甘くてしょっぱい卵焼き

 

 

 

 

 

 ある天気の良い秋の日。
 オレは屋上の隅っこに陣取り、一人静かに弁当を食べていた。なんでそんなとこでというと、もちろん、大人の雑誌を心置きなく楽しむ為である。
 ここは結構死角になっているから見回りの教師にも見つかりにくく、階段室から結構遠いので他の生徒も滅多に来る事がなく、うってつけの場所なのだ。
 という事でオレは誰に気兼ねすることもなく、じっくりと読みふけっていた。もちろん時々辺りを警戒した。完全に没頭する事はなく、頻繁に耳を澄ませては、接近者がいない事を確認していた。

 そうやってしっかり警戒していたオレに「おい」と声をかける者がいた。
「ひぃっ!」
 見つかったら没収、説教、保護者に連絡、最悪の事態!
 一瞬にして頭の中を駆け巡るそれらに震え上がるオレの目に映ったのは、濃桃色の髪をした一人の男子生徒。
「な、な……んだぁ、はー、斉木さんでしたか」
 噴き出した汗を拭いつつ、オレはほっと胸を撫で下ろした。
 しかし、斉木さんはある意味、生徒指導の松崎よりもおっかないのだ。
『没収だ』
 学校に関係ないもの持ち込むとはけしからん、焼却だと、手から炎を出す始末。
「まっ……!」
 オレはまた震え上がった。
 この人はやるといったらやるんだよ、超能力者甘く見ちゃいかんのよ。
「わかった、わかりました!」
 目につかなきゃいいんでしょと、オレは服の下に隠した。
「っち」
 そんな憎々しげに舌打ちしなくても!

『何してんだ』
「見ての通り、弁当食ってます。斉木さんはもうお昼済んだんスか?」
『まだこれからだ。教室があんまりうるさいから、避難してきた』
「あらま、じゃあ一緒に食べましょ」
『隣いいか』
「ええ、どうぞどうぞ」
 広く空いてるけど、オレは気分で一人分横にずれた。

「わー、斉木さんのお弁当、凝ってますねえ」
 オレは感嘆した。
 こんな可愛くて手の込んだお弁当、テレビでしか見た事ない。
「キャラ弁ってやつっスね」
 なんかのキャラクターの可愛い顔が、弁当箱にきちっと収まっている。
 顔を構成しているのは丸く切ったハムとか細長いパプリカとかで、目と口は海苔、にっこり笑っている。
 弁当の中身をじっくり拝見した後、何気なく斉木さんを見ると、何とも言えない顔で笑っていた。
 ん−まあね、高校生男子の弁当箱の中身が手の込んだキャラ弁というのは、苦笑いの一つも漏れるものだろう。
 でもオレはこれありだと思う。多分、斉木さんママさんを知ってるからかな。
 あのママさんなら、間違いなくこうするわ。でも全然おかしくないし、斉木さん本人も苦笑いするけど本当には困ってない、感謝してるってのがわかるから、微笑ましく映るのだろうな。

『お前のは、いかにも弁当って感じだな』
「ははそっスね。自分で作ってます」
『えらいな』
「え、あの……まあ、寺生まれなんで」
 褒められるの慣れてない。ましてやこの人からなんて。よくわからない感情が湧いてきて混乱し、オレはどぎまぎしながらそう口走った。
 というかだ、斉木さんとこうして一緒にお弁当広げるのって、実は初めてなんだよな。
 一緒に学食は何度かあるけど、お互いの弁当披露は今日が初だ。
 だからなんだ…なんという事もないけど、なんだか、ちょっとこそばゆい。

『それ、美味そうだな』
「え、……あ、これスか、これは鶏と大根の照り煮で――」
『一つくれ。こっちのやるから』
 こちらの返事も待たず、斉木さんはひょいひょいとおかずを取り換えた。
「あ、ども。いただきます」
 オレは早速口に運んだ。斉木さんがくれたのは、切り口がお花みたいに色味豊かな野菜の肉巻き揚げ。
「ん……うまーい。ご飯がすすむ味っスね」
『こっちもなかなかだな。中までよく味が染みてる』
 斉木さんはひと口かじった大根を箸に挟み、くるくると眺めた。
「ども、あざっス」
 日持ちするから、どっさり作って弁当や夜のおかずに重宝しているのだ。
 うーん、くすぐったいような妙な心持ちになる。

