晴れのち晴れ

 

 

 

 

 

 ――一部地域は残念なものの、ゴールデンウィークは、全国的におおむね晴れのスタートとなりそうです……

 お天気お姉さんの晴れやかな報告を、鳥束はどんより曇り切った顔で見つめていた。
「はぁ〜」
『幸せが逃げた』
「ぇあ、いや……はぁ〜」
『全部消えた』
「ん〜、斉木さぁん」
 テーブルにべったり顔を乗せて、そこから僕の方を見やって、鳥束は情けない声を出す。
「はあぁ〜……」
 言っても言っても、三度目のため息。物凄く深くて、悲壮感に満ちている。
 それも仕方ない、なんせ僕らは一ヶ月前から、ゴールデンウィークに入ったら泊りで出かけようと計画を立てていたからだ。

 僕はそれほど積極的、乗り気じゃなかった。
 まあいつも通りだな。
 むしろお断りしますと断固拒否の姿勢だった。
 これもいつも通りな。
 だってそうだろ?
 連休にはお出かけ、誰もが思い浮かべる事だ。
 誰もがって事は、その場所は人で混み合う、埋め尽くされる。
 埋め尽くされればそれだけ、僕が拾うテレパシーは増えるわけだ。
 それにだ、人が増えればそれだけ、僕の能力が誰かの目に留まる危険性が増す事になる。
 目立ちたくない、静かに過ごしたい僕としては、人がわんさと押しかける場所などもってのほか。
 一番避けるべきものである。
 苦行もいいとこ、そんな、何の足しにも身にもならない時間の無駄、まっぴらごめんだ。

 家でのんびり過ごしたい僕、どこかお出かけしたい鳥束、正反対の二人は当然ぶつかり合い、どちらも譲らないとなれば…間を取るしかない。
 つまり?
 出かけるが、家でのんびりするように過ごせる場所、だな。
『僕んちじゃ駄目なのか』
「え、ええ〜」
『お前の、どっかお出かけに辛うじて該当する、僕は僕でのんびり過ごせる、ばっちりじゃないか?』
「う、うう〜」
 不満たらたらの声。まあそりゃそうか。

 それからすぐ、いい物件見つけましたと、鳥束は意気揚々と情報ページを見せてきた。
 それは駅から随分離れた場所にぽつんと建つコテージ…いわゆる貸別荘で、ここなら斉木さんの希望する「のんびり過ごす」も叶えられるし、オレの「どっか泊まりで出かけたい」も叶う!
 ここしかない、と決死の覚悟で臨んでくる鳥束に、僕は微妙な心持ちになった。
 我ながらめんどくさいとは思うが、ホテルでも旅館でもなんでも、多少の喧騒なら我慢しようと思っていた。
 七割がた『外出かったるいな』と思ってはいるが、鳥束とならそれほど嫌じゃない。全然嫌いではない。だから少しくらいなら我慢しようとそう思っていたのだが、ほぼほぼ希望に沿う状況を作られると、感激より先になんか妙に白けるというか、興奮がすーっと冷めるというというか、うん…わがまま極まりないな、僕。
 こんなのによく付き合うよ鳥束は。

 ここから電車で一時間半、駅からバスで山に分け入り、降りた停留所からほんの三十分ほど歩いた山の中にあるので、料金もとってもお安いんだそうだ。
 どこかの、変わり者の金持ちが建てたのだろうな。
 お安いのって、他に理由でもあるんじゃないかと疑ってかかるが、僕の方で調べても、駅から遠いからという理由しか見当たらなかった。
 建物がおんぼろでどうしようもないとか、出るとか、そういった事はないようだ。まあ出るなら出るで鳥束の出番だし、奴が静かにしててくれれば視えない僕に実害はないので問題なしだ。
 随分と山奥に入ってくわけだが、眺めは絶品、なんと富士山が一望出来るとか。
「これしかないっスよっ! ここにしましょうよっ! 斉木さんっ!」
 やたら唾を飛ばして、鳥束は熱心に誘ってきた。
「向こうでの食事はオレが責任もってお作りしますからっ! 斉木さんはいてくれるだけでいいですからっ!」
 わかったわかった、もう唾はいいよ、行くから、ちゃんとそこに泊まるから。
「あざっスあざっス! あのね、眺めサイコーなんですって! 風呂場からも富士山見えるって! やばいっす! あとね、バーベキューも出来るんですって! デッキで、夜空を眺めながら、肉食い放題!」
 あーうるさいうるさい。
 大体食い放題は自分らで用意しなきゃだろ。まあいい、そこはお前に全部任せた、肉でも魚でも野菜でも全部食い尽くしてやるから、とっとと予約入れろ。
「はぁ〜……!」
 促すと、生き別れた親子四十年目の再会かってくらい顔中くしゃくしゃにして感涙しながら、鳥束は予約を取り付けた。

 それが四月初め頃の事で、それから鳥束は毎日のようにはしゃいで過ごした。
 見るからに浮足立っていた。
 なんなら本当にちょっと地面から浮き上がっていたかもしれないな。
 あるいは単なる僕の錯覚か、もしくは鳥束の新技か。
 まあとにかく、奴は面白いくらい毎日ルンルンで過ごし、指折り数えていた。

「バーベキュー、何買いましょうかねー。肉? もちろん、なに肉でも対応しますよ」
『それよりデザートを充実させろ』
「はいはい、冷蔵庫がパンクしそうなほど、持ってきましょうねー。あ、駅前は結構賑わってるんで、そこで地方限定のスイーツ楽しめるかもしれないっスね」
『そうか、じゃあ要チェックだな』
「っスね。あー、盛り上がってきたあー!」
 鳥束は腹の底から声を張り上げた。
 今からそれじゃ、当日になったらぶっ倒れそうだな。
「あ、アレもたくさん用意しとかなきゃっスね」
『ん?』
「いやーなんでもないっス」
 て言えば常人はごまかせるんだよな、僕には無理だが。
 こっちだって、聞きたい訳じゃないのに。
「いでっ!」
 鳥束の頭をはたく。いちいち口に出すな、静かに計算しろ、というかその金僕のスイーツに回せ。はさすがに図々しいか。いや、鳥束だからいいのか。
「よくねえっス! こっちはこっちで大事でしょ!」
 泊まりの間、もいでどっかに保管出来ればいいのに。
「さりげなくおっかないこと言わないで!」
 オレの、取らないで!
 泣きそうな顔で股間押さえるな。
 やめろ。


