冬の幸せ
ある冬の帰り道、僕は冷たい風の吹く中を純喫茶魔美目指して歩いていた。 適度に暖房の利いた、昔ながらの喫茶店の落ち着いた空間で、いれたてのコーヒーを啜りながらよく冷えたコーヒーゼリーを食べる。 ふふ、なんと贅沢な事だろうか。 想像するだけで胸が暖かくなるようだ。 ほわんほわんと思い浮かべながら到着した僕を待っていたのは、無慈悲な「臨時休業」の張り紙。 そんな馬鹿な――! しかし何度見ても張り紙の文字は変わらない。僕はぼう然と立ち尽くした。心がすうっと冷えていくのが感じられる。 「……はぁ」 仕方なくスーパーに足を向ける。 店内に入りデザートコーナーに向かうと、まず目に入ったのが「コーヒーゼリー大特価」のカラフルなポップ。心の中でぐっと拳を握るほど一気にテンション上がった。 僕は大急ぎで向かいかけて愕然とする。何故なら、続けて空っぽの棚が目に入ったからだ。 そんな…そんな馬鹿な。 右隣も左隣も程よく商品が詰まっているが、大特価のコーヒーゼリーのところだけ綺麗に四角く空いているのだ。 一つとして残っていない惨状にじわりと涙がこみ上げる。 ふと周りを見ると、あの買い物客もこの買い物客も、手に提げたカゴの中にコーヒーゼリーを入れている。 ああそうか…一歩遅かったのか。 もうちょっと早くたどり着いていたら。 僕は心の中でがっくりと膝をついた。せっかくだからスポットライトも当ててもらった。 まあいい、まだコンビニがある。冷えた心を引きずりスーパーを出る。 スーパーを出て、一番近いコンビニへと向かう。 そりゃスーパーほど安くないけど、あの値段であのクオリティのスイーツが買えるのだ、満足感は計り知れない。 さっきより風が増した気がする。それにともない冷え込みも増す。 超能力でいくらでも調節出来るとはいえ、心に吹く風は止めようがない。 「……寒いな」 気付けばそう呟いていた。 寒い筈だ。 僕は歩きながら空を見上げた。 今にも降り出しそうな空模様に少し目を狭める。 今日は夕方から雨の予報と朝のお天気お姉さんも言ってたから、ちゃんと傘は持ってきている。抜かりはない。 さあ、雨が降り出す前にコーヒーゼリーを買って帰るとするか。 「あ、斉木さんじゃないっスか!」 「!…」 本屋の前を通り過ぎようとしたその時、馴染みのある声で呼び止められた。 見ると、すぐそこに鳥束が立ち、こちらに嬉しそうに手を上げている。 僕としたことが気付かなかった。 なんて事だ、あれやこれや不運が重なった上、更に鳥束にまで遭遇するとは。どこまでついてないんだ今日の僕は。 店先に置かれた棚に雑誌を戻し、鳥束は隣にやってきた。 「どっか行くんスか? それともおうち直行?」 『お前は、寺の仕事サボって寄り道か』 「あぅっつ、ややややだなあ、ちょっとあれ、社会勉強っスよ」 『ふう〜ん……』 「まーまーまー、ね! それで、どちらへ?」 僕は黙って道の先にあるコンビニを指差した。 「珍しくちょっぴりじゃないっスか、斉木さん」 小さな手提げ袋を持ち上げ、鳥束はふふっと笑った。 「いつもなら、オレの奢りだからって棚全部買い締める勢いで買うのに」 『じゃあそうするかな』 「わーわーうそうそ!」 くるりと踵を返すと、鳥束は体当たりする勢いで止めてきた。 「冗談ですよぅ、もぅ」 冷や汗を拭う様にそっと笑う。 「うお、さみっ! 汗かいて風吹いて寒いっつの!」 びゅうっと吹き抜けた北風に鳥束はぶるぶるっと震え上がった。 でも、僕は。 「ねー斉木さん、せっかくだから、うち寄ってきましょうよ。ここからだとうちのが近いし」 そんな誘い文句を垂れる鳥束に、ちらりと一瞥くれる。 ここからだと鳥束んところのが近いのか。正確には違う。大体中間くらいだ。だから、自分ちに帰っても距離はそう変わらない。 