Dominance&Submission

ご機嫌いかが

 

 

 

 

 

 どたどたと足音をうるさくする事もなく、がちゃがちゃと食器を乱暴に扱う事もなく、しかし僚は怒っていた。
 静かに内側で怒りの炎を揺らめかせていた。
 口を真一文字に引き結び、いつもながらの手際の良さでてきぱきと昼食の準備を進めている。
 彼の隣で同じように作業を進めながら、神取は己の失敗を悔いていた。
 大事な書類と言って彼の行動を制限したが、実はあれは重要でも何でもなく、処分が決まっている打ち損じの用紙や使用済みの資料の類であった。
 粉砕して捨てるものなので、どれだけ折れ曲がろうが汚れようが、一向に構わなかった。
 事後、熱も冷めて正気に戻った後、なんて事をと青ざめる彼にそう説明し安心するよう言ったところ、彼は大きく開けた口で一つ息を飲み込みじっと見つめた後、口も利いてくれなくなった。
 食卓には皿が並び、後はスコーンが焼き上がるのを待つだけ。そのスコーンは今まさにオーブンの中で、いい具合に火が通っている最中だ。
 そこで神取は口を開いた。

「そろそろ、機嫌を直してはくれないか」

 僚の目が向く事はなく、動きが止まる事も、まして声が発せられる事もなかった。

「ふうむ残念、少しやり過ぎてしまったな」

 少しどこじゃないと、僚は目を逸らしたまま胸の中でぼやいた。

「ああ本当に残念だ。実はね、君の為にと極上のイチゴジャムを用意しておいたんだ。といっても、君の作ったものには及ばないが、それでも中々の品で、きっと気に入ってくれるだろうと使う日を楽しみにしていたんだ。今日ようやく晴れ舞台を迎えたイチゴジャムだが、どうやら君の口に入りそうにないな……ああ残念、残念。きっと喜んでくれると思ったのだが。失敗した。まあ仕方ない、これは私一人で食べるとしよう」

 ひとしきり聞いた後、僚は唸るようにため息を吐いた。

「……鷹久さあ、そういうの、ほんとずるいぞ」
「何がかね」
「ああ待った! まて、待って!」

 未開封のふたを開けようとする男を鋭い声で制し、僚は片手を突き出した。
 止めるだろうと予測してはいたが、余りの慌てようにさすがの男もびっくりして目を瞬く。切羽詰まった悲痛な叫びに驚き、じわじわと込み上げてくるおかしさに頬を緩める。
 僚は険しい目付きで男を見据えると、伸ばした手を更に男に押し付けた。
 早く寄越せ、ということだ。

「じゃあ、機嫌を直してくれるかい?」
「鷹久が謝ったら直す」
「私が悪かった。この通り、許してほしい」

 男は素直に頭を下げ、それを見て僚は絶句した。どうせまた上手い事言ってはぐらかすに違いないと、反撃の言葉をいくつか用意していたのだ。それがどうだ、心底済まなそうに神妙な顔で頭を下げているではないか。
 予想外の展開に面食らい、僚は何か云いたげに唇を動かした。

「さあほら、君が開けるといい。そして好きなだけたっぷり、食べなさい」

 手のひらに乗せられた瓶はずしりと重い。僚は握りしめ、手を引っ込め、何とも言えぬ顔で頷いた。
 気持ちを切り替え、蓋を開ける。密閉されていた証の『ぽん』と小気味よい音が響いた。
 そこからみるみる顔付きが変わっていった。テーブルの中央に陣取った焼き立てのスコーンに、山のようにイチゴジャムをのせて頬張る頃には、光り輝くまでになっていた。
 神取はその変化を眺めてから、自分もスコーンに手を伸ばした。
 そのタイミングで、僚がジャムの瓶を寄越してきた。

「ありがとう」

 食べているので返事はなしだが、顔を見れば何を言っているかは一目瞭然だ。
 それはそれは嬉しそうに花咲く笑顔に、同じく笑顔を返し、神取はひと口頬張った。

 

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