 そんなこんなで、いよいよGW目前となった今夜、鳥束はお天気お姉さんから多大なショックを受ける事となった。
 連続してため息が出るほどの悲報。
 まあそりゃそうだろうな、北は北海道から、南は九州沖縄まで、主要都市はどこも揃ってピカピカの晴天、だけど、僕らが行くところだけ狙いすましたかのように雨マークだなんて。
「あぁ〜…斉木さんとお泊り旅行が〜…富士山が〜…バーベキューが〜…ロマンチックな星空が〜……」
 ぼそぼそ喋るなよ、怖いよ。
 まったく、雨だからなんだ。僕としちゃ雨も晴れも大して変わらん。見ようと思えば富士山どころか隣の惑星も視えるしな。
「そーっスよね…斉木さんは行きたきゃどこでも行けるから、いいですよねー」
 うわ、何か拗ね出した。うざい。
 確かに僕なら海の底でも宇宙でも簡単に行けるが、行きたいと思う場所はごく限られてるぞ。
「うー……ちなみにどこっスか?」
『内緒』


 小学校に上がる前は、母との買い物で行く店のいくつかがそうだった。
 幾人かは、小さい人に対する純粋な親切心や愛情からおまけをくれたし、幾人かは、おまけにつられた子供が親を引っ張ってくるからという理由からそうしていた。
 がめつさにうんざりしつつも、甘いお菓子の誘惑には昔から弱かった。
 店自体良心的な価格で母親も気に入っていたので、辟易しながらもお菓子はもらった。
 少し長じて、お小遣いが増えてからは、コーヒーゼリーを一番安く買えるスーパーがその場所になった。
 あとは本屋と、品揃えの良いゲームショップ、それくらいか。
 人の多い場所なんてもってのほかだし、特定の誰かがいる場所なんて、家族以外ありえなかった。
 ありえなかった、今までは。


 鳥束はまだテーブルに顔を乗っけている。
「うぅーケチ」
 うーうーうるさいぞ。
『それより、雨天決行だ、屋根のある場所に行くんだからな。明日の荷物のチェック、しっかりやっとけ』
「うぇっス、ハイっス!……もう帰っちゃうんスかあ?」
『GW中の課題が出されてるんだ。それを片付けないとな』
「あっ……」
『お前もだよな』
「あえっいえっいいえぇ!」
『バレバレなんだよ、顔に書いてあるよ』
 思考を読むまでもない。
『せっかくのお前との旅行だ、気がかりはなくして向かいたい』
「あはっ……斉木さぁん」
『だからお前もやっとけ。もし片付かなかったら、旅行は中止だ』
「いや、ひえっ!」
『もしくは、向こうで缶詰な』
「それもいやっ!」
『まあ、どうせお前の事だから片付かないだろ。どーせ雨だし外に出かけられないし、ペンションで過ごす事になるんだ、有意義な時間が過ごせるな』
「え、でっ、そしたら斉木さん一人で、退屈させちゃうじゃないっスか!」
『いーや全然、お前がひーひー泣く声をBGMに、好きな読書をたっぷり楽しむ』
「はぁ? 性格悪すぎ!」
『大体僕は、どこにも出掛けたくなんかないんだ。家でのんびり過ごしたいんだ。それを折れてやったの、忘れるなよ』
「うぅー…くそー、今日中に絶対終わらせてやるからな!」
 みてろよ!
「そんで、明日から二泊三日、斉木さんとやり倒す!」
 変な方向に燃えるんじゃない。
 ほんと、旅行中はもいでどっかに保管しておきたいよ。
「そしたら斉木さん、ひぃひぃ泣くのはアンタですからね!」
 わかったわかった、ひーひー、これでいいか。

 

 

 

 五月某日、強雨。

 目的地に近付くにつれ、晴れが曇りに、曇りが小雨に、そして本格的な土砂降りに。
 わかっていたから驚きはないが、正直うんざりしてしまった。
 いや雨にではなく、すっかり気が滅入ってがっかりしている鳥束にだ。
「なにもこんなに降らなくたって……しかもここだけ」
 頭も肩も背中もすっかりうなだれてしまっている。肩にかけた旅行鞄が今にもずり落ちそうだ。
 やれやれ、こっちまでしぐれてくるだろ。せっかくこれから楽しい二泊三日を過ごすんだ、しっかりしろ。
 景気づけに背中をバンと叩く。手加減は充分だったはずだが、脱力しきった鳥束には効果絶大だったようで、一時的に呼吸困難に陥っていた。
「はひっ…はひっ…何するんスか」
『すまん』
 涙目で縋りつかれたので、とりあえず謝った、
 はぁまったく、何だこの始まりは。

「……え」
『……え』
 ザーザーぶりの雨の中ようやくたどり着いたコテージは、異彩を放っていた。
 孫の方なら十人中九人は殺され、バーローでもしっかり五人は死者が出そうなそりゃもう立派な洋館。
 予約した鳥束も引いていた。
「……スマホで見た時は、もっと、こじんまりした印象だったんですけどね」
『絵に描いたような洋館だな』
「まったくで……」
『本当にここで合ってるか?』
「はい、間違ってはないです」
 そうか。ここに、二人でか。
 僕ら二人、今夜あたり、何かにとりつかれ発狂して殺し合い始めてもまったくおかしくない、そんな雰囲気に、揃って唾をのむ。
 だがかえってそれをウリにして、人気が出そうなものだが、人里離れすぎも考え物だな。
 まあ、僕にはとてもありがたい環境だが。

 いくらか圧倒され見入っていると、鳥束が小さなくしゃみをした。そうだった、こんな雨じゃ、常人は風邪を引くんだった。せっかく来たのにそんな事で時間を無駄にしちゃもったいない。
『見てないで入るか。鍵を』
「はいっス。…ズビ…斉木さん、二泊三日、よろしくお願いします」
『……こちらこそ』

