バナナチョコチーズケーキスペシャルクレープ
すっかり日も暮れ、オレお待ちかねの楽しい時間が始まった。 オレは夜をたっぷり満喫する為に、まずは風呂で身を清める事にした。今日の疲れ、汚れを綺麗さっぱり洗い流し、それから充分に楽しもうという算段である。 という事で、オレは着替えを手に風呂場に向かった。 実は、夕飯から風呂に赴くまで、ちょっとダラダラしてしまったのだが。というのも、風呂に入るのは好きだが風呂に入るまでがなんというかね、かったるくてね。 中々重い腰が上がらなかった。 入ってしまえばなんて事はない、むしろ極楽極楽なのだが、入るまでがいつも、ちょっとした戦いだ。 今日も同じく己と戦い、少し押し引きしたのちようやっと風呂に入る決意が固まった。 頭から豪快にざぶざぶかけ湯して、その勢いで全身洗い、それからオレは湯船に浸かった。肩まで沈み、手足を伸ばしてくつろぐ。 うーん…いい気分だ。 うーん…鼻歌の一つも出そうだ。 うーん…そろそろいきますか。 身体の芯まで温まり、気分も乗ってきて、さあ今日は何歌おうかあれにしようか、ではいざ、と息を整えたまさにその瞬間――。 今まで一人だった風呂場に、突如もう一人現れたのだ。 「どわぁっ!」 ざぶんと湯を波立て、オレは思い切り仰け反った。浴槽の縁から溢れる湯、踊る水面、そして零れんばかりに目を見開いたオレ。 それらを見下ろし、突如現れた人物…斉木さんは浴室に響くほどに思いきり舌打ちした。 あ、また。 反射的に「めっ」と叱ってしまうオレ。 「……こんばんは」 それでいて口から出たのはそんな間抜けなひと言。 斉木さんは天井の少し下にふわふわ浮いたまま、オレを見下ろしていた。ああ、濡れないように空中浮遊しているのね。 よく見ると片手に袋を、何やら品物が入っているコンビニ袋を提げていた。 『邪魔したな。三分したら帰る』 「えちょ、待って待って待って!」 あと二分何秒だと無感情に伝えてくるから、オレは大慌てで引き止めた。 「何か用があって来たんですよね? え? どうしました?」 部屋でくつろいでたらGが出たので避難してきた、とかかな? でもそれじゃ手に提げてるコンビニ袋と矛盾するな。格好も外歩いてた服装だし。じゃあ、買い物帰り道端で虫に遭遇してここに避難、でどうだ。 「中身なんスか、コーヒーゼリーっスか?」 白い袋に透けて、うっすら黒い小さなものが見える。としたら、コーヒーゼリー以外ないだろう。 斉木さんは素直に頷いた。 「はは当たりっスかやったね。それで、どうしましたか?」 オレは重ねて尋ねた。 そんなオレの声を最後に、浴室内はシンと静まり返る。 三分が過ぎようという頃、斉木さんは観念したように答えた。 『つ、月がな』 「はい、月が?」 「………」 「斉木さん? 月がなんです?」 「………」 「あ!……もしかして、月が綺麗だよって教えに来てくれたんスか?」 「………」 ようやくそうとわかるほど小さく、斉木さんは頷いた。 そっスか、そっスか! オレはぱあっと顔を輝かせた。 斉木さんの顔がみるみる赤くなっていく。今の今まで全然湯気に当てられず平然としていたのに、今になって急にだ。 ぐ、ぐ、ぐ、かわいいっス! コーヒーゼリーを買いに行った帰り道、ふと見た夜空に浮かぶ月が綺麗だって、オレに伝えたくて、直接オレんとこに来てくれたなんて。もうなんて可愛い人だろ、撫でまわしたくなっちゃうよ。 急いでタオルを手繰り寄せ、かたく絞って身体を拭う。 「早く言って下さいよ、こうしちゃいらんないっス、行きましょお月見、ね!」 「……うん」 「わー……キレイに三日月っスね」 夜空を見上げ、オレはため息を吐いた。 隣では斉木さんが、同じように空を見て小さく頷いた。 あの後自室に戻ったオレは、急いで着替えて斉木さん用のお茶を入れて、寺の人間に気付かれないようこっそりと屋根に上った。ひと足先に斉木さんは到着していて、オレを引っ張り上げてくれた。 そして、オレたちはしばし無言でお月見を楽しんだ。 オレはフード付きの冬用コートを頭からかぶっていた。 斉木さんに、湯冷めして風邪でも引かれたら厄介だからと強引に着せられたのだ。風呂上がりの身体に分厚いコートは熱がこもって正直暑いが、優しさが嬉しいのでオレは素直に受け止めた。 寒くないっス、斉木さん。 『いただきます』 斉木さんの手が湯飲みに伸びる。オレはどうぞと応え、目を見合わせてちょっと笑った。 『……なんだよ』 「えへへ。オレね、風呂あがったらいつものトーナメントやって、気分が乗ったら抜いて、そんで寝るつもりだったんスよ」 『最低だな』 「うっ……ふん、これが普通っスよ。オレ、健全な高校生男子ー」 唇を尖らせて抗議すると、うるさいとゲンコツが降ってきた。 「あいたっ、くぅ〜……じゃなくてね、斉木さんに教えてもらわなかったら、今夜は空なんて見ないで寝てたところだって、もったいない事するところだったって、そう言いたいんです」 斉木さんに感謝してます、そう言いたいんスよ そうかよ、と、囁きが返ってきた。オレは心の中で、そうですよと答える。 また、月を見上げる。 斉木さんは静かにお茶をすすりながら、合間にぽつぽつと語って聞かせた。 