全部が特別
十月半ばに鳥束と行った小旅行からこっち、僕は週末に鳥束んちへ行く回数が増えた。昼を食べる為だ。 と書くとまるで週末の度に鳥束にタダ飯をたかりにいっているように見えるが、食材は必ず持参しているので誤解しないでいただきたい。 食べたいものを二人で事前に決め、僕が買って鳥束が料理する。 何故そうまでして鳥束の所に赴くかというと、奴の所にホットサンドメーカーがあるからだ。 そう僕は、あの日の朝に食べたホットサンドの味が忘れられないでいた。 トースターで焼いた物とはまるで違う食感にいたく感動して、某味皇様ばりのリアクションをした。心の中で。 今まで知らなかったのが悔やまれる。 鳥束曰くこれを使ったレシピは数えきれないほどあるとの事なので、新たな発見をすべく都合の合う日は必ず奴の所に赴いているという次第だ。 とはいえまあ、三回も試せばある程度落ち着くだろうと思っていたが、世に溢れる数多のメニューのお陰で、食べるほどにハマる一方だ。 僕はいうなれば、ホットサンドメーカー山の登山道入り口に立ったようなもの。果てしない頂上目指して今まさに登り始めようとしているところだ。 俺たちの戦いは以下省略、本当にこれからなのだ。ようやくのぼりはじめたばかり…でもない、本当にこれから。 などとつらつら語っておいてなんだが、実は秋以来パン焼きしていない。パンを使ったレシピは山ほどあり、また同じくらい、パン以外のレシピがある。 となると、定番のパンは後のお楽しみにとっておこう、まずはそれ以外の物を試してみようじゃないかとなった。 ある意味実験のようでもあって、毎度食べる瞬間ドキドキし、実際味わうと魂まで幸せに包まれる。 ちなみにお初の次、二回目に作ったのはお好み焼きだった。 鳥束が「どうしても作ってみたいっス!」と熱心に推してきたものだ。 何故そんなに熱心かというと、引っ繰り返すのでいつも失敗してきた苦い経験があったからだ。 だがこの調理器具なら、二枚の鉄板で挟むので返しも容易に行える、というかむしろ失敗なし、となれば、挑戦しない手はない。 果たしてお好み焼きは満足のいく仕上がりとなり、長年の悲しみは昇華され空腹も満たされ、嬉しい結果となった。 ただ、四角い鉄板内で作るので出来上がりも綺麗に四角で、ちょっと脳が混乱する事態に見舞われたが、焼き加減は上々で味は文句なく最高、今まで作った中でも最高と、満足いく仕上がりだった。僕嬉しい、鳥束はもっと嬉しいと、言う事なしであった。 そんなこんなで、僕は大いにホットサンドメーカーにハマっていた。 素晴らしいぞホットサンドメーカー、素晴らしいぞ驚きのアイテム・その二。 ただはさんで焼くだけなのに、どれも言葉に表せないほどの絶品になるとは、まさに驚きだ。 ゼリーメーカーに出会った時と同じくらいの衝撃だ。 そして僕は今日もまた、鳥束の下に瞬間移動で飛ぶ。 「おぅっと……待ってたっスよ〜」 現れる瞬間はいつもちょっと驚くが、すぐにニコニコ笑顔になって鳥束は迎えた。 「時間ぴったりっスね、寒かったでしょ」 十一月も後半に入り日に日に寒さが身に染みるようになってきた。それを言っているのだ。 『いや、家to家だ』 「あそっか。まあまあ、こたつにどーぞ」 すすめられるまま遠慮なくお邪魔し、これもどうぞと渡されたコーヒーゼリーをありがたく頂く。 入れ替わりに僕からも、今日の昼のメニューに使うレトルトカレーを手渡す。 今日はご飯を炊くのでお好きなレトルトカレー買ってきて下さいと頼まれていたのだ。鳥束の注文は一つ、中辛でお願いしますとの事だったので――。 『これにしたぞ』 「あざっす。お、ボンカレーっスか、いっスね〜。どう作っても美味いんスよね、これ」 どこかの黒男さんみたいな事言うなあ。実を言うと僕もちょっと狙った感あるけどな。 『あとこれも』 「ん? おお、デカ蒸しパン。うわこれまたでっかい、斉木さんの好きそうなのっスね。あ、ホットサンド用っスか」 『そうだ』 両手にどっしりの、コンビニの蒸しパンだ。鉄板にバターを薄く塗って弱火で五分、返して三分焼くと、外はカリっと中はフワっと仕上がるんだそうだ。 「なるほど、了解っス。食後でいいっスか?」 『頼む。美味かったらひと口やる』 「わ、嬉しい、これ絶対美味いのっスもん、欲しい。焦がさないよう気をつけますね」 うむ、くれぐれも頼んだぞ。 さて今日は、ランチ会の他に、見せたいもののお披露目もしたいとこの事だった。 秋の旅行より続く「驚きのアイテム」の、そのいくつになるだろう。 受け取ったレトルトカレーのパッケージに見入りながらも、鳥束の心の中は早く見せたい気持ちで一杯になっていた。 心の声で正体駄々洩れだしテーブルにすでに用意されてるしで丸見えなのだが、お前、今回はまた随分とアレなもの買ったなあ。 「見てください、じゃーん!」 革製の鞘に納められた一本の折り畳み式小型ナイフを気取ったポーズで出され、お前いつの間に純平サイドに行っちまったんだとやや身体を引く。 「じゃなくて、キャンプで使う料理用のナイフっスよ」 だからそんな目で見ないで下さいっス! 『わかってる冗談だ。どれ』 差し出されたそれを受け取る。ケースから出して持ってみた。驚くほど軽いな。柄は綺麗な木目の入ったもので、独特のカーブは握りやすく、刻まれた掘り模様が滑り止めにもなっている。 「えへへ、その木目具合、渋いっしょ」 『ん−わからん』 「はは、やっぱり」 正直にお答えすると、そうくるだろうと予想していたのだろう、鳥束は小さく笑った。 「まあいいっス」 ナイフを畳んで返す。 「じゃあ、お昼お作りしますね」 そう言って鳥束は、すでに用意していたアルミ製の飯盒を、折り畳み出来る小さなごとくに乗せると、旅館の食事時とかに見かける水色の固形燃料に着火した。 飯盒と折り畳みごとくは、確か十一月の頭に「驚きのアイテムっス!」と見せられたものだったな。 その時は他にも、五点セットで買ったという調理器具を見せてきた。中身は小鍋や小型のフライパンで、それらは上手い具合に入れ子で収納出来るようになっていて、すべてまとめて巾着袋に収めると鍋一つ分の大きさになる優れものだ。 ――これは炊飯釜でー、こっちはカレーやシチュー煮込む事出来てー、フライパンもあるしー、なんとザルまでセットなんスよ! ――家にある鍋釜持ってこうとしたらとんでもなくかさばるけど、これだとほら、この大きさで済んじゃうんス、すごいっしょ! 他にも鳥束はどこがどうすごいかを熱心に話して聞かせた。僕はその迫力に圧され、ただ『おう』と答えるしかなかった。 こうして何か新しい「驚きのアイテム」を買う度、鳥束は嬉しそうに紹介したあと、早速とばかりに新アイテムで料理した。 「旅行先でぶっつけ本番はやっぱ怖いっスからね、使い勝手を前もって知っておくと安心っス」 『なるほど、僕は毒見係というわけか』 「ちょ、違う違う違う、もーまたそういう言い方してー」 『今日が初陣だろ、それら。じゃあ合ってるじゃないか』 「失敗したらオレ食べますから、出来の良い方渡しますから、そう拗ねないで付き合って下さいよ」 『別に拗ねてないぞ。信頼してる』 「うっ……それはそれで、ちょっと、胸詰まっちゃいます。あの、失敗しないよう祈ってて下さいね」 僕ならいくらでもリカバリー出来るからそういう考え自体ないが、お前、何というか、実は堅実なんだな。 水色の固形燃料からゆらゆらと立ち上る炎が、飯盒の底を熱している。 「これが燃え尽きるまでの間に、ご飯が炊ける…らしいんスよ」 ふむふむ、つまりこのままお任せ、火加減を調節しなくていいということか、そりゃ便利だな。 ちゃんと炊ければな。 鳥束もちょっと不安そうだ。そして、どことなく楽しそうでもある。ちょっとした実験みたいなものだと楽しんでいる。 僕はその横顔が、なんだ…嫌いじゃない。心の中で、上手くいきますように、美味しく出来ますようにと唱えているのを聞くのも嫌いじゃない。 僕を喜ばせたい、美味しいものを食べてもらいたいと一心に願い、邪念も雑念もなくただそれのみを祈って、思った通りに出来れば喜び、食べた僕が頷けば喜び、一緒に食べて喜び、どこまでも明るくそして喧しい。 ひたすらに騒々しい鳥束の心の声、そして表情、それらを一緒に味わうのが好きだから、僕はここで昼を食べるのがやめられない。 あんまりうるさくて、食事するにふさわしくないけども、鳥束の騒々しさはもう全然、嫌いじゃない。 ただ美味しいだけじゃなくとびきり楽しい、病みつきにもなるってものだ。 「あそーだ、サラダサラダ。冷蔵庫で冷やしてあるんスよ」 レタスをちぎっただけのものですけど、と、二人分のサラダを手に戻ってきた。 盛り付けたてっぺんにそれぞれ、中玉のトマトが丸のままのっていた。 鳥束はそれを小さな木のまな板に乗せると、買ったばかりのナイフの試し切りと、くし切りにスライスしていった。 「おー、これすごい、すげぇ切れ味いいっス」 鳥束は嬉しそうにトマトを切っていった。 そのようだな、見てるこっちもわかるほど、サクサク、ストスト切れてるもんな、使ってる本人はもっと気持ち良いだろう。 ちなみに僕が持ってきたレトルトカレーは、飯盒の蓋の重しに乗せられていた。 「動画を見ると、ご飯炊けるときの泡立ちで蓋が浮かびやすいみたいなんですよ。でもこうすれば浮かないし、カレーを湯せんする手間も省けるし、一石二鳥って紹介されてたんで引用っス」 なるほど、みんなよく考えてるな。 「じゃあ斉木さん、どうぞ」 いただきます。 僕は手を合わせ、スプーンを取った。 じっと見守る鳥。 「……ご飯、どうっスか?」 『……うん、うんうん、悪くないぞ。このくらいの硬さ、嫌いじゃない』 「はふぅ〜よかったあぁ〜」 鳥束はぐにゃぐにゃになるほど脱力して喜んだ。 「んじゃオレも、いただきます」 食後は、お待ちかねのホット蒸しパンを頂く。もちろん僕は部屋でのんびり出来上がりを待つ…訳はなく、鳥束にくっついて台所に行った。 焦げないかの心配もそうだが、先にも言った通り、調理中の鳥束の横顔を見るのが一番の目的だ。 慣れたレシピで落ち着いた顔を見るのもそうだし、初めてのものに挑んで固くなったところも、どれも僕の目を釘付けにする。 目だけじゃなく心まで引っ張っていくから性質悪い。 不安げになればつい応援してしまうし、たとえ失敗しても僕がなんとかしてやるから安心しろとか思ってしまって、自分でも本当に忌々しく思う。 得意げなら得意げで、コイツムカつくなぁと思いつつも頼もしさにいい気分になるし、むず痒くなるし、鳥束の一挙手一投足にそわそわする自分が本当に始末悪い。 鳥束が悪い。 勝手にそわそわしてるだけとも言えるが、僕をこんな風にした鳥束が一番悪い。 「出来た出来た、斉木さんほら、ほら〜この焼き色、完璧じゃないっスか?」 鳥束は大はしゃぎで見せてきた。 『お前に任せておけば安心だな』 「……やぁだ、やだもう斉木さんてば、うんもう!」 素直に称賛すると、くねくねしながら鳥束は肩をパシパシ叩いてきた。気持ち悪いんですけど。 「惚れ直した? オレにメロメロ? ねえねえ!」 そして、さっきまで真面目に真摯に取り組んでいたのが嘘のように図に乗り始める。 まあこれはいつもの流れなので、一度唇をひん曲げるくらいで後は放置、それよりこっちが重要だと、僕は出来立てのホカホカ蒸しパンにかぶりついた。 おおっ、これは――! 蓋を開いた瞬間からふわ〜んと立ち上るバターと卵の匂いがたまらなかったが、口に入れた事で更に顕著になった。 やったぞ鳥束、また一つお気に入りが見つかった。 僕はうっとり気分でもぐもぐ噛みしめながら、約束通り鳥束にひと口分ける。サイコキネシスで反対側をむしり取り、奴の口に運んだ。 「……ううううまっふー!」 感激だと声を張り上げ、鳥束は握り締めた拳を振り上げた。 二人で立ったままと、ちょっと行儀悪く食後の甘味を頂いて、僕らは部屋に戻った。 鳥束の手には、ピカピカに洗い上げた調理器具があった。とても満足そうな顔をしている。 ナイフはもちろん、縁から取っ手が伸びている小さな銀カップ、重たいフライパン(重たい蓋つき)、折り畳み出来る取っ手のついたアルミ製の飯盒、その他色々。 『着々とキャンプ道具が揃っていってるな』 「ええあの、一個買うと今度はあれも、次はこれもって欲しくなっちゃうんスよね」 これでも控えてる方なんスよ 鳥束は上機嫌でナイフを眺め、いい買い物したとにっこりした。 「この先斉木さんにトンデモな心変わりが起きて、キャンプ行きたいって言い出しても対応出来るように、ねえ」 『いやそんな心変わりはまずありえないが』 「そーんな事もないんじゃないっスか? だって、五月の時はこのこれっくらいもなかった乗り気が――」 鳥束は親指と小指の先を合わせ、極々小さいを表した。 