・旅のしおり

 

 

 

 

 

「ありましたよ斉木さん!」
 キラキラ眩い笑顔で、鳥束はスマホの画面をかざしてきた。
『やっぱりいたか、変わり者』
「いましたいました」
 僕はどれどれと顔を寄せて注目した。鳥束も身体の向きを直して、一緒に覗き込む。
「このぽつんと一軒家がそうです、湖の側の、ログハウスですって」
 やるじゃないか鳥束。
「しかもここ、三泊以上からぐっと料金が安くなるんですって!」
 なに、もともと激安なのに更に下がるのか、そいつは外さない手はないな。
 いや待て僕、僕の小遣いでもギリいけちゃうほどの激安物件、今度こそヤバイんでは。うーん…まあいいか、何かあったらその時はその時だ。
『これで夏は決まりだな』
「決まりっスね!」
 僕らは顔を見合わせ、頷いた。
 さあでは、夏休みの計画を詰めようか。

 二ヶ月ほど前、ゴールデンウィークの頃、僕らは鳥束の提案で小旅行に出かけた。二泊三日、しかしホテルや旅館ではなくコテージ…貸別荘に泊まって、バーベキューだの食べ歩きだの旅行を満喫した。
 雨に降られた事もあって少々難ありではあったが、それも含めて旅の良い思い出となった。
 何より、普段はやかましく禁じられてるご飯前のコーヒーゼリーが許されたこと、これが大きかった。旅行で気が大きくなったからだろう、鳥束は二日とも僕に快くコーヒーゼリーを許してくれた。
 これに味を占めたのもそうだし、それ以上に、気の置けないコイツと二人過ごす気安さは何にも代えがたい喜びを僕にくれた。
 始めはてんで乗り気でなかった僕も、普段と変わりないようでどこかが明らかに違う一日ずつに、楽しさを覚えた。

 そんなわけで、学生にとって長期の休みとなる八月、夏休み、鳥束に探すよう依頼した。
 出した条件は前回と同じく、僕が周りのテレパシーに悩まされる事のない場所、である。
 奴は二つ返事で引き受け、朝の登校時に請け負った使命を、その日の昼休みには果たしていた。
 つまり今日、今、僕はその結果を奴と一緒に確認し、行き先に異議なしの僕は了承して、詳しい計画を立てる事にした。
 まあそれはそれとして鳥束、ちゃんと授業受けろ。

「あーっかー、嬉しいっスー」
 さっきから止まらぬニコニコ顔で、鳥束はでかい紙パックのジュースを勢いよく吸い込んだ。ぢゅーっという音と共に、中身が一気に減っていくのが視える。
 減った分は奴の体内に取り込まれ、興奮で熱くなった身体を程よく冷やしてくれる事だろう。しかし、ドクドク元気に脈打つ心臓の動きを落ち着かせるのまでは無理なようだ。ずっと興奮が止まらない。
 僕は瞬きして奴の顔を見た。冬に外で元気に遊ぶ子供みたいに、頬が綺麗に紅潮している。ここが教室でなかったら、もしも二人きりだったら多分掴んでた。掴んで触って、どんだけ熱くなってるか確かめてた。
『そんなに嬉しいか』
「えー? そりゃ嬉しいっスよ!」
 また、ぢゅー。はぁっとため息のあと、何を嬉しく思うか鳥束は理由を一つひとつ挙げていった。
「まずー……――」
 そうか、そうかそうか。
 大体予想通りだし鬱陶しいので聞き流す。
 僕はな、鳥束、前回同様、お前に地獄を見せてやれるのが楽しみでならないよ。
「えーっ斉木さんまさかまた…ひと晩で夏休みの課題片付けろって言うつもりー!?」
『うん、言うつもりー。まあ今回はひと晩じゃないから、まだ気が楽だろ』
「ぉえー、冗談じゃねーっスよ!」
 ああ僕も冗談じゃないぞ
『片付かなかったら、前回同様、終わるまで向こうで缶詰だ』
「ひぃやぁ〜やだぁー!」
『喜べ鳥束、今回は前回ほどハードじゃないぞ』
「えぇ?……終わってなくても許してくれるとか?」
『は? まさか。全部終わらせるに決まってる』
「うげぇ〜」
『向こうで無駄な時間使わないよう、旅行当日までに僕がちゃんと、責任もって終わるまで見届けてやる。わからないところは教えてやるし、それならいいだろ』
「ほっ、……あでも待って! 教えるってあれ、超スパルタなんでしょ!」
『よくわかったな』
「ひぎゃあ〜!」
 うるさいぞ、いちいち汚い叫びを上げるんじゃない。さっきからお前が叫ぶ度、周りの生徒がこっちチラチラ見てきてひやひやするんだよ。
 まったく、やれやれだ。


 放課後、鳥束の下宿先に寄り、日程を詰める。
 が、鳥束は部屋に入るや昼休みの続きとばかりにばったりテーブルに倒れ伏し、べそべそ泣き始めた。
 やだよぉ〜やだよぉ〜
「今回は夏休みで三泊四日だから、旅のしおり作って思いっきり盛り上がろうとか思ってたのに……作る暇ねーじゃん……ううぅ」
『はぁ? 旅のしおり?』
 随分懐かしい単語だな、旅のしおりとか。小学生の遠足か?
「ん−…とですね、五月の旅行の後、オレ色々ぐぐったりしてたんスよ。その中で、旅のしおり作るといい思い出になるし、より盛り上がる事間違いなしってあって」
 あと計画性のある男はモテるっても書いてあったしぃ
 ごにょごにょ喋ってごまかそうったって、超能力者の耳はごまかせないが。
 今更モテがどうのこうのにこだわるか…まあお前らしいが。
「とにかく、こいつは絶対作ろうってずーっとあたためてたんスよ」
 ふうん。旅のしおりねえ。
「そうっス、あのっスね、もう下書きとかしてあるんスよ、見て見て」
 机の引き出しから、四つ折りの紙を取り出し僕に見せてきた。


◇夏休みダラダラ三泊四日の旅

 参加者
 斉木楠雄
 鳥束零太
・・・

 旅の心得!!
1.とにかくダラダラすること!!
2.ダラダラしつつ時間を守ること!!
3.鳥束零太は全力で斉木楠雄のダラダラを支援すること!!
・・・

 持ち物リスト
□シャツ
□パンツ
□靴下
・・・

 日程
 一日目 八月某日
10:30 某駅改札口に集合
・・・


 ふん…ふん…、表紙があって、開くと中に持ち物リスト、日程、注意事項、ふんふん。
 コイツ、字はそこそこ丁寧で綺麗な方だが、絵となると本当に壊滅的なんだな。苦笑いを堪えるのに苦労する。
『でもああ、これはいいアイデアだと思うぞ』
「ね、ね、いい感じでしょ?……あでも」
 絵が下手なのはわかってるので、あんまり見ないでくださいと恥ずかしがって手で隠そう隠そうとしてくるの、鬱陶しくて可愛いな。お前はまったく。

『それはそれとして、夏休みの課題を先に済ませておけば、心置きなく遊び尽くせるってものだぞ』
「わかってます!……それはわかってはいますけど〜でもぉ〜はぁ〜…やだなぁ…やだなぁ……」
 この世の終わりとシクシク泣いて…泣き真似だが…あまりに鬱陶しいので、わかったわかった、お前の思考読んで大体はわかったから、しおりは僕が作ってやる、と言ってみた。
『お前が課題最後まで頑張るというなら、そのご褒美にしおり作り請け負ってやる。それとも、自分で作らないと気が済まないか?』
 作る工程そのものも楽しみたいというなら、この交換条件は生かせないな。
「えっ、ほんとっ?」
 鳥束はがばっと面を上げた。目はキラキラ輝いている。
「今度の旅の思い出が欲しいんです、あの、斉木さんが作ってくれるなら、ならオレっ、課題頑張ります!」
 ああ、ありがとう斉木さん!
 嬉し涙で目を煌めかせながら、鳥束は手を握り締めてきた。牛乳からバター作るかという勢いで手を振られ、ちょっと面食らう。
『お、おう、頑張れ』
 お前が易くてよかったよ。



「斉木さん……頭痛いっス」
 頭痛いし寒気がするし吐き気もするし身体の節々が痛いし目眩も少々。
 力ない声で呟き、鳥束が寄りかかってきた。
 旅行前夜の夜八時、鳥束の下宿先にて。
 これは、あれ、いちゃいちゃの前フリとかでもなんでもなく、マジのガチで頭痛いやつ。
 まあ仕方ないな、今の今までかかって、ようやく夏休みの課題ほぼ全てを終えたのだから。
 そのせいで、勉強嫌いの鳥束に風邪に似た諸症状が出るのは無理もない。だが、実際のウイルスにやられたわけではないので、僕はそれほど心配しない。
『よくやった。今日はもう寝ろ、明日に備えて風呂入ってさっさと寝ろ』
「斉木さぁん……あいたっ」
 ぐすっと鼻を啜り、服の裾を掴んできた。その手をぺしりとたたく。
 重たいんだよ、いい加減離れろ甘ったれが。
 治し方はわかってる。
『そら、約束してたブツだぞ』
 僕は用意してきたそれをテーブルに置いた。
「お?……わあぁっ!」
 鳥束はたちまち顔中輝かせ、それを手に取った。
 事前に約束していた、旅のしおりだ。僕とお前の分、二冊、間違くなく作ったぞ。
『結構、本気で苦労したぞ』
 僕、あれだ、結構凝り性だった。最初はサインペンの黒一色だけで済まそうと思っていたが、作る以上手抜きはどうも気持ち悪くてな、気付けばそんなにカラフルにしていた。
 家中ひっくり返して、色鉛筆、カラーペン、カラーテープなんかをかき集め、出来る限りお前の発想に沿うように仕上げた。
「あはー、すごいっス! すごい本格的だ! そうそう、持ち物、日程、うんうん、そうそう!」
 しおりをそっと開き、鳥束はじっくり目を通した。
 二枚の厚紙を重ねて二つ折りして、折り目のところをホチキス止めしたもの。簡易だがちょこちょこ手描きのイラストを加えて見栄えを良くした。
 しかも、家中ひっくり返したらなんか、ファンシーなシールとか見つかってな。それは以前母さんが町内会のおしらせを作るだかで買ったものらしく、夏の風物詩を集めたシールが丁度良くあったので、スイカとか風鈴とかひまわりとかおあつらえ向きだからそれも貼ってみた。
『お前が思い浮かべたものに、限りなく近いはずだが』
「素敵っス…すごい、永久保存版ですよこれ。オレの想像した以上の素敵なしおり……」
 鳥束はうっとりとため息を吐いた。

「あ、ちょねえ斉木さん、ここ!」
 鳥束が指差しているのは、「おやつ(300円までただし鳥束は30,000円以上とし、隣の人に全部上げる事)」という部分。
『何かおかしいか?』
 僕は腕組みして首を傾げた。
「全力ですっとぼけたよこの人!」
『まあ通用しないわな』
「もー、アンタって人は、甘いものの事となるとほんっとにこれでー、もー……プッひゃふっ」
 最初は割と本気めで怒った鳥束だが、不意にツボに入ったらしい。しゃっくりみたいな音を立てて笑い出した。

 そしてひとしきり笑った後、はあ…はあ…と息を整え、しおりの続きを読み始める…その動きがぴたりと止まる。最後の見開きにきたからだ。何故手を止めたかって、そこが白紙だからだ。シールの一枚貼ってない。
「これ……」
『あスマン、そこで書く事が尽きたんだ。許せ』
「斉木さん……」
 ようは飽きたんですね
 呆れたように見やって、鳥束は「でも嬉しい!」と最初のページに戻った。
「ああ……頑張った甲斐があったっス。ありがとう斉木さん」
 オレ、もう……思い残す事ない!
 感極まってるとこ悪いんだが、実際の旅行は明日からだからな。一人でもう終わってる気分になるなよ。
 僕のコーヒーゼリー、よろしく頼むぞ。

『という事で、そこにもある通り、待ち合わせ時間に遅れるなよ』
「はいっス! ここにある通り、オレは、斉木さんのダラダラ時間を全身全霊でお守りしますっ!」
『どーだろうな。お前の事だ、朝から晩まで盛って、僕のダラダラの邪魔ばっかりするだろうな』
「そそそそんなことはー!」
 本気でどもるんじゃないよ、エロ束。

「斉木さん、楽しい旅行にしましょうね」
『それはお前次第だ、頑張って盛り上げろよ』
「ああ、あい、お任せくださいっス!」

 今回は全日晴れの予報だし、ダラダラしつつ思いきり遊び尽くそうじゃないか。

 

 

 

 一日目 八月某日
8:40 某駅改札口に集合
8:52 某駅出発
・・・

 特急列車の中で鳥束は、駅のホームで買ったミックスサンドイッチを食べるのも忘れて、食い入るように旅のしおりを見つめていた。
 作画は僕だが、原案は鳥束で、奴の脳内に浮かんだものをそっくりそのままほぼそのままに紙に映し出したわけなのだけども、こうして人目に触れる場所に晒されると何というか妙に気恥ずかしさを覚える。
 ま、誰も見ちゃいないのだが、それでもな。
 そもそも、情報量少ないだろそれ。
 そんなに何度も読み返したら、さすがのお前の頭でも覚えちゃうんじゃないか?
 そう思うくらい、鳥束は飽きもせずしおりを眺めていた。
 バッカみたいとため息が出るが、思考も眼差しもキラキラしていては、呆れる自分がバッカみたいだから、僕は笑いながら小さく息を吐いた。

 車内は、夏休み真っ盛りという事もあり満席であった。
 家族連れ、学生グループ、社会人グループ、仲良しグループ、女子会、それからそれから…色んなグループで席は埋まり、車内はとても賑やかだ。
 もちろん鳥束も負けてはいない。ようやくしおりをしまったと思ったら、今度は現地の最新ガイドブックを取り出して、あれやこれや僕に話しかけてくる。時々独り言も混じっているようで、でも僕への語りかけのようでもあり、どう返事をしてよいやら、聞き流してよいやら、迷わされてばかりだ。
 ご当地限定のスイーツの話題、これなら僕も大いに乗れるが、張り切って返事をしてもその時は独り言だったようで、あまり話が広がらなかった。
 くそ、はっ倒してやろうか。
 しかしせっかくの旅行でカッカするのも野暮ってものだ、堪えろ、僕。
 こうしよう、全部一律に生返事するとしよう。
 試しにやってみたら心が軽くなった。
 よし、目的地までこれで通そう、こいつはかなり快適だ。
 いや、賑やか通り越して喧しい中で快適もくそもないが、そこはぐっと我慢して、列車の旅を楽しもう。
 母の田舎に行くよりはずっとずっと時間が短いのだ、堪えるなど容易い。
 しかも、細かい事だが、座席がちょっといいのだ。本当に細かいが、首の角度が僕に最適で、座面のクッションもほどよく硬く、肘掛けの高さもとても心地良い。
 これで静かであれば天国と言っても過言ではないが、満席の車内では…お察しくださいだ。
 まあいい、金がないので最初は自由席でもと思っていたが、思わぬ手助け、父からの臨時小遣いでこの指定席にグレードアップ出来た、感謝しよう、少しだけ。

