Dominance&Submission
チケット
誕生日おめでとうと封筒を手渡されたのは、二日過ぎた十日の午後だった。 神取鷹久は受け取った封筒に眼を眇め、相手、悪友の挙動を注意深く確かめながら、開封に取りかかった。 過剰に警戒してしまうのには訳があった。悪友はとにかく悪戯好きで、人をびっくりさせるのが何より楽しい悪趣味な人間だからだ。 特に誕生日は奴にとって絶好の機会らしく、毎年驚かされてきた。もう充分わかっていて、しっかり警戒しているにも関わらず、だ。 一応彼なりにルールがあるようで、身体に危害を加える悪戯はダメ、あくまで愉快にびっくりさせるべき。そのように心がけているらしい。が、ターゲットのこちらはあまり差がないように感じられた。 とにかく、毎年の誕生日、奴は精魂込めて悪戯を仕掛けては楽しんでいた。 とはいえ、きちんとしたプレゼントも別にしっかり用意していた。それも、絶妙に心をくすぐるもの、以前から欲しいと思っていたものを、しっかり押さえて送ってくる。 また、侮辱は一切含んでいないので、その点では信頼していた。困った奴だが、だから嫌いではない。むしろ気に入っている。よくもまあ次から次へ、アイデアが出るものだと感心するくらいだ。 さて、受け取ったこの封筒から出てくるのは果たしてどちらだろうか。 「……これは」 中からは、二枚のチケットが出てきた。封筒にはそれだけだった。封筒に何も仕掛けがないのを今一度確認し、神取はじっくりとチケットに目を通した。 指揮者も楽団も、世界的に有名だ。 日付は、十二月十五日。 タイトルはクリスマスコンサート。 そのチケットが、二枚ある。 神取は目を上げた。 「二人で楽しんでおいで……なんて顔してんだ」 「いや……この後の仕掛けに備えてだ」 「今年はそれだけ。ビックリはなしです」 「……まさか」 「ほんと。今年は良い方だけです」 神取は一杯に目を見開いた。やや遅れて、ああ、やられたと理解する。この驚きこそが、今年の奴めのビックリなのだ。 「まったくお前は」 神取は軽く肩を叩いた。それから改めて、チケットの件を悪友に感謝する。 「これで、僚くんからお礼のキスが来たりして!」 大事なパートナーである桜井僚を借り、都合のよい妄想を繰り広げる悪友を半眼で睨み付け、神取は薄く笑った。 「うそ、嘘だって鷹久。わかってるだろ、いつものだって」 神取は何も言わず、軽く肩をそびやかした。感謝はしていると、チケットをはためかせる。 「ああ、仲良くやんな。楽しいのが一番だよ」 今一つ本心が図れない物言いだが、神取は笑って応えた。 |
いつもは金曜日に待ち合わせをしているが、その日は僚に用事があり、土曜日にずれ込んだ。 午前中、神取は車で迎えに行った。道中、いいものがあるよと、悪友からもらったチケットをほのめかす。 途端に僚は無邪気に目を煌めかせ、あれやこれやと予想を繰り広げた。 マンションの部屋に迎え入れ、彼の反応を予測しつつ神取はチケットを渡した。 小さなため息をもらしたあと、僚は無邪気な子供のように目をきらきらさせ、手にしたチケットを飽きもせず眺め続けた。 微動だにせず、ぽかんと小さく口を開けて突っ立ったままいる僚の様子を、ダイニングテーブルの向かいに座った神取は嬉しそうに見守っていた。 やがて十分満足がいったのか、僚は一度深く息を吐き出し、神取を見やった。 目を見合わせ、神取は頷きながら笑いかけた。悪友の毎年の悪戯が頭を過ぎる。自分と僚と、二重のびっくりを得て、さぞ満足している事だろう。 「すごい楽しみ。な!」 同意を求められ、神取は大きく頷いた。 まったく、こんなに楽しみなコンサートは久しぶりだ。 いや、僚と出かけるコンサートはどれも楽しみだが、このチケットは特別だ。 タイトルにクリスマスとある。 このチケットは特別だ。 甘えた仕草で抱きしめてくる恋人に腕を回し、神取は答えた。 「今日は、泊まっていくかね」 「うん、そのつもりでいろいろ持ってきた」 「いろいろとは?」 「……ちゃんと宿題も入ってる」 そういった方面は厳しく目を光らせている男にわざと唇を尖らせ、僚はちぇっと呟いた。 「よろしい」 尊大な物言いに、もう一度ちぇっともらし、ふふと笑う。 合わせて男も笑った。 「さて、ではチェロの練習といくかい」 「うん、今日は何でも弾けそうな気がする」 「それは頼もしい、では行こうか」 チェロのケースを背負って意気揚々と一階に下りた二人だが、一時間もせずまた戻る事となった。 