次から次へ

 

 

 

 

 

「わー、いい部屋っスね」
 先に立って室内に入った鳥束が、そう感想を述べながらぐるりと見回した。
 一歩遅れて踏み込んだ僕は、そうだなと賛同しドアを閉めた。
 ツイン、素泊まり一人3500円の部屋。正直室内は狭く、窓に頭を向けて並ぶ二台分のベッドの幅しかない。
 が、控えめながら小洒落た壁紙が雰囲気を明るくし、そこに掛けられた小振りの額縁もセンスが良く、とても落ち着ける空間になっていた。
 部屋に見合った大きさのテレビはもちろん、冷蔵庫もあり、バスルームは清潔でアメニティもひと通り揃っており申し分なしだ。
 ベッドとテレビ台の間には丸テーブルと椅子が二脚あって、くつろぎのスペースとなっていた。僕はその片方に腰かけ、ほっと一息ついた。
 日本でも有名な観光地の中にあるホテルとしては料金も手ごろだし、寝泊り出来ればそれで充分なので、むしろ上々の部類に入る。
 そもそも、僕らは泊まる予定ではなかった。とある事情で急遽宿泊が決定し、急いで駅近辺の宿泊施設を当たった。
 最悪、一万越えも覚悟していたから、それがこの値段で済んだのだから御の字だ。


 僕たちは今、上野駅から新幹線で一時間ほどの某県某駅に来ている。
 何故かというと、いや言うまでもないがコーヒーゼリーを求めてだ。
 それ以外なんの理由があるだろうか。
 この地に、日本でも有名なコーヒーゼリーがあるというので、往復二時間の距離を乗り越えはるばるやって来たのだ。

 たどり着いたカフェは想像よりも小ぢんまりとしていたが、歴史を感じさせ、どこか落ち着く雰囲気に包まれていた。
 注文する事しばし。運ばれてきたコーヒーゼリーにじっくり見入り、それからスプーンを構えた。
 ひと口ずつ丁寧に味わっていると、鳥束が、辺りを浮遊する幽霊と戯れ始めた。
 どうやら僕のことを話しているようだった。
 そんなに美味しそうにコーヒーゼリー食べる人、初めて見たかも。そう面白がっているのが、鳥束を介してわかった。
「そうなんスよ、この人、コーヒーゼリーに目がないから」
 僕を見つめながら幽霊に説明する鳥束。
 気分を害する、とまではいかないが、少々複雑な心境で僕はコーヒーゼリーを食べ続けた。
「多分、いや間違いなく、世界一コーヒーゼリーを愛してると言っても、過言じゃないっスね。え?…でしょ、そういうお顔、してるでしょ」
 僕から見れば…いや誰が見てもそうだろうが、鳥束が一人で喋って一人で頷いているだけだが、恐らく幽霊と一緒に頷き合っているのだろう。本当に複雑だ。

 もういい、コーヒーゼリーに集中しよう。そう思った矢先、鳥束はどこか興奮した様子で話しかけてきた。
 どうやら、幽霊から耳寄りな情報もらったらしい。
 無視しようかどうしようか、悩ましいところだ。
「コーヒーゼリーに関する事っス」
 なに、それは聞き捨てならないな。
『詳しく説明しろ』
「はい、あの、幽霊が言うにはですね…「そんなにコーヒーゼリー好きなら、駅からちょっと行った路地にある喫茶店の、モーニングのコーヒーゼリーもおすすめだよ」…だそうです」
『なんだと』
 モーニングの…コーヒーゼリー。
「コーヒーゼリーの品質は間違いないそうです、結構評判高いって、幽霊が言ってます。これ確かっスよ。その高品質のコーヒーゼリーが、モーニングの間は食べ放題だそうなんですって」
 コーヒーゼリーが、食べ放題……

