どうにかしたくてたまらない
昨日から、鳥束の機嫌が悪い。 顔には決して出さないが、心の声が聞こえる僕には、機嫌が悪い理由も何もかもまさに手に取るようにわかった。 奴が機嫌が悪い理由、それは僕が、海藤からあるものをもらったせい。 話は数日前に遡る。 その日、僕の家で例のごとく勉強会が行われた。 集まったメンバーは燃海藤に窪谷須とおなじみの面々。 仕方なしにわからないところを教え、早く帰ってくれと心の中で呪詛のごとく繰り返していた時の事。 海藤が言ったのだ。 「斉木って、こんなにわかりやすく教える事が出来るのに、テストだとなんでか点数、その…あれだよな」 「おお、このオレですら赤点脱出できるほど教え上手なのにな」 「ふっ、なんたってオレっちの相棒だからな、お!」 「なんでテメーが偉そうにすんだよ!」 「お? お?」 で、その翌日登校してきた海藤から、とあるものを渡された。 「貴様はもしかしたら本番に弱いのかもしれん。だが案ずる事はない、このアイテムがあれば必ず乗り越えられるぞ」 そんなセリフを吐くものだから、コテコテの中二病アイテムかと構えたが、渡されたのはごく普通の筆記用具だった。 何の変哲もない、強いて言うなら文字が書きやすそうだなという印象の普通のシャーペン。 なんにせよ受け取れんと一度は突っ返すが、言葉では盟友がどうのナンタラの証がどうのくっつけてるが、友達の助けになりたいという思いがあるだけ。 お前と友達になった覚えはないと顔をしかめたくなったが、純粋な好意を断れるほど冷血じゃない。むしろ弱い。 受け取る事にした。 海藤が続ける。ホニャララの気を込めたので、これで緊張も克服できるはずだ、とかなんとか。 それを聞き、机の引き出しで一生大事にすると僕は誓った。 というような事があったのを幽霊経由で知って、それで鳥束は昨日から不機嫌なのだ。 めんどくさいな。 奴が怒ってるのは主に自分自身にで、友達同士のやり取りにまでこんなドロドロにどす黒くなる自分が心底嫌だと、落ち込んでいるのだ。 はぁ…本当にめんどくさいな。 人間というのは複雑で面倒くさい。 だから愛しい。 コイツが愛しい。 僕をどうにかしたくてたまらなくて、けど現実にはそんな事は出来ないとわかっている、弁えている、それでも抑えられない気持ちがあるのが、自分でも嫌になっている。 そこまで思ってしまう自分を怖いと思っているし、悲しんでもいる。 それでも、僕の事を思うのが止められない。 どうしようもなく馬鹿で、愛しい。 面倒だ何だ言う僕だが、奴の感情がいつまでもこじれているのは放っておけない。 早いとこ取り除いて、解消してやりたい。まあ主に、僕の精神衛生の為にだが。苦しい思いを長引かせたくないという気持ちも、ほんの少しながらある。 昼休み、一緒に食べようとやって来た鳥束を引き連れ、オカルト部の部室に向かう。 並んで廊下を進んでいると、鳥束はいつものように無駄話を繰り広げてきた。いつもより若干早口で言葉と言葉の間が狭いのは、心の中で燻る嫌なものを抑えての事だ。 僕には全部筒抜けだってわかっているのに、無駄なあがきをするものだな、 愚かな奴、と思うと同時に、愛しいなとも思った。 いつも通り振舞おうとする鳥束に合わせ、僕もいつも通り歯に衣着せぬ態度でいた。 「ごっさんでした」 力強く手を合わせ、鳥束は頭を下げた。 僕もほぼ同時に食べ終わり、手を合わせる。 僕らは机ではなく、床に敷かれた絨毯の上でくつろいでいた。 夢原と万城乃によって、とんでもなくファンシーに整えられたオカルト部。いくつも置かれたクッションやカーテン、ソファーに至るまでカラフルでポップでフリフリで、とにかくどこもかしこも色鮮やかに飾り立てられていた。 僕らが座っている絨毯も例外ではない。 よくまあここまで揃えたものだと感心してしまうほどだ。 ちょっと目に優しくない、少々居心地の悪い室内だが、慣れてしまえば中々くつろげる。この絨毯がまた悪くない。椅子に座るのもいいが、足を投げ出してゆっくり出来るというのが好ましい。 だから、僕は。 「え、ちょ……!」 あぐらで座る鳥束の足に遠慮なく頭を乗せ、横になった。うん、ちょっと高いが、悪くない。快適だ。 「ちょっと斉木さーん、なんスかこれ、生殺しっス〜」 『昼休みが終わるまで手を出すの我慢出来たら、夜はお前の好きにさせてやる』 「えっ!……ごくり」 『だからそれまで大人しく枕になってろ』 「うっわ〜…斉木さんてば、エッチー」 『どうやら今すぐ死にたいようだな』 「うそうそうそうそ!」 『ふん』 しばらくは大人しくしていた鳥束だが、やっぱり我慢出来なくなりおねだりし始めた。 「んねえー斉木さん、せめてキスだけでも、キス、だけでも!」 『そこから出来るんなら、してもいいぞ。そら、屈んでキスしてみろ』 「へ? いや、出来る人いんの? どんだけ柔らかい?」 言いながら、鳥束は頑張ってうんうん唸った。 がしかし。 