僕も、少し感謝してる 今まで月を、こんな風に思って見る事なんてなかった。ただ、月だって思うだけだった。誰かに見てもらいたいとか、一緒に見たいとか、一度も思った事がない でもお前に出会って、自分もこんな風に出来る事を知った 知れて……嬉しい 自分にはこんなのないと思ってた でも自分にもあるのだというのがわかった お前のお陰で知る事が出来た 感謝してる 「斉木さぁん――!」 オレは感激のあまり抱き着いて唇を押し付けた。 ちらと伺う斉木さんは非常に迷惑そうな顔をしていたが、オレを押しやる事はしなかった。 されるがままになっているのが無性に嬉しくて、可愛くて、オレはしばらく抱き着いたままでいた。 このままずっと離れたくない。離れられなかったらいいのに。斉木さんをこうしてぎゅーっと抱きしめる生活、最高じゃないか。いつでも斉木さんといられるし、もし何か困った事…たとえば虫に遭遇したとしても、オレがおっぱらってあげますよ。 『でもそうすると、僕も道連れだよな』 「え……」 『お前とくっついたままなんだから、僕もあいつらに接近する事になるよな……!』 なんて恐ろしいのだろうと、斉木さんは想像で震え上がった。 あ、あ、そうですよね、それじゃー全然助けにならないっスよね。 「すんませーん……」 オレはゆっくり腕をほどいた。 そしてまた二人で、しみじみと月に見入る。 『なあ、言っていいか』 「なんすか?」 ちょっとあらたまって斉木さんはオレを見てきた なんだなんだ、まさかこの雰囲気…好きとかそういうセリフくれるとかか!? 期待しちゃっていい、これいい? 「どうぞ、言って下さい」 ごくりとつばを飲み込む。 『あの、な……』 「はい……」 『クレープ食べたい』 「……はぁ?」 耳を疑うとはまさにこの事だ。 『お前が想像した通り、コイツを買って――』 斉木さんは、食べ終えたコーヒーゼリーの空容器を指差した。 『――帰り道、橋に差し掛かって、空への視界が開けた時、ちょうど正面に月が見えて……あんまり見事だから、お前にも見せたくなって飛んで来た』 「……はい」 ええ、はい、そこまではいいっスよ。文字通り飛んで来てくれて、オレ、大感激っス。で、そこからどうしてクレープに? 斉木さんは、ほら、と夜空を指差した。オレは改めて月に注目する。 『本当に見事な三日月だろ』 「ええ」 『見てたらバナナが思い浮かんでくるだろ』 「はあ……」 『そこからまあ、ばーっと連想で、最終的にクレープにたどり着いたんだ』 オレは額を押さえ、はぁっと大きく息を吐く。呆れる、頭痛い、って言いたいのに、笑えて仕方ない。 ……ま、これが斉木さんだもんな。 「ははは。じゃあ明日、美味しいクレープ屋さん、行きましょうか」 『いい、一人で行くから』 「なに、寂しい事言わないでよ、一緒に行きましょうよ。俺たち恋人でしょ」 『でもお前甘いもの好きじゃないだろ』 「っかー、遠慮しないの、水臭い。そりゃちょびっとしか食えないですけど、斉木さんが美味しく食べてるの見るだけで、オレは胸一杯になりますからね。全然問題ないっスよ。デートしましょ、ね」 これでも渋るようなら奥の手だ、オレを財布代わりに連れてけば…と、そこまで思ったところで、斉木さんがにやりと笑った。一瞬だったけど、オレは見逃さなかった。 あー…そうかなるほどね、そういう作戦だったのね。 『じゃあ、一緒に行こう』 今や斉木さんはにやにやを隠しもせず、嬉しそうに目を輝かせている。 くっそー、やられたわ。 考えてみりゃそうだよな。そうだよ、あの斉木さんがよ、オレと一緒に月を見たいとか思う訳ないんだ、全てはクレープの為だったんだよ。 まあ、いいもん見られたし、思いがけないお月見デート出来たから、大満足だけどね。 『……見せたいと思ったのは本当だ』 本当かぁ? 今更そんなフォローいいっスよ、と斜めに見やると、ちょっと照れた、いや困ったようにも見える複雑な顔で、斉木さんはオレから視線を外していた。 「………」 なんだよ、斉木さん、バナナだクレープだは後付けの照れ隠しかよ、このツンデレ超能力者め! 「斉木さ――っくしょん!」 ああもう、感動に水を差すなよくしゃみ! 『そろそろ部屋に戻るか』 「……はい」 恥ずかしさに顔を隠して鼻を啜る。 そっスね。いくら防寒したって、やっぱり夜風は身体に良くないや。 とういわけで部屋に戻ったオレは、斉木さんに念を押す。 「明日絶対連れてってくださいよ。一緒に行きましょうねクレープ。絶対ですよ」 『ああ、連れ回してやるよ』 「ホントっスね? 連れ回しはちょびっとにしてほしいっスけど…約束ですからね!」 財布係でもなんでも、受けてやらぁ。 『頼りにしてるぞ』 「ええもう、ガンガン使って――っ!」 ヤケッパチの言葉が、斉木さんのキスで途切れる。 ああもうほんとこの人やる事がいちいちにくいんだから。 オレは嬉しくって抱き着きにいった。 けどその寸前で瞬間帰宅され、空振りに終わったけど。 いいもんねー、明日になったら今日の分も合わせてぎゅうぎゅうの目にあわせてやるんスから! オレは、今の今まで斉木さんがいた空間をきっと見据え、そう心に誓った。 |