神取は、先ほどかけたばかりの部屋の鍵を開け、後ろに立つ僚を中へと促した。 先刻とは打って変わり、すっかりしょげ返った顔の僚がそこにいた。肩は落ち、足取りも心許ない。 その様子に、神取は密かにため息をついた。 呆れた、あるいは腹が立ったからではない。 仕方がない、こんな日もあるという意味のため息だ。 音楽室まで、僚は軽やかにそれこそ跳ぶように向かったのだが、いざ練習を始めると、気もそぞろでまるで身が入らなかった。 気持ちは、いつも以上に張り切っているのだ。 しかし集中力に欠け、右手も左手もおざなりだった。 何でも弾けそうな気がするといった言葉に、嘘はないのだ。だが今日は、練習に向かない日だった。 何よりチェロを愛する僚の心をかき乱すもの。 チケットだ。あのチケットが、彼から集中力を奪ってしまったのだ。無理もない事だった。充分理解出来る。 そこで神取は、早々に切り上げる旨を口にした。 やる気だけは溢れんばかりにあった僚は、すぐさま謝罪し、続行を申し出た。 神取は首を振り、明日また来ようと終了を言い渡した。 それが、今、僚がしょぼくれている理由だった。 チェロのケースをいつもの場所にしまい、神取はリビングに戻った。 リビングのいつもの場所に、いつにも増して小さくなって座っている僚の姿があった。ただでさえほっそりとした身体が、今にも無くなってしまうのではないかと思えるほどだった。 本人に気付かれぬようそっと笑って、神取は向かいに座った。 やや置いて、僚の口から掠れ気味に謝罪の言葉が繰り出された。 また笑いそうになり、急いで飲み込む。 落ち着いたところで神取は口を開いた。 まず、こちらは怒っている訳ではない事を説明する。 「そう落ち込む必要はない。気持ちはよく分かるからね。私だって、この年になっても浮かれて気もそぞろになることが、しょっちゅうなんだ」 他の事に気を取られて、夢中になって、一番目を忘れ没頭してしまう。 「だから君を責める事はしないよ。誰にだってそんな日はある」 安心させる為、笑って肩を竦める。 「今日は思い切り浮かれて、明日、改めて練習しよう」 それでも僚の顔は晴れない。返事はするが、声はとことん落ち込んでいた。己を悔しがり、己に落胆していた。 なんて熱くて、騒がしくて、まっすぐなのだろう。 男はいくらか目を細めた。 彼のそういうところが好きなのだ。しようもなく惹かれる。そんな感動さえ覚える瞬間にふっと、黒が過ぎった。 神取は改めて、少年を見据えた。胸に渦巻く悔しさが、目をわずかに潤ませている。頬も強張り、食いしばった歯の強さに心が引き寄せられる。たまらなく。 嗚呼、そうか。 彼のしたい事…されたい事を嗅ぎ取り、神取はふっと頬を緩めた。 「僚」 呼びかけると、少々大げさに反応し僚は目を上げた。 跳ねる勢いでこちらを見る彼に笑いかけ、神取はゆっくり口を開いた。 「とはいえ君は少し、我慢が足りないようだ。お仕置きをしないといけないね」 支配者の声を聞き取り、僚は息を潜めた。収まりかけた涙が、またじわりと奥から溢れ出す。合わせて背筋がぞくりとざわめく。 「ごめん…なさい。ほんとうに、悪い事した……」 「まあ仕方がない。反省しているというなら――少し、訓練をしようか」 男の目が、いっそ残酷なほど輝く。 射抜かれて、息も出来ないほどの恍惚に僚は目を見開いた。少々の苦しさに喉を引き攣らせる。 やや間を置いて、ぎこちなく頷く。 神取は笑みに目を細めた。 |
分厚いカーテンで陽光を遮られた薄暗い室内に、僚のもらす小さな喘ぎがかすかに響く。 全裸で手枷と足枷を一つに繋がれ、身体を丸めた格好でベッドの上に置き去りにされてから…お仕置きが始まってから、半時間が経過していた。 腿と腹に挟まれた僚の性器は、その窮屈さにもこたえず勃起の状態を続けていた。 だが、手も足も、姿勢すらままならない僚にはどうする事も出来ず、ただ、強く弱くうねりをもって襲いくる射精欲に喘ぐしかなかった。 何もなければ、熱を鎮めるのはそれほど難しい事ではなかっただろう。 何もなければ。 そう、例えば今後孔に埋め込まれているアナルプラグがなければ。 お仕置きを始める前に、男が意地悪く熱を煽っていなければ。 熱が鎮まるのは、もっと早かったに違いない。 