朝の位置、ほくろの位置

 

 

 

 

 

「あ、斉木さんおはよーっス」
 オレの後ろを通って、斉木さんが洗面所に向かう。から、おはようって声を掛けたら「ん−」だか「あー」だか、かすれた声が一つ返ってきた。
 ありゃー、あれ半分寝てんなとクスクス笑いながら、割った卵をカチャカチャカチャ。
 斉木さんの寝ぼけが移ったのか、大きなあくびが出た。

 前はもうちょい、取り繕ってたんだよね、お互い。
 オレんとこに泊まる、斉木さんとこにお邪魔する、その夜、翌朝、いくら気の置けない仲、付き合ってる間柄とはいえ、親しき仲にもって言葉通りもうちょいしゃんとした姿を保っていた。
 斉木さんはまあ、振り返るとあんまりそうでもなかったかな。自分ちでもオレんとこでも自然体で、でも、今朝みたいにだら〜のゆるゆるは珍しいかも。
 オレはそれが嬉しい。オレはカッコつけたがりだから、恋人の目にはいいとこばっかを映したい。まあ普段が無様の連続なのでプラスマイナス「?」だけどさ。とにかくカッコつけたい。あと、昔からの習慣であんまりだらけられないってのもある。たとえば寝転がって飲み食いとか、罪悪感と違和感がひどくて、ついつい正してしまう。
 まあオレのことはいいか。オレはどうでも、斉木さんにはくつろいでほしいので、自分ちみたいにのんびりしてくださいと思うので、今朝のように「家族にする」みたいな反応が、オレはすごく、無性に嬉しかった。
 それだけ近付けたのかなって、無邪気に喜んでしまう。

 しばらくして、また後ろを通っていく斉木さん。微かにミントの香り。歯磨きしてさっぱりしたのね、斉木さん。何だろ、そんな些細な事が可愛いな、嬉しいな。
 で、部屋に引っ込んだ後、全然出てこない。
 斉木さん起きたらパン焼こうと思ってたんだけどな。あれれ。

「もう朝ご飯出来ますよー」
 見に行くと、布団にばったり仰向けになってらっしゃる。目はとろんと眠たげで、今にも瞼がくっつきそう…という間に目を瞑っちゃった。そして深いため息。
 え、ちょ、可愛いんですけど!?
 なに、顔洗って歯磨きして着替えて、でもまだ眠たいからまた寝ちゃおっと、ですか?
 じゃオレは、そんな斉木さんを襲っちゃおっと。
 じゃなくて。
「斉木さん、起きて。おーきーて」
「うん……」
 わ…眠くて少しかすれた低い声、色っぽい!
 きゅんとくるなあと股間を押さえる。
 じゃなくて。
「斉木さん、ご飯、後にしますか?」
『鳥束』
「後にされます?」
『目覚めのキス、してやる』
 ぷっ。
 思わず笑ってしまった。
 だって。
「それ、逆じゃないっスか?」
 オレが、斉木さんに、目覚めのキスするんじゃない?
『してやるからこっち来い』
「はいはい、そんなにオレ不足っスか」
 ちょっと茶化しながら横に座ると、目を閉じたまま斉木さんは思い切り口をひん曲げた。眠いのにそこは敏感に反応するって、もうこのツンデレ超能力者め。
 素直じゃない、素直じゃないと内心笑ってると、腿の辺りをつねられた。
「いって。はいはい、イタズラしないの……マジ痛い痛い!」
 アンタの手はペンチか!
「いたいってー!」

 どうにか離させ、この悪い手めと挟んで叩く。解放するとまたつねろうとしてきたので、もうおしまいとお腹に乗っけた。その後はしんとなったので、やっぱり眠いんだとおかしくなった。
『今起きる。というかもう起きてる』
 もう起きてるって、ねえ。全然目を開ける気配ないけど。
『鳥束、上唇の右側と、左耳の付け根と、左の首根っこ、どこがいい』
「んー?…ふふ、なんか面白いチョイスっスね」
『全部、ほくろがある場所だ』
「え、オレ、唇にほくろありました?」
『ああ。通常は見えないがな、僕には視える』
「ああ…へえー」
 上唇の右っかわねえ。その辺りを触ってみる。
「じゃあくちびる――」
『耳の付け根だな、よし来い』
「うぉい!」
『冗談だ』
 いたずらっ子の顔で笑って、斉木さんは上唇の端っこにちょんとキスをした。
「えへへ…ふへへ」
『気持ち悪いぞ』
「さーせん、でも、いい朝だなだって思うと顔が、たるんで」
『その顔で完全に目が覚めた、最悪な朝だな……ああ』
「もおー」
 起き上がり、最悪だ最悪だ呟きながら顔を覆うものだから、オレは両肩を掴んでぎゅっと睨み付けた。
 ほんとは嬉しいくせに。
 え、嬉しいっスよね?
 少なくとも、嫌じゃないっスよね。
 あれ、あれ?