「はー、ごっそさんでした」
『ごちそうさま』
 二人して手を合わせる。
 その後、斉木さんはさっさと弁同箱を包み立ち上がった。
「あれ……もう行っちゃうんスか」
『お前の「読書」を邪魔しちゃ悪いからな』
「えー、いやあの……えっへへ」
 まさかそう来るとは思ってなかったので、オレはむにゃむにゃと口を動かした。
「あ、斉木さんも一緒に見ま……何でもないっス」
 途中で言葉を切ったのは、斉木さんに殺気たっぷりに睨まれたからだ。そのせいで語尾は今にも消えそうな小声だ。
『次見かけたら、本当に燃やすからな』
「……やめてー」
 オレは腹に隠した本をぎゅっと押さえる。
『じゃあな。明日晴れたら、またここで』
「……えっ」
 去っていく背中に、オレはかすれた息をもらした。
 また明日、一緒にお弁当…一緒にお昼出来る、のか。
 オレの口が、じわーっと持ち上がっていく。


 けれどその出来事は午後の授業開始と共にすぐに薄れてしまい、思い出したのは帰宅してからだった。
 帰宅後、弁当箱を洗っていてふとオレは昼間の事を思い出す。
 よくよく考えてみるとオレの態度ひどかったな、喋った内容全部ひどかったよな。
 これまで誰かと一緒に昼を食べるとか「おかず交換」なんてなかった、そういう相手がなかったので、初めての体験に上手く言葉が紡げなかったのだ。
「はぁ……」
 あまりの衝撃に感覚が一時的に麻痺したようだ。
 今になってオレは、生れて初めての体験をしたのだと実感が湧いた。
 感動して、全身が一気に熱くなった。
 それと同時に、言葉足らずの自分が恥ずかしくなる。
 あれはああ返せばよかったかな、あれはこう返すべきだったな、大反省会。
 一人で赤くなったり青くなったり。

 夕飯を済ませ、いつもの雑事をひと通りこなしたオレは、いつものように明日の弁当の準備に取り掛かった。
 朝の手間を少なくしたいから、今の内に出来る事をやっておくのだ。
 その作業をしながら、オレはぼんやりと頭い巡らせる。
 斉木さん、明日もあの場所に来るんだな。来てくれるんだな。
 明日も交換、やりたいな。出来るかな。
 明日は何にしようかな。

 考えに没頭したからか、作業の手が完全に止まってしまった。
 なにごとかと、よくここらで見かける幽霊たちが心配そうに尋ねてきた。
 オレははっと我に返り、何でもないっスよ〜と笑顔で応えた。
 幽霊たちは優しいな、いつも。

 本当のところは自分も、生きてる人間と関わりたいって気持ちはある。
 幽霊相手じゃ出来ない多くの事を、やってみたいって思う。
 でも、人間と幽霊との間で中途半端に生きる自分には到底無理だと諦め、ふてくされ、こんなものなんだと言い聞かせてやってきた。
 そりゃ幽霊とだって友達になれるし、恋も出来るけど、触れ合える存在との繋がりはまるで違う。違うのを知ってる。
 だから尚の事したかった。友達が欲しい、好きな人に好きになってもらいたいと、心から望んだ。

 うんと子供の頃は、人間と幽霊の区別もつかず、毎日混乱しっぱなしであった。
 心のよりどころでもあった大好きなばあちゃんに触れないと知って、オレはますます混乱した。
 一時期は、幽霊も人間もどっちも大っ嫌いだと、どっちもろくでもないとひねた目で見ていた。
 それでもオレは生きてる人間だし、それでいて幽霊がはっきりと目に映り彼らの存在を認識している。
 どっちつかずの自分だったが、だからってどっちか一方を切り捨てるのは出来なくて、毎日ずっと、手に入らないものに夢見ちゃあ現実逃避して、自分を慰めていた。