けれど僕は誘いに乗る。 「わ、来てくれます? 熱いお茶でおもてなしするっスよ」 『ふっ、熱いほうじ茶とコーヒーゼリーか』 「あ、思考読んだっスね。そうなんスよ、ちょっと良いっていうほうじ茶貰ったんで、お出ししますよ」 『じゃあ、呼ばれるか』 「ええ、行きましょ、帰りましょ。今日はやたら寒いから、あったかいお茶とオレのハグで、うーんとあっためてあげますからね」 『それはいらん』 「遠慮しないでくださいよ〜」 本当にいらん。 二人で歩き出すとまた、冷たい風がびゅうびゅう吹き付けてきた。おまけに小雨がぱらついて、ますます寒くなった。 でも鳥束はもう寒いと感じなかった。 鳥束も、感じなかった。 僕もだ。 鳥束は持っていた傘をばさっと開いて僕にかざしてきた。 「斉木さん、傘、相合傘……はい、すんません。斉木さんも持ってますよね」 『ああ持ってる』 まったく、こんな人目につくところでなんで野郎二人相合傘すると思うんだ。 よっぽどの土砂降りなら背に腹は代えられぬと恥を忍んで入る…わけがない、意地でも入らん、走って帰る。 隣では鳥束が、いっそ自分の傘折っちまうかとか過激な事を考えている。そうしたら堂々と斉木さんの傘に入れるしと真剣に思案している。 まったく、めまいがするようだ。 『本当にやったら置いてくからな。お前んちに行くのもナシだ』 「わーウソウソ、てかまた勝手に人の頭の中読むしー」 『聞かされる身にもなれ』 「……はーいすんません」 渋々の体で鳥束は謝った。 「まいいや、雨がひどくならないうちに行きましょ斉木さん」 『やれやれ』 「あーん、さっきのは冗談っスから、そんな怒らないでぇ」 ふん、怒ってないよ鳥束。 僕は傘に隠れてこっそり笑う。 だってな。 さっきまで散々で、寒さが骨身に染みるほどだったけど、今は全然寒くないからな。 お前のお陰で心まで賑やかになったからな。 むしろ感謝している。 |
寒い寒い冬の帰り道。 こんな日はコンビニで熱々の中華まんを頬張るのが一番いい。という事で僕は通りがかった某店に人差し指を向け、鳥束を誘導した。 「ああいっスね、オレも寒かったとこなんスよ。ちょっと覗いていきましょう」 鳥束は喜んで賛同し店内に突進していった。僕も後に続く。 中華まんを買うのはもちろんとして、何か他に欲しくなるような、心をくすぐるようなスイーツを発見したく、僕は店の奥へと歩を進めた。 すぐ注文する気だった鳥束も僕に倣い、ついてきた。 少し前から、レンチンであっためていただくスイーツが増えてきていて、選びがいのあるラインナップに毎度嬉しく悩まされているところなのだ。 個人的な感想だが、そういったものは何故か大体どれも見た目が地味なのだ。ぱっとしない、冴えない、いまいち惹かれない大人しめの外見をしているが、レンチンして食べるとそんな第一印象は遥か彼方に吹き飛んでしまう。 見た目は素朴でも味は絶品、美しく整えられたパフェやクリームたっぷりのケーキにも引けを取らない。 だから僕は、このとても地味で控えめなホットケーキを買って帰るとしよう。もちろんこれとは別に熱々中華まんも買う。当然買う。 鳥束も、僕が中華まんからこのスイーツに心変わりしたなんて事は思ってない。それどころか。 「それだけでいいっスか?」 「こっちのさつま芋プリンも、美味そうっスよ〜」 「あ、クリームたっぷりイチゴクレープだって。ねえ斉木さん、クリームの白とイチゴの赤の組み合わせって最強っスよね」 と色々おすすめしてくる。ははは、これまでの教育が実ったな。 それはそれとして最後の意見、一秒間に十六回の速さで頷きたくなるほど同意だ。赤と白こそ至高。 そんなこんなで会計を済ませた僕たちは、コンビニの二階にあるイートインで中華まんを味わう事となった。 