髪切った?
その日は昨日と変わらない一日で、週の後半のいつもの一日となるはずだったけど、オレには最高の一日だった。 朝、いつも通りに通学路で斉木さんに会って、いつものように「おはよーっス」と挨拶したんだけど、そこで目にした斉木さんが、昨日と今日とで違っていたんだ。 違いと言ってもささやかなもので、単に「ちょこっと髪が短くなってた」だけなんだけど、毎日見ているオレからしたら大きな変化だ。 うなじの見え具合とか耳にちょこっとかかる髪とか、どこをとっても可愛いもんだから、顔を合わせる度「それいい、それいい」繰り返してたらうんざりされた 非常に鬱陶しいと、引き攣った眼差しを寄越された。 それでもオレはめげずに繰り返したよ。 だって、似合うし可愛いんだから言うのもしょうがない。 オレはその日一日、とってもいい気分で過ごす事が出来た。 一方斉木さんは、最悪の一日だったそうだ。 『当然だろお前、顔を合わせた時のみならず、授業中も何も構わずそれこそ一日中繰り返されたら、誰だってうんざりする』 放課後、斉木さんちにお邪魔して…半ば強引に押しかけたようなものだけど、やれやれしつつ招いてくれた斉木さんサンキュ! で、嬉々として斉木さんに続いて部屋に入ったら、そのように首を振られた。 オレは小さく唇を尖らせ抗議した。 「だってー、本当に可愛いんスもん。このお耳のちょこっと乗っかった髪とか、グッときます」 手を伸ばしたら大げさに避けられた。零太ショック。 斉木さんが椅子に座るのに合わせて、オレも床に腰を落ち着ける。そして、うちに来たいなら手土産寄越せとねだられたコンビニスイーツ「コーヒーゼリー」を、テーブルに置く。 斉木さんはそれを人差し指で手元に引き寄せると、柔らかい笑顔になって食べ始めた。あーあ、あの顔…いいなあ。コーヒーゼリーに嫉妬しちゃうなあ。オレにはあんな顔、一度だってしてくれたことないもの。あーほんとコーヒーゼリーが羨ましい。コーヒーゼリーになりたい! などとバカな事を思いつつ、小さな疑問を投げかける。 「そういや、ママさんいませんでしたね」 『ああ、今日は父が午後から休みなんで、二人で映画を見に行った。帰りは遅くなるだろう』 「ふーん、相変わらず仲いいっスなあ。いいねいいね。じゃオレらも、仲良くしましょ」 『しない』 「しましょーよー」 オレはさっと立ち上がり、つれない恋人に横から抱き着く。ちっ、と舌打ちの音がしたかと思うと、次の瞬間オレの身体はぐるんと宙返りして、気が付くとテーブルの前に正座していた。サイコキネシスマジパネェ…ちょっと頭がくらくらする。 『大人しく座ってろ』 「……はい」 くらくら〜 目が回った。気持ち悪いので、言う通りちょっと静かにしてよっと。 「斉木さんはどこで切ってるんです?」 目眩も回復した頃、オレは口を開いた。 「どっか行きつけとかあるんスか?」 『ない。いつも自分で切ってる』 「えっそれ、ご自分で?」 斉木さんは何てことない風に、当たり前だって顔で頷いた。 へえー、その可愛いの、自分でやってるなんて驚きだ。 『お前はあれだろ、美容院に入った瞬間からずっとガン見してんだろ。しかもその美容院も、幽霊情報で厳選した店だろ』 「しちゃ、ちょ、えっ……視てるの?」 ちょっと考えたら、オレの行動パターンなんて単純だから視るまでもなくわかるってものだが、あまりのお見通しぶりに本気で驚いてしまった。 「あ、でもですね、客の読む雑誌目当てに幽霊がたむろしてて、そいつらと美容師さんとでお喋りするのがえれーくたびれるので、頻度は低かったりするんスよ」 『お前…本当に色々大変だな』 まあこんな人生ですから、まあまあ色々あります。 『でも納得した。だからそんなぼさぼさ伸びっぱなしなのか』 「えぇー、やっぱりおかしいっスか……」 オレは両手でばっと頭を押さえた。 自分でも、さすがにもう行かないとと思っていた。無造作通り越してずぼらヘアだと思いつつ目を逸らしていた。けど、ズバッと言われるとやっぱりきっつい。 あ、そうだ。 「斉木さん復元能力あるでしょ、ね、試しにオレの髪切ってくださいよ」 『はぁ?』 何でそんな面倒な事を、僕が。 