もう充分
放課後、鳥束の希望で駅前のカラオケで二時間コース。といっても鳥束が歌いっぱなしだが。 僕は気分じゃないのでパス、聞き役に徹した。あと、ちょっとだけ盛り上げ役もこなした。 今日の部屋には手持ちの鈴まであったので、マラカス、タンバリンに加えて鈴もジャリジャリ鳴らしてやった。 鳥束は負けじと声を張り上げ、顔じゅう真っ赤にして歌いきった。 最初の頃鳥束は、一人で歌うの恥ずかしいだの緊張するだの、斉木さん聞くだけなんて退屈するんじゃないかと色々心配してきた。自分でもこんなとこ来てどうかしてると思ったが、はじめの内は戸惑っていた鳥束が段々気分が乗って、のびのびと歌うようになると、自分も不思議と気持ちよくなった。 だから言ってやった、お前の変顔見るの楽しいって。 鳥束はちょっとむくれた顔のあと、照れくさそうに笑い、自分も楽しかったと伝えてきた。 これは思いの外いい気分になると知った僕は、それまで何度も断っていたカラオケの誘いに乗るようになった。もちろん、鳥束限定な。 それ以外は極力お断りしている。 時間の無駄だなと思うのもそうだし、何より拒絶反応がひどいのだ。これには自分でも驚いたが、おぞ気が走ってしようがないのだ。 鳥束はギリギリで許せる。鳥肌も立たない。二時間も無駄じゃないと思えるのだ。 「はー、気持ちよかったー」 久しぶりのカラオケ、いやー、歌った歌った。 出たところで鳥束は大きく伸びをして、ついでにあくび。さらについでにちょっと咳もした。ちらりと横目で伺う。 「じゃ、行きますか」 今日は僕のうちに泊まるので、長い夜に備えコンビニに向かう。定番と新作と両手にスイーツ持って、鳥束に無言で迫る。奴は上機嫌でカゴに入れ、他にはと聞いてきた。 今日の予定を決めた時から、奴はこんな感じだった。約束した日からずっとルンルンで、当日の今日は頭から湯気出すんじゃないかと思う程盛り上がってて、心なしか地面から浮いてる気さえする。 僕は、僕は。それほどじゃない。カラオケの誘いもいつも乗ってるし、楽器の合いの手だって毎度やってる。まあ、三ついっぺんはいつもはないけど。でも断じて浮かれてなんかいない。 お邪魔しますと上がり込む鳥束を伴って二階に向かい、部屋に通す。 入った途端鳥束は、今日も一日お疲れ様と抱き着いてきた。 うわいきなりか。まあ嫌いじゃないけども。何かを確かめるようにぎゅうぎゅう抱きしめる腕に半分酔う。もう半分は、コンビニ袋の中にあるスイーツに向いていた。 鳥束を抱き返しながら、どっちから食べようかとよだれが出そうになる。コイツは後回しな。きっと、食べてる間中騒々しい視線を向けてくるだろうがいつも通り無視だ。 すぐ盛る獣じみたコイツだが、そのくらいのマテは出来る。しないと命が危ないとちゃんと理解しているし、ただ見てるだけも好きだから、食べ終わるまでは待ってくれる。 ふふ、さて、どっちからにしよう。考えると興奮で身体が熱くなってくる。 いや…これ僕のじゃないな。とするとコイツか。 ああ、この嫌な体温は、まさか。 『熱いな』 「ん−?」 何か変スかと、鳥束は首をひねった。 「まあ、今日は一日いい天気でしたし、さっきのカラオケの興奮がまだ残ってるからじゃないっスか」 『いや、お前、やっぱり熱い』 「えー……えっ」 自覚症状ないのか。耳の下に手を当てる。一瞬鼻の下を伸ばした鳥束だが、真剣な顔で見つめるとすぐに引っ込め、奴も真面目な顔になった。 「いっスよ、別に」 それほどじゃないと手を振る鳥束に体温計を押し付ける。への字口のあと、奴は渋々熱を測った。 家の前の道路はたまーにしか車が通らず、よってここら一帯は静かな住宅街で、そんな二階の一室で口を閉じていれば、耳が詰まるようなしんとした空気が流れる。 好ましくない沈黙だなと、鳥束は中空を見据えていた。やがてピピピと電子音が鳴った。 「あー……」 数値は、尋ねるまでもなかった。鳥束の表情もそうだし、何より心の声が、ごまかしたい、でもこれも筒抜けだしな、無意味だよなと、逐一僕に語ってくる。 (38℃…かぁ) 鳥束は湿ったため息を吐いた。 