無駄遣い

 

 

 

 

 

 こんなおかしな事が自分の身に起こるなんて、今までの自分ではとても考えられなかった。

 しとしとと、止まぬ雨の降る日がここのところ続いていた。
 僕自身は天気に左右される事はないが、周りの陰鬱な声には参ってしまう。
 今日も雨か、洗濯ものが、部屋が、押入れが、自分自身が、カビだらけになりそう…そんなボヤキを毎日浴び続ければさすがの僕も参るというもので、つい、空を恨めしく見上げたり。
 朝食を取りながら見ていたテレビで、お天気お姉さんが済まなそうに「今日も一日雨」と伝えてくる。もうしばらくはこんな天気が続くそうだ。
 傘を差して出る。ああ、この傘でテレパシーも防げたらどんなにいいだろうな。
 十六年間超能力者やってたって、絶えず流れ込むテレパシーを雑音と聞き流す事が出来たって、聞こえない状態にもっていくことは出来ない。
 現在、今日最後の授業が終わりに差し掛かるところ。その少し前に雨は一時止み、時折薄日が差したりしている。しかし久々の陽の光も束の間で、無情にもまた雨は降り出した。
 教室内、いや校舎内にいる生徒から教師から、怒りと嘆きが発せられ、心の内で渦巻く声は全て僕に流れ込んできた。
 疲れたな。
 何かあるわけではないが、なんとなく疲れた。
 きっと甘いものが切れかかっているせいだろう。
 こんな日はとっとと家に帰って、好物のコーヒーゼリーを食べながらテレビを見るなり読書するなり、なんの変哲もない、でもとても有意義ないつも通りの日常を過すとしよう。
 そうだ、気付かれない内にそっと靴を履き替え人けのない場所で自宅に瞬間移動してしまおう。
 それがいいとにっこりしかけて、はたと思いとどまる。
 そうか、今はそれが出来ないんだった。
 出来ないというのは別に超能力が使えなくなったとかの意味ではない。出来るは出来る、なんなら今すぐ早退だって簡単な事だ。
 でも出来ない、自分の為だけに時間を使えない。

 一緒に帰ろうと鳥束が言ったので、待っている。

 すごく面倒で苦痛で、だのに何故だか気分が良い。
 まったくおかしなものだ。

 

 

 

 

 

 放課後、野暮用…日直の仕事…を超特急で済ませ隣の教室に向かうと、中々珍しい光景に出くわした。
 燃堂とチワワ君とそして斉木さんの三人が、仲良くトランプゲームに興じているのだ。
(えー、うわー)
 思わず動きを止めたくらいびっくりした。目が真ん丸になるくらいびっくりした。
 いつもなら、斉木さんじゃなくヤス君がいるんだけどね。そんで斉木さんは、自分の席で本読んでたりするんだけどね。
 あんまり珍しいんで、入り口で足を止めしげしげと眺めてしまった。すると斉木さんから説明を受けた。
 ヤス君は今日は補習だとかで、終わるまで待ってるチワワ君が、燃堂からババ抜きを誘われ、二人でやれるかと拒否すると、んじゃあ相棒もやろうぜという事で、強引に誘われたのだそうな。
「楽しそうっスね」
 傍まで行って、手近な空の椅子に腰かける。
『嫌味か貴様』
 ひぃっ
 たちまち返ってきたぎらつく眼、這い寄る低音に、オレは尻を浮かせた。
『視えるし聞こえる自分には、こんなものただの作業、穴を掘って埋め戻す作業よりつらい。拷問と全く変わらん』
「うー…ん」 
 斉木さんのぼやきもわからないでもない。
「じゃあオレ、交代しますよ」
「お、シュゴレー君もやっか?」
「ふっ、寺生まれか…相手に不足はない!」
「お、相棒は抜けるんか?」
 斉木さんは手札をオレに押し付けると自分の席に戻り、やれやれとため息ののち、取り出した文庫本を開いた。
「まーまー、続き行きましょー、誰から、どういう順番?」
「こう時計回りで、貴様が取る番だ、燃堂」
「おー、……お? やべ、こんな時間か!」
「あん?」
 燃堂はガタガタと立ち上がり、片手を上げた。
「わりーな、今日バイトあんだったわ」
「あぁ?」
「じゃーな、相棒、チビ、シュゴレー君」
「はぁ……じゃあ」
 慌ただしく帰っていくデカい後ろ姿を二人で見送る。
 ヤス君はまだ戻らない。