 父といえばそうだ、あと、カメラも渡されたっけ。
 少々古い型のデジカメだが、父が母を撮るのに吟味厳選したもので、昼間でも夜でも接写もこなすオールマイティの優れもの、大きさも重さも丁度良いから今度の旅行にぴったりだと、笑顔で渡されたのだ。
 ――たくさん、思い出を撮ってきなさい
 我が子の楽しみを自分の楽しみのように、ワクワクとした少年のような顔で、父は言った。
 むず痒さからつい、いつも以上に無表情になってしまった。やれやれめんどくさいな自分は。沢山使って、それで応えるとするか。

 しかし、カメラなら鳥束も持ってきているのだ。前回同様兄さんから借りてきたというそれで、すでにもう結構な枚数撮られていた。
 僕はこれまで、カメラで何か撮りたい、撮ろうと思った事がほぼまったくなかったのでタイミングがわからず、とりあえず鳥束の真似をすればいいかと、同じようなところでシャッターを押していた。
 待ち合わせで現れた相手、今日の格好。
 これから乗る列車の電光案内板。
 ホームで列車を待つ姿。
 車内で食べる弁当包み。
 事務的にパシャパシャやる。
 うむ、わかるようでわからんが、ちょっとずつ楽しみ方がわかってきた気がする。

 鳥束が、ようやくサンドイッチに手を伸ばした。
 その時後方から車内販売の声が聞こえてきた。
 鳥束は、何か買って撮ろう、と思い立った。なるほど、そういうタイミングか。なるほどまあまあ勉強になった。僕はシャツの胸ポケットにカメラを滑り込ませた。
 鳥束は更に、この声の綺麗さなら、売り子さんはきっと相当の美人お姉さんに違いないと心の中で鼻の下を伸ばした。
 自分の席に来るまで待ちきれず、振り返って伸び上がる鳥束。
 パシャ。
「え、なんすか」
『別に』
 ついに販売ワゴンがやってきた。
 すかさず売り子さんをチェックする鳥束。
 パシャ。
「えっ」
『何買うんだ?』
「ああ、えっとー」
 ワゴンを一周見回して、鳥束はアイスクリームを頼んだ。
 お、やるじゃないか。
 この列車限定の販売品で、これに乗らねば食べられないのでぜひこの機会にお買い求めくださいと、発車時のアナウンスで言っていたものだ。
 さすが僕の鳥束だと見つめていると、だって、と嬉しそうに目尻を下げた。
「聞いてる斉木さん、ずっとそわそわしてたんスもの」
 これは絶対買わなきゃと思って、ずっと待ってたんスよ。
 いい笑顔に思わず見とれる。
 ああっ、今のも撮るべきだった。
 が、その直後、売り子さんとおつりのやり取りをするので鳥束の顔は無残にもたるんだ。
 パシャ
「ん、もー。さっきからなに」
『別に』
 目を合わせないまま答える。

「はい、どーぞ」
 アイスと木のスプーンがテーブルに置かれる。
「わー、美味そうっスね」
『いただきます』
 そっと口に運んだ。
 あまりの美味さに感激し、しばし頭が真っ白になった。
 パシャ。
「っ……」
 シャッター音で我に返る。
「撮れてるよかった、斉木さん、かーわいい」
 画面を見つめ、僕を見つめ、鳥束は白い歯を見せた。
 くそ、鳥束にしてやられた!
 でも。
 嬉しそうに微笑んで僕を見つめる顔で、許す事にした。
 ただし。
『一回百円な』
「えー、うそん」
『さっさと出せ』
「斉木さん、勘弁」
 サンドイッチを口に運びながら、アイスを食べながら、馬鹿なやり取りを繰り広げる。
 アイスを食べる僕を、観賞する鳥束。ずっと笑顔のままだ。何がそんなに嬉しいんだろうか。心の声を聞くほどに、アイスで冷えてるはずの身体がほてっていく。
 やれやれ、お前、しつこいぞ。
 パシャ。
 早撃ちならぬ早撮りだ。
「うわ、すっげ…えーてか斉木さん、さっきからなんすか?」
『せっかくカメラを借りたから、使わないとと思ってな』
「じゃあもっとこう、決まってるトコ撮ってくださいよ」
『どこを撮ろうが僕の自由だ』
「オレも、百円要求しますよ」
『ほぅ…いい度胸だな』
「んもー!」

 そうこうする内に、降りる駅が近付いてきた。
 さあ、今回はどんな旅行になるのだろうな。

 

 

 

 一日目 八月某日
15:00 コテージ到着 以下夕食まで自由にダラダラ
・・・


「やっとたどり着いたー!」
 コテージの鍵をガチャガチャ鳴らしてドアを開け、鳥束は倒れ込むように中に入った。
 前回はザーザーぶりの雨の中歩いて散々だったが、カンカン照りの中歩くのも結構ハードだな。とはいえ僕には何の影響もないのだが。鳥束にしたって、森の木陰の中を行くのだから、日陰もない炎天下を歩くよりずっと快適なはずなのだが、バスを降りてから延々三十分歩き通しは堪えるものだな。
 しかも蝉の声がな、より暑さを誘うな。豊かな森の中とあって、街中で聞くよりずっとずっと種類も数も多い。
「はー、しんど……」
 鳥束は這いつくばっていた身体を反転させて座り込み、手にしたコーラの残りをゴクゴク一気に煽った。すっかりぬるくなって炭酸が効くのか、シュワシュワするーとうるさいのなんの。
 その横で僕は涼やかにピーチティーを流し込む。
 バス停にぽつんと一台あった自販機で買ったものだ。金だけとられるのではとちょっとひやひやしたが、立派に稼働中で安心した。
「斉木さん、いいなあ……」
 襟元を掴んでパタパタさせながら、鳥束は力なく笑う。

「……あ、湖!」
 しばらくそうして休憩していた鳥束は、そうだと目を見開き背後を振り返った。
『ああ、もう目の前だな』
 このコテージが木々の向こうに見えた時から、同時に湖も見えていたのだが、暑さにやられて確認する気力もなかったようだ。
 今になって思い出した鳥束は、元気を振り絞って立ち上がると、踏み付けるようにして靴を脱ぎリビングの窓目がけて一直線に駆けていった。
 スリッパ、あるのに。
 どんだけはしゃいでるんだと呆れ笑いをもらした時。
「斉木さん、斉木さん!」
 大きな窓に貼り付いたまま、鳥束は手招きで僕を呼んだ。
 やれやれと肩を竦め、僕も続く。

「おわー、すげー、どっスか、すげー!」
 僕を見て、外を見て、僕を見て、外を見て。鳥束はにこにこはちきれんばかりの笑顔ではしゃいだ。
 本当に、もうすぐ目の前が湖なんだな。しかも結構大きい。スマホの小さな画面ではわからなかった。こんなに大きな湖が目の前にあるのか。
 しかも対岸の更に向こうには青く煙る山並みが連なって、それが湖に反射して、眺めも中々いいじゃないか。
 すごいねー、すごいねーと繰り返しながら、鳥束がカメラを構える。
 そして撮ろうという時、いや待てよ、斉木さんが湖眺めてる後ろ姿込みで撮るのがずっと絵になるなと、思い付く。だから僕はそのアイデアを拝借する事にした。
 奴が思い付き、振り返って僕に提案するまでがタイムリミット、だが僕は超能力者、逃さず映すなんて造作もない。
 パシャ。
 ほら出来た。
「さ、……あ!」
 そこから奴が振り返るまで、結構余裕もあった。思わず得意げになる。
「斉木さん、列車内でも、もう、なんスか〜?」
 今の顔も結構気が抜けてて間抜けだったでしょ、やだなあ
「しかも汗だくだったし。しかもしかも髪もぐしゃぐしゃだった!」
『うるさいな、ほら、見てみろ、普段のお前とそう変わらないだろ』
「いやいや……ほらあー。全然決まってないっスよー。やーひどい、みっともない、こんなの残さないで!」
『っち、細かい奴だな。寄るな汗臭い』
「つぁっ……だって、汗はしょうがないっしょ!」
『ああしょうがないな、だからとっととシャワーで流してこい』
「あっあっ、ごまかされませんよ!」
 ぎゃーぎゃーうるさい鳥束を、強引に風呂場へ押しやる。
 はあやれやれ、前もこんなじゃなかったか?

「あの、斉木さん、待って待って!」
 なんだ、まだ抵抗するのか?
 風呂の戸口に両手をかけて踏ん張り、鳥束は必死に首をねじった。
「あの、これから数日、よろしくお願いします!」
 そうだった、それがまだだったな。
 鳥束の手は、壁の縁にギリギリ指が引っかかってる状態だ。
『こちらこそよろしく。という事で入ってこい』
「いっしょに……だあぁっ!」
 指の先まで全部入ったのを見届け、僕はぴしゃっと戸を閉めた。
 ふう、やれやれ。
 リビングに戻り、湖に向いているソファーにどさっと腰かける。
 さて、前回同様奴が上がってくる前に室内を見ておくか。
 といっても、今回のコテージ…貸別荘は前回と比べるとごく普通の規模で、丸太を組んで作り上げたログハウスという事でとても味わい深い外見、内装となっているが、間取りはとても小ぢんまりとしていて、必要最低限で、ここに座って首を回すだけで全部を見渡せるくらいだった。
 前回が飛びぬけてたんだな。
 土砂降りの雨の中見たあの洋館の独特の雰囲気といったら!
 まあ、晴れた日に見たらまたがらりと印象が変わって、どっしり貫禄のある佇まいだがおどろおどろしさはなく、とても立派だった。
 さて、今回は――ふむ、平屋づくりでぐるりと目が届く大きさか。これくらいで丁度いいんだよな。

 しかし、こんなに立派なのに僕の小遣いでもギリいけるとか驚きだな。
 屋根の具合もしっかりしているし、建付けの悪さも今のところ見られない。
 キッチンだって、木造りの家に合わせた特注のもののようだし、長年使用された分細かな傷や削れがいくつもあるが、汚いという印象はなかった。
 天井からぶら下がってる照明も凝ってるな。あれは見た事あるぞ、前に母さんが欲しがって父さんが奮発して、だから知ってる、何とか言う北欧のお高いブランドものだろ。
 照明も含めあちこちきちんと手入れされてるようだし、眺めも抜群じゃないか。湖を眺めながらデッキでバーベキューが出来るようになってるし、洒落たガーデンテーブルも並んでる。
 こんなに色々揃ってるのに、ただ不便というだけでここまで激安になるなんて。
 見つけた鳥束、本当にでかした。

 静かだな――いいことだ。
 いいとこだと、僕は大きく息を吐いた。
 バス停から徒歩三十分はちとうんざりしたが、それでこの静寂が手に入るのなら安いものだ。
 目を閉じ、僕は小さく笑う。
 ちっとも静かでない、静寂なんてないからだ。
 だって、うるさい。風呂場にいるあいつ、うるさい。
 それが何だかホッとして、笑えたのだ。
 何を騒いでるかと言うと、今日から数日のコテージ暮らしへの期待、僕と二人きりの興奮、諸々の喜び、そして、もう汗臭くなくなったかな…という心配。
 ああ、さっきの気にしてるのか。あれはな、お前を追っ払う為の誇張だ、嘘だよ、本当はそんなに汗臭くなかったよ、お前の匂い、嫌いじゃないよ。
 大丈夫だから、そんな赤むけになりそうなほどムキになってこすってないで、さっさと上がってこい。
 やれやれ、仕方ないな。ソファーから立ち上がる。
 僕の不用意なひと言でああなったんだ、埋め合わせはしないとな。

 二人分の荷物を寝室に運び入れ、駅傍のスーパーで買いだめした当面の食料を冷蔵庫に収める。
 最寄りの駅からほど近いところにオートキャンプ場がある為か、それらに向けた半調理済みの食材が豊富に取り揃えられていた。
 品揃えと安さに鳥束は心躍らせ、事前に計画していた献立を組み直したいと言い出した。僕に異論はなく、奴にお任せした。任せておけばより美味いものが口に出来る。任せない手はないだろう。
 という事で、単純なカレーやバーベキューを超えて、ハンバーガー、タンドリーチキン、パエリア等々に変身した。
 普段あまり料理をしない僕からしたらハンバーガーはともかく後はもうちんぷんかんぷんだが、漬け込んだものを焼くだけ、材料を全部一緒くたに煮込むだけ、といったものなので実は簡単そして美味しい、のだそうだ。
 ほらな、鳥束に任せておけば安心だろ。
 僕は、要冷蔵と常温とにわけて仕訳ければいいだけ。
 実に簡単なお仕事だが、案の定コーヒーゼリーのところで手が止まってしまった。
 またか…またこの茶番をしなければいけないのか。
 僕は左手を掴んだ。
 鳥束、とりつかー、早く出てきてくれー。

「はー、さっぱりした。斉木さん、上がりましたよー」
 鳥束の声に僕は目を閉じたまま眉だけぴくりと動かした。
「あー、涼しー。クーラーつけてくれたんスね、あざっス。快適だーってあれ、斉木さん、どこっスかー? トイレ…じゃない、斉木さーん?……うわおっ!」
 寝室で僕を見つけた鳥束は、飛び上がらんばかりに驚いた。
「なに…アンタ、そんなとこで何してんスか!」
『見ればわかるだろ』
「いやわかりません…壁向いて正座して、なに? 宇宙人と交信中っスか?」
 そんな訳あるか、馬鹿。見ての通りコーヒーゼリーの誘惑を断ち切る為に精神統一してたんだよ。
「はぁ……あはははっ、斉木さんてば、もー」
 かわいい!
 うざい、抱き着くな。
「もう汗臭くないっしょ」
 ああ。もともとそんな事なかったよ。
 く…そうか、お前にあんな事言ったから罰が当たったんだな。
「ほら、そんな壁なんて見てないで、いい景色でも眺めながらのんびりしましょうよ」
『……やれやれ』
 腕を引かれ、僕は渋々立ち上がった。
「行きましょ行きましょ」
 鳥束が動くと、髪や肌からふわっと柔らかに良い匂いがした。
 意図せず喉の奥で変な音が鳴る。

「じゃあこれから、腕によりをかけて美味しいハンバーガーお作りしますから、斉木さんはこれ食べながら湖でも眺めて、ゆっくりしてて下さいね」
 鳥束に、コーヒーゼリーとスプーンを渡される。
 あんまりしょぼくれた顔してたから、これで元気出して…だと?
 しょぼくれた顔だと?
 誰が、どこが。
 ついぷるぷる震えてしまう。
 まあ、食べていいというなら遠慮なく食べよう。
 そうだ、食べよう。この為に旅行を快諾したのだからな。
 ふん…これでたちまち元気になる僕も、鳥束の事易いだのなんだの言えないな。

 カラカラと窓を開け、デッキに出た僕は、そこに並ぶガーデンチェアに腰かけ景色を独り占めした。
 うん…悪くない。
 ひと口ずつ大事に大事に味わっていると、鳥束がやってきて隣に座った。
『料理中に目を離していいのか?』
 すると、今ハンバーグを蒸し焼きにしているところだから大丈夫だと返ってきた。
『そうか』
「ええ、だから五分だけ。五分したらいきます。斉木さん、五分経ったら教えてくださいね」
『人をキッチンタイマー扱いするな』
「さーせん。でもお願い」
『やれやれ』

