うれしい

 

 

 

 

 

 嬉し泣きが止まらなかった。
「うくっ…うぅっ……ひっく」
 今まで生きてきてこんなに幸せなのって、初めてだ。
「オレ、今日の事絶対忘れません!」
『大げさな……』
「大げさなもんですか!」
 こうして一緒に暮らすようになって初めての、…オレの……ぐす、誕生日、祝ってもらえるなんてぇ!
「実を言うと、先月のアンタの誕生日にも、これ以上の幸せはない!…って思ったんスよね」
『ああ、うるさいほど繰り返してたな』
「いやそんな、呆れた顔しないで下さいよ。一番近くで、一番にアンタの誕生日祝えるって、ほんとに本当に嬉しいんスから!」
『やれやれ……』
「やれやれしないで。本当にすっごく嬉しかったスよ。でもねでもね、自分のを祝ってもらえるのも、こんなに嬉しいものなんスね」
『まあ、僕も…嬉しいぞ』
「うわー!…あー…このまま時が止まればいいのに!」
『馬鹿言え、ここで止まったら、お前の誕生祝い、これっきり出来なくなるだろ』
「はは、そっスね。えへへ、来年もその次もずっと先まで、アンタと一緒に過ごしたいから、今のナシ。取り消し!」
『やれやれ…じゃあ、とっとと泣き止め』
「はいっス!」
 ぐいぐいゴシゴシ袖で涙を拭う。けれど、少しするとまたじわーっと涙が滲んできた。
 本当に、それくらい幸せだった。
 オレはとんでもなく幸せのただ中にいた。
 怒られちゃったけど、時が止まってほしいって、割と本気で思った。
 けどアンタの言う通り、この先もずっと一緒にいたい、お互いの誕生日を一番近くで祝って、忘れられない毎日を重ねて、ずっとずっと、二人で共に過ごしていきたい。

「もぐむぐ…クリスマスには、ひっく…イルミネーション…ひっく、もぐ…見に行きたいなあ」
『食べるか泣くか喋るか、どれかにしろ』
「ぅひっく…その前に、一緒にハロウィンで仮装、してみたいっス…もぐもぐ」
『話聞けよ』
「聞いてます。そんでー、一緒に年越ししてー、初詣行ってー、花見してー、チョコの交換してー」
『聞いてないな、うん』
「聞いてます聞いてます! あのね、初詣どこ行くとか、どこで花見するとか諸々色々、どこ行くか、もう考えてあるんスよ、ほらほら見て!」
『はーん…随分先まで予定一杯だな。ま、がんばれ』
「なんで他人事なんスか! これ全部、アンタも一緒っスからね!」
『めんどくさいな……』
「めんどくさいのも楽しんで!」
『やれやれ…全部ちゃんと、エスコートしろよ』
「そりゃもー、しますしますさせていただきます!」
『怪しいもんだな』
 怪しくないから!
 絶対絶対、楽しいから!
 一緒に楽しい事、目一杯しましょうね。

 と盛り上がってるオレだが、クリスマスよりハロウィンより先に、来週のこと…はぁ、気が重い。
 せっかく幸せ最高潮だってのに、それがチラチラ頭を過るもんだからもー鬱陶しいったらない。
 行きたくない訳じゃないんだけどね、実家。
 オレもバカだよねー、よりにもよって貴重な三連休に予定入れるなんて、んなバカな事しなきゃよかった。
「そうすればアンタと三連休楽しめたのにー……」
 もぞもぞ動いてって、その腰に腕を回してしがみ付く。
『おいなんだ、邪魔だ離れろ』
 当然、身体を揺すって拒絶される。でもオレはめげずにより強く掴まった。
「ねー、帰り、迎えに来て下さいよー」
『ナニイッテンノ?』
「ねえー、お願い、マジで、お願いだから! 時間になったら駅で待ってて下さい、この通りっス、一生のお願い!」
 電車下りたら、ホームに愛しい恋人がいるっていうシチュ、やってみたいの!
『はぁ……やれやれ。可愛い恋人の頼みとあっては、聞かない訳にいかないな』
「あひゅっ…可愛いって言うなら、頭握り潰そうとするのやめてください……」
 最後の方は、恐ろしさの余り蚊の鳴くような声になる。
 いい返事ですぐに元気を取り戻すんだけど。
『で、いつどこに、何時だ?』
「やったーうれしい! もう大好きっ! 愛してる!」
『調子のいい奴……』
 迷惑そうな顔も気にせず、オレはほっぺにブッチュブッチュキスして、詳しい日時を伝えた。

「アンタ目がけて一直線に帰りますから、待ってて下さいね斉木さん!」
『わかったよ……ただし一分でも遅れたら帰るからな、忘れんなよ鳥束』

 

 

 

 

 

 気が付くとオレは、ワイワイガヤガヤ随分騒がしいところにいた。
 場所は、ここどこだ?…見覚えがあるようでないようで、とにかく大きな交差点のある場所。
 見回すとそこらじゅう高いビルがドカン、ズドンといくつも建っており、見上げた空はとっぷりと暮れている。ビルの明かりが強すぎるせいで星は見えない。目を凝らしても全然見えない。ただ真っ暗な空が頭上に広がるだけ。
 正面に目を戻すと、今日は一体何のお祭りだってくらいのどんちゃん騒ぎが繰り広げられていた。
 通りをゆっくり行き交う男も女も、みなえらく奇抜な格好というかもうてんでデタラメ極まりない。
 オレはその様子を、人の群れから離れた場所で眺めていた。というか、あの列に入ったら絶対、間違いなく、もみくちゃにされる。
「えーと、ここって…これってなんですか?」
 何で自分はここにいるのか、何のお祭り?…なのか、何もかもわからず、言葉が勝手にこぼれ出た。
 ぽかんと口を開けて突っ立っていると、背後から声をかけられた。
「ハロウィンだよ、知らない?」
「え?」
 振り返ると、片方は熟女、もう一方は大学生っぽいお姉さんの、二人連れが立っていた。
 親子じゃないな、姉妹、うーん?
「うん、あのね、ああして色んな格好して騒ぐ日なんだって」
「へえー、それがハロウィン。よくご存じで」
「わたしも実はあんまり知らないんだ。他の幽霊の受け売りなの」
「えっ、幽霊なの、アンタ!」
 思わず一歩退いた。
 すると、それまでただ寄り添ってただけの熟女が口を開いた。
「あなたもそうよ。わたしたちと話が出来るんだから」
「……えぇっ!」
 更に一歩退く。
 オレ、ゆうれいかよ…てことはオレ死んでるんだ。
「いや…でもオレ、前もこんな感じだった、ような……?」
「へえー、あなた、幽霊とお話出来るの?」
「いや、うーん、なんとなくそんな気がして」
「わかんないの?……ああじゃあ、人間と話してみてよ」
「そうね、それで反応あれば、あなたは幽霊とお話出来るすごい人間!」
 と言われ、オレは試しに近くのカワイ子ちゃんをナンパ…いやいや、ちょっとお近付きになろうと――して、現実を突きつけられた。
 まだ、無視されるだけなら、知らない男に話しかけられた不信感からの警戒と納得いくが、肩にかけようとした手が、彼女の身体をすり抜けてしまったのだ。
「あー……」
 念の為、他の女の子にも同様に肩に触れようとした。が、ことごとくすり抜けるばかり。
 あー、そう。これオレ、死んでますね。確実に。
「ふーん」
 相手の身体をすり抜けてしまった自分の手を見つめ、オレは特に何の感慨もなく肩を竦めた。

「で、ハロウィンだっけ」
「そうそう。大体がお化けの格好するのね」
「アニメとかゲームのキャラのコスプレもいるよ」
「なるほど。仮装する日ね」
「ほんとのところは違うみたいなんだけど」
「あれ、その人新参幽霊?」
 熟女とお姉さんと三人で喋っていると、別の幽霊がやってきた。
「うん、みたい。なりたてさん」
「そっかー、よろしく」
「どーも」
 どの子も優しい。熟女もお姉さんも今来た子も、優しくて可愛い。可愛いのはいいねえ。
 伸びがちな鼻の下をだらしなくたるませ、フガフガさせながら、オレは何気なく通りの方に目を向けた。
「仮装かー」
 じゃあ、あの顎のすんげえ髪型おかしい死に装束のデカブツも、服装はふつーつかすんげぇ地味だけど頭にへんてこアンテナつけて変わった眼鏡してらっしゃるあんちゃんも、いておかしくないんだな。
 それにしてもあいつら、何かやたらこっち見るなあ。
 誰か待ってんのかな。
 まさかオレを見てる…わけないよな。
 誰か来るんだろうな、こっちから。
 振り返ってしばし道の先を見つめ、顔を戻す。二人はいなくなってた。
「えぇっ?」
 思わず声が出る。
「どうかした?」
「幽霊でも見たの?」
「やだこわい」
「いや、ははは」
 曖昧に笑って返す。
 いやいや、オレがよそ見したの、ほんの数秒だよ?
 その数秒であのデカブツ見失うとかねーよな。どいつよりも背がでっかくて飛び出してたから、人ごみに紛れたって絶対見つけられるはずなのに。
 あんちゃんの方だって結構目立ってたよ、背丈はそんなでもないけど、あんだけ仮装の連中いる中で、かーなーり目立ってた、それほど奇抜だったのに。
 どちらさんも一瞬で消えた。ぱっと。シュンって。
 ふーん…不思議な事もあるもんだ。