「二人でババ抜き、ねえ……」
 とりあえず構えてはみるが、チワワ君もすっかりやる気をなくしたようで、口には出さないが終わりにするかとそんな空気になった。
 あ、そうだ!
 そこでオレはある事を閃いた。
 斉木さんには無理でも、チワワ君相手なら楽しめるかもと、オレは以前猛練習した超簡単なカードマジックを披露した。
 いつか恋人が出来たらこれ披露して、キラキラおめめで「零太くんすごい!」って言ってもらうのを夢に見て、切り傷こしらえるほど頑張ったものだ。
 恋人は出来たけど、何でもお見通しの怖い超能力者、全てを奪われた世界一不幸な人間と、チワワ君のお仲間みたいなセリフをもらったけど、それは設定でもなんでもなく厳然たる事実。
 ちょっとやそっとじゃ楽しんではくれない
 でも、チワワ君ならどうだろう。
 びっくりするだろうけど、素直にびっくりするのは癪だから、いつものように組織の連中のせいにするな、きっと。
 よし、今から、何て口上述べるか予測しよっかな。

 そんな事を考えつつ、集中しつつ、オレはカード当てクイズの手品を披露した。
「くっ……寺生まれめっ!」
 そうそう、チワワ君てば「寺生まれの」がお気に入りだったよね。
「貴様、おぞましき闇の力を使ってこの漆黒の翼を惑わしたな!」
 あー、惜しい、こっちの言い回しだったか。
「本当は右だとわかっていたが、脳内に錯乱攻撃をかけられては、超A級ソルジャーたる云々」
 悔しがるチワワ君に、オレは歯を見せて笑った。
 ヤス君、そろそろ戻るかな。

 その後オレは時間潰しに、手品ではないカード当てゲームを始めた。
 ババ抜きの最終局面から始めれば、二人でもまあ盛り上がるだろう。
「ふん…それなら多少は自信があるぞ。なんといっても、あの燃堂相手に相当鍛えられたからな!」
「ああー、わかる。でもチワワ君、オレもちょっと、チワワ君曰くの闇の力使わせてもらうっスよ」
「なにぃ!?」
「じゃ、はいチワワ君、エース一枚ジョーカー一枚持って。好きなだけ混ぜていいよ」
 そしてオレはエースを一枚構える。チワワ君からエースを取れればオレの勝ち、ジョーカーを取ったら延長。
「くくく、寺生まれの……どこからでもかかってくるがいい!」
 よっしチワワ君、寺生まれの力見せてやりますよ。
『お前……』
 自席で小説を読みふけっていた斉木さんが、呆れた様子でオレを振り返ってきた。
 ので、オレは慌てて「シー」と人差し指でお願いした。
 やれやれと肩を竦め、斉木さんは単行本に目を戻した。
 仕掛けは単純、近くにいる幽霊にお願いしてチワワ君のカードを見てもらい、教えてもらうのだ。
 女の子のパンツの色とかじゃないので、幽霊たちも気軽に引き受けてくれる。
 ――これと同じカードがどっちにあるか、教えてほしいっス
 小声で伝えると、短髪の若い男の幽霊はいいよとにっこり請け負い、チワワ君の背後に回って、オレから見て右手側を指差した。
 そっちね、ありがとー
「あっ……!」
「やりぃ!」
 オレの手元に来たエース、チワワ君の手元に残ったジョーカー。
 オレはにっこり満面の笑み、チワワ君は悔しさ一杯でちょい涙目。
「も……もう一回だ!」
「いいですよぉ」
 オレはカードを渡し、どこからでもかかってこいと調子付いて椅子にふんぞり返った。