 鳥束はテーブルに頬杖ついて顎を乗せると、景色を眺めたり僕を眺めたり、して、ニコニコしている。
 何を考えているかは心の声で駄々洩れだが、聞こえない振りをする。
「ね、斉木さん」
『聞こえない振りをする』
「んもー、意地悪」
『口で言え。横着するな』
「あ、すんません。ねえ斉木さん、キスしていい?」
『いやだ』
「んもー」
 とか言いつつキスをしてやるとたちまち鳥束は目尻を下げて、頬に触れてきた。
 斉木さん好き、楽しい、嬉しいな、嬉しいな。
 心の中で歓喜が跳ねまわっている。

「ねえ斉木さん、六分でもいいですよ」
『なんだ、僕に黒焦げハンバーガーを食わせる気か?』
「一分くらいじゃ、そうはなりませんから」
『いいから、もうあと三十秒もない、さっさと戻れ』
 鳥束は渋々手を引っ込めた、が、座ったままだ。
『まだ始まったばかりだろ。まだこれからいくらでもこう出来るんだから、後にしろ』
「はぁいっス」
 仕方ないと立ち上がり、鳥束はキッチンに急いだ。その間際、最後の名残とせっかちなキスを寄越していく。
「もう出来ますからねー」
 言いながら駆けていく背中を睨むように見つめ、僕は残りのコーヒーゼリーを口に運んだ。
 鳥束と同じ事考えるなんて、……僕もまだまだだな。
「はぁ……」
 蝉の声が、まるで笑ってるように聞こえた。

 

 

 

 一日目 八月某日
18:00 夕食 ハンバーガー ポテト サラダ、コーヒーゼリー
19:00 花火パーティー(雨天順延)
・・・


「あー満腹、最高っスー」
 うん、僕も苦しい。
 鳥束同様椅子に身体を預けてそっくり返る。
「今だから言いますけど、あのハンバーグ、あんまり安いから味とかどうかなーってちょっと心配だったんスけど、バンズもふかふかで美味かったっスね」
『そうだな。お前特製ハンバーガー、中々悪くなかったぞ』
「あざっスー!」
 満面の笑みで、鳥束は頬を染めた。
 ハンバーガーは二個作った。それぞれ中にはさむものを変えて、半分こした。
「ソースがオレには、ちょっと甘めでしたけど」
『僕には丁度良かったぞ』
「そっスか? よかったー。オレはチーズ気に入りました」
『ああ、悪くなかったな。でもお前、四枚はさすがに挟み過ぎだろ』
「えー、オレ、チーズ大好きなんスよ。斉木さんこそ、レタスぎゅうぎゅうで更にトマト、欲張ってましたよね」
『あのレタスの歯ごたえがいいんだろ』
「ええ、でも多すぎて、オレそれだけ別で食べちゃいました。ソースがついたのバリバリ食べて、美味かったっス、ははは」
 どうにか食べ切ったハンバーガーの感想で盛り上がる。
「あそうだ斉木さん、食後のデザート……」
『もちろん入るに決まってるだろ』
 何を言ってるんだお前は、そいつは別腹なんだ、さっさと持ってこい。
「はいはーい、ははは」
 おかしそうに笑いながら、鳥束は足取りも軽やかに取りにいった。

 じっくりコーヒーゼリーを堪能して、それから僕は風呂に向かった。
 その前に、ちょっとした好奇心からトイレと洗面所を見て回った。どちらも壁の木目が綺麗で、ついつい触りたくなってしまった。
 そして風呂。だが浴室は普通だった。普通というのは、一般家屋に取り付けるバスユニットだったという意味だ。
 多分このメーカーの一番大きな規格のものだろうが、ここだけ木ではなく、そして木目調でもなく、壁はしっとりした乳白色をしていた。
 ある意味、こだわってると言えるか。
 湯船に浸かると、目に入るごく普通の壁のせいかまるで家にいるかのように錯覚した。
 ああ…いいな。これは思わぬ収穫だ。しかも家よりもずっと、人の声がしない。
 一番やかましくて、一番気が休まらない、だのに一番ほっとする奴の声だけが聞こえる環境…いい。
 僕はふやけるほど風呂に浸かった。

 戻ると、花火花火と盛り上がる鳥束が、いくつもの袋を開けなにやらごそごそしていた。そして、僕に気付き振り返った。
「あ、おかえり斉木さん」
 実を言うと、僕もそれなりにワクワクしている。
「今ね、種類別に小分けしてるとこなんスよ」
『ふうん』
 じゃあ、と気紛れに手伝ったら、コーヒーゼリーを貰えた。ので、更に張り切って準備を進めた。
「今回もね、色々持ってきたんスよ」
『そのようだな』
 こんなかさばるもの、よく入ったものだな。1、2,3…何袋持ってきてるんだ。
 コーヒーゼリーを食べながら、僕はやれやれと肩を竦めた。
「夜通し楽しめるくらい、いーっぱい用意したっス。うんと楽しみましょうねー」
『……おう』
 鳥束、ニコニコ。
 僕もコーヒーゼリーでニコニコ。

「花火パーティーふふ〜ん」
『鼻歌うざー』
「斉木さんひどー…ふふ」
 どうしてもにやけちゃうとだらしなく顔をたるませ、鳥束はせっせと動いた。
『ん、なあそれはなんだ?』
 花火類、お菓子やジュース類とは別に、長い紐に連なった三角の布の飾りが目についた。
「あ、これっスか、これ自分で作ったんスけどこれ、どっスか? 中々良く出来てません?」
 鳥束はぴらりと広げると、嬉しげに見せてきた。
「ひし形に切った布にボンドつけて、紐を挟み込んで二つ折りして、作ったんスよ」
 お、おう。お前作にしちゃまあまあ上出来だと思うぞ。
『で、なんだそれ』
「ええ、これ、キャンプ場とかでテントに飾り付けするものなんスよ。自分のテントの目印にするとか、可愛くしたりとか、とか」
 あとあれ、誕生日の飾り付けとかでも見た事ありませんかと聞かれたので、僕は軽く頷いた。
「買うと結構するから、じゃあ自分で作っちゃえって事で、やってみたんスよ。初めてにしちゃ上出来でしょ」
 鳥束はそれを手にデッキに出ると、あの柱と柱の間につけたら可愛いんじゃないかと、僕を振り返ってきた。
『お前……』
「あ、なんスか、顔に似合わないとかやめてね、泣いちゃうから。オレは、この旅行を盛り上げたくて一生懸命――」
『何も言ってないだろ、被害妄想やめろ』
「だぁって、そういう目してたっス」
『してない。落ち着け。で、あそこにくくればいいんだな?』
「そっス。ちょっとこう、ゆるく弧を描く感じに……」
『こういうことか』
「ああー、そっスそっス、もー最高!」
 サイコキネシスで調整すると、鳥束は僕の両肩を掴み飛び跳ねんばかりに大喜びした。興奮しすぎだ、手が燃えるように熱いぞ。
 肩越しに振り返り、飾りを見上げている鳥束の眼差しに注目する。すぐに鳥束も視線に気付いて、僕を見つめてきた。
『悪くないな』
「でしょー」
 にかっと笑い、鳥束はちょんと唇にキスしてきた。そしてまたへへっと、照れたように笑った。その笑顔と、ままごとみたいなキスで、僕はまんまと赤面してしまう。慌てて正面に向き直った。

「さーあ、花火パーティーといきますか!」
『そうだな』
 美味くごまかせたことにホッとして、僕は準備を進めた。
 しかし――。
 デッキのテーブルにお菓子やジュースを並べ、水の入ったバケツやカラ入れなり必要なものをそれぞれに配置し、いざ始めるぞとローソクに火を灯したところで急に雲行きが怪しくなり、かと思う間にざーっと雨が降り出した。
「わ、わ、わ!」
 撤収!
 僕は真っ先に花火を室内に取り込んだ。続いて飾り、傍で鳥束が、お菓子類を抱えてバタバタしている。

 っち、やれやれ、全日晴れだと思って油断して、雲の流れを見ていなかった。しおりの雨天順延も、鳥束の下書きにあったから移しただけで。まったく心配などしてなかったのに。
「うっわー、すごい降りになっちゃったっスねえ」
 閉めたカーテンの隙間から外を覗き、鳥束はため息をついた。雨の音もそうだが、遠くで雷がドロドロ鳴っているのが聞こえてくる。
「あーあ、残念。花火は明日に延期っス」
 せっかく斉木さんが手伝ってくれたのにがっかりだと、鳥束は花火を元通りしまい始めた。
「珍しいこともあるもんだと喜んだのに……はっ、だから雨が降ったのか?」
『あ? いい度胸だなおい、表出るか?』
 顎をしゃくると、鳥束はたちまち宥めてきた。
「せせせせっかくの旅行なんスから、楽しく、ね、穏やかに」
『……ふん』

 僕は、テーブルの上にゆるく丸められた飾りを手に取り、ぴらりと広げた。せっかくだからこいつ、室内のどこか丁度いいとこに飾りたいな。
「えーと、オレもそう思って探してんスけど……」
『なあ、とりあえずカーテンレールとかどうだ?』
「あ、それいっスね、お願いします」
 ベージュのカーテンの上に、カラフルな飾りが踊る。
「うーん、イイ感じ!」
『そうだな。で、雨の具合はどうだ?』
「あー…こっちはダメっスね。雷も心なしか近くなったような。ま、今夜はしょうがないっスね。気を取り直して、お菓子パーティーでもしましょ」
 スナック菓子やチョコレートをテーブルに並べ、鳥束はコーラを掲げた。
『雲、どかすか?』
「んーいやいっスよ、まだ明日も明後日もあるし〜」
 歌い出しそうな声で、鳥束は軽やかに言った。
「それに、こうして斉木さんにくっついて過ごすのも、楽しいですし」
 ソファーに腰かけた僕の隣に座り、鳥束はわざとぎゅうぎゅう肩を寄せてきた。
 う、うざい。
 満員電車じゃないんだから、そんなに詰めてくる必要もないんだがな。

「はい斉木さん、どーぞ」
 ポッキーが口元に寄せられる。僕は素直に口を開き、渡されるままコーラのコップを受け取った。
 まだ鳥束はぐいぐい肩を寄せてくる。邪魔くさい、食べにくいだろ。
 コップを置いて睨み付ける。
 見つめ返す鳥束の目は熱を帯びていた。
『……やれやれ』
「斉木さん……」
 妙に気持ちのこもった眼差しで見つめてくるものだから、僕は瞬きばかりした。
 奴の手が頭の後ろにかかり、支えながらソファーに横たえさせる。僕は素直に従い寝転がった。
 唇が合わさったところで、あ…コーラ味だと少しおかしくなる。

 一回、二回、三回とついばむように唇を重ねる。
 雨の音が遠くに聞こえる。
 他に届くのは自分とコイツの息遣い、そして真っ赤に腫れ上がり疾走する心の声。
 それ以外は何も聞こえない。
 ここには、生きた人間は僕とコイツの二人だけ。
 今、ここでだけ。
 でもコイツが時々妄想するように、この世に二人だけになった錯覚に…あえて捕らわれてみる。そうしようと試みて、すぐに無駄な事だと思い直し、目の前にいる鳥束にだけ心を傾ける。
 一心に見つめてくるから、僕もひたむきに見つめ返す。
 五秒もすれば血肉になって、やがて動く骨になるコイツに抱かれる。そんな自分がとんでもなく不思議で、愉快で、たまらなく気持ち良かった。
 余計な事はいい、もういい。
 今はお前に集中する。お前といる僕に集中する。

 斉木さん、と耳元で幻のような声がした。
 好きですと気持ちを込めた呼びかけに、僕は知ってるよと放り投げるように応える。
 さっきまで妙に耳についた雨音が、今は聞こえない。
 鳥束のことばしか聞こえない。
 僕は半ば無意識に笑って、鳥束の声を思考を、もっとと欲した。


 遠ざかっていた雨音が舞い戻ってくる。
 でも、ああ、だいぶ降りは弱くなったようだ。明日にはすっかり晴れて、朝からいい天気になるだろう。
 ほっとして息をつくと、その揺れが気になったのか、鳥束が抱き寄せてきた。
「だいじょぶ?…さいきさん」
 お前の方が大丈夫か?
 もう半分以上眠っているのに、どんな時でも僕を気にかけて。まったく難儀な奴だな。
 寝室にはベッドが二つ並んでいる。一人で眠るなら余裕の大きさだが、やはり二人だと窮屈だな。
 鳥束を向こうにやる方法を何通りか浮かべるが、僕は結局どれも選ばず、このまま眠る事にした。
 もしも寝てる間にベッドから蹴落としたとしても、悪く思うなよ。まあ僕はそこまで寝相は悪い方じゃないが、絶対はないからな。
 おやすみ、鳥束。
 明日も、楽しく過ごそうな。
 少し窮屈な腕の中で身をよじり、鳥束のおでこにそっと口付ける。

 

 

 

 二日目 八月某日
8:00 朝食 スペシャルホットケーキ、コーヒーゼリー
9:00 基本ダラダラ お出かけも◎
・・・

 朝から鳥束はキンキンにハイテンションだった。
 といってガバッと飛び起きるとか奇声を発するとか部屋中飛び跳ねるとかはないのだが、僕と二人きり遠出して、同じ釜の飯食って寝起きして起きた瞬間から僕と同じ空間にいるという事にカッカと血が滾って…まあなんだ、わかりやすく言うと夏休みの子供かってくらい大興奮してるわけだ。
 心の中で、一見静かに。
 でも僕には全部丸聞こえの筒抜けで、朝というか早朝というか、未明じゃないかという時間に僕は、その燃え滾る心の声で叩き起こされる事となった。
 はぁ…寝起きは悪い方じゃないが、まだ寝てろよって時間からわーわーギャーギャー騒がれたら、誰だって軽く殺意芽生えると思う。
 窪谷須、ちょっとコイツひき肉にして。
 一見静かに僕の隣で横になりながら内心興奮しきりの鳥束に、僕はやれやれと息を吐いた。
 くそ、お前が先んじてはしゃぐせいで、僕がはしゃぎ損ねたじゃないか。雨雲も通り過ぎて外は快晴、気分も爽快、じゃない、断じてそんな事はない。
 絶対ないからな。

 二日目の朝ご飯はスペシャルホットケーキ。
 いや、単なるホットケーキなんだがな、鳥束がそうはしゃいでるんだ。
 昨日、駅前の商店でまずホットケーキミックスを見つけた。たまたまそのコーナーにさしかかってな、目についてな、明日の朝ご飯これにしましょうと箱を一つ手に取りいい閃きだと鳥束が言ったんだ。
 僕のうちではしょっちゅう食べるが、鳥束のところはまあ…色々が何々で中々遠い記憶のようで、懐かしさが炸裂したようだ。
 作り方を見ながら、ああでもこれ色々洗い物出るんですよね、コテージに計量カップとか調理器具あるでしょうけど、うーん、と迷い出したんだ。
 これは諦めなきゃダメかと鳥束が残念がるので、僕は、なら最近はこんなのもあるぞと、とあるメーカーの商品を渡してみた。
 ボウルも泡だて器もいらないんだ、なんとこれは袋の中だけでミックスが済んでしまうという優れものだぞ。
 実は先週これ試しててな、本当にこれでいつもの味になるのかと半信半疑で捏ねて焼いて食べてみたが、普段食べてるホットケーキに引けを取らない出来に仕上がって、感心したぞ。
 そう付け加えると、たちまち真剣な顔になって「これ買います!」とカゴに入れた。