入る前は、かじりながら帰ろうと思っていたのだが、ひとたび店内の暖かさに包まれると寒風吹きすさぶ中に出ていくのがためらわれ、自然足が向いたのだ。 端の方の席に陣取り、奴はピザまん、僕は粒あんまんにそれぞれかぶりつく。 粒あんかこしあんかで迷ったが今日は粒あんにした。 美味い。ひたすら美味い。それ以外の言葉はいらないくらい美味い。 甘さの具合は文句なし、皮の厚さとあんの比率もとても素晴らしい。 隣では鳥束が、僕のとはまた違う胃袋に染みる匂いを立ち上らせている。ピザまんの誘惑も強烈だな。素直に良い匂い、美味そうな匂いと感じる。 「はー……寒い日のあったかいものって、こう、胃袋から幸せになりますね」 簡単だなあと内心密かに呆れてると、伝わったのか、斉木さんこそ最高にほっこりしてるじゃん、と微笑ましく見つめられた。 『……してないぞ』 「はー、オレ、斉木さんのその顔で色々元気出ますわ」 きゅんときちゃうと言いながら、ゲスなところを握るんじゃない。 まったくどうしようもないな。 更にどうしようもない事に。 (斉木さんに後ろから抱っこされて、背中ポカポカあったかい状態でこれ食べたいな) (いっそ斉木さん食べたいなゲヘヘ) と脳内で続けやがった。 食人的なアレじゃなくて、まあわかるか。 いやあっちの意味にしてもさして衝撃は変わりないか。 そんなようなゲス妄想を、鼻血垂らしそうなたるみ顔でしてるならまだしも、ニコニコ慈愛の眼差しの奥で展開してるんだから、本当にどうしようもない。 『背中あったまりたいなら、今すぐあっためてやるぞ』 後ろから抱っこなんてしなくても、僕なら数秒だ。 正面を見つめたままちょっと念を込める。 「いやいやいや、ややや、結構です遠慮します!」 違うんです違うんです! 鳥束はぶんぶん首を振り出した。そんな奴の背中を、お試しでちょっとあっためてみる。 たちまち絶望に染まった顔になり、鳥束はじわりと目に涙をためた。 『おいなんだ、まだ「ぬる〜い」の範疇だろ、そんな顔するなよ』 「か、カチカチ山……」 蚊の鳴くような声で鳥束が呟く。 聞き取り、思わず吹きそうになった。 悪さをしたタヌキか、悪さばかりしてるお前にぴったりじゃないか。 お前にしちゃ中々気の利いたものを思い付く。 『じゃあ僕は、お前を泥船に乗せて絶望させたのち溺死させないとな』 こっわ…… もはや声も出ないのか、鳥束は口だけでそう綴った。 そうなんだ、実は怖いんだカチカチ山は。 あれに限らず、日本の昔話やグリム童話は怖いお話の宝庫だ。 「いやいや、寒い冬にこれ以上寒いのはいらないっス!」 鳥束は思い切り首を振り、恐怖を追い払った。 鳥束はもーもー唸りながら、最後のひと口を押し込んだ。 むすっとした顔でもぐもぐ噛みしめ、そろそろ飲み込むってところでちらりと目だけで僕を見てきた。 僕の方も目を動かして見合わせた。 するとたちまち不機嫌はほどけて、にっこりといい笑顔になった。それだけでいいとか、本当に易い奴だよ。 僕は、食べてしまった名残を惜しみつつ手を合わせた。 ふう、ごちそうさまでした。 「ごっさんです」 鳥束も手を合わせる。 その手を、僕のそれへと伸ばしてきた。 もちろん寸前で避ける。 こんな人目につく場所で何考えてんだか。 僕は鞄を肩にかけ立ち上がった。鳥束の目が僕を追いかける。 わかってるけど。寂しそうに、鳥束は小さく俯いた。 だから僕は云ってやる。 『ばーか』 「なっ、ひどい」 『後ろから抱っこも、手を繋ぐのも、家に帰ってからな』 「……はいっ」 告げると、むずむずした顔になって鳥束は頷いた。 「中も外もぜんぶあっためて、幸せにしてあげます」 どんなふうに扱われるかなんとなく予測出来て、僕はげんなりする。 でもまあ…そう思えるのも、幸せだ。 早く帰るぞ鳥束。 僕は外へ向かって突進した。 |