だからこれからも

 

 

 

 

 

 鳥束が、開いた雑誌を前に難しい顔でうんうん唸っていた。
 僕は奴の部屋で、出されたコーヒーゼリーをじっくり満喫中。
 うー、あー、うーんうーん。
 今にも息絶えそうな唸り声を聞きながら、またひと口コーヒーゼリー。うむ、このほろ苦さ、すっきりとした後味…嫌いじゃない。
 飲み込んでから、ちらりと鳥束の横顔を見る。
 コイツが何に悩んでいるか…は聞くまでもなく、僕に逐一届いている。

 春、夏ときて秋、どこに旅行しようかという事で悩んでいるのだ。

 鳥束は雑誌に目を落としたまま口を開いた。
「ねー斉木さん……秋は、なんかー、別れの季節とか言うじゃないっスか」
『なんだお前いきなりどうした。どういう導入だよ。ていうか旅行の行き先で悩んでたんじゃないの?』
「いや聞いて下さいよー」
『なんだよ』
 ちゃんと聞いてる、聞くから言ってみろ。
 鳥束は切ないため息を一つ吐いてから話し始めた。
「こないだ読んだ雑誌でね、こんなのあったんスよ」
 ふんふん
「夏は色々イベント盛り沢山だから気分も盛り上がるけど、秋は何かさめちゃってーで、お別れとかなんとか、あるんですって」
 そこでようやく鳥束はこちらに目を上げた。
 明らかに目が潤んでいた。
 おいおい、雑誌のテキトーな記事に振り回されて泣きそうになるとか、ヤバいなコイツ。
 またひと口コーヒーゼリー。
 鳥束は、僕の口に吸い込まれるコーヒーゼリーにさえ切なくなるようで、秋の乾いた風のごときため息を唇からこぼした。随分重症だなおい、何があった。
「悲しいカップルもいるもんスね」
 そうだな。そしてそんなのに引っ張られて悲しくなってるお前も、何というか大概だよ。
 と思っていたら、鳥束はぱぁっと顔付きを明るく変えて言ってきた。
「でもでも、涼しくなって行動しやすくなった季節こそ、盛り上がるものじゃないっスか。実際斉木さん好みのイベントとか美味しいものてんこ盛りだし! だからオレは逆に有り過ぎで悩んじゃってるんスよ」
 はぁ?
 振れ幅デカすぎてちょっとついていけないですね。
 まあなんだ、悲しくないなら何よりだ。
 ちょっとイラっとしたけどな。

「オレらは、テント張ったりのキャンプこそしてないですけどわりと似た方面に出かけてますし、バーベキューするにしてもアウトドア楽しむにしても秋の方が断然おすすめ!」
 ふーん。
「秋は行楽シーズンですからね。本格的に楽しめる季節ってあるんですよね」
 ふーん。
「だから、まあ取れる日数は少ないですけど、だからこそぎゅっと凝縮した旅のプランを組み立てたいんですけど…どれを取ろうか盛りだくさんでもー、目移りして困っちゃって」
『ふーん、大変だな』
 半分以上聞き流し、僕は奴が読んでいた雑誌をパラパラめくった。紅葉が美しい観光地十選。秋の人気味覚ベスト二十、関東のキャンプ地おススメ三十、か。
「もー斉木さん、他人事気取ってぇ!」
 当然、鳥束からは文句が上がる。
 そこで僕は丁度開いたページを奴に向けた。
『わかったわかった。じゃあ鳥束、これ食べたい』
 ――秋御膳おすすめ十選!
「お、うーんいっスねー、よだれ出ますね!」
 鳥束は肩を寄せ、右に左に視線を向けた。
「えーと…「ちょっと遠出しても食べたい、有名旅館の秋御膳」スか。やーどれも美味そうっスね」
 でも、どこもお高いっスね…と続く鳥束の思考。
 そうなんだよ、画面の華やかさに惹かれてつい反射的に言ったが、こんなお金はさすがに出せない。料理も、宿泊費も、普通の高校生である僕らにはとても手が出せない。
 まあ出来ない事もないのだがな。今ざっと思い浮かべただけで31個の方法が浮かんだが、何度も言うように僕の主義は他人に迷惑をかけないこと、であるからして当然却下だ。
 普通の高校生らしく、身の丈にあった事をすべきだ。だからこれは、諦めるほかない。自分で稼ぐようになってから行こう、とにかく今は手が出せない。
 鳥束も同様の事を考えていて、しかし直接僕に言うには気が引けるので、目線で何とか察してもらおうと困った顔で笑いかけてきた。
 わかってる、わかってるよ僕も反省してる。
 さすがに勢いで物言いすぎた。

『これは一旦置いとこうか』
「……そっスね」
 はぁ…こんな時ポンと出せたら、もっと株が上がるんだろうな。
 斉木さんもオレ見直して、もっともっと惚れるだろうにな。
 雑誌を未練がましく眺めては、そんな事を思う鳥束。
 いやむしろ引く。だからそう落ち込むな。お前はお前でよくやってるよ。
 僕らは僕らで、身の丈に合った事をしよう。

『お前さっき、ぶどう狩りがどうとか思い浮かべてただろ』
「あ、はい、秋といったらぶどうの季節かなーって、ぶどう狩りでとれたてぶどう食べ尽くすのもいいし、あるいはカフェ巡り、ぶどう使ったスイーツ巡りとかどっスかって」
『それもいいんだがなんか違うな……そうだ決まったぞ。ぶどう狩り出来て、川魚釣れて、きのこ狩りも出来る場所へ行こう』
「んっはぁ!?」
『食欲の秋だから』
「あっうん、ぉあ?」
『頼んだぞ』
「えっぅあ?」
 ちょっと欲張りすぎたか、でも僕の鳥束なら、これくらいこなしてみせるよな。

 さっきまで片手で押さえてた頭を両手で抱え、今にもぶっ倒れそうな声で鳥束はうんうん唸っていた。
 僕はコーヒーゼリーのおかわりを貰い、唸り声をBGMにゆっくり楽しんだ。
 食べ終わっても鳥束はまとめられないようなので、宿題として預け僕は帰宅した。


 週明け、目の下にくっきり隈のある顔で登校してきた鳥束は、疲れのせいか不気味な笑顔でノートを見せてきた。
「さいきさぁん……ふへへへ」
 こえーよ。
 超能力者を怯えさせるとか、お前大したもんだよ。
「見てください、できましたよ」
 僕はちょっと引き気味でノートを覗き込んだ。
 力強い筆致で、以下の事が綴られていた。


◇秋の味覚食べ尽くし一泊二日の旅

 参加者
 斉木楠雄
 鳥束零太
・・・

 旅の目的
1.秋の味覚を楽しむ
2.秋の景色を楽しむ
3.鳥束零太は全力で斉木楠雄の「楽しい」を支援する
・・・

 持ち物リスト
□シャツ
□パンツ
□靴下
・・・

 日程
 一日目 十月某日
07:00 某駅改札前に集合
・・・


「残念ながら川釣りじゃなく釣り堀なんスけど、ニジマス釣りが出来る、ぶどう狩りも出来る農園があって、しかもきのこ栽培もしてるっていうんスよ!」
 なんだと、僕の無茶ぶりを一ヶ所で叶えられる場所があるのか。完全に適当だったのに、素晴らしいな。
 ここですと鳥束がスマホを向けてきた。
 ふんふん、駒津澤レジャー農園、か。
『すごいなここ』
「でしょでしょ、夏はぶどう狩りにマスつかみ取りに虫取り…あ、何でもないっス」
 鳥束は慌てて口を噤み、僕の反応をそろりと伺う。だ、大丈夫だ、そっちのゾーンに行かなきゃいいんだから、大丈夫……多分。
「えーゴホン…夏はぶどう狩り、野菜の収穫体験、秋はぶどう狩りにさつまいも掘り、冬はいちご狩り、それだけじゃなくてバーベキューも出来るし、そば打ち体験とかピザ作りとかもやってるそうなんスよ」
 そいつは盛り沢山だな、まさにレジャーで農園だ。
「ねー、あるもんなんスね。どっすスここ、ここなら斉木さんの希望全部叶うんす、け、ど……」
 言葉を濁したのは、虫取りの部分が引っかかっているからだ。
 だから大丈夫だ鳥束、僕らが行くのは秋だろ、奴らの季節はとっくに過ぎてるだろ。
 一つ頷いてみせると、鳥束はほっとしたと胸を撫で下ろした。
「あー良かった」
 ほらな、やっぱり鳥束はやる時はやる男なんだ。

 鳥束は言葉を続けた。
「そんでね斉木さん、今回も運のいい事にね、オレら向きの離れ小屋見つかったんスよ。オレらあれ、持ってますね!」
 ちょっと調子乗っちゃうよ、と弾んだ声で喋る鳥束の声を背景に、僕はノートに目を通した。
 これまでと違い今回は一泊二日と短いので、日程がぎゅっと詰め込まれていた。
 とはいえ、集めるべき秋の味覚が一ヶ所でまかなえるのは大きい。
 僕は満足して頷いた。
 鳥束はにっこり笑顔になった。
「よっしゃ決まりっスね。あ、どう調理するかとか、どんなスイーツ作るかとかはこれからっス。斉木さん、何か要望あります?」
『好き嫌いはないからな、お前の作りやすいもので構わないぞ』
「りょーかいっス、うーん…わかりました、うへへ、美味しい秋御膳零太スペシャル、お作りしますね」
 お前の名前が入ってる時点でゲロまずなんだが。
「もーなんでそんないじわる言うんスかーわーんっス」
 唇の端っこを大げさにひん曲げ、鳥束は泣き真似をしてみせた。
 可愛くねえよ。
(よっしゃ、斉木さん笑わせてやったっス!)
 笑ってねえよ。


 放課後、鳥束んちに立ち寄り、旅行の詳細を詰める。
 そこで鳥束から、割とデカい円盤状の何かを見せられる。
「焚き火台っス!」
 じゃーんとばかりに取り出し、ニコニコと嬉しそうに紹介してきた。
『焚き火、台?』
「ええ、さつま芋ったらやっぱり、焼き芋っスよ。焚き火に入れて、豪快に丸焼きの丸かじりが一番美味いっスからね、これ。あとほら、秋で肌寒くなってきましたから、焚き火に当たろうよー」
 ああそうだな。うんそうだな。
『でも鳥束、言っちゃなんだがそれが焚き火台になるのか?』
「なるんですよこれすごいんスよ、このね、本体についてる三本の足をこうして開いて、置くだけ!」
『へえ』
 円盤はまっ平ではなく、緩いすり鉢状になっていた。
「で、ここに薪置いてね、火をつけてね、キャンプファイヤーってね。どうですこれ萌えません? 焚き火台、だけに」
「………」
 僕は骨まで透けるのも構わずに鳥束を凝視した。
 聞いてて途中までは素直に「いいな」と思っていたのに、やりやがったこの野郎。
 満面のドヤ顔から、徐々に笑みが削がれていく…のは見えないが、表情の変化は手に取るようにわかった。伊達に鳥束を見ていない。
「……さーせん」
 やがてか細い声が漏れたので、そこで瞬きをして許してやった。思った通り、目線を落としてすっかりしょぼくれていた。

