Dominance&Submission

ご機嫌いかが

 

 

 

 

 

 豆腐、長ネギ、ひき肉…今夜は麻婆豆腐丼だ。
 献立に沿って売り場を歩き、桜井僚は各品をひょいひょいと手早くかごに入れていった。一つ入れるごとに、カートを押す男にちらりと笑みを向ける。
 男…神取鷹久も頷く代わりの笑みを返し、次へと進んだ。
 最後に買う冷凍食品の一つ手前、二人分のデザートとして青果売り場にやってきた僚は、それまでの手早さはどこへやら、あっちに行ってはこっちに戻り、中々決められずにいた。

「大変そうだね」
「ここ、いいものばかりで逆に難しい」

 僚は困った顔で笑い、肩を竦めた。
 彼の眼だけが捉えられるより甘く美味しい果物の光が、彼を惑わしているようだ。神取は静かに控えて立ち、手が伸びる時を待った。
 それまで下げられていた僚の手が、ついに一つに向かった。色、艶、大きさ…男の目には、周りに並んでいるものとこれといって差はないように思えたが、彼が選んだのだから間違いはない。
 今夜も食卓が楽しみだと、神取は目配せした。

 

 ひりひりと口の中に残る辛さ…痛みに近いそれにうっすら浮かぶ汗に、神取は目を瞬いた。
 いいレシピを教わり、中々好評だったからと自信を持って披露された麻婆豆腐は、なるほどがつんとした旨みがあり、白飯によく合った。
 レンゲでかき込みながら正面をうかがうと、自分以上に汗をかきかき頬張っている僚が見えた。
 うまいが、辛い、しかしそれが心地良い。
 そう感想を述べると、僚は額の汗を拭う仕草をしながら嬉しそうに頷いた。

「口の中結構大変なことになるけど、それがうまいんだよな」
「確かに。いや、これはうまいよ僚、おかわり三杯はいける」
「よかった、それ嬉しい」
「私こそ嬉しい。また今度、作ってくれるかな」
「もちろん、いつでも言って」

 僚はほっとして、少し腫れた唇で笑った。作り手として、また食べたいと言われるのは何よりの喜びだ。
 次も飛び切りの料理を作って、美味いと言わせたい。

 

 僚はお待ちかねの食後のデザートに手を伸ばした。
 夕飯の買い出しに出かけたスーパーは品揃えが豊富で、見慣れない珍しいものも多く、普段行く店とは比べ物にならないほどだ。
 自分一人をまかなうなら充分だが、こうして男と一緒に食べるなら、少し変わったものを味わいたい。
 今の時期は柑橘類が旬で、いつもの店でもあれやこれや目移りする。そこにきて品揃えが豊富で珍しいものも取り扱っているとなれば、決めかねてしまう。
 ようやくの事見つけ出したオレンジを、男と半分ずつ味わう。
 他の何かと和えたりはせず、剥いて切って皿に盛っただけのものを一つ取り、僚は大きな口でかぶりついた。口の中一杯に広がる甘さと、思い通り一番美味いのを探し当てられた喜びとに笑顔を浮かべ、僚はにこにこと二つ目に手を伸ばした。
 正面では男が同じようにして口に放り込み、うん、と大きく唸った。
 見開かれた目が輝いている。
 やった、と思う瞬間だ。
 僚はますます嬉しくなって目を見合わせた。
 先ほどの激辛中華で少々痛め付けられた口の中が、絶妙な甘酸っぱさで充たされていく。
 男も向かいで果汁たっぷりのオレンジを堪能している。
 二人、無言で果物を食べ尽くす。
 実に幸せなひと時だ。

 

 そこに少しそわそわとした心の動きがあるのを、僚は持て余していた。
 実は以前から、一つ、男に聞きたい事があった。
 お互い余計な詮索はしないようにしていた。言葉で明確に取り決めを交わしたわけではなく、話したくない事があるから人にも余計な事を聞かないとして、いつの間にか互いの間で出来上がっていたものだ。
 だが、自分の知りたい事はそこまで触れる深刻なものではないだろう。
 しかし男には似つかわしくない代物でそれ故中々切り出せずにいた。
 どうしても知りたいというほど強いものでもないので、今度訊いてみようと思う内に時が過ぎ、今に至ってしまった。
 今回も、思い出せなければまたの機会にとなっていた事だろう。
 けれど今こうしてぽんと頭に思い浮かび、口から出る時を待っている。
 今更尋ねるには少々時間が経ってしまっているが、僚は思い切って口を開いた。
 その同じタイミングで、男も言葉を繰り出した。
 実は男も、少々言い出しにくい事を言う為に、タイミングを見計らっていた。
 それがまさか重なってしまうとは思いもよらず、即座に相手に譲る。
 それもまた同じ呼吸であった。

