Dominance&Submission

次も一緒に

 

 

 

 

 

 スケッチブックを前に、桜井僚は奮闘していた。隣で三十秒をカウントする男の声に焦りつつ、大急ぎで食べかけのチョコレートの絵を描き上げる。
 銀紙をむき、豪快にひと口齧った板チョコの絵が完成すると、僚は色鉛筆をぴしりとテーブルに置いた。残りの秒数にはまだ余裕があった。男に目配せしながらスケッチブックを譲り、カウントダウンを始める。
 自分の前に差し出されたスケッチブックを前に神取鷹久はしばし考え込み、それから素早く色鉛筆を手に取った。
 二人が楽しんでいるのは、絵を描いて繋げてゆくしりとりだった。
 海の見える芝生の庭で、豪華な特製サンドイッチにかぶりつき、デザートを楽しみ、庭を散策しておやつを食べ、ゆったりとピクニックを楽しんでいる中で、男がある提案をした。

 しりとりをしないか。

 そう言いながらスケッチブックと色鉛筆を取り出され、僚は面食らった。一瞬遅れて、男のやりたいしりとりを理解する。奇遇にも、つい先日クラスの面々と大笑いしたばかりだ。
 自習の時間というのがいささか問題ではあったが、非常に盛り上がった。プリントの裏に描かれた犬か猿か豚か…どれにも見えるしどれとも言い難いヘンテコな絵を、しりとりやろうのひと言で差し出されたのが始まりだ。一瞬戸惑ったが、にこにこと無邪気な笑顔で期待されると断りがたく、プリントも終わっている事もあって乗った。いつもの面々も加わり、絵はどんどん繋がっていった。時間制限の中描くので、焦りからみな思ったように描けず、仕上がったイラストもどきを前に笑い合うあの空気はとても楽しいものだった。
 それをやろうと、男は誘ってきた。僚は張り切って受けた。
 しりとりの通常のルールである『ん』がついても負けではない。たとえば『ミカン』ときたら、『かん』で始まる何かを描けばいい。『キリン』ならば『りん』から始まる何かを描く。交替で繋げて描いてゆき、十個で一旦終わり。
 きちんと最後まで繋がっているか確認、本人はそのつもりで描いても、相手に伝わらない場合もある。最後にお互い答えを言って、ちゃんと繋がっているか確認し、もし間違っていたら罰ゲーム。
 罰ゲームの内容は、小路を行った先のバス通りの角に、自動販売機がある。そこでいつもの缶コーヒーを二本買ってくる事。
 承諾し、しりとりを始めた。
 今のところ順調であると、男が描くよく熟れたトマトを見ながら僚はにやりと笑った。三十秒を数えながら、次に描くものを頭に思い浮かべる。
 トウモロコシを描き、ショートケーキに繋がったところで、改めて見てみると、自分がスタートさせたリンゴからずっと食べ物ばかりだ、と僚はおかしくなった。

「なんか俺たち、すごい食いしん坊だな」

 黙っていられず、思わず口にする。
 スポンジの間に挟まれた赤い苺を塗りながら、神取もそういえばそうだなと笑った。

「最後まで、これでいけるかな」

 描き上げ、神取は口端を緩めた。
 渡されたスケッチブックを前に、僚は小さく唸った。少し捻りたくなったのだが、思い浮かんだものは非常にうろ覚えであった。くちばしが細くすらりと長いのは間違いないのだが、果たして胴体はどうだったであろうか。着々と減ってゆく三十秒に焦り、フルーツのキウイにくちばしをくっつけ、二本の足を生やした。目を描けばよりそれらしくなるだろうと、上の方に点をつける。
 面白そうに眺めていた神取は、次の自分の番で終わりになる締めくくりに、一匹の魚を描いた。ぽかっと口を開けた、少々間抜けな顔の魚を見て、僚は『イワシ』を連想した。しかしそれにしては、背びれも尻尾も、自分の記憶するイワシと異なるように思えた。何よりイワシのようにほっそりしていない。
 何度も頭をひねりながら三十秒数えきる。数秒残して、神取は色鉛筆を置いた。
 こうしてしりとりは終了した。
 最後の魚の絵を凝視する僚を宥め、神取はひとまず始めから辿ってみようと一つ目の絵を指した。

「これはわかるだろ」

 僚は自信たっぷりに言った。スタートは『しりとり』の『り』から始まるもの、つまり『リンゴ』だ。
 神取は大きく頷いた。赤くて丸くてへたに葉っぱに…一つ目、それも果物という事で色塗りも張り切ったようで、よく熟れた艶やかなリンゴの絵はかぶりつきたくなるほど見事な出来だった。さすが、果物が大の好物というだけの事はある。
「鷹久のもわかった」笑いながら、二つめの絵を指差す「ちょっとびっくりしたけど」
 まさかゴーヤを描くとは思ってもいなかったのだ。表面がでこぼこした、緑色の物体が描き上がるにつれ、妙に笑いが込み上げた。これまで、男の文字は何度も目にしてきたが、絵を描く場面は初めてで、意外にも特徴を捉えた線に不思議な高揚感を味わった。

「それを言うなら、次に焼き芋を描いた君も中々だよ」

 丁度よく焼けたサツマイモを半分に割り、もくもくと湯気を立ち昇らせている三つ目を、神取は面白そうに指差した。

「大きい方、鷹久のな」
「それは嬉しいな」

 微妙に大小があり、大きい方を譲ると言う僚に目を細める。

「でさ、桃って続けられたらどうしようって描き終わる頃思って、鷹久が丸描き始めた時はああやっぱりって思ったんだけど……」
 その後は笑ってしまって続けられないと、僚は腹を抱えた。
「そうか、桃があったな」