 あらためて焚き火台を見る。
 ふうむ、中々具合よさそうだな。
「使う時はこうで、そんで脚を畳むと、……こうして薄くなるので、持ち運びにも便利って訳っス」
『なるほどな。ところでこれ、元からこういう色なのか?』
「いや、新品は顔が映るくらいピッカピカでした。実はどんなもんかと、一回試しで使ってまして」
『だよな、びっくりした』
「はは。これ、買って良かったっス。ホムセンで売ってる標準的な薪も丁度良く乗るし、この形がね、すごい計算されてるみたいなんスよ。あっという間に火が起こるの」
 僕なら一瞬だが、と送りそうになり慌てて取り消す。僕の悪い癖だな。
『そいつはよかったな』
「ええ、なんですけど、実はこの辺りって焚き火とか禁止地区なんスよね、だからバレない内に素早くやろうと思ったんスけど、結局見つかっちゃって、和尚さんに」
『お前……』
「エロ本の証拠隠滅でもしてるのかと勘違いされて、危うくまた断食修行させられるとこでした」
 いやー参った参ったと頭をかく鳥束に、僕は軽いめまいを感じ額を押さえる。
『言ってくれれば、無人島連れてったのに。あそこなら焚き火だろうがお前…いや豚の丸焼きだろうが無制限だ』
「あーそうだ、あそこね……てか今斉木さんオレの丸焼き言おうとしました?」
『まさかそんな』
「じー…まいいや。そうだ無人島がありましたねー、ああー、失敗したなー。本堂の掃除で許されたけど、いやーありゃ結構きつかった」
 日ごろの行いのせいだな。

 鳥束は焚き火台を両手で持ち上げた。
「はぁ、オレ自分で言うのもなんスけど…こういうの買っちゃうようになったなんて、驚きっス」
 今までは、金使うったらお宝本買う時だけだった、それ以外は要らないし無駄だって思ってたんスよね。
「それが今じゃこれっスよ? 笑えません? 時間も、綺麗なおねーさんと過ごすか、幽霊とお喋りするかしか使ってなかったのが、斉木さん最優先で使いたくなってますもん」
 不思議なものっスね
「人間、何がきっかけでどう変わるか、わかんないものっスね」
 お前はあんまり変わってないと思うけどな。
 そっと、鼻から息を抜く。

 でもそうなんだよコイツ、出来れば何もしたくないダラダラの怠け者なんだよ。
 でも僕と出かけるとなると、色々調べて、色んなものを準備して、出来るだけ万全にして望む。
 いつものお前からは考えられないほどテキパキ動いて、時にうっかりをやらかすけどもそれもまたご愛敬で、なんというか…頼もしいんだ。
 たとえば今度の旅行、『面倒だから僕は手ぶらで参加するぞ』と言ったとしても、何の不安もなければ不満もなく快適に過ごせる空間を作るだろう。
 まあ、参加すると決めた以上は僕にも多少は責任があるので、そんな丸投げなんてしないが、もし本当に身一つで行ったとしても何ら心配する事がないんだ、信頼出来るんだ。
 澄んだ目をしたクズは、これで結構頼りになる。
 だから楽しいし、クセになるというものだ。
 もうきっと僕は、ご飯前のコーヒーゼリーが解禁されなくっても、鳥束が誘えば行くかもしれない、ところまできていた。

「他にもね、いくつか驚きのアイテムがあるんすけど、残りは現地で見てのお楽しみ!」
 押入れに置いたリュックを振り返り、鳥束はいたずらっ子の顔で笑った。
 隠してもお前の心の声で正解掴めるし、ふすまを閉めてもちょっと見続ければわかるんだがな。
「あーん今はダメっス、斉木さんねえ、当日のお楽しみで」
 お願いしますよと手を合わせてこられては、無理に暴き立てるわけにもいかないな。
『着々と準備が進んでるんだな』
「ええそりゃもう」
『わかったよ。当日まで待つとするか』
「あざーっス」

「ねー斉木さん、今度の旅行も、楽しくて美味しい旅にしましょうねー」
『ああ、そうだな』
 お前と行くのだから、もう約束されたようなものだがな。

 

 

 

 

 

 某駅の改札前で、七時に待ち合わせ。
 僕はその一時間前に目を覚まし、着替えて顔を洗って、準備した荷物を確認した。今のところ予知の頭痛なし、胸騒ぎもなし。
 一階に下りて、リビングのテレビをつけ音量小さく見る。
 旅行初日の今日は、こちらも現地もおおむね晴れの予報か。
 早朝のお天気お姉さんが、今日は絶好の行楽日和になるでしょうとにこやかに伝えてくれた。
 母が用意してくれた朝食を有難く頂いていると、寝惚け眼の父さんが横を通りトイレに行って、戻ってきて、向かいに腰かけた。ちなみに父さん、行く時も戻って来た時も、母さんを見ては「はぁ〜…今日のママも最高にかわいい」と心の中でにやけていた。そしてそれは表情にも出ていた。
 つまり見るに堪えない状態だ。
 母も母で、そんなたるみきった父さんを見て「今日のパパもキリっとしててカッコいいわ」と心の中で惚れ惚れしていた。表情にも表れていた。
 つまり、二人して互いに見惚れてうっとりしてるというわけである。
 毎日毎朝これ、ほんときっつい。やってられない。
 はいはい、二人の為に世界はあるね、ということであとは二人でよろしくやってくれ。
 ごちそうさまでした。
 付き合ってられないので、食べ終わった食器を流しに運んで、二階に避難する。
 しかし僕のテレパシー受信範囲は二百メートルだから、一般家屋の二階に上がったくらいじゃ逃げられないのだが。

「忘れ物はなぁい?」
 大丈夫だ。朝食の後三回も透視してリュックの隅々まで確認した。しかも気付いたら四回目にいきそうになっててそこでやめた。
「楽しんでこいよ楠雄。あ、お土産は気にしなくていいからな。うん、全然気にすることないぞ。でも――」
『行ってきます』
「いってらっしゃい」
 玄関を出る。閉じたドアの向こうから僕を呼ぶ父さんの声が聞こえるようだが気のせいだろう。あと、多分お酒の銘柄らしきものを呪文よろしく何度も唱える心の声が聞こえるが、それも気のせいだろう。
 時計を見つつ、駅へと向かう。

 約束の場所に到着だ。時間は十分前、いつも通りだな。
 駅直結のデパートへの通路は、シャッターが閉まっている。この時間じゃ当然か。
 ラーメン屋とスパゲティ専門店も、開店は十一時なのでクローズの札がかかっている。
 今の時間元気に営業しているのはのはコンビニとマック。どちらにも、ちらほらと客の姿が見える。
 こんな時間でもそこそこ人はいるもので、結構な数の心の声が流れ込んでくる。が、実際のお喋りの声はそうでもないし、休日という事もあり総じて穏やかなので、リラックスする事が出来た。
 奴はあの階段を上ってやってくるだろうから、わかりやすい、この時刻表の脇にでも立ってるか。
 五分前、待ち人はやってきた。
 改札への階段口で、僕がもう到着してるかどうか、ドキドキ胸を弾ませている。
 っち、来たか。
 やがて姿が見えた。
「おはよーっス斉木さん」
 階段を上ってやってくる鳥束は、それはそれは嬉しそうに僕へ手を振って、弾むような足取りで駆けてきた。運動嫌いの怠け者で、普段ならすぐに息を切らしてへばるのに、こういう時だけ疲れ知らず。
(はぁ〜……今日の斉木さんも最高に可愛いっス)
 聞こえてきた心の声にげんなりする。お前どこかのおっさんそっくりだな。
 鬱陶しさを隠さずそのまま顔に出すが、……お前もお前で今日も――はっ、危ない危ない。
 見惚れてなんていないし、母さんそっくりにもなっていない。
 やれやれ、ここにも馬鹿がいたな。
 心の中でため息をつく。仕方ない、僕はあの両親の子だからな。

 傍まで来た鳥束の手には、今買ったばかりというコンビニ袋が握られていた。
「いい天気になって良かったっスね」
『そうだな。で、それ』
「ええ、もちろん斉木さんの好きなのも、ちゃーんと入ってますよー」
 今日乗る列車には車内販売はなく、自動販売機もついてないそうだ。車内販売があったって結構買い込むのだが。毎度とてもはしゃいでる。
『にしても多いな。おにぎりと、ホットドッグ…朝食べてこなかったのか?』
「いや、あの、えっへ……」
 鳥束は恥ずかしそうにむにゃむにゃと笑った。
 常人だって、その態度で一発でわかるな。僕にはその上テレパシーがある、的確に正解を掴む事が出来る。
『いやお前、これで三度目なんだからそんな「楽しみ過ぎて飯が喉を通らなかった」とかないだろ』
「あるんですー、あるんだからあるんですー」
 少しむきになって、それから鳥束はだらしなく顔をたるませた。ああ、こりゃ相当楽しみなんですね。
「それでね斉木さん、おっかしいの、聞いて下さいよ。いつもの飯の時間には全然食欲なかったのに、寺出たらたちまち空腹がじわじわやってきてですね、ははは。今すっごいグーグーなの」
 なるほど、だからこの量か。
「斉木さんの顔見たらさらに腹減ってきちゃいました。むしろ斉木さん食べたいっス」
 最後はこそっと声を潜め、言ってきた。
 朝っぱらからやめろ、旅行できなくするぞ。
「まーまー、ホーム行きましょうか」
『そうだな』
 やれやれ。


 特急列車、三号車指定席、窓側、通路側。僕は通路で奴は窓側。

「わー、新幹線とはまた違った、綺麗な車内っスね」
 ああ。黄色というかひまわり色というか山吹色というか、ちょっとないシートだ。
 席に着くや、鳥束は持ってきたお菓子やジュースを窓にぎっしり並べた。
 前の時もその前もそうだったが、コイツはこうしてほぼ全部を出して並べるのだ。
「いいでしょこれ、こうすると、これからお出かけだーってワクワクしてきません?」
 言葉通り、キラキラ子供のような目で語られた。心の声でわかっていても、表情までついてくると眩しくてしょうがない。
「好きなのどれでも、開けて食べて下さいね」
 キットカット、ポッキー、マーブルチョコ、アポロ、うまい棒、都こんぶ…か。
 じゃああとで頂くとしよう。

 ちなみに、五月の旅行では僕が窓側だった。
「景色を楽しむのも、旅行のだいご味っスよ」
 ウキウキの鳥束にすすめられて、そうかとなんとなくその席順になったが、帰りは奴を窓側に座らせた。
 そうしないと鳥束が見えない。見ようと思えば僕なら視えるが、そうじゃない。
 海が見えたの山がすごいのと、いちいち鳥束がこっち見るのがいいんだ。
 僕も、景色見るふりして鳥束見て、不自然じゃないし、
 僕が窓側だったらそれが出来ないだろ。
 だから、五月の旅行の帰り列車からずっとこっちだ、僕は通路側を譲らない。

 座席の座り心地を確認していると、発車のチャイムが聞こえてきた。
「終点まで、大体一時間半です」
『そうか』
 まあ程よい乗車時間だな。
 がくんと一度軽い衝撃があり、ゆっくり列車は走り出した。
「じゃあ失礼して、朝ご飯いただきますね」
 そうだな、食べろ食べろ。僕も、秋の新作コーヒーゼリーを頂くとしよう。
 二人してガサガサぺりぺり無言になる。

 あー腹減った
 梅干しおにぎり!
 鮭もいい、まずはどっち、こっち?
 いやホットドッグからか?
 あー腹減った!

