Dominance&Submission
答え合わせ
今日は、朝から一日雨の予報であった。 起き抜けにつけたテレビの気象情報も、今日は傘を持って出かけましょうと呼びかけがなされた。 しかし、と、桜井僚は窓から空を睨み付け、ある事をしたい衝動と戦った。 今日は一日雨のはずなのに、見上げる空は雲一つない晴天が広がっている。太陽は燦々と降り注ぎ眩しいほどで、四月下旬とは思えない陽気だ。 こんなにいい天気を見せられては、洗濯物を外に干したくなってしまうではないか。 本当に雨が降るというのだろうか。たまには予報も外れるものだ、今日は一日いい天気で洗濯日和、干しっぱなしでも何の心配もない…と暗示をかけたくなる。そこをぐっと堪え、僚は窓を閉めた。 万一に備え傘は持って出る。洗濯物は外に干さない。たとえ今日が一日晴れの予報でも、金曜日の今日は遅い帰宅になるので、外に出せない。せっかく日に当てた洗濯物を夜遅くまでぶら下げていてはもったいない。 気持ちを切り替え、朝の準備に取り掛かる。 今日は食事会の日。 チェロの練習日。 男に会える日。 やっと巡ってきた金曜日に、思わず奇声を発しそうになる。僚は咳払いで発散し、朝飯づくりと並行して昼の特大おにぎりを作り上げた。 以前は、なんとなく思い付いた時に突発的に作っていたものだが、弁当箱を使わないので帰りの荷物が減り、洗う手間もなくなるので、男と出会ってからは、金曜日の習慣となって根付いた。金曜日だけというわけではないが、金曜日には必ず作るようになった。 始めの頃は、中身は梅干しやおかかといったごく標準的なおにぎりの具を用意していた。しかしある時ふと、ご飯のおかずなら何でも合うのではないかと思い付き、それからは主食も副菜もなく、三種類を詰め込んで握るようになった。 今のところ、これは失敗だと思うものは無かった。食べにくさを入れるなら別だが、思いのほかなんでもおにぎりに合った。 「よし、完成。あとは」 時々独り言がもれるのは仕方ない。あとは、食後の果物だ。ほぼ欠かした事がない。いつも、その時々の旬を買い込み、細かく切ってそのまま入れたり、たまには甘煮にしたりと工夫して、弁当に詰めている。おにぎりの場合は小さな容器に入るだけ詰め込んで持っていく事にしている。手のひらにのるほどの小さなものだが、一杯に詰めれば驚くほどたくさん入る。十分満足するサイズだ。鞄の隅に収まり邪魔にならないのもいい。 弁当の用意を済ませ、朝食に移る。テレビを見ながらかっこみ、その勢いのまま洗い物を終えた頃、番組は丁度また天気予報に差し掛かった。 やはり一日雨というのだ。画面の中でお天気お姉さんが、一部の地域では現在晴れているが、傘は忘れず持って出ましょうと注意を促す。僚は心の中でわかったと渋々頷き、コートを羽織った。 くっきり晴れたぽかぽか陽気のもと、傘を持って歩くのは何とも複雑でもったいない気分になったが、午後になり昼下がりに差し掛かる頃には、傘を持ってきておいてよかったと安心する雲行きとなった。 雲一つない晴天だったのが、いつの間にか暗い色の雲で覆われていた。いつ雨が降り出してもおかしくないほどだ。それも、大粒で勢いのある雨。 実際に振り出したのはそれから数時間後で、チェロの練習を終え、今後の課題を男と話し合っている時だった。 夏休みまでに、男と、男のはとこと三人で合奏すると決意し、その意気込みから改善点を熱中して話し合っていてふと、先ほどから聞こえるこの妙な雑音は何だろうと音の原因を探っていて、雨が降り出した事に気付いた。 気付いて耳をそばだてると、結構な勢いで降っているのがわかった。 音は、換気の為開けていたキッチンの窓から届いていた。 「結構な降りだね」 「朝は、あんなにいい天気だったのにな」 窓を閉めにいった男の後について、僚は外を見やった。 「アパートの方、戸締りは大丈夫かい」 窓や勝手口の戸締りを確かめ、神取鷹久は肩越しに振り返った。 「うん平気、ちゃんと雨戸も締めてきたし」 洗濯を日に当てられない悔しさを声に乗せて、僚は頷いた。 「明日も雨かな」 僚はぽつりと呟いた。 「そのようだね。雨だったら、何をしたい?」 先と同じくテーブルに向かい合って座り、神取は切り出した。明日の土曜日は、一緒にランチを楽しんで夕刻まで共に過ごす予定だ。何をするか、具体的には決めていない。もし明日も雨だったら、何をして一日過ごそうか。 問われて僚は、以前したように勉強会もいいかなとぼんやり思い浮かべた。 「鷹久は?」 「そうだね」 神取は立ち上がると、棚からレポート用紙を取り出して戻り、一枚をまず縦長に折り、それを半分に、また半分に折って開き、折り目から切り取って八枚の紙片を作り出した。その内の四枚を僚に渡し、こういうのはどうだろうと持ちかけた。 「一枚につき一つやりたい事を書き、裏返して置く。よく混ぜてからお互い一枚ずつ選び、明日はその通り遊ぶ」 「へえいいじゃん、そうしよう」 僚はすぐに賛成し、反省会で使っていた鉛筆を握り直した。神取も鉛筆を取り、一枚ずつにさらさらと書き付けていった。 書き上がった紙片をひとまとめにし、まず神取がよく混ぜ、続いて僚がシャッフルし、横一列になるようテーブル一杯に八枚を並べた。 「さて、ではまず僚から一枚、どうぞ」 さあどれを選ぼうか。