K&H

 

 

 

 

 

 適温になったホットプレートの上に、ホットケーキのタネをとろりと垂らす。
 ジュワ〜という音と共に丸く広がっていく光景に、オレはちょっとニコっとした。
 隣では斉木さんが、用意したお皿とフォークナイフを前に、出来上がりを今か今かと待っている。
 目はプレートに釘付けで、真剣さゆえ少しおっかなくも見えた。
 オレはプレートに隙間なくタネを落とすと、お玉に代わってヘラを構え、慎重に焼き加減を見守った。
 今日はこれからオレんちで、斉木さんとパンケーキパーティーをするのだ。


 それは先週の事。
 斉木さんと少し遠出をして、パンケーキが美味しいお店に出かけた。
 その情報はテレビから仕入れたもので、斉木さんがよく深夜に見てるスイーツ番組、あれから知ったものだそうだ。
 斉木さんは瞳を煌めかせながら、世の中にはまだまだ自分の知らない美味しいものがあふれてると語り、チラチラとオレを見てきた。
 目配せの意味はすぐに理解出来たので、オレは即座に「じゃあ行ってみましょうか」と水を向けた。
 斉木さんはその言葉待ちで、思った通りの展開にちょっと悪い顔でにやりとした後、うっとりと目を細めた。策を弄した癖にあんなに純粋に喜ばれると、五千でも一万でもポンと出したらぁと気が大きくなってしまう。
 まあ現実は、お値段を見た瞬間に我に返って青ざめるんだけどね。
 ちょっとお高めだったけど、それに見合ったお味だったようで、斉木さんは終始ご機嫌だった。
 自分のお財布ちゃんが羽のように軽くなったのはちょっぴり泣けたけど、斉木さんのあんなに嬉しそうな顔を見られたので、オレとしちゃプラスの方が大きかった。

 翌日も斉木さんはまだ半分夢の中にいるみたいだった。思い出してはうっとりと遠い目になって、また行きたいなあ、食べたいなあとため息を吐いた。
 オレだって出来る事なら何度でも連れてってあげたいけど、そうそう気軽に行けるお値段じゃないのが痛い、悲しい。
 斉木さんもそれは重々承知してるので、思い出を大事に、しかし悲しいと、何ともやるせない状況に陥っていた。
 そんな日々を送っていてある時閃いたのだ。
 そうだ、行けないならオレが作ってご馳走すればいいんだ、と。
 そうと決まれば早速行動だ。
「ねえ斉木さん、週末、うち来ませんか? ていうか来ましょ。そんで一緒に作りましょ」
 一人先走って言葉を続ける。
 これじゃ、何を作るんだかさっぱりのチンプンカンプンだ。
 でもそこは斉木さん、そこは超能力者、オレのとっ散らかった脳内から的確に思考を読み取ってくれて、計画を理解してくれて、目を輝かせてくれた。
 反応した自分が恥ずかしいのか、斉木さんはすぐさま顔を引き締め『お前の作るものかぁ』なんてつまらなそうに付け足したけど、目の輝きはキラキラのままなので思わず噴き出してしまった。
 たちまち殺意たっぷりに睨まれたけど、オレはどうにか宥めてお誘いを続けた。
「お店のには遠く及ばないかもしれませんけど、自分で作ったのは特別で美味しいっスから、ね、作りましょうよ」
『……やれやれ』
 お前が熱心に誘うから仕方なく了承してやった、って姿勢を崩さない斉木さんね、あーんもー、可愛いいったらないよー。



 という訳で、今日は二人で美味しいパンケーキ作りに挑戦する事となった。
 必要な材料は、ホットケーキミックス、卵、牛乳、ヨーグルトそしてデコレーションのバニラアイスと生クリームとイチゴ。
 二人で出し合って材料買って、オレんちでスイーツパーティー開始と洒落込む。
 オレは、先日調べたレシピを確かめながら計量し、生地を作っていった。
 その最中、オレの目を盗んで斉木さんが、こそっとデコレーションのイチゴを食べてらっしゃった。
 バレてないと思ってるのかな、斉木さん。
 オレがお見通しなの、斉木さんもお見通しのはずなんだけどな、おかしいな。

 一個は見逃したけど、二個はさすがにダメっすよ。
「こら、斉木さん!」
『なんだ。なんだ鳥束、僕が食べたって証拠でもあるのか?』
「ええー……」
 食べちゃえばわからない、食べて証拠隠滅とか、そう思ってるってこと?
 とぼけて押し通そうとはやるじゃないっスか。
 でもこっちにも秘策があるんスよ。

