Dominance&Submission
一緒に出かけよう
すっかり肩を落とし切り、やや俯き加減で立ち尽くす桜井僚を見やり、神取鷹久はどうしたものかと思案した。 「ソファーにどうぞ。今、温かいものを用意するよ」 言い渡してキッチンに向かう。途中さりげなく肩越しに振り返ると、彼は同じ姿勢で突っ立っていた。 昨夜遅くから降り続く雨のせいか今朝もどことなく肌寒いので、少し甘めのミルクティーを作りリビングに戻る。 やはり彼は、微動だにせず立ったままでいた。つい笑いが込み上げるが、本人の心情を思うと一方でずきりと心が痛くなった。 今日は予定では、少し遠出をして郊外を散策するはずであった。先週、そういう計画を立てた。どういうルートをたどって、昼はどの辺りで休憩して、何時ごろ帰宅するか。大まかではあるが、ある程度組み立てた。 しかし週の半ば頃に判明した週末つまり今日の天気…御覧の通りの土砂降りの雨で、遠出は次の週末へと延期になった。 僚が落ち込んでいるのはこの雨のせいもあるが、マンションに来るまでの車中での会話にこそ、原因があった 今朝、約束の一時間ほど前に男は連絡を入れ、とりあえず迎えに行く旨を伝えた。彼もそれを希望した。 今日はそっちで過ごしてもいいかと聞かれ、もちろんだと男は喜んで招いた。そして車中、代わりにどこかへ出かけないかと持ち掛けた。 夏物の服を見に行こうか。大きな書店をそぞろ歩きするのもいい。遠くのスーパーへ行って、珍しい食料品を買い込み、今夜はちょっと豪華なディナーを作ろうか。 しかしどれも彼の心には響かなかったようで、少々強めに否定された。 いささかお喋りが過ぎたかと男は反省するが、僚もまた、思いがけずきつい物言いになってしまった事を悔いていた。 マンションに着けば機嫌も元に戻るだろうと男は思ったが、僚の落ち込みは予想以上に激しかった。 顔にはっきりと表れていた。 普段とあまり変わらぬおとなしい表情だが、よく見ればわかる。まるで違う。美しく整った横顔はかなり強張って、口元や目付きに後悔が浮かんでいた。 何も言わないが、全身で詫びているのが感じ取れた。 もうじき、謝罪の言葉が出てくる事だろう。 男は、言わなければいつまでも立ったままでいるに違いない僚をやや強引にソファーに座らせ、隣に腰かけると、ミルクティーを手渡した。 戸惑い気味に口をつけるのを見届け、一口すする。 彼の態度は確かに良くなかったが、雨のせいで予定が崩れ落胆した…つまりそれだけ楽しみにしていた表れで、行き場のないもやもやした気持ちがつい弾けてしまったと思えば、無理もないと飲み込む事が出来た。気持ちはわかる。わかりすぎるほどで、甘えからつい当たってしまったのだと十分理解出来た。 甘えられるのは、意外と気持ち良かった。 我儘を言ってもらえる相手に選ばれたのだと思うと、どこか嬉しくもあった。感情をぶつけられて参ったと思う一方、気分は良かった。 彼はいつも、しっかり自分を制している。でなければとても自分で自分の面倒を見る事は出来ない。 普段の彼は、よくやっている。だから時にはこうして、感情をむき出しにしていい。 いつも厳しく抑え込んでいたのでは疲れてしまうではないか。 彼のものならば、自分はいくらでも受け止めてみせる。 少々大げさな決意を密かに灯して、男はそっと僚の様子を見守った。 彼は少しずつカップを傾け味わっていた。好みにあったのか、幾分表情が和らいでいた。カップの中に時々ほっとため息を零す仕草が、小憎らしくも愛くるしかった。 「……ごめん」 唐突に言葉がもれた。 男はそっと首を傾けた。 僚はテーブルにカップを置き、囁くような声で言った。 「また……甘えた」 ごめんなさい。 ぎゅっと唇を結ぶ。 男は微笑みかけ、傍の頬に手を差し伸べた。