Dominance&Submission

足音

 

 

 

 

 

 丸いテーブルの上に所狭しと並んだいくつもの小さな雪だるまは、昼に向かいつつある陽光を受けて、じわじわと形を変えていっていた。二人の力作である、互いを模した大きな雪だるまも、太陽の力には勝てそうになかった。
 仕方ないと唇を結び窓からその様子を眺めていた桜井僚は、ある時ふっと唇をほどき、何かを思い付いた顔でテラスに出た。雪だるまの傍に立って腰を据えると、崩さないよう慎重に、並べていた雪だるまを押してくっつける。
 こうすれば、別々に溶ける事もない。一緒に混ざり合って一つになる。馬鹿らしい思い付きだが、上々だと、鼻を鳴らす。
 すぐに済むだろうと何も羽織らず外に出たので、雪を乗せた風が身に染みた。肩を竦め急いで室内に戻る。寒いと声を上げながら、男の姿を探す。

「早くおいで」

 キッチンの方から声がした。すぐさま顔を向け、足早に進む。昼食の後片付けは済んで、まだ何をするのかと目を凝らす。そうするまでもなく甘い匂いが鼻孔をかすめ、僚は即座に理解した。
 更に歩みを速め、男の横に並ぶ。
 思った通り、弱火にかけた片手鍋の中に牛乳とチョコレートが見えた。まだ火にかけたばかりのようで、白い牛乳の中に製菓用のチョコレートがぷかぷか浮かんでいる状態だった。

「今日は朝から、大張り切りだったからね」

 だから特製チョコラータカルダをご馳走しようと思って。神取鷹久はそう言って笑いかけた。
 ありがとうと僚は満面の笑みで返し、男に身体をくっつけた。肩に頭を預けるようにして寄りかかり、鍋の中でゆっくり温まってゆく牛乳を一緒に眺める。
 丁寧に、ゆっくりヘラでかき混ぜるにつれ、とろりとろりとチョコレートが溶けてゆく。その様を眺める僚の眼も、とろんと溶けがちだった。
 もたれかかってくる高い体温でそれとなく察した神取は、半分眠っているような僚の肩を抱き、もうすぐ出来るよと笑いかけた。

「飲んで温まったら、少し昼寝をするといい」
「うん。へいき」

 そう答える声も、今にも溶けそうであった。鍋の様子を見つめながら、神取は微笑んだ。ヘラを持ち替え、もたれてくる少年の頭を撫でる。笑うような息遣いの後に、美味そう、と愛くるしい声が聞こえてきた。

「もう完成だ」
「ありがと」

 神取は互いのカップに注ぎ、テーブルに向かった。僚は、肩から頭を離したくないようで、ちょこちょことした足取りでついてきた。神取も、落とさないよう気を付けて進む。
 テーブルにつき、二人は向かい合って特製ホットチョコを楽しんだ。
 舌がじんじんするほどの熱さも気にせず、僚はひと口またひと口と、男の愛情がたっぷり詰まった甘い飲み物を味わった。
 少し視線をずらすと、朝早くに自分が作ったたくさんの雪だるまが、そこかしこで真っ白に輝いていた。
 低い冬の日差しは窓から室内にたっぷり入り込み、床を白く光らせている。見ていると瞼がくっつきそうだと、僚は小さくため息をついた。カップを傾け、丁度よい甘さのホットチョコに頬を緩める。ため息に交えて美味しいともらす。
 向かいで同じようにカップを傾けていた神取は、幸せそうに微笑む僚に幸せを感じていた。
 名残惜しくも最後のひと口となり、僚は殊更味わって飲み込んだ。腹の中だけでなく、手足の先までぽかぽかと温かい。
 ごちそうさまとカップを置くと、男が声をかけてきた。
 なに、と僚は返した。