 それから数回、オレは勝ち続けた。
 段々目に溜まる涙が大粒になり、ぷるぷる震えるまでになったチワワ君まじチワワ。五分やっちまいましたてへぺろなんちて。
「くそ、貴様、一体どんな技を使ってるというんだ!」
 まさか禁じられし封印を解いた云々言われたが、そこまで大げさなものじゃないから。
「今日は調子が悪いようだ、ここまでにしておくか。だがな寺生まれの! 我が手に宿りし力を解放した暁には、貴様を一瞬で灰にしてみせるからな!」
「まあまあチワワ君、もしよかったらさっきの手品、やり方教えるから機嫌直して。結構簡単だから。ヤス君に披露したら、きっとびっくりされる事間違いなしだよ」
「えっ……ほんとか!」
 途端にチワワ君はぱあっと顔を輝かせた。
 ああもう、恋する乙女眩しいね。

「………」
「……っ」
 教えてみてわかったけど、チワワ君て絶望的に不器用だわ。
 でも、全然諦めないのはすごいなと思う。
 そんなにヤス君に披露したいんだなと思うと、微笑ましくて、アドバイスもつい熱が入ってしまう。
 最初は組織の連中がどうのといい訳も多かったけど、段々それも消えて、無口になって、自分でもここをこうしたらいいのではないかとかすごく努力するのは好感が持てた。
「ああもう、頭ではわかっているのだぞ!」
「うん、わかってるよチワワ君、ちゃんとわかってる、後は練習あるのみだから!」
 素直に頷く小柄なチワワ君に、不覚にもきゅんとしてしまった。
 あとで斉木さんにぶん殴られそ。

 何度も失敗しつつ、ようやく会得したチワワ君、練習にと斉木さんに見せにいった。
 うーん、ついそこの机でやってたからネタも何も筒抜けなんだけど、そこは気にしないんだな。
 そもそも斉木さんにこれ系は取るに足らないだろうけど、そこは斉木さん、ちゃんと付き合ってあげるんだから優しいよ。
『うるさい、お前あとでコーヒーゼリー奢れよ』
(はぁい、了解っス)
 オレは、いざという時の為にチワワ君の隣に控え、ハラハラしながら見守った。
 途中ヒヤッとしたが、無事披露する事が出来た。
 自分の事以上にヒヤヒヤしたわ。
(斉木さん、お疲れ様っス)
『絶対奢れよ』
(わかってますって)
「よお、お待たせ」
 そこにようやくヤス君が戻ってきた。
「待ってたぞ亜連! 一つ。わが試練を受けてみないか?」
 たちまち恋する乙女の顔になって、チワワ君は先程のマジックを披露しにいった。

「じゃー帰りますか」
『そうだな』
 向こうの席でキャッキャとはしゃぐ声を聞きながら、帰り支度を整える。その、斉木さんの様子を、オレはじっと見つめた。
 どっから見ても綺麗な人だけど、この角度だと、斉木さんとても美人さんに見えるな。
 正面は可愛い、斜めは美人、たまらないなこの人。
 綺麗だな、好きだな…本当に好きだ。
 斉木さん斉木さん、オレの斉木さん、可愛い可愛い斉木さん、可愛くて美人で綺麗な斉木さん。
 ぼんやり夢うつつで眺め、浸っていると、斉木さんが大きく息を吐いた。
『お前、よく飽きないな。毎度毎度そんな事に無駄な時間使って』
「え……、え、ムダ?」
 ムダじゃないっスよ!
 少しむきになって言い返す。見つめる先の斉木さんの顔はほんのり朱が乗って、どう見てもその顔は――。
 オレの心の声を読んで自身の状態に気付いた斉木さんは、普段じゃ考えられないような慌てぶりで立ち上がった。
「あ、さいきさ……」
「お、じゃあ斉木、鳥束、また明日な」
 おろおろしている間に声を出しそびれ、ヤス君に先を越され、オレは慌てて後を追った。