 で、今、ホットケーキ…いやスペシャルホットケーキが焼き上がった。
 そうそう、袋の中で揉むだけなのだが、その際に鳥束が思い浮かべたおぞましい諸々に関する記憶、一切合切を消したくてたまらない。
 だが僕の超能力をもってしてもそれは不可能で、一応バールのようなものを取り出すところまではしたんだが、涙を呑んで諦めた。
 それはそれとして。
「わーおわーお! これこれ、この焼き色、どっスか斉木さん! オレ…天才かぁ?」
 く、こいつ……。
 馬鹿が調子に乗んなと呆れ果てたいのに、顔一杯でニコニコするこいつを僕のどこかが可愛いと称賛している。
 ぐ…こんなのが可愛くてたまるかっ。
「これにー、バターのせてー、蜂蜜たーっぷりかけてー」
 パッケージの写真通りに飾り立てたいようで、甘いものが苦手なのをすっかり忘れた様子で鳥束はジグザグに蜂蜜をかけていった。
 あーあ、馬鹿たれ。僕はそっと額を押さえた。
 仕方ないので、自分の皿の方を奴仕様にする。一緒に焼いていたカリカリベーコンとウインナーを盛り付け、昨夜の残りのレタスを適当にちぎる。
「でっきましたー……あ!」
 テーブルにつき、いただきますとフォークを手にしたところで、鳥束はさっと青ざめた。
 やっと気付いたか、この馬鹿。
 満面の笑みから一転、目に大粒の涙を浮かべてプルプルするので、僕はため息ののち、無言で皿を取り換えてやった。
「あ、でも、ひと口くらいなら食べられます……」
 悪いから食べますと申し出る鳥束に冷ややかな視線を注ぐ。
『ふん、ひと口たりともやるものか』
 食えないお前に甘いものはひと口だってもったいない、そういうつもりで告げたのだが、奴は何故か感激して、むせび泣いた。
「すみません、斉木さん……ありがとうございます!」
 オレに気を遣わせない為に、わざとそんな言い方――嬉しい!
 うん、まあ…うん、そういう事にしておこうか。結局そこに行き着くのだしな。
 じゃあ改めて、いただきます。
「いただきますっ!」

 ごちそうさまでした
「やー、美味しかったっス〜…毎日でも食べたいくらいっスね!」
 腹をさすりながら、鳥束は唸るように言った。
 毎日は大げさだがでもそうだな。ホットケーキはいいものだ。ふっと無性に食べたくなる味をしているよな。
『ただ次は、甘いもの苦手なの忘れるなよ』
「えへっはい。あざっした」
『まったく、普通忘れないだろ。どんだけ舞い上がってるんだお前は』
 呆れた目を向けると、それを跳ね返す生き生きとした眼差しで鳥束は右手を突き上げ「こんくらいっス!」と椅子から少し飛び跳ねた。
 お前そんなキャラだっけ。


 今夜の献立はタンドリーチキンとひよこ豆のサラダ…「ひよこ豆のサラダ零太スペシャルっス!」…だそうだ。

 チキンの漬け込みに使うヨーグルト、分量を残して食べていいというのでもらったが、あとひと口たりない気がしたのでちらっと取り分けた分を見たら、さっと取り上げられ代わりにコーヒーゼリーをスッと渡された。
 く、扱いがわかってるな鳥束。
 しかし、コーヒーゼリーも嫌いじゃないが、蜂蜜をかけていただくヨーグルトもいいものなんだ…うーん、だが仕方ない、我慢しよう。
 という茶番があったのはまた別の話。

 さてそのチキンの仕込みを終えたところで、鳥束がこんな提案をしてきた。
「斉木さん、駅前散策、自転車二人乗りでしません?」
『はぁ?』
「昨日バス乗る時、見かけたんスよ、貸し自転車屋!」
 はぁ。
「ねーねー斉木さん知ってます? あのね、自転車の速度が、景色を楽しむには一番最適なんですって。歩くのはゆっくり過ぎ、車は速過ぎ、自転車が一番なの」
『僕はどんなに早くても、視ようと思えば見られるが』
「だーもう! そういうんじゃなくて!」
『自転車か、そうだな、お前らの三輪車に合わせる感覚だ。遅すぎる、かったるい』
「あぁ……もいっす。わかりました!」
 オレはただ、斉木さん後ろに乗せて走ってみたかっただけ。
 ごく単純に、自転車に乗ってただ走り回って、出会う風景を一緒に楽しみたかっただけ。
 そんであわよくば、周りに「可愛い恋人」を見せびらかしたかったの!
『お前な、周りからしたらただの野郎の二人乗りだぞ』
「そうですけどぉー! 周りからしたらそうですけど、でもオレらだけが知ってるっていう、その……何でもないっス!」
 すまない鳥束、僕にはそれがよくわからない。
 それはわからないがでも。でも、一緒に何かを楽しみたいって気持ちはわかる。それは僕にもあるものだ。
『鳥束……』
「すんませんでしたっ!」
 言葉を続けようとしたが、鳥束は聞く耳もたず部屋に引っ込んだ。

 それから、二時間ほどが経過した。
 お互い、頭を冷やすには充分な時間だろう。
 僕はその時間を使い鳥束の要望に応えるべく準備を進めていた。
 もう終わろうという頃、部屋にこもりグルグル考え込んでいた鳥束から、呼びかけがあった。
(斉木さん…そっち行っていいっスか)
『ああ、構わないぞ』
(でもあの、その前に……すんませんでした)
 許してほしいと心の声が願うので、許すも許さないも、気にするなと応える。
(……もうとっくに落ち着いてるっスけど、どんな顔で出たらいいか…わかんなくて)
 出るタイミング図ってました。
 ああ、その声は良く聞こえてたぞ。
 気にせずとっとと出てこい。
 どんなんでも取って食ったりしない、こっちだって、その。
『……悪かったよ』
「さいきさん……」
 まぼろしのような囁きのあと、そーっと寝室の戸が開いた。
 鳥束は俯いたまま部屋から出て、おずおずと僕の方に近付いてきた。
 合わせる顔がない、目を見られない、か。
 僕も似たようなものだ。
 だがまあ、二時間苦労したんだ、せっかくだから見てくれよ。

「斉木さん、あの……って、えー! さいきさ――うぇー!?」
 僕を見た途端、鳥束はくわっと目を見開いた。
 うるさいな
 さすがに耳を塞ぐ。
 その僕は僕だが僕ではなくて、斉木楠子。
 だから鳥束はびっくり仰天して目をむいたのだ。

「だって、だって!……可愛いですね」
 喉から血が出るって程叫んだ直後、鳥束はそっと声を潜め、大事そうに囁いた。
 ん、まあ、そりゃな。お前の好みに沿うような「可愛い」を多少は考えたからな。
『こういうの、好きだろ』
 楠子になった己を見下ろし、僕は云う。
「はい、好きっス……本当に可愛い」
 鳥束は小走りで僕に駆け寄ると、大切なものを扱う手で肩に触れた。そしてまじまじと、上から下まで格好を眺めた。
 夏のデートはやっぱり、白のワンピースに麦わら帽子そしてサンダルだよな。
「はい、よく似合って可愛い…素敵です、斉木さん」
 感激で涙ぐんだ目、うっとり笑う唇、ほてった頬。うん、よし、上出来だ。つい、じわーっと口の端が持ち上がる。
『じゃあ出かけるか』
「えっどこっ……え?」
『自転車に二人乗り、するんだろ』
「え、あ、え……え!」
 泣きそうな笑顔で、鳥束は戸惑った。
『おいなんだその顔は、嫌なのか? せっかくの二時間を無駄にする気か?』
「そんなとんでもない! 嫌だなんてそんな、そんな! でも…あの、オレ泣き顔で走りそうであの、えー……」
『嫌じゃないならさっさと用意しろ』
「はいっス! えーと、どこ行きましょ」
『どこまでも』
 希望はと聞く鳥束に、どこまでも付き合うと僕は答える。

 僕だって、同じものを見て一緒に楽しみたいんだ。たとえ見え方は違っても、感じ方が違っても、お前といたのは間違いない。どんなのでも楽しい思い出の一つになるだろ。
 そういうのを、いっぱい集めたいんだ。

 無事駅前で貸自転車を調達した。
 ここに来るまで、鳥束はルンルンだった。僕の手を握って離さないし、地に足がつかない浮かれぶりとはこういう事かと、妙に納得してしまうほどだった。
 そして駅前についたらついたで、周りを妙に警戒し始めた。
「え、いやだって斉木さん可愛いから、ヤローどもがみんなしてチラチラチラチラ!」
 それで牽制してるってか。そりゃご苦労なこった。
「もー斉木さん、ひとごとみたいに…アンタ可愛い上に可愛いカッコしてんだから、気を付けなきゃなんスよ!」
 はいすんません、てなんで僕が怒られるんだ、まったく。
 あっち見ちゃギロ、こっち見ちゃギロと鳥束は忙しない。
 ああわかってるよ鳥束、誰よりわかる。他でもない僕だぞ。
「はっ…こんな、人の多い場所に連れてくるんじゃなかった」
 しまいにゃ、無理言ってごめんなさいとオロオロしだす始末。
 っちやれやれ、めんどくさいな。
 僕はさっさと後ろに座った。おっと、今は女性だ、女性らしくお淑やかにしないとな。
『という事で、安全運転で頼むぞ』
 念を押す。
「もちろん!…でもあー…もしもの時は斉木さん、お願いしますね」
『やれやれ、頼りない彼氏だな』
「え、かっ!……頑張ります!」
 鳥束はこれ以上ないくらい顔を引き締めた。
 うん、そうだな…そうしていればいい男だ。
 どこの誰よりも。僕の。
 そっと笑う。
「じゃあ行きますね、掴まって下さい」
 合図に、鳥束のベルトを握る。
 ぐんと地を蹴って、僕らは走り出した。

 

 

 

 二日目 八月某日
10:30 コテージ出発 気ままな自転車旅
12:30 昼食 喫茶店ペルチカにてサンドイッチ、アイスコーヒー、オムライス、チョコレートパフェ、オレンジジュース
13:00 気ままな自転車旅
14:30 コテージ帰宅
19:00 夕食  タンドリーチキン、ひよこ豆のサラダ零太スペシャル、コーヒーゼリー
    花火大会順延
21:30 就寝
・・・


 自転車を返して、バスに乗って、歩いて歩いてコテージに戻るまではまだよかったのだが、帰り着いた途端どっと疲れが襲ってきた。
 オレは手洗いもそこそこによろよろとリビングを進み、倒れ込むようにソファーに座った。
 ああ、これは何か覚えがある、これ、日焼け通り越して、ヤケドだこりゃ。
 前、いつだったか庭掃除サボって幽霊たちと炎天下で馬鹿話続けたせいで、やっちまった覚えが一つ二つ。
 炎天下、自転車二人乗りであちこち走り回ったせいだ。
『運動嫌いのモヤシの癖に、馬鹿みたいに張り切るからだ』
 本当に呆れると、男に戻った斉木さんがオレの前でやれやれと首を振った。
「すんません……楠子ちゃんに会えたのがあんまり嬉しくて、日焼け止めとか、忘れちゃって」
 半袖だったから、腕がこんがり焼けちゃいました。

『やれやれ、常人は色々と面倒なものだな』
 力なく笑ってから、でも、とオレは振り返る。

 ふくらはぎが千切れそうだった上り坂、キラキラ目に眩しい海が見える下り坂、チリンチリンと鳴らして走った商店街、途中の休憩でかわりばんこに飲んだ自販機の見慣れないジュースの味、どれもこれも最高に楽しかった。

 ひまわり畑に分け入って、大きなひまわりの陰でこっそりキスなんかしちゃったり!
 蝶や蜂が飛び交ってるから、斉木さんに遠慮して遠目に眺めるだけにしようと思ってたら、せっかく来たのだから行こうと手を引かれた。
 入るまでは強気だった斉木さんだけど、あっちにモンシロチョウ、こっちにミツバチと四面楚歌で、それでもオレの手握って離さないから、怖くなくなるおまじないとか何とか適当こいて、隙見てキスしたの。
 周りには家族連れとかカップルとかたくさんいたけど、みんな自分より高いひまわりに熱中してるしカップルは互いのダーリンハニーしか見てないからいいかと思って。
 人間は見てないけど幽霊にはばっちり視られてたっていうね。冷やかしたり応援したり、反応も様々な彼らとの一期一会にオレはこそっと手を振り応えた。
 そんでまあ結局、おまじないとか言ってもあんまり効果はなかったけどね。怖いものは怖いから、ひまわり畑抜けるまで斉木さんはオレの手ぎゅうぎゅう握り締めてきたけど、最後にそっと『来て良かった』って言ってもらえたから、オレは最高の気分だった。

 坂の途中で見つけた小洒落た喫茶店でのランチタイムも、一生忘れない。
 苦味の強いアイスコーヒーも、具がはみ出そうなほどのサンドイッチも、オレの皿からひと切れ取ってく楠子ちゃんのほっそりした指も、いたずらっ子のように笑う顔も、ぺろりと指先を舐めた赤い舌も…あああ。
 喫茶店では別々のものを注文した。オレはサンドイッチとアイスコーヒー、楠子ちゃんはオムライスとチョコレートパフェとオレンジジュース。
 そんだけ食べてんのに更にサンドイッチ取ってって、よく入ると呆れ混じりに感心したら、さっき無理やりひまわり畑で襲われた慰謝料、って目を細めて笑った。
 その顔があんまり色っぽいから、オレはまた××したくなってしまった。
 楠子ちゃんはたちまち呆れ顔になったけど、オレが悪いんじゃないよ、翻弄するアンタが悪いんスからね!
 目付きで怒ったら、じゃあもっとしてやるってにやっと笑って、何する気だと思ったら持ってったサンドイッチをオレの口元に寄せてきたのよ。
 想像してみてよ、可愛いカッコした可愛い恋人が、可愛い事してきたところ!
 心臓はじけ飛んじゃうこと間違いなしだよ。
 オレは何とか口を開けてひと口、かじったさ。
 よく見たらオレ、結構大口で食べててさ、残ったのはあとひと口分くらいになってたのね。それをね、楠子ちゃんがね、自分の口に放り込んでね…サンドイッチつまんでた指を、ぺろって!
 そんで楽しげに笑って、周りの男客から「このバカップルが」って殺意のこもった目で見られて、オレは脳天から湯気出しそうだし照れくさいけど自慢げで、最高のひと時だった。
 実にまっとうなカップルのイチャイチャを楽しんだ。

 喫茶店を出た後、まだ興奮のさなかにいたオレは、気持ちのままにびゅんびゅん自転車を飛ばした。

 そのせいで今こんなにグロッキーだけど、自転車二人乗り…やってよかった。
 もっと身体鍛えなきゃなと反省、あと日焼け止めもな。でも後悔はない、一ミリもだ!
『やれやれ……』
 座ってるのもしんどくてソファーにどってり横になったオレの側で、斉木さんがなにやらごそごそしている気配がある。
 オレは閉じてた目をうっすら開けて様子を伺った。
 あ、オレのスマホ。
「なに、みてんすか……?」
 頭がボーっとぼやけてうまく物が考えられないので、オレのスマホ見られてるとかの焦り諸々は浮かんでこなかった。
『具合はどんなだ? 目眩とか頭痛とか吐き気とかあるか?』
「あー…はい…ちょっとぼーっとして、ちょっと気持ち悪いです……ちょっとだけ」
『ふむ、そうか。喋りも普通だし反応もまあまあ……なら、救急車を呼ぶまでもないか』
 ああそっか、対処法探してたのか。
 えー、斉木さん、ありがと……ごめんなさい

