半分こ

 

 

 

 

 

 鳥束から「アンタへの想いが止められません」と気持ちを告げられ「付き合いたい」と続けられ、じゃあ、うん、わかった、と頷いたのが先週のこと。
 その場で鳥束は三度も四度も僕を見てきて、本当にか、これ本当なのか、これが現実なのかと何故かこの世の終わりみたいな顔付きになった。
 なんでそんな顔になるんだとちょっと不思議がれば、鳥束の奴、あんまり信じられないから頬の内側噛んで、夢かどうか確認してたんだよ。
 よく父が、母さんのご飯美味しいから慌てちゃって噛んじゃったよーと見るからに痛そうな顔で転げるのを何度も見てるから、あれは相当痛いのだろうなと想像がついた。
 そりゃ、青ざめた顔にもなるというものだ。

 というかそんな馬鹿げた確認して無駄に痛い思いしてないで、素直に嬉しがれよ。
 お前、このところずっと、僕に断られる最悪の結末を想像しては、頬の内側噛むどころじゃない痛みに転げまわってただろ。
 もしもオッケーもらえたら、と途中まで薔薇色を思い浮かべながら、結局無理なんだとドブ色で塗りつぶして悶絶の繰り返しで、本当に鬱陶しいったらなかった。

「ほん…とに、いんスか?」
 今にもかき消えそうなかすれ声で確認してくる。
 僕は頷く。
「オレ、こんなっスよ?」
 頷く。
「夢じゃないっスよね?」
 頷く。
「え、本物の斉木さんっスよね?」
 頷く。
「ほんとに…いんスね?」
 頷く。
 鳥束は僕の頭軽く超えるくらい飛び跳ねて、本当に「ひゃっほう!」と叫んだ。
 それ見て今度は僕の方が『これ夢だったらいいのに』なんて思った。

 

 

 

 

 

 で、お付き合いなるものが始まったわけだが、はてさて一体何をどうすればいいのやら。
 この週末、鳥束と映画を見に行く約束をしているが、それは告白される前からの約束で、つまり単なる友達同士でもそういう行動はするわけで、となると一体なにがお付き合いなのだろうな。
 まあそうだな、友達同士でキスはないか。
 宿題見してくれてありがとー、からの、お礼にほっぺにチュー、の真似事はあっても、唇同士を重ねるのはなしだ。
 じゃあ、これか。

 あと、抱きしめるか。
 まあこれも友達同士ならいくらでもある。
 鳥束は明らかに変わったが、僕はそんなに変化を感じない。
 なんせ以前から、一生のお願いだのなんだのでしょっちゅう腰にしがみつかれてたからな、違いがよくわからない。
 ただ、触れ合ったところから鳥束の速すぎる鼓動が伝わって来た時、おいおいコイツ大丈夫か、風邪の引き始めなのかとちょっと心配が過る事はある。
 でも、これは違うだろうな。

 ああ、あとあれか、セックスがあるな。
 うーん、今の段階ではまだ早いものだが、いずれはするだろうな。
 じきに、間違いなく訪れるものだ。
 これもだな。
 でも不安でいっぱいだ。
 何でも視えて聞こえてしまうから今更「きゃっ恥ずかしい」というのは皆無だ。むしろあんまり無さ過ぎて、鳥束を幻滅させてしまわないだろうかと不安でならない。
 奴の熱量には程遠いが、僕だってそれなりに奴に情を抱いている。
 告白されて、気持ちを再認識した事で、諸々想いが強まった。
 僕なりに、いっちょ前に、奴の周りをうろつく人影に敏感になったし、以前とは違う気持ちで見るようにもなった。
 だから、そう、がっかりさせたくないとか、僕を見る目付きが変わってほしくないとか思ってしまう。
 これは中々難しいな。

 考えると色々難しいものだな。
 やはり超能力者に色恋は無理なんだろうか。無理なんだろうな。
 うーん、そうなると長引く前に鳥束に諦めてもらうのが一番か。
 それなりに情はあるし、奴の時間を無駄に奪う前にけりをつけよう。

 しかしそれはそれで難しかった。
 鳥束が、とても大事に僕との時間を思うからだ。
 あいつの、僕を見る目はとても眩しい。
 似たような視線はこれまでも何度か向けられた事がある。
 僕を知らない女子が、恋に恋してはしかのように熱を上げたりするのを、何度か見てきた。
 でも鳥束は違う。僕を知って尚熱を上げるのは初めてで、だから、うまく対処出来ない。
 どうしたらいいのか、どんな風に見ればいいか、どう言葉を返せばいいか、この想いをどう扱ったらいいのか。

 それとあいつ、いっちょ前に嫉妬なんてするのだ。
 いつものように肩を組んでくる燃堂とか、海藤とかに。
 そしてそんなドロドロが自分で怖くなって震えて、でもどうにも止められなくて開き直ったり、落ち込んだり。
 行ったり来たりを僕は全部見ているから、直接告げたりはしないけども馬鹿だなって思ったりしっかりしろって励ましたり、目が離せない。