『馬鹿か』
 何故だかふと不安になりおろおろしていると、やれやれとばかりに抱き寄せられた。
『お前が寝惚けてどうする』
「……えー、だって斉木さんが、意地悪するから」
 オレは抱き返し、ぎゅうぎゅう締め付けてやった。
『おい、変なとこ揉むな』
 背中や脇腹を掴んでたのは、ほぼ無意識だった。
「あー……」
 そんな事をしてたのは、斉木さんいるなあって実感がほしかったからのようだ。自分でもよくわかりません。

 オレ、あれ、朝目を覚まして、隣にアンタがいるの見て、なんて朝だ!…ってショック受けたんスよ。や、悪い意味じゃなくてね。なんていい朝…てのも浅いな、朝だけに。じゃなくて。このオレにこんな朝が迎えられるなんて、そんな日が来るなんてってね、そういう、物凄く信じられない体験したって意味で、ショックでした。
 好きになった人と一緒に朝を迎えられるんだ、オレでも。
 今日が初めてのお泊りじゃないんだけど、でも毎回思うのだ。
 オレはとんでもない幸せ者だよ。

「すんません、じゃあ尻揉みます」
『やめろ朝から。消し炭にするぞ』
 がっしと頭を掴まれ、そこから、体温とは違う熱を感じて、オレは慌てて身体を離した。両手を上げて降参する。あぶねえ、この人割と有言実行だからな。
「あああ斉木さん、朝ご飯、そう朝ご飯にしましょ、食べましょ!」
『……わかった、すぐ行く』
 手が離れた隙に、オレはささーっと台所に戻った。

 今朝の献立て。厚切りパンをバターたっぷりでこんがり焼いて、細切れハム入りのオムレツとサラダにスープ。
 最初の頃は朝に何を好むのかわからなくて困って、聞いて、何でもいいって言われて更に困って、がっつり和食を用意した。
 次の時は、パン屋まで走って焼き立て熱々のロールパンとか出してみた。
 この人は『何でもいい』と言った通り本当に何でもよくて、何でもどれでもどんな組み合わせでも、和洋ごっちゃでも美味しい美味しいって全部平らげてくれた。
 実際は『悪くない』って言ってんだけどね、斉木さんの『悪くない』は翻訳すると「美味しい」になるわけだから、オレは毎回、うふふーって嬉しくなる。
 だってさ、ドキドキで出したもの「美味しい」って食べてもらえたら嬉しいじゃん、全部綺麗に食べてもらえるなんてもう最高じゃん。
 次も美味しいの頑張りますよー、ってなる事間違いなし。
 本当にさ、オレがこんな朝にいるなんて、毎度毎度、夢かと思っちまうよ。

「じゃ、いただきまーす」
『……いただきます』
 合わせた手を下ろして、斉木さんが箸を取る…取らない。じっと、オムレツを見つめている。
 まあ、だろうな、限界ギリギリまでミニハート散らしましたからね。オレの愛情、受け取って下さい。ちなみに自分のはにっこりマーク。そうそう、最初の頃はこのケチャップアートつの?…えー、かなりひどいもんで、朝に不似合いなおどろおどろしい出来だったんですけど、数こなせばなんとかなるもんで、だいぶ上達してちゃんとにっこりちゃんに見えるようになったんスよ。えへん。
『お前のがまだまだマシだな』
「あーこらこら、なんで交換するかな!」
 取り換えようとするので、慌てて阻止する。が、オレはその手を途中で止めた。
 だって、そしたらさ、斉木さんから一杯ハートもらえた気分になるから。
『う、ぐ…どっちにしても地獄だな』
 気付いて斉木さんも途中で動きを止めた。
「もーなんでそういう事言うかなー!」
 めっスよ。
 斉木さんは見るからに不機嫌そうに唇を突き出し、渋々箸を手に取った。
「あ、デザートも用意してますから」
 伝えると不満顔を少し緩めて、斉木さんはこくりと頷いた。
 あらためて、いただきます。

 にっこりマークに遠慮なく箸を突き立て分断しながら食べる。うん、今日も中々の出来だ、斉木さんもこれなら喜んでくれる、今日もぺろりだな。自画自賛しながら斉木さんにふと目を向ける。うんうん、食べてくれてる、やったぜ。
 そこで、まさか…と目を瞬く。いや、まさかじゃない、意図してやってるんだ。
 へえー。
 そんな思いで食事風景を眺めていると、むすっとした顔で睨みつけられた。
「や、だって、ちゃんとハート避けて食べてくれてるんスもん」
 オレみたいに気にせずケチャップ崩したりしないで、綺麗にハートを避けて切り分けてるんだもの、嬉しくもなるってものだ。
「て言うとやるしー!」
『……ふん、ただの偶然だからな』
 たちまちひとかたまりになるオレのハートちゃんたち!
「んもー、このツンデレデレ超能力者めー!」
『うるさいぞ、食事中に大騒ぎするな』
「すみませーん」
 ヤケッパチで叫んで、また、うるさいと叱られる。

 斉木さんが、静かにうっとり食後のデザートのコーヒーゼリーをモニュモニュしている。
 オレはそれを眺めながら、自分じゃ見えないほくろの唇を指先でムニムニしていた。
 斉木さんにしか見えないとこ。ふふ。
 そう思うとなんだか声に出して笑いたい気分になった。
 さて、今日は始まったばかり。

 何して楽しみましょうか、ね、斉木さん。

 

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