触れた肌は雨のせいだろう、意外と冷たかった。哀れに思い静かにさすってやる。 僚はちらりと目をやった。 「ありがと……ごめん」 「気にしなくていい」 軽く肩を上下させる。こんな日もあるものだ。 僚は目を落とし、焦れたように呟いた。恥ずかしい。恐る恐る手を持ち上げ、頬を撫でる男の手に重ねる。 男は小さく首を振った。と、僚の手に力がこもる。 しっかりと握りしめる手に、思わず胸が高鳴る。 僚はそのまま、二度ほど喘いだ後、ごく、ごく小さな声で喉を震わせた。 「お仕置き……してください」 熱く潤んだ瞳を向けられ、男はわずかに目を細めた。微かな息苦しさに見舞われる。 自分が教えた言葉の一つ。 彼には思いがけず素質があり、それを知るきっかけとなった言葉。一気に込み上げた記憶に息が上がる。胸が昂る。 「……鷹久」 無言のままでいる男に不安になり、僚はぎこちなく呼びかけた。強張って震える手をゆっくりおろす。 男はもう数回撫でると、やや強めにしかし決して乱暴にはせず頬を掴んだ。 「どんなお仕置きを受けたい?」 男の大きな手に捕らわれ、僚は喉を引き攣らせた。耳に滑り込んだ低音が背筋をくすぐり、まだ何もされていない…それどころか竦み上がる状況だというのに、たまらないほどの疼きが全身に広がっていった。 あちこち忙しなく見まわし、やがて口を開く。 「浣腸……して、ください」 向かってくる眼差しには、ありありと恐怖が浮かんでいた。すっかり怯えきり、哀れを誘う。 「君の、一番嫌いなものだろう」 僚は打ちひしがれた顔で頷いた。 男はわずかに眼を眇めた。 されたくない行為として彼が挙げたのもこれだった。それでも何度か、彼は受け入れた。無理やりにではない。合意の上でだ。恐怖の対象でしかない行為を克服し、違う記憶で塗り替える為だ。 男は出来る限り協力した。 どの時も僚は怯えながらも好ましい反応を示し、少しばかりではあるが楽しんでもいた。 しかしやはり、根付いた恐怖は中々拭えない。 だからこそだ。 自分の一番嫌うもので罰してもらう事で、彼なりの、こういった関係での、心からの反省を示したいのだ。 どれだけ悔いているかを訴える為に、一番恐れるものを選んだのだ。 男は意思を汲み取り、了承した。 「では、寝室へ行きなさい」 支配者の貌に浮かんだ微笑に、僚はしばし見惚れた。気付けば眦に涙が滲んでいた。 |
静まり返った寝室に、忙しない息遣いが響く。時折苦し気な呻き声が混じり、正面で様子を伺う男を愉しませた。 少量の薬液を注入され、アヌス栓で塞がれ五分を言い渡された僚は、男の指示に従い全裸でベッドに四つん這いになって、時間が経つのを待っていた。 男は、向かい合う形で椅子に腰かけ、這いつくばって耐える姿をじっくりと眺めていた。 きつく寄った眉根、浅い呼吸。 苦しげな様子で腹を捩らせる姿。 時折猛烈に襲う痛みを逃す為の、短い呻き声。 どれもこれも心をざわめかせた。 服を全て脱がせ、手足に枷を、首にはいつもの赤い首輪を巻いた。手枷は前で金具を繋ぎ合わせてある。いささか不自由な格好は、今の彼によく似合った。完璧なほど、お仕置きをされている子だ。 じっくりと眺めまわす。 視線に耐え切れず、僚は深く俯いた。 すぐさま男は両手を伸べ、顔を上げさせる。平常であっても、ややつらい体勢だ。 悲しげな声をもらし、しかし僚は健気に応えた。今は反省の時間なのだ。自分がどれだけいけない事をしたか、どれだけ悔いているか、見てもらいたい。 見てもらいたい。 男に、全部。 腹の中で苦痛が渦巻き、一秒もじっとしていられない。声が抑えられない。出来るならのたうち回ってみっともなく喚いて、泣いてしまいたい。それらをぐっと飲み込み、僚は耐え続けた。 自分がどれだけ男を想っているか、知ってもらいたい。