「夏には『条件に沿うところがあるなら行く』に変わって、秋の頃には割と楽しみにしてーと、徐々に確実に変わってきてますもん」 『そんなだったか? お前の気のせいじゃないか?』 「違いますよもー、間違いなく斉木さんは変わってきてます。現に、夏は写真撮るのにはまったじゃないっスか。そうオレの、間抜け面コレクション!……あれ、ねえ」 良い思い出でありひどい思い出でもあると、鳥束は複雑な顔で笑った。 「秋は秋で寝袋堪能したじゃないっスか。あれ、最高の寝心地だったでしょ?」 『うん、いやううん』 「抵抗しないのー。よっぽど快適だったんでしょうね、斉木さん、翌朝起きたがらないし出たがらないしで大変だったんスから」 『そうか、斉木さんてひどいな』 「え、うっぐふ……また、アンタは」 怒って、笑っちゃって、ちょっと呆れて、鳥束は目まぐるしく表情を変えた。 「まったくもう…今日だってこーんなでっかい蒸しパン持ってやって来たくせに。あくまでシラを切り通すっていうなら、ホットサンドメーカー封印しちゃうっスよ」 『やれるもんならやってみろ。それなら僕は、お前にマインドコントロールかけるだけだ』 「ちょ、こわ! てかそれハマってんの自分からバラしてるし!」 『ぐ……いい度胸だな』 「待て待て待てー! わかりました降参っス!」 指を鳴らしながら迫ると、鳥束はたちまち白旗を掲げた。 ふん、次から次へ取り出して僕を追い詰めるから、そういう事になるんだ。 「はぁ…こえー」 もー、斉木さんはー。 まだブツブツとこぼす鳥束に軽くデコピンをくれる。 「いたっ! うむ〜」 『まあ、残念だが心変わりはないな。これまでのようにコテージとかならいいが、テントは絶対に嫌だ』 これだけは譲れないというか、考えるだけでも恐ろしい。あの虫どもと同じ地続きで寝るなんて震えが止まらない。 ホテルにするかテントにするかどっちか選べといわれたら、迷わずホテルを挙げる。 『それくらい嫌いだ』 「そっスかー。まあオレも正直虫は苦手っスからねー」 更に言うと、外に出たがりに見えて非常にインドア派だ。 空調の利いた部屋で寝っ転がって、時間も気にせず秘蔵本読んでるのが幸せ。 でもそれ以上に幸せに感じるのが、斉木さんと過ごす事。 どこか知らないとこ出かけて、だのに家で過ごすみたいにダラダラしてるのが最高に幸せ。 そんで、いつもとはちょっと違うご飯作って一緒に食べて、いつもよりちょっと長い夜を過ごして、ああこれ天国だわ。 鳥束はうっとりした表情で語った。 テント張ってキャンプ…とか絶対お断りだが、お前とする旅行は、嫌いじゃないぞ。 チマチマした調理道具で楽しそうに料理するところとか、見ていて飽きない。 火起こしで得意げになるところも、ちょっとイラっとするがもっと見てたい。 それから寝袋や、ホットサンドメーカーや、調理道具や、そして今回のナイフも。何か新しいものを買う度、子供みたいにはしゃいで見せてくるお前が、非常に鬱陶しくて非常に愛おしい。 |
十一月も後半に入ったとある放課後、僕は鳥束と共に純喫茶真美を訪れた。 今日、これから行く百円ショップで「何を買うか」のリストをまとめる為だ。それと同時に、旅行についての詳細を詰める。 もうすでに日程や時間など大まかな事は決めていた。今日はそれらを本決めする。 今回鳥束が選んだ宿泊先は、これまでのような離れ小屋ではなく、様々な設備が整ったいわゆる高規格のキャンプ場だった。 自分たちがしたいのはサバイバルではない。 僕は五月から一貫して「家でのんびり過ごすようにゴロゴロしたい」で、鳥束は「どこかへ一緒に出かけたい」だ。 そんな僕らが目指すのは「出かけるが、家でのんびりするように過ごせる場所」である。 これまで三回、鳥束はその条件に見合う場所を見つけてきた。春も夏も秋も、たどり着くまではまあ少々苦労はしたが、着いてしまえば離れ小屋という事で、そこそこ密集した住宅街の中にある我が家で過ごすよりもずっと気楽に快適に生活する事が出来た。 四度目になる今回、鳥束は、オフシーズンとなる冬のキャンプ場に目をつけた。 もちろん僕は渋った。キャンプ場つまりテントだろ、いくら奴らの活動がほぼなくなる季節とはいえ、これまでのしっかりした「家」とは違う環境に身を置く事に、僕は静かにそしてはっきりと拒絶反応を示した。 「違うんです斉木さん、これ見て下さい」 ちょっと自信ありますと鳥束はとあるキャンプ場の紹介画像を僕に見せてきた。 まず目に入ったのは銀色の車体だった。電車の車両…いや違うな、ああそうか。 「トレーラーハウスって、わかります?」 移動する住居か、アメリカのなんかの…というくらいの知識しかないが。 「まあまあ概ね合ってます。で、それを置いてるキャンプ場ってまあ結構あるんスよ。で、あれだと面倒なテント一式いらない、装備もいらない、道具も最低限で足りると、冬のキャンプでも安心して過ごせるって寸法っス」 しかしうーん、キャンプ場か。 「いくつか候補絞ってあるんスよ、どこもね、トイレが綺麗とか炊事場が整ってるとか売店が充実してるとか、高規格キャンプ場って言われるとこなんスよね」 僕をその気にさせるべく、鳥束は一生懸命説明を続けた。 『つまり初心者に安心のキャンプ場って事だな。となると、それだけそこに赴く人間が増えるよな』 「そーうなんスけど、冬はそこまで人来ないっス!……と思います。あとあと、トレーラーハウスはホテルとかと違ってほら、地面に一台ずつだから、密集度もね、違うっしょ? それに寒さ対策も心配しなくていいんスよ、家じゃないけど、家みたいなものですし」 エアコンも完備だし、あったかそうなお布団もあるし、斉木さんの好きなゴロゴロもし放題っすよ!? 何とかその気になってもらおうと、鳥束はそりゃもう必死に良い点を数え上げた。 『寒さか。だったら僕も出歩かず家でぬくぬくゴロゴロしてたいなあ』 「あうぅ…そこをなんとか!」 『なあ、別に今まで泊ったところでも構わないぞ』 同じところだろうと僕は気にしない。三ヶ所とも実に快適だったし、お前さえよければそうしろ。 「ええ、オレもそれ視野に入れて調べたんスけど、どこも、雪が凄いんスよ」 『ふうん、じゃあやっぱり、冬は中止だな』 「いやいや、そこをなんとかっ!」 やれやれ、毎度熱心な事だ。 『まああまり乗り気じゃないが、お前と二人特別な時間を過ごす事にちょっとはまってきてるからな、わかった、行く事にしようか』 「やったぁ!」 一時は悲壮感に染まった鳥束の顔色はみるみる回復し、目を開けていられないほど眩くなった。 そういった訳でトレーラーハウスに宿泊が決まり、向かうキャンプ場が決まり、早めの予約が安心だろうとその日の内に旅行日程も決め、善は急げとその場で予約も取った。 十二月初めのとある土、日と決定した。 そこは偶然にも秋にも行った観光地で、秋にはバスで山に分け入ったが、冬は終着駅から別の電車に乗り換え三十分ほど行った先のキャンプ場だそうだ。 駅からは徒歩で十分もないそうで、鳥束はその点を大いに喜んでいた。 「あ…すんません、別に今までの離れ小屋が嫌だって訳じゃないっスよ」 『わかってる』 嫌ではないが、大変だったよな。それでも僕の為に背負ってくれた。よし、今度は僕が背負うとするか。 といった事を経て、今日は旅行当日のはっきりした時間割など計画の詳細を詰め、必要な物品の買い出しに行く事になっていた。 魔美での話し合いを終えた僕らは、早速商店街の中ほどにある百円ショップに向かった。 食器類を調達する為だ。 これまではコテージに備え付けのものでまかなっていたが、今回はそれらがないのでならば買いにいこうとなったのだ。 やってきたのはスーパーの二階にある店舗で、中は結構広い。 エスカレーターを上り切るや鳥束は足早に目的のものを探して回った。片手にはメモ。 ただ、正直なところ僕はあまり気が進まなかった。こういうところの紙の食器類、つまり真っ白で味気ないいかにも百均のものって感じだから、それもどうかと思っていたのだ。 ちょっと味気ないのでは、それこそアウトドア用品の店で買えばいいのにとも思っていた。 だが――目当てのものを見つけた鳥束の手招きに応えて行ってみれば、いやこれ紙製とか嘘だろ、とびっくりするほどに色彩で溢れていた。 いつの間にこんなにオシャレになってたんだ、あの白いペラペラのからこれに進化するとは、恐ろしいな百均。 一つを手に取りまじまじと見つめる。紙、ペーパー、いやいやこれ木製…やっぱり紙だわ。 「あ、それにされます?」 鳥束がカゴを向けてきた。 いや、ちょっと見ていただけだ。僕はそっと棚に戻した。 「でも今の木皿っぽいの、使えそうじゃないっスか。あーでもこっちのポップなのも雰囲気あっていっスよね、うーん悩みますね」 鳥束はぷつぷつと呟きながら、手にした二つを見比べている。 「そうそう、事前にネットで調べたんスけど、この店にあるかな……あ、あったあった!」 鳥束は一旦戻すと、別の棚に手を伸ばした。 「これこれ、この仕切りのついたのも捨てがたいなーって」 見せられたのは、コップをセットする丸い仕切りと、三種類の料理を盛り付けられる仕切りがそれぞれついた紙皿だった。 へぇ…これが、paperとは。 素直に感心した。 「けどね、せっかくクリスマスも近い事ですし――斉木さんこっちこっち」 今度は別の棚に連れていかれる。まだ僕はどことなく呆けていた。滅多に訪れる事がないから当然なのだが、いつの間にか大きく様変わりしていた、大きな進歩を遂げた紙皿のショックが、尾を引いていた。 使う機会、滅多になかったしな。 引っ張っていかれたのは、クリスマス商品をまとめたコーナーだった。 「わー斉木さん、どれもいい感じじゃないっスか?」 鳥束は早速一つを手に取った。 その紙皿には、サンタクロースにトナカイ、クリスマスツリーの飾りであるヒイラギや赤い実、スノーマンといったクリスマスの風景がプリントされていた。 更に鳥束は、他の紙皿やコップを次々手に取っては、「これもいい、これも」と嬉々として僕に見せてきた。 どれでも、お前の好きなの鰓んでいいぞ。 いやこれは別に興味がないとかどうでもいいとかそういう意味ではなく、ちょっとまだショックでな。お前に追い付けないでいるんだ。 そんな僕だが、続いて鳥束が手にしたものは見逃せずツッコミを入れる。 『ふっまた飾り付けか』 「う、また飾り付けっス」 鳥束の手には、ガーランドといったか、三角飾りが連なったものの入った袋があった。 「これは外せませんからねー、これは買いっと」 赤と緑つまりクリスマスカラーのと、MaryChristmasの文字のもの二種類をカゴに入れる。 「それと置物っスね。サンタにトナカイにツリーっと。あ、雪だるまも外せないっスね」 寺の息子が、クリスマスグッズを嬉々として買ってる。日本て…いいなあ。半分呆れ、半分は感心で、僕はその様子を眺めていた。 「斉木さんもいいのあったら、どんどんカゴ入れて下さいね」 『コーヒーゼリーの売り場はどこだ?』 「えっとー、じゃなくて。むー、それはあとで買いますから、ね、ちょっとこっち付き合って」 『付き合うのはやぶさかではない。ただ食器は、お前が料理担当だからな、使いやすいのを選んでくれ』 「うーん、じゃあ、可愛いのとリアルっぽいのだったら、どっちがいいっスか?」 どっち…飾りはまだしも、立派な白髭のおじいさんがリアルに描かれた皿で、食事するのは、ちょっといやだな。 「はは、確かに。じゃあこっちの可愛いのにしますね」 僕は頷いた。 傾向が決まるとあとは早かった。使って楽しい気分になるものを中心に、二人が一泊二日で使うだけの食器を選び、飾りはちょっと多めに、鳥束はレジに向かった。 「お待たせっス斉木さん。うー、段々気分盛り上がってきましたね」 言葉の通り鳥束は喜色満面だ。あんまり無邪気に喜ぶものだから、僕もついつられて笑ってしまった。 「斉木さんも楽しみ、嬉しいなー」 『浮かれるのはいいが、それ、当日に忘れるなよ』 「は、そうだ、気を付けるっス」 まだちょっとむずむず笑いながらも、鳥束は顔を引き締めた。 無事買い物を終えた後、また明日と手を上げて、僕は帰路についた。 気を抜くと口の端が緩みそうになるので、僕は道中意識して奥歯を噛みしめ続けた。 帰宅してほどなく、夕飯を報せる母の声が届いた。 食卓に着き、いただきますと手を合わせる。 いくらか食べ進めたところで、母が尋ねてきた。 「そうだくーちゃん、今度はいつ鳥束君と旅行するの?」 「今度はどこ行くんだ? ちょっと援助してやるぞ。だからまたお土産頼むぞ」 喉で軽く、夕飯がひっくり返った。 実はこの二人も超能力者じゃない? 今日まさに鳥束とその話をして、この場で伝えようと思っていたのだ。図ったようなタイミングに僕はちょっと驚いた。 「秋に買ってきてくれたあの地酒、美味かったなー。