 ギィー、バタン
 さあ、どんな二泊三日になることやら。



 まずは、雨で冷えた常人を風呂場に押し込む。
「あ、買い物の片付けとかを……」
『それくらいやっとくから、さっさと身体あっためてこい』
「あ、よかったら一緒に……」
『いいからさっさと行け』
 有無を言わさず扉の向こうに押しやり、上がってくるまでの間ひと通り館内を見回す。
 もちろん、リビングのソファーに座ったままで。
 にしてもここ、本当に絵に描いたような金持ちの別荘だな。
 外見に負けず劣らず内装も豪華で立派、家具の一つひとつがいちいち凝ってて年季が入ってる。
 どこか海外の、名の知れた職人の手によるものだろう。さっぱりわからないが、それだけはわかる。
 ここで、自宅のようにくつろげるかどうかは疑問だな。
 こんなに山奥では家の前をひっきりなしに車が行き交うなんてないだろうし、耳を澄ませても雨音さえ聞こえてこない。
 物音ひとつ、テレパシーひとつ、なきゃないで、落ち着かないものだな。
 やれやれ、厄介だ。
 とはいえ全くない訳ではない。
 一つだけ、二階の風呂場から、鳥束のそれが僕に届いている。
 これがまた、呆れるくらいはしゃいでるんだ。
 ほんとアイツ、一人で百人分騒々しくしやがって。しかもなんだ、大半が下衆な妄想って。いつも通り過ぎていっそ笑いさえ込み上げてくる。
 聞いていると、ムズムズというかそわそわしてくるな。仕方ない、買い物の片付けとやらをしておくか。

 今日明日の当面の食事の買い物を、駅前の百貨店地下にあるスーパーで見繕った。
 献立は前々から計画していた。今夜はカレー、明日はバーベキュー。
 という事で、カレーの下準備に取り掛かる。その傍ら、一緒に買った菓子やジュース、僕の大事なコーヒーゼリーとかの仕分けをする。
 冷蔵庫にしまってからも、僕は三度くらいコーヒーゼリーを確認した。もちろん、食べたいなあと思いながらだ。
 しかし、そこを鳥束に見つかったらまたチクチク小言をもらってめんどくさい事になるからな、ぐっと我慢する。
 僕はこれで我慢強い方なんだ。でなきゃ超能力者なんてやってられない。
 それでも限界はある。いつかの目良さんばりに、あるいは海藤みたいに、鎮まれ僕の左手しそうになってきた。
 どんな茶番だって呆れるだろうが、僕だって呆れるが、これが冗談じゃないのだ。
 コーヒーゼリー恐ろしいな。いつか寝惚けて、コーヒーゼリーの為に世界滅ぼしそうだ――なんて要らぬフラグは置いといて。

「斉木さーん、お先お風呂頂きましたー」
 葛藤しながら調理を進めていると、見慣れた作務衣姿になった鳥束がキッチンにやってきた。
「わーここ写真の通りだー。やっぱ特注のキッチンだなー」
 そうか、僕は見なかったが、お前は紹介サイトで室内の画像をひと通り確認していたのだったな。
「あー…れ、良い匂いだ、まさか」
 うん、そのまさかだぞ。
「うわーやっぱり、斉木さんやっぱり! あのあの、ありがとうございます!」
 うんまあ、色々個人的にあったけど、そんな九十度の礼は大げさだ。自分が落ち着かないからやっただけなんだからな。
「わあー、冷蔵庫までこんな、きっちり……嬉しい」
 あんまり言うな、かえって恐縮するだろ。
「カレー、今どこまでです? ルウ入れる手前っスか。じゃオレ、あと引き受けますよ」
『いや……まあそうだな、じゃあ交代だ』
「はい、お任せ下さいっス。あ、斉木さんも、お風呂行かれます?」
『いや、僕は食後でいい』
「そっスか、じゃあ……これ、食べて、くつろいでて下さい」
 食事の用意手伝ってもらったお礼ってわけじゃ、ないですけど、嬉しかったので!
 そう言って出されたのは、コーヒーゼリーだった。
「!…」
 いいのかと、一杯に開いた目で問う。
「いいっスよ、今日は、特別っスから」
 なんたって斉木さんと旅行に来てるし〜
 今にも歌い出しそうな声で、鳥束はスプーンを渡してきた。
 そういう事なら、遠慮なく頂こう。
 僕は弾む足取りでテーブルに向かった。

「ああ美味いなあ…この野菜の大きさ、最高っス」
 本当に美味いと、鳥束は頬っぺたを押さえた。もう何度目になるかわからないべた褒めに、僕は軽く肩を竦める。
『あいにく、僕は褒めても何も出ないぞ』
 出来るだけ素っ気なくしないと、口でも心の中でも絶賛しまくりの鳥束にあてられ、らしくもない赤面をしてしまいそうで、結構きついんだ。結構ギリギリまで来ている。
「えやだ斉木さん、下ネ――っ!」
 不定切な発言が出そうだったので、即座に鳥束の動きを一時停止させる。熱々のジャガイモをおっかなびっくり口に入れたところだったので丁度いい。目を白黒させ静かに悶絶する様に、少し溜飲が下がる。
 脳内で、斉木さんひどいひどいと文句が渦巻くが、お前それ自業自得だからな。よく反省しろ。
 解除した途端、鳥束は大急ぎで水のコップに手を伸ばした。
『あしまった、熱湯に変えておくんだった』
「斉木さんっ!」

「ごちそうさまでした!」
『ごちそうさま』
 痩せ気味の癖によく入るなお前、僕もおかわりしたが、二人で八皿分、よく食べ切ったものだ。
「あー、ほんと幸せ。斉木さん特製カレー、最高!……ふう」
『半分はお前製だろ』
「仕上げをちょこっとだけっス。もうありがたくって、一杯食べちゃいました」
『うん、まあ、僕も悪くなかった』
 素直に感想を述べると、それまで満腹の幸福に浸っていた鳥束の目が、別の輝きに満ちていく。
「じゃあ斉木さん、オレ後片付けしちゃうんで、お風呂入ってきてください」
『そうするか』
「あのね、すごいっスよここの風呂、広いし綺麗だし金ぴかだし、なによりね、浴槽! あんなの映画でしか見た事ないっス、あのね、あれ、浴槽の脚が猫の形してるんスよ!」
 ああ、もう聞いた。三十回くらい聞いた。なんせお前、風呂に入ってる間中言ってたもんな、飽きるほど聞いた。
「あぁ〜…これで晴れなら、富士山見えるのになあ」
 それだけが悔やまれてならないと、鳥束は笑顔のまま肩を落とした。
『鳥束、風呂から出たら、お待ちかねのアレ…やるからな。リビングにいろ』
「……え――う!」
 鳥束の目がギラリと光る。脳内は瞬く間に妖しいピンクに染まり、笑いを堪えるのに苦労する。
 思った通りの反応に僕は意味ありげににやりと笑い。さっさとダイニングを後にする。

