
 春の事が思い出された。
 気付けば僚をじっと見つめていた。気付いた彼は、まず口元を気にした。

「いや、大丈夫。あれだけ食べたのに、綺麗なものだよ」
「だから……悪かったよ」
「悪くなんてないさ。あんなに喜んでもらえて、幸せだよ」
「大げさだな」

 僚は軽く笑った。
 本当だと合わせて笑う。
 しばらくして神取は静かに離れ、新たに入れた紅茶をプチケーキと共に僚の元に運びまた時間を共有した。
 心地好い沈黙を崩さぬよう、僚は小声で言った。

「……ずっと見てても飽きないな」
「そうだね」

 男も、囁くように返す。ふと見ると、いつの間にかカップの中身は空になっていた。
 それではと、新しい紅茶を用意しに一旦キッチンに引っ込む。薬缶を火にかけ、ついでに用を済ませて戻ると、こちらに歩いてくる僚の姿が目に入った。
 自分が今出てきたところに用があるのは、一目瞭然だった。
 あれだけ立て続けに紅茶を飲めば、当然だろう。
 そう思った瞬間、ある光景が脳裡に閃いた。
 全く唐突に浮かんだそれは、男の興味を十二分に引き付け、虜にした。
 見てみたい――彼の、その姿を。
 勢い付いて膨らむ欲求のままに、男は支配者の貌になる。

「ちょっとト――」

 何事か言いかける僚の腰に腕を回し、抱き寄せて言葉を奪う。
 抗議の声もろとも飲み込み、突然の事に面食らうのも構わず深く口付ける。
 僚はすぐに抵抗をやめ、大人しく身を委ねた。
 更に強く、舌を絡めて誘う。
 ややあって、神取はゆっくりと顔を離した。
 戸惑いがちに下ろされた手を取り、バルコニーへと歩き出す。背後の僚は、何か伝いかけ口を噤み、大人しく従った。

「すぐに新しい紅茶を用意するから、ここで、待っていてくれるかい?」

 そう言って椅子に座らされる。訴えかける眼差しで僚はおどおどと男を上げ、ぎこちなく頷いた。男がにっこりと笑う。
 去り際に頬に口付け、中へと戻る後ろ姿を、僚はわずかに不安を含んだ目で見送った。
 しゃくり上げるように息を吸い、視線を戻す。
 さっきまでは気にならなかったジーンズのホックが、今は少しきつく感じられた。頭の中で、まさかという思いがぐるぐると渦巻く。
 ふと、カップを向こうに置いたままだった事に気付き、取りに行こうと腰を上げかけたところで男が戻ってきた。

「ああ、私が取ってきてあげるよ」

 立たせまいとする為か、男はポットを置くや即座にそう言い僚の行動を封じた。

「……サンキュ」

 まさかという思いが確信に変わるのを実感しながら、僚は低い声で呟いた。
 目の前に置かれた器に、新たな紅茶が注がれる。
 しかし僚は、すぐに手を伸ばす気になれなかった。

