Dominance&Submission

鍵の行方

 

 

 

 

 

「今は、冬休み中だったね」

 地下の駐車場で車に乗り込む際、男がそう言ってきた。
 助手席に身を沈めて、桜井僚はそうだと頷いた。顔を上げて見つめるのと、扉が閉められるのと同時だった。回り込んで運転席に滑り込む男を追って顔を巡らせ、続く言葉を待つ。

「ちょっと、提案があるのだが」

 神取鷹久はシートベルトを締め、それから顔を向けた。どんな提案だと見やってくる僚と目を見合わせ、月曜日、とまず発する。

「月曜日に逢えるかい」
「え? 休みなの?」
「いや、だが、六時には終わって身体が空く予定なんだ。もしよければ、君を特別ディナーにご招待したい」
「え、いいの?」

 僚の目が驚きで一杯に開かれる。地下の余り灯りのない中でも、きらきらと輝いているのが手に取るようにわかった。無邪気な表情を見せる僚にひと息笑い、神取は頷く。

「ひと晩じっくり、楽しもう」
「あ……うん」

 ひと晩という単語に僚は息を飲み、わずかに目を伏せる。すぐに目を上げ、身体中で喜ぶ。次に会える来週が待ち遠しいと思っていた矢先の嬉しい驚きに、頬が痛くなるほど張り詰める。それほど嬉しい。嬉しくて顔がもとに戻らない。呼吸も少し変だ。来週まで待たなくても、またすぐ逢える。嗚呼なんて嬉しいんだろう。
 お陰で、いつもはもう少し気持ちを奮い立たせないと笑顔で見送れない男との別れ際も、ずっと気楽に手を振る事が出来た。

 

 

 

「さあ、これでいい」

 アパートのベッドに横たわり、時折走る鈍痛に顔をしかめて耐えていた僚は、聞こえてきた男のどこか楽しげな声にうっすら涙を滲ませた。起きてごらんと手を引かれ、恐る恐る頭を上げる。
 見たくないのに、股間に目が引き寄せられる。
 半透明のシリコンケースに半ば無理やり押し込められた己の性器に、また顔が歪む。僚は俯いたまま、目の端で男を恨めしく睨む。
 日曜日を迎え、いよいよ明日だと浮かれながらこまごまとした家の雑事をこなしていると、昼過ぎに男から電話がかかってきた。明日の確認かと弾む気持ちのまま出ると、今夜少し時間はあるかと尋ねられた。明日の準備で何か用意するものがいるのかと、適当な予測を頭に巡らす。それを告げると、まさにその通りだと返事があり、夕飯後しばらくして言った時間ぴったりに男はやってきた。
 明日会えるが、今日も顔を見られるのは嬉しい。男とは毎日だって顔を合わせていたい。喜んで招き入れると、何か云い含んだ笑顔でベッドに寝かされ、あるものを取り出してきた。
 形状から、いくらかの想像はついた。下半身の服をはぎ取られ、確信に変わった。
 男性用の貞操帯だと説明する男の声を遠く聞きながら、僚は呆然と自身の股間を見つめた。呼吸が不規則になり、息苦しくなる。

「いいものが手に入ったのでね。どうやって使おうか考えて、舞台を用意したんだ」
「ああ……」

 僚はぼんやりと応えた。

「明日には外してあげるよ」

 目の端に、男が手にする小さな鍵が映る。
 ひと晩楽しむって、これの事だったのか。
 血の気が引き、頭がくらくらする。僚は恐る恐る触れてみた。
 先端には縦長の穴が開き、両脇にも丸い空きがある。
 意味もなく指でその隙間をなぞっていると、排尿はそこから問題なく出来ると男が言ってきた。

「下向きになっているので、座ってね」
「なんで……こんな」

 半ば無意識に呟く。ショックには間違いないのに、ぞくぞくするほどの興奮が背筋を駆け抜けた。まさかと自分に慄き、また目眩に見舞われる。

「いい顔だね、僚」

 横からの嬉しげな声に、僚は眼差しを強張らせた。ぎくしゃくと男を見やり、支配者の貌で笑う彼に目を細める。

「もうわかっていると思うが、その状態では勃起は抑制される。つまり、出来るだけ心を平静にして過ごすことだ。明日の晩まで、我慢出来るね」
「もし……なったら?」
「柔らかい素材だが、伸縮性はない。だからもしも興奮してしまったら、鎮まるまで痛い思いをする事になる」

 それを聞き、僚は恐ろしげに顔を歪めた。

「ああ、本当にいい顔をするね」

 うっとりと目を細める男に、僚は恨みがましい視線をぶつけた。頬にそっと触れてくる手を一度見てから、また男の顔に戻す。

「君の事だ、明日までどれだけ我慢出来るか……」

 どこか小馬鹿にした物言いに、一瞬かっと頭に血が上る。一気に熱くなった後頭部が、何故だかひどく気持ちいい。こんな扱いを受けているというのに。自分はどこかおかしくなってしまったようだ。
 複雑な顔で睨んでくる僚に微笑を向け、神取は立ち上がった。

「明日の晩が楽しみだ。また連絡する。そして明日会った時、僚――」
「……なに」
「何度興奮したか、私に報告しなさい」
 わかったね

 有無を言わさぬ声音に背筋がぞっと引き攣る。
 冴え冴えとした微笑で見下ろしてくる男をしっかと見つめ返し、僚は頷いた。

「……わかった」

 

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