 少しして、頬っぺたに冷たいものが当てられた。
「ふぁっ?」
 見ると、よく冷えたスポドリだった。
 あー気持ち良い。オレはそれを首にはさんだ。
『ん…こういうのも、楠子でやった方がよかったか?』
「ばか、ふふ」
『馬鹿とはなんだ。また表に放り出すぞ』
 前髪をくしゃっと掴まれる。
「斉木さんがいてくれれば、それでいいんです」
 正面にいる斉木さんに抱き着く。ソファーに寝転がったままじゃ届くのは膝の辺りで、ごつごつしてたけど、斉木さんだから全然構わないのだ。
『そうかよ』
「そうです……。だから、ずっとここにいて」
『そうもいかん』
「えっ、……」
 心臓がひやっとした。
 重たい瞼をこじ開けると、斉木さんに抱き起こされた。うう、オレは何とか頑張って座る姿勢を保つ。
「え、どしたんスか……?」
『ちょっと出かけてくる』
「どこ…行くの?」
『すぐ戻るから、ちゃんとそれ飲んで待ってろ。寝るなよ、飲んで起きてろ』
「え、え……」
 訳がわからず目を瞬いていると、両手でがっしり顔を挟み込まれた。
『すぐ戻るから起きてろ。お前、寝て起きて僕がいないと、ピーピー泣くだろ』
「え、やっ……あの、あれは」
『すぐ戻るから起きてろ。いいな』
「はい……」
『よし』
 確認すると同時に斉木さんの姿が消える。瞬間移動だ。
「ぐぅ……うう」
 言われた通りスポドリを傾ける。喉が詰まって中々入ってかないけど、飲み込むと身体全体がすうっと冷え鎮まっていくようで、少しすっきりした。
 頭も少し、すっきりする。
 そうなると、しんと静まり返った室内がしようもなく堪えた。
 斉木さん、早く戻ってきて。

『よし、起きてるな』
「……斉木さぁん」
 斉木さんは約束通り数分もしないで戻ってきてくれた。でもその数分、オレは生きた心地しなかった。一応、一応、予測はついていた。どこへ何しに行ったのかわかっていてもでも、部屋に一人取り残されるって結構堪えるもので、もし今度夏に旅行する事があるならば、それらは絶対忘れず持ち物リストに加えようと硬く決意した。
 リストに加えたいのは、戻ってきた斉木さんの手にぶら下がる袋に入っているもの…日焼け後の対処の塗り薬。
『ちゃんと、店の人に詳しく伝えて、お前に合うもの買ってきてやったぞ』
「ああ…斉木さん」
 オレの財布をチラつかせながら言われ、オレはじょばじょば涙を流す。財布云々が理由じゃない、オレの為にわざわざドラッグストアに行って、お使いしてくれたことが嬉しいのだ。
 こんな、間抜けなオレの為に。
 あ、涙が日焼けに染みる、しみる!
『何遊んでんだまったく』
 呆れ果てた表情で、斉木さんは濡れタオルを作ってオレに寄越した。わあ、ひとりでに手元に飛んでくる濡れタオル。こういう時超能力者がいてくれると助かるね。
 あとオレ、別に遊んでる訳じゃないっスからね。
『まったく、準備不足のお前のせいで、余計な手間食った』
「す、ませっ……」
 しゃっくりが出てうまく喋れない。オレはもらった濡れタオルで顔を覆った。染みた肌がひんやり落ち着く。
『本当に腹が立つ』
 ごめんなさい、謝るからそんなに怒らないで
『怒らずにいられるか。ああ、苛々する』
「ほんとに、ごめんなさい」
 めんどくさい奴で。
『そら、さっさとそれ使え、そんで早く治せ、泣き止め』
 すみません、すみません。
 オレは容器の蓋を開け、白いクリーム状の薬を腕に塗り広げた。
 滑らかなクリームが馴染んでいくにつれ、ピリピリしていた皮膚が少しずつ鎮まっていく。
 でも、このピリピリした空気はどうすれば収まるんだろ。

 斉木さんは苛々を隠しもせずどっかと隣に座った。
『心配なのに腹が立つ自分に腹が立つ』
 いったいこれはどういう感情なんだ?
 忌々しいと舌打ちして、斉木さんは腹から息を吐き出した。
 斉木さん。
 愛情があふれて止まらない。涙も止まりそうにないし、ああもう本当に、どうすれば。
『だからもう、泣くなって』
「うぇっ、泣いてまっしぇ……」
『まったく』
 困惑もあらわに斉木さんが頭を抱き寄せる。
 オレはあたふたと腕を動かした。
「あ、あ、薬ついちゃう、服が」
『服なんていいだろ別に、洗えば』
 そうっスけど…ふふ、斉木さん、怒ってる。
『怒ってない、いや…その、なんだ』
 参ったと頭を左右に振って、斉木さんは抱きしめる腕に力をこめた。
 洗えばいいか、いいよね。オレは抱き着いた。

 はー。
 散々だけど、こんな斉木さんに会えたのでよしとする。


 ひと眠りして起きると、すっかり具合は良くなっていた。日焼けした箇所、腕とか顔とか感覚的に三倍くらいに腫れたように感じてたのがすっかり引いてたし、塗り薬のお陰で突っ張った感じも鎮まったしもうピリピリもしないし、すっかり落ち着いていた。
 斉木さんはずっと傍についててくれたようで、お前が起きるまで動けなかった、これでやっとトイレに行けるとブツブツ文句をこぼしながら足早にリビングを出ていった。
 その背中を見送り、オレはすみませんと小さくなって詫びた。
 前回のを言ってるんスよね。五月の旅行の。オレあの時、昼寝して起きた時、斉木さんがいなくて大泣きしちゃったのよ。ぴーぴーどころかわんわん泣いちゃった。斉木さんの姿がないのが本当に怖くって。
 今考えるとダサいしみっともないし記憶よ消えてくれ―って感じだけど、でも本当に怖かったんだよ。
 だから、さっき薬買いに行く時も起きてろって言った訳で、そして今も、うん。
 でも斉木さん、もしもの時は超能力でいくらでもコントロール出来るんだよね。アポートすればいいだけだから。アイドルはトイレ行かないならぬ超能力者はトイレ行かない、も、可能なんだ。
 だから、今のあれは、斉木さんの照れ隠し――はあぁん!
 ごめんなさい、でも嬉しい、斉木さん大好き!
『うるさいぞ!』
「あいたっ!」
 斉木さんのあまりの可愛さに、ソファーの上で膝を抱えもぞもぞ見悶えていると、いつの間にか戻った斉木さんにペチンと頭をはたかれた。
「いたぁいっス〜……」
『うるさい手加減してやったろ、それより、もう夕飯時間過ぎてんだ、さっさと用意しろ、しおりに書いてあるだろ』
「あ、はっ…は! すんません!」
 オレは時計を見て青ざめ、どたばたと起き上がった。
『おい』
「はいぃっ」
 呼び止められ、勢いよく振り返る。さぞおっかない顔があるかと思いきや、そこには、静かな戸惑いをたたえた斉木さんがいた。
『お前…もう、調子はいいのか?』
「え、ええ。ええ。もうすっかり、この通り!」
 オレは、元気いっぱいだと貧相な力こぶを見せた。
「ご心配をおかけしてスミマセン!」
『別に心配なんかしてない。腹が減っただけだ』
 ああもう、そういうとこがアンタ可愛いっての!
 オレは大張り切りで夕飯の支度にとりかかった。


 ちなみにサラダの「零太スペシャル」の何がスペシャルかというと、オレの斉木さんへの愛情がたっぷりだから「スペシャル」なんですよ。
 食事時、自信たっぷりにそう告げたら、斉木さんからじっとりした視線をもらったっス。
 可哀想な子を見る目だったのは、多分気のせい。だと思いたい。

 夕飯後、ぬるま湯のシャワー浴びて、また薬縫ってたら、花火は明日だと斉木さんに言われ肩を落とす。
 まあ、そうだよな。
 じゃあもう寝ます、お休みなさいとしょぼくれてベッドに入ると、見かねたからか、斉木さんがごそごそ潜り込んできた。
『……あんまり邪険にして、コーヒーゼリー貰えなくなったら困るからな。一緒に寝てやる』
 言い訳がおかしくて、クスクス笑う。
 やだなあ斉木さん、オレは何があろうと槍が降ろうと、アンタにコーヒーゼリーお届けするっスよ。
 おやすみなさい、明日もたくさん、楽しい事見つけましょうね。

 

 

 

 三日目 八月某日
08:00 朝食 プレンチトースト、サラダ、カップヨーグルト、コーヒーゼリー
10:00 ゴムボートで湖へ
・・・

 昨夜の就寝時からちょっとプルプルしていた鳥束の足腰、今朝は更にブルブルギチギチの、本格的な筋肉痛に見舞われていた。
 立ったり座ったりでいちいち「よいしょ」「どっこいしょお」と掛け声が必要になって、そしてトイレから出てきて、洋式に座るのもつらかったっスと笑顔で報告してきた。
 そこに更に日焼けがくる。

「見て見て斉木さーん、ほらこれ、ちょークッキリ。洗面所で見たら、もー泣けたっス」
 昨日の半袖焼けを、何故か鳥束は嬉しそうに見せてきた。
『お前さっきから、なんでそんな嬉しそうなんだ』
「えー、いやいや全然嬉しくねーっスわ。嬉しんじゃなくてこれ、ある意味開き直りっス」
『なるほどな、ヤケッパチの意味での笑いか。にやけひどいわ筋肉痛ひどいわで散々なはずなのに笑ってるから、そういうアレの人かと思ってたぞ』
「んな訳ないっしょ、オレは普通ですよ」
 お前が普通……?
「てかそれより、はぁ…昨日は斉木さんに迷惑かけちゃって…はぁ」
 見るからにしょんぼりと肩を落として、鳥束は朝食の洗い物を続けた。
『いや、まあ。お前が僕に関わって迷惑かけなかった時があるか? いやない、なので、今更と言えば今更だな』
「そーゆー攻撃やめてくださぁい」

 洗い物が済むと、鳥束は寝室に荷物の整理にいった。
 僕はキッチンに残り、奴が綺麗にしまったスパイスボックスを開けて眺めた。これは、前回の旅行でも使用したものだ。

 コテージに基本的な調理道具や調味料は揃っているとはいえ、あまり頼り切って「あれが欲しかったのにない!」という事態を防ぐ為、キャンプの達人たちのブログなどで探して見つけ購入したものだそうだ。
 塩や醤油、油、それぞれ持っていくとなるとかなりの重量になるし一個ずつ梱包するのも面倒で大変だ。そこでこのスパイスボックス…元は釣り具のルアーなどを収める小物入れだが、これがかなりお役立ちになるというわけだ。縦長に仕切りがされた一つひとつに小瓶やチューブをセットすれば、リュックの中で瓶が当たって割れる事も、チューブが破裂する心配も、他の荷物に紛れ探しにくくなる事もない。
 蓋を閉めるる。取っ手が外れている。本当ならここに黒い取っ手が取り付けられているのだが、鳥束が壊した、というか取れてしまったのだ。なんでも、届いた当日梱包から取り出して早速調味料を入れ、ぴったり収まった具合に大喜びで「オレ買い物上手!」と意気揚々と持ち上げたら取れてしまったのだそうだ。
 プラスチック製の安価なものなので、あまり重たいものには耐えられなかったようだ。折れた訳ではなく外れたので取り付けは簡単に出来るが、いずれ折れるかもしれないと思った鳥束は取っ手なしで使う事を決めた。
 ずっと手に提げてなきゃいけないわけでなし、特に不便はないとか。本人がいいならいいか。
 もう一回開ける。
 ただ、前回は空き枠の多かった仕切りに、某食品メーカーのスパイス類を入れるのはいかがなものか。隙間だらけでカッコがつかないからってわからなくもないが、お前これ、ただの賑やかしで使い道考えてないだろ。やれやれ、バジルとかパセリはまだ汎用性が高いけども、このクミンシードとか使い切るのに何年かかるやら。
 気付くと、たとえば毎食キャベツ炒めでこれを使うとして、一回の量がこれくらいだから…と無意味極まりない計算に踏み込みかけていた。慌てて抜け出し、僕はため息とともに蓋を閉めた。

 僕はそれから寝室に向かい、何となくの興味で荷物整理の様子を眺めた。
 腕もそうだが、顔もまだらに日焼けしてるんだよな。帽子のつばで大部分が隠れてたけども、高い位置の頬と鼻先が、てかてかと赤くなっている。あれ、やっぱり痛いんだろうな。やっぱり、復元してやるべきだったか。ま、帰るまでには消えてるだろうからほっとくか。
 ジロジロ見ているのに気付いた鳥束が、わかってますからあんまり見ないで、と手で遮る。赤いのは日焼けのせいもあるし照れたせいもある。
「もう、日焼け止めは忘れませんよ。ここ置いとけば忘れないっスね」
「あと、今日はちゃんと長袖羽織りますからね。それと帽子もね。一緒に置いとこうね」
 独り言をぶつぶつ垂れながら、日用品を出したり整頓したり。
 そこでふと疑問が浮かんだ。
『今更だがお前、なんだってそんな大荷物なんだ?』
「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれました」
『ん? ああ、そういう事か』
 僕から聞かれて思い浮かべた事、僕が視た事で、答えはわかった。
「実はですね」
 もったいぶってファスナー開けてるとこ悪いんだが、もう正解わかった。
「セールだったんで」
 ゴムボート買ったんだろ。
「ゴムボート買っちゃいました!」
 じゃーんとばかりに取り出す鳥束を、さめ切った眼差しで見つめる。
「くぅ〜……」
 そんな悔しそうな顔するなよ、びっくりさせられないのは、もうとっくにわかってるだろ。
「それにしたってさあ、もうちょっとこう、言いようってもんがあるじゃないっスか」
 わあ〜☆れいたんゴムボート持ってきたんだ、すご〜い、とかさぁ!
 声色替えての小芝居に、僕は死んだ目で応える。
『わあ〜☆れいたんもったいない』
「わあ〜☆れいたんもったいない」
「ダブルで送ってこないで下さい!」

「せっかく目の前に綺麗な湖があるんだから、楽しまない手はないっスよ!」
 本体をデッキに広げ、横に組み立てたオールを置いて、鳥束はえへんと胸を張った。
『うん、まあそうだな』
 ふうん、結構大きいのだな。
「二人用ですからね。今度は日焼け止めバッチリだし、斉木さんていう最強のライフセーバーもいるから安心安全だ!」
『自分の身は自分で守れ』
「ええっ、もう〜」
『最後に頼れるのは、結局自分なんだ』
「も冷たい事いわずにー。ここ最近、静かなブームなんスよ、湖水浴」
『へえ、そうなのか』
「ええ。それが広まったら、このコテージもぽつんと一軒家じゃなくなるかもなあ」
 となると今だけだ、こんな静かなのって、この景色を独り占めなんて、ならば今この瞬間を遊び倒さねば!
「っスよね、斉木さん!」
『お、おう』
 決意をみなぎらせる鳥束に圧倒される。