「んぅ……ん」 こくりと唾を飲み込み、僚はベッドの上で身じろいだ。無駄と知りつつ、両手に力を込めてみる。駄目なのはわかりきっている。ただ革が軋んだ音を立てるだけで外れるわけはないのだ。それでも、じっとしていられなかった。手足の枷で自分の肌を苛めながら、身動ぎ、悶える。 だが、そうやって身体をくねらせるほどに中のものを思い知る事になり、結果、ほんのわずかとはいえ収まりかけた熱をまた昂ぶらせてしまう。 痛いほどに勃起した自身が、一刻も早く解放してくれと訴えるのを、どうすることも出来ない。 「う……」 僚は呻き、目を閉じた。首を振り、半時間前に男が出て行った寝室の扉に、恨みがましい視線をぶつける。 あとどれだけ我慢すればいいのだろう。 祈りにも似た思いで扉を見つめる。 果たして祈りが通じたのか、直後扉が開き、男が姿を現した。 わずかに潤んだ瞳で、静かに近付いてくる男をじっと見つめる。 神取は一言も発せずベッドの傍まで歩み寄ると、ゆっくりとした動作で腰をおろした。手を伸ばし、優しく僚の髪を撫で微笑む。 無言のままの男に、僚もまた口を噤んでいた。眼差しだけで、訴える。 だが、何も言わず、口元に穏やかな笑みを浮かべたままじっと見つめられるのにやがて耐えられなくなり、僚は恥じ入るように目を逸らした。 それでもしばらくの間、神取は僚の髪を撫でていた。 出来るだけじっとしていようと努めたが、慈しむ男の手を無視する事は不可能だった。 触る場所が違う。 もっと、下の方を触ってほしい。 しゃくり上げるように喉を鳴らし、僚は身じろいだ。 それを待っていたのか、神取は髪を撫でていた手を離すと、肩から腰にかけて指を這わせた。 「ん…ふ……」 肌の上を走る淡い痺れに、僚は思わず吐息をもらした。 「静かに」 男は短くそれを制し、尚も指を滑らせた。 口を利いてはいけない。僚はぐっと息を詰めた。だが、身体は既に半ばまでのぼりつめているのだ。解放されるのを今か今かと待ち侘び、ようやく与えられた刺激に、声を殺せるはずがない。しかも、相手はこの男。他の誰に触られようと反応しないが、相手がこの男では、たとえどこであろうと、触れた部分が一番感じる場所になる。 なのに、感じない振りをしろという。我慢出来るわけがない。 それでも、僚は必死に応えようとした。 彼は今、支配者なのだ。 どんなに理不尽でも、無茶でも、従うまでだ。 そうやって与え合う快感は、なにものにもかえられない。 男の指が、脇腹や背骨の上を奔放にくすぐる。その度にもれそうになる声をぐっと飲み込み、吐息にすりかえる。 時折びくんと身体を弾ませ、それでも言い付けを守ろうと懸命になる僚を愛しそうに見つめながら、神取は徐々に指先を奥へとずらしていった。 ドロップ形をしたプラグの平たい底から、赤い紐が伸びている。 神取の指が、紐の先についたリングを摘み上げた。 ようやくこの状態から解放されるとほっとする僚に笑みを深め、神取は一瞬だけ紐を引いた。 「っ……!」 柔らかい内壁に包まれたプラグが、神取によってほんの一瞬蠢き、僚に強烈な刺激を与えた。喉の奥で呻く。声は、出なかった。不意をつかれ、逆に声が出せなかったのだ。 笑みを浮かべたまま、神取は何度も紐を引いた。 僚は全身を硬直させ、枷を繋ぐ金具を打ち鳴らしながら激しく首を振った。それでも、声は出さなかった。 だが、それまでより更に強く紐を引かれ、ついに引き抜かれようとされるプラグの緩やかな圧迫感に、とうとう声がこぼれる。 「…あっ……!」 小さな口をこじ開けられる刺激に、短い声を上げる。 神取は紐を離すと、手を振り上げ僚の尻を容赦なく打った。 「ひっ…!」 声を出した事に対する罰に、僚は喉の奥で鳴いた。 罰は、一度では終わらなかった。 僚は即座に謝ったが、男の手は十回叩き終わるまで止まらなかった。 乾いた音がする度、突き刺すような痛みが尻を襲う。僚はぐっと息を詰めて耐えた。 十を数え、ようやく男は手をおろした。 朱に染まり、わずかに熱を帯びた僚の尻に手のひらを這わせながら、静かに口を開く。 「声を出してはいけない」 息を引き攣らせながら、僚はこくりと頷いた。 「今日は、我慢する事を覚えよう。いいかい?」 痛みに滲んだ涙をごまかそうと、何度も目を瞬かせながら男を見上げる。 「何があっても、私の許しなく声を出してはいけない。もし声を出したら、今のようにお尻を十回叩く。