あの地域は水が美味い事で有名だから、酒も美味いんだろうな」 あれまた飲みたいなー欲しいなーと続く父の声。内心でも、楠雄くーん楠雄くーんすり寄ってきてうざい。どっかの生臭坊主並みにうざい。お前ら似通い過ぎだ。 それはそれとして、行先はこの前と同じだ。このおっさん喜ばせるのは癪だが。 「おおそーなのか。なになに?…へえ、トレーラーハウスに泊まるのか。トレーラーハウスってあれだろ、キャンピングカーの豪華なのだろ」 「あ、私も知ってるわ。この前テレビでやってたのを見たわ。ステキよねえ」 「ははっ、じゃあ今度、僕と一緒に出かけるかい? 一番豪華なトレーラーハウスに、君を招待するよ」 「まぁ…パパ」 「はは、ママ」 その後は二人して互いの手を取りキラキラしながら見つめ合うばかり。いいから夕飯食べろ、冷めるぞ。 やれやれ付き合ってられん、パクパク、むしゃむしゃ、ずず。 一人さっさと食事を勧め、僕はご馳走様と手を合わせて立ち上がった。 「あ、あ、楠雄、それでいつ行くんだ?」 いやいいよ、こっち見んな。母さんと好きなだけキラキラしててくれ。 と思ったら突然母さんがあひゅうと泣き出した。 な、なんだいきなり。 「ど、どうしたんだいママ」 「だって…くーちゃん…お友達いっぱいできて…お友達と旅行にもお出かけするようになって……ママ嬉しくて嬉しくて……あひゅ〜」 「ああ、そうだねママ…他に類を見ないほどひねくれ者の楠雄の友達になってくれるってだけでも素晴らしいのに、何度も旅行に誘ってくれるなんて、僕も嬉しいよ」 おいこら、はっ倒すぞおっさん。 もう知らん。 『日程は十二月最初の週末だ』 伝えるだけ伝えて、僕はリビングを出た。背後でまだ父さんが何か言ってたが無視、お小遣いは頼んだぞ。 僕はさっさと自分の部屋に引っ込んだ。調べものがあるんでな。 まったく、なぜあの二人は何年経っても変わらずああなのだろう。悪い感情は全くなくて、ただただ、不思議だ。 椅子に座り、一度大きなため息を吐いた後、僕はタブレットを取り出した。 |
「……寒いな」 終点である某駅で電車を降りてまず感じた事がそれで、僕は思わず口に出した。 それに対して鳥束がびっくりしたような顔で見てくるが、なんだよその顔、僕だってたまには口に出したい時もあるぞ。 「いや、つーか斉木さん、アンタ超能力で調節出来るでしょ」 周りに聞こえないようひそひそと言ってくる。 『そうは言うがな、寒いものは寒い』 「ん−まあ、山ん中っスからねえ」 鳥束は改札へと進みながら、辺りをぐるりと見回した。 「でも、天気はとてもいいっスよ」 『ああ、日差しがあるのはありがたい』 見上げる空の色は淡く、薄く伸ばした綿のような雲が浮いていて、いかにも冬の空といった感じだ。 「さて、時間はえー十二時十分前っス。これからお昼の予定ですけど、もう向かっていいっスか?」 改札を抜けたところで鳥束が聞いてきた。 僕はうんともすんとも答えず、左手の方に目線を向けていた。鳥束がいるが、目的は鳥束じゃない。 鳥束も、視線が自分を通り過ぎている事に気付き、僕と同じ方へ顔を向けた。そして、僕の目的を察した。 「まさかとは思うっスけど、またかっスか?」 『うんそうだな、またかだな』 たちまち鳥束は呆れた〜って顔で頭を振った。 「斉木さん、アンタさっき降りるなり「寒い」つったじゃないっスか」 『言ったからなんだ。暖房の利いた館内でジェラートを食べるのもいけないのか、絶対駄目なのか』 そう僕の目的は、秋にも寄ったジェラート店に寄る事だった。それは改札を出て右に広がるお土産館内にあり、それを見ていたという訳なのだ。 「いや、別にダメってわけじゃ……」 『じゃあ行こう。フードコートもあって名物料理が色々選べるから、第一目的である食事も出来る、駅を出て寒い中あちこち歩き回って探すよりよほど合理的だ。ついでに土産物コーナーも覗こうか、明日寄る参考になるだろ』 僕は有利に事が進むよう、利点をこれでもかと挙げた。 鳥束は降参とばかりに肩を上下させた。 「はぁ、もう…ははは、行きますよう」 『よし鳥束さっさと来い』 僕は先頭切って歩き出した。 「うはー、もう入んないっス、ごちそうさま」 鳥束は椅子に身体を預け、大満足だと腹をさすった。 僕たちの前には、つい調子に乗ってあっちの店こっちの店からちょっとずつ注文した皿が、テーブルに所狭しと並んでいた。そのどれも、綺麗にカラになっている。付け合わせのパセリ一つ残さず、タレも極力すくい取った。 さすがに食べすぎだと思うが、この土地ならではのとあるとついつい手が伸びてしまい、気が付くとここまで皿を重ねていた。 どれも言う事なしの美味しさだった。 「くるしー」 『ああ、僕もだ』 食後のお楽しみであるジェラートをちびちび口に運びながら、僕は賛同する。 鳥束はたちまち目を狭めて、じゃあ今食ってるそれはなんだよって顔になった。 ちょっとムッと来たので反論する事にした。 『なんだもなにも、これはジェラートだ。知ってるか、アイスクリームとジェラートの違いはな、含まれる乳脂肪分の――』 「はい、すんません、はい、はい、わかりました」 オレが悪うございました 鳥束はすぐさま両手を上げて降参した。 ふん、わかればいい。 「もー、別に文句言ってる訳じゃないっスよう。良かったなって思っただけっス」 『ん、そうだな。このジェラート、全然嫌いじゃない』 「っスね、そういう顔してますもん」 『見るな変態、あっち向け』 「ひっど。もー、なにかってと変態だのクズだの」 言いたい放題言ってくれちゃって ブツブツこぼす鳥束を完全に無視して、僕は残り半分を切ったジェラートを口に運ぶ。 「なにさ、その変態クズから離れられないくせに」 『そうだ。絶対離してやらんからな、精々覚悟しておけ』 「ん、ん? それオレのセリフ? てかこれ? 喜ぶところ?」 さあな 「あー…それはそれとして、この後の予定なんスけど」 僕は食べながら目線で促した。 「この後は、隣の駅から電車に乗って二十分くらい、某駅ってところで降ります」 『ふむ』 「降りたらスーパーに寄って買い物したあと、予約してるキャンプ場に向かう予定っス」 『なるほど、了解した』 ついにコーンの部分にきた。僕はガリっと歯を立てる。 今回選んだのはワッフルコーン。風味と歯ごたえが好きだ。サクサク軽いレギュラーコーンも捨てがたかったが、前回の秋でそちらを食べていたので、今回はワッフルコーンを選んだ。どちらも全然嫌いじゃない。 そうだ、帰りもここに寄って、サクサクコーンに合うジェラートを食べるとしよう、そうしよう。ふふ楽しみが増えた。 そんな事を考えながら、僕は順調にワッフルをかじっていった。 |
駅から徒歩で五分ほどの場所にあるスーパーで買い物をし、それから僕たちはキャンプ場に向かった。 周りを見渡しても高い建物はなく、家々の間隔もまばらで、さっきまでいた某駅よりも山が近くに迫って見えた。 そのせいか、空は良く晴れ風もほとんどなく穏やかだが、空気は冷たかった。 「寒くないっスか斉木さん」 道中鳥束が心配して声をかけてきた。 『寒い。家に帰りたい。帰って家でゴロゴロしたい』 「もおー、あの、もうすぐそこっスから。ほらあそこ、突き当りに茶色の柵見えますよね、あそこっスから」 『あと四十秒で着かなかったら帰る』 「えぇ〜」 その気もないくせによく浮かんでくるものだと、自分で自分に呆れる。 「斉木さん、ほらもうちょいっス、頑張れ頑張れ」 小さい子を応援するように励ます鳥束に、思わず笑う。 馬鹿だな、これからだっていうのに、帰るわけないだろ。 『お前の反応は本当に面白いな』 「もー、人で遊ばないで欲しいっス」 『ハイハイ悪かったー』 鳥束の被ったニット帽をポンポン叩いて宥める。ニット帽は一見グレーだが、近くで見ると茄子紺と黒のミックスで編まれており、鳥束のすみれ色の髪によく合っていた。 「あ、なんスかこれいっスか? 似合うっスか?」 『ああ。悪くないぞ。上々だ』 「え、ちょ、斉木さんにマジ褒めされるとすっげ嬉しいんスけど!」 どーせボロクソけなされると思ってたからマジ嬉しい! 『人を心無い毒舌家みたいに言うな』 「いやだってぇ、えー、えへへ」 鳥束は抗議するようにちょっと唇を尖らせたあとすぐにはにかんで、照れるなあと揃えた指で自分のニット帽を撫でた。 「斉木さんのマフラーも、あったかそうでふわふわで、よく似合ってるっスよ」 『ふん……おい、四十秒とっくに過ぎてるぞ』 「あれー、照れちゃってかーわいい!」 僕はすかさず奴の足に膝蹴りをくれた。 「いったー、もー、照れない照れない」 『うるさい』 冬の午後、のどかな田舎道を、騒々しく歩く。 たどり着いたキャンプ場の管理事務所で鍵を受け取り、僕たちは今夜泊まる予定のトレーラーに向かった。 敷地はとても広かった。さっき見たように柵でぐるりと囲われていて、整備された車道の他は芝で覆われていた。夏のように青々ととは言い難かったが、少しくすんだ様子も季節なりの風景で、燦々と降り注ぐ太陽を浴びてとても気持ちよさそうに見えた。 先を行く鳥束はすっかりルンルンで、あれですあれあれ、と前方を指しながら僕の袖を引っ張ってきた。 『わかったわかった』 「えへへ」 冬でも夏でも、元気だなお前は。 向かう先に見えてきたトレーラーハウスは、一定の間隔を空けて整然と並んでいた。うーん、まあ、これくらいなら僕も充分我慢出来るぞ。 「オレらが泊まるのは、あそこのS-31っス!」 『まあ落ち着け』 今にも走っていきそうな鳥束の首根っこを掴んで何とか制し、一緒にたどり着く。 やはり実物はデカいな。この中で生活出来るよう様々な設備を積んでいるのだから、デカいのも当然か。 トレーラの脇には、屋根付きのウッドデッキが横付けされていた。 そこに踏み入ったところから、鳥束はもう興奮が止まらないようだった。 「うわー、画像で見るよりずっといいっスね!」 続いて僕もデッキに踏み込む。 今の季節だからだろう、吹きっさらしではなく、ちゃんと周りを半透明のシートでぐるっと覆ってあるから、外での食事も凍えず出来るようになっている。 デッキの端にはレンタルのバーベキューコンロがすでに置かれていた。 上には焼き網と、肉用炭用のトングが一本ずつ乗っていた。どれも新品ピカピカだ。 鳥束はそれらに恐々と触れて、感嘆のため息を吐いた。 ここでバーベキューをするもよし、ホットコーヒー片手にただぼんやり休憩するもよし。中々雰囲気があるな。 「あー、外にも流し台あるんだ、わー」 僕も目を向ける。洗い物をするのに申し分ない大きさの流し台があって、タワシだの洗剤だのも用意されていた。 『すごいものだな』 「今、鍵開けますね」 いよいよ中へと進む。 「……おー! おーおー! いーじゃーん!」 先に視えてしまうので鳥束と同じタイミングではしゃげないのが少々残念だが、うん、いい感じの室内だよな。 「あーあったかい、暖房ついてる、ありがたいー、良かったっスね斉木さん」 そうだな、僕にはまず一番にそれかな。素直に笑い返す。 もし運転部をつけたなら、前方となる部分には二人でも充分のゆったりサイズのベッドがあり、窓に沿ってミニキッチンや冷蔵庫、それに続いてソファー、もう一方の窓には向かい合ったボックス席がある。どうやらこのソファーと対面座席は、それぞれがベッドに変わるもののようだ。 確か事前に聞いた情報では、このタイプだと最大四人まで宿泊可能だそうだ。 そして後方には風呂トイレ洗面所があった、ちらっと覗くと、小さいながらちゃんと浴槽もあった。トレーラーハウスだから半畳もないシャワースペースだけと思っていたが、工夫すればしっかり全身浸かって温まる事も出来そうだ。まあ、風呂は近くに日帰り温泉があると鳥束が言っていたので、わざわざ狭いプラスチックの箱に入ることもないのだが、旅の思い出に入るのも悪くない。 「うわうわうわ、気分あがるー、これはいっスわー! おーすげ、おーすげー!」 視線をあちこちに走らせ、試しに流しの水を出したり電気をつけたり、意味もなく冷蔵庫を開けたり引き出しを開けたり、あちこち触っちゃ鳥束はわーわー大はしゃぎだった。 「すごいっスねこれ、トレーラーハウス、暮らせますよ。あー、こんなので斉木さんと、世界中旅してみたいっスー!」 写真をパシャパシャ撮りながら、鳥束は止まらぬお喋りを続けた。 かと思うとベッドに寝転び、にやけながら手招きしてきた。 「斉木さん、カマーン」 『死ね』 「ひどっ」 もーノリ悪いんスから! 起き上がって戻ってきた。 やれやれまったく、お前は小学生か、ちょっとは落ち着け。 「あのーね、ベッドめっちゃふかふかでした、丁度いいかたさ。ぐっすり眠れそう」 そりゃ良かったな。 「そーだっ!」 パチンと手を打ち合わせ、鳥束は下ろしたリュックから何やら引っ張り出した。 『スリッ……パ?』 「ええ、調べたら、こういうトレーラーハウスの床面て案外冷気が伝わってくる事があるそうで、スリッパ持ってくとお役立ちってあったんで、買いました」 そう言いながら鳥束は取り出した二足を並べた。 「いやー、ギリギリで知ったんで大慌てで探しに行ったんですよ、これ。丁度いいの見つかってよかったー。あでも、ちょっとぎゅう詰めにしたんでお顔が曲がっちゃってる…よしよし」 呟きながら、鳥束は歪みを直す。 スリッパ。 ピンクとパープルのパステルカラーのスリッパ。 「はい、こっちのピンクは斉木さんのっス」 可愛らしいウサギさんのスリッパが二足、しかも色違いつまりお揃い。 「ねーこれ、可愛くないっスかこれ、ね、この耳の感じとかいいでしょー。ウサちゃん。あ、ちゃんと滑り止めもついてるんスよ、でね、中はフワフワモコモコであったかいんスよ」 寒がりの斉木さんにぴったり! 履いて履いてと、テンション高く鳥束はすすめてきた。 ウサちゃんとかお前…僕は額を押さえ、少し俯いた。 可愛らしいデザインのお揃いのスリッパとかこれ、お前これバカップルの典型じゃないか。 うーむ、せめてただの色違いだったなら。 『はぁ……ありがとう』 あ、でもあったかい。 履いて三歩で僕は魅了され、五歩もしない内に『まあいいか』となった。 外に出なきゃ、誰かに見られなきゃ「バカ」でも別にいいよな。 これも旅の思い出か。 パステルピンクのウサギさんを見下ろし、鳥束の足元を見やって、僕は小さく笑った。 |