『ところで鳥束』
 ゴムボートを見てある事に気付いた僕は、横に立つ鳥束に顔を向けた。見つめる先で鳥束はダラダラと冷や汗を流していた。
 ああ、お前も気付いたか。
 空気入れを忘れた事に。
「ふ……フーフーすれば……」
 青い顔で挑もうとするのを慌てて引き止める。
『よせよせ、一人用の浮き輪じゃないんだ、何時間かかっても無駄だ』
「ぅあっ…わああん斉木さあん!」
『……やれやれ』
 のび太ばりに泣き付いてくる鳥束に、僕は額を押さえた。
 だから言ったじゃないか、お前が僕に関わって、迷惑かけなかった時があるか、って。
 やれやれ。泣き付ける僕がいて本当によかったな、お前。

「うお、一瞬!」
 一瞬にして注入の済んだゴムボートに、鳥束は目を瞬かせた。
「やったー、ありがと斉木さん」
 鳥束は一回僕に抱き着いた後、両手を取ってらんらんルンルンダンスを踊った。
『鬱陶しい』
「いだっ!」
 思い切り振り払ってやった。
 やれやれまったく、世話のかかる。

「はいじゃー斉木さんも乗って乗って。う、しゃがめな…太ももが筋肉痛が…い、たた、だぁ、た、あ…よし、よっし座った、はぁ……わー、出航ー、わーわー!」
 鳥束は一人大騒ぎして座ると、漕ぎ出した。
『今夜もダウン確実だな。筋肉痛で』
「そ、そんなヤワじゃないっスよ!」
『そして今夜も結局花火は出来ずじまい』
「そんな事ないですー、花火出来ますー」
『どうだかな。貸せ』
 むっとする鳥束にふっと笑い、オールから手を離せとジェスチャーで伝える。鳥束は指示通り両手を行儀よく膝に置いた。
「おおー、すっげー」
 ひとりでに動き出したゴムボートに、鳥束はやんややんやと歓声を上げた。

 とりあえず、湖の中央まで来た。
『どうなんだ? 向こう岸まで行けばいいのか?』
 こういったものの楽しみ方がいまいちよくわからない。
「そんな難しく考えないでいいんスよ。オレも言えたもんじゃないっスけど、景色を眺めたり、水中の生き物観察したり、鳥の声や風の音に耳を傾けてボーっとしたり。オレと愛を育んだり、何でもいいんスよ」
『お前の恥ずかしい日焼け跡を観賞したり?』
「んもー、また」
 鳥束は参ったと眉を下げた。
 よくはわからないが、まあ、ちょっと風に当たるとするか。
「しますか。水の上だと、わりと涼しいですね」
『ん、そうだな』
 うん、そうだ。いい気持ちだな鳥束。

 しばしそうして波にゆらゆら揺れていると、妙な目付きになった鳥束が迫ってきた。
『……おい』
 風の音に耳を傾けろ、内なる欲望の声に耳傾けてんじゃねーよ。
「あは…斉木さん上手い」
 更に距離が縮まる。
「ね、やなんですか?」
『嫌というか』
「誰も見てませんよ」
 まあそうなんだが…はあ、やれやれ。
 お前さあ、ちょっと動く度筋肉痛で顔しかめてるの、自覚してるか?
 はぁはぁしながら途中途中ウって顔しかめてはまたはぁはぁして、全然様になってないんだよ。鬱陶しいし、ちょっとは不憫にも思うし、まったくやれやれだ。
『ちょっと頭冷やせ』
 サイコキネシスで追い払う。
「うわ……あっ!」
 どぼんと水しぶきを上げて、鳥束は背中から水中に落っこちた。

「もー、ゴホ、ひどいっス!」
 すぐに顔を出した鳥束の首根っこをサイコキネシスで掴み、空中に引き上げる。
『お前もこれで、綺麗な鳥束に生まれ変わったらいいのにな』
「ぶへっぶへっ……、はぁ?」
『あなたが落としたのは――』
「ああ、オノか!」
 ようやくピンときたと、鳥束は手を打ち合わせた。
「はんっ、泉に落っこちたくらいじゃ変わりませんよ。……てか斉木さんは、そっちのオレのがいいっスか?」
 だいぶ水が切れたところで、僕はボートの上に戻した。
『わからん。でもお前はお前だ、どうであれ僕を好きになるだろ』
「はっ……もーちろーんっ!」
 辺りじゅうに響くほど声を張り上げて、鳥束は答えた。
 びっくりして鳥たちが一斉に飛び立っていく。
『お前は存在そのものがみんなの迷惑だな』
「ひっでーっス!」
 濡れた髪をかき上げ、鳥束は怒った顔をしてみせた。
 ふん、まだらに日焼けした顔で怒ったって、全然迫力ないんだよ。
「そー言う斉木さんは?」
「んー?」
「!…」
 横目に睨んでくる鳥束を易々と押し倒し、そのままキスをする。
 迫力はないが、可愛げはある。
 もー、すぐ振り回すんだから!…ぼやく心の声が聞こえてくる。そのくせ鳥束の腕は僕を抱きしめて離さない。
 どんなお前でも、お前はお前だけど。
 その時になってみないとわからないが、鳥束、きっと僕もどんなお前だろうとこうして振り回して、笑って、そして傍にいると思うぞ。

 ちゃぷんちゃぷん、ゆら、ゆら。
 揺れるボートの上で、僕らは長い事キスを交わした。

 

 

 

 三日目 八月某日
12:30 昼食 ピザパーティー、コーヒーゼリー
・・・


「せっかく持ってきたんで、使いましょー」
 そう言って鳥束はテーブルクロスを広げ、ガーデンテーブルにかけた。
「おっ、これ、サイズぴったりじゃないっスか?」
 オレやっぱ天才っスね!
 自画自賛激しい鳥束は置いといて。
 確かに、木製のママのテーブルもそれはそれで味があったが、こうして綺麗なクロスをかけるとがらりと印象が変わるな。
 百均で買ったというそれ、袋に入っている時はいかにもちゃちな安物、値段通りに見えたが、こうして使用するとなかなかどうして、景色と相まって高級品にも引けを取らない。
 まあ、触ればわかってしまうペラペラの品だが、ひまわり色の大柄な花模様で埋め尽くされたテーブルは、気分を盛り上げてくれた。

「さーお昼にしましょー、腹減ったっスねー」
 今日の昼はピザだ。市販の冷蔵ピザにこれでもかとチーズを足し、後は思い思いの具材を乗せて焼けば出来上がりだ。
 昼間に屋外は暑いのではと心配したが、森と湖のお陰か、コテージ周辺は空気がサラっとしていて過ごしやすい。
 きついようなら室内に入ればいいし、せっかくだからピクニックを気取ろう。

「チーズ増量は基本として、斉木さんはあと何乗せます? えーと、こっちがマルゲリータで、こっちが照り焼きチキン!」
 そして追加の材料はこちらと、鳥束はタッパーを並べた。
 ふんふん、輪切りピーマン、ミニトマト、ベーコン、ソーセージ、そして外せないピザ用チーズか。
『うーん……よし、全部乗せよう』
「あは、オレもそうしようと思ってました」
 む、お前と発想が一緒だと?
「もーなに、そんな顔しないのー」

 などとありつつ、ピザが焼ける。
「お待たせ斉木さん、出来ましたよー」
 鳥束は運んできた皿をテーブルに置いた。
「さー、ピザパーティーの始まりっスよー!」
『なんでもパーティーつければいいと思って』
「いいじゃないっスか、楽しんだもの勝ちっスよ、それより見て見て斉木さん、美味そうでしょ!」
 ひまわり色のクロスの上に、盛り沢山ミックスピザが二皿。チーズがグツグツジュウジュウ踊って、食欲をそそる。
 こうしてあらためて見ると――。
『すごいな』
「すごいでしょ」
 えへんと胸を張る鳥束。
 たくさん乗せたらそれだけ美味しいと単純に考えて、やり過ぎたようだ。
「斉木さん、乾杯しましょ」
『ああ』
 手にしたオレンジジュースのコップを、そっと合わせる。

 僕は手にした一切れを前に、さてどうかじるべきか思案する。
「どーせ二人だけだから、ちょっとくらい汚しちゃってもご愛敬、豪快にかぶりついて下さい」
 こんな風にと、ゲンコツも余裕で入りそうなほどあんぐり大口開けて真上を向き、鳥束はかぶりついた。
 うーん、ちょっと遠慮しとく。

 口の周りベタベタくっつけて、鼻息荒くモグモグ頬張る鳥束。その状態で美味い美味いと興奮気味、自画自賛激しいな。
「ふがふがふがっ!」
 美味いっスね斉木さん!
 頬っぺた紅潮させて目配せしてくるその顔、嫌いじゃない。
 欲張って色々のせて食べるのも悪くないな。いろんな味が絶妙に混ざり合って、中々贅沢だ。

 最初はこまめに拭っていた僕だが、ええいまだるっこしいといよいよ放り投げる。どうせ鳥束もひどいんだ、一人だけ気取ってもしょうがないか。
 開き直り、後でまとめてと、僕は構わず食べ続けた。
 鳥束も同じように思っていた。自分にもくっついてると自覚しながら、斉木さんひどーいと笑ってくる。だから僕も遠慮せず、お前もベトベトだと言わせてもらった。
「あははー後で斉木さんのお口回り、ペロペロして綺麗にしてあげますね!」
『やめろ、食欲失せるだろ馬鹿』
「へーんだ、オレはどーせバカですからね、予告通り何としてもペロペロ遂行してやるぅ!」
 ニコニコ、もぐもぐ、ぺちゃくちゃ、やれやれ、賑やかなランチタイムを過ごす。

「はー、食べたー飲んだー、満腹だー」
 椅子に思いきり寄りかかり、鳥束は膨らんだ腹をさする。
 おや。どうやら腹一杯になった事で、さっきの発言が頭から吹き飛んだらしい。
 僕はある意味怯えていた…し密かに期待してもいたので、ほっとしたのと腹立たしいのとで複雑だ。
「ん……なんスか斉木さん」
 じっと鳥束を見た後、顔を近付ける。
「え……なんスか斉木さん」
 脅かしたお返しだと、キスするふりをして鳥束の頬っぺたにガブッと噛み付いてやった。
「あいっ…たー、なんスか!」
 慌てて飛びのき、鳥束は何度も目を瞬いた。
「もー、甘い時間到来かと思えばー!」
『いい匂いがしたから勘違いした』
「え、やだ斉木さん、もしかしてオレを食べたいの?…ぐっへへ」
 下品な笑い方するんじゃない。あとそれは大きな勘違いだ。
「やだなー、言ってくれればおかわり用意しますのに」
『やめろ』
 たるんだ顔で股間を握るんじゃない。
 抱き寄せてくる腕に爪を立てる。
「いたた、もー、つねるのナシ」
 参ったと優しげに目を細めるから、つい、胸がドキッとする。それが癪に障るから、つねるのは続行するけどな。
「もー、だからつねっちゃめっスよ」
『じゃあ離せ』
「ええー。お腹いっぱいにしたんだから、別のも一杯にしましょうよ」
 冷えた目付きで見下ろす。
「あれぇ、お誘いじゃなかったの?」
『……やれやれ』
 後でな。
 もう少し腹がこなれたらな。
 今始めたら、多分間違いなく、お互い吐くから。
「んっふは、たしかに」
 鳥束は楽しげに笑った。

 だから、充分食休みした後で、僕はおかわりをする。
 ボートの上で途中までだったのを、最後まで貪る。

 

 

 

 三日目 八月某日
16:00 斉木楠雄のダラダラを全力で支援
・・・


 夕暮れの空をぼんやり眺めながら、僕はデッキに寝転んでいた。軒先では、二人分の洗濯物が風にはためいていた。ランチの前に洗濯して干したものだ。この分なら日没前に乾いてくれるだろう。ついでに付け足すと、鳥束お手製の飾りも、ちゃんとある。同じく風にはためいて、気持ちよさそうだ。
 ピザパーティーの後、鳥束をおかわりして、二人でちょっと昼寝して、起きたら思い思いにテレビを見たりお喋りしたり本を読んだり、気付けば夕暮れが迫っていた。
 涼しい室内でダラダラするのもいいが、外の空気も吸いたくなった。僕はのそのそとデッキに出て、寝転んでみた。中々快適である。
 すぐ隣には鳥束がいた。足を投げ出して座り、手にしたうちわであおぎ、時々僕に風を送って、シュワシュワと響き渡る蝉の声にぼんやり耳を傾けていた。
「今日も、いい天気でしたね」
『ああ』
「今日も、色々やりましたね」
『ああ』
「いよいよ今夜は、お待ちかねのバーベキューパーティーっスよ」
『またパーティーか』
「そっスよー、もー何でもパーティーっス! なんたって斉木さんといますからね」
 待ちきれないーと、鳥束は僕をかば焼きか何かと勘違いしてる勢いでバタバタあおいだ。
『やめんか』
 サイコキネシスでうちわを取り上げ、僕はお返しとあおいだ。
「うわあざっス、あー快適」
 鳥束は目を閉じて浸った。馬鹿め、かかったな
『夕方、一部の地域で風速三十メートルの突風が吹くでしょう』
 お天気お姉さんの声色を真似て、僕は人差し指をくいっと曲げた。
「うそ、うわ……ま、じ!」
 風速…の辺りで僕の魂胆を察した鳥束が、急いでうちわを取り上げようとしてきた。遅い遅い。
 鳥束目がけて猛烈な勢いで風が吹く。
「ちょ、なにこれ……ねえ、それ本当にうちわだよね!?」
 正面を向いてられないと顔を背け、鳥束は叫んだ。正真正銘うちわだが?
 旅行初日の朝、駅前で配ってるのを受け取った。いつもはお断りしますと素通りするところなのだが、なんとなく気が向いて受け取ったんだ。こんな楽しいことになるとは、受け取って本当によかった。
「おれは……っく、よくねーっス!」
 勘弁、降参!
『突風による頭上からの落下物にご注意ください』
「えぇっ?」
 鳥束は大慌てで頭を庇い、ぎゅっと目を瞑った。その頭に、パサっとうちわを乗せる。
「はっ!……ほー」
 うちわごときにも大げさに驚き、それから鳥束は肩の力を抜いた。傑作だから撮ろう。
 パシャ。
「あぁっ!」
『さて、バーベキューの準備でもするかな』
「もー、なんでいつもいつも、間抜けなとこばっか!」
 プンプンしながらついてくる鳥束をお供に、僕は室内に入った。

 なんでって鳥束、そいつは難しい質問だな。なにせ僕自身も、こんな下らない事が何故こんなに楽しいのか説明がつかないんだから。
 自分でも理由がわからないんじゃしょうがない、諦めて僕に付き合え。
 先までずーっと。

 

 

 

 三日目 八月某日
18:00 バーベキューパーティー、花火パーティー、コーヒーゼリーパーティー
・・・


 さあ、今回の旅行の一大イベント、バーベキューを始めよう!