 

 

 

 

 

 テレビで、クリスマスのイルミネーションが各地で華やかに街を彩ってます、と言ってたので、とりわけ綺麗だと思ったその場所へ行ってみた。
「おー、すーごいねー」
 テレビの小さな画面の中にあったものが、実際に目の前に広がっている。
 やっぱり実物はいいねえ、すごいもんだ。
 まっすぐ敷かれた大通りの、イチョウ並木に、うん千だかうん万だかの電球を取り付けたんだって。
「すごい事するねえ」
 圧巻の光景に見入ってると、すぐ傍を、分厚いコートに身を包んだ男女が、肩を寄せ合って通り過ぎていった。
「あー、うん……そうね」
 デートするにはもってこいのシチュエーションだもんね、寒い冬ほど燃え上がるってか。
 あいにくオレは幽霊なんで、暑さも寒さもわかんないけど。
 てかオレさ、あらためて見るとすごい格好よねこれ、裸足に下駄つっかけて、作務衣で、え?
 はー、幽霊でよかったわー。

 カランコロンと下駄を鳴らして…は、実体ないから無理なんだよね。
 なんかちょっと気分出ないかな。まあしょうがないか。
 とりあえず、目抜き通りをまっすぐ突き進む。出来るだけ端っこを。
 だってそうでもしないと人間にぶつかっちゃいそうで。
 いや、ぶつかる事はないし、すり抜けるだけ、それにしたって全く感覚ないから問題ないんだけど、でも、オレの身体がそれでぶれるの、なんかヤなんだよね。
 だから、オレは誰にもぶつからないよう端っこを心掛けて歩いた。

「あれ……」
 今日はハロウィンじゃないよね、クリスマスだよね。そんでクリスマスは、仮装する日じゃないよね。
 イルミネーションに浮かれる人らから外れたところに、例のへんてこアンテナつけたあんちゃんを見かけた。
 人待ちのような、一人でいるような、あるいは約束すっぽかされた人のような。
 道の端っこで、ぼんやりどっかを見つめて佇んでいる。

 ハロウィンで試してわかってた、オレはもう、生きてる人間に声を届けられない存在になったってこと。
 触れない、話せない、その目に映らない。
 でも、一人でいるそのあんちゃんがなんだか妙に気になって、オレは傍まで行って声をかけた。
 通じなくてもいい、ただのオレの自己満足で、どーもと口を切る。

「また会いましたね。アンタのその格好、それが素なんだね。なんでそんなのつけてんです?…たって、聞こえないんだよな」
「聞こえてる」
「……えぇ!」
 オレはまじまじと顔を見つめた。なんだよー、そんな、見えてない聞こえてないみたいにしながら、オレの声バッチリ聞こえてんのかよ。
 うーわ恥ずかしー。
「早く言ってよ、もー!」
 照れ隠しに、オレはその人の肩を思いきり叩いた…いや叩こうとして、ハロウィンですり抜けてしまったのを思い出し、直前で引っ込める。
「……はぁ」
 苦笑いを浮かべ、オレはごまかす。

「てか、なんでアンタオレが見えんの?」
 もしかしてアンタ、あれ?
 幽霊見える系の人っスか?
 畳みかけると、その人はオレを見ないまま答えた。
「違う、ただお前は見える。お前の守護霊が…なんでもない」
「んー……?」
 何、言いかけたんだろ。
「頭のこれは、制御装置だ」
「せいぎょ、え、制御?……なにを?」
「超能力」
「……えぇ!」
 アンタ超能力者なの?
 それとも稀代のホラ吹き?
 また、まじまじと顔を見つめる。
 うーん、ウソを言ってるようには、見えないけど。
 あ、なら!
「そっか、ハロウィンの日に一瞬で消えたのって、あれ超能力か!」
「……そうだ」
 そーかそーか、瞬間移動ってやつね。それなら納得いくし納得出来る。

「で、その、超能力を制御する為に、そいつが必要なんスね」
「……そうだ」
 なんでも、この人の能力は生まれつきのもので、生後すぐは他愛ないものだったけど、成長するにつれどんどん強まって日常生活を送るのが危うくなってきたので、家族に作ってもらったものだそうだ。
「あのー……失礼は重々承知で言います、幽霊のオレが見ても、その、それ、正直すんごく……へんてこですけど、周りにはその……」
 極力言葉を選ぶが、どうしたって無礼になってしまう。オレはチラチラ様子を伺いながら言葉を濁した。
「一瞬だ。一瞬だけ変に思われ、すぐに「あれが普通」と思われる」
「へえ、……?」
「不自然な事を自然と思い込ませる事が出来るんだ。マインドコントロールで」
「おお、ああ、超能力すっげー」
「……厳密に言うと違うが、まあそんなところだ。でもこれは生きた人間限定だな、だから、お前には通じない」
 確かに、オレの目にはいつでも「へんてこアンテナ」に映る。けど説明してもらったから、この人にはなくてはならないものだとわかったから、もう「へんてこ」とは思わない。
「ね、ね、他にはどんな超能力があるんです?」
 ハロウィンからこっち、幽霊とはお喋りしてきた。彼らは概して優しく穏やかでとても好ましい。オレも同じ幽霊なのだが、なって日がまだ浅いからか、ちょっとだけ物足りなく感じていた。それに、生きた人間と話せるなんてまずない事だから、ついつい浮かれてしまう。
 その人は、面倒だからか沈んだ顔で一つため息を零すと、渋々ながら口を開いた。

「ふーん超能力…いいなあ!」
 能力についてひと通り説明され、まず出てきたのはその言葉だった。
「……は?」
「だってさ、あれでしょアンタ、透視とかも出来んでしょ?…そしたらさあ、女湯覗き放題じゃん!」
「……そういうところは変わらないな」
 かすれた、低い声がもれた。
 かろうじて聞こえるほどの小声に、何故だか胸がぎゅっとなった。心臓も何も、オレにはもうないはずなのに、胸が高鳴った。
 声?
 それとも内容?
 それともこの人だから?
 何が何だかわからないがとにかくオレは、心臓ってものがあったなら、ドキドキときめいてる状態になった。
 男相手に何なんだよ、変なの、オレ。

 佇んだままのその人に合わせ、オレもなんとなく隣に立って、一緒にイルミネーションを眺める。
 眺める、といっても、オレだけ。
 その人は、見てなかったから。
 顔は確かにイルミネーションの方向いてるんだけど、何も映してないのはオレにもわかった。
「ところでアンタ、彼女とかいないの?」
「いないな」
「だよねぇ〜、いたら、こんなとこ一人で来たりしないよねー」
「お前もだろ」
「うぐっ」
 幽霊相手に、容赦ない人だなあ。
 ははは、と乾いた笑いでごまかし、ふと横を見ると、その人はいなくなっていた。
 あーまたあれか、超能力で帰ったのか。

 

 

 

 

 

 その神社を選んだのはただ何となくで、ふらふらしてたら今日は大晦日だと幽霊たちに教えられ、ああだからこんなに人出があるのかと、ようやく納得した。
 じゃそろそろ、初詣にカワイ子ちゃんが押し寄せてくるって訳っスよね。
 洋服もいいけど、和装の女の子のうなじってどーしてあんなにグッとくるんでしょうねえ。
 モコモコした襟巻に埋もれた様も、また可愛いよねえ。
 そんな事を思いながら一人ニタニタグフグフ鼻息荒くしていると、うわーって顔で幽霊たちが引いていく。
 あー、あー…怖がらせてゴメンね。

 日が暮れ、夜が更けるにつれて、参拝客の列はどんどん伸びていった。
「おー、すごいすごい、どこまで伸びるんだろ」
 この神社は、何でも病気平癒で有名らしく、他に縁結びや商売繁盛でも知られているんだそうだ。
「カップルだけじゃなく、色んな連中がいるのはそういう訳ね」
 オレは、列から離れたところをてくてく歩いた。本堂から入り口に遡るようにして歩きながら、参拝客の顔を流し見する。
 と。
「……あっ!」
 参道の入り口にあの人を見つけた。
 今しがた到着したばかりらしく、しかも誰かと待ち合わせをしていたようで、遠目でも、なんとなく彼らの会話がわかる気がした。
 遅かったじゃないか、待ってたぞ、よく来てくれたね…そんなところだろうか。
 あの人はというと、あんまり、全然乗り気ではなかったようで、しかしみんなが誘うので無視する訳にもいかず渋々やってきた、という感じだ。

 にしてもえらくバラバラで濃い面々だなあ。
 ハロウィンで見かけた死に装束…今日は普通に冬の服装…のデカブツ、マフラーずってるちっちゃい子、なんで特攻服着てんのって眼鏡の人、この寒空に風の子みたいな短パンタンクトップの奴、いっぱい喋りそうなちっちゃいキノコみたいな奴、本当に濃いな。
 女の子も女の子で、キャッキャと夢見がちっぽい子、眼鏡の巨乳、巨乳のギャルに極め付けは、びっくりするほど綺麗な女の子…しかもなんか光り輝いてる!