「ダメっスかね、コーヒーゼリーでどうか、一つ」 『……っち』 この上ないほど迷惑顔で舌打ちすると、斉木さんは立ちあがった。そして代わりに座れと指差して促してきた。 完全にダメ元だったオレは飛び上がらんばかりに驚いた。 「あ、あっ、いんスか、やった! 最高級ご馳走します!」 『当然だ。三個な』 「……はい」 「復元は一日一回だからな、よく考えて決めないとっスね」 さあどうしようか、どんな髪型……うーん。 『別に、ちょっとずつ短くしていって、いいと思うのを探せばいいだろ。いきなり短くしたらまずいが、段階的に切っていって、まとめて復元すればいい』 「でもそれじゃ、斉木さんお手間じゃないっスか」 『まあな。でもどうせ暇だし、考えたらこういうのは初めてだから、ちょっと楽しくなってきたぞ』 「わ、初めてなんスか、って、まあそっか」 『さてお客さん、今日はどんな感じにしちゃおうかしらー』 うっわいきなりノリノリだ。それはそれでコエーな。 「えーと、どんな感じ……」 どうしようか、急に言われると思い付かないよな。前に見た何かの雑誌で、こういうのもいいなとか思った記憶があるんだが、何の雑誌だったか、どんな髪型だったか、さっぱり思い出せない。 『はい時間切れ、じゃあ丸坊主で』 「ああ坊主だけに、って! 待って待って、あのー、えー?」 机に置かれたスタンドミラーとにらめっこして考える。が、そうすればそうするほど頭が真っ白に飛んでいく。 「あ、そうだ、あっの、斉木さんくらい短く、お願いできます?」 一個思い出した。髪を乾かすのが面倒だって、風呂のたびにいつも思ってたのだ。そして斉木さんを見ては、あのくらい短くしたら絶対乾かす手間が省ける、毎日楽になると思いつつ、先延ばしにしていた。 『なら近いんだし、丸坊主でいいだろ』 「いやいやいや、ちょ、頼んますよ」 『ちっやれやれ、注文が多いな』 「なっ…ひどいっスよ!」 『わかったわかった。希望通りにしてるから鳥束、その前に一度、お前の前髪横一文字に切らせてくれ』 「……は?」 『あとでちゃんと直してやるから』 「え、ちょまっ……あ!」 という間に、オレの前髪は眉毛の位置でぴっちり横一文字にぶった切られていた。 もう何というか、卒倒しそうなほどのショック。 それを見て斉木さんが、オレの後ろで声を殺して笑っている。 楽しそうにしやがってこのやろう、そんな顔真っ赤になるほど笑わなくってもいいだろうに。 オレは言葉もなかった。 あんまりショックが大きいせいで、感覚が一時的にマヒしてしまったようだ。 恥ずかしいとか、怒るとか、笑うとか、まったくない。どうしてよいやらわからない。 ただ、居心地悪く椅子に座るだけ。 「はー……」 ようやく収まったと、斉木さんは深いため息を吐いた。 オレもため息を一つ。 「……気が済んだっスか?」 『ああ。なあ、これはこれで似合ってるから、今日からこれにするか?』 「するかっ!」 『わかったわかった、悪かったよ。じゃあ本番行くぞ、動くなよ』 「はい。あ、カバーとかナシっスか?」 『切った端からよそに捨てるからな』 「はぇー」 やっぱり斉木さんは、超能力者なんだよな。こんなとこで妙な納得。 オレは椅子の上でかしこまった。 いざ切るとなると緊張するな、うわ、ドキドキしてきた。 恋人に髪を切ってもらうとか…してもらいたい事ランキング何位だ? あれ。えっと、こういうシチュの妄想、オレしたことあった…っけ? 短くするとかすごい久しぶりだな。え、てかいつからこんなだっけ。 あ、待てよ、似合わなかったらどうする? 短くしたオレ見て斉木さんに幻滅されたらどうしよ、え、え……? え、やめようか、今ならまだ間に合うよな、幻滅される前に…… 『うるさい、いくぞ』 「あっ……!」 合図と共に、頭全体に軽い衝撃が走った。何と表現したらいいか、パチっとシャボン玉がはじける感じと言おうか。何とも不思議な感覚である。 ちょっとびっくりして瞬きした間に、鏡に映るオレはさっぱりとした短髪になっていた。顔の両横にあった髪も、首を覆っていた髪も、当然前髪も、等しく短い。 『ふむ、初めてにしては上出来かな』 「………」 『こーんな感じでどうかしら?』 「はい……」 オレは恐る恐るうなじに手を持っていった。髪を避けなくても、直接首に触れる。