こんな時には

 

 

 

 

 

「だからね、斉木さん、ビリビリキューン!…てなったんスよ」
 聞いてますかと、向かいの席からこっちまで唾を飛ばさん勢いで鳥束は語る。
 ふーんと喉の奥から適当な音を出して聞き流し、僕はコーヒーを啜った。

 待ち合わせ場所に来る途中すれ違ったお姉さんの何気ない仕草に、舌の先まで痺れるようなときめきを味わったんだと。

 鳥束は更に言葉を続ける。
 やれ、自分のクラスの誰それちゃんの笑顔にときめくだの、真夏の女子の肩にときめくだの、膝上何センチのスカートがどうのきびきび歩く後ろ姿のふくらはぎがどうの、とても滑らかに言葉は紡がれていく。そのどれにも、僕はこれっぽっちも共感できない。
「不意の仕草にドキッとするとか、ですよぉ」
 ですかぁ。
 残念ながら、僕は行動の一歩先…どころか二歩三歩先までわかってしまうんだ、実況どころか予告されてはときめきもくそもない。
 心臓がドキドキする状態か、まあないこともない。
 燃堂とか虫とか。あいつらくらいだな、僕の心臓の寿命縮められるのは。

「はー、曲がり角で美少女とぶつかるとか、さあ」
 まだ言ってるよ。
 やれやれ、そいつはどこの少女漫画ですか。

 付き合いきれん、コーヒーゼリーパフェに集中しよう。。
 ここは、某駅地下街の一角にあるコーヒー専門店。コーヒーゼリーが美味しいとの評判を聞きやってきたのだ。
 夏休みになったら行こうと思っていて、密かに指折り数えていたら幽霊経由でその事を知った鳥束が「オレも一緒に行くっス!」と邪魔を仕掛けてきた。

「邪魔とかひどいっス、ね、デートを兼ねて行きましょうよ」
 一人静かにコーヒーゼリーを味わうつもりだったので、ついつい唇の端がひん曲がってしまう。もうだいぶ誰かと一緒は慣れたはずなのに、いまだに反射でしかめっ面になってしまう。自分でも好ましくない癖だと思っていて、治したいと思っているが、どうも鳥束相手だと遠慮が無くなってしまうようだ。
「まー、あれ、気の置けない仲ってことっスよ」
 ますます口の端が下がる。
「もー、そんな顔しちゃ可愛いお顔が台無しっス」
 戻して戻して。鳥束の揃えた指先が顔に触れる。あ…触れるのは僕、平気だな。鳥束限定で。
『やれやれ仕方ない…けど自分の分は自分で出せよ』
「もちろんもちろん、なんなら斉木さんの分もお出ししますよ。あの、臨時収入があったんでね」
『なんだ、またあくどいやり口で金儲けしたのか』
「なっ、ち、違いますよちゃんとしたバイト代っス!」
『ふーん。なら、お言葉に甘えるとするか』
「ええ、甘えて甘えて。で、いつ行きます?」
 ガンガンに冷房を利かせた部室で、一つの雑誌を両側から覗いて、奴は乗り気で僕はそれほどでもなくまあでも悪い気はしないから、約束を取り付けた。

 そんなこんなで今日、一緒に件のカフェを訪れたというわけだ。
 着いて早速、舌がそれ一色になってるから何はなくとも「コーヒーゼリー」をと思ったが、ここのカフェ、にくいというか嬉しいというか、シンプルなコーヒーゼリーの他に、パフェとサンデーも取り揃えていた。
 なんだと――!
 パフェは、よくあるフレークでの底上げはしておらず、間にサンドされたミルクゼリーの分量も絶妙で、コーヒー風味の生クリームの盛り付けも少なすぎず大げさすぎず、僕からしたらほぼ完璧なのだ。
 そしてサンデーも、上に乗ったアイスはもちろんコーヒー味、そこにちょこんと乗った生クリームもコーヒー味、そっと添えられたメレンゲクッキーもコーヒー味とコーヒー尽くしときている。素晴らしいのひと言。
 さて、パフェとサンデーのどちらを食べるか…答えは、どちらも食べるだ。
 当然だな。
 シンプルなコーヒーゼリーは、またの機会に取っておこう。この暑い中、遠路はるばるやってきたのだ、冷たいもので身も心も癒そうではないか。まあ、僕は暑さ寒さ知らずだけども。
 という事で僕は、単純にメニュー表に乗ってる上から順番に、コーヒーゼリーパフェを注文した。

 ああ、食べてしまった。
 なんというか…とても充実した時間だった。
 この店、家の近くにあったらいいのにな。
「斉木さん、今、この店近所にあったらいいのに、そしたらオレに毎日奢らせて通うのに――とか、考えてるでしょ」
 なんでそう的確に当てるんだお前、どこの超能力者だこら。
「当たりっスか、へへ、すごいねオレ。伊達に長く斉木さんと付き合ってませんね」

 付き合いきれん、トイレに行こう。
 サンデーに挑戦するのはその後だ。
 僕は冷え切った眼差しを鳥束にぶつけ、席を立った。
 トイレは地下通路を行った先にあるのでそこへ向かう。
 そういえば、奴にサンデーも食べるって伝えてなかったな。
 まあ戻ってからでいいか。