わかったら、一度だけ頷いてごらん」 支配者の、不可能とも思える命令に僚は眉根を寄せた。 声を出してはいけない そんな事、この男の前で守りきれるはずがない。どんなにこらえても、声を出してしまう状況に追い込まれるだろう。 だが―― 「言う事を聞けないのなら、コンサートには連れて行かないよ」 コンサートに連れて行かない。 チケットを破り捨てる。 それを突き付けられては、頷くしかなかった。 小さく顎を引く。 男は満足げに頷き、窮屈な姿勢から僚を解放してやった。 しかし僚は、ようやく手足が自由になっても変わらずに背を丸めたままでいた。 本当は思い切り身体を伸ばしたかったが、そうする事で、長い事挟まれたままだったにも関わらず未だ硬いままの性器を、男に見咎められて、何か言われるのが怖くて、動けないでいた。 膝を抱えて丸くなっている姿は、散々叱られてしょげている子供のようだった。 神取は密かに笑みをもらすと、所在なげに肩を竦めベッドに座っている僚に手を伸ばし、指と目線だけで自分の傍に立つよう命じた。 僚は一瞬ためらったが、観念してベッドからおりた。 上を向いた性器が、動きに合わせてゆらゆらと揺れる。顔から火が出るほど恥ずかしかったが、努めて平静を装い、指示された場所に立つ。 視界の端に、じっと自分を見つめる男の顔があった。 それだけで、僚は瞬きさえも出来なくなってしまった。強い目付きで正面を見据え、次の指示を待つ。 沈黙が続いた。 突き刺すような静寂に、かすかな目眩さえ感じる。だというのに、熱は一向に引く気配がない。それどころか、更に勢いを増していく。 この、故意に作られた無言の圧迫を糧にして。 内股が引き攣るほど勃ち上がった熱が、僚を苦しめる。 不意に、視界の端で男が動いた。あっと思う間もなく、硬く張り詰めた性器を掴まれる。寸でのところで声を飲み込み、僚は喉の奥で呻いた。 男の手に僚のそれは喜びを表して震え、先端から先走りの雫をどくりと溢れさせた。 見なくても、自身の脈動でそれを感じ取った僚は、悲痛な眼差しで空を睨みきつく目を閉じた。 今度こそ、責められる。 憐れにも予感は的中した。 「本当に、いけない子だ」 言いながら神取は、ぷっくりと盛り上がった透明な雫を親指の腹で舐めるように撫で回した。 男の冷ややかな物言いに胸を痛める間もなく、下肢を襲う目も眩む刺激に、僚はぐっと息を詰めた。折れるほど奥歯を食いしばる。そうでもしないと、いつ声がもれてしまうかわからない。 いやいやと髪を振り乱し、声を堪えて拒む僚を無視して、神取は執拗に指を動かし続けた。きっぱりと拒絶出来ない相手を押さえ込むのは容易く、突っぱねる腕を振り払って身体を引き寄せると、彼の下肢に延ばした手を扱く動きに切り替える。 「っ――!」 ひゅうっと喉を鳴らし、僚は大きく仰け反った。もし、男の腕が支えていなかったら、そのまま膝から崩れていただろう。 ほとんど力の抜けた身体を自分にもたれさせ、神取は顎を掴み取った。同時に手の動きを止める。ほんの少し、僚の身体から力が抜ける。 弱々しく見上げてくる潤んだ瞳を、神取はまっすぐに絡み取った。 「とても感じやすい身体をしているのに、よく我慢出来たね」 いい子だ 耳に唇が触れるほど間近で優しく囁かれ、たまらずに僚は震えを放った。言葉を変えて淫乱と言われたのに、囁かれた言葉が純粋に嬉しくて、複雑な気持ちになる。 男の言葉はいつの時も、巧みに自分を操る。 自分はただ、翻弄されるばかりだ。 嗚呼、もっとあんたのものになりたい 僚は掴んでいた男の腕を一旦放すと、手の甲におずおずと触れた。鼻を啜り、俯く。 僚の触れた手をゆっくりと持ち上げ、そのまま神取は彼の頬に近付けた。 僚の目が、ぎこちなく上を向く。 目が合うと同時に、神取の手が僚の頬に当てられた。 ほんのりとあたたかい手のひらに、下腹の疼きが一気に強まる。僚はわずかに眉を寄せ、強い眼差しで男を見つめた。 表情でそうと感じ取った神取は、一瞬の微笑を僚に向け踵を返した。彼の熱に濡れた手をベッドサイドに置いたティッシュで拭い、クローゼットに歩み寄る。 中から四連の鎖がついた貞操帯を取り出すと、静かに扉を閉め振り返る。 手にしたものを見た途端目を逸らした僚に、神取は笑みを浮かべた。 「今日は、我慢する事を覚えよう」 頬を赤らめ、わななきながら僚は目を閉じた。 |