Dominance&Submission

二人の好物

 

 

 

 

 

 金曜日――。

「ところでさ、鷹久って、ケーキはどういうの好き?」

 明日土曜日の予定をより詳しく詰めようと、桜井僚はそれまでの奔放なお喋りを収め、話題を移した。
 聞かれて神取鷹久は、ふむ、とひと息置いてから口を開いた。

「イチゴのショートケーキはもちろん、タルトもパイも好みだ」
「つまり、何でも全部好きだな」
「好き嫌いはしないよ」

 偉いものだろうと、男は得意げに言った。まるで子供のような無邪気な笑顔に、僚は降参だと肩を震わせた。

「それからそう、チーズケーキも好物だ」
「チーズケーキ、美味いよな」

 僚は笑顔で頷き、しばし考え込んだ。
 明日は二人で、大音量の音楽を聴きながらおやつ作りに励む予定。
 凝ったデコレーションのケーキを二人で作る…最高に楽しいだろう。二人で、泡立てた生クリームを塗って、フルーツで飾り、仕上げのクリームを絞って、二人で食べる。
 最高に美味いだろう。
 だから、本当に好物を作りたい。本当に好きな、食べたいものを作って楽しみたい。
 そこで僚は、もしよかったらと提案した。

「レアチーズケーキはどう?」
「いいね、好きだよ。あれもまた美味いね」

 自分に合わせて答えたのではなく、本当に好きな目の輝きを見て取った僚は、決定した。

「……よし、じゃあそれにしよう。そうしよう」
「決まったかい」
「決まった。イチゴのレアチーズケーキ」

 これだと、僚はすぐさまペンを取り、何事かブツブツ唱えながら先ほどの紙片の裏に必要な材料を書き出していった。

「これ明日、ランチの後に買い物する品な」
「なるほど。しかし大したものだ、頭に入っているなんて」

 感心する男の声に、僚は慌てて首を振った。実を言うと、つい最近作ったばかりなのだ。
 先日実家に戻った際、妹のデザート作りをいくらか手伝った。近頃は手芸の他に製菓にも興味が湧いたようで、あれが食べたい、これを作りたい、教えてくれとせっつかれる事が増えた。
 手作りの品を渡したい相手の一人も出来たかと面白がったが、自分が食べたいのが一番の理由で、同時に、仕事で忙しい両親にご馳走を振る舞いたいからでもあった。
 少し前の自分だったら、反発心を抱えてもやもやしながら作業して、一秒でも早く忘れようと努めた事だろう。今はそんなわだかまりもほどけ、素直に協力する気持ちになった。楽しんで手伝う事が出来た。
 そういった理由で記憶に残っているので、今もすらすらと思い出す事が出来たのだ。

「といっても分量も怪しいし、多分抜けもあるだろうから、アパート帰ったらちゃんと確認する」
「承知した。私の方では、何を用意すればいいかな」
「うん、えっと」

 確認の為二人でキッチンに向かい、僚はそれぞれの棚を見て回った。ボウルにザルにヘラに泡立て器…それぞれ見つけ、完璧だと喜ぶ。

「もうばっちり」
「そいつはよかった。美味しいおやつは、作れそうかな」
「ああもう、完璧」

 二人で、最高に美味いレアチーズケーキを作ろう。
 ぜひ作ろう。
 二人は顔を見合わせにやりと笑った。

 

 

 

 土曜日――。
 雨は今日の始まりに一旦止んだが、日の出の時間を迎える頃、また静かに降り出した。
 音もなく降り落ちる雨粒が町一帯をしっとり包む明け方、僚は夢を見ていた。
 今日男と過ごす時間を、一足先に夢で体験していた。
 それは、とても良い夢とは呼べないものであった。
 二人で楽しくおやつ作り…それへの期待と不安が大きく膨れたせいだろう、夢の中の僚は失敗の連続だった。
 まず、用意した道具類の一切をアパートに忘れる、買い物でもれがある、作業をすれば派手に零し、分量を間違えたせいで綺麗に仕上がらない。
 とにかく、片っ端から間違えてばかりだった。
 嫌な冷や汗にまみれ、僚は悪夢から覚醒した。ベッドの中で一つ深呼吸した後、まだ半分しか開かぬ目を無理やり見開いて起き上がり、荷物を確認する。昨夜きちんと揃えた通り、道具一式入っていた。

「はあ……」

 もう一度深呼吸して、目を閉じる。嫌な汗はすぐに引いていった。するとそれと入れ替わりに、気分がうきうきと上昇を始めた。眠気は吹き飛び身体も軽くなり、じっとしていられなくなる。
 よし、と気合を入れ、僚は立ち上がった。
 今日は朝から雨ざあざあ。
 買い物に出るにも、家の事をするにも、何かと煩わせてくれるから雨の日は好きじゃない。
 だけど、と目を上げる。
 だけど今日は特別だから、気分は軽い。

 

 

 

 ランチの席で僚の見た悪夢を聞かされた神取は、それは大変だったと口では同情しながら、笑いを堪えられなかった。懸命に表情を作るが、その端から唇が震えてしまう。慌てて、身振り手振りで済まないと告げる。