「痛い痛いムリ、背骨折れちゃうって!」 『ほら、あとちょっとじゃないか。頑張れ鳥束』 必死の形相を笑う。 「面白がってぇ〜グギギ……うっうっ…うぅっグス」 いくら頑張ってもこればっかりは無理なようで、とうとう鳥束はべそをかきはじめた。 しかも嘘泣きとか泣き真似とかではなく、本気で悲しんでいる。心の中も悲しみで一杯だ。 おいおいこんな事で泣くなよお前。どんだけキスしたいんだよ。 「さ、斉木さんは…ぐぐ…したくないんスか?」 屈めないならせめて口だけでもと、鳥束はうーうー呻きながら唇を尖らせた。 そのまま百年も頑張れば、一センチくらいは伸びるんじゃないかなあ。 なんて気楽に眺めていたが、さすがに少し可哀想に思えてきたかな。 「はぁ…はぁ……ムリか――あ!」 なので、自分から顔を上げキスしにいく。 『おまけな』 鳥束は両手でさっと口元を覆うと、真っ赤になって囁いた。 「……斉木さん、好き」 おぇ、乙女モードきめぇ キモ可愛い…くはないな。 鳥束は元の姿勢に戻ると、ニコニコと上機嫌で見つめてきた。 心の中もすっかり薔薇色で、色とりどりの花が咲き乱れる平原の中を嬉しさ一杯で飛び回っている。 やれやれ、まったく。 『少しは機嫌、治ったか?』 「えっ……!」 尋ねると、それまでの笑顔から一転、目付きを強張らせて息を止めた後、がっくりと肩を落とした。 「そりゃ……斉木さんに隠し事は出来ませんけども」 『そうだな』 「でもぉ、あんまりカッコ悪いとこは見られたくないっスよ」 『安心しろ、見慣れてるから今更どうとも思わん』 「それでもおっ!」 『だからな、見慣れてるしどうとも思わないし、心変わりもしないって言ってるんだよ』 「うんっ……うん、でもぉ」 オレだってカッコつけたい時があるんですと、心の中で鳥束は呟いた。 やれやれ、往生際が悪いな。 「斉木さん……オレの事好きっスか?」 『こんだけしといて好きじゃなかったら、僕相当ひどい奴だな』 「はっ……すんません!」 慌てて頭を下げてきた。 「斉木さんはいい人です。優しくて、思いやりがあって、時々ひどいけど――」 『なんだと』 「ひぃっ…だからそういう……」 鳥束は震え上がると、か細い声で訴えてきた。 僕は寝転がったまま手を伸ばし、鳥束の頬に触れた。 『僕だってな、お前をどうにかしたくてたまらない時がある』 「ほんと……?」 『日々戦ってるぞ。僕なら一瞬だからな』 触れた手で、頬をさすったりつまんだり遊ぶ。 鳥束はくすぐったそうに笑って、されるがままになっていた。 そう、僕なら秒で実現出来る。 でもそれ、もう鳥束じゃないんだよな。そうなったら僕の知る鳥束零太じゃなくなってる。 僕は起き上がり、身体ごと鳥束を振り返った。 『何でも思いのままの僕にも出来ない事があるのが、新鮮で楽しい』 「たのしい……うーん、斉木さんは、そうやって余裕かもしれないっスけど……」 『じゃあお前も楽しめ』 「くうぅ」 『出来るようになるまで付き合ってやるから』 「え!……え?」 『出来るようになったら、今度はいつまで続くか見届けてやる』 「あー…え?……えと、それって、ずっといてくれる、ていう……?」 『なんだ、それじゃ足りないっていうのか? え?』 「いやいや、いやいや!」 大慌ての否定と共にぎゅうっと抱きしめられた。 「ねー斉木さん、今日帰り、斉木さんち寄ってもいいっスか? オレも斉木さんと一緒に勉強したい!」 『どっちの意味の「勉強」だ?』 「やだなぁ、ちゃんと学校のですよぉ。んもう斉木さんのエッチ」 『ほう……いい度胸だな』 「わーごめんなさいごめんなさい!」 『はぁ…普段ろくに教科書もノートも持ち帰ってない癖に』 「今日はちゃんと持って帰ります、てか今日から生まれ変わります!」 『口では何とでも言えるよな』 「斉木さーん、どうか、コーヒーゼリー三個でどうかひとつ!」 『わかったわかった』 「ん−、斉木さん好きっ!」 鳥束は身体を離すと、タコ口でキスを迫ってきた。さすがにそれはないと顎をぐいぐい押しやる。負けじと迫る鳥束。 そんな攻防を繰り広げていると、昼休みの終了を告げるチャイムが聞こえてきた。 『そら、もうおしまいだ』 「んむー!」 鳥束は、せめてチャイムが鳴り終わるまでと悪あがきをする。 だからその顔が嫌なんだって。 僕も抵抗を続ける。 どうにかしてキスしたい鳥束。 どうにかして阻止したい僕。 それで、それで。 根負けした僕が大人しくキスを受ける事になる。 本当に、嫌々の渋々だったけど、気分は妙にせいせいしていた。 「じゃあ斉木さん、あとで――あ、夜は期待してて下さいね、ぐふっ」 『はぁ? お前から出来なかったんだからナシだ』 「またそんなー。ね、ちゃんと一杯可愛がってあげますから」 『……わかったわかった』 「うふ、斉木さん大好きっス」 鳥束は投げキッスを寄越すと、小走りに部室を出ていった。 僕はやれやれとため息を吐き、笑いたくなる顔をなんとか引き締めて部室を後にした。 |