「斉木さん…もう無理です、もう勘弁してください」
 鳥束は目を潤ませ許しを乞うてきたが、僕は容赦しなかった。
 このあと五行くらいエロっぽい事書いて引っ張ってからネタ晴らししたいところだが、まだるっこしいので割愛する。
 要するに僕は、旅行前に鳥束と約束した事をきっちり果たしているわけだ。
 旅行前の約束…GW中の課題を片付けておく事、もし出来なかったら向こうで缶詰の刑。
 それを実行しているだけ。
『そら、残りあと一ページ、終わりが見えてきただろ』
「ぐす……ぐす……はい」
 べそをかきつつ、鳥束は一生懸命英文を綴った。
「こんなの、一日目の夜にする事じゃないっスよぉ!」
『宣言しておいてやり残すお前が悪い』
「そっそうですけど、ちょっとくらい見逃してくれてもぉ」
『僕がそんな甘い人間に見えるか?』
「でもでも斉木さぁん」
『気持ち悪い声を出す暇あったら、あと半分、頑張れ』
「くうぅ」

 終わったらヤル、終わったらヤル…それだけを頼りに、鳥束は課題をやり切った。そして精魂尽き果てた。
 寝室に戻った途端バタンキューで、まるで一週間不眠に悩まされた人のように、げっそりとやつれていた。
 どんだけ勉強嫌いなんだ、コイツ。
 やれやれ。
 それでもまあ、頑張った方だ。旅行前に課題を片付ける事は叶わなかったが、誘惑に弱いコイツにしちゃかなり埋めてた方だ。
 全部終えていたら見直すところだったんだが、まあ仕方ない、鳥束だしな。
 街中は暖かいが、五月の山の上はかなり冷える。
 風邪を引かぬようしっかり布団をかけ、僕は身を屈めた。
 これは、頑張ったご褒美だ。目蓋と唇に順繰りに口付け、心なしか緩んだ顔に口をへの字にして、自分のベッドに潜り込む。

 おやすみ、鳥束。
 また明日な。

 

 

 

 五月某日、小雨、降ったり止んだり。

 目を覚ましてまず思ったのは、
 ――超能力が使えなくなった!?
 という事だった。他人の心の声が、聞こえないのだ。
 いつもなら、起きた瞬間からどっと流れ込んでくる思考の濁流が、今はまるでない。
 本当に、僕は。
 と思った矢先、外のどこからか早起きの鳥たちの思考が微かに聞こえてきた。同時に、住宅街ではちょっと聞かないようなさえずりが耳に飛び込んできた。
 ああ、そうか。
 ここは。
 眼鏡をしている事を確認してから、隣に眠る人物を見やる。
 ここは、コイツ…鳥束が借りた、貸別荘だったな。

 鳥たちの朝のお喋りをぼんやり聞き流していると、別の思考が流れ込んできた。
 鳥束のものだ。
 そろそろ目を覚ますのだろう、うっすらとした途切れ途切れの心の声が、一つまた一つと頭に響いてくる。
 眠い、明るい、もう朝か、よく寝たな、なんか冷えるな。
 冷えるか、そうか。わからなかった、エアコンをつけるとしよう。
 天井近くで響いた電子音で、更に覚醒したのか、心の声がいくらか明瞭になる。
 そして、先程僕がしたようなちょっとの戸惑いと理解をなぞり、それから目を覚ました。
 ふわっと目を開け、かと思うとすぐに閉じ、代わりに僕に手を伸ばしてきた。
 寝起きのやや高い体温、その腕で、僕をぎゅっと抱きしめる。力強さに不覚にもドキッとする。
「昨日…結局ヤレずに…すんません」
 おはようの前にまずそれか。さすが鳥束。
 ぐす。
 おいなんだ、そんな事くらいで泣きそうになるな、馬鹿。
 と思ったら違った。違う意味で鳥束は泣けている。
「斉木さんと、旅行…してる」
 うん、やっぱり、そんな事くらいで泣くな馬鹿。だな。
 いい加減にしろ、泣き止め、移るだろ。
 まったく、朝からやれやれだ。


「ふわぁあ〜かはぁ〜」
 拳骨二つは余裕で入りそうな大あくびをしながら、鳥束は朝食の準備を進めた。
 今朝のメニューは、昨晩からじっくりつけこんでおいたフレンチトースト。
 分厚く切って、弱火でじっくり。更に僕の分には、たっぷりグラニュー糖をふってもらった。
 うん、素晴らしい。
 絶妙な焼き色にうっとり見入っていると、鳥束は口を開いた。
「確かに、ここら辺りまで来ると、さすがに幽霊もいないっすね」
 何の娯楽もないし、こんな山奥じゃ週刊少年ジャンプ読めませんし
 僕が寝起きに感じた事を、歯磨きしながらコイツに伝えたのだ。
『ジャンプ関係あるのか』
「大ありっスよ、前にも話した通りっス」
『はぁん』
「あ、て事は斉木さん、家で過ごすより更にすごいこと出来るかもですよ!」
『なんだ。……あいや話さなくていいです』
「人もいない幽霊もいない、誰か訪ねてくる事もないなら――」
『だから話さなくていいって』
「一日裸族で過ごせちゃいますね!」
『なんで興奮してんだよ、なにに興奮してんだよ』
 馬鹿か。館内がいくら空調完備とはいえ限界あるし風邪を引く、それに素っ裸のとこ外の鳥たちにちょっとでも見つかってみろ、馬鹿にされるのがオチだ。まーた鳥束がバカやってるよ、てな。
「え、名指し?…オレ、動物たちに認識されちゃってんスね」
『ああ。鳥束はほんと変態でクズで煩悩の塊でその上脳みそツルツルでどうしようもないってな』
「そこまで言うかねってかそれアンタの個人的な感想!」
『という訳だからやめとけ、な、鳥束』

「ったくもー…斉木さん性格悪いんだからー…なんでそこまで恋人ディスれっかねー…」
 ブツブツ文句を垂れつつ、鳥束は甲斐甲斐しく朝食の用意をした。
 じっくり焼いたフレンチトースト、じっくり転がしたウインナー、彩りよく盛り付けたサラダ、カップヨーグルト、コーヒー。
 それらをテーブルに並べると、それまで仏頂面だったのが嘘のようにぱあっと輝き出した。
「うわーなんか、テレビとかで見るホテルの朝食みたいっスね!」
 食器やナイフフォーク類は別荘に備え付けのもので、家具同様特注品のものらしかった。上等な食器に盛り付けると、素人のフレンチトーストも名のあるシェフ作に見えてくるから不思議だ。
「もしくはお城の朝ご飯!」
 うんまあ、ちょっと品数が少ないが、見えないこともないな。
「あ、ああー、写真撮ろ! いいカメラ持ってきてるんだった!」
 すっかり忘れてたと、鳥束はばたばた部屋を飛び出した。
 おい、朝食さめるだろ。
「すぐですからぁ!」
 やれやれ。