「なんだ、結構友達いるんスね」
 こう言っては失礼だが、オレはホッとした。
 クリスマス、一人で行動してたから、つるむ誰もいないのかと少し心配していたのだ。そんな事ないよな、ちゃんといるよな。
 しかも何だか、えらく気遣われてるような。
「励まされてる……?」
 あの人の顔は、ともするとすぐに伏せられて、そうすると周りの誰かがさりげなく肩に手をやって、何か一言二言言い募って、元気出せよって言ってるみたい。
「あの人…まさか病気なのかな」
 この神社にわざわざ来たって事は、そういう事だよな。
 いやいや、単に家が近いからここだってだけで、あの人が単なる出不精で面倒がってるのを、みんながおだててその気にさせてる、っていうのかもしれない。
 聞いてみないと正解はわからないが、ああも人に囲まれていては、幽霊のオレが話しかけるわけにもいかない。
 みんなの手前無視されるかもしれない、それが最善だけどオレはそれだと寂しいし、だからって平然とオレに応えて、彼らから奇異の目で見られるあの人…なんてのはもっと嫌だ。
「今度会った時、聞けばいいか」
 オレは見つからない今の内にと、そっと立ち去った。

 

 

 

 

 

 町のそこかしこに、やたらとピンクや赤のハートが溢れるようになった。
 可愛らしくて、それでいてどこか鬼気迫る雰囲気に包まれた女の子、そして切羽詰まった表情の男どもが、その日に向けて増えていく。
 何組の誰それ君にあげるの、キャー、とかいう会話を、小学生までもが!
 はあー、どこもかしこも、どいつもこいつも!
「というか、豆腐屋でどうやってバレンタインを?」
 通りがかった商店街で、オレは苦笑いをこぼした。
「商魂逞しいねー」
 音の出ない下駄をカラコロさせ、オレはそぞろ歩いた。

 その児童公園は商店街の外れの方にあって、滑り台一つ、ベンチ一つの、本当に小ぢんまりとしたものだった。
 ほんの数歩で通り過ぎてしまえるほど小さいものて、でも、そこのベンチにいたんだ。
 あの人が。
 特に目的もなく歩いていたので、オレはすぐに方向を変えてベンチに進んだ。
 隣に腰かけ、さてどうしようか。
 初詣で見かけた事、どうやって切り出そう。
 難しい病気で悩んでいるとしたら、下手に声をかけるのはご法度だ。
 うんうん唸っていると、向こうから切り出してくれた。
「お前、初詣の時、僕を無視して帰っただろ」
「えっ!…あれ、アンタ、オレ……気付いてたんスか!」
「いつ話しかけてくるか、待ってたんだがな」
「うわー…うわー…それはその、あの…すんません」
 オレは小さく縮こまった。
 でもだって、他に人が一杯だったし。
 しどろもどろで言い訳する。
「……エスコートするって言った癖に」
「え、はい?……なんでしょう?」
 口の中でぼそぼそ呟かれ、聞き取れなかったオレは本当に済まなそうに顔を伏せて聞き返した。
「別に。なんでも」
「はぁ……あの、じゃあ、聞きたい事があるんスけど」
 ぎろりと眼光鋭く睨まれ、言葉が喉のところでひゅっとひっくり返る。
 すぐにふいっと逸らされた。
「すんません、あの…あの神社行ったのって、アンタ、どっか悪いから……ですか?」
 様子を伺いつつ、オレはおっかなびっくり尋ねた。
「ああ、いや。僕は何ともない。実を言うと、生まれてこの方風邪一つ引いたことがない」
 へえー、うわー、超健康体っスね。
「じゃああれっスか、みんなに誘われて渋々っスか?」
「そんなところだ。あいつらは、主に縁結びで盛り上がってた」
「あはは、らしくていいっスね」
 普通に会話してくれる事にホッとして、オレは徐々に肩の力を抜いていった。

「縁結びかー。って事はあれ、あの時いた中の誰か?」
 あの時いた女子はたしか、カチューシャつけた子、二つ結びした眼鏡の巨乳、巨乳ギャルそれともまさか、あの光り輝いてた子!
 首を振る。
「別の奴だ」
 好きな奴は他にいる。
「へえーへえー、まあそっか、そりゃいるよねえ、お年頃ってやつっスもんね」
「……ふん」
「見たとこアンタ、高校…いや、もう大学生かな」
「そうだ」
「はぁー、てことは華やかな大学生活送ってるんスすね!」
 女子大生と合コン三昧かあ、いいなあ!
 オレは頭の後ろで手を組んだ。

「で、その人からもらえたの? あるいはあげた?」
「何が」
「何がって、チョコっスよぉ、決まってるでしょーが」
 返事はないが、暗い顔を見れば一発でわかった。
 ありゃあ、これあれか、片思いってやつか。
「まー、ガッカリしなさんな、いつか思いは伝わるからさ」

「それで、お相手って、どんな子?」
「どんな、とは?」
「なにもう、とぼけちゃって、このこの!」
 オレは肘でつつく真似をした。
 迷惑そうな顔でよけられたが、気にしない。
「可愛い系? それとも綺麗なお姉さん系? あるいは――」
 色んなタイプを挙げようとしたが遮られ、男だ、と返された。
「……え」
「男だ。……同い年の」
「あー…んたって、色んな事で驚かせてくれるっスね」
 超能力者で、幽霊見えちゃって(オレ限定だけど)、好きな奴が男で、ねえ?
 指折り数えると、さすがに思うところがあるのか、その人はため息とともに顔を俯けた。
「あー…いえあのね、オレは別に、そういうので差別とか?…うん、しないっスから」
 誰を好きになるとか、特殊能力とか、生きてりゃ色々ありますもんね。

「僕の事より、お前は?」
 好きな女の子、とか、どうなんだ。
「んー、可愛い幽霊、結構会いますけど、なんつーかその、どうもしっくりこないっていうか」
 可愛いしいいなって思うんだけど、なんでかその先にいけないんですよね
 いいな、どまり
「つまり振られたのか」
「いやっ!…ち、違いますからね!」
 見てきたように言わないでよ!

 この公園、街灯一つっきりなんだ。
 うわー、滑り台んとこほぼ真っ暗、幽霊出そう、こわ〜。
 ぼんやりしたシルエットの滑り台に気を取られてると、その人の手に、いつの間にかチョコの箱があった。
「あら、それ……」
 聞いてから、まずったかなと慌てて噤む。
「渡したくて買った。でも今は…受け取ってもらえない」
 箱を開け、一つにかじりつく
 特に表情がないようだけど、でも、オレには泣きたいのを我慢してる顔に見えて仕方なかった。
 がりがりと頭をかく。
 男に好かれるとか、かなり難易度高いもんなー。

「あー…あんた! ガッカリしない!」
 暗い顔やめやめ!
 いつか、絶対にいつか思いは伝わるから!
 諦めちゃダメっスよ!
 ね、今は涙味でしょうけど、絶対甘くて美味しいチョコに変わる日が来ますから、元気出す!
 大体アンタ、生きてるでしょ!
「何でも出来る、生きてんだから!」
「……そうだな」
 ますます泣きそうな顔になるから、オレはもうどうしてよいやらわからず、煌々と照らす街灯の下、途方に暮れる。
 ねえ、ほんとにさアンタ、ちゃんと影の出来る生きた人間でしょーが、生きてるでしょーが、もっと顔上げて、元気出さなきゃ。

 どんな思いでいるのだろう。
 その人は、一つまた一つと、想い人に受け取ってもらえなかったというチョコを、静かに口に運んだ。
 そして食べ終えると、オレの方を見ないまま、誰もいない時を見計らって、姿を消した。

 

 

 

 

 

 ライトアップされた桜並木は、オレの目にも華やかに映った。
 けどオレのお目当ては、お花見に集まったカワイ子ちゃん。
 まー、ほぼ全員彼氏つきだけど!
 いいんだ、可愛い子の可愛い姿は目の保養、出来るだけヤローは視界から除外して、オレは並木道の端っこをカラコロてくてく歩いた。
 やがて、屋台が並ぶ通りに差し掛かった。
 うへへぇ、いいねいいね、美味しいもん頬張る女の子たち…いいわぁ。
「……うっ!」
 そんな中、一人のヤロー…あの人と目が合った。