「もう二回目っスからね、もう慣れたもんスよ」
 お任せください斉木さん!
 鳥束は言って、ちょっとカッコつけた仕草でグローブを取り出した。
『おい、それ新品だな』
「あ、わかっちゃいますぅ?」
 うざいなコイツ。
「あ、今うざいなって思いましたね?」
 読むのやめろ、先進めろ。
「えっへへー、これカッコいいでしょー。前回は軍手使いましたけど、バーベキューの時はこういう耐熱グローブ一つはあった方がいいってネットで見かけたんで、吟味に吟味重ねて、買いました」
 実際お店にも行って、直に手に取って着け心地とかも確かめたんですよと話は続く。
『ふうん。見せろ』
「あでで! 手首はそっちに曲がらないの……」
『本革か』
「本革っス。いでで」
『しかしお前、形から入るのな』
「いやまあだって、そりゃねえちょっとはねえカッコつけたいしさあ。へへ。あとね、ちゃんと良いもの買うと、それだけ大事に使うし忘れたりしないし、作りも良いものだから長持ちしておすすめだよーってあったんで」
『なるほど、それもそうだな。軍手ではどうしても「まあいいか」と使い捨ての気分になるしな』
「そうそう、そうなの」
『このグローブはカッコいいが、それしたお前がカッコいいとは限らない、がな』
「うんもー。まあとにかく、今炭に火をつけますんで、ちょっとお待ちくださいね」
 ささっと気取った仕草でグローブをはめると、そこからは一転して慎重にかつ手際よく炭を積み上げていった。
 フラグ立てるんじゃない。と思ったが、残念な事に鳥束はとてもスムーズにスマートに火起こしをこなした。
 今回、更にイメトレして備えてきたのだろうなというのがありありと伺える無駄のない動作に、恋人の頼もしさにときめくというのはこういう事なのかと、妙に冷静に自分の動揺を受け止めたりしてしまう。
『っち、つまらんな……』
「はい?」
『ガッカリじゃないか、え、鳥束。空高く炎を噴き上げるとか火だるまになってみせるとか爆発オチとか色々あるっていうのに、お前ときたら…はぁ、そつなくこなしやがって』
「もしもし斉木さーん」
『わかってない』
「こらこら斉木さーん、もー何のイチャモンスかそれー」
 苦笑いで、鳥束は用意した肉類野菜類を網に乗せていった。
 それらが焼けるまでの埋め合わせにと、僕は当然というかコーヒーゼリーを持たされた。これこれ、これだよな。暑い夏の夜にひんやりスイーツ、コーヒーゼリー。
「……ふふ」
 最高だ。
 至福の時を味わっていると、パシャっと撮られた。
「へへ、可愛い斉木さんいただきぃ」
 まあいい、コーヒーゼリーに免じて許してやろう。

『よし、今回も乾杯の音頭はお前な』
「えーんまたオレっ?」
『当然だろ、この旅行の主催者はお前だぞ』
 ほら、決まってるとこ撮ってやるから。
 カメラを構えると、ビシッと決め顔…かと思えばふにゃっと笑って、参ったなと頭をかく鳥束。どんどん撮ろう。
「えーと、じゃあ……鳥束零太です」
『斉木楠雄だ』
「またっ!」
『お約束だろ』
「んっふふ」
 予測していたのだろう、鳥束は唇をプルプル震わせた。

 気を取り直して。
「えと……斉木さん、今回も、旅行に参加してくれて、ありがとうございます。今回は前回みたいな失敗はしないぞーって誓ったのに、色々まずい事起こして」
『そうだそうだ』
「すんません!」
『僕のダラダラ支援も全然出来てないぞ』
「ほんとすんませんっ! そ、それでもオレに愛想尽かさず隣にいてくれて…本当にありがとう。好きです、愛してます! もっともっと頑張りますので、どうかこれからもよろしくお願いします!」
 最後の方は涙目で、鳥束は深々と頭を下げた。
「あ、ああっ、そんで今夜は一杯食べて飲んで、幸せになって下さいっ!……か、かんぱいっ!」
 がばっと身体を起こして言い忘れていた事を付け足すと、鳥束は思いきり右手を突き出した。
 だから中身飛び出すって。
 やれやれだなまったく。
 笑いながらコップを掲げる。
『よし、じゃあ食べるか』
「はー……ほんと斉木さん、好き好きー……」
 自分の挨拶で感動したのか、鳥束にかたく抱きしめられる。
 よーしよしよし、わかったから、食べような。な、鳥束。
 ほら、肉も野菜も丁度食べごろだぞ。
 いただきます

『お前、前回も思ったが案外トウモロコシ綺麗に食べるよな。もっとぐしゃぐしゃに食べ散らかすかと思ってたぞ』
 すると鳥束は気取った仕草で前髪をかき上げた。
「やだなぁ斉木さん、オレ、寺生まれっスよ」
『お、玉ねぎが食べごろだなもらおう』
「おいー、豪快にシカトー!」
 お前に声かけた僕が悪かったんだ。
「もおー…うんと昔は、ぐしゃぐしゃにしてましたけどね。でもそれがやでやで、自分で色々研究したり幽霊に教えてもらったりして、綺麗に食べられるようになったってわけなんスよ」
『なるほどな。まあ僕は最初から綺麗に食べてたがな』
「あーまた、超能力自慢してー」
『ふん』
 そっちこそ、また幽霊か。

「ああ、今日って月出てないんスね」
『そうだな。星がよく見える』
「あー、いいっスねえー」
 二人して夏の夜空を見上げる。
 鳥束は湖に目を移し、そこにも星空があると目を煌めかせた。
「あ、今ボート漕ぎ出したら、最高にロマンチックじゃないっスか?」
 いいアイデアだと興奮しているとこ悪いんだが。
『漕ぐ揺れで水面が波立って、思ったように綺麗に見えないぞ』
「ああー……そっか、残念」
 じゃあ、こうして岸から見るしかないか。
「まーこれも綺麗だし、いい思い出になりますね」
『そうだな』

「斉木さんどっちにします?」
 箱アイスが出された。バニラとチョコ味か、どっちも嫌いじゃない。僕は見ないまま手を入れて一つ取り出した。
「あ、チョコっス。じゃあオレはバニラにしょっと」
 手にしたアイスの先をちょんと交差させ、鳥束は何が面白いのかにっこり頬を緩めた。
 きっとコイツ、何をやってもこうして笑うんだろうな。今は。今だから。
 それは僕にも移って、頬を柔らかくさせた。

「じゃー、花火いきましょー!」
 鳥束は威勢のいい掛け声を上げると、噴き出し花火を地面にセットした。
「本当は派手な打ち上げもの買いたかったっスけど、この辺りは木も多いし燃えちゃまずいですからね。でもこれも結構迫力あるそうなんですけど」
 どうかな、どうかな。
 ちょっと不安そうに小首をかしげ、鳥束は点火した。
 二人で固唾をのんで見守るその前で、筒から勢いよくシュワワーっと噴き上がった。家庭用にしては、中々景気がいいじゃないか。
「おーすごいすごい、やったー! よっし、花火大会の始まりっス!」
 鳥束は手持ち花火を一本渡してきた。
 アイス片手に花火パーティー開始。
「んー……うおー、オレのバリバリすげー!」
 やたらバチバチ音の出る花火で円を描き、鳥束は嬉しそうにアイスをかじった。
「あ、美味い! ねえ斉木さんもひと口」
 どうぞと、反対側の角を差し出される。
 赤、緑、黄色に移り変わる花火を楽しみながら、僕はかじりついた。
「ね、美味しいっしょ!」
 うん、いたって普通のバニラ味なのに、いつもの倍美味しく感じるな。
 お返しに自分のも口元に持っていく。
「えっお」
 鳥束は目をぱちぱちさせた。
 いつもはこんな食べ方しない。自分のはひと口だってやったりしないけど、こんな時くらいいいだろ。
 お前からもらったひと口、美味かったから。
 でも僕のだって負けてないぞ。そら、何の変哲もないチョコ味だ。
 それでもこんなに美味しいのは、きっとな鳥束、今この時だけだと思うから。
「うわっ、いんスか、いんスか」
『さっさとかじれ』
「うっわ貴重だー、斉木さんからひと口、いただきます!」
 うまーい!
 叫ぶ鳥束に顔をしかめつつ、僕は喜んだ。
 いくら教える事が出来たって、こうして交換なんて出来ないだろ――ああなんてみっともない自分。鳥束の見てないところで、そっと自分にへの字口になる。

「斉木さん斉木さん、次こっちつけてみましょ!」
 別の花火を渡される。
「あ、エビ焼けたエビ、はいどーぞ」
 取り皿に二尾乗せられる。
「はい、お野菜もちゃんと食べるんスよ」
 そこにアスパラ、ナス、トマトが追加される。
「ごはんもないとっスよねー」
 パエリアがよそわれる。
「ジュース足りてます?」
 コップに新しく注がれる。
 鳥束も別の花火を点火し、うおーっと歓声を上げた。
 それでますますへの字口になって、それから笑って、僕はお返しに奴のコップを満たしてやった。

 食べごろに焼けたお高い塊肉にかぶりついて、具沢山のパエリアに舌鼓打って、ちょっと焦げ目のついた野菜を噛みしめて、僕らはバーベキューを心行くまで堪能する。
「あー斉木さん、アイス二本目いいなあ」
 わざとらしく指をくわえ、鳥束は首を伸ばした。
『お前も食べればいいだろ』
「んんん−、お腹冷えないかなー」
『大丈夫だろ、お前そんなに胃腸弱くないし、胃薬持ってきてるんだろ』
 せっかくの旅行だ、遠慮せず食べたいもの食べろ。
「ん−……よし、そーしよっと!」
 ま、何かあったら見てやるから。
 めんどくさいけど。
 と思っていたら、僕の持ってたアイスをかじられた。
『きさま……!』
「まーまー、斉木さんには、オレのひと口あげますから」
 鳥束は軽やかな足取りで自分のアイスを取りに行った。
 っち、さっきの交換で味をしめたか。
 やるんじゃなかったなあ。何の変哲もないバニラ味がひと口減ってしまった。こうなったらお前のチョコ味――。
『半分はもらうからな』
「あはは、さすがにお腹壊しちゃいますよー」

 奴のチョコ味を少し大きめにかじり取ってやったら、泣き真似しながらチラチラ見てくるので、仕方なく合わせ胸を張る演技で乗ってやった。
 炭火の状態がだいぶ落ち着いたところで、マシュマロを焼き始める。そのまま食べても充分いけるが、板チョコと共にクッキーにはさむと更にいける。バーベキューならではの美味さだ。
 マシュマロ甘い、チョコ甘い、クッキー甘いつまりカロリーがとんでもねえ。罪な美味さなのだ。まあ僕はいくら食べても太らないし、甘いものは無制限なので、一個で充分っスとにこやかにお断りする鳥束の前で、三つも四つも食べるのだが。

 粗方食べた頃、星空を眺めていた鳥束が、急に泣き始めた。
 なんだ、やっぱり腹痛になったか。
「や、違くてーへへ」
 鳥束は泣き顔を隠すように慌てて背を向けた。
 本当に違うのか?
 内臓を視る。うーん、特に異常はないようだが、僕は医者じゃないからなあ。
「ほんと違うんス…あの……ちくしょ…自分でもなんでか……わかんないっスけど」
 泣きながら、鳥束は抱き着いてきた。
 斉木さんといるって思ったらあんまり幸せで、そう思ったら涙が止まらなくなった。
 鳥束の全身がそう訴えてくる。
 やれやれ、僕がいても泣くのかお前は。この甘ったれめ。
「すんません……腹痛とかじゃないんで、ほっといてもだいじょぶっすよ」
 震えた声で無理に笑うな、馬鹿。
 それに、ほっとけっていうなら抱き着くのやめろ。
「ああ……すんません」 
 だからって、素直に手を下ろす奴があるか。

『鳥束、いいもの見せてやるから、泣き止め』
 引っ張り立たせ、ぐすぐすする顔に小さく笑いかける。
「うー……斉木さぁん」
『おい』
 お前、無駄にでかいんだから全力で覆いかぶさるのやめろ。
 まあ簡単に潰れたりはしないがな。
 僕は抱き合ったまま空中浮遊で湖の中央へと向かった。
「お、お、わぁ……」
『そら、見てみろ鳥束、星空だぞ』
 背中をぽんとたたく。
 こうすれば波も起こらない、湖面の星空をじっくり観賞出来るぞ。
「斉木さん…斉木さん……」
 駄目か。よけい泣かせることになってしまった。
「だいじょぶ……み、見えてますから」
 ひっく、ひっく。
 しゃくり上げながら、鳥束は笑った。
 そんなに泣いてちゃ見えないだろ。
「見えますよぉ…斉木さんが、オレの為にしてくれてんスから見えないわけがないっす……」
『……そうか』
 じゃあ、よしとするか。

 満天の星空の下、恋人同士かたく抱き合う。
 とてもロマンチックに見えるが全然そんな事はない。
 お互い腹が出っ張るほど食べたからな、それが今も相手を押してんだ。膨らんだ胃袋がぶつかりあってる。
 しかも揃って煙臭いし肉臭いし、僕はげっぷが出そうだし、鳥束は飲み過ぎでトイレ我慢してるし。
 全然ロマンのかけらもない。笑っちゃうね。
 でもそんなのが、旅の思い出なんだ。
 最高じゃないか。
 僕は遠隔でカメラを引っ張り寄せ、自分たちを撮った。
 この気持ちごと残りますようにと祈りながら。

 

 

 

 四日目 八月某日
08:00 朝食 混ぜないスクランブルエッグ、サラダ、カップヨーグルト、牛乳、コーヒーゼリー
・・・


 最終日の朝。
 このコテージで食べる最後の食事は、鳥束のリクエストもあり前回作った混ぜないスクランブルエッグ。
『報酬は?』
「はい、こちらで」
 ス…っとコーヒーゼリーが差し出される。
「足りないようでしたらこちらも」
 また、ス…とコーヒーゼリーが出てくる。
「あとこちらも」
 ス…三つ目だ。
 ぐっ。
 とうとう決壊する。
『わかったわかった、作るよ』
「やぁったー、斉木さん大好きっ!」
 くそ、こんな下らない事で笑わせるとは、鳥束の癖にやるじゃないか。

 そんな茶番を経て出来上がった最終日の朝食。
 鳥束はやっぱりバシャバシャ撮りまくっている。僕はそんな鳥束を撮る。
「あー、嬉しいなー。これほんっとうに美味かったんで。今日もきっと絶品っスよー」
 そうだといいな。
『そら、撮るのもほどほどにいい加減席につけ』
「はいっスー」
 いただきます
 二人で手を合わせる。

「やっぱり…うまーいっ!」
 ほっぺた落ちると絶賛する鳥束に心の中で胸を撫で下ろし、僕はカメラを構えた。
 パシャ。
「あんっ…変な顔してませんでした?」
『してないしてない』
 適当に返事をする。
「まあ、くるかなーとは思ってましたけど、それも吹き飛ぶ美味さでもう、あっはは」
 すっかり慣れたもので、鳥束は白い歯を見せて笑った。
「でもあれ、斉木さんもすっかりタイミングわかるようになりましたね」
 写真、撮り出すと面白いでしょ。
『ああ。お前の間抜け面コレクション、中々ハマるな』
「あっは、んもー。オレはちゃんと、可愛いコレクションっスよ」
 ふん、僕だって同じだよ。絶対言わないがな。

