Dominance&Submission

二人の夜

 

 

 

 

 

 デザートをゆっくりひと口ずつ味わいながら、やっぱり事前に曲をプレゼントしておいてよかったと、桜井僚は改めて思った。
 もしもこの後だったら、緊張のあまり胸が張り裂けそうになって頭がパンクしていただろう。せっかくの料理も味がわからないままただ無理やり飲み込むだけになり、楽しむどころじゃなかった。男とこうして何の気兼ねなくお喋りして、食べて飲んで、目と舌と全身で満喫して過ごすなんて出来なかっただろう。
 今になってじわじわと嬉しさが込み上げてきた。同時に、直前まで脂汗にまみれていた緊張感も湧き起こり、大きな失敗もなくこなせた喜びとひやひやとを交互に噛みしめる。
 今日まで不安と楽観とを行ったり来たりしていた。これだけやったのだから、駄目でも頑張りをわかってくれるはず、駄目じゃ駄目なんだ、少しでも良くしなければ。どうして出来ないんだ。結局自分は何もかも中途半端なんだ。
 思うように動かない手に打ちのめされ落ち込んで、半ば諦めてもいた。けれど今日まで積み重ねてきたものを握りしめ、男の前に立った。
 欠けのない完璧なものを渡すのは無理だったが、やればどうにかなるのだと、自分に少し自信がついた。
 気持ちの変化は表情にも影響を与え、向かいに座る男の目を引いた。
 晴れ晴れとした顔でデザートを頬張る僚に、神取鷹久はささやかに口端を緩めた。彼が何に喜び和んでいるのか、容易に想像がついた。
 彼の背中を眺めながら受け取ったプレゼントは、魂まで震わす情熱と必死さに満ちていた。肩をがっしり掴まれ、力強く揺さぶられたようだった
 高校に入ってからはほとんどピアノに触れていない、それ以前も単に弾けるというレベルでしかなかったという彼の腕前は、確かに、それなりのものだった。
 チェロの練習を始めて間もなく聞かせてもらったもので、本人も自分がいかにひどいかを自覚しているので、ピアノに悪いからもう弾かない、などと言っていた。チェロに集中したいからというのも理由の一つだった。
 そんな彼が、よく短期間であそこまで仕上げたものだと感心も相まって、胸が熱くなった。
 思い出すと、聞き終えた瞬間のように眦が濡れそうになる。
 弾き終えた後、恥ずかしがって感想を拒んだ姿も、中々可愛らしかった。
 あんなに素晴らしいものをくれる彼が、愛しくてたまらない。
 だが今日はこれで終わりではないのだ。元々計画していた、贈り物の交換が待っている。あんなに良いものを貰った上、まだ喜びが待っているのだ。嗚呼リボンを解く瞬間が待ち遠しい。
 お互い用意した品は、マンションのリビングに置いてある。戻ったらお互い同時に開封する予定だ。
 包みの下には、一体何が詰まっているのだろう。
 男がわくわくするように、僚もまた期待からそわそわと落ち着きをなくしていた。
 ほどなくして、どちらからともなくそわそわと席を立ち、お互いの顔に書いてある事を読み取って、笑い合った。

 

 

 

 まっすぐ突進して、雰囲気も何も気にせずばりばり紙を破り確かめたい気持ちをどうにかこらえ、二人はソファーに座ると、いささか緊張した面持ちでお互いのプレゼントを交換した。
 どちらも今すぐ確かめたい気持ちをどうにか抑え、目配せし合った。