 うるさいな、何でもいいから早く食べて静かにしろ
 一見静かだが心の中は騒々しい鳥束に、ため息を一つ。
 すると、僕の視線に気付いたのか、大口でかぶりつきながら鳥束は目配せしてきた。
「……食べたかったです?」
 そういう意味で見てたんじゃねーよ。
 オロオロすんな、いいから、食べていいから。腹ペコのお前からむしり取るほど鬼じゃないよ。

「斉木さんは、好きなおにぎりの具って何です?」
 梅おにぎりをぺろりと平らげ、二つ目の鮭おにぎりをむきながら、鳥束が尋ねてきた。
 食べ終わったコーヒーゼリーに手を合わせつつ、僕は考え込む。というのも、今まさにコイツが食べてるのが、自分もやっぱり好きだからだ。
 あと他に挙げるなら――。
『鳥五目とか、炊き込みご飯か』
「ああー、それも美味いっスよね。そういう混ぜご飯系で言うとあとオレは、梅シソなんかも好きっス」
 カリカリ梅とユカリを混ぜたのも結構いけます。
 うむ、僕も全然嫌いじゃない。
 鳥束は、窓際に並べたお菓子類を眺めて少し考え、アポロを渡してきた。なんでコイツ僕の食べたいのが読めるんだ。
 一粒ずつ口に放り込む。うむ、悪くない。
「今晩の献立も炊き込みご飯にする予定なんで、斉木さん、楽しみにしてて下さいね」
 任せろと、頼もしい笑顔で鳥束は白い歯を見せた。
「あ……いや斉木さんは、デザートのぶどうスイーツでよだれ出そうっスかね。ははは」
 うるさい余計な事言うな。
 あと読むのやめろ。

 ホットドッグをもりもりかじり、あっという間に食べ終える。よほど腹が減ってたんだな。そこでようやく人心地ついたと、鳥束は腹をさすった。
「そーだ、釣りとか久しぶりなんで、ちょっとその辺不安かなー。斉木さん、だからもしもの時はよろしくお願いしますね」
 まあ、何とかなるだろ。
「はー、芋掘り、大当たりだといいっスよね」
 鳥束は都こんぶの箱を開けると、僕にも寄越してきた。たまにはこういうお菓子もいいな、もらおう。
 うん、そうそう、この酸っぱさ!
「ん−、きくー!」
 ちょっと涙目で笑いながら、これが美味いんだと鳥束はお茶のペットボトルを傾けた。
「これ、たまーに無性に食べたくなるんスよね。あーきく」
 ぶるぶるっと震え、鳥束はまた一枚口に放り込んだ。

 気が付くと、窓の向こうは町中から山間へと景色を変えていた。
 空は気持ち良く晴れ渡り、日差しが眩しいほどだ。

 さて、どんな旅行になるだろう。

 

 

 

 

 

 見事な秋晴れの週末とあって、駅前は大勢の人でごった返した。
 だが大半は山登りが目的らしく、別の電車に乗り継いでそちらへ向かうようだ。電車の乗り場に向けて、ぞろぞろ列をなして進んでいく。
 僕たちは、ここからバスに乗って件のレジャー農園に向かう。
 という事で、お互いのリュックをコインロッカーに預け身軽になる。
「えっとっスね、事前に調べた時刻表だとバスの出発時刻は二十五分なんですけど、間違いないかもっかいちゃんと見てきますね」
 鳥束は言うと、いくつかあるバス乗り場の一つへと小走りに駆けていった。それをちょっと見送った後、僕は駅舎の方を振り返った。
 駅から直結で土産物店が連なっていて、どんなものが名物だろうとちょっとした好奇心から僕は中を覗いた。土産物屋の向こうにはフードコートもあった。
 なるほどと端から適当に見て行ったところ、とても素敵で魅力的な、僕としては絶対に見逃せないある一店に行き当たった。
 コーヒーとジェラート…だと?
 行かない手はないな、うん。
 ここまで一秒もない、僕は即座に足を動かしそちらに向かった。
 鳥束すまん、テレパシーで誘導するから、時刻を調べていてくれ。

「あっ、いた!」
 やってきた鳥束は、思った通りいやそれ以上の呆れ顔で肩を上下させた。
 まあそうもなるか、ちょっと目を離したすきに同行者がいなくなってて、こっちだという声に従い来てみれば、山盛り二種類のジェラートに夢中になってるとあっては、誰だって呆れるだろう。
 僕をよく知り尽くしてる鳥束だとて例外ではない。
「もー、ははは…これからぶどう狩りに行くってのに」
『行く前の、軽い腕ならしみたいなものだ』
「斉木さんたら」
 鳥束は大きなため息のあと、預かった親戚の子を微笑ましく見守る目で見てきた。
 それがちょっと癪に障ったので、脛を軽く蹴ってやった。自分では本当にちょこっと軽くのつもりだったが思いがけずクリティカルヒットしたようで、鳥束は動く事も声を出す事も出来ずただ固まって悶絶していた。
 涙がぶわっと噴き出した両目を、何度も瞬きしながら見つめてくる。から、僕もジェラートを食べながら見つめ返した。

 何見てんスかこら
 謝れこら
 マジ痛いっス
 泣くっス
 痛くて動けないっス
 斉木さぁん

 怒って泣いて縋って。
 悪かったよ。
 ちょっとのつもりだったのでさすがに放置は後味悪い。まだ舐めてないとこをスプーンですくって口に入れてやった。
 痛くて赤くなってた顔が、たちまちほんわかと緩む。
「くっ……許します」
 ちょろい。
 心の中で密かに笑うが、鳥束は僕をよく知り尽くしてるんだ、顔に出てない密かな嘲笑だって漏らさず察し、悔しそうに睨んできた。

 事前に調べた発車時刻の通りで、僕はそれまでにアイスを食べ切りバスに乗り込んだ。
 乗車時間は十五分ほど。乗ってすぐはぐるぐると駅の周りの停車場に停まりつつやがてバスはやや広めの国道に出ると、まっすぐ進んだ。
「あ、次降りるっスよ」
 六つほどアナウンスを聞いたところで鳥束は言ってきた。後払いの小銭を用意し、鳥束に続いてバスから降りる。
「わー、やっぱ左脇腹と比べると、えー、のどかっスね」
 そうだな、母の田舎と比べればまだ家の密集度があるが、でもうん、田舎だ。
 僕としては静かで過ごしやすいがな。
 さて鳥束、どっちに歩くんだ?
 振り返ると、鳥束は突如叫びを上げた。
「わーっ!」
『いきなり叫ぶなうるさい』
 辺りの空気を揺るがすほどの絶叫に、思わず耳を塞ぐ。
 何故鳥束が叫んだか、
 停留所の表示を見て青ざめているのと、心の中の大混乱とで、理由はわかった。
「ま、まち…まち……ああぁっ」
『落ち着け』
 僕らが降りたここは「向橋入り口」で、本当はもう一つ先の「向橋」で降りるのが正解だった。
 つまり降りる場所を間違えてしまったのだ。
 初めて訪れる地、そんな事もある。
『まあ降りてしまったものは仕方ない、一つ先くらい歩けばいい』
「すんませんすんません、はい、あの、ちょっと待って下さいね」
 鳥束は大急ぎでスマホを取り出した。
 調べると、幸いというかなんというか、このまま国道をまっすぐ進めば「向橋」バス停にたどり着くそうだ。
『ほら、行くぞ。ハイキングだと思えばなんてことはない』
「え……」
『見事な秋晴れで、空気も澄んでる。歩くのにうってつけだろ』
「や……優しっすね」
 萎れた顔で鳥束が見やってくる。
『間違いなんて誰にでもあるんだから、そうしょぼくれるな』
「あざっス! じゃあ斉木さん、ハイキングと洒落込みま……あいたっ!」
 鳥束はたちまちぱぁっと顔を輝かせ、ウキウキと手を繋いでこようとするので、厳しくはたいてお断りした。
 まったく、つまらないしょぼくれ顔を見るよりはいいが、調子に乗りやすいのが難点だな。


 農園の受付で説明を受けた僕は、借りたカゴとハサミを携えぶどう畑に降り立った。
『見ろ鳥束、数えきれないほどのお宝が連なってるぞ!』
「良かったっスね〜。でもね斉木さん、常識の範囲内で食べ放題、するんスよ」
『わかってる』
 しかし僕の耳は大半を聞き流し、目は、すでにお宝にだけ向いていた。
 心配だなあって鳥束の顔も全然視界に入ってない。

 僕たちがこの農園で果たすべきミッションは、ぶどう狩り、さつまいも掘り、きのこ狩りそしてニジマス釣り。
 ここにたどり着くまでに、鳥束と綿密に打ち合わせをした。
 ぶどう狩りとさつまいも掘りは各々手分けして行う、合流したらきのこ狩りをして、そののちニジマス釣りを果たしたら任務終了。

 という訳で、僕はぶどう狩りへと赴いた。芋掘りは鳥束に任せる、。
 だってほら…僕は…芋掘りには嫌な思い出があるから。虫がな…あれはもう懲り懲りだ。ということで鳥束、頼んだぞ。
「了解っス、食べごろに丸々太ったお芋さん、見つけてくるっス!」

 さあ、僕はぶどう狩りに専念するか。三十分食べ放題、それとは別に採ったグラム数で買い取りが出来るコースも選んだ。
 ふふふ…超能力者の本気を見せてやるとするか。
 静かに闘志を滾らせていると、別れ際、鳥束が注意を促してきた。
「斉木さん、くれぐれも言っときますけど、食べ放題だからって羽目外しちゃダメっスよ、常識の範囲内で「食べ放題」して下さいね」
 っち、しつこい奴だな、僕だってわかってるよそれくらい。
 シッシッと手で追い払う。
 鳥束は心配そうに何度も振り返りつつ、さつま芋畑に消えていった。
 さあうるさい奴はいなくなった、超能力者の本領発揮と行くかな。


