このくらい

 

 

 

 

 

「お待たせー斉木さん、はいジュースとコーヒーゼリーっスよ……あぁっ!」
 ガラリと部屋の戸を開けて入ってきた鳥束が、僕の手にするあるものを見て目をひん剥いた。
「それっ…オレの…オレのスマホ!?」
 そう、奴のスマホを僕が操作していたからだ。
 鳥束は持ってきたトレイを大急ぎでテーブルに置くと、自身の尻ポケットを探った。
 もちろんそこにはない。さっきお前が部屋から出る時、サイコキネシスでそっと抜き取っておいたからな。
「ちょっともー…いつの間に?」
『お前の履歴、想像通りで面白いな』
「こらー、人の勝手に見るの、よくねっスよ」
 と言いつつ、奪い返さないのだから面白い。
 僕に隠し事は出来ないし、そもそもする気もないのだ。
 とはいえ、あまりマジマジと見られるのはやはり恥ずかしいようで、そろりと伸びてきた手が、遠慮がちに取り返そうとしてくる。
『待つ間の暇つぶしにと思って』
 何か特定の事を暴きたい、疑わしく思った末の、というわけではなく、単純にからかってのことなので、僕はさらっと目を滑らせ素直に返した。

「なんか面白いの、ありました?」
 僕が見ていた履歴をそのまま見続け、鳥束が尋ねる。
『相変わらず煩悩まみれだな』
「うっ……しょしょしょうがないっしょ、てかそれがフツーなんです、これがふつうなの〜」
 鳥束は憎たらしい顔で唇を尖らせ、さも僕がおかしいように言ってきた。
 ちょっと気にくわなかったので、僕はデコピンの構えを鳥束の眉間に近付けた。
「わータンマタンマ!」
 慌てて飛び退き、必死に額を守る鳥束。
 その際弾みでスマホを放り投げたので、キャッチして再び履歴を覗く。

『これ、ここ』
「なんです?」
 鳥束に見えるよう角度を変える。
 面白いというか、興味を引かれたというか。
 僕は、連続で調べたのであろうとある一部を指差した。
 それはよーつぼの動画の閲覧履歴で、僕の気を引くのだから当然それらは「スイーツ」に関するものである。
 どうやら同じ作成者によるものらしく、タイトルに一貫性が見られた。
 簡単・手軽、という言葉に続いて、プリン、ミルクレープ、ドーナツ…といった単語があった。
「ああこれ、はいはいはい!」
 鳥束は朗らかな声をあげた。
「家で簡単に出来るおやつをね、探していてね、ここにたどり着いたんスよ……って、なんでしょ、オレの顔何かついてます?」
『いや別に。家で作るという事は、バウムクーヘンもか』
「ええ、そうなんスよええ、すごいんスよ、家で出来ちゃうの!」
 自分も見てびっくりしましたと興奮気味の声を出しながら、鳥束は動画を再生させた。

 動画は一分ほどで終わった。
 内容の大半は早送りで飛び飛びだが、冒頭にしっかり材料を表示し、所要時間も明記されていた。
 作る際の注意点、たとえば「弱火で」とか「ツノが立つまで混ぜる」とかも教えてくれた。
 どんな状態がそうなのか、早送り解除で丁寧に見せているのでとてもわかりやすい。これなら、初心者でも悩まずお菓子作りが出来るだろう。
 動画を見終わった後、僕はじっと鳥束を見つめた。
「……はぁ、んもうしょうがないっスねえ」
 ため息交じりによっこらせと立ち上がる鳥束。しょうがないと言いながら、どことなく嬉しそうな顔をしている。
 僕も嬉しい。何を訴えているかちゃんと読み取れるなんて、さすが僕の鳥束だ。

 足りない材料を買う為、一緒にスーパーに出かける。
 その道中、僕の目が奴に行きがちになる。
 僕より十センチ高い。
 だから、顔を見る時は必然的に見上げる形になる。
 とはいえあまり見る事はないのだが。
 なんせ僕の目は何でも透かしてしまう、十秒もしないで人体模型になってしまうからだ。やがてそれは骨に変わる。
 動く骨の世界で生きているようなもので、僕はそのどれにも興味を抱く事なんてついぞなかった。