「行く先々に現れるんスねえ」
「お前が悪さしてないか、気になるからな」
「やだなあ、オレ、そんな風に見えます?」
「そんな風にしか見えない」
「ひどっ!」
「実際犯罪者顔してただろうが」
「ひぃっ! すんません、認めますからおっかない顔やめて!
 ガタガタ…ブルブル
 幽霊震え上がらせるとか、アンタかなりやり手っスね。
「大体悪さも何も、幽霊に何か出来るわけもなし……したいけど!……はぁ」
「……ふっ」
「あー、意地悪な顔してからに!」……でも「笑った顔、悪くないっスよ」
「……うるさい」
 今度は恥ずかしそうな顔。
 あ…ほんと、悪くない。

「アンタって、細い身体でよく食べるんスね」
 それでもう三つ目。お花見団子から始まって、大判焼きにリンゴ飴。
 どこに入ってくのかしら。
「あ、でもアンタ……」
「……なんだ?」
「いや、いやね、クリスマスの時に初めて会ったじゃないっスか、まあ見かけたのはハロウィンでしたけど、お話したのはクリスマスでしたよね。その時よりちょっと痩せたように思うから、沢山食べるのはいい事だなーって。思っただけっス」
「……うん」
「え、なんで食べるのやめちゃうの。食べて食べて」
 うん、と頷くが、その人は中々動こうとしなかった。
 なんか変な事言っちまったかオレ?
 おたおたしながら見守る。
 何か引っかかるものがあるけど、でも誘惑には勝てなかったようで、それまで暗〜い顔してたけど結局はリンゴ飴にかじりつき、食べればたちまちほんわかした可愛い顔付きになった。
 ほっ。

「甘いもの、お好きなんスね」
「……嫌いじゃない」
「はは。幸せそーな、良い顔で食べますもんね」
 食べてる時はとっても穏やかなのね。
「ね、アンタの想い人、アンタのその顔見たら、絶対惚れると思うんだけどな」
 まあ、それ以外では極力口を閉じてるのが条件だけど。でないとすぐボロが出て引かれるからね。
「アイツは…そうだな。引く事もあったが、でもそういうところも好きだって言ってた」
 あ、初めて「アイツ」の話聞くな。
「ねえ、よかったらもっと聞かせて下さいよ」
 可愛くておっかないアンタに想いを寄せられてる人物の事。
「え…めんどくさい」
「もー。そういわずに」
 しかし、リンゴ飴をかじるのに夢中でその人は何も話さない。
 じゃあしょうがないと、一緒に桜を見上げる。

「……僕はずっと、桜に興味はなかった」
 リンゴ飴がもうなくなるって頃、不意にその人は話し始めた。
「桜だけじゃない。クリスマスだからイルミネーションだとか、バレンタインだからチョコだとか、季節がどうだからこうだって事に、一切興味なかった」
「あらま。一人がお好きだったんスね」
「好きとかじゃなく…まあそれもあるが、そうしなきゃいけないって部分が大きかった」
「え、じゃあ、ほんとは好きじゃないのに一人でいたの? さみしっ」
 正直に述べると、妙な顔でその人は笑った。
「寂しいと感じた事なんてなかったな。一人は気楽だったし」
「そぉう?」
 オレだったら、やかなあ。
「僕の持つ超能力にも関係している。人が多いところはそれだけ、拾うテレパシーも多い。お前だってそうだろ、常に周りがやたらにガチャガチャうるさいの、落ち着かないだろ」
「うーんと、……うん、ほどよくならいいっスけど、あんましザワザワしてたら、頭痛くなるかもっスね」
「それに、人が増えればそれだけ超能力者だって知られる危険性が増す。僕は、目立たず静かに暮らしたいんだ」
「目立つのヤなんスか」
「……前にも言ったろ」
「えっ……」
 言われたっけな、いつ言われたっけ。とんと思い出せない。でも、忘れたのかよって顔されると弱いので、オレはすんませんと愛想笑いで頭を下げた。

「ずっと、桜なんか興味なかった……春でも夏でもどうでもよかった。でもアイツが現れてからは、僕もそれを大事に感じるようになった」
 最初は厄介で仕方なかった。
 うるさくて鬱陶しくて、やたら災難に巻き込むから心底死んでほしいとまで思った。
「けど……」
 オレの方に、曖昧に顔を向ける。
 途切れた言葉の先がわかって、オレはついにんまりと笑う。
「けど本当は、大好きでしょうがないんですね」
「……ふん」
 うるさいって顔で、その人は鼻を鳴らした。
 ひねくれてるようだけど、わかりやすい人だね、はは。
「ね、「アイツ」の、何が一番好きなんです?」
 答えてくれそうにないかなと思いつつ、質問をぶつける。
 するとその人は、多分初めて見るんじゃないかな、年齢相応に照れて、口ごもって、その末に教えてくれた。

「……名前を呼ばれるのが、何より…好きだ」
 っかー、ごちそうさま!

 

 

 

 

 

 夕暮れに差し掛かり、駅前は多くの学生でごった返した。
 んふふ、この駅選んで正解だったな。
 制服可愛い女子がたくさん!
 あー、癒されるわー。
 ただ下校風景見てるだけなのもいいけど、グフ、ベストポジションはやっぱり、階段下ですかねえ。
 行っちゃいますか、行っちゃいますか。
 オレの行動を阻むものはない。
 人間のしがらみから解放されたオレは自由だ、誰に憚る事なくいざ階段下へ!…行けない。
 何でだろう、オレの中の何かが強く引き止める。
 まるで、過去にそれでえらくひどい目に遭ってトラウマになってるような。
 何でも見通すめちゃくちゃ怖い…誰かが、いるから。
 オレは階段下を諦め、駅を背に歩き出した。

「は〜ぁ……」
 誰かって誰だろう。
 もしいるとしたら、それはきっとあんな恰好――
「うわ、出た!」
 へんてこアンテナの超能力者出た!
「べべべ別にオレ、女子のパンツ覗こうとなんてしてませんからね!」
 オレは大慌てて両手を振った。それはもう、残像出来るくらいの勢いで。
「ふん、どうだか」

 無言で歩き続けるオレの後ろを、あの人がつけてくる。
 監視されてんのかな、これ。
 されてるよなー、これ。
 気まずいなあ。
「そーだ、ねえアンタ、今日って嘘ついていい日なんですって」
「知ってる」
 乗ってくれた、よし、よし。
 ホッとして、オレはいつもの調子に戻る。
「じゃーさ、なんか嘘言ってみてくださいよ」
 難しい事言い出したな…って顔になって、その人は周りを見回し、どっかの家の赤い花を指差して「白い花が咲いてるな」って。
「あはは、可愛いっス」
 クスクス笑うと、あきらかに不機嫌そうに眉をひそめた。
「すんません」
「お前も何か言えよ」
「え、えー…うーん…今日は天気悪い、ですね?」
 月が煌々と照る夜空を指差す。
「お前だってひどいじゃないか」
「あははー、っスね、すんません」
 用意してたなら別だけど、いざ、嘘をつけって言われると、難しいものっスね。
 わかればいいと、その人は鼻を鳴らした。
 スンマセンて。
 重ねて謝る。
 少しだけ、表情が柔らかくなった。気がした。

 また少し歩いたところで、その人は口を開いた。
「お前、もう死んでるんだよ」
「え、ちょ…キョーレツだなあ。でもそれ、全然嘘じゃないっスよ」
「……もう死んでるんだよ」
 オレの方を見ないまま繰り返すから、オレはどう反応してよいやらわからず、何とも言えない気分で歩き続けた。

 

 

 

 

 

「うひゃー、さすが日本一の七夕まつりだね、すーごい人出だわ」
 ひしめく大勢の観光客、色とりどりの飾りに、すげーすげーと興奮が止まらない。
 しばらく離れて眺め、圧倒されたのち、近くに寄って短冊を拝見する。
「どれどれ」

 ――字が上手くなりますように まい
「ああー、うんうん、まいちゃんがんばれ」
 ――金の雨が降りますように おれくん
「おいおい「おれくん」よお」
 ――また家族で暮らせますように 
「何があった?…おもい」
 ――ママがこれ以上ふとっちゃいませんように ゆい
「わはは、ママがんばれ」
 ――おいしいものいっぱいたべたい まりか
「ははは、子供らしーや」

 どうやらこの辺りの飾りは、小学生ばっかのようだ。字もたどたどしいし、内容もあどけなくて微笑ましいものが多い。
 あどけないがゆえに直球も多く、大人の願いよりひょっとすると「うわ」ってなるかも。そこもまた子供らしい。
 最後に見た「おいしいもの」のところで、ふっとあの人の顔が思い浮かんだ。
 甘いものを頬張ってニコニコしているところが、目蓋の裏に浮かぶ。
「ちゃんと、食べてるっスかねえ」
 今もおうちで、好きなもの、甘いもの、もりもり食べてますか。