「うーわ斉木さん、お顔がツヤツヤプルンプルン」
 三十分後、合流場所である屋根付きの休憩所で僕を見るや、鳥束は目を真ん丸にして驚いた。
 いや、うん、なんというか…まさに極楽だったぞ。
『実に素晴らしい三十分だった』
 僕はふわふわした気分で伝えた。
「良かったっスね〜。それであの…ぶどう畑、壊滅状態とかじゃ…ない、ですよね……ごくり」
『当たり前だ馬鹿。ちゃんと考えて食べた』
 だが鳥束はまだ疑わしく、ぶどう畑の方を心配そうに見やっている。そして、まさかマインドコントロールしてねぇだろうなと、失礼な事を考えていた。
『するか馬鹿』
「もー、バカバカ言うー……」
『それより、お前の方はどうなんだ、いいの収穫出来たか?』
「ええばっちりっスよ。ほら、いいでしょー」
 見せてくる袋の中には、立派に育ったさつまいもが詰まっていた。
『おお、やるじゃないか』
「ええ、あのね、偶然にも芋掘り名人の幽霊がいましてね、そいつのアドバイスで上手くいったんス」
『そいつはでかした』
 しかし芋掘り名人とは。
『僕の方も、園内で一番と思われる熟したぶどうを収穫したぞ』
「どれどれ…うわー、粒が揃ってほんと美味そう、よだれ出そう」
 そうだろう。お前にもあとで、極楽気分を味わわせてやるぞ。

 続くきのこ狩りで、今度は鳥束が本領発揮する。
 あまりに下品で下劣で、とても人様にお見せ出来る代物ではないので割愛させていただく。目に余る部分はきちんと制裁しておいたから安心してほしい。
 さて肝心のきのこだが、ここでも目利きの幽霊が有効なアドバイスをくれたので、僕たちは秋の味覚の代表であるきのこを、無駄なく存分に収穫する事が出来た。
「美味しいのがいっぱいとれたのは嬉しいっスけど、複雑っス」
 うるさい煩悩が。それ以上言うならその口本当に縫い合わせるぞ。

「着々と秋の味覚、揃ってってますね」
 粒ぞろいのぶどうが二種、丸々育ったさつまいも、丁度食べごろのきのこと、どれもよだれが出そうな品ばかり。
 そして僕らのミッションもいよいよ大詰め、メインディッシュであるニジマス釣りに移る。
 二人で釣り堀に赴くと、家族連れ、カップルと、ちらほら人が見られた。
 釣り堀の周りは柵でぐるりと囲われており、中で悠々と泳ぐニジマスに向けてみな思い思いに釣り糸を垂れている。
 僕らも適当に場所を決め、竿を握り締めた。
「よし、じゃあ斉木さん」
『ああ、いくか鳥束』
 お互い目を見合わせて一度頷き、針を投げ込む。

 さて、どこが狙い目だろうかと見回していると、一匹のマスと目が合った。
 それはただ単にこちらを向いてるのではなく、明らかに意思を持っている目付きだ。
 なんだ、何を考えてる。と見つめていたら心の声が響いてきた。
「おはようございマス」
 おお、ニジマスの思考が聞こえる。
「あんた、オレを釣りに来たんでしょ、わかってマス」
 それもしかして語尾?
「自分ら、春と秋が旬ですからね。でもそう簡単には釣られマスんよ!」
 ややこしいな。
「あんたがオレを食べるにふさわしいか、確かめさせてもらいマス!」
 なら僕も、釣らせてもらいマス
 いざ尋常に勝負だ!

 数秒後、釣り上げられたマスが小さなバケツにポチャンと納まる。
「あんたには負けマスた…そこで、約束してほしい事がありマス」
 無理やりすぎないか?
「残った骨は、じっくり炙れば美味しく食べられマス。最後まで食べると、約束してくれマスか?」
 ……わかった、約束しよう。
 得も言われぬ複雑な気分でいると、やった釣れたー、と鳥束の陽気な声が聞こえてきた。
「斉木さん見てー、釣れたっスよー」
 元気に跳ねるニジマスを、鳥束は大はしゃぎで見せてきた。
『やったな、これで、お前だけメインなしを免れたな』
「え、うわ、あっぶね。いつの間にそんな事に!?」
『自分の釣ったのを自分が食べる、当然だろ』
「え、じゃあこれ一緒にしたら、どっちがどっちかわかんなくなっちゃう?」
 どっちも丸々と太ってるし。
『そうでもない。僕の釣ったのは、背びれに大きな欠けがあるからな』
「えー……あ、ほんとだ。元気な奴なんスかね」
 まあある意味そうだな。
「はー、でも良かった、もっと時間かかるかと思ってたから、ほんと良かった」

 その後係の人に頼んで、内臓を取ってもらう処理をしてもらった。
 受け取った袋を手に僕は誓う。
 名も知らぬニジマスよありがとう、残さず食べる、と。
「さてじゃあ、コテージに向かいますか」
『そうだな』

 順調順調、だがこういう時ほど何か起きたりするんだ、気を引き締めよう。

 

 

 

 

 

「えー、ここが、今晩泊まるコテージっス」
 大きな屋根のかかった平屋の建物が、今夜の宿というわけか。
 外壁は濃いブラウンで、窓枠や扉は真っ白、とてもメリハリがあるな。質素ながら頑丈な手すりのついた玄関ポーチも、いい雰囲気だ。
「今、鍵開けますね」
 鳥束は持ってきた書類を確かめながら、ポストの中にあるキーボックスを解除し、中に収められていた銀色の鍵を取り出した。
「ただいまーおかえりーっと」
 玄関のたたきには、鳥束が事前に予約したのだろう、真新しい薪の束が一つ置かれていた。そうだな、新しく焚き火台買ったって盛り上がっていたし、これがないとな。

 玄関を入って右側がダイニングキッチン、正面がリビングスペース、左側が寝室か。じゃあ残りが水回りということだな。
 一歩踏み出す度に「おー、おー!」と弾んだ声を上げ、鳥束はキョロキョロ辺りを見回した。
「わー、結構綺麗じゃないっスか、ねえ!」
『そうだな。前回借りたコテージと似ているし、木の家なのは落ち着く』
「ねー、やっぱ木の家いいっスよね」
 鳥束は背負っていたリュックを下ろすと、外のデッキに出られる大きな窓をカラカラと開けた。
「ふわー、涼しっ!」
 開けた途端、秋の爽やかな風がそよりと入り込んで、停滞していた部屋の空気を一新した。これはいい気分だ。僕は人差し指をあちこちに向け、窓という窓を解放した。
「あーきもちいーなー」
 鳥束の少し長い髪が風になびく。秋の気候とはいえ、坂道をえっちらおっちら上ってきたのだから当然汗もかく。それが涼風によって癒されていくのは何とも心地良かった。

 デッキには、固定のテーブルと長椅子があった。
 鳥束は早速腰かけると、僕を手招きで呼んだ。
 行くのはやぶさかではないのだが、ちょっと待て。僕は注意深く辺りを見回し、天敵のあいつらがいないかしつこいつくらい確かめた。
 それから、鳥束の向かいに腰を据える。
「涼しくて気持ちいいっスね」
『ああ。それにとても静かでいい』
 蚊帳をつってくれたら、ここで昼寝したいくらい快適だ。
 何気なくテーブルの上に置いた手を、鳥束が両手で包み込む。
「よかった、斉木さん、気に入ってくれて」
 ほっとしたと、鳥束は内心で胸を撫で下ろした。
 むず痒いから離せよ。
 少しへの字口になる。
 大体お前、お前が、僕の嫌がる場所を選ぶわけないんだ。
 もっと自信持て。


「えーと、効率よく進める為にね、ほら、ちゃんと工程表作ってきたんスよ」
 見て見てと、鳥束は得意げな顔で折りたたんだ紙を広げた。
 やれやれめんどくさいな。
 僕はひとまず顔を向けた。
 まず、今日の献立一覧が書かれており、それから、作る順番はどうだのこうだの作業はどうだの、細かな注意書きが矢印で書き加えられてる。


 ニジマスはたっぷりきのこをのせてホイル焼きに
 しいたけもホイル焼きのち醤油ちょろり
 味噌汁にもきのこたっぷり
 芋は豪快に丸ごとホイル焼きで
 ぶどうを贅沢に使ってゼリーとチーズケーキを作る
 ↓
1.チーズケーキを作る
・・・


 適当に目を滑らせ、適当に応援する。
『うむ素晴らしいぞー、頑張れとりつかー』
「あははー、もおー」
 だと思ったー、そんな言葉を呟きながら、鳥束は冷蔵庫に食材を収めていった。
 ここに来る前、スーパーマーケットに寄った。
 明日の朝食に使うパンや、ジュース類、ちょっと気になるこの地ならではの物、そしてコーヒーゼリーを買う為だ。
 スーパーはどこも似たようで全く違う。例えば海が近ければ海産物が驚くほどお安く売られてて、ちょっと見かけない珍しい魚が当たり前のように陳列されてたりと、色々と楽しい発見がある。

 僕は普段、あまり台所に立つ事はない。買い物は、母に頼まれお使いに行く事があるくらい。そんな僕でも地方色の濃いスーパーを楽しいと思う。寺の台所を任される事が多い鳥束なら、なおさらだ。
 おもちゃ売り場に来た五歳児くらいはしゃぐ。大いにはしゃいで、いちいち僕に見せてくる。
 鬱陶しいが、盛り上がる鳥束の陽気さに引っ張られるのは嫌いじゃないので、同じ歩調で店内を巡っている。

 今回もそのようにして、スーパーをぐるりと一周した。
 最初は、食パンと飲料とちょっとデザート、のつもりだったが、レジ台に置いたカゴはいつの間にこんなにと思う程満杯になっていた。
 こいつはかなりの金額になると戦々恐々としたが、はじき出された代金は思っていた額をはるかに下回った。
 品詰めしながら鳥束にちょろっとその事をもらすと、オレ、買い物上手なんでと何とも憎たらしい顔で笑った。
 有難いがやっぱりムカついたので、割り勘のやり取りをしながら静かに奴の足を踏んづけてやった。
 安く済んだのに踏まれるとか理不尽、と鳥束は泣いた。自分でもそう思ったので、せめてもの詫びに重い方の袋を引き受けた。

 そうして運んだ買い物を、鳥束はせっせと冷蔵庫に収める。
「ニジマスちゃん、美味しくいただくからね」
 そう呟き、手を合わせるので、僕も心の中で倣う。約束したしな。

「よっしひと段落っと。ねえ斉木さん、無事到着出来たってことで乾杯しません?」
 そう言って鳥束が取り出したのは、一本の瓶コーラだった。この地域特産の名水で作ったもので、スーパーの飲料コーナーで見かけレトロなラベルに惹かれて買ったものだ。
『そうだな』
「じゃ、すぐに」
 コップに注ぐと炭酸がシュワシュワといい音を立てた。
「わー美味そう、じゃ乾杯!」
『乾杯』
「んぐっ……きくー!」
『結構パンチがあるな』
 確かポップにも、強炭酸がどうのと書いてあったな。さっぱりしていて、悪くない。
「うまーい、…ぅひっく」
 思いがけず出たしゃっくりに、鳥束は慌てて口を押さえ恥ずかしそうに笑った。