「寝室で、少し休んでおいで」
「うん……そうする」

 男の提案に頷き、立ち上がる。神取は二つのカップを手にキッチンへと向かった。
 洗い物を済ませて顔を上げた神取の目に、いつかのように毛布にくるまり陽だまりに寝転がる僚の姿が飛び込んだ。またかと、声もなく笑いをもらす。どうやったらあんなに綺麗に毛布をぐるぐると身体に巻き付けられるのだろうか、窮屈ではないのだろうか。見える寝顔はすっかりくつろいでいる。これが正しい寝方だと言わんばかりの堂々とした風情に、笑いが止まらない。
 神取は片手で顔を覆いひとしきり笑うと、僚の元に歩みを進めた。
 僚にしてみれば、少し窮屈なくらいが丁度よかった。ぴったり包まれた状態と、思った以上に心地良い日差しに、引っ張られるようにして眠りに落ちてゆく。ふと、足音が近付いてくるのがわかった。ばたばたとうるさい、だらしないものではない。微かに聞こえる男の足音。しっかり踏みしめているのが感じられて、大好きだ。
 そんな事を夢うつつに思っていると、顔の辺りでふわっと空気が揺れた。その後に頭を撫でられ、僚はにやにやと頬を緩めた。
 男の手も好きだ。足音も好きだし、手も好きだし、声も眼差しも、好きなところだらけだ。どこもかしこも優しくて気持ち良くて、どれが一番なんて決められないと、そんな事を考えながらうとうとしていて、ある時はっと僚は目を覚ました。
 たった今まで眩しいほどの陽だまりの中にいたはずが、カーテンを引いた薄明りの寝室にいた。
 いつベッドに寝かされたのだろう。
 反射的に時計を探す。最後に見た時はまだ一時にもなっておらず、ほんの五分十分目を閉じていただけのつもりが、三時をとっくに過ぎていた。
 たった今男にベッドに運ばれ頭を撫でられたばかりだと思ったが、どうやら夢で好きな部分を好きなように反芻していただけだったようだ。
 僚は慌てて起き上がった。眠気はすっかり吹き飛んでいた。それもこれも、こうしてベッドで静かに寝かせてくれた男のお陰だ。急いで飛び出し、出来るだけ綺麗にシーツや毛布を整える。それから男の姿を探す。
 書斎を覗くと、端末に向かっている男の姿があった。
 開け放たれた戸口から覗き込むのと、男が顔を上げるのと、ほぼ同時であった。
 寝室から、少し急ぎ足で近付いてくる微かな足音を聞き取り、神取は待ち構えていたのだ。慌てた様子がよくわかる、つま先立ちの小刻みな歩は中々可愛らしいもので、おかしさが込み上げる。

「よく眠れたようだね」
 顔や目付きでわかるのだろう、微笑む男に僚はむにゃむにゃと口を動かした。
「……一人のんきに寝ちゃってごめん」
「いや、こちらもね、片付けたい仕事が少々あって、どうしようかと思っていたのだよ。こう言っては何だが、丁度よかった。今の時間で、上手く片付いた」
「そっか」

 それならいいのだがと、僚は苦笑いを浮かべた。

「ああ、充分いいさ。君の寝顔を楽しめて、仕事は片付いて、最高だよ」

 気分は上々だと笑顔の男につられ、僚も小さく笑った。

「それでもまだ気になるなら、罰として、そうだな……ぐっすり眠れた分頭も冴えた事だろうから、今日のチェロはいつも以上の音を聞かせてもらおうかな」

 無理にとは言わないがと続けられ、負けん気をくすぐられた僚は、絶対いい音を聞かせてみせると約束した。
 デスクを挟んで、強い顔を見せる僚に神取はにやりと口端を持ち上げた。頑固な一面を持つ彼は、約束を決して違えない。今から楽しみだと心が弾む。
 その為の腹ごしらえとして、少々早いが買い物に行こうかと神取は提案した。

「仕事は、大丈夫か?」

 邪魔をしてはいないかと心配そうな顔付きの僚に笑って頷き、立ち上がる。回り込んで肩を抱き、出かけようと促す。

 

 

 

 ミスはあった。しかし演奏を中断させずに繋げる事が出来た。冷や汗が滲んだが、そこから崩れていく事はなく、その後は安定して音を紡ぎ無事演奏を終えられた。
 自分でも中々の出来だと、集中で高揚していた気分を鎮めながら僚は思った。ひと息つき、男に顔を向ける。
 目尻を拭う仕草にぎょっとなる。

「ああ、すまない。本当に良い音だった」

 鼻を啜る男を、僚は信じられない顔付きで見つめた。ありがとうと言うにはあまりに図々しいが、だからといって何と言ってよいやらわからず、複雑な顔になる。多少聞ける音にはなったが、そんな風に誰かの感動を呼ぶ演奏でないのは、自分自身よくわかっている。
 僚はもごもごと言い淀んだ。
 そんな事はないと、神取は首を振った。

「私は、君の一番初めを知っているからね。だから余計に、感じ入ってしまったのだよ」

 そう言って、とても嬉しそうに無邪気に笑う男に、僚は頬を緩めた。思い返せば確かにそうだ、始めの最初はそりゃあひどいものだった。自分でも覚えている。
「約束をきちんと果たしたね。やっぱり君はすごい」
 随分と大げさな誉め言葉にむず痒そうにしながら、満更でもないと僚は笑った。嬉しそうにしていると男を見ていると、自分まで嬉しくなる。そして少し泣きたくなり、慌てて瞬きで追い払う。自分がここまで来る事が出来たのは、ひとえに男のお陰だ。男が丁寧に導いてくれるからこそ、何の心配もなく好きなチェロに没頭出来た。ここまで来る事が出来た。
 すごいのは、男の方だ。
 毎度欠かさないチェロの手入れを丁寧にこなし、五階に戻って反省会を始める。
 すっかり書き込みで埋まった五線譜を一つずつたどり、心行くまで言葉を交わして、僚は今日の練習を終えた。まだほんのり温かいコーヒーを啜り、茶菓子を齧ってひと息つく。そこでふと顔を上げると、男と目が合った。
 瞬きを三度ほどして、僚は微笑んだ。
 瞬きの度に切り替わってゆく表情が、神取の目を釘付けにする。
 静まり返った部屋の中、二人はしばし目を見合わせた。

 

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