 幽霊の案内で、僕たちは件の喫茶店までやってきた。
 細い一方通行の路地の半ばに、その店はあった。看板は出ているし見た目もいかにも喫茶店といった風だが、表通りから入って結構歩くし、周りは住宅ばかりだ。さすがの僕でも、彼に教えられなければ存在を知る事はなかっただろう。
 僕は屈んで、ショーケースに陳列されているサンプルを覗く。あった、モーニングセット。これだな。
 パンは、定番の分厚いトーストかクロワッサンかを選べるようになっていて、サラダ、コーヒー、卵料理とよくあるモーニングセットだが、この喫茶店のすごいところは、モーニングを注文した客はパンおかわり自由で、更に、パンケーキやコーヒーゼリーといったデザート類が食べ放題になっているのだ。
 僕は食い入るように見つめ続けた。本当だ、書いてある、食べ放題と間違いなく書いてある。
 その横で鳥束が、幽霊に向かって礼を言う。
「ありがとー、ほんと助かったよ」
「いえいえどういたしまして」
「親切なやつで助かりましたね、斉木さん」
 僕はそこでようやく顔を上げた。本当にありがとう、名も知らぬ幽霊。鳥束をサイコメトリーして、丁寧に礼を言う。
『お前とは大違いだな』
「もー、すぐそうやっていじめるんだからー」
「ははは、仲良いね君たち」
「んっふふ、オレの自慢の恋人っス」
『余計な事を言うんじゃない』
「あでで、つねるの禁止、禁止!」
 静かな路地に考慮してか、鳥束は控えめに騒いだ。しかしやはりうるさいものはうるさいので、僕は不満に思いつつも手を引っ込めた。
 今一度幽霊に礼を言い、僕はショーケースに向き直った。

「さてどうしましょ斉木さん」
『さてどうするか』
 さて、モーニング。
 モーニングという事は朝の内だけという事だ。
 そして現在の時刻は昼をばっちり過ぎている。モーニングセットを頼むには手遅れにも程がある。
 ならこうするしかない。
『泊まろう』
「そっスね。それが一番手っ取り早いですし」
 鳥束はすぐにスマホを取り出し、空いている宿泊施設を探し始めた。

 そういった次第で、僕たちは今ホテルにいる。

 せっかく無料サービスだしと、僕はポットのお湯を沸かし、二人分のお茶を用意した。
 鳥束はというと、部屋の隅で声を潜め下宿先に泊まる旨を連絡している。
 聞こえてしまうが、聞かないのがマナー。僕は出来るだけ別の事を考え、気を逸らし、いれたてのお茶を啜った。
 そうしていると鳥束が戻ってきた。どことなく浮かない顔をしている。
 突然の事で怒られたかとさすがに済まなく思うと、怒られませんでした、その代わり、斉木君や周りの人の迷惑にならんように、斉木君にくれぐれもよろしく言ってくれ、って、オレ全然信用ないー、と嘆きを放った。
 なるほど、だから複雑な顔をしていたのか。
『日ごろの行いだろ。他でもない和尚さんの頼みだからな、お前の事、しっかり監視するからな』
「もー斉木さん、楽しんじゃってー」
 ふん、ばれたか。

「それより斉木さんこそ、大丈夫でしたか?」
『ああ、こっちは問題ない。こっちも、お前によろしく、あとお土産よろしく、だと』
「ははは、明日駅で何か見てきましょう」
『っち、面倒だな』
「こらこらー、舌打ちめっすよ」
『いいからお茶でも啜ってろ』
「あ、いただきます」
 鳥束は素直に湯飲みに手を伸ばした。

 テレビもつけない室内は、驚くほどしんと静まり返っていた。お互いの心音すら聞き取れそうなほどだ。
 けれど鳥束の脳内は色々とアレで、一見日本茶に和んでいるようでその実、アレだった。びっくりするほど通常運転だ。
 その一方で、夕飯はどうしようか着替えはどうしようか、明日の朝食は喫茶店のモーニングだから心配ないけど、今日の夕飯はどうしよう、コンビニ弁当にすべきかはたまたマックか、一番安く済むのはどれだろうと、真剣に考えていた。
 アレな部分はアレでアレだが、ちゃんと考えているのは鳥束にしちゃ偉い。
「……ねえ、今なんか失礼な事考えてません?」
『気のせいだろ』
 鋭いなコイツ。伊達に僕と長く付き合っちゃいないな。
 それはそれとして。
 多少余裕をもって財布に入れてきたけども、出来れば余計な出費は控えたい。
 うーん、米の飯か、ハンバーガーか…どっちもどっちだよな。
 だが僕の性格上、コンビニに行ったらコンビニスイーツに目がいってしまい、歯止めが効かなくなるのは火を見るより明らか。あ、鳥束に頼んで買ってきてもらえばいいか。じゃあクリアだな。
 そして振り出しか。
 こうなったら鳥束に決めてもらおう。僕はどちらでも構わないからな。
 その旨尋ねると、鳥束の答えは「オレもどっちでもいっスよ、斉木さんはどうします?」だった。
 らちが明かないな。僕は一つため息をつくと、備え付けの電話機の横にあるメモ帳に一枚ずつ目的地を書き、四つ折りにすると、鳥束の前に並べた。
『これで決めるか。選べ』
「えーと、了解っス。右かー。左かー」
 三回ほど手を行ったり来たりさせた後、鳥束は右手にある方を選んだ。