「さて、じゃあ始めますよ」
 鳥束はかっぽう着を身に着け腕まくりすると、リュックから調理道具を出し作業台に揃えていった。
「本日一品目に作りますのは、ぶどうのレアチーズケーキで〜す。材料はこちら!」
 料理番組よろしく声色を作り、正面にカメラがある体で目線を送ると、鳥束は作業しやすいよう材料を並べていく。
 楽しそうでいいなお前。
『なあ、お前のリュック、もう寝室に運んでいいか?』
「あ、すんませんありがとうございます!」
 ん、結構重たいな。今日も色々持ってきたようだな。
「ではまず、ゼラチンを水で溶かしていきましょう」
 ノリノリの声を背に、僕は二人分の荷物を運び入れる。
 寝室には綺麗に整えられたベッドが二つ並んでいた。壁には、白く塗られた洋服ダンスが鎮座し、それ以外は壁時計があるだけの質素な室内だった。
 寝心地の良さそうなベッドだな。少し手で押してクッションを確かめる。うむ、いい感じだ。
 キッチンに戻った僕は、鳥束が用意したチーズケーキのレシピにざっと目を通した。
「そうしましたら次に――」
 隣に並んだ僕に嬉しそうに目配せして、鳥束は意気揚々と声を張り上げた。
「チーズケーキの土台を作ります」
 鳥束は用意したクラッカーをチャック付きの袋にせっせと詰めていった。
「クラッカーを袋に入れ、細かく砕いたら、溶かしバターを入れて全体によくなじませます」
 僕はその袋を掴むと、右手をかざした。
 作業は一瞬だった。
『出来上がったものがこちらになりまーす』
「えっ……!?」
 一瞬にして出来上がった土台に、鳥束はこぼれんばかりに目を見開いた。
「……うっわ、すっげー」
 驚きのあまり唇が小刻みに震えていた。ふふん、これだけじゃないぞ。
『そうしましたら、ケーキの型に敷き詰めます』
 手を使わずにケーキ型を引き寄せ、袋の中身をそこへ入れると、サイコキネシスでぴっしり平らに敷き詰めた。
『こちらは冷蔵庫で一旦冷やしまーす』
「おおー! さすが斉木さん……あざっす!」
 まだどこか夢見心地の眼差しで、鳥束はパチパチと拍手した。
『少しは手伝わないと、せっかくのスイーツも美味しくないからな』
「えへ、っスね。最高に美味しいの、お作りしますね」
『頼んだぞ』
「お任せ下さいっス――……わーっ!」
 満面の笑みで作業台に向き直った鳥束だが、みるみるうちに顔面蒼白になったかと思うと、バス停でしたように絶叫した。
 僕は耳を塞いだ。

『うるさい、いくら離れ小屋ったって限度がある。今度はなんだ?』
「さ、さ…さと…さと」
 なに、砂糖がない?
 ヒハヒハ浅い呼吸を繰り返しながら、鳥束は何度も頷いた。
 忘れ物か、ありがちだな。
「や、ちゃ…ちゃんと用意はしたんスよ……」
『落ち着け、ほらこっちきて座れ。ほら飲め』
 ガタガタオロオロする鳥束を一旦椅子に座らせ、さっき飲んだコーラの残りをコップに注いだ。震えながらも飲むのを見届け、僕は千里眼で奴の部屋を覗いた。
 あった。
 テーブルの上にでんと鎮座する砂糖の容器。

 堂々とした佇まい、存在感に、思わず噴きそうになった。
 あんなに目立つものをリュックに入れ忘れるとかないだろ。
 まあ、そういう落とし穴も、ある時はあるよな。
 すぐ目の前にあるのになんでか見つけられなかったり、そういう不思議が世の中にはあるものだ。
 それにしても、順調に釣りや買い物が出来たしっぺ返しは、ここか。
 軽い方で良かったといえば良かったか。
『あったぞ鳥束』
「ありました……はい」
『さて、何と引き換えにしようか』
「あ、お願いします」
 座ったまま、か細い声で言ってくる。
 僕は寝室に行って、奴のリュックとにらめっこする。値段の釣り合うものは……これか。

『鳥束、そら』
 キッチンに戻り、アポートで引き寄せた砂糖を鳥束の前に置く。
「ううぅ、あざっス斉木さん!」
 たちまち鳥束は元気を取り戻し、しゃきっと立ち上がった。
 これで美味しいケーキが作れると、鳥束は高々と容器を掲げた。
『そうか、よかった。その代わりこっちはこんなになったがな』
 僕は、砂糖と入れ替えたものを鳥束に示した。
「えっ……」
 引き換えにしたもの、それは、今夜使う予定だった花火の束。
 ただし全てではなく、ごく一部が残った。
「線香花火……」
 そう、線香花火だけが辛うじて残った。
 複雑な顔になる鳥束だが、スイーツには代えられない。
「んー…まあしゃあない、忘れたオレが悪いんスから!」
 ありがと斉木さんっ!

 

 

 

 

 

「斉木さん、それ食べ終わったらでいいですから、これやりましょ!」
 夕飯までまだ時間ありますし
 アポートのお礼にともらったコーヒーゼリーをモニュモニュ満喫していると、夕飯の下準備を終えた鳥束が誘ってきた。
 さっきリュックを覗いた時一緒に視えたのだが、やっぱりそれやらなきゃ駄目か。
「せっかく持ってきたので!」
 鳥束は、両手に持ったフリスビーとバドミントンセットを掲げ、にっこり笑った。
「公園デートには欠かせない、二大アイテムっスよ!」
『いやここ、公園じゃないが』
 コテージの前には広いスペースがあるけども。
「まーまー、細かいことはいいじゃないっスか」
 やりましょうよと手を引っ張られる。
 はぁ、やれやれ。ま、コーヒーゼリーも食べ終わったし、ちょっと付き合うか。

 まずはフリスビー
「ちょっとね、家で練習してきたんスよ」
 言うだけあって、ふわんと優雅に僕の手元にディスクは飛んできた。
 これなら子供でも楽にキャッチ出来るな。
「へへ、どっスか」
 鳥束は得意満面で鼻の下をこすった。
『ムカつく』
「えー、もー、斉木さんはすぐそうやってもー」

 僕の一投はというと。
 ヒュッ
「ひっ……!」
 鳥束の頬をかすめ、後ろの岩をガッと削った。
『すまん』
「アンタはキャップか!」
『ん?』
「キャプテンアメリカ!」
『ああ、アメコミの。なら完コピするか。という事であの焚き火台出せ、大きさぴったりだろ』
「はぁっ!? しなくていい! フリスビーでこの威力じゃ、あれだったらどうなるか…ブルブル…どうか命だけは!」
 っち、やれやれ。

 お次はバドミントン
「いきますよー、はいっ」
 ポーンと飛んできたのを、同じくポーンの気持ちで打ち返す。がもちろん、シャトルはヒュッと空を切り彼方へ飛んでいった。
 っち。
 僕は即座にサイコキネシスで掴み、手元に引き寄せた。
 それから数回、力の調整でてこずる。

「もうちょい!」
「惜しい!」
「あとちょっと!」

 段々とわかってきた。僕にしたら、もう本当にピクリと動かすだけでいいんだな。

「あ、おっけ!」
「よっし!」
「ばっちり!」

 鳥束の嬉しそうな声が、秋の昼下がりに響く。
 鳥束は打ちやすいよう返してくれた。僕も同じく送る。
「そうそう、イイ感じっス斉木さん!」
 しかし、と思う。
 こんなのが楽しいのか、と。
 へなちょこの僕に合わせて楽しいか、と。
 でも鳥束は楽しそうだ。とてもはつらつと、喜びながら遊びに興じている。
 僕とこうして遊べる事に喜び、僕がこうして出来る事を喜び、全身で楽しんでいる。
 だから……。
「うわぁっ! っかー、落としたぁ〜」
 這いつくばって足元に転がるシャトルを握り締め、鳥束はもうちょっと出来たのにと悔しそうに地面をどんどん叩いた。
「はー、結構回数続いたのに。ね!」
『……ああ』
「よし、もっかいっス!」
 鳥束はばっと立ち上がって構えた。

 力のコントロールが上達するにつれ、段々、楽しいと思えるようになってきた。
 けれど申し訳なさは依然心に陣取っている。
 ああ、鬱陶しいな。
 常人だって同じようなものだよな。僕だけがおかしいわけじゃないよな。みんなこうして、初めてのものに試行錯誤して四苦八苦して、段々覚えていって楽しくなるんだよな。
 僕も、ちゃんとそこに混ざれてるよな。

『……もうやめるか。お前も、もう吐きそうじゃないか』
「あー…うぇっ……えへへ、平気っスよ、ぉえ」
『どう見ても平気じゃないが』
 足はフラフラ、息はゼイゼイ、どう見ても満身創痍だ。考えてみれば、運動嫌いのへなちょこの癖によくもここまでもったものだ。
 もちろん僕は汗一つかいてないし息も全く乱れてないが。
「ふー…はー…いきますよっ」
 と、よろけた拍子に鳥束は足首を捻り地面に尻餅をついた。
 いや、その寸前にサイコキネシスで受け止めたが。
「すんませっ……はぁ、はぁ」
『部屋で休もう』
「……あいっす」

 幸い怪我という怪我ではなく、すぐに回復する事が出来た。
『良かったな』
 僕はソファーに身体を預けた。
「あー、斉木さん……楽しくなかったっスか?」
『お前は楽しかったか?』
「えー、もちろん! てか心の声聞けるんだから、嘘かどうかわかるでしょーが」
 困った顔で笑って、鳥束は隣に腰かけてきた。

『お前に気遣ってもらって、楽しませてもらって、そんなの、普通じゃないよな』
「はぁん?」
『こんなの、普通じゃないよな』
「なに、どしたんスか急に」
『道具もロクに使えないなんて、幼稚園児みたいだと思ってな』
「はぁー? ふうー……もう。天下の斉木楠雄様ともあろうお方が、なーに言ってんスか。大体、オレみたいなの好きになってる時点で普通じゃねーっスわ」
『そうだな……』
「ちょっとちょっと、もー、暗い顔やめてくださいよ。じゃーあれ斉木さん、仏の教えでも聞きます?」
 教え自体は有難いが、お前の口からは聞きたくないな、断固拒否する。
「まーあれ、なんでも出来ちゃう斉木さんには、まさに釈迦に説法っスかね」
 ははは。
 からからと笑う鳥束に小さく鼻を鳴らす。

 

 

 

 

 