「ではでは、無事たどり着けましたという事で、カンパーイ!」 鳥束の掛け声に合わせ、紙コップを掲げる。 中身は、先程寄ったスーパーでの購入品の一つ、瓶入りのサイダー。 真夏に見るなら爽やかなブルーのパッケージも涼しげだが、十二月にこれはある意味狂気の沙汰。だが、妙に心惹かれ、気付いたら鳥束の押すカートに入れていた。 当然ながら鳥束も一瞬目を丸くしたが、今日の空の色っスねなんて言ってにっこり笑った。 ああ…そうだな、そうなのかもしれないな。 そんなわけで買ったサイダーで、僕らは乾杯した。 「ん−、なんか…あー、いいっスねぇ。懐かしい〜って感じもあって、美味いっス」 『そうだな。冬に暖かい室内で飲むのも、中々おつなものだな』 ちなみに紙コップは先日百均で買ったものだ。日本の冬の象徴でもあるクリスマス柄のコップで、夏にぴったりのサイダーを飲むというのも、うん、中々おつである。 「さて乾杯も済んだ事だし、お待ちかね、ハウス内の飾り付けいきましょー」 『待ってないが』 「まーまーまー!」 紙コップに続き、百均で一緒に買った小物類を取り出し、鳥束はあっちへ置いたりこっちへ掛けたり、飾り付けしていった。 手持無沙汰なので僕も手伝う。 「あざっス、それ向こうの窓とかどっすか? あーイイ感じっス!」 「ねー斉木さん、これドアノブに掛けたら可愛くないっスか?」 「サンタさんはここで、トナカイはキッチンでー、雪だるまは窓際!」 「三角飾りは、やっぱりカーテンレールっスかね」 一気に室内がクリスマス一色になる。 こうして見ると百均も中々侮れないものだが、しかし――。 『なあ鳥束、お前、どこ目指してんの?』 「えっへへー、せっかくの旅行なんスから、とことん楽しく過ごさないとっスよ」 得意げになって答える鳥束に、僕は軽く肩を竦めた。 ひと通り飾り付けが済んだ後、それを祝して僕らはまた乾杯した。 さっきのサイダーの残りだ。 少し強めの炭酸が口の中で爽やかに弾け、それと共に、楽しさがじわじわと込み上げてきた。 「さてオレは、ぼちぼち夕飯の準備してきますかね。冬はあっという間に日が暮れちゃいますからね、早め早めに進めないとっス」 言って鳥束は立ち上がり、リュックから調理道具を一式取り出した。 じゃあ僕は…窓の外でも眺めるかとソファーに座ると同時に、鳥束に呼ばれた。窓へ向きかけた顔を鳥束に戻す。 「ほら斉木さん、ほらほら、砂糖!」 今回は忘れなかったですよと、何故かドヤ顔で見せてきた。 そんな事で呼んだのかよってちょっとイラっとしたし、すごいでしょってキラキラした目でまっすぐ見つめられちょっと可愛いとも思ってしまったし、どっちにしろイラついた。 『はいはい、偉い偉い』 その感情のままぞんざいに褒めるのだが、鳥束はふにゃふにゃに顔を緩ませ喜んだ。 くそ、やっぱりコイツ可愛いわ。 スーパーで買った食材を冷蔵庫に収めたり、作業台で何やらしたり、こまごま動く鳥束の後ろ姿を、見るとはなしに見ていた。 乾杯して、飾り付けして、また乾杯して、準備をして。 時刻はそろそろ四時になろうというところだった。 「さてお次は、おなじみの火起こしっすね」 鳥束はちらりと時刻を確認すると、腕まくりする仕草を見せた。寒空の屋外しかもすっかり夕暮れの様相を見せる外へ出るのだから、実際は腕まくりどころか厳重に着込む事になるのだが。 ドアの前で一瞬躊躇してから、鳥束は大きく開け放った。 「うっわやっぱ外さみーなー」 『頑張れ鳥束、準備が出来たら呼んでくれ』 僕も戸口までは付き添い、そう告げる。 「くぅー斉木さんめー」 構わずドアを閉める。 そのかわり、デッキに面した窓から作業を見守る。そこはボックス席になっていて、大きめの引き違い戸が設えられていた。なるほど、外でバーベキューなり料理したものを、この窓を通して受け渡し出来るようになっているのだな。いちいちドアから回り込んでこなくてもいいのだ。 僕は窓にもたれるようにして、鳥束の作業を見ていた。 最初は僕の視線に気付いてなかった鳥束だが、見つけてからは、嬉しそうに何度も視線を寄越してきた。 寒いですと腕を擦るジェスチャー、足を踏み鳴らすジェスチャー、それぞれに僕は冷たい目を向ける。 乗ってくれないか、ちぇっ、と、大げさに悔しがるのを見て、僕はふんと鼻を鳴らした。 鳥束は受け付けの売店で買った炭の箱を開けると、一つを、何故か、嬉しそうに見せてきた。 その理由は心の声でわかった。 なになに、ここの炭は形が揃っていてとてもいい、か。 ふうん、売り場や炭の種類によって、形が様々という事か。 確かに鳥束の言うように、長さや形もほぼ同一で、積み上げるのに適したもののようだ。 鳥束は今一度炭を僕にかざすと、コンロを指差し「始めます」と口を動かしにこっと歯を見せた。 僕は小さく手を振った。 頑張れ鳥束、僕はここで見守ってるからな。 それにしてもアイツ、ますます手際が良くなったな。 早くあったまれーと炭に念じる鳥束。 他にも何か、ブツブツ心の声が聞こえてくる。 なんだ、うん? 僕は集中する。 寒いと斉木さん出てきてくれないから、早くあっためないと…か。なるほど 『じゃあ余計中にこもってようかな』 「え、いやーん斉木さん」 鳥束は屈んでいた腰を伸ばし、泣き真似のジェスチャーをした。 分厚い皮の手袋をして、ニット帽を被り、首にもグルグルマフラーを巻いて完全防備の鳥束。 今日は比較的風が穏やかとはいえ、真冬の屋外はそりゃ寒いだろう。 うん、……一人で外にほっぼり出しとくのは、やっぱり気分悪いな。 わかったわかった、今そっちに行くから。 やった、と、頭の上で手を叩いて喜ぶ鳥束。 『お前こそ、冷えて風邪引いたりするなよ』 「はい、今んとこ大丈夫っスね。ちゃんと靴の中にもカイロ入れてますし、オレ寒いの結構平気なんスよ」 昭和の子供みたいに鼻の頭とほっぺた真っ赤にして何言ってんだ。 「おっし、今日も順調に火がついたみたいっスね」 ホッとしたと、鳥束は肩の力を抜いた。 僕は隣で、炭火に手をかざし暖を取る。デッキをぐるりと風よけのシートが覆っているが、入り口や上下は隙間があるから、室内のように一定して暖かいという事はないのだが、それがかえって炭火の暖かさを強調させた。寒いから、火の暖かさがより有難く感じるのだ。 これはいいな、ちょっとした発見だ。離れがたい、ずっとここにいたいと思ってしまう。 「じゃあ、ちょっと失礼して」 そこで鳥束は一旦室内に戻り、タッパーを一つ持って出てきた。 「夕飯まではまだあるんでね、ちょっと、あったかいスイーツでおやつタイムでもと思って」 タッパーの中にあるのは、餃子の皮、マシュマロ、一口サイズのチョコ。 僕はすぐぴんときて、鳥束をきっと見据えた。 「うわ、いいお顔。ふふ、そっスよー、即席スモアっス」 なんだお前、つまりこうか、軽くあぶった餃子の皮にチョコを乗せ、そこに軽くあぶったマシュマロを置いて、それを食べるとそういう事だな――! おいおい、にくい事をしてくれるじゃないか。 嬉しさのあまり奴の腕に取り縋りぎゅうっと握り締めた。 「痛い痛い、斉木さん血が止まっちゃうから、痛いから」 おっとすまん。 へぇ…餃子の皮、ありだな。 ひと口頬張って、僕はゆっくり目を閉じた。 自分でもいくつか、餃子の皮を使ったスイーツを試した事がある。 今日はまた、新たな扉を開いた。 「いけますか、斉木さん」 僕は力強く親指を示した。 「夕飯まで持ちそうですか」 もう一度示す。 「よーかった!」 『お前も食べたらどうだ?』 「ん−、あー、じゃあチョコだけのを」 『そうか、あんまり甘いのは駄目だったな』 「ええ、でもチョコの甘さは平気っス。なのでチョコ餃子にするっス」 『なら浮いた分のマシュマロ僕に寄越せ。倍増で寄越せ』 「くふふ、はいはい」 鳥束は僕のをせっせと焼きつつ、自分のチョコ餃子を包んでいった。 「わー、餃子の皮ありっスね! こりゃ美味い、これ、美味いっス!」」 そうだろ美味いだろ、いけるだろう。 ハフハフしながら頬張り大絶賛する鳥束に、僕は内心得意げになる。 『全然嫌いじゃない……』 出来立てのスイーツ餃子を二人して頬張る。ああなんて幸せだろう。 僕は、シートで外から見えないのをいい事に、隣に立つ鳥束にほんの少し半歩分だけ肩を寄せた。 口いっぱいに広がる幸せが全身に行き渡るように感じられ、僕はそっと微笑んだ。 |
日も暮れ外はすっかり暗くなってしまったが、デッキに取り付けられた豆電球や照明のお陰で内部はとても明るく、作業するのに不自由する事はなかった。 時折パチパチと、炭が控えめに音を立てるのが聞こえた。 「ではいよいよ、バーベキューパーティーの用意するっスね」 おやつで身も心もあたたまり、心地良い余韻に浸りつつ火に当たっていると、鳥束が言ってきた。 「斉木さん、オレが中から渡すんで、テーブルに置いてってくれますか」 『わかった』 室内に引っ込む背中を見送る。すぐに、先程僕が鳥束とあれこれやり取りした窓が開いた。 「まずはこれっス」 大きめのチャック付き袋が寄越される。 「クリスマスったらチキンでしょって事で、丸焼きはさすがに無理っスけど、手羽元の照り焼き、作るっス!」 しっかりタレに漬け込んであると自信満々だ。 『お前…寺生まれだったよな』 「まーまーいーじゃないっスか。何でも大らかに取り入れ皆さんと仲良くするのが、日本人のいいとこですし」 やれやれ…なんて呆れてみせるが、見るからに美味そうな色のタレに浸かった骨付き肉には素直に喉が鳴る。 仕方ないな、日本人はこと食べ物に関してはうるさくて、とことん欲張りだし。 わかった認めよう鳥束、美味いものが食べられるなら、なんだっていいよな。 うん、美味しいのが一番だ。 手羽肉から始まって、レトルトのカレーとシチュー、サラダと続き、またもチャック付き袋が渡される。中には丸めた四つの何かが入っており、正体がわからず僕は軽く首をひねった。 『何かの生地か?』 「ナンの生地っス」 「………」 「ナンの生地っス」 ああ。 一瞬、ふざけてんのかこの野郎とか思ってしまった。ナン、ね。カレーのね。 『へえ、こんなのまで用意してたのか。いつのまに』 「へへー、いつの間に用意してるんスよ。すごいでしょオレ。ねえ惚れた? 惚れた?」 調子付くから、はいはいすごいねーと死んだ目で応対してやった。 「んもおー」 慣れっこの鳥束は、むしろ楽しげに笑いながら、次を寄越してきた。アルミホイルで包んだリンゴ、バナナ数本、それから、個包装になっている丸餅とあずきの缶詰。 受け取り、テーブルに並べていくにつれて、僕の気分はどんどん盛り上がり膨らんでいく。 「これで……ええ、以上っスね。今、そっち行きますね」 『盛りだくさんだな』 「ええ、クリスマスと正月いっぺんにやるっス。パーティーっスから!」 まるで子供のように目をキラキラさせて、鳥束は答えた。多分、きっと僕も、あんな顔をしている事だろう。気恥ずかしくもあり、楽しくもあった。 テーブルに二人分の敷き紙が置かれ、それぞれに皿とコップが配置される、そのどれも、可愛いクリスマス柄で彩られている。 本当は夏みたいにテーブルクロスを用意したかったけど、サイズが合わないと悲しい事になるので、敷き紙を選んだのだそうだ。 