 というわけで、僕らはマックを目指した。
「近くにあって良かったっスねー」
 ああ、僕もホッとしている。
 何とも間抜けな話だが、マックもコンビニもどこにでもあるだろうと決めてかかって、場所を全く確認していなかったのだ。
 本当に、近くにあってよかった。ありがとうドナルド。

 道中、いくつも飲食店を通り過ぎた。イタリア料理、スペイン料理、フランス料理、本格派フレンチ、独創的フレンチ、イタリアン、フレンチ。
 どこも美味そうで、洒落ていて、そしてお高級。
「すっげー、さすが有名な観光地っスね」
『そうだな』
 ディナー時とあってどこも大盛況だ。
 賑わいと、メニューのサンプルとが、僕らの胃袋を刺激してたまらなかった。
 そういった店をいくつも横目に通り過ぎ、見慣れた黄色い看板の気楽なファストフードで僕らはハンバーガーをかじる。
 店構えは周りに合わせてシックに作られていたが、内装は全国どこも変わらないのがホッとする。
 家の近所で、鳥束と顔を突き合わせているかのようだ。
「どしました斉木さん、照り焼きチキンの気分じゃなかったスか?」
 ハンバーガーを持ったまま考えに耽っていたせいで、鳥束がそう声をかけてきた。
『ああ、いやそうじゃない。ただ』
 僕は素直に感想を伝え、妙な心持ちだと説明した。
「あ、それなんかわかる気がします。なんか不思議な感じっスよね。ここまで来てマックとか。でもこういうのも楽しいっスね」
 ビッグマックを頬張りながら、鳥束は笑った。
 僕は今度こそ照り焼きチキンにかぶりつき、同意見だと小さく頷いた。

 ホテルに戻った僕らは交代でシャワーを浴びた。僕が先、鳥束が後だ。
 鳥束は寸前まで、三度も四度もしつこく「一緒に入りません?」と絡んできた。
 だから僕は『入らない』『うるさい』『死ね』『早く逝け』とやんわり断り、何故か涙目になった鳥束を置いて洗面所に入った。
 下着の替えはないが復元で間に合わせた。鳥束にも、後で同様にしてやるか。
 復元するならいっそ身体ごと…と一瞬迷ったが、やっぱり洗い流すのでないと気分が違う。僕は豪快に頭から湯を浴び、全身を洗った。
 うん、やはりさっぱり感が違う。僕はいい気分で洗面所を出た。
『お先に。じゃあ行ってこい』
「はい、じゃ斉木さん、あとで」
 すれ違う鳥束にひらりと手を振る。

 その晩は中々寝付けなかった。身体はすっかり疲れ切っているというのに。
 疲れの原因は隣にいる奴…と僕自身。
 本来なら今日の予定は日帰りで、駅前で適当な店に入りお疲れ様を言い合って、解散する筈だった。
 それがこうして泊りになった事で、お互い妙に興奮してしまい、どちらからともなく求めて身体を重ね、たら一気に燃え上がって、へとへとになるまでやっちまった。という訳だ。
 だからどちらが悪いとか責めるとかないのだが、流されやすいというかすぐ悪乗りしてしまうとか色々思うところがあって複雑だ。
 いつもなら、そうやってぐずぐず考えても結局あっさり眠りに引き込まれるのだが、今日はそれが来る兆しはない。

 昨夜もそうだったと、僕はベッドの中で思い返した。
 眠りたいのに眠れなかった原因は、わかっている。
 コーヒーゼリーの味を期待するあまり、ワクワクするあまり、目が冴えて眠れなかったのだ。
 僕を寝不足にするほどのコーヒーゼリーのお味は、期待通りいやそれ以上に僕を感動させた。
 遠くても、金をかけても、来た甲斐があった。そう思わせてくれた。
 この上ない幸せな時間に見も心も委ね、浸った。
 そんな幸せの絶頂の中、思いがけずもう一つ知らないコーヒーゼリーの味に出会えるとなって、またワクワクしてしまって、とてもじゃないが眠れそうにないのだ。