 少し進むと、自由に願い事を書き込んでいい台が設置されているのが目に入った。数人が集い、みな真剣に願いを短冊に託しては、飾り付けていた。
 もうすでに吊るされた短冊を見る分には何とも思わないが、書いている最中を見るのはなんでか気が引けて、オレは傍には寄らなかった。遠目に眺めるだけにする。
「ま、吊るされたら見に行くっスけど」
 頭の後ろで手を組んで、大きな大きな笹を見上げる。
 と、大人でもどうにか手が届くギリギリの場所に、ぽつんと一枚だけ短冊が吊るされていた。目を凝らしてやっとこ読み取る。
「………」
「女の子のパンツを覗く算段でもしてるのか?」
 突如背後から声がした。
「どぅわっ!」
 オレは冗談みたいに仰け反り、いつの間にやら真後ろに立ったあの人に目をひん剥いた。
「ちょっともー…まじっ、で、心臓止まっちゃうから!」
「ふーん」
「ふーんじゃない!」
 幽霊驚かすとかもー、趣味の悪い。

「アンタは何の願い事書くんです?」
「僕は、別になにも」
「さっきねえ、小学生の女子だと思うんスけど、……ああこれこれ」
 そこまで案内する。
 ――おいしいものいっぱいたべたい
「これ見てね、アンタが浮かんじゃって」
「………」
「いやそんなおっかない顔しないで…だってアンタ、甘いもの大好きでしょ」
 しかめっ面が、ほんの少し緩む。甘いもの思い浮かべたんだろうな。はは、かわいーの。
「ね、甘いもので、どれが一番好きなんです?」
 一番の好物は何かと尋ねると、コーヒーゼリーと答えが返ってきた。
「へえー、もっと、コテコテのクリームたっぷりケーキとか、思ってました」
「そういうのも、嫌いじゃない」
 あはは、痩せの大食いってやつっスね。
「じゃあ今度までに、コーヒーゼリーの美味しい店とか、調べときますよ。幽霊情報、結構あてになるんスから」
 色んな所に出入り出来るから、情報収集なんかはお手の物なのだ。
 信頼度高いよと自信たっぷりに告げると、小さく首を振った。
「ここ最近は食べてない」
「え、好物なのに食べてないの?」
 なんでなんで。
「……ちょっとな」
 ふーん、?

「ねえアンタ、またちょっと痩せた気が……」
 恋煩い、つらいんだろうな。
 繊細な話題だからね、オレは深く追求せず言葉を飲み込んだ。

「お前だったら何書くんだ?」
 女の子の裸見放題か?
 宝くじ当たりまくりか?
 やりたい放題生きたいか?
「いやいやいや、オレどんだけ煩悩の塊なんスか!」
「そうだろ」
「ちがいますー!」
 肩をいからせて否定する。
「じゃあなんだ」
「アンタの事っスよ」
「……え?」
「アンタと「アイツ」の事を願います。二人がうまくいきますようにって」
 オレはほら幽霊だからさ、願い事とか特にないですもの。
「でもアンタは生きてる、未来がある、その未来、アンタと「アイツ」が揃ってるのを願います」
 その人が、息をのむ音がした。

 さっき見た、一枚ぽつんとあった短冊には、こんな一文が記されていた。
 ――会えますように
 えらく綺麗な字でそれだけが書いてあった。
「まるで印刷したみたいな字っスね。習字でもやってたんスかね」
 名前のない、ともすると素っ気ない短冊がオレはどうにも気になった。

 ここを訪れた時、まずはと、この日本一の祭りの起源と、そもそもの七夕の由来とかが書かれた立て看板に、ざっと目を通した。
「へえー、一年に一度しか会っちゃいけないんスか」
 読み終えて、あー疲れたとため息交じりにそう呟くと、祭りの華やかさに惹かれて集まった幽霊たちが話しかけてきた。
「そうなんだって。悲しくて、ロマンチックよね」
「うーんオレだったら、毎日泳いでも会いに行くな」
「あははダイナミック」
「いやいやだってさあ、好きな人と年一しか会えないとかねーっスわ」
 毎日、朝から晩まで一緒にいまくりだわ。離れているなんてとても我慢ならない。

 そんなやりとりが思い出された。
 書いた人がどんな気持ちだったか、それはわからない。
 恋人同士だろうってのはオレの勝手な投影だから、会いたい相手が転校してった友人だとか、よく遊んでくれる田舎の爺ちゃんだとかの可能性もある。
 第三者で、遠距離恋愛中の友人を応援してる、とかのパターンだってある。
 でもオレは、引き裂かれた恋人ひいては、あの人と「アイツ」しか思い浮かばない。それしか出てこない。

 だからオレは、アンタたち二人が上手くいきますようにと願う。
「……ふん、煩悩の塊が」
「だから、違いますって」
 参っちゃうなあ
「オレはあれですよ、ちょっと、幽霊にしてはちょっと欲があるってだけですって」
「おかしな奴だな」
「ほんとにねー」
「自覚はあるのか」
「まあ、多少は」
 幽霊になってからそこそこたちますから、その間色んな幽霊とあって、話して、段々オレが何か違うなーっての、わかってきました。
「まー、そこは人間と同じく幽霊も様々、ピンキリでしょ、中にはオレみたいのもいるでしょうよ」
 お気楽にそう綴ると、その人は何とも言えぬ顔になって足元に目を落とした。

 結局、その人は願い事は書かずに帰っていった。

 

 

 

 

 

 七夕まつりでは日本一のとこ行ったから、花火大会も、一番有名って言われるところに出向いた。
 この地区では夏だけでなく季節ごとに花火大会を行っていて、一年中花火を堪能できる「花火の街」としても知られているんだって。
 それなら、この尋常でない人の数も納得いくわ。
 こんだけいれば、浴衣姿のカワイ子ちゃん、飽きるほど見る事が出来るね!
「まー実際飽きるなんてないっスけどね」
 オレはウキウキしながら、とある観光地をぶらついた。

 けどオレは、大好きなうなじばっちりの浴衣美人よりも、出店の方になんでか惹かれ、そっちへフラフラと歩いていた。
 あの人に会えるような気が、したので。
 果たしてその通りであった。
 かき氷ののぼりが揺れる傍に、へんてこアンテナの超能力者が立っている。
 真っ赤な小山と見紛うかき氷を一心に口に運ぶあの人に、オレは笑いを堪えきれなかった。

「ほんと、どこでも現れるんスね」
「お前の出没しそうなところ、わかるからな」
「ひぃ…おっかね! でも前に言ったように、オレは生きた人間には何も出来ないし、可愛い幽霊も「可愛いな」どまりなんで、心配ご無用っスよ」
「どうだかな」
 怪しいものだと宙を見やり、ため息を一つ。
「オレの事より、アンタっスよ。花火大会も袖にされたんですか?」
「ん……そうなるな」
「もー、何でっスかねえ。話をしてみて思うんですけどアンタ、おっかないしひねくれてるようだけど可愛いっスよ、可愛げが勝るから、付き合えば付き合う程メロメロに惹かれてくと思うんですけどね」
「そうか」
 遠くを見やって、その人は笑った。

「てかアンタ、ちゃんとアタックしてんスか? 本命なんでしょ、ガンガンいかなきゃ!」
「本命にガンガンいけない緊張しいのお前に言われたくない」
「えっ、……え?」
 オレ、そんな事言ったっけ?
 そっぽを向いたその人の顔、薄暗くてよく伺えない。
「そら、一発目が上がったぞ」
「……あっ!」
 声に、反射的に空を見上げる。
 夜空をバックに咲き乱れる花はどれも煌びやかで、綺麗、楽しい、美しいと、そればかりが胸を占めた。
 花火の音、咲く度に上がる歓声、それらに身を委ねながら、オレはそっと隣の人物の顔を伺った。
 下を向いてない。暗い顔もしていない。
 夜空に咲く大輪の花を、ただ穏やかに見つめていた。
「いいな」
「……そっスねぇ」
 でもアンタはこの花火、きっと「アイツ」と見たかったことでしょうね。
 隣にいるのがオレで、済まなく思う。

 

 

 

 

 