 それがだ。
 コイツの出現で、僕は見分ける目を持ってしまった。育てた、鍛えたというべきか。自然とそうなってしまったし、意図してやったとも言える。
 コイツと他の人間と、どこがどう違っていてだからどうだ、なんてことを考えるようになった。
 こんな時はこんな風に動く癖があるとか、こうする時はこんな事を考えているとか、色々結び付けて考えるようになったその末に、自分の中に、コイツを確立してしまった。
 それまでみな等しく動く人体模型、動く骨でしかなかったのに、鳥束零太という人間を特別な場所に置くようになった。

 そう、特別だ。
 僕にとってコイツは特別。
 そういう存在になった。

 

 

 

「動画じゃ簡単そうに作ってましたけど、オレ作るの初めてなんでね、もしも怪しそうだったら斉木さん何とかしてくださいね」
 薄く油を引いた玉子焼き器を弱火であたためながら、鳥束は肩越しに振り返った。
 僕は一歩後ろに立ち、肩越しにこちらを見やる顔を見上げた。
『わかった。もしも失敗した時は指一本で勘弁してやる』
「ちょっとー、なんでそんな物騒なのー?」
『冗談だ。さっさとやれ』
「へいへい」
『お前は、腐った性根の割にきちんと料理出来るんだし、心配ないだろ』
「そりゃどうもー…って、ひと言多いっスよ!」
 笑いながら怒る鳥束。そういう時は顔面の筋肉はこんな風に動くのかと、僕はよくよく注目する。

 これまではそんなものただの現象に過ぎなくて、ただただ流し見するだけだったが、今は明らかに違う。
 コイツの顔面の筋肉が動く時、それが怒ったものでも笑ったものでも、等しく僕に幸せをもたらした。
 僕に向かって何か働きかけをするコイツの全てが、僕には幸せに感じる。
 他の誰も見た事ないものが見える、見せてくれるのだ。これを幸せ以外の何と言おうか。

「なに笑ってんスか、ちょっと、オレ怒ってんスからね」
『ふうん』
「ふうんじゃねっスよ」
 ふうんだよ。
 お前が怒ったって、何も怖くないからな。
 それは僕が超能力者だから、とかではなく、お前が本当は僕を好いていてくれるのがわかっているからだ。
 どんなに怒ろうがその根っこは僕を好きで、それは絶対に揺らがないから、何も怖くない。
 だから僕は安心してお前を見上げ、悪態ついて、そんな僕にプリプリしながらも許すお前に笑う。

「はーまったく…斉木さんてば、どんだけオレが好きなんスか」
 僕がそんな事をする動機がわかってるから、お前は笑って許す。
 非常に癪に障るが、それこそが僕にとって最も幸福を感じる瞬間だ。

 四角いフライパンの上で転がされるバウムクーヘンが、どんどん大きくなっていく。
 筒を芯に、玉子焼きの要領で作られていくバウムクーヘン。
『今のところは順調だな』
「ええ、思ってたよりは、難しくないっス」
 段々と、確実に大きくなっていくバウムクーヘンに、鳥束は楽しげな声を上げた。
『いい匂いだな。早く食べたい』
「オレもっス。あとちょっとですから、待って下さいね」
 待ちきれないじれったさをなんとか抑え、僕はバウムクーヘンを見つめた。
 と、頬に視線を感じ顔を上げる。
 目が合うのを待っていた鳥束が、微笑みながら顔を近付けてきた。
 重なった唇は思いの外熱くて、心地良くて、それはお互いそう思っていたから、僕らは中々離れられなかった。

 そのせいでバウムクーヘンは一部だけよく火が通った。
 どんだけお互い相手が好きかの証明のような、黒い一本の筋をつけたバウムクーヘンを、二人で笑いながら食べる。
「うっま! わー嬉しいっ!」
『うむ、全然嫌いじゃない』
「あー良かった、指持ってかれなくて済んだ」
『残念だな』
「もー、ほのぼの顔で殺伐な事言うのナシっスよ」
『ふふん』
 ここ最近で一番の、最高のおやつタイムとなったのは言うまでもない。

 

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