 そうやって楽天的に笑い、張り切って夕飯作りに挑んだ鳥束だったが。何がきっかけか、急に自身の失敗を思い返しへこんでいきやがった。
 ついさっきまでヘラヘラしてたくせに、調理をしながら、秋はやっぱり別れの季節かなぁ…などと意味不明な思考に陥っていった。
 く、下らん。

 降りるとこ間違えて、余計歩かせて、しくったなー
 肝心の砂糖忘れるとかマジダサい、手間かけさせちゃったよ
 無理やり遊びに誘ったの、やっぱまずかったよなぁ
 調子乗っちゃったよな…愛想尽かすよな……

 アレが駄目だったコレが駄目だったと己を責める鳥束に、僕は思い切り唇を曲げた。
 すっかりしょぼくれ肩の落ちた後ろ姿に、やれやれと首を振る。
 そんなんで愛想尽かすならとっくに、いやそもそもお前を選んでない。
 というかだ。さっきまでひそやかながら僕の方が落ち込んでたんだがな。これじゃ落ち込む暇もない。
 というかだ。僕の方こそ、コイツに愛想尽かされる云々で悩むべきか?
 ふん、下らん、そんな時間があったらもっとコイツと一緒に。

 背中を睨み付けていると、炊き上がりを報せる音が炊飯器からしてきた。
「あ、こっちももう出来ますよ。斉木さん、すみませんが冷蔵庫からケーキ、出してもらえますか」
『わかった』
 ちょっとムカムカしながら冷蔵庫を開ける。そのくせ、すぐ目の前にあるケーキにぱっと気持ちが切り替わるとか、僕も大概単純だな。
 でも仕方ないだろ、これがまた上出来なんだ。真っ白いチーズケーキの上に、シャインマスカットと巨峰の二色が彩りよく飾り付けられている。その様はまるで、大輪の華のようだ。しかもその高さまでゼリーを流し込んでいるので、チーズケーキとゼリーの両方が味わえる贅沢な逸品に仕上がっている。
 二人で手分けして作ったもので、上にのってるぶどうは、僕がよく吟味して一番最高のを採った。とあっては、さすがの僕もテンション上がるというものだ。
 大抵のムカつきも彼方に吹き飛ぶってもんだ。
 そいつを取り出し、慎重に切り分けて各々の皿に盛る。素晴らしい、完璧だな。完璧なぶどうのチーズケーキ。
 そうこうしていると鳥束の方も作業が進み、食卓は豪華な夕餉を迎えた。

 きのこの炊き込みご飯。
 ニジマスのホイル焼き、たっぷりきのこを添えて。
 きのこたっぷり味噌汁
 さつまいものレモン煮
 もぎたてぶどうのレアチーズケーキ

「じゃあ、……いただきましょうか」
 おいおい、なんだそのぎこちない笑顔は。
 せっかく料理は完璧に出来上がったのに、なんだこの空気、お通夜か?
『料理が冷めるだろ、さっさと座れよ』
 促すが、鳥束はその場でもじもじ足を踏みしめぐずった。
「……どーせ…なんでも出来ちゃう斉木さんにはわかんねっスよ」
 また言ったな。

『いいから座れ』
 有無を言わさずサイコキネシスでソファーにぶん投げる。
「ぐへっ……わぁーん、斉木さぁーん……」
 べそべそする鳥束にまたがり、すぐ鼻先でニジマスのホイル焼きをガサガサ開く。
 たちまち、焼き立ての川魚の何とも言えぬ香りがふわーんと立ち上った。
「………」
 無言だが、顔は緩んでるし心の中は「いい匂い!」で一杯だ。どうだ胃に染みるだろう。さっきあんなに運動したしな。腹の虫もグーグー鳴いてるし、身体は正直じゃないか、え、鳥束。
 僕は箸で身をほぐし、あーん、ひと口食べさせる。
「い、いただきます……」
『美味いか?』
「うまいっふー!」
 びっくりだと目を潤ませ、鳥束は口を覆った。
『だろ。僕たちが釣ってお前が料理して。最高の味なのは当然だ』
「……へへ」
 ぶどうのチーズケーキもあーん。
「うっわ、うっま!」
 一杯に見開いた目をキラキラ輝かせて、鳥束は美味い美味いと噛みしめた。オレ、料理上手だねーと自画自賛してるのがちょっとムカつくが、元気が出てきた証拠だな。
 そしてとどめに芋だ。厚めの輪切り――。
『そら、ひと口でいけ』
 促すと、鳥束は言われるまま一気に頬張った。
「うっぐ、つまる……」
 目線で水を要求してくる鳥束にコップを渡す。
「ゴクッゴクッゴクッ……ひゃぅっ」
 ひとつしゃっくりして、鳥束は大きく息を吐いた。
「はー……あぶなかった」
 それから、照れくさそうにえへへと笑った。

 何でも出来るだと?
 嫌味か貴様。
 僕にも出来ない事を易々とこなしておいて、よく言うよなあ。
 もしも僕だけで今夜の料理を作ったら、きっと見てくれだけ完璧で、味気ないものが出来上がっただろうよ。

『あんまりしつこいと嫌いになりそうだな』
「えっ……あのあの、じゃあ、夜も控えめにします……くすん」
『……ばか』
 それはいいんだよ、元のままで。

 とにかくだ
『腹が減ってるからそんなに落ち込むんだ。食べれば治るから、こっちきて一緒に食べるぞ』
「……斉木さん」
『せっかく二人で集めた秋の味覚だぞ。二人で手分けしてもいで掘って釣って吟味して。それを、僕一人寂しく食べろってか。お前はそんなに薄情だったか』
「ん、もー、そんな事あるわけないでしょー!」
『今回の旅行の、一番の目的だってのに。あーあ。お前特製秋御膳が、あーあ』
 僕は大げさに首を振ってみせた。
「違いますってー。すぐそういう言い方すんだからー」
『じゃあ早く来い』
「斉木さぁーん!」
 鳥束はバタバタとやってきた。
 やれやれ、世話の焼ける。

 どうせ僕たちは普通じゃないんだよ。どう頑張っても普通になれない。
 だからうまいこと巡り会ったんじゃないかと、自分らしくない考えが頭を過る。

「よーし、ではあらためて。二人で頑張って集めた秋の味覚で作った、特製秋御膳、いただきまー……」
『待て待て、挨拶がまだだろ』
 箸に伸びる手をさっと止める。
「あ、うん。はい。え、やっぱオレ?」
『うん、お前』
 鳥束が自分を指す。僕も鳥束を指す。
「うぅ…今回は更にカッコつかないっス」
『それがお前だ、諦めて受け入れろ』
「くうぅ……」
 悔しそうに上目遣いで見やってきた。
『僕はそんなお前がいいんだ』
「おひゅっ!……お、オレもオレも、斉木さん大好きです!」
『知ってるよ。ほら、乾杯の挨拶しろ』
 前のめりで告げてくる鳥束に小さく笑いかける。

「はい、あー、鳥束零太です」
『斉木楠雄だ』
「はい、お約束」
 ああ、お約束だ。
「あの、今回は今まで以上に失敗続きで、斉木さんに支えられてどうにかここまで来る事が出来ました。オレも頑張って斉木さん支えていきたいと思いますので、どうが、愛想尽かさずこれからも付き合っていって下さい。よろしくお願いします!」
 がばっと頭を下げ、ばっと起き上がり、乾杯と中身をかけてくるのまでお約束の流れだな。
 どこかほっとして笑って、僕は拍手した。
「はー、ふぅ……じゃー食べましょー」
『いただきマス』
 箸を手に、僕は舌鼓を打った。

 

 

 

 

 

 食後、ソファーに身を預け僕は心地良い余韻に浸っていた。
 ニジマス、きのこ、さつま芋、ぶどう…どれもこれも素晴らしい秋の味覚だった。
 自分で苦労して収穫したものだからか、余計に味わい深かった。感動もひとしお。
 残ったニジマスの骨を、鳥束に頼んでカリカリになるまで炙ってもらい、頭も尻尾も全部残さず食べ切った。
 鳥束は元々そうしようとしていたので、そこで僕は軽く「ニジマスとの約束」を話した。鳥束は驚いていたが、それならなお一層食べなきゃと奮い、ひとかけらも残さず食べ切った。
 サクサクというかカリカリというか、中々楽しい食感だった。味も申し分なく、いくらでもいけると思えた。
 いつもより「ごちそうさまでした」の言葉を重く感じた瞬間だった。
 まあそんなわけで無事約束も果たせた僕は、どこか清々しい気持ちでのんびり食休みしていた。

「斉木さん、花火しましょ花火!」
 焚き火で花火!
 秋の味覚を胃袋に目一杯詰め込み、満足してまどろんでいると、休んでる暇はねえとばかりに声が急き立てる。
 右手に焚き火台、左手に花火、そして脇に薪の束を抱えた鳥束が誘ってきたのだ。
 これまでなら花火は五つも六つもあって、二時間コースかってほどのものだったが、今回は十本一束の線香花火のみ。
「や…うん、ね、盛り上げて行きましょう!」
 半ばヤケッパチで声を張り上げ、鳥束はデッキに出た。

 焚き火台を広げ、せっせと薪をセットする鳥束。
 下から、ぎゅっと丸めた新聞紙、そこらで拾った枯れ枝、その上に井桁に組んだ薪。
『へえお前、炭よりずっと手際が良いな』
「ああ、んふ、オレ寺生まれっスから」
『何でもそれ言えばいいと思ってるな』
 くいっと、親指で自分を示す鳥束に、僕は忌々しげに舌打ちした。
「いやいや、これはほんとそうなんスよ。実家では落ち葉でも薪でも焚き火オッケーなんで、斧もあったし鉈もあったし、それぞれ使いこなせますよ!」
 ちょっとした自慢だと、鳥束は得意げな顔で焚き付けに火をつけた。
 そうか、日常で薪をよく扱っていたから、炭での火起こしもそれほど手こずる事なく行えたんだな。そう考えると合点がいった。
「んふふー、惚れ直しちゃいました?」
 それまで火の具合を見ていた鳥束が、くるりとこちらに顔を向け、にかっと白い歯を見せた。
『馬鹿言え』
「えー、ちぇっ」
 手強いっスねー
 また火に目を戻す。
 馬鹿言え、鳥束。直すどころか深みにはまったよ。
 やれやれだ
「おっし、ここまでくれば安心かな。じゃあ斉木さん、花火パーティーといきますか!」
『……おう』

 と、そこまでは元気だった鳥束だが、やはり線香花火でパーティーは難しく、しっとりする以外ない。
「っ……まあ、これはこれでいい風情っスね」
『そうだな』
 十本あっても、二人でやったら一人五本、五本なんてあっという間に終わってしまう。
「ああ……もっとやりたかった」
 焚き火にかざしてあたためた手を擦り合わせながら、鳥束は呟いた。
『お前が忘れ物するのが悪い』
「ほんとそうです、本当にすんません」
『大体お前、前回の夏でも、肝心の空気入れ忘れるとかありえないだろ』
「ほんとそうです……反省してます」
『怪しいもんだな』
「ぷぅ……すんません」
 鳥束は俯き、しょんぼりと肩を落とした。