更に鳥束は室内から持ってきたツリーの置物をテーブルの中央に置いた。これでよりクリスマス気分が盛り上がるとご満悦だ。 「へへっ」 どんなもんだいと胸を張る鳥束。 お前が威張る様を見るのは非常に不愉快だが、素朴なウッドデッキが一転してクリスマスカラーに染まるのはやはり楽しいもので、つまらない事でカリカリしてもしょうがないかと、僕は苛々を引っ込めた。 網の上では、鳥束が用意した食材がそろそろ食べごろを迎えようとしていた。どれもほどよく火が通り、胃袋を刺激するいい匂いが立ち上っている。 肉も、カレーも、シチューも、そしてデザートの果物類も、どれも食欲をくすぐってくる。 特に肉なんて、フライパンの上でジュウジュウといい音を立てていて、これがまたたまらないのだ。いい音、いい匂い、いい焼き色!…ああなんて事だろう。 僕は少し焦り気味に促した。 『よしじゃあ恒例の乾杯の挨拶、いくか』 「はいっス……ふう」 鳥束は一つ深呼吸すると、コップを手に立ち上がった。 「えー……鳥束零太です」 『斉木楠雄だ』 「ですね。ふふ。えーと、あらためて…鳥束零太です。今回も一緒に旅行出来て、本当に嬉しく思います。今回、四度目にしてようやく、大きな失敗なくこうしてバーベキューパーティーを始められます、ありがとうございます。あの、もう……斉木さん愛してます!」 『馬鹿、お隣さんいるんだから大声出すな』 「あ、たた……すんませんっ!」 慌てて頭を下げる鳥束。はずみで紙コップの中でジュースがたぷんと揺れる。 『落ち着け。それで、鳥束』 「はい、えと、今夜はクリスマスとお正月と兼ねてますんで、ささやかではありますが色々ご馳走取り揃えました、沢山食べて飲んで、楽しくいきましょう、かんぱいっ!」 紙コップがこちらに差し出される。おお、初めてじゃないか、僕にかけそうにならなかったの。さっきはちょっと危うかったがな。 僕はジュースで口を湿らすと、コップを置き、小さく拍手を贈った。 『さあ食べようか』 「よっし、よっし、食べましょう!」 丸めたナンの生地をあの形に薄く延ばし、両面に焼き色をつけていく。 簡単なようで少々難易度が高く、一枚目は残念な事に派手に焦がしてしまった。それで要領を掴んで、二枚目、三枚目と上達し、最後の一枚でようやく理想の仕上がりとなった。 「やったー、綺麗! 綺麗なのは斉木さんの分っと」 『いやいいよ、せめて半分ずつだろ』 「えーだって、美味しいの食べてもらいたいし」 『それは僕だって同じだ。半分こしろ』 「お、おぅっス…いただきます」 ポッと頬を染め、鳥束はおずおずと頭を下げた。 まあ焦げたのもご愛敬だ。恐る恐る端っこをちぎってかじってみたら間違いなくナンで、自分で作ったというのもあって、鳥束はびっくりだといい顔で笑った。 『上出来じゃないか。悪くないぞ鳥束』 「ええ、ナンスねこれ、ちゃんと!」 カレーにつけて食べれば、美味さ倍増だ。 二人で競うようにして、僕らはナンを味わった。 ガサガサとホイルをほどくと、シナモンとバターの混じりあったかぐわしい匂いがふわーんと立ち上った。 リンゴを四つ切にして芯を取り、元の丸に組んだ後、隙間に砂糖とバターを詰めてシナモンを軽く一振り、アルミホイルで包んだら、炭火でじっくり焼く。 それだけで、絶品スイーツの出来上がりだ。 肉やカレーといったメインでだいぶ腹が膨れていたが、スイーツの入る隙間はまだ充分にある。 僕はそっとため息をもらし、焼きリンゴを頬張った。 焼く事で甘みが増し、よりジューシーになるリンゴ。なんて素晴らしいんだろう。 僕はうっとりと浸った。 食後のデザートはそれだけではなかった。 皮ごと丸焼きにしたバナナもある。 網の上で容赦なく焼いたバナナは、鮮やかな黄色はどこへやら、見事に真っ黒になっているが、これが絶品なのだ。 見た目は「ひどい」のひと言に尽きるがしかし、ひとたび皮をむけば中は白く、焼いた事で劇的に味が変化し、言葉を失う程の美味なスイーツとなる。 鳥束は更に工夫を凝らす。出来上がった焼きバナナを一口サイズに切ると、間にチョコを挟んていく。 仕上げにシナモンまで振ったりして、どこまで僕を唸らせれば気が済むのか。 熱々のバナナに挟まれじわりと溶けていくチョコ、鼻をくすぐるシナモンの香り。なんて素晴らしいんだろう。 僕はうっとりと浸った。 更に鳥束は、乾燥丸餅とあずき缶で簡単なミニお汁粉まで作って振舞った。 お汁粉というか、あずき餅というか。 これがまた絶品だった。伸びの良い餅、程よい甘さのあずき、全然嫌いじゃない。 僕は夢見心地で餅を頬張った。 寒い日に、寒い屋外で、温かいスイーツを味わう。 「結構伸びまふね、もひ」 伸びても餅はまた熱々で、それが唇につくと「ひゃあ」なんて言ったりして。 そんな、少々苦戦しながらも、鳥束は楽しそうに笑った。 寒くて甘くて楽しくて。こんな空気、全然嫌いじゃない。 ここに来なかったら、これは手に入らなかったんだよな。 ここに来たから、これが味わえるんだよな。 熱々の餅をハフハフいいながらたぐって、笑い合って、美味しさを共有してまた笑う。 一緒にここに来たからこそ手に出来たそれらに、僕はただ笑った。 |
夕飯の後片付けが済んだら、一緒に温泉へ向かう。 というのも――。 「せっかく無料券貰ったし、行きましょ」 そう、このキャンプ場を利用する客には、等しく日帰り温泉施設の無料入浴券が渡されるのだ、使わない手はない。 その温泉施設は、道路を挟んでキャンプ場の向かいにある。 替えの下着やらタオルやら、入浴道具を揃えトレーラーを出る。 すぐ向かい、すぐそこだが、広いキャンプ場を突っ切る間に身体はすっかり冷え切ってしまった。 もちろん手袋やらマフラーやら完全防寒して向かったが、冷たい夜風に晒された顔が、今にも凍りそうだった。 「ふはぁ〜」 そんなカチコチになってしまった身体を、少し熱めの温泉で癒す。肩まで浸かれば、緩んだ声も出るというもの。 始めは室内の内湯を楽しみ、その後、露天風呂へと移った。 湯けむりと、うっすら見える星空の中、僕たちはゆったりと温泉に浸かった。 「う〜ん……いい」 とろけそうだと呟く鳥束に、僕は心の中で賛同した。温泉はやっぱりいい。 「……へへ」 人が少ないのをいい事に、鳥束はほんの少し肩を寄せてきた。 僕は大げさにじろりと見やって、けれど離れる事はせず、したいようにさせた。 「きもちいっすね……さいきさん」 『ああ…そうだな』 「やっぱ、冬は温泉っすね」 『ああ…そうだな』 はぁっと、腹の底から息を吐き出す鳥束にそっと笑い、僕は温泉を満喫した。 「あ、斉木さん顔ポカポカのツヤツヤ」 湯上り美人! 温泉を出て、着替えてる最中、鳥束は微笑ましく見やってきた。 『お前こそ、いつかの日焼けみたいに鼻の先まで真っ赤だぞ』 「あっ……もう、いつまでも言うんだから」 いつの話してんスか 慌てて手で覆い、鳥束は小さくふくれっ面になった。 『充分温まったようだな』 「ええ、さいっこーに気持ち良かったっス」 指の先までホカホカしてると、鳥束は笑った。 施設内には広い休憩スペースがあり、お食事処やお土産コーナーも充実していた。 壁には様々な自動販売機がずらりと並び、飲み物はもちろんアイスもあり、更にはキーホルダーなどの小物のお土産の自販機まであった。 鳥束はそれに目をとめると、すごいすごい、珍しいと、はしゃいだ声を上げた。自販機にも惹かれるし、お土産コーナーにも相当の引力を感じているようだ。どこから見ようか、キョロキョロしっぱなしだ。 「うちはあの、あんまり旅行とかしないから、こういうとこ来るとウキウキしちゃうんスよ」 修学旅行も楽しくって、ねえ。 『そうか。じゃあせっかくだ、土産屋覗いていくか』 「わーあんがと斉木さん」 鳥束はお土産コーナーをぶらぶらしながら、試食の漬物に手を伸ばした。 「ん……、いい味っスねこれ」 みんなに買ってこうかな。 その横で僕は饅頭の試食をパクリ。うん、自分のお土産にしようかな。 「あ、こっちも好きだな」 別のも口に放り込みながら、今買おうか悩む鳥束に云う。 『明日も帰りに駅前の土産屋に寄るが、そこに同じものがあるとは限らないから、いいと思ったなら買っとけ』 「ん−そっスね。じゃ、ちょっと待ってて下さい」 『ああ。ゆっくり選べ』 「あざっス。へへ」 鳥束は漬物コーナーを重点的に見て回った。背中からもわかるほど、楽しそうに土産を選んでいる。 僕はそれを視界の端に、別の甘味を試食した。 ぱくっといったところで、つい喉に詰まらせそうになった。僕がそんなヘマをしたのには理由がある。つい今の今、下宿先への土産どうしようかで唸ってた鳥束の心の声が、驚くべき速さで「斉木さんへのお土産どうしようか」にすり替わったのだ。 コイツが、僕の事ですぐ頭が一杯になるのは今に始まった事じゃないが、あまりに早い切り替わりにさすがの僕も饅頭を詰まらせたと、そういう訳なのだ。 (この甘いの斉木さん好きそう) (いやこっちのがいいかな) (食べてみて……うーん、やっぱりこっち、かな) (お、これも喜びそう!) 恥ずかしくて聞いてられない。思わず後頭部ひっぱたいてやろうかと思ったくらいだ。 おい鳥束、お前おかしいぞ。同行者にお土産買うとか聞いた事ない。 僕はすすすっと距離を取った。単なる自分の錯覚に過ぎないのだが、鳥束から熱気が放たれてるようで、傍にいられなかったのだ。 顔だって気のせいじゃなく熱くなってるし。これは温泉の効能とは違うものだし。やれやれまったく、アイツはいつでも全開だな。 何か冷たいもので鎮めようか。そんな事を思いながら、僕は自販機の並ぶ一角をぶらついた。 そこへ、お土産を買った鳥束がやってきた。 その時僕は丁度アイスの自販機の前にいた。 「風呂上りのアイス、美味いっスよね。どれにします?」 『お前は何にするんだ?』 「あー…オレは、夕飯一杯食べてまだ腹きつきつなんで。でも斉木さんは入るでしょ」 『いや、いらない』 「さすがにアイスは冷たすぎましたかね。じゃあっちのお食事処で何かデザート食べてきます? 美味しそうなの、券売機で見かけましたよ」 うん…僕も見た。けどいらない。 首を振る僕に、鳥束は目を見開いた。 「えーちょ、斉木さんが甘いもの断るとか……はっ、天変地異の前触れか!?」 『はっ倒すぞ』 「さーせん!」 そうじゃなくてだな。 『お前の作った甘味が最高だったからな』 「えっ……」 『焼きリンゴもホットチョコバナナもお汁粉も、どれも頬っぺた落ちそうだった』 「……えっえへ」 鳥束はむず痒そうに肩を竦めた。 僕は僕で、顔が火傷しそうだ。 「気に入ってもらえて嬉しいっス」 調べた甲斐がありました。 「絶対気に入ってもらえるって自信あったけど、喜んでもらえて嬉しいっス!」 あーんもう斉木さん大好き、愛してる! ひと目のあるところで抱き着いてきそうだったので、僕は土産物コーナーへ避難を決める。 施設を出た後は、肩を寄せ合い、来た道を急いで戻る。 「さむさむ〜」 いそげいそげ! 駆けるようにしてトレーラーハウスを目指す。 僕は夜の暗がりをいい事に、鳥束の手を取った。お互い手袋をしているが、それでも、ぎゅっと握れば相手の体温がわかった。 「!…」 鳥束の脳内がたちまち騒々しさに包まれる。 寒さで息を切らすのとは違う息遣いなのは、笑っているからだ。幸せそうに鳥束は笑う。僕も合わせて、小さく笑った。 |