 そんな時顔見知りの幽霊から、斉木さんの存在を教えてもらった。
 かの人の事を知った時、オレは、運命の出会いだ、救いの神だとのめり込んだが、実際に出会って己の愚かさに打ちのめされる事になった。

 それでも気付けば自分は斉木さんと、特別な繋がりを持つようになっていた。
 弟子だの下僕だのコロコロ言葉は変わって、始めはとても不安定だったが、いつしか結び付きは強固なものに変わっていった。
 始まりは非常にあいまいだった。記憶もとてもあいまいで、好きです付き合って下さい、はいわかりました、なんてやりとりはなかった。
 まあ、斉木さんは心が読めるからオレの気持ちもわかるわけで、言葉にこそしなかったけど気持ちは垂れ流し同然だったから全部筒抜けだったろうけど、斉木さんは一切の拒絶をしなかった。
 オレがどう思っているか、どんな風に見ているか全部わかっているのに、距離を置くとかしなかった。
 でもオレはまだ懐疑的でいた。これはあれ、オレ自分からから離れるべきじゃとかグルグル考える事もあった。
 始まらないんだ、始めたらいけないんだって思いながらも斉木さんから離れられなくて、そんな日々を送っていたある日、斉木さんと肩を並べての帰り道で、これからもこの位置にいていいですか…とか何とか聞いたんだ。
 さっきも言ったように記憶があいまいだから、何が始まりのきっかけだったかよく覚えてないんだ。
 本当に情けない、悔しい事だけど、しっかり思い出せない。
 あの言葉の他にも何か言ったかもしれないし、あの言葉より前に始まってた可能性もあるし。
 でもこれだけははっきりしてる。それでもオレたちはちゃんと始まった。それだけは間違いない。
 弟子でも下僕でもなく、友人でもなく、特別な仲になった事だけは間違いないんだ。


 翌日も朝からよく晴れて、気持ちの良い空が広がっていた。
 昼時になり、オレはちょっと緊張しながら斉木さんのクラスを訪れた。
 晴れたら屋上でって言ってたけど、心変わりしてやいないか…なんて余計な心配が頭を駆け巡って、身体がちょっと強張っていた。
 前の戸口から教室内を覗くけど、席に斉木さんの姿はなかった。
 恐る恐る屋上に出て、同じ場所に向かうと、果たしてそこに斉木さんはいた。
 オレはホッとしたのと同時に、ずりぃの、て気持ちにもなった。
 というのもだって、斉木さんてば、フルカラーの雑誌を膝に広げて堂々と読んでたからだ。
 昨日オレに「学校に関係ないもの持ってくんな」って言った癖に!
 と、腹が立つまではいかないけど、やーい自分だってやってるじゃんと、笑いが出そうになった。
 だからオレは、喉元まで出かかった「斉木さん」の呼びかけをやめて、昨日斉木さんがしたように「おい」って言ってやるんだと息巻いた。
 ――が、声を出すより早く斉木さんからテレパシーで『言ったらただじゃ済まさんからな』と脅され、オレはヒュッと飲み込んだ。

 ちょっとばかし頬を膨らませて、隣に座る。
「……それ、なんスか」
『スイーツ特集が目についたから、昨日買ったんだ』
 紙面を見たまま、斉木さんは答えた。
「……自分だって、ガッコに関係ないもの」
 持ってきてるじゃないか
 尖らせた唇の先でブツブツと文句を垂れる。
『そうだな。僕も結構、こっそり持ってきてる』
「……じゃあ、お相子っスね」
『そうだな』
 そこで斉木さんはにっと笑った。それを見て、力んでいた口がもとに戻った。
『お前に没収されない内に、しまうとするか』
 斉木さんはぱたんと雑誌を閉じると、それをどこかにやった。超能力を使ったのだろうが、オレにしたら「どこかにやった」としか表現出来なかった。一瞬の内に煙のようにかき消えてしまったのだ。
 オレはただただ、目をパチパチさせるしかなかった。

「……あ! お相子だって言うなら、オレにも「おい」って言わせて下さいよ」
『いやだ。絶対ごめんだ』
「んもー、自分だけ、ずりぃんだから」
 オレの抗議も意に介さず斉木さんはつーんとそっぽを向いて、聞こえないフリを貫いた。
 このやろーと思うより可笑しさが勝って、オレは難しい顔で眉間にしわを寄せた。
 笑いを堪えるのが難しい。可愛いって気持ちが溢れて止まらない。
「さー、お昼にしましょうか」
 誘うと、斉木さんも弁当包みを解き始めた。