「鷹久まず開けて」
「いや、君から」
「いいから、鷹久先に開けて」

 どちらも、自分の手にした箱にどんな贈り物が収まっているか、早く知りたくてたまらなかった。そしてそれと同じくらい、相手に喜んでもらえるかどうか、心配していた。
 一拍置いて、神取はリボンに手をかけた。
 僚はそれを、固唾を飲んで見守る。
 贈り物の内容は、相手が挙げたいくつかの候補の中から一つを選ぶという方法を取った。男が口にしたのは、手帳、ネクタイ、ライターのいずれかであった。
 僚が希望したのは、筆記用具、ヘッドホン、斜め掛けバッグの三点だった。
 相手がどれを選んでくれたかは当日のお楽しみ。
 そしてとうとうその瞬間がやってきた。
 箱にブランドのロゴが記されている為、包みを開いた時点で中身は想像がついた。しかし、どんなデザインの物を選んだかは開けてみるまでわからない。
 ついに男が箱の蓋を開ける。僚は祈るような面持ちで見つめていた。絶対、気に入ってもらえる自信があった。ほんのつい今しがたまで。直前になって、急激に不安が膨らんだ。
 中に納まっているジッポライターを目にして、神取は小さくほうと声をもらした。何の装飾も施されていない、艶消しの渋い銀色のライターが、黒い台座に収まり、鈍い光を放っていた。
 神取は早速手に取り、独特のずっしりとした重さと、ひんやりとした手触りを愉しんだ。嗚呼まずい、顔がどんどん緩んでいくのがわかる。どうにか引き締めようとするが、かえって目の奥に涙を誘う結果になった。

「最初は」

 しばらく石のように押し黙っていた僚だが、とうとう我慢出来なくなったとばかりに口を開き、次々言葉を紡いだ。
 最初は、あまりの種類の多さに圧倒された。端から一つずつ見ていったが、しまいに目がくらくらして訳がわからなくなった。装飾がごてごてとくっついたもの、全面に模様が刻まれたもの、革や布地が巻かれているもの、ありとあらゆるデザインがあり、ケースの前で途方に暮れた。
 何度も何度も端から端まで行きつ戻りつしている内に、ついに目を引く一つを見つけた。
 それが、男が手にしているものだった。
 鏡面加工しているわけじゃない、むしろ艶を抑えているのに、光り輝いて見えた。

「それが、鷹久のイメージって感じがしたんだ」

 なるほどと、神取は手の中に目を落とした。さて、自分はこんなに深みのある良い色を放っているだろうか。そうやって見てくれる僚に感謝して、気持ちを伝える。

「本当にありがとう。さっそく明日から使おう」

 僚はほっと肩の力を抜き、自分の方の贈り物を膝に乗せた。

「開けてもいい?」
「ああ、どうぞ」

 がさがさと包装紙をめくる僚の手が、あとわずかのところで一旦止まった。あ、の口で小さく開き、目を一杯に見開いて喜ぶ様に、神取は満足げに頬を緩めた。
 僚が貰ったのは高性能のヘッドホンだった。
 神取がこれを選んだのは、彼の部屋にゲーム機を見つけたからだ。ああいうものは音量も大事で、近隣に遠慮して音を絞っては気分が出ない。これがあれば、誰に気兼ねすることなくゲームの世界に没頭出来る。
 もちろん、好きなクラシックを聴くにももってこいだ。
 僚はようやく動きを再開すると、一気に包みを取り去り、実物に触れた。驚きと喜びが入り混じった顔で、本当に貰っていいのかと目で語ってきた。目が、男と膝の上のヘッドホンとを忙しなく行き来する。
 もちろんだと神取は頷いた。全身で喜んでいる様がおかしくて、笑いが止まらない。
 そんなに笑うなと怒る僚の顔も、満面の笑みに彩られていた。

「ありがと……大事にする」

 ああ、と深いため息をつき、僚は胸に抱き寄せた。少し前から、欲しいな、買おうかと迷っていたのだ。電気店へ行き、どんなものがあるのか調べもした。しかしあと一歩踏み込めず、先延ばしにしてきた。だから、男がこれを選んでくれたのは、本当に嬉しかった。

「きちんと聞こえるかどうか、一度確かめてみよう」

 そう言って神取はテレビのリモコンに手を伸ばした。指が今まさに電源ボタンに触れる寸前、僚は慌てて引き止めた。
 せっかくの贈り物の一回目が、適当なテレビ番組では嫌だ、どうせならいい音を聞きたいと希望する。

「承知しました。ただいまお持ちいたします」

 神取はふと笑うと、即席の執事になって立ち上がった。すぐに僚も立って隣に並び、一緒に棚から探す。短く明るめの曲を選び、まず初めに僚が確かめて、次に男に渡してと交互に楽しんだ。
 聞き終えると、僚は元のようにコードをまとめ丁寧にパッケージにしまった。
 その間に神取も、貰ったライターを書斎のデスクに置きにゆき、戻って隣に腰かけると、肩を抱き寄せ頬に口付けた。

 

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