「あーあ、昨日の斉木さんのカレーも、撮っとくんだったなぁ」
 がっかりした声を出しながら、鳥束は角度を変え三度写真に収めた。
『おい、まだか?』
 本当は強引に弾き飛ばしたっていいのだが、朝からそこまでしたくない。
「ああはい、すんません、お待たせしました」
 カメラを置き、鳥束はいそいそと腰かけた。
 じゃあ。
 ――いただきます
「ん〜!…ふう〜ん、フレンチトーストって、こういう味なんスね!」
 美味いっス美味いっス初めての食感だと、鳥束は一杯に開いた目をキラキラさせた。
 記念すべき第一回、上質な食器で味わえて、よかったな。
『という事はお前も着飾れば、それなりになる……のか?』
「んん? じゃあ斉木さん、今夜試してみます?」
 いきなりキラキラ乗り気になるなよ。それにそっちの意味じゃないよ。
 じゃあどんな意味だと問われると答えに詰まるが。
 百均の無地の紙皿に無造作にのせたフレンチトーストと、今朝のこのフレンチトースト、どちらも同じ作り方だとして、はたしてどちらが美味いと感じるか、どうか。
 そんなような話だ。
 うん、ますますわからなくなった。
 どうでもいいな。
 フレンチトーストはフレンチトースト、鳥束は変態クズ。
 それでいい。そりゃ上等な包み紙の方がより高級に見えるだろうが、包み紙は食えない。
 どんなに最高級の品でも、一人で侘しく食べるよりは、こうして鳥束と食べるのに勝るものはない――そんなのどうだっていい!
 なんだ、どうした僕の頭。
「斉木さん、美味しいっスか?」
『ああ、悪くない』
 お前が、スプーン一杯じゃ足りないだろうと、グラニュー糖をもう一杯追加してくれたお陰で、とても好みの味になった。
「ああよかった。オレも、最高美味いっス」
 言葉通りの満面の笑み。朝に相応しく眩しくて、より美味しさを感じた。
 本当に、悪くない。

『食べたら、駅前まで買い物行きたい』
 食後のコーヒーを啜りながら提案する。
『せっかく事前に色々チェックしたのに、お前が雨にあんまりしょぼくれるから、ゆっくり見られなかったしな』
「そっスね、すんません。行きましょ行きましょ」
『昼は駅前でだったよな』
「そうっス。駅から十分くらい歩いたとこの、そこ甘味処なんですけどお蕎麦も美味しいって評判で。観光客で混むっていうから、予約取ってあります」
『やるな』
「お任せ下さいっス」
 そうと決まれば準備しようと、鳥束はキビキビ動き出した。
 嫌いなものにはとことんのろいのに。こうして素早く動く事も出来るんだな、お前。
「あのー、何か今ひどい事考えてません?」
『気のせいだろ』
「へえー」
 それでも鳥束は疑いの目を逸らさなかった。
 っち。付き合い長いから、パターンも大分わかってきたんだな。

 出かける準備をして、さあ出発だ。
「鍵かけて、傘差して――あの、斉木さんちょっと?」
 鳥束の差した傘の柄に、畳んだ自分のそれを引っ掛ける。
「え?……えー!」
 うるせえな、しっかり傘差せよ、僕が濡れるだろ。
「いやだって、相合傘とか、えーっスよ!」
 まさか、斉木さんが、自分から、そんな!
 傘差すの面倒なんだよ、それだけだ。
「んん〜、じゃあ、バス停まで手を繋いでいきましょうよ。ここらは他に人いないし、誰にも見られませんよ」
『嫌だ』
「うぅ……バッサリか」
『嫌いなんだ、手は』
 お前の手が嫌いって訳じゃないからな
 読み取るかもしれないのが嫌で、ヒヤヒヤするのが嫌だから、嫌いなんだ
 でもだから。
「えっ……ええっ!」
 鳥束が驚いて目をひん剥く。
 手が触れない、腕を組むのは、満更でもない。ここで手を握っておけば、相手に触れているが触れてないともいえるので、お前嬉しい僕安心、よしよしだ。
 行くか。
『おい、歩け』
「あ、……はい」

 少し行ったところで。
「あの……裸族はやだけど、腕組みはいいんスか」
『いいからやってるんだろ』
 また少し行ったところで。
「なんかあの…泣きそうです」
『泣くほど嫌ならやめるぞ』
「もー…違うって絶対わかってるのに」
『なんだお前鼻グスグスして涙声になって、どうした、花粉症か』
「もおー」
 祖父並みにもーもーうるさいぞ。
「ほんと、好きです」
『そうだな、朝の散歩を兼ねた買い物、たまにはいいものだな』
「ははっ…もー。さいきさんが、すき」
 鳥束がゆっくり動いて、僕に重なる。
 五月初めの、朝の山の上、小雨も降って思いの外冷える。ひんやり冷たい唇がでも、熱く感じた。
「すきです……へへ」
 嬉しそうに、どこかちょっと得意げに、言葉が紡がれる。
 応えの代わりに、腕をぎゅっと締め付けてやった。
「美味しいもの一杯見つけ、ちょ斉木さん、待ってねえ、ちょっとつよ…強い強い、血が止まりそうっス」
『いいからキリキリ歩け』
「もー、照れ隠しきっつい」
 うるさいんだよ。
 バス停までの緩やかな下りの山道、僕は鳥束の腕をもぐ勢いでずんずん歩いた。

 

 

 

 五月某日、曇り時々小雨。

 昨日は土砂降り、今日は時々小雨、だからか、昨日よりは駅前の賑わいは増していた。
 バスが駅前に近付くにつれ、受け取るテレパシーの数も増え、ざわざわがやがや騒がしくなっていくから、僕はすぐに折り返しバスに乗りたくなった。
 鳥束の心の声は百人分に匹敵するほどうるさいがしかし、この騒々しさに比べれば百倍ましだ。
 やれやれ…うるさいのは大嫌いだが、美味しいスイーツの為なら我慢しよう。
「ええと、まず買い物っスね、昨日寄ったスーパーはこっち――斉木さん!?」
『その前にな鳥束、こっちからな、極上のコーヒーの香りがするんだ』
 スーパーと反対方向に歩き出す僕に仰天し、鳥束は「待って待って」と引き止める。
『あったぞ鳥束、見ろ、あの完璧な形を!』
 ソフトクリームの模型を目に留めたとめたからには、止まれない。
『カフェオレソフト…だと?』
「はぁ〜…はいはいわかりましたよ、まずそっち行きましょうね」
 うむ、行こう。