トレーラーに入った直後、鳥束は力強く抱き寄せキスしてきた。夜気にさらされ冷えてしまった唇にちょっと驚く。 「はー風寒かった〜ははは」 あんまり冷たすぎて笑っちゃう。 鳥束は楽しげな声を上げた。 そんな鳥束の顔から僕は目を背ける。 『僕は、そんなに』 「あーまたあれ、超能力っスか。うらやましー」 わざとらしく人差し指を口の端にくっつけ、鳥束は唇を尖らせた。 そんなんじゃ…ない。能力を使わなくっても、ある事のお陰で僕は寒さを感じずにいられる。 お前にだけは絶対言わないけどな。 「でも温泉、気持ち良かったっスね〜」 「ああ、ちょっと熱いくらいの湯船だが、全然嫌いじゃない」 「ね。冷えちゃったかと思ったけど、こうして落ち着くと、身体の芯からポカポカが蘇ってきますね」 『そうだな』 「それに」 鳥束の腕が肩に回り、僕をぐいっと抱き寄せた。そうする意味も目的も筒抜けだけども、やっぱり、腕の力強さには一瞬どきっとしてしまう。わかってたって、超能力者だって、ときめく時はあるんだよ。 けれど僕はそれを長くは許さなかった。 髪の匂いを嗅ぐ鳥束の身体を思いきり押しやる。 『やめろ変態』 「ひっど。ねえ、同じ匂い、嬉しいっス」 そんな事くらいで鳥束は飛び切りの笑顔を見せてきた。 ああだから勘弁してくれ。結構ギリギリなんだぞ。今はまだ温泉でのほてりが残ってるとかの言い訳が通用するだろうが、これ以上は危うい。ほてりじゃないってのがバレちゃうだろ。 『……ふん、やっぱり変態だ』 些細なことにも幸せを見出して、お手軽な奴だ。お陰で僕は鼻血が出そうなほどのぼせたじゃないか。 こうなったら、きっちりお返しさせていただこうじゃないか。 出発前に、柄にもなくネットで探し回ったあるものを、僕は荷物から取り出した。 以前ネットショッピングで痛い目に合ってるからな、今回は慎重に選び抜いて、一番映える品を買った。 この日の為に用意したのは、長いコードに点々と連なる電球の群れ。つまりイルミネーションライトだ。 本当は、到着時に鳥束が飾り付けをし始めた時に同時に出そうと思っていたが、つい物怖じしてしまい出しそびれていた。まあ、今こそいいタイミングだろう。 雪の結晶とか星型とか他にも形はあったし、赤やピンクやブルーのカラフルなものもあったが、暖色かつシンプルな細いライトのものを選んだ。 あんまり「ズバリ」なものは、恥ずかしくて買えなかったのもある。ま、僕らにはこういったシンプルなものが似合ってるよな。 「え、ちょうわうわ、斉木さんが、うわうわうわ!」 僕がライトを取り出した瞬間から、鳥束は大はしゃぎだった。 その反応はまさに狙っていたものだからこっそりドヤ顔したくなったし、ストレートに喜ばれる…喜ばせる事に照れくささを感じて頬が熱くもなった。 だものだから、僕は適当に部屋を飾り付けた後、複雑な面持ちで鳥束を振り返った。 「あーん、斉木さんすごい、すごく嬉しい!……素敵です」 目を潤ませ、鳥束はうっとり見つめてきた。 僕は肩を竦めながら小さく笑った。 「雰囲気たっぷり、クリスマス一色っスね」 鳥束はぐるりと室内を見回した。どこに目をやっても「クリスマス」がそこにある。サンタの飾りとか、トナカイとか、ライトとか。 「これでコーヒー飲んだら最高っスね!」 『そうだな』 そこは素直に賛同する。 「あるんですよ、じゃーん!」 このコーヒー、檀家さんからの貰い物なんスけど、一番良さそうなの持ってきましたと、鳥束が「じゃーん」とばかりに出してきた。 何をするにも嬉しそうな鳥束に、僕もつられてちょっと笑った。 「斉木さん、どれにします?」 ふぅむ。じゃあ、モカブレンドで。 「りょーかいっス。オレは…ブルマンいっちゃお。すぐお作りしますんで、座って待ってて下さい」 鳥束は早速湯を沸かすと、それぞれのコーヒーを作り始めた。 僕は言われた通り、ボックス席でない方のソファーに腰を落ち着けた。背後に窓があり、外はもう真っ暗だから自分の顔がぼんやり反射している。自分の顔を見てもしょうがなので、僕は向き直り何とはなしに室内を見回した。 お湯を注いですぐに、こちらまでかぐわしい香りが漂ってきた。思い切り吸い込む。 ああ、いいなこういうの。どこを向いても「クリスマス」だし、ライトはチカチカ点滅してて目に眩しいしでなんだかこそばゆいけども、それはそれでいい。 おかしな、あんなにクリスマスにうんざりしていたのに「これも悪くない」と思うとか、本当に同一人物だろうか。 自分に自分で笑う。 「お待たせ、こっちが斉木さんのっス」 ほどなく、テーブルに二つのカップが並べられた。 「じゃーいただきましょー」 そして鳥束は僕のすぐ隣に肩を寄せると、カップを持ち上げた。 いただきます。 「いただきます」 奴めブルマンを選んだが残念な事にバカ舌か、いまいちわからんて顔しやがった。 『もったいない、両方僕が飲んでやる』 「いやいや、美味しい美味しい、だいじょぶだから」 香りはすっごくいいから、幸せ感じるんスけどね ああ、その気持ちはよくわかる。僕もよく純喫茶魔美で同じ気持ちになるから。 ずずっとちょびっとずつすする鳥束。美味しい、けど、と続く心の声。 けどの後に続くのは、ちょっと苦いという言葉。 『お前あれじゃないか、無糖のカフェオレが好きなんだから、無理せず牛乳入れろ』 「買ってないです……」 失念してましたと元気のない声。 やれやれ、せっかくのコーヒー、より美味しく飲めよ。 僕は千里眼で家の冷蔵庫を覗いた。大体いつも常備してるからな、今日もあって何よりだ。 アポートで取り寄せる。 「あ、すっご……やっぱすごいっスね超能力」 『一回百円な』 その後すぐに『冗談だ』と付け加えたのは、例の「百円マン眼鏡」をしてない事に気付いたからだ。あれがなきゃ、いくらコイツ相手とはいえ請求できない。 失敗したな、たかが百円、されど百円、まずは百円マン眼鏡をアポートするべきだった。 「えー、こんなに美味しくコーヒーが飲めるなら、百円と言わず千円だって出しちゃいますよ」 半分本気なのが始末悪い。まったく、鳥束の癖に。 下らない事言ってないでさっさと入れろ。 僕は無言で牛乳を差し出した。 「わーい、じゃせっかくなのでいただきます」 鳥束は大喜びでいそいそと牛乳を足した。 「はー……うまい!」 あったかいため息を吐く鳥束に軽く肩を竦め、僕もひと口すする。 しばらくそうして、静かにコーヒーを楽しんだ。 鳥束は、目線こそカップの中のコーヒーに向けていたが、心の中では、今回の旅行を僕がどう思っているだろうと尋ねたがっていた。いつ切り出そうか機会をうかがっている。 奴が口に出すまで待つかそれとも自分から先んじて伝えるべきか。 僕は後者を選んだ。 『面倒だったが、来て良かった』 一瞬目を見開いたあと、鳥束はちょっと恥ずかしそうにしながらも「良かった」と小さく呟いた。 『お前、いつもいつも、張り切るよな。運動嫌いのモヤシ、スタミナ皆無の癖に、僕の事となるといつも全力だ』 「え、そりゃだって斉木さんにも楽しんでもらいたいし。オレは楽しいっスよ、すごく。でもそれじゃ、自分だけじゃ駄目っスよね、一緒に楽しくなれなくちゃダメっス。だから力も出せるんスよ」 『ふん』 「ふんて言わないのー」 ふん、それは僕だって同じ思いだ。 「わー、ねえねえ斉木さん、外」 鳥束の指差す方…窓の方に目を向けると、小粒の雪が降りしきっているのが見えた。 二人で一つの窓に寄り添い外を眺める。 「あの、思い出した事が。こないだ見た終末映画がこんな感じでした」 突然大寒波に見舞われて、どーのーって。 『雑な記憶だな』 「や、なんかそういう内容の映画、結構あるから…多分色々ごっちゃになってると思います。いやとにかくね、今こうやって窓から雪降るの見てたらなんかふっと思い出したんで」 そういやあれ、遠方に取り残された家族を心配して助けに行く、とかの場面があったようななかったような。 鳥束の脳が、必死に記憶を辿っている。多分その映画、僕も見た事あると思うぞ。タイトルが思い出せんな、ここまで出かかっているんだがな。 「ねえ斉木さん、もしオレが遠方でそんな災害に巻き込まれたとして、助けに来てくれますよね」 恐る恐る聞いてくる鳥束。 ぴんと来ず、思わず首をひねる。たちまち鳥束の内心が猛吹雪に見舞われるのだが、ちょっと待て。落ち着け。 『だってな、いつでも僕にひっついてるお前が、遠方、……?』 「や、あの…あるでしょ、そういう時が! いくらでも!」 『というかそもそも僕に「遠方」はない』 「あんっ、ん−そういえばそっスね」 そうだろ。 地球の裏側? まさに一瞬だが。 「あ、じゃあじゃあ、斉木さんはオレの危機には必ず駆け付けてくれる、と!」 僕は思い切り顔を歪めた。 そうだな、そういう事になるな。しかしそれは、非常に不愉快だな。 『煩悩の塊は氷漬けにして粉々に砕いた方が、世の女性の為か……?』 本気で思案する。 「なんでそー物騒な事言うかな!」 あーうるさいうるさい、外に放り出すぞ。 耳を塞ぐ。 そうしたって心の声は遮断出来ないのだが。 『じゃあお前はどうなんだよ』 「はっ、行きますよ」 即答か。しかも真顔で。何なら今すぐ外に飛び出しそうな決意っぷり。 『はぁ…ゾンビの群れに放り投げてやりたいな』 「はぁー? 何が何でも生き延びてやるもんね!」 『お前は序盤で訳も分からず襲われるモブの一人だ』 「もおー。さいきさん、たすけてー」 腰に腕を回し、しなだれてきた。 『安心しろ、死に水はちゃんととってやるから。そんでちゃんと「鳥束零太ここに眠る」って、アイスの棒で墓も立ててやるよ』 「うっぐぐ、……やだぁー、斉木さん」 あ、やべ。 コイツ、なんか割と泣き虫なんだよな。感受性が強いというか、旅行するとそれがとりわけ強まる。好きな女子への告白に失敗してビンタ食らっても泣かない程度に強くはあるのに、こういう時になるとすぐメソメソするんだ。 まあ、だからって邪険にはしないし鬱陶しいとも思わないが。弱ってしまうけども。 頭の中では、絶対復活してアンタに付きまとってやる、とジョークも浮かんでるのに、顔はすっかり泣き顔で、デカい身体を丸めて僕にしがみつき、静かに涙を浮かべている。 やれやれ 『たらればの話なんかどうでもいい』 「ええ、あっ……」 しがみ付いてくる身体からすり抜け立ち上がる。鳥束は傷付いたような顔で僕を見上げ目で追ってきた。その視線をつれて冷蔵庫に向かった僕は、中からコーヒーゼリーを取り出した。 『今の時間がもったいない』 どうにもならない無駄話するくらいなら、コーヒーゼリーを食べている方がよっぽど有意義だ。 奴の隣に戻り、蓋をめくって、自分にあーん。 それを、鳥束が「うんうんそうだそうだ」とにこやかに見守っているので、やれやれしょうがない、ひと口譲ってやるよ。 「ええっ」 恐れ多いとか言ってまだるっこしいので、サイコキネシスで口に滑り込ませる。 「んぼっ!」 むせた? 知るか、モタモタするお前が悪い。 ゴホゴホした後、鳥束はコーヒーゼリーうまーいと笑顔になった。 今泣いてたカラスがもう。 まったく。お前はそうやってニコニコしてろ。 『もうやらんぞ。僕のだ』 「ええ、いっス」 鳥束は寄りかかっていた身体を起こし、大きく伸びをした。 「斉木さんの幸せが、うっ、オレの幸せっス」 『奇遇だな、僕も、斉木さんの幸せが好きだぞ』 「ははは、アンタねえ」 そうだよ、笑え。 |
「ああー!……しーっ」 和やかな時間が、鳥束の突然の叫びによって破られる。 この馬鹿、今回は離れ小屋じゃないんだぞ静かにしろ、と思ったら即座に本人も気付いて、自分に「しーっ」だと。 『なんだ、いきなり』 「や、あのですね、え!」 大急ぎでリュックに駆け寄り、中を探り始めた。 「クリスマスっていったらケーキじゃないっスか、でも本格的なケーキを買うのも作るのもちょっと難しいでしょ、そんな時に丁度良く……とにかく、持ってきたのすっかり忘れてたっス!」 鳥束は大急ぎであるものを持ってきた。それは、ねる以下略とかのいわゆる知育菓子で、しかし僕が知ってるものより一段豪華というか立派な箱入りのものだった。 で、その箱にある「スイーツタイム」という文字と、ショートケーキなどの絵に、思わず口の端から出そうになった。 「これ、ね、どうです? これなら作るのも簡単だし、カラフルだからクリスマスにぴったりだと思って即買いしたんスけど、ええ、もうなんでかど忘れ…えへへ」 えへへじゃない、お前、なんでもっと早く出さないんだお前は。 やれやれ、四度目にして大きな失敗なく良かった良かったと思っていた落とし穴が、これか――まあいい、早速作ろうじゃないか。 鳥束は丁寧に蓋を開け、中身をテーブルに並べていった。 「斉木さんて、こういうの食べた事あります?」 『まあ、子供の頃普通に』 「いっスねー、オレはね、一回あるかないかっスよー。別に、特にダメって言われる事もなかったんですけどね、なんとなく欲しがっちゃいけないかなーって子供ながらに思ってて」 だから羨ましいと、鳥束はキラキラした目で見てきた。 あんまりよくはないぞ。どこぞのバカが、勝負のタネに「どっちが早くねる以下略か勝負しようよ楠雄!」とかって言ってきて、そんでいざ始めると、奴は頭のつくりのせいか何なのか、水の量で大いに躓いてな。訳の分からない図形と数式をバーっと書いちゃ「納得いかない」とかブツブツいって全然進められなくてな。その癖その後も三回くらい言い出してきたが、毎度顔真っ赤になるほど計算してはパンクしての繰り返し。 だから、僕もあんまりといえばあんまりだ。 まあ、出来上がったねる以下略とかは美味しかったぞ。それなりに。 「それねー、水だけで作れるそうなんで、斉木さん一緒に作りましょ」 箱裏のつくり方にざっと目を通した僕は、鳥束に残念なお知らせをするべきかちょっと迷った。 「……どしました? 本物のスイーツのがいいとか?」 『いやな、うん』 まあ本物は後日ご馳走してもらうとして、だ。 『鳥束、非常に言いにくいんだが……』 「えー、傲岸不遜な斉木さんが……あいたっ!」 『静かにしろ』 拳骨をくれると、恨みがましい目を寄越された。余計な事を言うからそうなる。 というかだな、お前がしっかり作り方を見てれば、僕がこんな罪悪感抱くこともなかったのに、まったく。 