 廊下を早足で行く。斉木さんはもっと早足だ。
 ねーねー斉木さん、そんな事ってなに?
 無駄な時間てなによ?
 アンタの事考えるのがムダって言いたいの?
 離れはしないが近付けもしない背中に思考で語り掛ける。そうだと返事があり、オレはむっと唇を尖らせた。
 なんで、何がムダなのよ!
 オレの人生で一番大切な、一番好きな人の事考えることのどこが、ムダよ!
『お前なんか、待ってるんじゃなかった』
 これも時間の無駄だと、斉木さんは叩き付けてきた。
 オレの頭はますますカッカする。
 ムダとかムダじゃないとか、バッカじゃないのあの超能力者!
 ねえ斉木さん。アンタ自分にどんだけの魅力があるかわかってんの?
 オレ、いつもそれに骨抜きにされてもう大変なんだから
 頭の中アンタの事で一杯で、いっぱいいっぱいになって、日常生活も危ういくらい、でもオレはそれを、ムダだなんて思ってない。
『このやりとりも無駄だ、時間の無駄』
 あーもう、このわからずやめ!
 本当に、全然ムダじゃないんだから。

 おい待て、オレをこんなに斉木さんバカにした張本人、そこの超能力者止まりなさい、待てって!
『うるさいこっち来るな』
 離れはしないが近付けもしない背中。
 斉木さんてばオレで遊んでるのかそれとも混乱してるのか、とっとと校舎飛び出して帰っちゃえばいいのにそれはしないで、教室棟と特科棟と行ったり来たり、階段を上ったり下りたりとにかくひたすら逃げ続けた。
 気が付くとぐるっとひと回りしてて、オレらの教室の前を通り過ぎていた。
「わかった、もうわかった斉木さん、オレの負け、完敗です、だから許して。ちょっと止まって……」
 どうにかこうにか、ようやくのこと、階段の手前で斉木さんは立ち止まってくれた。
 はあはあひいひい息も絶え絶えに追い付く。
『どうしてくれる、こんなに時間を無駄にしやがって』
「えー……」
 それは、アンタがムダに逃げ回るから。
『追いかけるお前が悪い』
「ええー……」
 そいつぁ言いがかりっっス。
 こんなはずじゃなかったのにな。もっと穏やかに、いつも通りに楽しく一緒に帰りたかっただけなのに。
「斉木さん、ね、コーヒーゼリーご馳走しますんで、それでどうか許して下さい」
『足りない』
「ええっ、だ、ダメっスか?」
『全然駄目だ』
 さっき『コーヒーゼリー奢れ』と言われて純喫茶魔美を思い浮かべていたが、どうやらそれでは不服のようだ。
 じゃあどうしましょ。他のお店、どこ行きます?
 どこがいいのだと思い付く限りを頭の中で数える。
『線路沿いの甘味処で、お品書きの見開き全品制覇しない事には収まらない』
「ちょっ……!」
 またおっかない事言い出したよこの人!
『その間お前は外で待機してろ。間違っても僕の視界に入るなよ』
 ひどい事まで言い出して、なんだろねまったく。
「何スか、そんなにオレの顔イヤっスか?」
『うるさい人体模型が』
 僕にはどれも同じだと、斉木さんは放り投げるように云った。
 むぐぐ、本当に厄介な超能力者め。
「でもでも、アンタを見る目は、他の誰とも絶対違うって自信ありますよ」
 どこの誰より、一番アンタを見てる。パパさんママさんにだって負けてない。と思う。

『わかってる』
「え……」

『だから困るんだ』
「えっえっ…斉木さん、ちょま……」
 待ってぇ!
 すさまじい勢いで階段を駆け下りていくのを、オレはぼう然と見送った。
 ジェットでもついてんのかって速さに度肝を抜かれ立ち尽くす。
 そして何より、あのひと言。
 オレは、遅れて顔をニヤつかせた。
 おっとこうしちゃいられない。
 はっと我にかえり、後を追う。
(ねえ斉木さん、斉木さん!)
(わかってるって、何がわかってるんスか?)
(困るってなんすか、ねえ)
 オレは飛ぶように階段を駆け下り、きっと玄関で待ってるだろう斉木さんに語り続けた。
 こんなに駆けてるのに全然苦しくならない、けど、ときめいちゃってもう大変。
『そのまま動悸息切れで死ね』
「物騒なのダメよ、めっ」
『うるせぇ』
 照れちゃってんの、かーわいい!