 キスして確かめる。
「――!」
「ほらぁ、この甘酸っぱさが何よりの証拠――いって!」
 グーで殴られたっス。
 たんこぶ出来ちゃったんじゃないかしら。オレはせっせと頭をさすった。
「いった〜……とにかく、もう食べちゃダメっスからね!」
「……っち」
「舌打ちめっスよ」
『ふん』
「ふんじゃないの、今食べちゃったら、デコレーション寂しくなっちゃうでしょ」
 そういうと、斉木さんはむすっと口を噤みそっぽを向いた。
 わかってるけど、我慢出来ずについ食べちゃったいたずらっ子…みたいな顔が、可愛いの困ったの!

 そんなこんなを経て、パンケーキが焼き上がる。
 白いお皿に、やや薄めのパンケーキが三段、四段、五段と積み重なっていく。
 間にはホイップクリームとイチゴを挟んだから、ただ積むよりずっと高さがあって、見た目もとってもゴージャスだ。
 そして上にはバニラアイス、そこにカットしたイチゴを飾って、ついにオレら特製パンケーキが出来上がる。
「はい、完成っス〜わー」
 オレもうテンション上がっちゃって、思わず拍手しちゃったよ。
 そうしたら、ちょっとせっかちに斉木さんが聞いてきた。
『もう食べていいか?』
「ええ、さ、どうぞ」
『……いただきます』
 ナイフフォークを一旦は構えた斉木さんだけど、一気に五段を切るのは無理と悟り、オレしか見てないのをいい事にサイコキネシスで切り取ると、滅多に見ない大口でスペシャルパンケーキを頬張った。
 少し心配そうだった顔がみるみる歓喜に染まっていくのを見て、オレは飛び跳ねんばかりに喜んだ。

「美味いっスか?」
『うん……ふわっとしてモチモチで、噛むのが楽しい。甘さも丁度いいし、全然嫌いじゃない』
 斉木さんはもぐもぐしながらじっとオレを見つめてきた。噛みしめてる、噛みしめてる。美味しさと幸せとを、夢中になって噛みしめてる!
 はぁーん…可愛いなあ。
 あー、レシピ吟味したりイメトレしたり、頑張った甲斐あったなあ。
 いつもは不機嫌そうに寄った眉も今は力が抜けてて、お顔全体の血色も良くなってて、何よりよく動く唇が可愛いのなんの!
 あの唇チュッチュしたいなあとか、頭ナデナデしたいなあとか、色んな事を思いながらオレは見守った。
 やがて食べ切った唇が、何か言いたげに微妙に動いた。
 そこからどんな言葉が出てくるのだろうと今か今かと待っていると、正面から抱きしめられた。
「!…」
 思ってもない行動だったからオレ固まっちゃった。
 気付いた時には離れてて、斉木さんは元通りパンケーキをモグモグしていた。
 すっかり緩んでとろけた顔で、ニコニコとパンケーキを頬張っていた。
 あれは夢だったのかなあってくらい、それくらい信じがたい出来事だった。
 でも、ちょっと息が詰まるような力強さはまだ身体に残ってる。
 夢じゃない。
 美味しいって言葉の代わりに斉木さんにハグされたの、夢じゃなかった!

 斉木さんは五段重ねパンケーキでふわふわ夢見心地、オレはオレで斉木さんからのハグに夢見心地で、最高に幸せな休日だった。

 

 


 

 

 休日、鳥束に誘われ古書店街にやってきた。
 鳥束は掘り出し物のお宝が目当てで、僕は特に興味もなかったので断ろうとしたが、もしかしたら読んだ事ない面白い単行本が発掘出来るかもしれませんよとのひと言にまんまと乗せられ、地下鉄を乗り継いではるばるやってきた。
 とはいえ鳥束の発言はまるきりの嘘という事もないし、僕もこの古書店街の事は以前から知っていて、いつか行ってみるのもいいかもしれないなと思っていたので、誘われた事自体は悪い気しなかった。
 ただ、僕の性格上素直にそれを認めるのが少々難しいので、一度は渋るそぶりを見せる事になった。
 鳥束は、なら帰りにコンビニの新作どれでも一つ、奢りますよ、そう付け加えた。
 スイーツを出せば僕が乗ると思ってるんだな。浅はかな奴だ。
 でも気分がいいので特別だ、行ってやらんこともない。
 そんな訳で、古書店街へと来た次第だ。