 食べながら僕は、窓の外を指差す。
「ええ、今日もいい天気っスねー」
 湖もキラキラ光って、気持ち良い朝だと、鳥束は外を眺めた。
『向こうに、山並みが見えるだろ』
「ええ、はい」
『あのやや右寄りの中腹に、温泉が湧き出てるんだが、旅の記念にどうだ?』
「えっ、斉木さんと二人きりで温泉っスか!」
『二人きりかどうかはわからん。かなり行きにくいしこの季節だから無人だとは思うが、保証はない』
「ああ……あでも行きたいっス!」
 二人きりでない事に一瞬ガッカリして、持ち直して、鳥束は快諾した。

「わー、すごいすごい、本当に温泉っスね! おー、コテージがあんな小さく!」
 この距離一瞬とか、やっぱり超能力者いいわー。
 大はしゃぎで温泉の全景をカメラに収める鳥束を横目に、僕はさっさと温泉に浸かった。
 おい、いつまでも写真撮ってるな。股間のものがブラブラ見苦しいんだよ。
「あ…コテージよりちょっと肌寒いかも」
 そうだろ、だからさっさと入れ。
『風邪なんて引いて僕の手を煩わせるなよ』
「はーい」
 鳥束は小脇に抱えた服を岩の上に置くと、では失礼してとおしとやかにつま先から入ってきた。
「あー…うんー……うぁきもちいい〜」
 気持ち悪い声出すな。
「ええー、だって…とろけるー」
『夏の温泉もいいものだろ』
「いいっす〜…斉木さん、こんなの年中入ってるんスね。うらやましい〜はあ〜」
 ばしゃりと顔に湯をかけ、鳥束は大きく息を吐いた。
『まあそうでもないぞ。年々行ける場所が減っていってるしな』
「え、どういう?」
『以前は、知る人ぞ知るで僕も行きやすかったが、テレビで紹介されるとたちまちどっと人が押し寄せて、途切れなくて、気軽に行けなくなる』
「ああ、ああ〜そういう、なるほどね」
 僕は、温泉に浸かりたいのもそうだが、一人で静かにくつろぎたいんだ。
 鳥や森の動物たちの心の声なら構わないが、それ以上は疲れるんでな。
「ふーん……オレも、疲れます?」
『お前が一番疲れるんだよ』
「えっ……やっぱりスか」
『ふっ。今頃わかったか』
「さーせん」
 鳥束はわざと口をすぼめて俯いた。
『でもな。お前が一番癒してくれる』
 突き出した唇を親指で押して引っ込め、僕は笑いかけた。
「ん−もー、斉木さん大好き!」
 ばしゃっと湯を波立てて、鳥束が抱き着く。
「一杯癒して差し上げますからね」
『じゃあ離れてくれます?』
「もぉ、照れ屋さんなんだから」
 頬にぶっちゅと唇を押し付けられる。
 傍の梢に止まっていた野鳥がそれを見て、お盛んねと飛び立っていった。
 なんてこったい。

「蝉の声聞きながら温泉って、不思議な感じしますね」
『そうだな。でもたまにはいいだろ』
「ええ、すっごい旅の思い出になります」
 ところで、と鳥束は自分たちの服を指差した。
「やっぱりこんなとこまで、誰も来ませんよ。持ってこなくてもよかったんじゃ?」
 あれ、万一見られた時のカモフラージュでしょ。
 ああそうだな。でも念には念を入れてだ。
「もー斉木さぁん、そんな難しい顔してないで、イイことしましょ」
 旅の思い出に。
 鳥束が身体をすり寄せてくる。
 実は自分もそのつもりだった――が。

 ――ほんとーにこっちであってんスか、よっさん!
 ――あたぼーよマサル!

 あーあ。
 そんな予感がしてたんだよ。僕は白けた眼差しで頭上を振り仰いだ。まあでも今回は着いてすぐじゃないから、そう慌てることもないか。
『帰るぞ鳥束、服忘れるな』
「えっ……」
『続きはコテージに戻ってからだ』
「えへ……」
『気持ち悪い顔すんな』
 二人して素っ裸で服を引っ掴み、手を繋ぐ。
 コテージに瞬間移動だ。
「わっ……とと」
 木洩れ日注ぐ屋外から薄暗い寝室へ、目が慣れずたたらを踏む鳥束。支えてやると、意思を持った腕にベッドへ押し倒された。
 続き、続き、続き!
 はーあ…わかったわかった、ちゃんと付き合ってやるからその鼻息やめろ。
 僕だって、羽目を外して屋外でやってみたかった。一度くらい、思うくらい、罰は当たらないだろ。
 だが結局叶わずか。仕方ない、次に期待するとしよう。
 近付いてくる鳥束の顔に目を閉じる。
 なんともグダグダだが、それもいい思い出になるな。なあ、鳥束。
 唇が重なる寸前、僕は小さく笑った。

 

 

 

 四日目 八月某日
10:00 コテージ出発
12:00 昼食
13:00 お土産、散策
14:00 ホームに集合
14:12 某駅出発
・・・


 忘れ物を確認して、コテージに鍵をかけ、数歩進んで振り返り感傷に浸ったオレだが、バス停までの道のりでそれらはすっかり吹き飛んでしまった。
 だってやっぱり遠い、長い、暑い!
「はー、やっと着いた」
 バス停にある簡素なベンチにどっかと腰かける。
『なんだ、年寄りみたいに』
「だぁって、誰かさん満足させるの大変でぇ」
『はぁん』
「あ、あ、ごめんなさい、怖い笑みやめて!」
 ちょっとあの、ジョークジョーク。
 でも…ベッドの中であんあんよがる斉木さん…ぐふ、サイコーに可愛かったなあ。
 ついさっきの出来事だ、オレは思い出しながらフガフガ鼻を鳴らした。
 パシャ。
 しまった!
 だらしない顔のままオレは凍り付いた。だらだらと冷や汗が流れる。
『見ろ鳥束、いつもの、最高のお前が撮れたぞ』
「……すみませんでした!」
 そいつはさすがに消して下さい!
『やなこった』
「け、消して下さいよ〜」
 やだ、消して、やだ、消して、わあわあやっているとバスがやってきた。
『ほら、お外では静かに』
 くぅ〜、何がお外だよ。
 でもその通りなので、オレは思い切り奥歯を噛みしめ仏頂面でバスに乗り込んだ。

 駅に向かうバスは人もまばらで、オレたちは一番後ろに陣取った。
 斉木さんはカメラを取り出し、今回の旅行で取った「名場面」を見返していた。
 景色を撮ったもの、ご馳走を映したものはいいが、半分以上オレのド間抜け面で、とてもじゃないが見るに堪えない。けれど斉木さんはとてもご機嫌で、時々オレに見せてきちゃ『見ろ鳥束、最高の一枚だ』とわざとらしく肩を揺すった。
 えーえーそうですね!
「んっとにもう……でも」
『ん?』
「楽しかったです。すっごく」
 思い出したくないダメダメなオレもありましたけど、それもひっくるめて、今回の旅行も最高に楽しかった。
 ありがと、斉木さん。
「あ、今の、綺麗な涙出そうなオレなら撮ってもいいですよ」
『絶対やだ』
「なんスかその顔〜、撮りますよ」
『いい度胸だな』
 もお〜脅しっこなし!

 ランチは、名物の海鮮丼が安く食べられるお店でいただいた。
 味噌汁がおかわり無料とあって、でもまずやってきた丼のあまりの迫力に「こりゃおかわりは無視っぽいっスよね」と、斉木さんと半分笑顔半分ショックで言い合ったんだけど、あんまり美味しくて二人しておかわりしちゃいました。
 二人してお腹きつきつでお店を出たんだけど、気分最高だった。
 その後は腹ごなしも兼ねてお土産屋巡り。
 始めは並んで見て回ってたのに、気付いたらいつの間にか斉木さんいなくなってて、あれあれどこだと泡食って探したら、なんとあの人店頭でソフトクリーム食べてらした。
 さっきお昼であんなに食べたのに、甘いものの入るとこは別なんだな。
 オレはぴったり歩みを止めてまじまじ見つめちゃったよ。そしたら、食べたら行くからお前は土産選んでろ、て睨まれた。
 はい、了解っス。
 で、無難なお土産を選んでレジで精算していたら、いつの間に買い物終えたのか紙袋下げた斉木さんがちょっと離れたところに澄まして立ってるのが見えた。
 買い物もそうだけど、ソフトクリーム食べ切るのもはえーっスね。
 オレ、おつり受け取りながら三度見しちゃいましたよ。

「早いっスねえ」
『お前の方は、もういいのか?』
「ええ、ばっちりっス。時間も丁度いい頃合いっスから、ホームに行きましょうか」
『そうだな』
「斉木さんは何買ったんスか?」
 ちょろっと覗いて目に入ったのは、お酒の箱だった。
「……ああそっか、パパさんにっスね」
『カメラを借りたので、仕方なくな』
 言葉通り、斉木さんは見るからに渋々って顔をしていた。
「ははは、そんな事言っちゃ、パパさん泣いちゃいますよ」
 めんどくさいってのを前面に押し出した表情で、長いため息を吐く斉木さん。
 オレは、超能力なんて持ってないけど、それがこの人なりの愛情表現だってのは見て取る事が出来た。
 そうやって察したオレに、斉木さんは『ちょっとでも口にしたら即ひき肉にする』って目付きを寄越してきた。
 そんな顔しないで下さいよ、オレも似たようなもんなんスから
「オレも、カメラ借りた兄さんとかそうだし、寺のみんなや住職だって何かと迷惑かけてるし、親父とお袋にも、ねえ、ご機嫌取りーみたいな?」
 真面目に言うのは照れくさくて主義に反するので、オレは出来る限り笑ってごまかす。目の前のこの人にそんなのはつゆほども通用しないけど。
 呆れた目を向けられるかと思っていたが、斉木さんは意外にも穏やかに笑って応えてくれた。
 ああ、弱いなあ。
 好きだなあ。
『煩悩クズに好かれるなんて、本当に災難だ』
「災難て言いながら、なんか嬉しそうっスね」
 一回ムッとして、それからふんってそっぽ向いて、斉木さんはスタスタ行ってしまった。
「待って下さいっス〜、どうしてもツッコミたかったんスよ〜」
 嬉しかったから。
 早足で追いかけると、斉木さんはエスカレーター乗る手前で立ち止まってくれた。そしてオレを振り返って、振り返って…やれやれって顔するかと思ったら穏やかな微笑みとか何あれ、めちゃめちゃ天使!
 はぁ〜んて心の中で悶絶していると、パシャっと撮られた。
 いや〜ん、斉木さんのコレクション増えちゃった。
 オレは顔で笑って心でも笑って、急いで駆け寄り隣に並んだ。



 ――まもなく終点に到着します、どちら様もお忘れ物には……
「……ふがっ!」
 車内アナウンスでオレははっと目を覚ました。
「……あー寝てた」
 乗って間もなくは、今回の旅行のどこがこうだったどこがああだったと、斉木さんも珍しく話に乗ってくれたからすごく盛り上がったのだが、その後がっくり眠ってしまった。
 しかも斉木さんにどってり寄りかかって。さぞ、重かった事だろう。しかも最悪な事に、口の端からその、垂れてる感覚がして、オレは一気に青ざめる。
「…やべ、斉木さん、オレよだれ垂らしてませんでした?」
『してたぞ。大口開けていびきかいて、その上よだれまで。お陰で僕の右半身べちょべちょだ。クリーニング代出せよ』
「えっ……あっはい!」
『冗談だ。そら、降りる準備をしろ』
「はっ……ああ、ハイっス」
 窓際に広げていたお菓子類をリュックに詰め、ジュースの空き缶や食べたお菓子のゴミを袋に分別する。
「はぁ……」
 これでほんとのほんとに終わりっスね
 心境は、帰りたくない九割帰ってばったり大の字になりたい一割だった。


 駅で斉木さんと別れ、そこからオレはなんとなく早足で家路をたどった。道中、顔なじみの幽霊たちが手を振ってくれるが、そのどれにもオレは曖昧に応えて、無言で、そして部屋に戻った。
「はあ〜」
 畳の上にどっかと座り、そのままばったり後ろに倒れ込む。
 終わった。
 終わってしまった。
 家に帰るまでが遠足、とうとう終わってしまった。
 寂しさと、ホッとした気持ちとが、奇妙に入り交じる。
 オレは仰向けになったまま十分ほど過ごし、のろのろ起き上がって、荷物の整理に取り掛かった。

 洗濯物を放り込み、部屋に戻ったオレは、いの一番にテーブルに出した旅のしおりを改めて手に取った。
「あれ……」
 そこで奇妙な違和感に見舞われる。
 あれ…こいつ、こんな分厚かったっけ?
「いやっ……!」
 オレは目を瞬いた。
 違う違う、これ、間違いなく変わってる!
 変わってるのは――
「最後の白紙!」
 オレはバッと開いた。
 そこには、沢山の写真がちりばめられていた。
「え、えっ……」
 オレはキツネにつままれた気持ちで、しおりに見入った。

 受け取った時、この最後の見開きは間違いなく白紙だった。
 書く事が尽きたからって、白いまま寄越されたんだ。
 でも今は、オレたちの大事な思い出で一杯になっている。

「いつの間に……」

 適当な造りに見えた旅のしおりは実は、こうして旅行中に撮った写真を貼って初めて完成するものだった。
 だから、白紙だったのだ。
 斉木さんてば、それに感付かれないようわざと適当に見せたんだ。
 それに気付いたオレは、込み上げてくる涙をとめられなかった。
 オレ、今回の旅行で泣いてばっかだな。
「なにこれ〜……」
 ニクイよ斉木さん、なんてニクイ事してくれんの
「ひくっ…うっ…うっ……」
 やだやだ、泣くのいやだって、涙でよく見えないじゃないか。
 オレのバカ丸出しのバカ笑いも、ドがつくほど間抜け面も、斉木さんの得意げな顔も、カッコ悪い日焼け跡も、乾杯も、バーベキューパーティーも満天の星空もキラキラの湖面も全部全部、オレと斉木さんの三泊四日が全部ここに詰まってる。
 しかもご丁寧に、ちょこちょことコメントが加えられている。
「はは…斉木さん節炸裂だね……あっ! これこの爆睡、帰りのか?」
 時間にすればついさっき、列車の中で撮ったものまでプリントしてあるとか、あの超能力者マジパねえ!
「さいきさん……」

 斉木さん、最初しおり見た時、アンタらしい手抜きだなとか思ってしまってごめんなさい。
 こうする為の白紙だったんスね。
 なんて粋な事をしてくれる。最高の恋人だよ。
 アンタに、こんなサプライズ仕掛ける才能があったなんて、オレ知りませんでした。
 こんな遊び心持った人だなんて、こんな、こんな――!
「まったく……アンタには敵わないっス」
 オレだって、今回の旅行目一杯盛り上げる為にない頭捻って色々計画してあれこれ道具買ったりしたけども、やっぱり斉木さんには敵わないんだな。
 悔しくてそれ以上に嬉しくて、しおりを胸にため息を一つ。
「ずっとずっと大事にします。今度の旅行、すごく楽しかったです、斉木さん」
 ぽつりともらすと、『僕もだ』とテレパシーが頭に届いた。

 それでオレはまた一粒涙をこぼすのだった。

 

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