 

 

 

 

 

 一緒に帰ろうと鳥束が言ったので、待っている。

 置いて帰ろうかとの考えが一瞬頭を過ったが、思い直し、僕は玄関で待つ事にした。
 もう間もなく鳥束はやってくるだろう。それまでの間に少しでも平常心を取り戻したいところだが、残念な事に動悸だの顔のほてりだのは去ってくれそうにない。
 さっき鳥束を振り切る為に校舎内を縦横無尽に歩き回ったし、階段を飛び降りたし、それで息切れからの動悸がしてるんだろうな。まあ、今まで運動で息が切れた事なんて一度もないのだが。
「はい、お待たせ」
 そうこうしている内に鳥束が到着する。
 一生懸命平静を装うが、見るからにおかしいのだろう。いつも通りから外れているのだろう。鳥束は僕を見つめ、穏やかに目尻を下げた。
 ああ、くそ。待ってたりするんじゃなかった。
 僕は足早に立ち去ろうとした。
「ねえ斉木さ…ちょ、待って待って。止まって止まって!」
 慌てて引き止める声を振り切って一人帰る…出来ない。
 くそ、なんでだ。
 観念して足を止め、そのまま聞く体勢に入る。 
「そう。で、あのですね、斉木さん、見開きご馳走するのはいいんですけどね、いくら斉木さんでも、そんなに入ります?」
『………』
 馬鹿にするなといいたいところだが、待て僕、冷静に考えろ。
 しっかり考えて……うん、よし。
『じゃあ、全部入るよう応援してくれ』
 伝えると、ふふっと笑いが零れた。
 何笑ってんだ寺生まれが。
「甘いものとなるとこれだから」
 だから可愛いんだ、斉木さん。
 どこが可愛いんだ、こんなの。
「わかりました、一生懸命応援させていただくっス」
『ああ。店の外でな。静かにな』
「ええー、中に入れて下さいよ。あなたの隣に鳥束零太」
『嫌だ』
「じゃあ正面」
『それも嫌だ。店の外なら許す』
「ダメ、斉木さんが寂しがるから」
『馬鹿言え』
「バカじゃないっス。じゃあ斜め前で応援、これで決まり。さ、早く行きましょ」
 甘いものが待ってると、鳥束はばっと傘を差すと足早に歩き出した。僕だって、そりゃもう同じ気持ちだ。好物の甘いものを前に、ちんたらなんてしてられるか。
 しかもこの鬱陶しい小雨、僕に一切影響はなくても、傘を差して歩くのはやっぱりかったるい。
 一刻も早くたどり着いて、ゆっくりじっくり、目一杯楽しみたい。
 グズグズしてる暇はない。
 でもな、でも。
 コイツとこうして肩を並べて歩く時間も、たまらないんだ。
 たまらなく、……うん、嫌いじゃない。

 僕がいつまでも歩き出さないのに気付いた鳥束が、少し進んだ先で振り返り不思議そうに見やってきた。
 なんでゆっくりなんだろう、いつもならまっしぐらに甘味に向かうのに、どこか調子悪いのかな、気分が優れないのかな。
 心配がぐるぐると駆け巡っている。
『お前が心配するようなことはない』
 僕はようやく足を踏み出した。
「そっスか? まあ、斉木さんがいいならいいっス」
 僕の歩調に合わせ、鳥束もゆっくり道を進む。
「そーだ、昼休みに話すの忘れちゃってたんですけどね、昨夜見た企画ものの……」
 そしていつものように、下らなくて他愛ないお喋りを始める。

 まあいいだろ、鳥束。
 たまにはこんな時間があってもいいだろ。

 

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