 二日目は、油揚げの肉詰めと鶏のから揚げを交換した。
「わー、美味いっスねこれ。斉木さんちのいいお味〜」
『お前の肉詰めもなかなかだぞ。この味、嫌いじゃない』
「オレもその味付け好きなんスよ。よかった〜」
『いくらでも食べられそうだぞ』
「うっわうれしー。斉木さんのも、これでご飯モリモリいけちゃいます」


 三日目は、ミートボールとウインナーで出来た松ぼっくりと、鶏ももの照り煮を交換した。
「え、これいんスか? 可愛くて食べるのもったいないっス!」
『照り焼きって、何でこう心が躍るのだろうな』
「あ、わかります、このツヤツヤプルンが食欲そそりますよね」
『く、食べてなくなるのがつらい』
「オレもつらいっス、この可愛いの食べちゃうとか」


 四日目は副菜を交換した。オレからはジャガイモ、斉木さんからはカボチャが寄越された。
『僕の好みだから、結構甘いぞ』
「ん……ああでも、いいお味っス。美味しー、おやつみたいでこれ好き。あと、このかためでホクホクの歯ごたえも好きっス」
『お前のホクホクジャガイモもいい具合だな。塩気もしっかりきいてて嫌いじゃない』
「ね、んであの、美味しいんスけど、イモもカボチャも…詰まるのがなんですね」
 オレが胸をどんどん叩くと、斉木さんはすかさずお茶のボトルを渡してきた。その時の、可笑しがる顔がしようもなく愛しかった。

 毎日一緒に弁当を食べて、お互いのおかずを褒め合って、笑い合って、そうやって昼休みは過ぎていく。
 今までは一人で、腹が膨れりゃいいと手を動かしてたけど、こんな風に食べると何倍も美味く感じるものなんだな。
 なんか、そのせいか、見える景色も違って映るようだった。
 不思議な感覚だ。こんなの、今まで知らなかった。


 四日目の夜、オレはこれまでに作ってきたものを書き記したノートとにらめっこして、何にしようか唸った。
「うーん……よし、明日は特製だし巻き卵にしよう」
 オレは張り切って取り掛かった。
 斉木さんは甘いものがお好きだから、きっと甘口仕立てが好みだろうな。
 甘くもしょっぱくも作れる卵焼き、懐が深いね。
 どんな顔で食べてくれるかな。
 美味しく作れるといいな。
 そんな事をつらつら考えながら、明日に思いを馳せる。


 おかず交換をするようになって五日目。
 同時に弁当箱の蓋を開けて、そこに鎮座する卵焼きにお互い小さく笑い合う。
「まあまあ、そんな事もありますよね」
 構わずオレは交換する。
 食べるとオレ好みの塩けがきいた味で、ちょっと嬉しくなった。
「へえ、斉木さん、甘いの好きかと思ってたけど」
『お前こそ、塩味派じゃなかったか』
「ええ……」
『ああ……』
 お互い同じように、おかず交換を前提に相手の好みで作ったのがわかって、ますます笑顔になった。
 対して斉木さんはどこか気まずそうに目を逸らす。気のせいでなく、頬がほんのり赤くなってるのが見てとれた。
 ああ、ああ。
 好きだなあこの人。
 斉木さんが好きだなぁ。

『返せ、食べんな』
「ええっやっスよ、もうオレのっス。てかこっちの全部上げますから、斉木さんの全部下さいよ。それで丁度いいっスよね」
 しばらくこちらを睨んでいた斉木さんだけど、一つ舌打ちした後、弁当箱を差し出してきた。
「じゃ遠慮なく、もーらい、あーげる」
 おかず交換していると、物言いたげに斉木さんが見てくる。
 何を訴えてるのか考えながら、オレは尋ねた。
 あー美味い。卵の優しい味とオレ好みのしょっぱさ、箸が止まらない。
「これも、ママさん作っスか?」
 オレは何気なく尋ねた。が、返事がない。
 あれ、斉木さん?
 え、もしかしてもしかするの?
 これまさか、これ、まさか――
 オレはじっくりと卵焼きを見つめた。
 まさかこれ、オレが考える通りでいいの?
 オレはつばをごくりと飲み込んで斉木さんの返答を待った。