 うむ…いいな、全然嫌いじゃない。この深い香り、さっぱりとした味わい、カフェオレソフトクリーム、最高だ。
「買い物は最後でいいですもんね、まずは斉木さんの食べ歩き、お供するっス」
 いい心がけだ鳥束。
 さて次は。
 カフェオレソフトの次は、またもソフトクリーム。今度は抹茶の渋いグリーンに目を奪われた。
「二回連続で、大丈夫っスか?」
『なにがだ?』
 まあ、自分でもソフトクリーム二連続はさすがに飽きるだろうと思ったが、それが全然そうではなかった。
 ぺろりと平らげた自分に我ながら感心する。
 大丈夫も大丈夫、あと二周は余裕で出来そうだ。
 しかし鳥束がえらく心配そうに見てくるので、そんなやわな腹してないと突っぱねつつ、素直に言う事を聞く。

 さて三軒目は、三軒目こそ、事前にチェックしていた「チーズケーキが美味しいお店」に行くとしよう。
 ところが。
 その途中、二人連れの女子が手にするソフトクリームを見てしまった。
 一人は紫芋と抹茶、もう一人はストロベリーと紫芋。どうやらすぐそこのお店で買ったものらしい。
『鳥束、なあ』
「ダメですよ」
 どうやら、僕が自分でさりげなくと思ったのは全然さりげなくなかったようだ。目の動きはバレバレで、何に心奪われたのか筒抜けで、だからみなまで言う前に鳥束にぴしゃりと遮断されてしまった。
「さすがに食べ過ぎです」
 冷たいもんばっかり、めっですよ。
 鳥束に言われるとより情けなさが増すな。
「ぐっ……睨んでもダメなもんはダメっス」
『昼が入るよう、ちゃんと計算の上で食べてる。時間だって全然差し迫ってないだろ。何も心配ないんだ、止めるな鳥束』
「そうは言いますけど、斉木さん……」
『僕の食べ歩きのお供するって言った癖に。お前の財布にも考慮して、食べ歩きの安価なものを選んでるのに』
「うっええ、言いましたし、全然響いてはないっスよ、むしろまだまだけますよ。でもね、あんまり冷たいものばっかは、めっです」
 なんだお前さっきから、小さい子に言い聞かせるみたいに。
 そんなにここで駄々こねてほしいのか?
 見せてやろうか、超能力者渾身の駄々を。
「もー斉木さん、そんな事しても、自分が後で恥ずかしくなるだけっスよ」
『ああ、言ってる傍からもう恥ずかしくなってるよ』
「でしょ。あ、ほら斉木さん、温泉地ならではの、あったかい温泉饅頭食べましょ」
 言うが早いか、鳥束は自分と僕の分と、二個をささっと買い求めた。
「はいどーぞ」
 いただきます。
 これはこれで……嫌いじゃないんだよなあ。
 家で食べても、まあそれなりに美味いのだが、こういった現地で、食べ歩きで感じる美味さは別次元なんだよな。
「ん、これ…あんこ美味いっスねえ」
 しみじみと感動する鳥束。わかるぞ、うん。
「渋いお茶が欲しくなりますね」
 それもよくわかるぞ。

『ということで鳥束、ソフトクリームいこうか』
「だからいきませんて!」
『っち、ダメか』
「ダメっス。チーズケーキが美味しいお店に行くんでしょ、ほら、斉木さん」
 歩き出す鳥束に合わせて身体の向きを変えるが、中々一歩が踏み出せなかった。
 切り札を取り出す。
『寄ってくれたら、星空の下のバーベキューパーティーを約束してやる』
「え……、え!」
 一瞬置いてから、鳥束は僕の発言の意味を正しく理解した。
「ほんと……ほんと斉木さん!」
『ああ本当だ。寄ってくれたら、夜はお前の為に雨雲を払って、バーベキューでも花火でも付き合ってやる。だからあそこのソフトクリーム、食べさせろ』
「はぁ〜……ほんと、アンタって人は」
 スイーツの事となると見境ないんだから。
『ああ、ないぞ。ついでに、お前と一緒に楽しく過ごせるなら、お前が楽しく過ごす為なら、何だってしてやる』
「あぁんもぅ…斉木さぁん」
 感激零太のキモイ乙女モードに苦笑いしつつ、ようやくゲット出来た三つ目のソフトクリームに舌鼓を打つ。

 ソフトクリームは三つで打ち止め、その後はまた別のところの温泉饅頭を頬張り、次は名物のかまぼこをかじった。これは鳥束の希望で、塩気のあるものが食べたいという言葉に僕もつられて一緒にかじった。串にささった揚げかまぼこで、出来立て熱々はこんなに美味しいものかと素直に感動した。
 まだ腹に空きはあったが、夜のバーベキューの事を考慮し食べ歩きはここまでにして、お目当てのチーズケーキをじっくり味わった後、予約していた甘味処に向かう。
 雨の中随分な行列が連なっていた。もちろん僕らは、鳥束が予約しておいたお陰で待たずに入れた。
 これだけ人気なら、味もさぞ期待出来るというものだ。
 果たしてその通り、昼御膳セットは僕を大いに満足させた。
 そんな僕を見て鳥束は喜び感激し、心のフィルムに焼き付けるんだと僕を穴が開くほど見つめてきた。
 うるさくてかなわなかったが、コイツが嬉しそうにするのを見るのは、満更でもないんだよな。
 全然、嫌いじゃない。

 それから夜の為にスーパーに向かい、バーベキューの材料を買い揃える。
 両手いっぱいに買い物をして、僕らはバスに乗り込んだ。
 バス待ちの間にまたパラパラと雨が降り出して、こりゃコテージの方は大雨だろうな…そんな事を思いながら、走り出した車窓をぼんやり眺める。
 コテージ最寄りのバス停は、実は観光ホテルが並ぶ場所であり、バス停周りは結構賑わっている。
 僕らはそれに背を向けて、舗装されていない緩やかな上りの山道に分け入りコテージを目指した。