「いいよ。けど、ほんとにまいったよ」

 僚は前菜のサラダをつつきながら、男に合わせて笑った。神妙な顔で同情されるより、いっそ笑ってもらえた方が気が楽だ。自分でも、起きた瞬間は嫌な汗にまみれて心臓がどきどきしたが、時間が経つにつれなんと間抜けな夢を見たものだとおかしくなった。

「まあそれだけ、楽しみだったんだよ」

 僚は開き直り、やけっぱちの笑顔でいーっと歯を見せた。丁度そこへ、ランチのメインである焼き立てのピザが運ばれてきた。
 慌てて澄まし顔に切り替え、僚は軽く頭を下げた。ちらりと男に目配せすると、目線がかち合い、笑っているのが見て取れた。
 給仕が去ってから、先のように歯を見せて対抗する。

「おやおや、いい男が台無しだ」
「ほんと、もう鷹久のせいで散々だよ。いただきます」

 無理やり投げ渡して、後は知らぬと僚は笑顔でナイフとフォークを手に取った。
 このピザレストランはこれまでも何度かランチで訪れており、二人のお気に入りとなっていた。チーズの味わいが絶品で、ピザ生地も歯応えがよく、いくらでも食べられてしまう。
 今日もまた最高だと、僚は一生懸命顎を動かした。
 その様子を、神取は正面からじっくり眺めた。初めて訪れた時はナイフとフォークで食べるピザに少々苦戦した彼だが、すぐに慣れて、今では素早く滑らかに切り分けては口に運び、噛みしめる数だけ幸せを味わっていた。見せる表情は実に素直で可愛らしく、いつまでも眺めていたいくらいだった。
 あっという間に、食後のコーヒーに移った。いつもならばここにデザートをつけてセットにするのだが、今日は二人で特製のおやつを作る予定なので、次回に持ち越しだ。
 レストランを出ると、やや小降りになったものの雨は降り続いていた。
 より、安全運転を心掛けねばと、神取は気を引き締めた。

「じゃあ、いつものスーパーまで」

 お願いしますと、助手席から僚が声をかける。
 任せろと顔を向けると、にこにこ眩しい笑顔がそこにあった。ずきりと高鳴る胸を抑え、神取は車を発進させた。

「朝見たのは逆夢だからな、全部逆にするよ」
 逆にしてやる

 入口すぐのところで、僚は用意していたメモをポケットから取り出し、強気の笑顔で言った。
 神取は軽くメモを覗き込んだ。

「そいつは頼もしい。さて、まずは何から?」
「クリームチーズと、生クリームからだな」
「こっちだ」

 先導を始めた男の後について、僚は歩き出した。
 クリームチーズ、生クリーム、ビスケット、フルーツピューレ。
 それぞれの売り場で、適した容量の品をカートに入れていく。

「うんと美味いおやつ作ろうな」

 僚は弾んだ声を上げた。
 特製のレアチーズケーキ。
 材料を順番に混ぜて冷やせば出来上がり。簡単だけど、ほっぺた落ちる事間違いなしの特製ケーキ。
 そう言って屈託なく笑う僚に、またも胸に高鳴りが走った。痛いほどのそれに、神取は意識して唇を引き結んだ。レストランで、車の中で、そして今感じたものは…なんとか抑えるが、そうすればするほど気持ちは高まり、かえって弾けそうになる。
 これから二人で過ごすのに、これからたっぷり味わうのに。
 なんて我慢の利かない人間かと神取は己に呆れたが、そうはいっても、限界を迎えてしまったものは仕方ない。特別な人が見せる極上の笑顔に何も感じない方がおかしいのだ。
 そうやって言い訳し、開き直る。
 マンションに帰ってすぐ、それまでの我慢をかなぐり捨てて神取は僚を抱きしめた。何度も胸を過ぎった高鳴りに衝かれるまま、抱き寄せてキスをする。

「!…」

 靴を脱いだと同時に覆いかぶさってきた男に、僚は始め、男が躓いてよろけたのかと驚き構えた。支えねばと反射的に身体を力ませ、それ以上の力で抱きしめられて唇を塞がれる。そこでようやく、キスと抱擁だったかと理解する。それにしてはあまりにせっかちで力尽くで、一瞬で収まったものの怒りが湧いた。
 一瞬かっとした後は、存分に男とのキスを楽しむ。小さく鼻を鳴らすと、スーツにうっすら染み付いた煙草の匂い、男の匂いがした。甘いキスと男の匂いに、僚はうっとり酔い痴れた。
 男の舌が、口内を柔らかく舐ってくる。
 身体中の力が抜け、溶けていく錯覚に見舞われる。とても心地良くて、このまま本当に溶けて男と混ざり合えたらいいのに、とさえ思ってしまう。
 僚は二度ほど肩を叩いて合図を送った。名残惜しそうに、男の顔が離れる。間近に目を覗き込んでくる男を見つめ返し、自分から軽くキスをする。

「まずは、おやつ作り」

 悪夢、逆夢を見るくらい楽しみにしているのだ。早く取り掛かろうと急かす。
 神取は頷き、もう一度軽めのキスをした後、僚の肩を抱いてリビングに向かった。

 

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