 用を済ませ、コーヒーゼリーサンデーが待ってるとウキウキした足取りでカフェを目指していると、思わぬ衝撃に見舞われた。
 顔面から誰かに突っ込んだのだ。
「っ……!」
 この僕が、曲がり角でドッカン衝突だと!?
 ありえないありえない!
 だが現に誰かと正面衝突した。
 本当にありえないんだ、テレパシーで周囲の人間の行動を把握出来るのに、こんなこと。
「お、いって…お、相棒じゃねーか!」
「――!」
 声を耳にした途端心臓がぎゅっと縮み上がった。
 ……ほらな、僕の命を左右するのは、GかNくらいなんだ。
「こんなとこで会うなんて奇遇だな、お! というわけでラーメン行こうぜ、お!」
 いや行かない。
「お、先約……おお、シュゴレー君とデート中か、そりゃ邪魔しちゃわりーよな」
 え…まだ何も喋ってないんですけど。え、僕そんなに顔に出てた?
 あと、お前なら「三人でラーメン行こうぜ、お!」くらいのこと言いそうだが、意外にも配慮出来るんだな。
 そんな事を考えていたらようやく心臓のドキドキが収まってきた。
「じゃーまたな」
 燃堂は片手を上げ、大股で歩き去っていった。
 じゃあ僕も戻ろうとカフェに顔を向けると、斉木さん、大丈夫っスか、と、窓際の席からその様子を見ていた鳥束が呼びかけてくる。
 ああ……なんとか大丈夫だ。

 店内に戻り、ドサッと腰かける。
 はぁ……。
「災難でしたね」
『まったくだ、あんな「ときめき」はいらん』
「あはは」
 むか。
 笑っちゃ悪いけどって顔で笑うな、馬鹿束。
 席を立ってる間に交換されたのだろうなみなみのお冷をぐいっとあおる。

「さっきオレ色々挙げましたけど、毎日の中で一番ときめくのは斉木さんと過ごしてる時っス」
『調子いい事言い出したよ』
「ホントっスよ」
『はいはい、むきになるなよ』
「むきにもなりますー、あのね、よく、雷に打たれたようなってあるじゃないっスか」
『お前、本もろくに読まない癖によく知ってるな』
「知ってますよそれくらい!……じゃなくてあのね、そういう驚きをね、斉木さんはくれるんですよ。驚きとか、ときめきとか、斉木さんが。オレに」
『嫌なのか?』
「そんな話してないでしょーが!」

 もー。あーあ、斉木さんにもそういう時があったらいいのに
 とっても素敵な事なのに
 こう、胸がときめいてね、きゅーんて甘酸っぱくなってね、すーごく幸せになるんですよ。ついでに寿命も延びる!
 ウソじゃないっスよ、ほんとのほんと

 嘘吐き
 熱弁する鳥束を斜めに見やり、心ひそかにぼやく。
 僕にだってあるんだぞ。
 雷に打たれたような――だと?
 思いも寄らない強い驚きを受けた時に使われるものだ。
 思いも寄らない強い驚き…僕もそれなりに体験している。
 さっきの遭遇もかなり僕を脅かした、やはりあのバカは色々突き抜けている。
 そしてそれ以上に規格外な出来事があった。
 超能力で人の心が読めて、一歩先どころか二歩も三歩も先読み出来てしまうこの僕が衝撃を受ける、相当の事だ。
 その、相当の事を、お前はしたんだ。

 あの手紙を受け取った時――
 お前が目の前に現れた時――
 お前の見る世界を見た時――

 僕がどれほどの驚きを受けたか、わかるか?
 甘酸っぱいなんて、そんな生易しいものじゃない。

 そして、つい昨日だ。
 長い事見て見ぬふりしてきたクローゼットの大掃除を、したんだ。いい加減物でごちゃごちゃ埋まっていたからな、この機会にと徹底的に整頓してやった。
 まあ、色んなものが出てくる出てくる。見るもの見るものろくでもなくて、溜息出るわうんざりするわ、散々だった。
 最後の方で、お前の手紙が出てきた。
 そうしたらどうなったと思う?
 受け取った瞬間の衝撃がぶわっと蘇って、ちょっと髪の毛逆立った。
 あれはたしかにときめきと言えなくもないな。
 それから、その後。
 その後――。
 お前に会いたくてたまらなくなった。
 心がそわそわむずむずして落ち着かず、居座る妙な感情をひと言で言い表すなら――寂しいだった。

 だからお前、嘘つきだ。
 とても素敵だと?
 幸せになるだと?
 嘘つけ、吐きそうなほど寂しくてたまらなくなったぞ。
 今日になれば会えるけど、それまでの時間が長くて泣きそうになって、そんな状態に陥る自分が信じられなくてまた吐きそうになった。
 どうしてくれるんだ、え、鳥束。