 どうやら、学生さんは今日で夏休みが終わりらしい。
 特にあてもなくブラブラ町を散策していたら、あっちからこっちからそんな声が聞こえてきた。終わる夏休みを惜しむ声はどの子も悲哀に満ちて、夕暮れに友達と別れるのさえ名残惜しいようだった。
 また明日学校で会うじゃん、そうだけどさ、あーつまんねー、やっべ宿題が!
 最後の奴、頑張れよ。
 オレは心の中でエールを送り、ブラブラ、てくてく、カラコロと気ままに歩き続けた。
 すると段々風の音が強くなってゆき、更に進むと海へと出た。
 海水浴場でもなんでもない、ゴロゴロの岩場だらけに、一旦足を止める。
「うーん、歩くのには全然難儀しないけど、これ以上進んでもカワイ子ちゃんに出会う事はないだろうし、引き返すかぁ」
 近くの木々がしなるほどの大風だが、オレには一切影響はない。
 風だけじゃなく雨も何も、オレを困らせる事はない。
 便利で、つまんなくもある。
 振り返ろうとしたその時、目の端に、とてもよく見慣れた濃桃色が過った。
「あれ――は!」
 向きを戻してよくよく見つめる。
 そうだそうだ、あの人だ。
 海に少しせり出した岩場の先に、膝を抱えて座ってる。
 オレは嬉々として近寄った。

「お邪魔じゃないっスかね」
 傍まで行って声をかけると、ひどくびっくりした様子でオレを振り返った。
 真ん丸になった目といい、少し開いた口といい、あは、いい反応。
 いつもはオレがびっくりさせられてるから、たまにはお返ししないとな。
「驚かしちゃってすんません」
「別に、平気だ。ただ、いつもはテレパシーで他人の接近を感知出来るから、それでちょっと……別に」
 あれれ、恥ずかしくてぶっきらぼうになってらっしゃる。そんな風に言う事もあるんスね。
 可愛さにクスクス笑っていると、何笑ってんだと不機嫌丸出しの顔になった。
 さーせん!

 オレも同様に膝を抱えて隣に座り、共に、海に沈む夕日を眺める。
 水平線の向こうに半分ほど隠れたところで、そういえばと話しかける。
「アンタは、夏休みの宿題、終わってます?」
 町ですれ違ったどっかの坊主が焦ってたのを、思い出したのだ。
「ああ、とっくだ。というか僕はいつも、初日に済ませてる」
「えぇー、すごい! てかいるんだそういう人。都市伝説かと思ってた」
 オレは心底びっくりして、チュパカブラでも見る目を向けた。
「オレなんて、いっつも、?……?」
 いっつも、なんだっけ。幽霊になったら生前の記憶は一切合切消えるから、言葉なんて続かない。わかってたのに、つい言葉が出てしまった。
「お前は、最終日の夜に大いに焦って、すぐに開き直って、始業式の日に呼び出し食らってた常連だろうな」
「オレ…そんな見た目してますか」
「……ふっ」
 楽しげに笑っちゃって、まあ。

 すっかり日も暮れ、海水浴場でもなんでもないただの岩場は辺り一面真っ暗闇で、月明かりだけが頼りの、薄ぼんやりした場所となった。
 しかしオレは幽霊だし、向こうは何でも出来る超能力者だから、お互い特に不自由はしない。
「今日って、暑かったですか?」
 ふと浮かんだ事を口にする。
「ああ、そうみたいだな。僕は体温を調節出来るから、苦でもなかったが」
「やっぱ超能力者いいなあ」
「……ふん。でも、確実に秋に近付いていってるな」
「そっスか、秋…人肌が恋しくなる季節っスね。……っ!」
 自分で言って、はっと閃く。
「これ、チャンスじゃないっスか?」
「なにが?」
「うまくすれば「アイツ」と両想いになれるかもしれませんよ!」
 特に何か良策があるわけでもない、完全なる思い付きの言葉に過ぎない。向こうもそれを察したのだろう、ため息で一蹴された。
 でもでも本当に、上手くあれがああしてああすれば、ぐっと距離が近付くんじゃないだろうか。
 計画はこれから考えます。

「はー、そしたらこうして会う事も無くなるんスね」
「お前は、どうする?」
「え、どうするって…ん?」
「僕が現れなくなったら」
「んー、ん−…正直寂しいっスね。何だかんだ、もうすぐ一年になるじゃないっスか。オレらが出会って。顔を合わせた回数はそりゃ少ないですけど、中身はかなり濃いからね、一つひとつ強烈で忘れがたくて、だから、それがなくなるとなったらやっぱり…寂しいっス」
 でも。でもね。
「アンタには幸せになってもらいたい」
 だから、アンタが来なくなってオレは寂しいって思うでしょうけど、そん時はああ「アイツ」と上手くいったんだなって、オレは喜びます。
「寂しいけど、嬉しい、ですね」

 オレの言葉を黙って聞いた後、ぽつりと言った。
「もうすぐ、アイツの誕生日なんだ」
「チャンス!」
 オレは反射的に叫んだ。
「それチャンス!」
 最大のチャンス!
「ぐっと近付く最高のチャンスじゃないっスか!」
「………」
「誕生日プレゼントは、何贈るんスか? 重要ですからね、アンタを印象付ける大事なアイテム、間違っちゃダメっスよ」
「そう…だな」

「……てかなー、オレ、正直言うとアンタにいってほしくないな。そいつやめて、オレと……って言いたいけど、幽霊のオレとじゃー未来なんてないですからね」
「そうだな、僕も、お前なんか御免だ」
「うーわ随分またハッキリと…でも、ははは、その方がかえって踏ん切りつきますわ」
 最初聞いた時、アンタの恋人が同い年の男だって聞いた時はえらくびっくりしましたけど、こうして触れ合ってみると男だ女だってのはなんだか些細な違いに思えてくる。
 アンタの人となりがそうさせるんですかね。
 ひねくれてるし、おっかないし、気難しいとこあってめんどくさいなーって思う事もあるけど、それを上回るくらい、アンタは可愛い。姿形だけじゃなく、こころが可愛いよ。

 あーあ…「アイツ」が羨ましい。アンタにそんなに想われて。だってのに全然応えないなんて、随分冷たいヤローっスね。
 ああ、どこかに、アンタを幸せにしてあげられる奴…絶対いるよ。いてよ。いなきゃおかしいよ。

「……斉木楠雄」
「へ?」
「僕の名前」
「さいき、さん?」
 斉木さんは小さく頷いた。
「そういや名前聞いてませんでしたっけね。さいき、さん。斉木さん。ねえ斉木さん、オレは無理でもさ、アンタ、きっと「アイツ」以外にも他に良い奴見つかり――!」
「僕にはアイツしかいない!」
 突然の怒号にオレは動きを止めた。
「あっ…う」
「いくらお前でも、それを言うのは許さない」
「すんません、出しゃばって!」

「アイツしか……」
 お前しかいないんだ
「あ、ねえ、ちょっ……泣かないで!」
 突然ボロボロ泣き出され、オレはパニックに陥る。そのせいで「アイツしか」の後がよく聞き取れなかった。
 なんて言ったのかは後回しだ、今はとにかく泣き止んでもらわないと。
 許してもらわないと!
「泣かせてごめんなさい! 泣かないでよ、お願いだから……あわわ!」
 斉木さん、斉木さん、すみません、ごめんなさい、言い過ぎたのは謝ります、本当にごめんなさい!
「いいんだ……でも、僕には、本当に……」
「うん、うん、アンタには「アイツ」しかいない、そうですよ、そうです、こんなに想ってるんだからきっと通じます、きっと上手くいきます、だから、ねえ斉木さん、名前を呼んであげて下さい」
「なまえ……?」
「そっス。いっぱい呼びかけて、そんで一杯呼んでもらって、アンタがいる事、ソイツに知ってもらうんです」
 名前呼んでもらうのが、何より好きなんでしょ。

「ああ。好きだ。でもアイツは、去年の秋に事故に遭って……」
「!…」
 か細い声を聞き取ったオレは、あまりの衝撃に動けなくなった。
 そんな…そうか。
 斉木さんの好きな「アイツ」は、去年の秋に、もう。
 どうにもおかしいと思ってたんだ。
 斉木さんの話しぶりだと「アイツ」も相当斉木さんに惚れてるの間違いないのに、クリスマスも花見も花火大会も一緒に過ごせなかったのは、事故に遭ったからだったのだ。
 チョコレートを受け取れなかったのは、そういう――。
 ああ…だとしたらオレ、とんでもなく酷い事を斉木さんに。

「鳥束」
「!?」
 それまでずっと、オレの方曖昧にしか見てこなかった斉木さんが、まっすぐオレを捉えた。
 そして、多分「アイツ」の名前を呼んだ。
 オレに向かって。
「え……いやいや斉木さん、オレは「とりつか」じゃないっスよ」
 ?……ですよ?
 否定すると、激しい違和感に見舞われ、オレは動揺した。
「オレは「とりつか」じゃ……」
 泣いて真っ赤になった目をオレにまっすぐ向けて、すがるように見つめながら、また斉木さんは言った。
「鳥束、鳥束、戻ってこい鳥束、頼む…この通りだ」
「さいきさん……あれ?」
 なんか、なんかが喉の辺りにぐっと引っかかってるみたいな。オレはひどい違和感のする喉を何度もこすった。
「どうしたら戻ってくるんだよ…おまえ」
 思い付く事、片っ端から試してるのに
 悲痛な叫びに、違和感はどんどん大きくなっていく。
「……さいきさん」
「その声だけど、それじゃない。とりつか」
 はやく、ぼくのなまえを、よんでくれ
「あー……あー、さいきさん」
 ハロウィンですり抜けて以来、ずっと人には触らないようにしていた手を両方伸ばして、ほっぺたに触れようとする。

「――!」
 さわれた…触れた!
 けど別に斉木さんは幽霊ってわけじゃない。一風変わった能力を持ってるけど、ちゃんと生きた人間だ。
 でもだったら、斉木さんに触れるのは、オレにとってこの人が――。
「……なんだよ、こんな簡単な……だったらもっと早く……」
 斉木さんの目から溢れる涙が、オレの手に触れる。熱い、ちゃんと感じる。何度もしゃくり上げながらオレの手を握り返す斉木さんの手の熱も、ちゃんと感じる。
 そうだ、そうだ、オレにとってこの人は、斉木さんは!