 探索開始に当たって、僕は別行動を申し出た。
 待ち合わせ時間を決め、各々自由にあちこちめぐる方式にしようというわけだ。
 お前はお前で、思う存分お宝本を探せばいい。
 それはいい案だと顔を輝かせた後、ややおっかない目付きになって鳥束は言ってきた。
「斉木さん、変な人に声かけられても、ホイホイついてっちゃダメっスからね」
 はぁ?
 アホかお前は、である。
『何を言い出すかと思えば……下らない』
「いやちょ、斉木さん真面目に聞いて。いいっスか、コーヒーゼリー上げるよって言われても、絶対ついてっちゃダメっスからね」
 いい加減にしろと怒るより、何か心配になってきたな。お前こそ大丈夫か?
 お前には一体何が見えてるんだ?
 てか僕そんなに頼りない?
「そんな事ないっスけど、斉木さんが心配なんスよ!」
『わかったわかった。気を付けるよ』
 重ねて言ってくる鳥束をなんとかあしらい、僕は一軒目に向けて歩き出した。

 待ち合わせの場所は、自分たちが出てきた地下鉄の出口付近。
 僕は、先程よりずっしり重くなったショルダーバッグに大満足で、鳥束を待った。
 重くなった理由はもちろん、掘り出し物があったからだ。ふふ、来て良かった、来てみるものだな。
 すれ違うのもやっとの間隔で並んだ本棚には、上から下までぎっしり古本が並べられている。その光景を見るだけでも、何故だかわくわくしてしまう。
 端から順に目で追って、気になるのがあったら手に取り開いて、思いがけない出会いを果たしたりして、古書店巡りは中々病み付きになるな。
 今日は半分くらいしか行けなかったから、また今度機会があったら来ようか。
 そうそう、ここは海外でも有名なのか、ちらほらと旅行者の姿をみかけた。
 独特の雰囲気を味わう為に訪れる者、古い漫画本を求める者、様々だ。まあ何にせよ、日本旅行を楽しんでもらえれば幸いだ。
 そんな事を思いながら待っていると、鳥束が小走りに駆け寄ってくるのが目に入った。
「お待ちどおっスっ斉木さん」
 来たか鳥束、では張り切ってコンビニスイーツを目指そうか。
「そっちは何かいいの、見つかりました? いや〜オレの方はもうあれ、ざっくざくっスよ」
 美味しい新作スイーツを食べながら、掘り出し物の文庫本を読む、ああ何と素晴らしい過ごし方だろうか。
「もー斉木さん、ちょっとはオレの話も聞いて」
 うるさい、さっさとコンビニ行くぞ。新作スイーツが僕を待っている。

 ところがだ。
 僕は今非常に困った事態に陥っていた。
 いや、別にお目当ての新作を見つけられなかった訳じゃない。
 新作スイーツはちゃんと、ほら、鳥束が掴んでいる。
 棚に最後の一つになっていたが、しっかり手に入れる事が出来た。
 新発売の赤いシールで飾られたコーヒーゼリー。カフェオレ色のクリームと砕いたナッツでおしゃれして、美しい珈琲色をより際立たせている。
 早く帰ってコイツを味わいたい僕だがしかし、困った事が一つ。
 それは、傍にいる彼女…海外からの旅行者と見られる女性もまた、僕の手にするコーヒーゼリーを欲しているからだ。
 心の声を読むと、大好きな日本のアニメで、登場キャラがコーヒーゼリーをとても美味しそうに食べるのを見て衝撃を受け、是非本場日本で本場のコーヒーゼリーを味わってみたいと思い、はるばるやってきたのだそうだ。
 ふむ…アニメキャラ…コーヒーゼリー…はて誰の事やら。
 それはそれとして。いち日本人として、コーヒーゼリーを求めてくれるのは「大変嬉しい」というのが素直な感想だ。
 嬉しいのだが、なんてことだ……
 僕が『それがいい』と鳥束に言って、鳥束が「はい了解っス」と手に取ったコーヒーゼリー、それこそ彼女が求めていたものなのだ。
 鳥束よりやや高い位置にある彼女の顔が、みるみる悲しみに染まっていく。海外の人は感情表現がより豊かだから、悲しい顔となるとそれはもうひしひしと伝わってくる。
 くっ……
 この状況では、あの表情では、たとえ言葉がなくとも伝わるというもの。
 どうやら鳥束も事情を察したようだ。
 はぁ…仕方ない。
 鳥束は筋金入りの女好き、しかも金髪美人とあっては、簡単に譲るだろう。