 いや駄目だ、二日連続寝不足ではきちんとコーヒーゼリーを味わえない。本当の味を確かめられない。
 眠らねば、眠らねば。
 思っても思っても、眠りの波は来てくれない。
 隣では、鳥束がぐーすか気持ちよさそうに寝息を立てている。
 憎たらしい奴だと、視線の先の寝顔を睨む。
 そうする内、僕はいつの間にか眠りに落ちていた。

 一度寝入ってしまえば、朝までぐっすり眠る事が出来た。
 お陰で目覚めは良好だ。ああよかった、これなら、しっかりモーニングのコーヒーゼリーを満喫する事が出来るぞ。
 一人静かに噛みしめていると、鳥束も同じくらいに目を覚ました。
 目を開けて一瞬ポカンとしたのは、自分がどこにいるかすぐに理解出来なかったせいだ。
 一拍置いて理解し、安心したと大きく伸びをした後、僕に向けて笑顔を見せた。
 おはようと、ふにゃふにゃの顔で鳥束は言ってきた。
 心の中は喜びでいっぱいになっており、あまりの賑やかさについ笑ってしまう程だった。
 すると鳥束はもっと笑って、ベッドに寝転んだまま僕に手を伸ばしてきた。
 しょうがない奴だと、動物を宥める心持ちで僕も手を伸ばす。
 寝起きの少し高い体温、たったそれしきに、どきりとしてしまう。
 鳥束も似たような感想を心の中に生じていて、それがなんだかムカつく。
 そしてそれがどうでもよくなるくらい気持ちが和らぐ。コイツと触れあうといつもそうなるんだ。昨日歯止めが効かなかったのもそのせいだ。
「おはよっすさいきさん……今日もよろしく」
 あくび混じりの挨拶にやれやれとため息をつき、こちらこそと返す。繋いだ手は少し熱くて、とても優しかった。


 昨日幽霊に案内された喫茶店に、再び赴く。
 僕は逸る気持ちが抑えられず、店内を透視した。間違いなく一角に食べ放題のコーナーがある。分厚い食パン、イギリスパン、クロワッサンなどが並び、デザートのパンケーキそして…コーヒーゼリー!
 やや前のめり気味に店内に足を踏み入れた。
 温かみが感じられる照明に照らされた白い壁は、ほんのりオレンジに染まっている、間隔を空けてかけられた小さな額縁の数々も良いアクセントとなって店内を彩っていた。
 こういう昔ながらの喫茶店は、どうしてこうも気持ちが落ち着くのだろう。本当にいい気分だ。
 ――いらっしゃいませ、こちらへどうぞ
 静かな声に迎えられ、僕たちは店の奥まった席に腰を落ち着けた。
 早い時間ながらも店内はぽつぽつ席が埋まっていて、みな思い思いに時間を味わっていた。
 僕もその一人に加わるべく、モーニングセットを注文する。

 鳥束曰く、幽霊情報はかなり信頼度が高い。それは、僕も身をもって知っている。これまでに何度か助けられているから、僕も全幅の信頼を置いている。
 そして、ついに、待ちかねたモーニングセットが運ばれてきた。
 僕はトーストを選んだ。厚切りのパンは絶妙な焼き色をしていて、バターにもジャムにもきっと合う事だろう。
 鳥束はクロワッサンの方。ふむ、そっちはそっちで美味そうだがまあいい。
 サラダのグリーンに沿えらえたプチトマトが目に鮮やかだ。
 ハムエッグの黄身は奇しくも僕好みの焼き加減で、ちょっと嬉しくなってしまう。
 コーヒーの香りがまた、深みがあって素晴らしい。店長のこだわりが感じられるようだ。
 そして本命のコーヒーゼリー。おお、確かに素晴らしい出来だな。僕ほどになると、見ただけでその質がわかるというものだ。
 これが今の時間食べ放題で味わえるなんて、言葉も出ない。
 パンケーキも負けず劣らず素敵なたたずまいだ。
 丸く、薄く、平たいパンケーキ、それが二枚。ブルーベリーソースが端に控えめにかけられ、クリームの白が上に乗る。そこにちょこんとミントがのっていて、たまらない。
 僕は瞬きも忘れて見入った。
『……いただきます』
 ドキドキ高鳴る胸を押さえて、まずはひと口コーヒーゼリーをスプーンにすくう。