 降ったり止んだりの空模様、今はちょうど合間の曇りで、傘は差さずに歩いて行けた。
 木々の向こうにバス停が隠れた頃、鳥束は口を開いた。
「ねえ斉木さん、行きみたいに、腕組み、しません?」
 鳥束は、片手に傘とぎゅうぎゅうパンパンの買い物袋、もう片方に同じくらいぎゅう詰めの買い物袋を下げていて、その片方の肘を僕に向けて誘ってきた。
 まあ、してもいいが。
 その場合互いの間でブラブラする買い物袋が歩くのに邪魔だな。
 だから、僕は。
「あ、え!」
 鳥束が下げる買い物袋の半分を掴んだ。そして、鳥束より一歩先んじる。そうすれば上手く上り坂で身長差が釣り合い、一つの荷物を具合よく分け合う事が出来る。
「えー……。えへ、えへへ」
 すぐ後ろから、腑抜けた笑い声が聞こえてきた。
 嬉しくて緩み切った、そんな声に、おぞ気が走るわニヤつくわ、忙しない。
 まったく、何を自分らしくない事してるんだか。
 でもたまにはいいよな。こんな馬鹿馬鹿しい事、たまにはしたっていいよな。
 誰もいないし、幽霊も見てない。ここには生きた人間は僕と鳥束の二人だけ。
 少々の山の生き物が割り込んでくる事もあるが、本当に静かで、過ごしやすい。
 そんな環境を提供してくれた鳥束に、ちょっとお返しくらい、したっていいよな。
「斉木さぁん」
『なんだ』
「夜のバーベキュー、楽しみっすね!」
『……ああ。そうだな』
 僕は肉より野菜より、スイーツだが。
 さっき約束した事で舞い上がったお前が大枚叩いて買ってくれたから、食べ放題出来るほど盛り沢山だ。
 テーブルに全部並べて、どれから食べようか悩んでみようか。星空の下で。ああ、なんて贅沢な。
 僕も、楽しみだよ。


「言った時はね、半分冗談だったんスよ」
『だったな』
「ほんとに、冷蔵庫パンクしそうなほど買いましたね。……スイーツ」
『そうだな』
 鳥束が、せっせと買い物袋の中身を冷蔵庫に詰め込んでいる。
 そう、あのぎゅうぎゅうパンパンの買い物袋に入ってたのは、バーベキューの食材はほんの少々で、大半は僕のスイーツだった。
 なにせ二人だから、バーベキューもそんなに食べられない。生ものだから傷みを考慮して少な目に、でもこんな機会滅多にないからちょっと奮発して良いものを買った。
 鳥束はその肉のパックを見つめ、えっへへと頬を緩ませた。
 僕は、ずらりと並んだ駅前限定スイーツにうふふと目を細めた。
 えへへ、うふふ。
 後で思い返す…までもなく、笑ってる今この瞬間からもう消したい記憶になってる気持ち悪い僕たちだが、緩んだ顔は中々元に戻らない。
 かと思えばパチリと何かスイッチが切り替わったみたいにお互いすっと真顔になって、そこからは、淡々と夕飯のバーベキューの支度にとりかかった。

 二人で黙々と作業をする。
 鳥束は肉類に、僕は野菜に串打ちしていた。
 何とはなしにそういう分担になったので、作業台に二人で並んで、向こうは肉、僕は野菜を切って、組み合わせて、端から一つずつ串にさしていく。
 鳥束の浮かれた思考が流れ込んでくる。ひと続きではなくとりとめがなくて、まるで誰かがラジオをカチカチ適当に回しているのを端で聞いてるような…そんな、ちょっとぼんやりとしていてなんとなくいい気分になる時間。
 単純作業の時は、こんな風になるものだ。
 自分もそうだ。何も考えないってわけじゃなく、かといって一つに集中するでもない、好き勝手転がるままにぼんやり耽る。
 ああ、嫌いじゃないな、こういうの。
 なんともむず痒くて、心地良い、ふわんとした時間に、僕はゆるく浸った。

 鳥束の事だから、ぷかぷか浮かぶ思考は半分くらいえげつない生々しいものが混じるけど、自分はそれに本当には嫌悪感を抱かない。
 まずいな、相当毒されてる。コイツはこれで正常だと、むしろ寛容している。
 まずいまずい、良くない傾向だ。
 でも。
 うるさいとぶっ飛ばして中断するのは惜しいから、仕方なく見逃す。
 そう、仕方なくだ。コイツの煩悩を止める手立てはないし、今更も今更だし、それでもいいと選んだのは僕だし。
 だから、そうだな、いいか。

「ねー、ついでに花火の準備も、しときましょうよ」
 バーベキューの下ごしらえを済ませ、だだっ広いリビングに移ったところで、鳥束はそう提案した。
『そうだな。こまごました事はさっさと済ませておくか』
「わーい、花火!」
 まるで五歳児みたいに無邪気に両手を振り上げ、鳥束はいそいそと取りに行った。
 戻ってくるまで立って待つ事もない、僕はソファーに身を沈めた。正面にあるどっしりした暖炉をしばし眺め、それから背もたれに頭を乗せる。昨日は、あまりに違う環境でくつろげるのかと思っていたが、意外に順応するものだな。

 やがて戻ってきた奴の手には、それ何人分だっていう束が抱えられていた。ちょっとクラっときた。
「はい、花火!」
『……うん』
 あんまり引いちゃ五歳児に悪いと頑張って合わせる努力をするが、慣れない事はするもんじゃないな。本当にちょっと目眩がした。
「いやだって、あのね斉木さん、今って色んな種類ありすぎなんスよ」
 ソファーの前に敷かれたふかふかの絨毯の上にあぐらで座り、鳥束は一つずつ説明する。
「こっちは昔ながらの詰め合わせで、こっちは写真映えする煙の少ないの、でも一個じゃ写真撮り足りないかと思ってもう一個、あとこれはね「火花がハートに見えるステキなレンズ付き!」っていうの!」
『……うん』
「はは、いーっスよーだ」
 どうしても顔が引き攣ってしまう。鳥束はめげずに笑って、最初の定番の袋を開き、一つずつ取り出していった。
 僕も、ソファーから絨毯に移り、その作業を傍で眺める。
「あぁー、楽しみだな」
『そうだな』
「早く夜にならないかな」
 そいつは、ちょっと困る。と思ったら、鳥束もほぼ同時に自分の言葉を打ち消していた。
「やっぱダメだな、そしたら斉木さんとの時間が早く終わっちゃうからダメだ」
『同じ事考えるな』
 浮かんだのも反射的なら、送ってしまったのも、つい反射でだった。
 叩き付けてから、自分にあっと息をのむ。
「――!」
 気付いたら押し倒されていた。超能力者に反撃の余地も与えず襲い掛かるとは、鳥束の癖にやるじゃないか。
 そう思う間に頬に息がかかる。
 山と積まれた僕への気持ちが、どどどっと一気に雪崩を起こして襲い掛かってくる。
 たまらずに目を瞑ると、唇が塞がれた。