 おれ、オレ――オレ!
 両目を大きく見開く。
「戻らなきゃ……スよね」
「そうだ鳥束……戻ってこい」
 もうすぐお前の誕生日だぞ。
 今年もちゃんと祝ってやるから、お前の欲しいものなんでもくれてやるから。
「戻ってこい!」
「はい……斉木さん、はい!」
 はっきり意志を持って返事をした途端、何かにぎゅーんと強く引っ張られた。
 実体なんてないはずなのに、首根っこ掴まれて引っ張られた!

 

 

 

 

 

「さいきさん……」
 やだなあ、こんな声で呼びたくないのに。
 一年ぶりに使うからこんなスカスカふにゃふにゃの声しか出せないや。
「それでもいい……」
 オレよりもっとスカスカふにゃふにゃの涙声で、斉木さんが応える。
 すぐそこ、オレの寝ているベッドのそばで。
 そして反対側には、ケツ顎の燃堂父。
「っ……」
 なんだよ、もっともっとたくさん名前呼びたいのに、一回で力尽きたのかよ。
 くーやーしー!
『大丈夫だ…ちゃんと聞こえてる』
 ああ、アンタが超能力者で本当に良かった。思うだけで伝わるなんて、ステキだね。
「何が素敵だ……馬鹿野郎」
 そうですよね。
 こんなに斉木さん泣かせて、本当にバカ野郎だ。

 それにしてもオレ、ほんとに一年近く寝てたんかなあ。
 自分としちゃ、ちょっと寝過ぎたーくらいの感覚なんだけど、壁のカレンダーを見れば一目瞭然だ。
 こんなに経っちゃってたんスね。
 そんなに長い間、アンタをほったらかしにしてたんスね。
「そうだ……」
 一人にして、本当にごめんなさい。
 ねえ、もう泣かないでよ斉木さん。
「うるさい……おまえが!」
 ええ、オレが悪いんです、百回でも千回でも謝りますから、泣かないで。
「たかが事故に遭ったくらいで……一年近くほっつき歩きやがって」
 謝りますから。
「僕を……ほったらかしにして」
 全部全部、謝りますから。
 オレはここにいますから、戻ってきましたから、だからどうか、斉木さん
「っ……さいきさん」
 必死に腹に力を込め、呼びかける。

「駅で……ずっと待ってたんだぞ」
 はい。そう、約束しましたもんね。
 アンタ目がけて一直線に帰りますから、待ってて下さい――そう言ったのにね、オレ。
「それなのにお前、向こうについた日の夜に……くぅ」
 斉木さんの喉が低く鳴る。言葉に出したくないんだろうな。
 わかるよ、わかります、斉木さん。オレも、出来れば夢であってほしかったから。
 でも、現実だった。
 オレ、あの日の夜、屋根の上から真っ逆さまに落ちて――。
 ちょっとは頼りになるってとこ、親に見せたかったんだ。
 色々と迷惑かけてきたから、そういう諸々もあって、カッコつけたくて調子に乗った。

 ――え、雨漏りが?
 ――そうなんだよ、今度業者に見てもらおうと思ってるの
 ――ふーん…オレちょっと見てくるわ。もし口寄せでどうにかなるようだったら、金が浮くしな
 ――零太、あんたちょっと、気を付けなよ
 ――だーいじょぶだって

 それで屋根から落っこちて一年もの間意識不明で寝たきりって、オレ…本当に何やっても様にならないね。
 アンタが、オレの到着をいつまでも駅のホームで待ってるのを想像すると、胸が張り裂けそうになる。

 手足が思うように動かない。首をちょっと曲げるのすらおぼつかない。瞬きが精一杯だよ。
 名前呼ばれるのが何より好きだってアンタ言ってくれたのに、汚い声でしか呼べなくて本当に申し訳ないよ。
『いい。それでいい。充分だ。お前に呼んでもらえて、僕は――』
「……うれしい」
 ああ、今度はオレが泣く番だこれ。
 オレも、こんな嬉しい事はないよ。
 戻れて本当によかった。

 斉木さんの手が、オレの手を強く握りしめる。
 あったかいなあ…ねえ、もっと色んなとこ触りたい、顔とかさ。
 すり抜けないって、実感させてほしい。
 そう思ったら、触るすっ飛ばしてキスされた。
「とりつか……とりつか」
 ここです、斉木さん、オレここにいます。
 二人してだーだー泣きながらキス。
 しょっぱいわ息苦しいわ、生きてるって最高だね!
 ブッチュブッチュやってるオレらを、よかったよかったとドバドバ涙流して燃パパが見てる!
 ほんと、生きてるってさいこーだ!
 こうなりゃもうやけくそだ。

 そっからはもうバタバタ。意識が戻ったってナースコールしたら、すぐさま何人も駆け付けて一気に病室騒がしくなって、医者どもの向こうに斉木さん隠れちゃって見えなくなって、オレはそれが腹立たしくてムカムカ、呼びかけても傍に来てくれなくて、ヤローにべたべた触られて…まあ診察だけどさ…更にムカつき、でも斉木さんは傍に来てくれない!
 しばらくしたら報せ受けた親父とお袋がすっ飛んできて、どっちもぐしゃぐしゃの泣き顔でオレを撫で回して、こっばずかしいからこの時ばかりは斉木さん遠くでよかったと思ってたら、親と手を取り合ってうんうん、うんうん、泣きながら頷き合ってるの!
 あっれぇ?
 オレが寝てる間に、あちこちほっつき歩いてる間に、そんなご関係に?
 あー、なんつーか嬉しいは嬉しいけども複雑だ。
 あとで事情聞かせてもらお。
 で、また親父とお袋がせっせとオレの足とかさすってくるのよ、零太よかったよかったって泣き笑いでさ。
 はー…この羞恥プレイ、早く過ぎてくんないかしらと耐えていると、親が見てないところで斉木さんてばオレ見てニヤニヤしてやんの!
 しかも燃パパと一緒になって!
 もー、いい性格してるよ!



 あれから数日。
 意識が戻った事でオレの身体も目覚めたのか、医者も驚くほどの回復ぶりを見せた。
 まだそんなに沢山は歩けないから移動は車椅子頼みだけど、来週には自力でトイレの行き来が出来るようになってると思う。

 斉木さんは毎日見舞いに来てくれた。コーヒーゼリーを持って。けどそれはオレにじゃない。
 何でも、オレの回復を祈願する為に、コーヒーゼリー断ちしてたんだって。ようやく解禁になったから、それはもう嬉しそうに毎日食べてる。オレの目の前で。
 オレは美味くもない病院食だってのに。いや、大体は美味いんだ、あったかいし、味付けも優しいし、身がトロトロの魚の煮付けとか口にすると「食べられるって有難いなあ」と感激する、ただしゼリーは別だ!
 そう、オレの方にも一応ゼリーがつくんだけど、これがもうひどい。いかにもクスリって味が強くて、泣きたくなるほど美味しくない。それを、早く元気にならねばと仕方なしに口に運ぶオレの目の前で、斉木さんはこの世の春って顔でコーヒーゼリーをモニュモニュするわけだ。
 あーくっそー。
 可愛いけど可愛くないっ!
 でも、あの斉木さんが神頼みして、一番の好物であるコーヒーゼリーで願掛けしたのだと思うと、もう言葉に出来ない。感動で胸が詰まる。
 美味しくないくらい、なんだい。

「鳥束」
 オレの名前だ。はっきりわかる。わかる、いいなあ。オレの名前、斉木さんが呼んでくれる。
 だからオレも呼び返す。
「斉木さん」
 と。
 目覚めたばっかより、ずっとはっきり、しっかりした声で呼べるようになった。
 もう一回、鳥束、斉木さん。
 うわこれもー、完全にバカップルじゃん。何でもないのにただ名前呼び合うとか、バカップル以外のなにものでもない。
 でもいいのだ。オレも斉木さんも、呼んで、呼び返して、そんな他愛ない事が出来る喜びを噛みしめる。