 焚き火の、パチパチはぜる音だけが辺りを包む。
『やれやれ』
 さて、充分反省した事だろうから。
 僕は室内に引っ込んだ。あるものを取りに行く為だ。
 実はな鳥束、お前が夕飯後の洗い物してる時間を利用して、お前の部屋に瞬間移動したんだ。
『そら、大サービスだぞ』
 花火を手に入れる為にな。
「え、え……! ええっ!?」
 だって、だって!
 鳥束は目をひん剥いた。
「だってさっき、これ……さっき、間違いなく砂糖と入れ替わったはずなのに!」
『ああそうだ。でも取りに行ってやったんだよ。わざわざな』
 僕だって、お前ともっとこの時間過ごしたいし。
「うわ、花火あった……あったぁー!」
 鳥束はまるで伝説の秘宝を手にしたかのように、飛び上がって大喜びした。
「斉木さんありがとーありがとー!」
 そして花火を掴んだまま僕に抱き着き、何度も飛び跳ねた。
 床が抜ける、落ち着け。

「うれしー…うれしー!」
『そうだ、もっと僕に感謝しろ』
「はい、もう、このご恩はベッドの中でたっぷりお返しします!」
 ふざけるなと頭をはたく。
「いたい……まじでいたい……でも斉木さんがいてくれてよかったあー!」
 そうだろそうだろ、もっともっと感謝しろ。
 僕だって、お前がいる事に感謝してる。
 僕でもこんな風になれるのだと教えてくれるお前がいること、感謝してもしきれない。
 口に出したらきっと調子に乗るだろうから、絶対言わないがな。

『さあ、花火の続きだ』
「おいーっス! あ、斉木さん、花火のお供に、コーヒーゼリーとチーズケーキと焼き芋とあるんですけど、どれにします?」
『とりあえず全部』
「ははは、了解っス!」
『それとお前な』
「あんっ……オレは、標準装備っスから」
 なんだ標準装備って
「いや、オレがお供は基本装備、っていう」
『図に乗るな』
「あーん斉木さーん」
『いいから、焼き芋の準備をしろ』
「うむぅー……もう出来てますよーだ。後は火にくべるだけです」
『じゃあさっさとやれ』
「はいーっス、美味しい焼き芋、お届けするっスよー」
 鳥束はアルミホイルに包んだやきいもを二つ、焚火台に乗せた。
「じゃあ、ではでは、花火パーティー始めましょー!」
『おー』
「やぁん、斉木さんもっとテンション上げて!」
 僕はその声を無視して、花火に手を伸ばした。

 これからも、お前のつまんない失敗は続くだろうな。でも安心しろ鳥束、出来る限りフォローしてやるしなんだったらギリギリ法に触れないやり方で助けてやるよ。
 だから。
 だからこれからも。
 どうかお前といられますように。

 

 

 

 

 

 鳥束と入れ違いで風呂に入る。
 煙でいぶされすっかり臭くなった身体を洗い流し、湯船に浸かって目を閉じる。
 すると、さっきまで興じていた花火の色が、目蓋の裏に淡く蘇ってきた。
 僕はふっと息を吐いた。

 赤、緑、白、黄色。
 まっすぐ噴き出す火花、丸く弾ける火花、バリバリと奔放に飛び散る火花、釣り糸の先でくるくる回る火花。
 もれなく鳥束は歓声を上げ、喜び、全力で楽しんだ。
 左右の手の、指の間に一本ずつ花火を挟み火をつける事もした。みんなは絶対真似しないように。注意書きにあるよう一本ずつ正しく持ち、安全に楽しんでもらいたい。
 鳥束自身もさすがにそれはやりすぎだと思ったらしく、半分涙目になっていた。
 反省して、次は大人しいのにしますと言うから何かと思えば、出してきたのはヘビ花火。確かに大人しいとも言えなくもないが、やたらモクモクと煙りを吐きひたすら伸びていく黒い物体に、何とも微妙な空気になった。
 気を取り直して花火を楽しみ、合間にゼリーやチーズケーキや焼き芋を味わい、目一杯花火パーティーを満喫した。

 ばしゃりと顔を洗いゆったり浸っていると、僕を待つ鳥束の弾む心の声が聞こえてきた。
 まだかな、まだかなー。
 ソワソワしながら寝室の入り口を見ている姿が目に浮かぶようだ。
 斉木さん出てきたらあれしよう、これしようと待ち構えている。
 他愛ない声ならいいのだが、相手はあの鳥束、大半は欲望に素直なドロドロしたもので、せっかく風呂でさっぱりしているというのに視えない何かがベトベトまとわりつくようで、複雑な気持ちになる。
 まったく、出たら一発食らわせてやろうか。
 またひとすくいばしゃっと顔に浴び、僕は大きく息を吐いた。

 寝室に戻ると、ベッドの上に見慣れないものが乗っていた。
 ああこれが、出発前に言っていた「驚きのアイテム・その一」だな。
「じゃーん!」
 やっぱり出してきたか。
 視えてはいたがあえて無視していた寝袋を、鳥束はとびきりの笑顔で見せてきた。
 いや、さあ。コテージだしちゃんと寝具揃ってるし、いらないだろそれ。まさに余計なお荷物そのものだろ。その分荷物重かっただろうに、運動嫌いの怠け者の癖に、そういうのはマメだよな。
「そりゃそうなんスけど、ちょっとでもキャンプ気分味わいたくて」
 うーん。正直キャンプしてる自覚なかったわ、そういやそうだったな。
「物凄い調べに調べて、軽くてあったかくて快適っていうのをね、ちゃんとお選びしましたんでね、斉木さんも絶対気に入ってくれると思うんスよ」
 鳥束は収納袋から取り出して広げると、ベッドの上にセットした。
「これね、この形、マミー型っていうんですって。身体と寝袋の間に無駄な隙間がないし、肩や頭まですっぽり覆えるんで、抜群にあたたかいんですって。そんで、さっき見てもらったようにコンパクトに収納出来るのも魅力的だったんで、買っちゃいました」
 買っちゃいましたか。
 無駄な買い物だという気持ちが拭えないが、せっかくだからと試しに寝袋を使ってみる事にした。
 が、近付いて早速後悔した。
『げ』
「げ?」
『外がパープルで、中は花柄模様?』
「あ、それ可愛いでしょ〜」
『ええ〜……』
 近くに寄って見てみたら、内側一面が花柄模様だったこの衝撃。
 なんというか、イメージしてたのと違う。素っ気ない黒一色だと思ってたところに可愛らしいお花の模様が…うん、まあいいか。
 大事なのは寝心地だしな。
 ゴソゴソと潜り込む。
「やったー、斉木さんかかったー」
 かかったとか言うな。
 僕がアクションを始めた瞬間から、鳥束の奴うるさいのなんの。
 可愛い可愛いの嵐が吹き荒れ、今にも爆発炎上するのではと思う程興奮している。
「あー、サイズもぴったりみたいっスね、よかったぁ〜。寝心地はいかがです?」
『……悪くない』
 いや本当に悪くないぞ。
 少し窮屈かと思うのだが、そのぴったり感がかえってその、何というか、安心感がある。決して不快ではない。そしてしっかりあたたかい。頭まであたたかいのって、いいものだな。済まなかった鳥束、無用でもなんでもない、こいつは非常に快適だ。
「うふふでしょでしょー、それ秋冬用でね、たしかマイナス五度まで防いでくれるんですよ」
 ただ、お前の心の声は非常に不快だ。
 ……ん?

「はは、気に入ったみたいっスね。まあ自信はありましたけどね、なんせ部屋で一回試着して確認しましたし。これなら絶対斉木さんも気に入る! って自信をもっておすすめの、寝袋っス」
 ああ、だからか。
「確かそっちが、試着してない方の…だと思います。……ん、えと……多分、ははは」
 鳥束はもう一つの寝袋を取り出し、自信なさげに頭をかいた。
 だから、お前の匂いがするのか。たとえこっちが本当に未使用だとしても、しばらくお前の部屋にあったもの、移っていてもなんら不思議はない。
「えと、ご不満でしたら交換しますよ」
『いや大丈夫だ』
「そっスか残念」
『言うと思った。お前の事だから、僕の匂いに包まれてゲヘヘェとかするつもりだったろ』
「うっぐ、ややややだなぁ斉木さんてば、オレがそんなゲスなわけ――」
『あるだろ。その膨らんだ鼻が何よりの証拠だ。鼻息も荒くてキモいんだよ』
「ひでぇっス」
 うるさい、僕でさえやっちゃってるんだ、お前がやらない訳がない。
「あれ、顔が赤いっスね、ちょっと保温効きすぎました? 暖房暑すぎです?」
 鳥束は慌てて寝袋のチャックを下げた。
『いや、平気だ』
 ほんと、DKってのはどうしようもないな。僕も例外じゃない。本当に始末に負えない。

 どうにかこうにか平静を取り戻そうとする。
 しかし落ち着こうとすればするほど血の巡りが盛んになって、加えて隣の男のうるささが、僕をますます陥れていく。
 なんだコイツ、何を考えてる?
 やたらに散らばった思考を拾うと、鳥束のやつ、笠地蔵めいたものを思い浮かべていた。
 笠地蔵とは、また一体どうして。

 笠の代わりが寝袋で、それ上げたら何か見返りがあるとしたらなんだろな、と、そのような事を鳥束は考えていた。
 はぁ…やれやれ。
 情けは人の為ならず……だがお前は下心ばっかりだから――。
『臼どんに潰されるのがオチだ』
「いきなりの猿蟹合戦!」
『お前の煩悩も、こぶとり爺さんみたいに取れたらいいのにな』
「えあぁーわしゃ小さいつづらがいいのう?」
 何か昔話をと慌てて考え、鳥束は舌切り雀を出してきた。
 僕はまじまじと鳥束の顔を見る。おい、何が小さいつづらだ。小さいのも大きいのも、全部根こそぎ持ってきそうな顔しやがって。
 というか現に持ってってるだろ。
「え、……ああ、斉木さんをね、まあぐふっあのぐふっ、うふっぐふ」
 ぐふぐふ気持ち悪いんですけど。
「えーでもそれを言うなら斉木さんだって、オレの事根こそぎかっさらってってるじゃないっスか」
 まじまじ見ていた視線をすーっと横に逸らし、僕は時計を見た。
『さあ寝るかな』
「あーごまかした、豪快にごまかしたー」
『……まあなんだ、お互い様だな』
「そういう事にしてあげます」
 鳥束は嬉しそうに歯を見せて僕に抱き着いた。
 そのまま一緒に横になる。