 言われて気付いたと、神取は笑いながら眉間にしわを寄せた。しかしあの瞬間は何故かこれが思い浮かんだのだ。

「まさか、焼けて膨れた餅になるなんて思ってもなかった」

 丸い金網に乗せられ炙られる丸い餅に、僚は大きく肩を揺すった。涙まで出てきたと、目尻を擦る。

「中々だろう」
「いやもう、最高」

 何度も頷いて絶賛する僚の肩を抱き寄せ、神取も笑った。
 それからチョコレートに繋がり、トマトからトウモロコシへ、ショートケーキへ。
 そして件のキウイ。

「君のキウイもよかったよ」
「ほんとに?」

 鳥のキウイに見えてほっとしたと、僚は笑顔を向けた。しかし、実際の形はこんなに果実のキウイままではないはずで、そこがちょっと心残りだと続ける。

「前に一回、調べたのにな」

 果実のキウイは鳥のキーウィに似ている事からきている、更にはキーウィについても大まかに図鑑を当たったのだが、すっかり薄れてしまっていた。次はしっかり頭に叩き込もうと僚は頭に留めた。

「君の描く顔が可愛いよ、好きだな」

 神取はじっくりと眺めた。今回はほんの黒い点一つだが、きっとこれがわずかでもずれたら、全く違った印象になる。滲み出る人柄が感じ取れるようで、僚の描く絵は好きだった。

「鷹久のこの魚の顔も、結構ひょうきんで可愛い」

 僚は、最後の絵を指差した。ぽかっと開いた口から、今にもおかしな話が飛び出てきそうなのだ。海の中で目にした面白い出来事を、のんびりした口調で話して聞かせてくれそうな、人のよさそうな顔をした魚。

「それで、これは……イワシ?」
「これは、イシモチという魚だ」

 あまりなじみがないと、僚はわずかに目を細めた。男が説明を始める。シログチとも呼ばれる魚で、釣り上げた時に浮袋でグーグーと鳴く事があり、まるで愚痴を零しているように聞こえる事からそう呼ばれるようになったそうだ。
 なるほど、と僚は一旦は納得した。
 だが。

「うーん、えー……これ、あり?」
「だめそうだね。では、罰ゲームとして買ってくるよ」

 神取は手早く色鉛筆やスケッチブックを片付け、椅子から立ち上がった。
 ほぼ同時に僚も腰を上げた。

「待って待って、一緒に行くよ。一人で留守番つまんないよ」

 せっかく二人で遊びにきているのに、一人残されるのは御免だ。一秒だって離れていたくない。そんな時間の使い方はしたくないと、僚は隣に立った。

「では一緒に行こうか」
「うむ」

 肩を抱く男に応え、僚はしっかりと腕を腰に回した。
 どちらからともなく顔を見合わせ、くすくすと笑う。
 二人で『罰ゲーム』に挑み、お喋りを交わしながら散歩を楽しむ。
 別邸に戻り、僚は庭の散策を始めた。まだまだ完成には遠く、手入れも充分行き届いていないと男は言ったが、広い芝生の庭に絶妙に配された花壇はどこも花盛りで、つい数日前植えたばかりで隙間だらけとか、雑草がはびこっているといった部分はまるで見られなかった。どの植物もしっかりそこに根付き、良い環境だとのびのび茂っているのが見て取れた。
 明るい色のエキナセアが揺れる花壇をしばし眺め、僚は振り返った。
 男が花瓶に選んだのはこの花だと、一人そっと笑う。そこここに切った跡が見えたのだ。一つ見つけると他も探したくなり、僚はより目を凝らして花壇を行き来した。
 神取はガーデンテーブルに腰かけ、ちびりちびりと缶コーヒーを傾けた。芝生の庭と、海と、花壇で戯れる僚をひとまとめに眺め、楽しむ。
 この庭に彼が立っている事に、あらためて感激する。
 ひと通り探し当て満足した僚は、小走りに男の元に戻った。

「楽しめたかい」
「うん、日当たりが良いから、どこも元気に咲いてるね」
「君に言われると、格別だな」

 苦労した甲斐があったと、神取は続けた。興味が湧き、僚はどのようにこの庭を整えていったのかを訪ねた。
 二人はしばしお喋りに熱中した。
 ひと息ついたところで、僚は缶コーヒーを傾けた。隣では男が、同じように缶コーヒー片手に、こちらが選んだおやつをじっくり味わっている。
 見るからににこにこと、という訳ではないが、リラックスした様子や、ゆっくり噛みしめる様から、心から楽しんでいるのが見て取れて、僚はむず痒いような気持ちに見舞われた。男が無性に可愛く思えてならなかった。
 あんまり美味そうに食べるので、自分も食べたくなった。この場面をコマーシャルに使ったら、売り上げ倍増…なんて他愛ない想像を頭に巡らす。
 海を眺めながらおやつに手を伸ばした。一緒に缶コーヒーを味わうと中々の美味で、良い組み合わせだと嬉しい驚きがあった。なるほど、だから男もあの顔になると一人納得する。
 もうひと口齧り、男に笑いかける。男も笑い返し、目を見合わせたままチョコレート菓子をひと口に頬張った。
 僚はそれを挑戦と受け取り、強い目で男を見据え同じように頬張ってみせた。
 それから、互いのおかしな顔に同時に笑い出す。
 こうして楽しく時は過ぎていった。

 

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