「すんません……せっかくのお泊りデート」 台無しだと嘆く鳥束を布団に押し込み、脳内子守唄を送る。 長い夜を惜しむ声は次第に弱まり、やがて聞こえなくなって、眠りに落ちた事を僕に教えた。 意識のない鳥束の首筋に手を当てる。どくどくと伝わってくるリズムは速く、肌は腫れたように熱い。 不快だ、ひどく。 コイツの体温がじゃない。 気付けなかった自分が不愉快。苛々する。 コイツが泊まりにくる事が、自分にもそれだけ影響していた。不本意ながら浮かれて、今日が待ち遠しかった。口を開けばゲスな事ばかり、今すぐ消えてくれないかと思うような一生のお願いをほいほい垂れ流しつつ、頭の中は僕で一杯のコイツと夜を一緒に過ごす…ことが、楽しみでならなかった。 馬鹿みたいに浮かれたせいで、コイツの体調不良に気付いてやれなかった。くそ、予知能力があっても肝心な時に働かないんじゃゴミだ。わかっていたら、カラオケなんか行かないでさっさと家に帰したのに。 そうすればここまで苦しむこともなかっただろう。悔やまれてならない。 まあ本当に帰したか…怪しいところだが。 ああくそ、自分まで熱が出そうだ。 いつまでも触ってるからいけないんだな、風邪は移らないが、熱が伝播しそうだ。 でも、鳥束。 口元に手を持っていく。吐き出される呼気は熱く湿っていて、浅く早く、見るからに苦しそうだった。 しっかりしろ。 手のひらの温度を下げ、喉に当てる。 遠足前の園児かよ、お前。 「………」 はしゃいで発熱とか馬鹿か。お前らしいけど。 心の中でこぼしつつ見つめていると、わずかに身じろぎして鳥束は目を開けた。熱のせいで寝にくいのか、僕が邪魔したからか。 はらはらしつつ見守っていると、潤んだ目で僕を見上げ、緩んだ顔で笑った。 さいきさん、さいきさん。 嬉しいに近い感情で名前を呼んでくる。 寝ろ。身体を休めろ。明日には治ってるから寝ろ。 『僕が見ててやるから』 「うん……ありがと」 二言三言交わして、また鳥束は眠りに落ちていった。 気にかけつつ、僕もその夜は早々に眠りについた。 翌朝、途切れがちに物を考える鳥束の心の声で目を覚ました。 僕はベッドから身を乗り出すようにして様子を伺った。 聴こえてくるどの思考もふわふわしておぼつかないが、目覚めているのは間違いなかった。ただ、まだ目を閉じていたいのか、鳥束は仰向けのまま静かに横たわっていた。 すっかり良くなっていた…の一歩手前で、でも昨夜ほど寒気はしないししんどくないと、心の声が告げてくる。 僕はほっとして、洗面所に向かった。 歯磨きの合間、鳥束の軽いぼやきがつらつら聞こえてきた。 いつもの倍くらい寝っぱなしだったから、首が痛い、背中が痛い。 あっちが痛いこっちが痛いとうるさいな、やれやれ。 鼻で笑う。ああでも、ぼやく元気が出て良かったな鳥束。 部屋に戻ると、鳥束は起き上がっていた。寝っぱなしでぐしゃぐしゃになった髪を整えようと、何度も手櫛で撫でている。 『具合はどうだ』 「あー、……」 元気になったと報告したい気持ちが喉元でひっくり返っていた。声がうまく出せないのは、せっかくのお泊りデートを台無しにしてしまった申し訳なさに塗り潰されていたからだ。 「元気です……」 『だったらもっと、腹から声出せ』 「やー…その、済まな過ぎて腹切りものっス」 『やめろ馬鹿、無駄に僕の部屋を汚そうとするんじゃない』 「はは……すんません」 っち、やれやれ。 『お前が殊勝だと調子狂うな。いつも通りにしろよ』 「でも……」 布団の上で膝を抱え丸くなる鳥束。 やれやれだ。 『そら、こいつをやるから元気出せ』 持ってきた缶詰を手渡す。 「えっ……桃缶だ」 鳥束は目を真ん丸にして見つめた。 色んな心の声と共にイメージが流れ込んできた。鳥束の感情が、まるで自分のもののよう。胸がぎゅんとなる感覚に見舞われ、僕は意識して呼吸を繰り返した。 「なんで……」 なんで桃缶なのか、って? 『お前のリクエストだ、ちゃんと買っといてやったぞ』 「え、おれっ?」 オレが!? オレそんな事言った? いつ言った? 『昨夜だ。