こういった関係だからこその形を見せたい。 その一心で、僚は男を見続けた。 見つめる先には、うっすらと笑みを浮かべる愛しい人の顔があった。 これほど無様な姿を晒しても決して蔑まず、いつの時も見誤る事無く触れてくれる支配者に、いっとき苦痛を忘れる。 僚は唇を震わせた。 「……変態」 気付けばそうもらしていた。 どこか拗ねたような、甘えた響きを聞き取り、男はそっと応えた。 「そうだね、でも、違うよ」 知ってる…はあはあと苦しい息の下から答える。 男は一層笑みを深め、屈み込んで口付けた。 寸前、僚の口からごめんなさいと謝罪が零れる。 もろとも飲み込み、深く重ねる。男は何度も唇を舐めた。応えようとする僚だが、呼吸も満足に出来ない状態では難しく、されるがままになるしかなかった。それでも必死に顔を寄せる彼にますます興奮が募る。 目の端で時間を確認しながら、一杯まで味わう。 離れがたい気持ちを抑えて、男は五分経った事を告げた。 「っ……」 僚は、唇から離れてしまった男の熱を名残惜しく見送り、頷いた。はずみで涙が滲んだ。それが、苦しさのせいなのか、それとももっと触れていたかった寂しさからくるものか、判別はつかなかった。 腹の中で暴れるものに響かぬようそろそろとベッドからおりる。それだけでひと苦労だった。ようやくの事両足で立つ。 「よく我慢したね。もう少しだよ」 補助に差し出された男の手に掴まり、僚は苦しい息の下から笑みを浮かべた。声を耳にした途端、堪えていた涙が一粒零れた。 冷ややかな笑みを返す男に腹の底がぞくりと疼いた。 男の指が、涙を拭う。 僚は大人しく身を任せた。 「苦しい?」 小さく頷く。早く解放したい。この痛みから逃れたい。反省するから。二度としないように気を付けるから。 男は、涙の乗った指先をひと舐めした。 たったそれだけの仕草だが、妖しさに震えが走った。 目が離せないでいると、男の視線がどこか下方へと向かった。 男の見ているものを察し、僚はぎくりと強張った。確認するまでもなかった。 「苦しいのに、感じているのかい?」 楽しげな声に頬を引き攣らせ、僚は違うと首を振った。新たな涙が滲む。 神取はただ笑って見つめ、何も言わなかった。 トイレまで、長い時間をかけて歩く。 「……たかひさ」 「プラグを抜くよ」 「うん……」 垂れ下がるリングに指がかかり、ゆっくり引き抜かれる。入れる時とはまた違った圧迫感にぐっと息を詰め、僚は何度も瞬いた。 「あぁっ……」 せき止めていたものがなくなり、今にも漏らしそうになる恐怖から僚は喘いだ。 「大丈夫、大丈夫だ僚」 ふらつく身体を支え、便座に座らせる。苦痛を耐えるのとは違う忙しない呼吸を落ち着かせる為、神取は抱きしめるようにして少し強めに背中をさすってやった。 耳元で囁く。 「……出していいよ」 うう、と唸り、僚は手を突き出した。恥ずかしい姿を晒す自分から、少しでも遠ざけたかったのだ。この後、男が何をするつもりなのかもうわかっていた。懸命に首を振る。 しかし神取は突き出された手をやすやすと掴むと頭上に押しやり、嫌がる唇を無理やり塞いだ。 せめてもの抵抗に僚は口中で叫んだ。 それがきっかけとなり、苦痛のもとがどっと溢れ出る。 ぞっとする感触に喉を震わせ、僚はきつく顔を歪めた。貪るように口付けを続ける男を、涙で滲む視界に捉える。 自ら望んだ罰とはいえ、たまらなく惨めで恥ずかしかった。朦朧とする意識の中、僚は啜り泣きに肩を震わせた。 だというのに、たった一点だけ別の感覚で震えていた。 強制的な排泄の痛みで麻痺し、感じ取れずにいたが、僚のそこは萎える事無く天を向き、ひくひくと震えながら涎を垂らしていた。 男は目の端でそれを見て取ると、にやりと頬を緩めた。 