 そう思っていた僕は、信じられないものを目にする事になった。
 鳥束は件の女性ににっこり笑いかけると、なんと英語で話し始めたのだ。
 どうやら英語が堪能な幽霊を口寄せしたようだ。
 憑依で意思疎通できるようになると、奴め、和スイーツの素晴らしさを彼女に説き始めたではないか。
 僕はぽかんとして行方を見守った。
 彼女はすっかりご満悦で和スイーツをいくつかカゴに入れると、たどたどしくもあたたかい「アリガトウ」と共にお辞儀をして、レジへと向かっていった。


「はい斉木さん、どーぞ」
 コンビニを出たところで、コーヒーゼリーの入った袋を手渡された。
 僕はそれを受け取り、軽く肩を竦めた。
『お前の事だから、目にもとまらぬ速さで譲るかと思ったが』
「やだなもう〜。ああすれば斉木さんはもちろんの事彼女も嬉しいし、日本の印象も悪くならないし、なんだったら親切な日本人ウットリ…てな具合にオレの事も記憶に残るしで、いい事尽くめじゃないっスか!」
 ああ、そういう。
 お前らしいな、まったく。
『しかし意外だな。こりゃ明日は天変地異が起こるな』
「起こりませんよ!」

「そりゃあね、綺麗なお姉さんには何でもしたくなりますけど、オレにとっての一番は斉木さんですもん。オレ、斉木さんと生きてくって決めましたし」
 くさいセリフなのに、僕の胸は安易にときめく。

『調子いい事言ってるがお前、彼女がお辞儀した時、ちょっとガッカリしただろ』
「ええっそんな、いやあ、そんなあ」
 ごまかしても無駄だとじっと見据える。
「うう……しましたよう、お礼のキス貰えるかなーって」
 欧米式の、ギューしてチュー欲しかったなあって
「……すんません」
『帰ったら僕がしてやる』
「……え?」
『この新作コーヒーゼリーを守ってくれたお礼に、僕がしてやるって言ってるんだ』
「えぇっ!」
『なんだ、僕じゃ不満だって言うのか?』
「いやいやいや! 嬉しいですよそりゃ! 嬉しいついでにあのー……その先も期待していいっスか?」
『調子に乗るな』
「さーせん!」
 静かにデコピンの構えを取ると、たちまち鳥束は首を引っ込め飛び退った。僕は一つ鼻を鳴らし、歩き出した。
 でもまあそうだな、気分が乗ったら、その先もしてやらんこともないぞ。

 そんなに怒らなくてもいいじゃん斉木さんのケチー
 ギューしてチューしたらその先もしたくなるじゃん
 ケチケチしなくてもいいじゃないっスか
 もー、斉木さんのらんぼうものーだいすきー

 鳥束はブツブツと愚痴を垂れつつもついてくる。見えない位置で僕はこっそり笑い、歩き続けた。

 

 


 

 

 とある休日、僕は自分の部屋でダラダラのんびりと過ごしていた。
 片手には読みかけの単行本、テーブルにはいくつものお菓子、ああなんと素晴らしい休日だろうか。
 コイツさえいなけりゃな。
「斉木さん、次何食べます?」
 二人羽織かというほど背中にぴったりくっついて、その状態でテーブルに手を伸ばす鳥束。
 はぁ……やれやれ。
『とりあえずポッキー』
「りょーかいっス」
 鳥束は袋から一本取り出すと、そっと口元に向けてきた。
 そもそもこの大量のお菓子持ってきたの、鳥束だしな。
 そもそも鳥束を迎え入れたの、自分だしな。
 仕方ないか。

 休日という事でゆっくり朝寝坊して、まだどこか寝惚け眼で朝食をとり、部屋に戻って何をするでもなくぼんやり過ごす内に段々と目も覚めて、さあ休日だ、たっぷり満喫するぞというまさにその時、鳥束はやってきた。
 何種類かのコーヒーゼリーとお菓子一杯の袋がなけりゃ即座に追い返すところなのだが…「いやいや斉木さん、今日遊ぶって約束しましたよね!」…そのような事実は確認できません。
 斉木さーん…とまあいつも通りの茶番を繰り広げつつ、僕は部屋に招き入れた。