 いつから……

 いつから始まったのか。
 重苦しく感じられる下腹をなるべく気にしないよう周りの風景で紛らせながら、僚はそっと男の貌をうかがった。
 素知らぬ顔で向かいに腰を下ろす男に恨めしそうな一瞥をくれ、すぐに目を逸らす。
 視界の端に、頬杖をついてじっとこちらを見つめる男の顔が映る。
 何か伝いたげに、もしくは楽しんでいるかのように穏やかな視線に、わけもなく恥ずかしい気持ちにさせられる。
 男の望んでいる事に、頭の芯がぼうっと霞む。
 不意に、手を差し伸べられ、僚はびくっと肩を弾ませて見やった。
 さりげなくテーブルに置かれた男の手に、恐々と応える。
 神取はゆっくりと伸ばされる手を優しく握り締め、そのまま一緒にテーブルの上に置いた。
 一回り大きい男の手に包まれ、僚は思わず赤面した。
 目のやり場を失い俯く僚に神取は笑みを浮かべ、穏やかに見つめた。
 先刻までの甘いムードはなりを潜め、代わりに、息も出来ぬほどの沈黙が張り詰める。
 風の柔らかさも、陽射しも同じなのに、互いの間にある空気だけが、強いほど張り詰める。
 テーブルのある一点を見つめ、僚は強張った顔のまま息を詰めていた。
 少しずつ、確実に、圧迫感が増していく。
 まさか
 冗談だろう
 そんなはずは
 どれを思い浮かべても、男の視線は容易くそれらを追い払い、望む姿が見られるまで待ち続けると僚を打ちのめした。
 奥歯を噛み締め、僚はかすかに呻いた。
 きりきりと突き上げる下腹の欲求に、更に力を込める。しかし、それほど長くは持たないのを、僚自身よくわかっていた。
 だからといって、こんな場所で醜態を晒すのはとても耐え切れない。
 こんな場所で。
 男の目の前で。
 服を着たまま。

 自分が――

 やんわりと重ねられた男の手の下で、僚は拳を強く握り締めた。
 唇の内側を強く噛む。
 険しい顔付きで見上げる少年と裏腹に、男はどこか楽しそうに、向かい合った恋人をじっと眺めていた。
 実に、楽しい。
 そして、何もかもが愛しい。
 我慢を重ねて滲んだ眦の涙も、萎縮する肩も、小さく震える手も唇も、何もかもが愛しい。
 もう間もなく、望む姿を曝すだろう恋人が、愛しくてたまらない。

 嗚呼、どうして……

 ごくりと喉を鳴らし、僚はわずかに身じろいだ。

「鷹久――」

 思い切って口を開く。

「どうした」

 喉元まで出かかった言葉は、あれほど勇気をかき集めたというのに、男の一言で脆くも砕けてしまった。

「なんでもない……」

 呟くと同時に、ごうっと強い風が吹き抜けた。
 瞼を叩く前髪に目を閉じ、僚は更に深く俯いた。
 それから数分。
 沈黙は続き、膨れ上がった下腹の圧迫は涙が滲むほどの苦痛を伴い僚を苛んだ。
 もし今解放されても、一歩も動けないほどに差し迫っていた。
 早く楽にしてくれと、ジーンズの硬い生地に押さえ付けられた自身のそれが怒りにわなないている。僚は唇を噛んだ。いっそ、泣いてしまいたい。
 しかし今更そんな事をしても、行き着くところに変わりはないだろう。男の、あくまでも優しい声と手が方法を変えるだけで、自分の立場は変わらないだろう。
 そして結局は、ここで晒すしかないのだ。
 その瞬間の姿を想像し、僚は背筋を凍らせた。
 目の奥がじわりと熱くなる。

「た…鷹久……」

 きつく目を閉じたまま、僚は縋るように名を呼んだ。
 応えはない。

 嗚呼、どうして……

 逃げ出してしまいたいほど恥ずかしい事なのに、見て欲しいと望んでいる自分がいるのはどうしてだろう。
 確かに存在する恥知らずな自分に、脳天が痺れる。
 それだけは駄目だと自身を叱責し、僚はぐっと奥歯を噛み締めた。
 しかしすぐに力は緩み、かたかたと震えて、呼吸もままならないほどに追い詰められる。

 もう…我慢出来ない――

 ぱんぱんに膨らんだ下腹の重苦しい痛みに、内股までもが引き攣り始めた。
 込み上げる吐き気に涙が滲む。
 向かい合う少年の睫毛に盛り上がった涙の粒に、神取は限界が間近なのを知る。

「僚……」吐息と同じ細さで名を囁く。

 耳朶をかすめた低い声に、僚の背筋が震えを放つ。
 それが引き金となって、限界までこらえた尿意が一気に弾けた。

 

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