 翌日、短時間なら表に出てもいいって許可が下りた。
 見舞いに来た斉木さんにその旨告げると、屋上へ出てみるかと誘われた。オレは何度も頷いてお願いしますと頼んだ。
 車椅子に乗って、エレベーターで屋上へ。
「ああー…いい天気っスねえ」
『そうだな』
「ね!」
 ぴかーっと晴れた青空に太陽、なんて気持ちいいんだろう。オレは顔の前に手をかざした。オレも、ちゃんと影が出来るよ。風が吹くと頬っぺたに当たるの感じるし髪も揺れる。そんな事を嬉しがる。
 日向ぼっこにはもってこいの天気、のどかでいいなと思ってたら、リハビリの成果を見せろと言われ、手を掴まれた。
『ちゃんと支えててやるから、見せてみろ』
「わかりました」
 オレはぎゅっと手を握り返し、車椅子から立ち上がる。
 毎日サボらず、血のにじむ思いで訓練してる成果を、お見せしましょうじゃないか。
『何が血のにじむだ嘘つけ、鼻血が出そうの間違いだろ』
「うっぐ……」
 やっべ、お見通しだ。リハビリで付き添う療法士のおねーさんに鼻の下伸ばしてんの、バレバレだ――やべぇ、オレもしかしたらこのまま屋上から放り投げられるんじゃ!
『馬鹿言うな。苦労して連れ戻したお前を、そんな簡単に手放す訳ないだろ』
「え……」
 冷や汗ダラダラの心境でいると、そんな言葉が頭に響いた。はっと目を上げると、そこには明らかに拗ねた顔の斉木さんが。
「……すんません、ですよね」
 笑いかけると、斉木さんはふんとそっぽを向いた。

 オレ、本当に感謝してます。
 一歩踏み出す。
 こうやって、ちょっと変わった形だけど、手を繋いでアンタと歩ける事に。
 もう一歩、もう一歩。
 ヨチヨチと頼りないけど、斉木さんの介助を借りて、オレはどうにか自分の足で歩く。
『いよいよ明日だな』
「はい?」
 結構集中力がいるんだ、歩くって。自分の足運びに注目してると、そう云われた。
『お前の誕生日だ』
「あっ……そうっスね」
『何が欲しい?』
 何が欲しいって、そりゃ一つしかない。
「斉木さんっスよ」
 アンタと過ごす時間が、欲しい。
 それ以外は何もいらない、思い浮かばない。
「いつも通りの過ごし方が、オレには一番です」
 一番の宝物。
『……そうか』
 斉木さんはしみじみとって感じに頷いた。

「あっ……!」
 そこでオレは、冷水を浴びせられたみたいになった。
『どうした?』
 どこか痛むのかと、斉木さんはぴたりと足を止めた。
 いえ、いえ、そうじゃないんです。ただ――
『なんだ、そんな事か』
「そんな事じゃないっス!」
 斉木さんがあんまり優しい顔するものだから、オレは申し訳なくなって顔を伏せた。
「アンタの誕生日、傍にいられなかった……!」
 何もかもすっかり忘れて、のんきに幽霊やってたなんて、オレはとんでもない不義理ものだ。

 ――この先もずっと一緒にいたい、お互いの誕生日を一番近くで祝って、忘れられない毎日を重ねて、ずっとずっと、二人で共に過ごしていきたい。

 あんなにも強く心に誓ったのに。
「ああどうしよう…ごめんなさい斉木さん」
 いやだいやだ、自分がいやだ、斉木さんの顔が見られない。

『顔上げろ鳥束』
「………」
『やれやれ…欲しいものもらうから、顔上げろ』
「……はい」
 伏せた顔をそろそろと持ち上げると、向かい合う身体の距離が、あっという間にぴったり合わさる。そして唇も。
 思わずふがっと鼻が鳴った。
『誰も来ないし、透明化してるから誰にも見つからない』
 だから心配いらないと、斉木さんはにやりと目を細めた。
 でもなんで、急にキス!
『欲しいものだって言っただろ』
 えっ。
 お前が、僕との時間を欲しがるように、僕だってお前と過ごす時間が何より欲しい。
 お前が欲しい。
 片手は繋いだまま、もう一方の腕で斉木さんはぎゅっとオレを抱きしめてきた。だからオレも抱き返す。以前みたいに力を込めても全然、弱々しいけど、ぶつかりあう身体の感触にオレは涙がこみ上げるのを感じた。
『最高のプレゼントだよ』
 ああ斉木さん、斉木さん…愛してます、斉木さん。

 オレたちは時間一杯、キスしたまま過ごした。
 病室に戻ってふと鏡を見ると、かぶれた人みたいにちょっと唇が腫れてて、ちょっと笑えた。
 かわりばんこに鏡をのぞいて、斉木さんと顔を見合わせて、お互いおんなじくらい唇腫れてるって、笑い合った。
 笑って笑って、笑い疲れて、少し息切れしたオレを、斉木さんは半ば無理やりベッドに押し込んだ。
「えー…やだ」
『やだじゃない、大人しく寝ろ』
「やだやだ……」
 それでも駄々をこねる。だって眠ってしまったら、きっとその間に面会時間が過ぎてしまう。斉木さんはいつも、何だかんだオレをからかいつつギリギリまでいてくれる。
「寝ちゃったら、その間に斉木さん……」
 帰っちゃう。
『いいから寝ろ』
 取り付く島もない。
 オレは渋々目を閉じた。実は身体を横にした時点でどっと疲れが出ていたので、これで目を閉じたら、確実に眠ってしまうだろう。
 ああもったいない、斉木さんと一緒にいるのに寝てしまうなんてもったいない。

「いででで…寝ろっていうのに顔つねるとか、寝かせたいのか妨害したいのか」
 オレはぱっと目を開けた。
『ん、いや。少しずつ肉がついてきたなと思ったら、嬉しくて。ついな』
「……ああ」
 なんせ一年、ずっと寝たきりでろくに栄養もめぐってなかった、ガリガリに痩せ細ってしまうのも無理はない。それでもさっき言ったように、元気になる為美味くない病院食も頑張って残さず食べてる。段々、元に戻っていってる。
「それを言うなら、斉木さんも」
 オレは同じように手を伸ばし、頬っぺたをつまんだ。
「コーヒーゼリー、ちょっと食べすぎじゃないっスか」
 本当のところはそんな事、全然ない。むしろもっとどんどん食べてもらいたい。
 ほっつき歩く幽霊だった頃の事、ちゃんと覚えてる。会う度どんどんやつれていってたこの人の事、覚えている。思い出すと胸が痛んで仕方ない。
 どうしてやつれてしまったのか、全てはオレのせいだ。
 でも今は、元に戻りつつある。
 嬉しい、嬉しい。申し訳なく思うけど、その一方で嬉しくてたまらない。
『おい、泣くなよ』
「笑ってますよ。斉木さんじゃないっスか泣いてんの」
『何だお前、寝惚けてんのか?』
「いえいえちゃーんと起きてますよ、ちゃんと見えてます、オレに名前呼んでもらうのが何より大好きだっていう、超能力者の顔」
『……ふん、そんな事言ったか?』
 斉木さんの指に、少し力がこもる。いてて。照れ隠し痛い。
「言いましたよーだ」
 オレもお返しに強くする…のは出来ないので、やめて、頬っぺたを撫でる。

「斉木さん、オレ、斉木さんのお陰でまたこうしてアンタと生きていけます。下手したらあの世にいってたかもしれない死にぞこないを、呼び戻してくれて、本当にありがとうございます」
『なんだ急に、あらたまって。気持ち悪い』
「気持ち悪いはひどい。斉木さん、もう二度とアンタに寂しい思いさせませんから」
『怪しいものだな』
「はは…信じてもらえるよう、頑張ります」

 あー……目蓋が重くなってきた。
 でも寝たくない。まだ寝たくない。
 まだ、斉木さん、見ていたい。
『抵抗せずに眠れ。身体を休めて、早く元気になって、僕の所に戻ってこい』
「はい……さいきさん」
『鳥束、これだけは覚えておけ。たとえ同じ事が起こっても、僕は、何度だってお前を連れ戻す。覚悟しとけよ』
「ああ……はい」
 うれしい
「愛してる、鳥束」
 鼓膜を優しく震わせる静かな声に、オレはまどろみながら微笑んだ。
 うれしい、うれしい。
 オレもです、斉木さん。
 オレも愛してます。
 もう半分以上眠ってしまっていて、口も動かせなかったけど、斉木さんがオレの返事に頷きながら頭を撫でてくれたから、ホッと安心して眠りについた。

 

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