「……斉木さん、なんかさっきから、視線がいつにもましてどす黒いんスけど……え、え、なんすか、オレなんかしたっスか?」
『別に…なにも』
 お前は何もしてない。してないと言えるし言えないし。
『僕の問題だ、お前は気にするな』
「えー…いやいや水臭いっスよそんな、何か悩み事なら、オレにもお手伝いさせて下さいよ」
 っち。
 お前のそれが、打算計算の上ならよかったのに。
 僕に取り入って甘い汁吸おうとする前準備とかだったら、どんなによかったか。
 なんでお前は、ゲス野郎の癖にちゃんと人を気遣ったりするんだよ。
 真面目腐った顔して。なんだよ――なんて、とんだ言いがかりにも程があるな。

 お前にだって、わずかでもいいところはあるよな。
 いくら顔が整ってても、心根が腐ってたらそれなりの顔付きにしかならない。
 心の声が聞こえる僕には、その醜悪さが何倍にも増幅して目に焼き付く。
 どれも等しく数秒で人体模型に見える僕だが、その数秒の間見る顔を見分ける事くらい、出来るぞ。
 そしてお前は、他の追随を許さないゲス野郎だけども、その一方できちんと分別を持った真っ当な部分もある。
 それゆえに心配している時の顔は何倍にもなって僕に迫ってくる。
 なまじ顔がいいだけに、僕の心臓を直撃する。

 だから困るんだよ
「はぁ……」
「え、だいじょぶっスか斉木さん、ため息つらそう」
 つらいなんてもんじゃない、不整脈かこれ?
 やたらに胸がドキドキして、痛くて甘くてどうしようもないよ、鳥束。
 お前のせいだ、責任取れ。

『手伝いか、鳥束』
「ええ、出来る事、なんでもするっスよ」
 そんな深刻な顔するなよ。
『じゃあ、コーヒーゼリーサンデー注文してくれ』
「えー!? さっきパフェ食べたでしょ!」
 鳥束は目をむいた。
「ま、まあ、斉木さんなら二つくらい軽いでしょうけど……」
 言いながら、隠れてちらっと財布を確認する。ふふ、お前のそこにはまだ充分余裕があるの、知ってるんだぞ。
(とほほ、帰りに「おかず」買ってこうとおもってたけど……仕方ない)
(斉木さんの笑顔には変えられない)
「あ、すみませーん」
 決断するや、鳥束は手をあげた。呼ばれてやって来た店員に、メニューを指差し「これひとつ」と注文する。
 すまんな鳥束、僕の寂しさを埋める為にお前の財布寂しくなってもらって。ほんとごめん☆
 鳥束は「はぁ」と切なくため息をついて、すぐに笑顔に切り替えて、ニコニコと僕を見つめてきた。
 心の声も視線も何から何まで、騒々しい奴め。

 運ばれてきたサンデーの美しい佇まいに、感動のため息しか出てこない。
 アイス、悪くない。生クリーム、悪くない。メレンゲクッキー悪くない、コーヒーゼリー…言うまでもない。
 全然嫌いじゃない。
 ああ本当に、どうしてこの店は僕の家の近くにないんだろう。
 アイスにそっとスプーンを差し入れ、口に運ぶ。
 冷たく甘い味わいが、妙にほてった身体をすっきりと鎮めていく。
 だというのに。
「良かったっスね、斉木さん」
 嬉しげに見つめる鳥束の眼差しに晒された途端ぶり返し、僕を悩ませた。

 なんだよ、まったく。
 一緒にいるのになんでこんな風に、胸が悪い人みたいに苦しくなるのだろう。
 まったく鬱陶しい。
 どうしたら解消されるんだ、これ。
 ……やれやれ。
 もっとゆっくり食べるとしよう。
 寂しさがすっかり埋まって消え去るまで、じっくり時間をかけて。
 鳥束の声を聞きながら、ゆっくり食べるとしよう。

 正面には満面の笑みをたたえた鳥束がいる。
 今日の日差しがここに移動したかと思うくらいの、暑苦しいニコニコ顔。
 そしてお喋りや思考は、蝉の大合唱にも負けぬやかましさ。

「斉木さん、この後は本屋に寄りません?」
(買えないならせめて目に焼き付けて帰りたい!)
(駅前の地下のでかい本屋か、西口のあの小さい店も穴場なんだよな)
「ゲームショップも覗いていきましょうか。思わぬクソゲー見つかるかもっスよ」
(あ、そいや、古い恋愛ゲームも結構狙い目とか、こないだの雑誌で見たなぁ)
(あーでも金が…パッケージから頑張って想像するか?)
(いや、もー斉木さんだけで充分だな)
(あー、斉木さんに舐め回されるスプーンになりてぇ!)
(夜はオレが舐め回す!)
(夜が待ち遠しいなー)

 何もかもうんざりさせる事間違いなしだが、それがどうにも心地良かった。
 おぞましさに満ちた欲望の渦も、本当には悪い気しない。随分と毒されたものだがでもだって、こんなに素直に欲しがる声を聞いては、寂しがる暇もない。
 そんな事思う必要もない。
 素晴らしくて完璧で、だからこそ反発したくなる華麗な解決方法に、僕は殊更ゆっくりスプーンを口に運んだ。

 

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