 目が離せなくて、心もじわじわ近付いていって、だから「けりをつける」事が出来ずにいた。

 

 

 

 

 

 そしてとうとう、約束の週末が来てしまった。
 色々わかり過ぎてしまうから、考え過ぎてしまうのだろう。
 僕は例の指輪を身に着け、待ち合わせ場所に向かった。
 周りの人間の考えがわからない…だが一度目よりは過剰に構えず過ごす事が出来るぞ。
 さて、待ち合わせは9:30だったな。
 指定された喫茶店に入り、鳥束を待つ。

 席に座り、お冷をもらってひと息つく。
 この店は初めてだが、店員は大抵こういうとき、こんな事を考えるよな。
 過去の記憶から、僕は店員の心の声をアフレコする。
 にこやかに接客しつつ、「かったるい」とぼやいていたり「うわ、根暗!」と引いてたり、色々だ。
 わからないがわかるんだぞ。
 何故か僕は心の中でドヤって、カフェオレを注文する。

 ちょっと早く来過ぎてしまった。
 まあ十五分くらい、あっという間か。
 いや、これは決して奴と会うのが楽しみで早く出た訳ではなく、テレパシーが使えない事で不測の事態が起きて遅刻してはいけないから、念の為早く出たのだ。
 不測の事態など起きはしなかったが、周りの人間が気になって仕方なくて、あとちょっと怖いのもあって…何考えてるかわからないから…いつもより歩くのが若干遅かった。
 それでも十五分早く着いた。どれだけ早く出てきたんだ僕は。

 十分前、まだ来ない。
 ちょっと不安が過る。

 八分前、まだ。
 まあそうだよなと自分を説得する。

 時間があるだけ、色々考えてしまう。
 僕は、何の為にここにいるんだっけ。
 そうだ、鳥束と待ち合わせてるんだった。
 鳥束、遅いな。

 テレパシーがあれば、どこにいるかもすぐ把握出来るし、どんな思いでこちらに向かってるかも聞き取る事が出来た。
 アイツ、そういえば、僕に向けて実況する事もあったな。
 僕の家で遊ぼうと図々しく押しかけてくる時とか、今どこそこの角曲がりました、家の屋根が見えてきました、今まさにチャイム押します、なんて、鬱陶しいくらい逐一報告してきた事、一度や二度どころじゃない。
 でも今は、何も聞こえない。
 本当に来るのかも、わからない。

 え、あ…そうだな。来ないかもしれないな。
 足元がひやっとした。

 いや、来なきゃ来ないでいいだろ。
 僕は今日、奴との付き合いを断るつもりでいるのだから。
 深入りする前にお断りする。これで面倒はなくなる。以前の日常に戻る。
 どうせ僕に常人のような恋愛は無理なのだから、早々に諦めてもらうのが一番だ。
 鳥束だって。あいつは元来女が好きだろ。こんなの、一時の気の迷いなんだよ。

 ふと気付くと右の手首を強く握って、全身で力んでいた。
 どうにも冷えて仕方なかった。
 いや違う、店内の暖房は正常に稼働中だ。僕だけが、一人で寒がっている。
 一人でカタカタ震えて、今にも泣きそうで、怖いのに店の入り口から目を逸らせない。
 そこに鳥束が現れるのを、そんなわけないと思いながら来ることを祈ってさえいる。
 え、なにこれ、常人の待ち合わせっていつもこんななの?
 こんな風に、不安で心臓はちきれそうになるものなの?
 それとも僕がおかしいのか?

 僕はいつからこんなに、鳥束にはまってた?

 ああもう、だから嫌なんだ。何か「特別なもの」を持つなんて。
 引きずるにしても担ぐにしても、厄介この上ない。
 一度持ってしまったら、手ぶらの気楽さにはもう戻れない。たとえ手放したとしても、持ってた感触はずっと残るんだ。
 手に、足に、心に。
 僕はなんてバカな事をしたのだろう。
 自分はもちろんだが、鳥束になんてものを持たせてしまったのか。
 ますます寒くなったその時、入り口に待ちわびた人物の姿が見えた。