「って〜……で、なんすか?……はぁっ!」 僕が差す先にある「電子レンジで加熱してね!」の一文を読み取り、鳥束は凍り付いた。 このトレーラーハウスに電子レンジはない。レンタル品で、管理事務所に行けば貸し出してもらえる、だがすでにもうこの時間じゃ事務所は閉まってる。 「あああぁぁぁ……」 鳥束は両手に箱を持ち、泣きそうにわなわなと震えた。今にも膝から崩れ落ちそうだ。 ええい、そんな顔するな。 秋の時に言ったろ、思い出せ、お前がどんな失敗しようが、僕が何とかしてやるから心配するなって。 『なんとかやってみよう』 「えっ……」 「うわうわうわ……しーっ」 一人で盛り上がり一人でひそめて、鳥束は零れんばかりに目を見開いた。 そうだ、静かにしてくれ。これ、結構集中力がいるんだ。 「んんん……っ!」 かたずをのんで見守る鳥束の前で、小さな容器に入った液体がふわふわっと膨らんで「スポンジケーキ」に変身していく。 電子レンジ、三十秒…こんなもんか。 『っはぁー……』 箱の見本とほぼ同じ仕上がりになったところで、僕は脱力した。ソファーの背もたれに頭を乗せてぐったり。もう動けない。 「わー斉木さん、お疲れ様っス!」 鳥束はひそひそ声でねぎらってきた。 『どうだ? 出来てるか?』 「はい、ええ、問題ないようです」 超能力で電子レンジの代用は、今までもやった事があるんだ。家のレンジが壊れ、新しいのが届くまでの間、ご飯やシチューの温め直しなんかを請け負い、母さんに感謝された。 ならなぜ今回こんなに疲れたかと言うと、対象物があまりに小さいせいだ。 やれやれ、今後の為に、こういった方面も訓練しておこうかな。 「はーよかった。残りはちゃんと水だけで作れるので、オレが全部やりますね、出来上がりまで斉木さんは休んでて下さい」 『そうする』 任せた鳥束。 僕は目を閉じた。 「えっとーまず、こっちの容器に水二杯、それから「いちの粉」を入れてよくまぜるー……んで、こっちは「にの粉」で、よくまぜるー」 カサカサ、ゴソゴソ。デカい身体を丸めて、鳥束はちまちまとした作業をそれはそれはとても楽しそうに行っていた。 僕はそれを子守唄にしばらく寝ようと思ったが、すぐに目を開いた。そういやコイツ、こういう事をするのはほぼ初めてなんだよな。密かな憧れを持ってたりするんだよな。家で一人でやっているなら一人でやっても何ら問題ないが、僕もいるのに、コイツ一人ほったらかしにするのは――うん、気分悪いなあ。 やれやれ。 僕は身体を起こした。 『どんな様子だ?』 「あ、斉木さん大丈夫っスか? 今メロンとミカン作ったんスけど、これ、おもしれーっスね!」 水に白い粉入れるとね、ちゃんとメロンとミカンの色になるんスよ。 「うわすごい、これちゃんとイチゴの真っ赤だ! ね!」 たのしーね、たのしーね斉木さん! 飛び切りの笑顔が向けられる。 くっ…眩しいなお前、夜なんだからちょっと控えろこの野郎、と思うのに、口の端っこが緩んで仕方ない。 上下に分割したスポンジケーキにクリームとゼリーをはさみ、デコレーションした上にイチゴゼリーを乗せたショートケーキ。 ビスケットにクリームを絞り、フルーツをのせたタルト。 メロンゼリーにクリームを絞り、ブルーベリーゼリーをのせたスペシャルメロンゼリー。 小さいながらも立派なスイーツセットが完成した。 「できましたあー!」 揃えた指の先だけのささやかな拍手で、鳥束は完成を喜んだ。 「え、え、斉木さんこれすごくないっスか! これ全部、水で作ったもんですよね?」 とてもそうは思えないと、鳥束は角度を変えちゃ顔を寄せ、出来栄えに感心している。 僕も驚いている。 ゼリーのツヤツヤがフルーツの瑞々しさに引けを取らず、本物のフルーツケーキみたいじゃないか。 「斉木さん、コーヒーいれましょコーヒー。商品名スイーツタイムっスからね、スイーツタイムにコーヒーはつきものっスよ」 鳥束は大慌てで用意しに行った。 「いっただっきまーす」 『いただきます』 「……!」 「……!」 僕らは同時に顔を見合わせた。 いや、これはなんというか…夜テンションやばいな。 作る過程は全部見てたし、所詮安価なお菓子、所詮ゼリーとどこかで侮っていた僕も、すっかり盛り上がっていた。 このショートケーキ、本物に引けを取らないぞ!? 本気でそう思った。 それくらい、うん、悪くないのだ。 鳥束も、自分でいちからせっせと作った苦労があるからか、あるいは少量だからか、僕でもはっきり甘いと感じるものを美味しい美味しいと平らげた。…もったいない。 「いやー、すっごい楽しかったし、すっごい美味しかったし、この知育菓子って、いいっスね!」 また是非一緒に作りましょうと、鳥束はこぼれんばかりの笑顔だ。 『そうだな』 「!…約束っすよ、斉木さん」 鳥束は更に顔を輝かせた。 だから夜にそれやめろ、眩しいって。わかってる、ちゃんと約束するよ、したした。だから、僕のあまり好ましくないこのお菓子に関する記憶、お前、ちゃんと塗り替えてくれよ。 ささやかながら豪華なスイーツタイムを過ごしたあとは、一緒に歯を磨いて、秋にお披露目された例の寝袋に潜り込んで、お休みなさいと消灯時間を迎えた。 |
ああ、朝だな、というぼんやりした思考が僕を目覚めへと導いていく。段々、だんだん、頭の中が明確になってゆき、どこにいるのか、誰といるのか、なんてことを考えるようになっていく。 今日は十二月のとある朝、鳥束と一泊旅行に来ていて、目を開けたらすぐそこに奴の間抜け面があるんだ。 そこまで思った時、はっきりしたものじゃないが、嬉しいに近い感情で僕は頬を緩めた。 目を閉じたままそろりと手を動かす。すぐに手が当たった。うん、いるな。 そこで、そういえば今回は離れ小屋じゃなかったっけ、家ほどじゃないにしても、コイツ以外にも人がいるんだったっけ…と思い出し、嫌だな、せめて一番にコイツの声が聞きたいな、なんて、柄にもない事を思った。 ぶっ叩いて起こしてでも聞こうかと途中まで行動に出るが、せっかく気持ち良く寝ているのだからと何とか思いとどまる。代わりに顔を見た。 瞬きを何度も繰り返して、僕は見続けた。 思った通りの間抜け面に満足して、何度も何度も瞬きをする。 やがて、一つまた一つと範囲内の心の声が聞こえ始めてきたが、間抜けな寝顔を晒してる奴の寝息で、穏やかな気持ちになれた。 ああ良い朝だなと僕はしみじみと噛みしめた。 朝食は、キャンプ場の一角で販売される焼き立てパンと、カセットコンロを使ってのベーコンエッグ。 パンは、前日夕方までに予約しておけば、朝早く並んだり売り切れの心配なく受け取れる。というので受付時に抜かりなく予約しておいた。 僕はクロワッサン、メロンパン、チョコメロンパン。鳥束はカレーパンとホットドッグ二つ。それと昨夜の牛乳を温めて、いただきますと手を合わせる。 「わーうまそっ。冬の寒い朝、あったかい牛乳とベーコンエッグと焼き立てパンとか、最高の贅沢っスね、ね!」 『ああ、そうだな』 テーブルを挟んだ向かいで、僕は小さく笑う。 わざわざ屋外のデッキで防寒してまで朝食にするというのも中々正気の沙汰じゃないが、寒い中だからこその温かいもの…湯気だとかが際立って、より強烈に記憶に刻まれる。 「焼くと更に美味しいってあったんで、お試し、挟んで焼こうメロンパン」ということで「挟みます」 鳥束は、例のホットサンドメーカーにメロンパンをセットし、ロックをかけた。 ふんわりとした綺麗な半円が潰れるのが正直惜しいと思うが、鳥束が「美味しい」というのだ、任せよう。 そして出来上がった、潰れメロンパン。 「!…」 見てくれは確かにアレだが、その味わいたるや! 味だってそうだし、また匂いがもう最高に素晴らしい。 見た目が少々悪いからこそ際立つうっとりさせるほど甘い匂いととろけるような美味さ、天にも昇る気分とはこの事か。 「どっすか、いけます?」 自信満々でありながらちょっと不安そうに、鳥束は様子をうかがってきた。 僕は言葉もなくただただ頷いた。 「はー、良かったっス」 僕もだよ。 本当に贅沢な朝だな、今日は。 夢見心地でメロンパンをかじる僕に、続けて聞いてきた。 「斉木さん、今の内に、チョコメロンパンもあっためますか?」 ふわふわしたまま頷く。 「りょーかいっス」 鳥束は本当にまめな奴だな。 密かに感謝しつつホットミルクのコップに手を伸ばす。 ああ、温めた牛乳とホットなメロンパンの組み合わせ…最高。 「お、斉木さんこれ、ねえねえ、いい焼き色じゃないっスか?」 見せられたチョコメロンパンに、僕は目を見開いて頷いた。 「じゃあ、冷めないよう鉄板にのっけときますね。火傷、気を付けて下さいね」 『僕を誰だと思ってる』 「ふふ、オレの愛しい彼氏サマっス」 『きっも』 「ひっで。朝なんだからもっと穏やかに」 くすくす笑う鳥束。 ふん…まあ、気を付ける。 カリカリの、僕好みの焼き加減に仕上がったベーコンをかじりながら僕は、二つ目のホットドッグを食べようとする鳥束にじっと視線を注ぐ。気付いた鳥束はあがーっとでかく開いた口を、ゆっくりゆっくり閉じた。 「食べたいんスか?」 『美味いか?』 「食べたいんスね?」 「………」 『別に』 「半分食べます?」 「……っち」 「なんで舌打ちすんスかー」 お見通しなのが気にくわないからだよ。 「もー、素直に食べたいって言えばいいでしょー、ふふ」 鳥束はホットドッグを置くと、例のナイフで半分に切っていった。 「昨日予約する時にね、なんとなくこうなるんじゃないかなーって思って、二つ頼んだんスよ。いやー、オレって彼氏の鑑ってのー?」 自画自賛しながら、鳥束は半分寄こしてきた。 それをただもらうのは癪に障ったので、僕はまだ食べてないチョコチップメロンパンを真っ二つに引き裂いて奴に突き出した。 「うお、ワイルド。え、いいですよ、甘いの斉木さん好きでしょ、たくさん食べて」 『それじゃお前半分足りないだろ。いいから受け取れ。チョコチップくらいなら食べられるだろ』 「ええまあ」 『よし』 遠慮がちに伸ばされた手にぐいっと押し付ける。 『これでいいな』 「ええ、ハイっス。いただきます」 『いただきます』 「わー、メロンパンとか久しぶりっスー。……うぉ、美味い! これで焼くとこんなに美味くなるんスね。すげー美味いっス!」 『こっちも、ウインナーがジューシーでいいな』 「ね、ホットドッグもたまにはいけますよね」 『うむ、いける』 僕たちはホクホクで頷いた。 焼き立てパンを平らげ、ベーコンエッグを平らげ、少しぬるくなったホットミルクを啜りながら、鳥束は静かに尋ねてきた。 「ねえ斉木さん、聞いていいスか?」 『なんだ』 「あの、質問、どの回の旅行が思い出深いですか?」 春、雰囲気ある洋館で過ごした二泊三日。 夏、湖畔にてのんびり過ごした三泊四日。 秋、特製秋御膳の為に奮闘した一泊二日。 そして今回の、トレーラーハウス初体験。 「あ、ねえ斉木さん、初体験って…ぐふっ、なんかちょっと響きがアレっスよね」 朝っぱらからなんてこった。 はぁ、コイツ…やっぱりゾンビの群れに――いやいっそ僕の手でぽっきりいくか? そんな事を考えていると、またろくでもない事考えてるでしょと鳥束に言い当てられ、僕はしらばっくれてそっぽを向く。 さて、それはそれとして、どの回の旅行が一番思い出深いか――だが。 どれも楽しくて、山あり谷あり、でも結局思い返せば楽しかった事ばかりで、どれか一つなんて選べないな。 『お前はどうなんだ?』 「あー、うーん、聞いといてあれですけど、ははは、全部っスかね」 あの時はあれが楽しかった、あの時は大変だったけどでもいい思い出だと、僕とおんなじような事を、鳥束は語った。 『僕もだ』 「え、ほんとっ?」 『ああ。災難だらけだったはずなのに、思い出すと全部が特別に思えて、選べない』 「ふふ……はー、良かった。斉木さんに楽しんでもらうのが一番大事ですから、そう言ってもらえて本当に良かった」 僕も良かったよ鳥束。そうやって僕を一番に思ってくれるお前とこうして特別な時間を過ごす事が出来て、本当に嬉しく思う。 僕は本当に、幸せ者だ。 朝食の後片付けが済んだら、今度はトレーラーハウス内にちりばめた飾りの回収だ。 僕は電飾だけなので早々に済んだから、鳥束の手伝いをする。 その最中、僕にしては珍しく思ったと同時にテレパシーを送った。 『おい鳥束、今度キャンプ道具を見に行く時は、僕も誘え。一緒に選びたい』 「え、うわっうわっ、えっはい是非、今度一緒に行きましょう!」 鳥束は一杯の笑顔でビュンとばかりに僕の前に立った。一瞬にして視界を占領したクズ野郎の顔に、自らの発言を少々後悔する。 「でも斉木さん、一体どういった心境の変化で?」 まあ、ほんの少々な。 『旅行前に、お前と百均行ったよな』 「ええ、行ったっスね。