しばらくして、僚の身体からいくらか強張りが抜けたのを感じ取る。薬液を出し切って、苦痛が治まったのだろう。 男はようやく顔を離した。呼吸はまだ少し苦しげだが、先ほどの浅く忙しないものとは違っていた。わかっている。強引に続けたキスのせいだ。 繋がれた両手を力なく膝に乗せると、僚はぼんやりと男を見上げた。そしてある瞬間はっとなって、俯いた。何かを隠すように前屈みになる。 僚は急いで汚れた部分を拭った。 「……もう、平気」 「痛みは残っていないか?」 「うん……はい」 顔を伏せたまま答える。 差し出された男の手に掴まって立ち上がり、肩を支えられて部屋に戻る。たまらなく恥ずかしかったが、しっかりと肩を包む大きな手は、いつもと同じく心地良かった。 縮こまっていた気持ちがゆっくりとほぐれていく。過度の緊張から解放された途端、今まで気付かずにいた下腹の疼きがどくりと脈打ち、僚を脅かした。 途端に歩けなくなる。 不意にぴたりと足を止めた僚を振り返り、神取は薄く笑った。 彼がそうなった理由は、もうわかっていた。 白々しく問う。 「どうした?」 案の定返事はない。心の中で密かに笑う。 繋がれ、身体の正面に来た両手が、上手い具合に隠す役目を果たしていた。 男はその手を掴み、胸まで上げるよう命じた。 僚の顔が見るからに歪む。 もう一度口にしようとした時、観念した様子で腕を持ち上げた。 男はやや大げさに眉をひそめた。 「嘘を吐いたね」 「っ……」 「こんなに硬くして溢れさせて、本当は感じたのだろう?」 僚は必死に首を振り立てた。何に対して首を振っているのか、何を否定しているのか、自分でもよくわからないまま髪を振り乱す。 「では、もう一度確かめてみようか」 男の言葉にはっと目を見開く。まっすぐ向かってくる冷たく美しい眼差しはどこまでも鋭く、こちらの幼稚な嘘などとっくに見抜いていた。 「や、だ……いやだ」 恐怖が背筋を貫く。血の気が一気に下がる思いだった。だというのに嗚呼、目が離せない。足元もおぼつかない錯覚に震えが止まらないのに、もっときつく、厳しく捕らえてほしい、離さないでほしいと望んでしまう。 男の手が、薬液を吸い込んだ浣腸器を掴む。 「ベッドに手をついて、前屈みになりなさい」 言われた通りの姿勢を取りながら、僚は首を振り続けた。 「やだ、やだ……お願い」 「身体を楽にして」 「ああ……」 背後に男を感じ、掠れた声を零す。 恐怖に感じるのは嘘ではない。この行為だけは、本当に心から嫌なものだった。しかし男の声を耳にすると、自分の本心さえ曖昧になって、どこまでも溺れたいと思ってしまう。男の為ならどんなに無理な事でもしてしまえる…ふわふわとした感覚に包まれるのだ。 「やだぁ……」 器具が差し込まれ、肩が弾む。薬液が注入される間、僚はみっともなく泣き声を上げ続けた。 小刻みに震える背中が、男を妖しい気分にさせた。手にした器具で彼を辱めて、もっと泣かせたくなる。 どこか甘い怯えた声は、責める者の心をこれでもかとくすぐった。どこまでもかき立て、のめり込ませ、深い快感へと誘うのだ。溺れそうになる。いや、もうとっくに溺れている。 彼を支配する事で自分は為り、彼に支配されるのだ。 「五分、我慢出来るね」 肩越しに顔を覗き込む。 頬に零れた涙を拭いながら僚は頷いた。 歯噛みし、必死に耐えようとする姿に強く引き込まれる。彼の安全を第一に考えねばと連れ戻そうとするが、ひどく難しく、抗い難かった。 小さくほどけた唇に微かな眩暈を感じる。 どうにか引きはがし、男は一歩下がった。 ベッドの上で僚の身体がのたうつ。果たしてどちらを耐えているのだろうか。 排泄出来ない苦しみか。 それとも――排泄を制限されている自分に興奮してしまう事か。 彼にはその傾向があった。