『……そうだよ』

 ようやく寄越された答えに、オレは満面の笑みでありがとうを伝えた。
 言い終わった途端涙がどわっと溢れて、とんでもないことになった。
『なに、おまえ……』
「え、いやいや泣いてませんから」
 突然の事に慌てる斉木さんに、オレも大慌てで手を振る。深呼吸を繰り返して必死に涙を追っ払おうとするが、ぼやける視界は中々元に戻らない。
「あーもー、ははは、ほんとすんません」
 ハンカチなんて気の利いた物、オレが持ってる訳がない。ということで手の甲でごしごしやってると、隣から紺色のそれが差し出された。
 オレはぽかんとして、数秒固まってしまった。斉木さんはあえてオレから視線をずらして、静かにハンカチを差し出している。
「……あざっす」
 おずおずと受け取り、遠慮がちに目蓋にあてる。
 あー…まいった。何がどうして泣けるのかよくわからなくてまいった。斉木さんにまいった。完敗だ。

「洗って、お返ししますね」
 ようやっと涙が引っ込んだ。オレは、恥ずかしさから斉木さんの目が見られず、自分のつま先にふらふら視線をさまよわせながら告げた。
『ああ』
 でも、優しいひと言がまたオレの涙腺を刺激してくる。もうオレはやけになって、半泣きで弁当を詰め込んだ。
 斉木さんと交換した卵焼きだけは、大事に大事に味わってじっくり噛みしめる。おかしいな、さっきよりちょっとしょっぱくなった気がした。
『明日も晴れだといいな』
「っ……そ…すね」
 卵焼きの最後の一つをかじって、オレは答えた。しょっぱいのに甘くて、不思議な味わいの卵焼き。
 美味しいなあ。
 これからもこうして、斉木さんと二人同じ味を分け合って食べていきたい。

 

 

 

 

 

 その願いは叶い、大学進学を機にオレたちは一緒に住む事になって、今は毎日、毎食、同じものを食べては今日も美味しいと笑い合う日々を送っている。
 お互い料理はそこそこの腕前だけど、それでもたまに失敗する。ちょっと塩気が効きすぎたり反対に薄味だったりする料理が、食卓に並ぶ事もあった。
 そんな時でもオレたちは笑顔だ。次は美味しく作ろうと約束して笑い合うのだ。
 一人だったら、失敗した料理を前にきっと不貞腐れたつまらない空気になっただろうけど、二人でいるから笑っていられる。
 オレが先か、斉木さんが先か。重要だけどどうでもいいタイミングで笑い合って、今日も一緒に同じものを食べられる幸せを噛みしめる。

 週に一回は卵焼きを作ってる、ただしそれはオレの回数で、斉木さんも週に一回は作るから、朝と晩が卵焼きだったり、二日続けて卵焼きだったりする事がよくあるのだ。
 でも、オレは斉木さん好みの甘いのを、斉木さんはオレ好みのしょっぱいのを作るから、二日連続でも朝晩一緒でも、美味しく食べられる。
 卵焼きが食卓に並ぶ度に、オレはあの日の晴れた屋上が鮮明に思い浮かぶ。きっとずっと、いつまでも色あせず心に残り続けると思う。

 思い返せば、進むのが嫌になった日もあった。幽霊が視えて、ただそれしか出来なくて、生きてるのも死んでるのも全部嫌いになった日もあった。
 それでも生きてれば腹が減るもので、ただ漫然と寝て起きて食べて寝てを繰り返してきた。
 そんな道がここに繋がってたなんて本当に大した驚きだ。あの頃の自分にはとても考えられない。
 でも、ノロノロ、トボトボでも、歩いてきて良かった。
 今オレは、斉木さんと一緒に歩いていってる。
 そして今日もまた一緒に、同じものを食べて笑っている。


 いただきます
 ごちそうさまでした

 

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