あ、もしかしてあれが楽しかったからっスか?」 『……まあそんなところだ』 「うわこれ来てるっしょ、次こそテントでお泊りできるんじゃ?」 『まだそこまでは。でも、絶対嫌という事も無くなってきてるからな』 「うっわマジ、これワンチャンあるって事よね!?」 『……多分』 「多分でもいいっス! あーあのですね、もしテントってなったら、しっかり予習して設営張り切りますんで。斉木さんは休んでていいんで」 『いや僕も手伝うぞ。万一があれば半分出す気もある。そうしたら二人のだからな、二人で設営するのが当たり前だろ』 「斉木さぁん……」 『絶対虫に悩まされないような、そんなテントもあるだろ?』 「ありますあります、オレ結構見てますんでね、斉木さんが快適に過ごせそうな装備のテント、ありますですよ」 『それで、冬限定なら、一緒に行ってやってもいい』 「ああぁ……しあわせー!」 鳥束は僕の両手を取ると、大げさなくらい目を煌めかせて喜んだ。まるで絵に描いたようにキラキラするので、僕は若干身を引いた。 しかし鳥束はそんなもの一気に縮めて、僕の唇を奪った。 「――!」 この野郎、と殴りたくなったがなんとか引っ込め、僕は身を委ねた。 長くてしつこいキスを何とか耐え抜き、僕は解放された。 顔は離したものの鳥束の腕は未だ僕をしっかりとらえている。これ、抜け出すの不可能だな。だから無駄な抵抗はしないでおとなしくしている。 鳥束の脳内は大騒ぎだ。いつ行こうかな、嬉しいな、楽しみだな、何買おうかな。ポンポンポンと、泡のように軽やかに弾けている。 やれやれまったく。いつだろうが何だろうがとことんまで付き合ってやるよ。 鳥束はしばらく僕の瞳を見つめた後、再びゆっくり唇を近付けてきた。 待つだけなのが何だか癪に思え、今度は僕から向かう。 ちょっとびっくりして、喜んで、鳥束は迎え入れた。 この時はお互い気付いていなかったが、実は履いていたスリッパのうさぎたちも、同じようにキスをしていた。仲良く鼻先をくっつけ合ってるのを見て、鳥束が笑う。何がおかしいのかさっぱりだが、僕も一緒に笑った。 |
ただいまと玄関を開けると、すぐに母がおかえりなさいと応えた。 「楽しんできた? 向こうはどうだった? 鳥束君は一緒じゃないの?」 僕はそれらに手短に応え、現地で買ったお土産の紙袋を渡した。前回、母さんに好評だったラスクの詰め合わせをもれなく買ってきたので、大いに感謝された。 「こっちはパパのね。あらー、これパパが欲しいって言ってたお酒! もー、くーちゃんは本当に親孝行で、母さん……あひゅう」 やめて、すぐ感涙するのやめて。 僕は早々に切り上げ、二階の自室に向かった。 片付けは後回しにして、まずはばったり自分のベッドに大の字になる。 ああ、うん……いい。 身体を受け止めてくれるスプリングの具合といい枕の高さといい、自分の部屋は本当にいい。 僕は本当に、自分の部屋でのんびりゴロゴロするのが好きだな。 そのまましばらく、うつらうつら、半分目を開け半分目を閉じて過ごす。 時々、時計を確認する。 ついさっき、昼には、奴と一緒に向こうにいたのだな。 そう考えると何とも妙な気分だった。 自然と口が笑いの形になった。 昼間の事を思い出す。 特急列車の始発駅にたどり着いたのは、まもなく昼時を迎えるといった頃だった。 大きな荷物をコインロッカーに預けて身軽になったところで鳥束が口を開いた。 「さて、お昼っスけど、実はもう行く店は決まってましてですね――」 『それはそれとして鳥束、昨日食べたジェラート食べたい』 僕は、昨日ここに到着した時と同じように、鳥束の向こうに土産物館を見据えて言う。 心はすでにジェラート店に飛んで行ってしまっている。 「えっとそれ昨日もやった気がするんスけど」 『今日はサクサクコーンでジェラートを食べる予定なんだ。言ってなかったか?』 「あー聞いてないっスねえ。いやまあ食べるのは全然構わないんスけどね」 『よし、じゃあ行こう、今日はちゃんとお前の分も買ってやるから、食べにいこう』 「うわーい嬉しいな、じゃあまずはご飯、ランチ、お昼ご飯食べましょう」 『なあ鳥束、すぐそこなんだが』 「ええそうっスね、駅のすぐ横ですもんね、でもそれは後、デザートで。今はメインだから」 頑として譲らない鳥束に、僕はへの字口になる。しかもなんだ、あしらい上手になりやがってムカつく。 まあこの点に関しては僕もさすがにこれ以上押せないとわかっていたので、素直に引く。 その代わり――。 『約束だからな』 「はいもちろんっス、でね行くお店がですね――」 駅から徒歩圏内で訪れる事の出来る場所でーと、スマホを向けながら説明する鳥束を明後日の方向いていつものように半ば聞き流していた僕…別に興味がない訳でも、腹が空いてない訳でもない、鳥束に任せておけば安心安全なので聞き流してるだけ…だが、目の端に映ったあるものは無視出来ない。 僕は素早く反応し、鳥束の手首などお構いなしに見やすい角度に捻った。 「いたた、痛いってもー斉木さん、毎度毎度もー、人体無視しすぎっス」 『おい鳥束、ここ……!』 「あ、ちょま、あ」 苦情を綺麗に無視して、僕はある一件を示した。ついつい力が入ってしまったようで、あともう少しでスマホが潰れるという事態に陥る。 「もー待って待っ斉木さん、色んなものの強度をもっと慮って下さいよ」 『……すまん』 「いっスよー、そのキラキラお目目で全部許しちゃう。てかやっぱり斉木さんっスね、コーヒーゼリーぜんざい、食い付きましたね」 当然だろ、何を置いてもコーヒーゼリーは見逃さない。どんなに小さかろうが遠かろうが、僕の目から逃れられると思うなよ。 「可愛いんだか怖いんだかもー」 ぷぷぷと、ムカつく笑い方をする鳥束。 「でも予想通りっス。オレ自身も見た瞬間「ああこれ絶対ここ行きたいって言い出すだろうな」と思いましたもん。それほんと魅力的な写真ですよね」 笑い方はムカついたが、そこは同意する。写真の撮り方が実に素晴らしい。コーヒーゼリーの香りまで漂ってきそうな、色気ある一枚、撮影主はただ者じゃないな。 「あーもー幸せ、斉木さんキラキラ、オレニコニコ、最高っス」 ふん、勝手にしろ。 『あとは、カツにするか豚丼にするかだな』 この辺りの名物ということで、カツ丼をメインに据える飲食店が多い。鳥束が示した店はそのカツ丼と共に特製ダレで仕上げた豚丼も人気らしく、どちらも魅力的な写真が紹介画像としてあがっていた。 丼からはみ出すほどのカツ丼か、ツヤツヤ特製ダレに浸かった豚丼か…悩ましいところだ。 「ああわかります〜。じゃあ丁度二人ですし、両方注文して半分こでどうっスか」 それはいい提案だ。僕は一つ力強く頷くと、黙って親指サインを出した。鳥束もすぐさま親指で応えた。 メインのカツをかじった時も、鳥束と交換した豚丼の豚を食べた時も、そりゃもう絶品で言葉に尽くせない感動があったが、やはりお目当てのコーヒーゼリーぜんざいを口にした時が一番だな。何と表現していいかわからない、冗談抜きで全身がとろけそうになったほどだ。 その様は向かいに座る鳥束も逐一受け取っており、とんでもなく美しいだの、この世のものとは思えないだの、聞く方の身にもなれと言いたくなる褒めちぎりぶり。 食事の手を止めてまで見惚れてやがる。いいから、見てないで食べろよ馬鹿。 「斉木さん……」 何だ、深刻な顔で何を言い出す気だ。 「オレ結構、結構いいカメラ借りてきてんスよ。でも、どんなにハイスペックカメラだろうとアンタのその可愛さは写し取れないね。心に刻み込むしかない」 可愛くて美しくてもう最高! ああ神様仏様楠雄様、生きてて良かった―― 昇天しそうな顔で言うなよ馬鹿。 『大げさな奴』 「いやいやもうね、今日のこの日を、この瞬間を、オレは一生忘れないっス」 僕は軽く肩を上下させた。 『僕もだ』 「うっえ!?」 『お前が、これの他にリンゴのタルトをご馳走してくれたら、僕は一生忘れない記憶として胸に刻み付けるだろう』 「リ…ンゴ?」 鳥束は目をパチパチさせた。 『そう、リンゴ。リンゴのタルト。デザートのページにのってるから見てみろ』 「はぁ〜…コーヒーゼリーぜんざい食べてほんわか緩んでんのに、もう次のデザートっスか」 悪かったな。食べられる機会に食べる、甘いものは逃さない、僕のモットーなんだ。 「でもいい、許しちゃう。斉木さんが幸せな顔になってくれると、オレ、生きてる実感するから。オレの心の支えです」 上っ面のお軽い発言ではなく、心底そう思っているのだから始末に負えない。 『お前はお前で重たいな』 「あれ、知らなかったっスか?」 『知ってるよ。上等だ、受けて立つ』 僕はにやりと口端を緩めた。 「おおおオレこそ、上等だ!」 ほんのり赤面した顔で、鳥束は股間を握った。 『だからそれやめろ』 「はいすんません!」 ランチを終えて駅前に戻り、約束通り土産館にてジェラートを頼んだ。 「はー、それにしてもほんと、よく入るっスよね」 コーンからこぼれそうなほど大盛りのいちごとブルーベリーのダブルジェラートを、僕はゆっくりゆっくり口に運ぶ。 ちなみに鳥束にはこの店一押しのメープルをおごった。嬉しそうにしつつ内心、オレ入るかなと胃袋の具合を気にしていたが、甘いものは別腹だし無理なら僕が平らげるから心配ない。で、ひと口食べてみると濃厚ながらさっぱりとした後味に鳥束はいたく感動し、これなら食べ切れると今はもりもり口に運んでいる。 『お前こそ、いい食べっぷりじゃないか』 「いやぁ、斉木さんのおすすめだけあってこれ、美味いっスもん。でも斉木さんは、あんだけご飯食べて食後のデザート二つも食べてその上ジェラートダブルでしょ、ちょっと真似出来ないっス」 アンタの甘いものへの執念というか執着というか、底なしっぷりはもうとっくに知っているのだけども、見る度「はぁ〜」と感心する、ここまでくるともうあれ、異次元胃袋。 『とか言うな。僕には普通だ』 ちょっとムッとしつつ、僕はスプーンにすくったイチゴをうっとりと味わう。 「さーせん」 鳥束は小さく肩を竦めた。 それから、土産物が並ぶ一角に目を向け、今日は何を買って帰ろうかと思案を始めた。 「食べ終わったら、一緒に見に行きましょうね」 『なんなら先に探してていいぞ』 「えー、一緒に行きましょうよ。食べ終わるまでお待ちしますし」 『危険な不審者ばりの視線が不快でたまらないんだよ、煩悩クズの変態クズ。僕が穏やかに対応してる内に、さっさと失せろ』 「それのどこが穏やかなんスかっ!」 言葉はトゲ百万本だし惨殺しそうな目付きだし、まったくもう! と、プリプリ怒ったかと思うと、ハッと息を飲み鳥束は聞いてきた。 「えと、冗談抜きでオレいない方がいっスか?」 ちょっとなんか冗談抜きで心の気温が下がるんですけど、オレいたらゆっくり落ち着いて食べられないなら、いない方がいいスかね。 『馬鹿か。不快なのは本当だがそういう訳じゃない』 「おぉう……すません」 『ワクワクソワソワしてるのを引き止めたら悪いかと思って』 「えぇ、うんもう、全然悪くないっスよう。あっちはあっち、斉木さんは斉木さんですから。オロオロソワソワしちゃってすんません」 『でも早く見たいんだろ、お土産』 「斉木さんと一緒に見たくてソワソワしてるんスよ」 一緒に行きたいの。 「だから、じっくり味わって食べて下さい。大事な旅の思い出っス」 『その大事な思い出が、犯罪者予備軍込みとはな……』 「もー斉木さんっ」 『まあそれもいい思い出か……?』 「ちょっと疑問形やめてぇ」 などとありつつ、一緒に土産物を見て回り、それから列車に乗って、帰宅した。 そして現在、僕はご覧のように部屋でうたた寝している。 やっぱり家でのんびりゴロゴロ過ごすのは格別だな。 けれどそれは、以前とは少し意味合いが違う気がする。 アイツと二人で出かけて、のんびりゴロゴロ出来ない非日常を過ごした後のダラダラは格別だ。 そして僕は、何だかんだ言ってのんびり出来ない非日常が嫌いじゃない。以前はあんなに嫌ってたのに不思議なものだ。 誰に遠慮することもなくゴロゴロするのは何にも代えがたいが、実際こうしてダラダラしていると、それが出来ない非日常が、アイツと過ごした騒がしい時間が何故だか恋しく感じてくる。 おかしなものだな。 なあ、鳥束。 次があるかないか、これは間違いなくある。 どんな旅になるかはこの僕にも想像はつかないが、最高だろうと最悪だろうと災難だろうと、お前となら全部特別になるのは間違いなした。 きっと、行ったら行ったで『早く帰って家でのんびりしたい』なんて思うのだろうが、のんびりしている今は次の旅に思いを馳せている。 お前と作り出す時間がたのしみで、待ち遠しくてならない。 次はいつ、どんな風に、非日常を過ごすのだろうな。 想像もつかない時間を楽しみに、僕はゆっくり目を閉じた。 |