『重いんですけど』
「愛の重みっス」
『うざい。お前のベッドあっちだろ。あっち行けよ』
「えー、そんなつれない事言わないで」
 鳥束はますます抱きしめてきた。
「ねえ…斉木さん」
 ふっと声の調子が変わる。
 見なくても、そこにどんなに熱がこもっているか、よくわかった。僕は伸ばした手で顔を掴んだ。そこに奴の手が重なる。
「斉木さん……」
 ひっそりとした囁き。僕はそれを合図に目を閉じた。
 唇が重なってくるのを、うっとりと受け取る。

 

 

 

 

 

 ん……朝か。
 僕は片方ずつ目を開いた。カーテン越しの日差しはまだ薄明るくて、けれど今日もいい天気である事を教えてきた。
 この寝袋というのは、中々いいものだな。
 深呼吸して身体を目覚めさせる。
 そうやってまどろんでいると、鳥束が目を覚ました。
 たちまちうるさくなる周囲。あーあ、ついさっきまで鳥たちの軽やかな鳴き声と他愛ない囀りだけだったのに、こっちの「鳥」ときたら。
 内心ぼやきつつ、ベッドの上でごろりごろりと緩慢に寝返りを打つ。

 鳥束は目を覚ますやエンジン全開となり、がばっと起きてがばっと立って、カーテンを開けたり布団を畳んだり、きびきび動き回った。
 動きは切れがいいが、ドタドタ足音を響かせたりバサバサ乱雑にしたりはしない。とても静かに軽やかに動いているようで、軽い衣擦れの音しか聞こえない。
 ふうん、それも、寺生まれだからか?
 ちょっと感心してみたり。
 が、内心はすごい、もうすごい。鳥束だなぁって頭痛がするほど、喧しい。
「斉木さーん、おはようございまーす」
『うんおはよう』
 面倒なので目を閉じたまま応える。ふわーあ、七時か。

「起きます?」
『ああ、もう起きる』
 と言いつつ、僕はぴくりとも動かなかった。目蓋すら動かさない。
「ぷふふ、起きて斉木さーん」
『うん、起きる』
 でもやっぱり動かない。別に意地悪してる訳でもなんでもなくて、ただただ、寝袋が気持ち良いのだ。この、内にこもった熱がはがれるのが耐え難い。ずっと僕にまとわりついていてほしい。
 そう思ってしまう程、寝袋の中は居心地が良かった。
「しょーがないっスねー、じゃー、あと五分っスよ」
 そう言って、鳥束は一旦朝食の準備に向かった。
 よし、うるさいのいなくなったな、寝よう。

 しばらくまどろんでいるとまた起こしに来た。
 っち、もう五分経ったのか。
「はい、斉木さーん」
 寝袋のチャックを開けられる。でも僕は頑として動かない。
「はいもう起きる、起きるよー斉木さん」
 やめろ鳥束やめろ。
 上半身を抱き起こされる。で、そのまま膝とか使ってゴソゴソ寝袋を引っ張り取られる。ああ、寝袋が、暖かい空気が。
「はい、朝ですよーいいお天気ですよー起きましょうねー」
『わかった鳥束、この寝袋言い値で買おう。これでいいだろ』
「ちょ、ははは、なにそれいいっスよ。いりませんよ。おうちに持って帰っていいですから、まずは起きて下さい。そんで着替えて、顔洗って、朝ご飯にしましょ」
『……っち』
「はい、舌打ちめーっ。美味しい美味しい朝ご飯が待ってますよ斉木さーん、起きましょうねー」
 やれやれわかったよ。起きればいいんだろ。

 渋々顔を洗い、ダイニングに向かうと、待ってましたとばかりに鳥束はあるものを見せてきた。
 驚きのアイテム・その二、ホットサンドメーカーだ。
 差し出されたそれを受け取り、僕はくるくる回して眺めた。
『これが噂の』
「そっス! 斉木さんのスイーツサンドもお手の物っスよ。今日はこれでね、昨日のケーキに使ったクリームチーズの残りで、美味しい朝食お作りしますね!」
 とろけるチーズとハムも美味いっスけど、クリームチーズもいっスよね!
『そうだな、全然嫌いじゃない』
「ね、ね、知ってますか斉木さん、クリームチーズってクリチって略すんスけど…ぐふっ…なんかエロくないっスか」
『ああ、朝食はデッキで食べるのか。いいな』
「ハイそうっス、あとはパン焼くだけなんで、って斉木さーん、こっちも付き合って下さいよー」
 うるさいよ変態、ついてくんな。

 ふう、山の朝の空気もいいものだな。
 風もなく、空は晴天、言う事なしだな。
 デッキのテーブルに用意されたサラダやスープのカップを見て、僕は少し頬を緩めた。相変わらず鳥束はマメな奴だな。
「ねー斉木さん、見て見て、ねーえ」
 驚きのアイテムその二を紹介したくて仕方ない鳥束が、親にまとわりつく子供よろしく周りをちょろちょろする。
 わかったわかった、見てやるからまあ落ち着け。
「この調理器ね、なんと二分割出来るんですよ、がばーっと開いて、えと、こう……ね!」
 少しおっかなびっくりの手付きから、まだ買ったばかりというのが伺える。
『つまり、二つの簡易なフライパンとしても使えるってわけだな』
「そうなんス! しかもこうやって取れるから、洗うのもラクなんスよ。いつも綺麗」
 買ったのがよっぽど嬉しいのだろう、鳥束は目をキラキラ輝かせて説明した。
「パン焼きだけじゃなくてね、いっろんな料理が出来るそうなんで、美味しそうなレシピ見つけたらご馳走しますね」
 鳥束は元通りワンセットに組むと、今朝のホットサンドを焼き始めた。
 期待と希望で満ちた心の声は朝に相応しく煌めき、僕を優しく照らした。

 こんがり色よく焼き上がったパンを、ザク、ザクと包丁で切り分ける。
「はい、お待たせっス」
 三角に切った半分を僕に寄越すと、鳥束は期待と不安の眼差しで見てきた。
 朝の献立は、このホットサンドに、サラダ、カップスープ、コーヒー。僕はそれにコーヒーゼリー。
 まだ鳥束は見ている。こりゃ食べるまで見続けるやつだな。
『いただきます』
「どうぞ」
 お前も食べればいいのに。
 僕は手にしたホットサンドにかぶりついた。
「!…」
 うん、へえ。かじり取った断面を見てから、鳥束に目を向ける。瞬きも忘れた様子で食い入るように見つめる目に、一つ、力強く頷く。
『食べてみろ、大成功だぞ』
「ほんと? いただきます」
 鳥束はがぶりといった。そしてすぐに目を見開き、美味しいと眼差しで訴えてきた。
「………!」
 あんまり美味そうにするから、僕もまたかじりつく。
 うむ、これはいいな鳥束、悪くない。これ、全然嫌いじゃない。
 そう感心する僕の三倍、鳥束は絶賛していた。言葉もなく食べ続けているのはつまりそういう事だ。


『ごちそうさまでした』
「はー…美味かったっス〜」
 少し難しい顔で唸り、鳥束は頭を振った。脇に置いたホットサンドメーカーを手に取り、買って良かったとしみじみと呟いた。
 僕も同じく目を向ける。
『次はいつ、それでご馳走してくれるんだ?』
「わっ、そんなに気に入ってもらえて嬉しいっス!…最高。ええ、言ってくれればいつだって用意しますよ」
『そうか。なら、僕の方でも調べてみるかな』
「あ、リクエスト嬉しいです、じゃんじゃん受け付けるっスよ」
 だからどんどん言って下さいと、鳥束は飛び切りの笑顔で頷いた。
「えっと、ホットサンドメーカーでぐぐるといいですよ。よーつぼでもそれで、もうね、驚くほどいーっぱい出てきますから」
 今ちょっとお見せしますと、鳥束はスマホを操作した。
 僕はふんふん頷きながら、同じ画面を覗き込んだ。ほうほう、どれも確かに、美味そうだな。


 そうこうしていると、そろそろコテージを出る時刻が近付いてきた。
 お互い荷物をまとめ、玄関先に用意した後、時間になるまでリビングで小休止する事にした。
『忘れ物はないか?』
「はい、今度はばっちりっス」
 僕たちは、最後に残った一本のジュースをかわりばんこに飲みながら、今回の旅を振り返りぽつぽつと語り合った。

 芋掘り中々楽しめた、上々のが土の中から出てきたあの感動、忘れられない
 ぶどう狩りねぇ、本当に心配したんですからね、笑いごっちゃないですよ
 オレ思い出したんですけどね、出発前の荷物チェックで一回全部出したんですよ、で詰め直す時にね、砂糖忘れちゃったんだと思います
 その節はほんと、お世話になりました
 お陰で美味しい秋御膳作れました

 その途中鳥束の口から、あぁ、と小さな息がもれた。
 ああ、もう帰るのか、というため息だ。
『今回も色々やったな』
「ええ、そっスね。最初に計画した事、ほぼやりました」
『心残りはないか?』
「ううぅ…あるー、いっぱいあります」
 帰りたくないよぅ
 鳥束はまたため息をこぼした。
 そいつは僕も一緒だ。
「ねえ斉木さん、今度こそ忘れ物なく、抜かりなく準備しますから、オレと来て良かったって思ってもらえるようにします、もー絶対迷惑かけませんから、だからこれからもオレと旅行してください!」
『……当たり前だ』
 当たり前だ鳥束、するに決まってる。
 たとえ今度もその次も迷惑かけられようとだ。だって僕ならいくらでも取り戻せるからな。だからお前は安心して忘れ物しろ。
 僕といる限り、お前は絶対困った事にはならない。
「わーあ、斉木さん言いますねぇ」
『ふん、僕を誰だと思ってる』
「オレの彼氏さま!」
『……アホか』
「アホじゃないですー、アンタの彼氏さまですー!」
『はいはい』
 僕は目を逸らし、ジュースの残りを一気に煽った。

「よし、帰ったら速攻で冬の計画立てるっス!」
 鳥束は拳を握り締め、静かに闘志を燃やした。
 僕は僕でホットサンドの魅力にとりつかれ、帰ったら早速調べようと決意を固めていた。
 それから、時計の示す時刻に従いどちらからともなく玄関に向かい、リュックを背負ってコテージを出る。
 ひと晩世話になったコテージに別れを告げ、山道を下り、僕らは時間通りにやってきたバスに乗り込んだ。
 終点の駅前停留所まで、三十分ほど。二人掛けシートの窓側に腰を落ち着けた鳥束は、早速とばかりに冬の旅行に向け調査を始めた。
 心の中は、今度こそ快適で完璧な旅を提供するのだと熱く滾っている。絶対最高の旅にしてやるから待ってろよー、とメラメラと燃え盛っている。
 僕は外を見るふりをして鳥束を伺う。なんとも頼もしくて頼りない「彼氏サマ」の横顔に、僕はそっと笑みを向けた。

 冬はどんなお前に会えるのだろうな。
 まだ秋の旅が終わってない内からそれが楽しみだなんて、僕としたことがと自らに失笑するけども、抵抗したところで期待は止められないのであった。

 

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