 鳥束は部屋に入った瞬間から僕の真後ろを陣取り、テレビを見るのもお菓子を食べるのもそのままで過ごした。
 背中はやたら熱いし息遣いが時々当たって鬱陶しいしで苛々した僕は、思い切り寄りかかってギブアップさせようとしたが、鳥束の後ろはベッドがあり、持ちこたえるには充分な支えだった。
 ということで僕の抵抗空しく、奴を退かす事は叶わなかった。

 しょうがないので遠慮なく背もたれとして使う。こちらの「ポッキー」とか「じゃがりこ」のひと言でお菓子が口に運ばれるのはまあまあ快適で、うるさすぎる思考も実のところそんなに嫌ってもないので、お菓子を取る時以外は僕のお腹を抱えて待機する鳥束の手にちょっと妙な心持ちになりつつも許していた。
 鳥束の思考はいつもながら忙しなく、あっち飛んだりこっち飛んだりと散らかっていた。
 下衆なこと、いかがわしいことを考えまくっては、僕の頭を痛くさせた。でも嫌じゃないんだから、僕も大概だよな。
 まあいいいや。お菓子美味しいし。
 次は何を食べようかな。

 テレビでは微妙な再現ドラマをやっている。笑えはしないが、かといってつまらなさに腹が立つまでもいかない。本当に微妙だけどギリギリ退屈はしなくて、だからついつい見入ってしまう。
 鳥束も似たり寄ったりの感想を抱き、奴はそこに「出てる女の子可愛い」だの「好み」だのを交えてぼんやり流し見していた。
 可愛いの感想の後、でも斉木さんはもっと可愛い、好みの感想の後、斉木さんはもっと好み、と付け足すのが、正直うざい。いちいち僕を引っ張るのやめてくれ。
 もっと、心を無にして見ろ。
 と思っていたら、本当に鳥束の心の声が途絶えた。
 それはそれで何か心配になってしまうな。
 どうしたと耳を澄ますと、微かな寝息が聞こえてきた。
 振り返ると、ベッドに寄りかかり気落ち良さそうに寝ていた。ぱかっと口を開けた無防備な寝顔が素直に面白かった。

 僕はしばらく寝顔を観察した後、そーっと口に手を持っていき、下唇に触ってみた。
 反応なし。
 そーっと摘まんで、上唇と下唇をくっつけてみる。
 反応なし。
 ふーん。なきゃないで、なんかこう…つまらんな。
 これならどうだと、キスしてみた。
 ちょっとむにゃむにゃ言ったが、起きる気配はない。
「……ふん」
 気持ちよさそうに寝やがって。
 思い切り睨み付けてみるが、長くは続かず、気が付くとじんわりと頬が緩んでいた。

 目の前にある綺麗に整った顔。
 瞬きなしでしばらく見続けていると、それは人体模型に変わった。
 それでも僕から愛しい気持ちが消える事はなかった。薄れなかった。
 薄れるどころか、元気よく血管を駆け巡る血潮に和んだりする始末。
 一時も休まず刻まれる鼓動とか、肺とか、胃袋とかにさえ愛着が湧くとか、鳥束とは違った意味で変態だな。
 でもこれは鳥束限定だからな。他の連中のを見たってこんな気持ちにはならない。たとえ親でも、視えるから見ているだけでそこに一切の感情はない。
 鳥束だけは特別だ。
 超能力者ならではの感覚だな。

 まあそれはそれとして。
 寝ているなら寝かせとこう。ちょっとつまらないが、この静けさもたまにはいい。
 僕は視線を正面に戻し、食べかけのお菓子に手を伸ばした。
 サラダ味のじゃがりこを一本、じゃがりこする。
 その時僕の中に、ちょっとしたいたずら心が芽生えた。

 一本のじゃがりこを手に、鳥束を振り返る。
 さっきの今だから、寝ている姿勢に変化はない。
 しいて言うなら、さっきはぱかっと大口開いていたのが、今は親指の先が入るくらいになっていること。
 ちょうどいい、と僕は思った。
 少し開いた口の中に、じゃがりこを差し込んでみた。
 反応なし。
 もう一本
 なんか楽しくなってきたな。
 どこまでやったら起きるかの実験開始だ。