明日の朝は何が食べたいって聞いたら、お前、結構はっきりした口調で答えたんだぞ』 明日には治ってるから寝ろ。僕が見ててやるから。 ――うん……ありがと ――明日は何か食べたいものあるか? ――はい、桃缶食べたいです、黄色い方の桃 ――わかった用意しとく。じゃあおやすみ 『だからすぐ買いに行った』 「そ……っスか、あれ、夢じゃなかったんだ。えらく鮮明な夢だなって思ってたんスよ」 『まあ確かに、ちょっと怪しかったな』 「ごめんなさい斉木さん、ありがとう、ありがたくいただきます」 ああそうしろ、それ食べて早く治せ。 「うわー、何これ! 何このお洒落な食べ物!」 出されたトレイの上を見て、鳥束は大きな口を開けた。 いや、かたくなったパンにレトルトのスープをかけただけで、一見お洒落なように見えるが手抜きなんだ。すまん。 『今うちにあるもので消化の良いものを揃えたらそうなった。我慢して食べろ』 「ええっ、いえいえ、我慢なんてとんでもない…ありがたくて泣けます…ぐすっ…ああ、桃缶もなんだか、すごくお洒落になって」 やめて。もうやめて。器に出してヨーグルト足しただけだから感激するのやめて。 と、ひとしきり感動にむせび泣いていた鳥束だが、僕の分の朝食を見るや、複雑な顔になった。 「あー、オレもジャムバタートースト食べたい」 バターたっぷりしみ込んだ厚切りパンに、大口開けてかぶりつきたい、そんな切実な願いが僕の心を締め付ける。 『やれやれ、昨夜はしょぼくれてたくせに』 「あ……すんません」 たちまち鳥束は小さくなった。ちょこんと正座して、さも反省してますって顔付きになるが、心の中ではまだぶー垂れていた。 そうなると思ったから、出来るだけ落差がないよう手抜きながら豪華に見える盛り付けにしたんだぞ。え、おい、わざわざスープにドライパセリ振ったり、ヨーグルトにミント添えたり、病人食に見えないようひと手間かけたんだぞ。 まったく。 でもまあ、羨ましいのはわからんでもない。 乳児期まで遡るが、僕も覚えがある。家族がいい匂いの焼肉を頬張って心がバラ色になってる横でミルクを飲むあのわびしさ…あの時は本当に羨ましかった。まだそれほど超能力も使いこなせなかったから、大人の身体になる事が出来なくて、あれは本当に歯痒かった。 やれやれ。 『治ったらな』 「え…優しい。いつもだったらここ、うるせえ見るな変態とかわがまま言うなクズ野郎とかばっさりいくとこなのに」 おい、ちょっと言うじゃないか。まあ堪えろ僕、病人は得てしてわがままだ。 『そら、コーヒーゼリーもつけてやるから我慢しろ』 「ええっ……」 しかも自分の好物までオレにすすめてきた! 「斉木さん……優しい優しい、可愛い、うそ、え、なにこれ今日地球滅亡する?」 おいおい、それはさすがに聞き捨てならないな。 『するか馬鹿。失礼な奴だな、病人イジメする趣味はないぞ』 「うん、えへっすんません。そうですよね。わかってます、斉木さんはいつも何だかんだ優しいです」 微笑み涙ぐむ鳥束から顔を背け、僕は小さくため息をついた。 『無理するなよ、入るだけでいいからな』 「もーやめてよ斉木さん…優しさに泣けそう」 鳥束は桃缶をうぐうぐさせ、俯いた。 「あーもー、桃缶だけでもヤバいのに。あのね、これ、桃缶ね…オレにとってちょっとあの、特別なんスよ」 昔を思い出すというか。 「普段は口うるさくて厳しいお袋も、風邪の時は優しくなって、こういう時は桃缶が効くんだとつきっきりで看病してくれたの、思い出すんです」 そう、丁度今の斉木さんみたいに。 「……あーなんか、色々思い出してきたな」 喋りながら鳥束は、いくつものイメージを頭に過らせた。 熱を測るお袋の、ちょっとがさついた大きな手のひら 心配のあまりおっかなくなった眼差し ガラスの器から食べる桃缶の味 鳥束のめくる記憶は、当然ながら僕の持つものとは遠い、でも不思議と近くて、僕は思わず伝えていた。 『僕にも覚えがある』 「え。……でもアンタって、風邪知らずじゃなかったでしたっけ」 『ああ、生まれてこの方風邪一つ引いたことがない…というのはちょっと嘘。