よく、長くて鬱陶しくて結ぶ時があって、だから直接首に触れる事はいくらでもあったが、今回は違うのだ、結んでない、切ったのだ。本当に短いんだ、短くなったんだ。 何でか顔がじわじわ笑っていく。 続いて耳の辺りだ。耳の形に沿って綺麗に、あまり綺麗すぎない程度に整えられている。あ、オレ顔デカいな、何かデカいよ顔。やべ、変だ。 髪の長さとか全体のまとまりとかは思った通り、理想通りの仕上がりだけど、オレの顔の輪郭には合ってなかったみたいだ。 「変っスよね」 『別にそれほどでも』 「え、ほんと? いや慰めいっスよ、どうぞ正直に」 『コーヒーゼリー早く食べたい』 「あふっははは、正直過ぎ」 うわー、オレって顔の形こんなだったんだ、そうだっけ? 今まで髪で縁取られていた本当の顔の輪郭が露わになった事で、オレは正直ショックを受けている。どん底に落ち込むって意味ではなく、新鮮だし、違和感がひどい。 「えー……あヤベ、斉木さんありがとうございました」 オレは慌てて礼を口にした。 「どうですかね、これ。オレ」 椅子ごと回って斉木さんを振り返る。オレと目が合った途端、斉木さんは面白いほど激しくオレから顔を背けた。 「あ、やっぱ似合わないっスか」 まあオレも思いますけど。 「思いますけど、だからってそんな、顔真っ赤にして笑わなくても」 またしても、そんなに笑って! オレだって正直恥ずかしいっスけど、両手で顔隠して、真っ赤になるほど爆笑しなくてもいいでしょーが。 斉木さんはうんともすんとも言わず、依然顔を隠したままだ。 オレはちょっと腹が立って、顔を隠す手に掴みかかった。 「ちょーこら、斉木さん、アンタがやったんスよこれ、おい、見ろー」 『お前がやれって言ったんだろ』 「あ、む、うん、そうっスけどお、だからってそこまで笑わなくってもー」 まあ、超能力者に力で挑んで適うはずもないんですけどね、オレは恋人同士のじゃれ合いのつもりで、ビクともしない砦を掴んでぐいぐい引っ張った。 でも何かおかしいんだよね、笑いを堪えてるならもっと肩とか身体が震えると思うんだけど、そういうのが見られないの。 さっきはあんなに、発作かってほどぶるぶるしちゃってたのに。 じゃあなんで顔が赤いんだって不思議がりながら押し合いへし合いやってたら、はずみでベッドにつっかかり、オレは背中から倒れ込んだ。 「おわっ!」 幸いどこもぶつける事はなかった。 ……ふぅ、セーフ。 「ふざけ過ぎました、すんません」 ふと見た正面には赤面する斉木さんがいて、オレを見るや大慌てで目を逸らした。 オレはそれで全てがわかった。 斉木さんは笑ってたんじゃない。 似合わないのを笑っていたのではなく、本当は――。 「――!」 わかった途端猛烈に顔がにやにやしてくると同時に、オレまでなんでか赤面してドキドキしてきた。 「……えと…斉木さん」 『に、似合わない、全然似合わないから戻す!』 「いででででっ! 顔やめて!」 痛い痛い、とれちゃうよー 斉木さんてば、顔を隠しつつもう一方の手でオレの頬っぺたを引っ張ってきた。 うわー、この人がこんななって、こんなに慌てるなんて、滅多にない事だよ。 「いやいや待って、まだ待って!」 なんとか手を引っぺがし、オレは大慌てで引き止めた。 でも、じゃあそれでどうしよう。 斉木さんはなんかオレに見惚れて真っ赤になって目まで潤んでるし、オレはオレでそんな斉木さんに照れて真っ赤になっちゃってるし、心臓は爆発しそうなほど鳴ってるし、だからもうお互い動けないしで、ただ見つめ合うしかなかった。 『む、胸が痛い』 そんな膠着状態を解いたのは、斉木さんだった。 重い病患った人みたいに喘ぐから、オレはあたふたうろたえてとりあえず抱きしめた。 「オレも、です」 そしていよいよ動けなくなる。お互いの身体はかっかと燃えるように熱く、お互い、手に取るようにドキドキしているのがわかる。 斉木さんの手が、短くなったオレの髪を撫でた。 似合わない、似合わない。 しつこく繰り返しながら、何度も撫でてくる。 真っ赤になるほど見惚れる人が、何言ってんだ。 しかもこの撫でる手の優しい事といったら。 あーもー幸せ過ぎる! 戻してもいいですから、もうちょっとだけこの幸せ下さい。 |