 口の中央から始め、四本目を差し込んだところで鳥束の意識は覚醒した。
 ふうっと鼻から息を抜き、一瞬遅れて自分の状態を知ると、軽いパニックに見舞われた。
 状況を理解出来ず目を白黒させる様子があんまりおかしくて、僕は息も出来ないほど笑い転げた。
「はばっ!?……はにこれさいきさん!」
 鳥束はあたふたしながら口からじゃがりこを引っこ抜いた。
 まるで毒物でも見るような目でじゃがりこを睨み、それが無害なお菓子だと知るとたちまちほっと肩を落として、それから僕に抗議してきた。
「なん……なんつうイタズラするんスか! もうこら、めっ!」
『じゃがりこ食べ放題だ、くくく、よかったな鳥束』
「よくねっス! てかいつまで笑ってんスか」
『僕をこんなに笑いの渦に落とすとは、やるじゃないか鳥束』
 目の端に溜まった涙を拭う。
 鳥束も、びっくりしすぎたせいかちょっと涙目になっていた。

「まったくもー……ほんっと驚いたっスからね」
 少しきつい口調で言った後、鳥束はハッとなったように口を噤んだ。
「……もしかして斉木さん、オレが寝ちゃって、さみしかった?」
『それはない』
「ほんとに?」
 真偽のほどをはかろうと、鳥束はじーっと僕の目を見る。
『まあいいからじゃがりこ食べろ』
 サイコキネシスで口に突き刺す。
「うぶっ、これはもういいっスから」
 鳥束は丁寧に置くと、またも僕をじーっと見てきた。
 どんだけ見たってお前にはわからないよ。
 そう高をくくって、実際その通りなのだが、そんなん関係ねえとばかりに鳥束は抱きしめてきた。

『なんだおい、突然』
 すぐに押しやり、鳥束に背を向ける。
 鳥束はそれでもいいとばかりに抱きしめてくる。
 うたた寝する前の、続きだな。
「顔を見たら、ちょっと」
 抱きしめたくなったんだと。
「はー…斉木さん好きー…触れるー」
 ああそうだな。
 耳元で囁かれる安堵の声に、僕は小さく息を吐く。
『お前の身体熱いな』
「たぶん、寝起きだから……?」
 まあそんなところだろうな。さっき見た限りじゃ異変はなかったしな。
「え、いやっスか?」
『別に、そういうわけじゃない』
「じゃーこのままでいいっスね」
 はいはい、いいっスよ。

 抱きしめられたまま静かに時間が過ぎていく。熱いし重いし窮屈でだるいけど、他でもない鳥束なので許す。
 目の前には、食べかけのお菓子がいくつか。今度はポッキーに手を伸ばす。
「あ、斉木さんだけずるいっス!」
 ポッキーをポキポキしていると、鳥束が抗議してきた。
『うるさいな、お前も食べればいいだろ』
「食べますー、あそうだ斉木さん、食べさせてくれません?」
 サイコキネシスで、と、鳥束は抱き着いたままあーんと口を開けた。僕の肩の上で、何勝手なこと言ってんだコイツは。
『横着するな』
 図々しい奴めと、おでこに拳骨をくれる。
「いだっ!」
 叫び、鳥束は渋々離れて僕の隣に並んだ。そんな鳥束は放置で、僕は二本目に手を伸ばす。
「じゃあ、あーん」
 はぁ?
 自分で食べろよ。
 無視して二本目をポキポキする。
 鳥束は口を開けたまま、悲しみに染まった目で僕を見てきた。
『……っち、やれやれ』
 僕は、食べていたポッキーをチョコのない部分で折り取り鳥束の口に放り込んでやった。一本丸ごともらえると思っていた鳥束は、案の定目を丸くして僕を見てきたが、誰がお前に貴重なチョコをやるかと鼻で笑ってやる。
「これはこれで美味しいからいいっス」
 鳥束は楽しげに笑って次のポッキーを手に取った。
 目を光らせる僕に鳥束は、わかってますと目で答えた。

 チョコの部分は僕が。
 残りは鳥束が、食べる。
 そんな風に分け合って、おやつタイムを過ごす。
 こいつはさすがに不公平かと鳥束をうかがうが、楽しくやっているようなので、よしとする。

「ねえ斉木さん、ゲームでもやりましょ」
『どれだ? どれか、ちょっとは上達したか?』
「えー、ちっとだけ。でもでも、絶対退屈はさせませんから」
『そうだな、お前はある意味退屈しないよ』
「んもー、そんな顔で言わないで下さいよー」
『それで、どれやるんだ?』
「そーっスねー……」

 鳥束が選んだのは、あまり奴が得意でないもの。というか、僕相手に奴が得意なものは一つもないが、まあいい、多少は手加減してやる。
 すぐに勝負がついては面白くないし、こうして過ごすのが嫌いじゃないから、僕は少しでも長く続くよう努力するとしよう。

 

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