僚は紙片の手前で左右に手を動かして迷い、一番端の一枚を自分の前に引き寄せた。 神取は反対端の二番目を選び、二人そろって表に返した。 「一緒におやつ作り、だって。これ鷹久だな」 「ではこの、音楽を聴くというのは、君のだね」 互いに、相手の希望を引いたようだ。 「うんそう、雨を吹っ飛ばすような元気のいいの一緒に聞いたら、きっと気分いいだろうなって思って」 僚は少し身を乗り出して、自分が書いた紙片を見ながら言った。この部屋は防音がしっかりなされているので、多少音量を上げても外に漏れない。ささやかな音もくっきり耳に届くほど音量を上げて、勇壮な曲や楽しい曲を男と一緒に聴きたくて、希望を書いた。 「これはいい、最高だ」 「鷹久のこれは?」手元の紙片に目を移し、男に戻す「明日一緒に食べるおやつか?」 「ああ、そうだ。一緒に、凝ったデコレーションのケーキを作ってみてはどうかと思ってね。白いクリームを塗って、その上に君の好きなフルーツをたくさんのせる」 「それいい、美味そう。それやりたい、じゃあさ――」 「では、音楽を聴きながらおやつ作りといこうか」 「あ……俺が今言おうとしたのに」 俺が先に言った わざと遮った男に目をむき、僚は笑いながら怒った。 神取は肩を揺すりながら、済まんと宥めた。 「そいつは悪かった」 「それ謝る態度じゃないよな、それ」 まったく許しがたいと、僚は拳で机を叩く振りをした。神取は調子を合わせ、しおらしく頭を下げた。それから目を見合わせ、互いに笑う。 「なあ、他のはなんて書いたんだ? 俺のはねえ」 僚は、残った紙片を手早く開いていった。 勉強会、映画鑑賞、たっぷり練習、次の予定をじっくり組み立てる、読書会、買い物。 僚は一枚ずつに、これもいい、これもやりたいと唸った。 神取も同じく声を上げ、この先の休日で実現させていこうかと提案した。 「そうしよう、全部やろう」 二人は案を出し合い、お喋りは盛り上がった。どんな映画を見ようか。映画館に行くだけでなく、過去の作品をビデオで見るという手もある。たくさんお菓子を買い込んで、コーラを片手に並んで鑑賞。 静かに読書会もいい。二人でソファーに寝っ転がって、じっくり物語に入り込む。時間を気にせずたっぷり練習もいいものだ。苦手な部分の克服に、どれだけ時間を費やしてもいい。かえって肩の力が抜けて、上手くいく事だろう。 話は戻り、明日の予定をつめていく。雨模様を吹き飛ばす賑やかな音楽を聴きながら、二人でおやつ作りに挑む、その為の下準備や必要なものを話し合い、紙片に書き出していった。 明日は、ゆっくりランチの後買い物に向かい、マンションに戻ったら音楽鑑賞と共におやつ作りだ。 これで決まりだと、二人は顔を見合わせにやりと笑った。 ひと息つこうと、僚は紅茶のカップに手を伸ばした。賑やかなお喋りで溢れていた室内は不意にしんと静まり返り、ともすると空気の流れさえ聞き取れそうであった。妙なおかしさが込み上げ、男も同じ感じだろうかと目を向ける。 視線がかち合う。 瞬間、意図せず胸が高鳴った。妙な興奮が過ぎった。目を見合わせるだけですぐそうなってしまうなんて、自分はすっかり。 気持ちを静めようと、僚はテーブルのあちこちに視線を向けた。 神取は飲み干したカップを置くと静かに口を開いた。 「明日、やる事はこれで決まりだ」 「うん、だね」 「では今は。今したい事は」 心を見透かされたようで、僚は息を詰まらせた。本当に男は、憎らしい目をしている。ちょっとの変化も逃さず捉えて、絡めとる。 隠す事もないと僚は思い直し、まっすぐ睨むようにして男を見やった。 「鷹久はもうわかってるだろ」 「さて、どうかな」 「それ、わかってる顔だ」 「そういう君は、私が何をやりたいかわかるかい」 「俺と同じだろ」 「さて、どうかな」 テーブルの上で緩く手を組み、男が笑う。その余裕たっぷりの態度が癇に障ると、僚は唇を引き結んだ。負けてたまるかと勝気に笑う。 「じゃあ答え合わせな」 「いいだろう」 神取は頷き、立ち上がって僚の傍で足を止めた。 「合っていたら正面を見る、外れならそっぽを向くこと」 「ああ、うん」 僚は斜めに顔を上げ、それから、渋々のていで男に身体を向けた。 何と言ってくるのか言葉を待つ僚に小さく笑い、神取は屈んで唇を重ねた。 「!…」 一瞬驚く息遣いがしたが、緊張はすぐに解け委ねてきた。唇を重ね、軽く舐めて、顔を離す。 僚にはむず痒い、少し物足りないキス。もっと続けたいのにと不満顔で男を見る。見てから、先の言葉を思い出し、正誤の際のそれぞれの動作に行き着いた僚はしまったと顔をしかめた。 合っているので正面を見続けるのだが、そこには男の顔があり、間近で目線がかち合って思いのほか恥ずかしい。 「なん……もうちょっと、離れろよ」 笑ってごまかしつつ、僚は肩に手をやった。 神取はその手をそっと包み、何故と笑った。 僚はもごもごと何か云いかけて、口を噤んだ。合っているので正面を見ていなければならないが、一秒ごとに鼓動が高まり心臓が破裂しそうに高鳴って仕方ないのだ。 ならばと、僚は顔を近付けた。恥ずかしいならむしろ、もっと一杯にしてしまえばいい。 神取は笑って受け止めた。 互いに熱を煽るキスをする。互いに深くまで貪り合う。 |