一度目から、嫌がり恐れながらも感じてしまい、ようやく許された排泄に苦しむ中、雄の象徴をこれでもかと見せつけた。時には触られないまま達してしまう事もあった。 彼には素質がある。正しい手順と適切な苦痛ならば、こういった事を愉しむ素質があった。 彼自身、その事に気付いていなかった。怒りを晴らす為に痛みだけを欲し、許容以上の苦しみに身を晒し、いたずらに自らを痛め付けていた。 彼の欲しいものはそれでは得られなかった。怒りは晴らせなかった。 別の方法で探す事を男は提案し、彼には、底なしの快楽を与えた。 彼には素質があった。 自分がそれを目覚めさせたのだ。自分以外の誰にも、彼は応えない――いくらかの思い上がりを抱く。そうであってほしいと望みを抱く。 「たかひさ、……おれ、は」 苦しい息の下から僚は訴えた。何を云おうとしているのか、おぼろげながら男は掴む。 五分が経った。 恐らく今度も、彼は感じてしまっているだろう。 そっと抱き起すと、果たしてそこにきつく反り返った彼の熱塊があった。 腹痛のせいか、あるいは嘘を言ってしまった罪悪感からか、僚は静かにすすり泣いていた。 「ああ……たかひさ」 縋るように僚は見つめた。 男はハンカチで濡れた頬を丁寧に拭ってやり、トイレまで連れて行った。静かに座らせ、顔を上げさせる。 「やだ……ごめんなさい」 弱々しく首を振る彼を押さえ付け、男は昂る気持ちのまま彼の口内を貪った。縋る目で見つめられた時から、我慢の限界を迎えていた。触れれば少しは鎮まるだろうと思ったが、彼のおののく舌を絡め取った途端、よりいっそう熱は高まった。 胸を押してくる彼の手を掴んで封じ、神取はキスに没頭した。 「あっ…あぁ……」 僚は濡れた声を零しわなないた。男の舌が上顎を舐める。それだけでひどく感じてしまい、腰の奥深くまで甘い痺れが走った。呼応して、起ち上がった己の熱が何度も疼くのを感じ取り、また涙が込み上げる。 身体を縛り付けていた痛みが徐々に引いてゆく。それにつれて、たまらないほどの羞恥と後悔が膨れ上がる。だというのに一向に熱は引かず、苦しむ自分を糧にしているかのように勃起を続けていた。 「ああ……どうして」 僚は半ば呆然としたまま呟いた。 ゆっくりと男が離れる。 ぎこちなく目を上げると同時に男が何かを指差す。 「ほら、そこ」 僚は諦めたように顔を歪め、男の指が示す方…自身の下腹に目を落とした。ひどいありさまだった。まるで漏らした後のようにぐっしょりと濡れ、それでもまだ足りないとばかりにみっともなくひくついていた。 繋がれた両手を口元に持っていく。 「どうして嘘を吐く? 嘘を吐くのは、いけない事だよ……僚」 男は殊更にゆっくりと言葉を綴った。彼の恐怖をより煽る言い方。そして彼の、もっときつく縛られたいという望みを叶える言い方。 口元に押し当てていた手で顔を隠し、僚はうなだれた。ごめんなさい…懸命に絞り出す。喉元の震えが止まらない。 「許すわけにはいかないな。こちらのお仕置きもしないと。もう一度だ」 「やだ…や、やだ……ごめんなさい」 許して、と怯え揺れる目に首を振り、神取はあえて冷たい眼差しで見下ろした。その裏側で、見極めろ、と自分に言い聞かせる。本当に彼が拒んでいるか、かけらも期待がないか、冷静に見分けねば。 彼を傷付けるのが目的ではない。 楽しむ為に、お互いを感じる為にこうしているのだ。 僚は濡れた目を何度も瞬いて、支配者を見続けた。 こんなにもみっともない自分を見せて、男は幻滅しないだろうか。軽蔑してしまわないだろうか。 嫌で嫌でたまらない、もう苦しい思いなどたくさんだというのに、まだ許されない状況に酔いかけている。 本当に悪いと思っている。きつく当たった事も、正直に言わなかった事も。