 鳥束は息を切らし、席までまっすぐやってくると、「お待たせしました」と大きく息をついた。
 いや。まだ五分前だ、うん。
「いえね、本当はもっと早く、十五分前に着くつもりでいたんスよ、でもなんかいざ出るってなった時、このコーデおかしくねーかなって不安になって。だって斉木さんの隣歩くのに、あんまり変な恰好出来ませんからね。で、一から組み合わせ考え直してあーだこーだやってたら、はー…五分前、すんません!」
 テーブルに手をついて、深々と頭を下げてくる。
 いやだから、まだ五分前だよ。
 待ち合わせの優等生だ、遅刻じゃないよ。
「着替えてたら幽霊が、斉木君もう待ってるよーって言ってきて、更に慌てたらオレ、畳で滑ってベッドにダイブしちゃいました。布団もありましたけど、角結構痛かったっス。はは、ここ肋骨んとこ、ぶつけちゃいました。カッコわり―っスね」
 恥ずかしさを隠す為か、鳥束はいつもの倍の速さでペラペラお喋りを重ねた。
「今日はお誘い受けてくれてありがとうございます。あの、なんか……いざ付き合うとかデートとか、オレあの……」
 かと思うと、急に顔を真っ赤にして何やらごにょごにょと呟いた。

 そこまでは、つっかえながらも言葉を紡いだ鳥束だが、不意にぴたっと口を噤んで黙りこくってしまった。
 なんだ……?
 指輪のせいで鳥束の考えがわからない。
 なんだ、何が言いたい……?
 何か言おうとしてるのまではわかる、でも内容がわからない。
 待て待て、整理しよう。
 鳥束は言ったな「いざ付き合うとか」「デートとか」うん、言った。
 その後はなんだ、なんて続くんだ?
 まさかコイツ「自分には無理だからやっぱり付き合い止めたい」とか言いたいのだろうか。
 ああ、それは……いやだな。
 自分はそうしようとしてたくせに随分わがままで都合よくて身勝手だが、嫌なものは嫌だ。
 嫌だしつらい。
「斉木さん、……あの」
 いやだいやだ、言うな言うな。

 鳥束はすっと顔を上げてまっすぐ僕を見据えると、意を決したように口を開いた。
「不慣れなせいで不快な思いさせたらすんません、充分気を付けますんで、この一回で付き合い止めるとかどうか、思わないでほしい…す、です」
 僕はただ黙って頷き続けた。

 店に飛び込んできた鳥束を目にした瞬間、心の重しがすっと軽くなった。
 綺麗さっぱり消え失せた訳ではないが、半減したのは確かだ。
 あんなに心の中で渦巻いて、気持ちを重くさせたのに。
 何でだろう
 明らかに半分軽くなって、気を抜くと口が笑いたがるんだ。
 本当に何でだろう。

「ああ…もう…ほんと、あの……本命の前じゃほんとダメだな……緊張するー!」
 突然大声出すよな、馬鹿。
『とりあえずあたたかいものでも飲んで落ち着け』
「はいっ、そうします」
 鳥束は僕と同じものを注文し、僕が十五分かけてちびちび飲んでいた分を一気にあおった。
「あっつぅ……でもあったまるぅ、……あ、すんません」
 そこでようやく冷静さを取り戻したのか、鳥束はまた初心な少年のように真っ赤になって、照れくさそうに頭をかいた。
「映画、楽しみっスねー」
『……ああ、そうだな』


 店を出るので、財布を出して支度していると、鳥束が止めてきた。
「あ、オレ出しますから」
『なんでだ』
「なんでって、だって今日はオレがお誘いしましたから」
『いやだ、いい、半分出す』
「え、うーん」
『うーんじゃない、いいから、ほら』
 これ以上グズグズ言わせるかと、僕はきっちり半分出して突き付けた。
「わかりました、じゃあ半分ずつしましょ」
 鳥束の優しい笑顔を見た時、なんでさっき半減したのかがわかった気がした。

 僕はそっと指輪を外しポケットにしまった。ついでに、お断りの言葉も心の奥深くにしまう。指輪はどうかわからないが、言葉の方はこの先一生出す事はないだろう。
 指輪が離れた途端、待ってましたとばかりに鳥束の心の声が殺到した。どれもこれも鳥束らしいまっすぐで下品でろくもないものばかりだが、その癖キラキラ光り輝いているのだ。
 一つとして萎れているものはない。
 嬉しさに満ちて、飛び跳ね、たまらなく眩しい。
 僕は小さく笑った。
『お前が半分持ってくれるなら、安心だな』
「え、あはは、オレは全部持ちたいくらいっスよ。なんせ斉木さんとデートなんて、もうね…もうね……」
 途中まで笑顔だったのが、いきなり涙で詰まり始めた。口を覆い、小さく震えている。
 おい勘弁しろよ。

 鳥束の脳内に、これまでの様々な辛苦が去来する。半分は不埒な行いによる自業自得で、もう半分は、生まれ持った能力によって積み重なったもの。
 本人にはどうにも出来ない事で、コイツは要らぬ苦労を背負ってきた。きっとこれからも思いがけない苦痛に見舞われるだろう。
 僕にも覚えがあるよ、鳥束。
 お互い、よくもここまで来たものだよな。

 お前のそれも半分持ってやるよ、鳥束。
 この僕でさえ半減はたまらなく嬉しいんだ、単純なお前じゃ、その五倍は嬉しいことだろうよ。

 さあ、まずは映画館に行くぞ。

 

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