「ほんと俺はいいから、鷹久どうぞ言って」
「では……うむ」

 珍しく口ごもる男に、僚はわずかに顎を引いた。
 実はと切り出し、一秒置いてから男は続けた。
 実は少し溜まった仕事があり、明日午前中の間に仕上げる予定だと告げられ、僚はそれは大変だと男を慮って神妙な顔になった。
「昨日も今日もほったらかしにするのは心苦しいのだが……済まないね」
「そんなのいい。それはいいけど、そんな忙しいなら悪いし帰るよ」
 その方がずっと集中出来るだろうと僚は提案した。
 たちまち男は大きく首を振った。

「だめだめ、私の活力源なのだから、いてもらわないと困る」

 戸惑う僚に男は続けた。

「面倒な仕事を終え、部屋から出てきた時、君がお疲れ様と迎えてくれるなら、なんでも頑張れるというものだ」
「それで頑張れるなら、俺何度でもお疲れ様するよ」
「本当かい、君は優しいね」
「なに、そんな、こんなのお安い御用だ」

 自分のひと言が男を元気に出来ると知って、僚は晴れやかな気持ちになった。
 すぐに驚きに取って代わる。

 

「それで、一人の時間の暇つぶしに、リビングにあるゲームで楽しんでもらえたら嬉しいのだが」
「!…」

 思いがけず触れられ息を飲む。
 僚が聞きたかったのはまさにその事だった。
 しかし今まで聞けずにいて、今更出すのもタイミングがおかしいかと躊躇し、先ほどやっと出かかったところ、男と言葉が重なってしまい引っ込めたものだ。
 僚の表情からそれとなく察し掴んだ神取は、奇妙な偶然に驚き笑い、説明した。

「あれは、ここに越して間もなくの頃に須賀が持ち込んだものでね」

 意外だと思う気持ちと、なるほどしっくりくると納得する気持ちとが混ざり合う。僚は複雑な面持ちで頷いた。
 相手が話題に出したのなら気楽に乗っかれる。僚は、まさにそれを聞こうと思っていたのだと口を開いた。
 夕食の片付けが済んだ後、ゲームの実物を改めて目にする。
 ガラス戸越しにちらちらと見えていて、いつかの機会に尋ねようと思っていた代物を間近に目にして、僚は不思議な気分が再び込み上げるのを感じた。
 仕事についてだが、男が言うには昼までには片付く予定だそうだ。

「あ、じゃあ、昼の用意しとくから、鷹久は心配せず仕事してなよ」

 僚の申し出に男は、とてもありがたいがと笑って首を振った。

「それは君と一緒にしたい」

 明日の昼は、焼き立てスコーンを食べようと誘われる。
 今夜の内に生地を作って冷凍しておけば、焼くだけで済むと説明され、それは確かに楽ちんだと僚は頷いた。

「本当に済まないね」

 言葉と共に頬を撫でられ、僚はむず痒い顔で触れてくる手を握った。

「別に平気だって」
「そうかい。私は寂しくて寂しくてしょうがないがね」
「いい大人が、甘えんぼだな鷹久は」
「まったく、そうなんだ」
「ふうん」

 僚は腰を抱き寄せ、高い位置にある顔を斜めに見やった。
 どちらともなく近付く唇に、目を閉じる。

 

 

 

 十一時半になったら構わずノックしてくれと言い渡して、男は書斎にこもった。
 僚は軽く手を振って見送り、テーブルを振り返る。
 これからしばし一人で過ごすのは寂しくもあるが、その一方で、男の部屋でゲームに興じる珍しさに心奪われてもいた。
 男の昔馴染みである須賀が買い揃えた物で、時々泊まりに来る度にゲームソフトを増やし、遊び、楽しんでいるそうだ。
 彼の揃えたソフトの中には、自分がやった事のないものもちらほら混じっており、それをプレイするのが楽しみで、僚の心は弾んでいた。
 男がいなくて寂しいが、扉一枚向こうには確かにいるし、昼までの数時間などゲームをしていればあっという間だ。
 僚は素直にわくわくに身を委ね、ソフトを一つ手に取った。

 

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