そうやってひねくれた方法で男の支配を望んでいる浅ましい自分を、見捨てやしないだろうか。 こんなに貪欲な人間にはもう付き合いきれないと、思ってしまわないだろうか。 一心に想いを込めて見つめていると、やや強引に引き立てられる。そのまま有無を言わさず寝室まで連れてこられ、僚は三度目の浣腸を受けた。 「さあ、よく反省しなさい」 「ごめんなさい……ごめんなさい」 背後の男に必死に許しを請う。 何度味わっても慣れぬ苦しみに身悶え、呻いて逃し、息を継ぐ合間にごめんなさいと繰り返す。痛みに耐えるだけで精一杯になり、自分は何に対して謝っているのか、ぼんやり霞んでゆく。必死に奮い立たせて思い出し、僚は何度も詫びた。 不意に背後から肩を抱かれ、僚は過剰に反応した。薄れかけていた意識が急速に戻る。 軽く眩暈がした。 肩を抱いた手がゆっくりと肌を滑る。腕を撫で、背中を撫で、優しく身体を宥めた。手のひらが腹部にまで届いた瞬間、僚はぐっと息を詰めた。今まさにそこで苦しみが渦巻いているのだ。ひどく苛められるのではないかと、怯えが走る。 あるいは、下腹で息づく勃起したものを咎められるのではないかと竦み上がる。 しかし恐れる瞬間はやってこなかった、男の手はどこまでも甘く、いたわりながら肌を滑った。 苦しさに意識が朦朧とするが、手のひらの熱を感じるほどに夢見心地に包まれる。痛みが和らいでいくようだった。 頭の片隅で詫びながら、僚は素直に愛撫に酔った。 一度より二度目、二度目より三度目と回数を重ねるごとに苦しくなっていくのだが、この時ばかりは、男の柔らかな愛撫で薄れさせる事が出来た。 「うっ…あぁ……」 苦痛を訴えるそれとは明らかに違うため息を零し、僚は緩慢に身悶えた。 「たかひさ……ごめんなさい」 頬に涙を零しながら背後の男に訴える。 何を…わからない。 今にも意識が途切れそうになる。ふとした瞬間にはっと我に返り、そこでようやく頬の涙に気付いて慌てて拭う。 いつの間にか個室に座っており、今にもプラグを抜くところだった。 「ああ……だめ!」 鼻先が触れるほど間近に迫った男の顔に慌てて首を振るが、顎を掴まれた途端一気に力が抜けた。もう、身体を押し返す気力もなかった。 度重なる浣腸で身体はぐったりと疲れ切っているのに、重ねられた唇の熱さを感じた途端、凄まじい勢いで全身に痺れが走った。背筋が何度も引き攣れ、たまらないほどの愉悦が脳天を直撃する。 僚はおこりのように身を震わせた。びくんと肩が弾むのに合わせて、先端から勢いよく白液が噴き上がる。 激しい身震いの原因を目の端に見て取り、男はゆっくり顔を離した。ああ、と力なく呻く僚に目が釘付けになる。 だらしなく足を開いて便座に腰かけ、止まらない涙を流しながら、射精の余韻に浸って震えている。下腹には、出したばかりだというのに萎えぬまま存在を主張している彼の雄が、次の開放を求めてひくひくとわなないていた。 どこもかしこも淫らで、たまらなく心をそそった。 ぼんやりと霞んでいた眼差しが、ぎこちなく動き始める。 長い時間をかけて、僚は目を上げた。恐る恐る男を見やる。 そこには、決してこちらを蔑まない男の貌があった。 止まりかけた涙が、また溢れた。 男は再びハンカチを取り出し、しばらく止まりそうにない涙を何度でも拭ってやった。 余りの申し訳なさに僚は消えてしまいたいほどであった。それでも、目の前の男を求める。繋がれた両手で服を掴み、縋り付く。 男はしっかりと抱きしめた。_ 「よく我慢したね、いい子だ。ご褒美をあげよう」 僚は何度も首を振って否定した。そんなものをもらえる分際ではない。自分はいけない事をした。だのに反省すら、ろくに出来ない。 「ごめん……鷹久」 途切れがちに零れた悲痛な声に胸が痛んで仕方がない。彼の一途さに触れ、あらためて彼を想う。 |