 うん……うん、全然嫌いじゃないぞ、この味。

 でもなあ。
 ちらりと目を上げたタイミングで、鳥束が声をかけてきた。
「美味いっスか斉木さん」
『……ああ』
 コイツが一緒じゃなきゃもっといいのに。
 なにせコイツ、僕の一挙手一投足にいちいち大騒ぎして、一つの事象に三つも四つも称賛重ねて、騒々しいことこの上ない。
 モーニングセットが僕の前に置かれた瞬間からうるさいんだ。
 まあ、僕もかなり表情うるさくしてしまっているだろうけど、それにしてもコイツの心の声に溺れそうになる。
 せっかくのスイーツタイムが、とんだ記憶で埋まってしまいそうだ。
 こんな思い出、刻みたくない。脳に一ミリだって残したくない。こんなの、こんなの――!
 だってそうだろ、考えてもみろ。この時間を思い出す時、僕の脳裏に過るのは、美味しかったコーヒーゼリーよりもコイツが騒いでいた事になる。
 何て悲惨な記憶だろうか、あんまりじゃないか。泣けて仕方ない。

 あとから、あぁあの店のコーヒーゼリー最高だったな、また食べたいなって恋しく思う時、コイツの騒がしい心の声も一緒とかたまったもんじゃない。
 これじゃ、コーヒーゼリーを思い出してるのか鳥束を思い出してるのかわからないじゃないか。
 やっぱり連れてくるんじゃなかった。
 でも僕は何故か、アイツの「お供するっス」という言葉を受け入れ同行を許した。


 ――斉木さーん、今度はどこへ行きましょうかね
 そう言って鳥束が、雑誌片手に僕の隣に座る。
 一緒に雑誌を覗き込んで、どこがいいここがいいとやり取りする時間が、僕は嫌いじゃない。
 今度出会うコーヒーゼリーはどんなものだろうと思いを馳せ、味を想像する時間が好きだ。
 今度はどんな斉木さんに会えるかな…思い浮かべる鳥束の心の声を聞くのが、好きだ。
 嬉しそうに僕を見守ってくれるコイツの眼差しが好きだ。
 だから僕は「行ってくる」ではなく、コイツの「お供するっス」を受け入れたんだ。
 コイツならそう言ってくれると知ってるから、あえて邪険にして、それから受け入れるのだ。


「ねー斉木さん、満足?」
『……お前がいなきゃ、百点満点なんだがな』
「なんすかもー、オレがいたから、このモーニングに出会えたんスからね。オレ連れてきて良かったでしょー」
『お前の手柄じゃない。お前に情報提供してくれた幽霊のお手柄だ。感謝しきれない』
「ねー斉木さん、オレにもー」
『ふん』

 確かに、お前がいなかったら僕はこの素晴らしい味に出会えなかった。
 気付く事なく通り過ぎて、一つ分損したまま家に帰っていたところだ。
 ただの日帰りだったはずの一日が、泊りがけの二日に変わって、思ってもなかった感動と出会えた。
 その分お前の声も増えて災難だけれど、それ以上に喜びが大きい。
 すべてはお前がいてくれたから。
 お前の声も、喜びの内だ。
 でも、いや…うん、感謝している。
 お前のお陰だよ。

 だから僕は、コイツと出かけるのがやめられない。
 次はどんなコーヒーゼリーが待ってるだろう。
 どんな声に出会えるだろう。
 想像するだけで、甘いような熱いような、不思議な心持ちになる。

 実に悔しい事だが、その記憶を積み重ね、思い返しては溺れるのが好きなんだ。
 静かな暮らしが好きな癖に、うるさい声に埋もれて溺れるのが好きだなんて、笑ってしまう。
 でも、コイツを連れて行くと今回みたいな出会いがある。いなかったら出会いはなかった。それが事実だ。

 僕はそれがたまらなく嬉しいから、いくら溺れたってかまわないと思うのだ。

 

目次