ちょっと盛ってる』 「えっそうなんスか」 素直に頷く。 今でこそパイロで撃退出来てるが、対処法がわからなかった幼児の頃に数回、ウイルスにやられている。 わかってからは風邪知らずだ。 けれどな…実はちょっと、羨ましかったんだ。 父と母につきっきりで看病され、心配され、いつもより一つ多くおやつが食べられる兄が、羨ましかった。 真似をしてみた。 わざとウイルスを撃退せず、風邪を引いてみた。 すぐに後悔した。 しんどいからとかではなく、ただでさえ超能力者なんて扱いやら気苦労やらあって厄介なのに、その上風邪を引いて手を煩わせるなんて。 親不孝にも程がある。 自分が変わってあげたいと一心に願う母の気持ちに触れ、なんて事をしてしまったのかと己をひどく嫌悪した。 僕は謝った。理由は言えなかった。ただ、謝った。 母は、風邪引いて心配させてごめんなさい、と捉えたようだった。 ちょっと怒られた。子供がそんな心配なんてしなくていい、うんと甘えていいのよと抱きしめられ、僕は泣くのを止められなかった。 それ以後、馬鹿な真似はやめた。 甘えるのをやめた。 もっとも、母さんはあの通りだから、僕が困るほど甘やかして愛情を注いでくれるけど。 今も変わらず。 「ちょっとぉ、なんスか?」 突然、ぐいっと鳥束に抱き寄せられた。 『なんだ?』 「今はオレがいるじゃないっスか。オレも負けずに斉木さん甘やかしますよ?」 お前…どこに対抗心燃やしてんだよ。 僕はあきれ果て鳥束の腕の中でぐるりと目玉を回した。 でもそうなんだ。鳥束のいう事は間違いじゃない。 コイツときたら馬鹿みたいに、いつもいつも僕を甘やかす。 「もーほら、甘えて斉木さん。今日はちょっと不調で逆にオレが甘えちゃってますけど、治ったらまたうんと甘やかしてあげますからね」 『……ふん。今日は、そうだぞ、お前が甘える番だ。いっぱい甘やかしてやるからな。倍返し期待してるぞ』 鳥束の胸におでこをぎゅーっと押し付ける。 なるほどなー。斉木さんの過去、また一つ知った。 「そういう訳で、看病もなんか心得たものだったんスね」 『別に。自分がされたのをなぞって、お前の希望を聞いて、それしかしてない』 「それが嬉しいっスよ。嬉しいんスよ。ほんと泣けまっしゅ……」 泣くのを堪えて喋るものだから変なしゃっくりが出て、たちまち鳥束は赤面した。 『記憶はもうだいぶおぼろげだし、父を看る母の真似事だから、お前に合ってるかわからん』 熱は下がったのかと、額に手を伸ばす。がさついてもないし大きくもないし、優しいとか優しくないとか、よくわからん。 ただ、そっと丁寧に触れたいと思う心に従いゆっくりさする。 鳥束を見ると、目の端がじわっと濡れていてぎょっとする。 「やだねもー、オレ泣いてばっかじゃん」 鳥束は慌てて擦り取った。 『本当に、手のかかる。小さな子供と変わらんな。あーんしてやろうか』 「うぅういえいえ、それはさすがに、あんまりあんまり」 恥ずかしさに鳥束は大慌てでお断りしてきた。けどその端から、やべもったいない、斉木さんの貴重な「あーん」は最初で最後かも!?…などと意味不明な思考のグルグルで、また熱出そうだと少し笑えた。 『やれやれ、じゃ一回だけな。ほら』 「えー……ダメだって斉木さん、マジで泣く、オレ泣いちゃうって」 『熱で弱気になるお前、見ものだな』 「なに、人の事…おもしろそうに」 『実際面白い。そら、あーん』 恐る恐る開いた口にコーヒーゼリーを流し込む。鳥束は本当に面白いほどポロポロ泣いた。 (あーやだー、記憶消したいー) (でも、こうして斉木さんに甘やかしてもらえるなんて貴重だから、忘れたくないよ) (どうすりゃいいんだ) どうもこうもない鳥束、今は黙って、コーヒーゼリーを味わえ。 時間はたっぷりある。といって有限だけどな、だから二人で思いきり使ってしまおう。 「ありがと斉木さん、大好きです。倍返し期待してて下さい」 無理してないって鳥束はスープも桃缶も全部食べ切って、すっかり元気になったと飛び切りの笑顔を向けてきた。 ああ僕は、それだけでもう充分返してもらった気がするよ。 |