「斉木さん……すき」
 鼻息荒い。口も獣みたいにはぁはぁしてる。まあこういう時は人間も獣になるな。特にコイツじゃ。
 僕だってそう変わらない。最初のキスの時点で、そっちへ行ってる。
「っ…う」
 唇もほっぺたも噛むようについばまれ、痛いのとくすぐったいのと入り交じった感覚にしようもなく震えが走る。
 今にも意識がそちらへ全力で寄りかかりそうなのを、必死に食い止め、寝室に瞬間移動する。
 絨毯の上から、ベッドの上へ。
 鳥束はまるで気にせず愛撫を続けていた。
 薄目で伺えば、すぐそこに鳥束の顔。見え過ぎて嫌だなとちらっと過ったので、睨み付けて消灯する。それでも部屋の中は充分明るい。
 まだ昼間の時間帯なのに、ここには鳥束と僕しかいなくて、でもいつもの無人島じゃなくて、山奥に取り残された僕ら。
 だったら、思う存分、楽しまないと。
 上に乗っかる鳥束をひっくり返して、自分が上になる。
 部屋の中は充分明るいが、光源はない。だから、今鳥束が眩しそうに目を細めて見ているのは、僕以外にない。
 僕もきっと、同じような顔をしているに違いないんだ。

 

 

 

 五月某日、曇り時々小雨。

 昨日は土砂降り、今日は時々小雨、だからか、昨日よりは駅前の賑わいは増していた。
 バスが駅前に近付くにつれ、受け取るテレパシーの数も増え、ざわざわがやがや騒がしくなっていくから、僕はすぐに折り返しバスに乗りたくなった。
 鳥束の心の声は百人分に匹敵するほどうるさいがしかし、この騒々しさに比べれば百倍ましだ。
 やれやれ…うるさいのは大嫌いだが、美味しいスイーツの為なら我慢しよう。
「ええと、まず買い物っスね、昨日寄ったスーパーはこっち――斉木さん!?」
『その前にな鳥束、こっちからな、極上のコーヒーの香りがするんだ』
 スーパーと反対方向に歩き出す僕に仰天し、鳥束は「待って待って」と引き止める。
『あったぞ鳥束、見ろ、あの完璧な形を!』
 ソフトクリームの模型を目に留めたとめたからには、止まれない。
『カフェオレソフト…だと?』
「はぁ〜…はいはいわかりましたよ、まずそっち行きましょうね」
 うむ、行こう。

 うむ…いいな、全然嫌いじゃない。この深い香り、さっぱりとした味わい、カフェオレソフトクリーム、最高だ。
「買い物は最後でいいですもんね、まずは斉木さんの食べ歩き、お供するっス」
 いい心がけだ鳥束。
 さて次は。
 カフェオレソフトの次は、またもソフトクリーム。今度は抹茶の渋いグリーンに目を奪われた。
「二回連続で、大丈夫っスか?」
『なにがだ?』
 まあ、自分でもソフトクリーム二連続はさすがに飽きるだろうと思ったが、それが全然そうではなかった。
 ぺろりと平らげた自分に我ながら感心する。
 大丈夫も大丈夫、あと二周は余裕で出来そうだ。
 しかし鳥束がえらく心配そうに見てくるので、そんなやわな腹してないと突っぱねつつ、素直に言う事を聞く。

 さて三軒目は、三軒目こそ、事前にチェックしていた「チーズケーキが美味しいお店」に行くとしよう。
 ところが。
 その途中、二人連れの女子が手にするソフトクリームを見てしまった。
 一人は紫芋と抹茶、もう一人はストロベリーと紫芋。どうやらすぐそこのお店で買ったものらしい。
『鳥束、なあ』
「ダメですよ」
 どうやら、僕が自分でさりげなくと思ったのは全然さりげなくなかったようだ。目の動きはバレバレで、何に心奪われたのか筒抜けで、だからみなまで言う前に鳥束にぴしゃりと遮断されてしまった。
「さすがに食べ過ぎです」
 冷たいもんばっかり、めっですよ。
 鳥束に言われるとより情けなさが増すな。
「ぐっ……睨んでもダメなもんはダメっス」
『昼が入るよう、ちゃんと計算の上で食べてる。時間だって全然差し迫ってないだろ。何も心配ないんだ、止めるな鳥束』
「そうは言いますけど、斉木さん……」
『僕の食べ歩きのお供するって言った癖に。お前の財布にも考慮して、食べ歩きの安価なものを選んでるのに』
「うっええ、言いましたし、全然響いてはないっスよ、むしろまだまだけますよ。でもね、あんまり冷たいものばっかは、めっです」
 なんだお前さっきから、小さい子に言い聞かせるみたいに。
 そんなにここで駄々こねてほしいのか?
 見せてやろうか、超能力者渾身の駄々を。
「もー斉木さん、そんな事しても、自分が後で恥ずかしくなるだけっスよ」
『ああ、言ってる傍からもう恥ずかしくなってるよ』
「でしょ。あ、ほら斉木さん、温泉地ならではの、あったかい温泉饅頭食べましょ」
 言うが早いか、鳥束は自分と僕の分と、二個をささっと買い求めた。
「はいどーぞ」
 いただきます。
 これはこれで……嫌いじゃないんだよなあ。
 家で食べても、まあそれなりに美味いのだが、こういった現地で、食べ歩きで感じる美味さは別次元なんだよな。
「ん、これ…あんこ美味いっスねえ」
 しみじみと感動する鳥束。わかるぞ、うん。
「渋いお茶が欲しくなりますね」
 それもよくわかるぞ。

『ということで鳥束、ソフトクリームいこうか』
「だからいきませんて!」
『っち、ダメか』
「ダメっス。チーズケーキが美味しいお店に行くんでしょ、ほら、斉木さん」
 歩き出す鳥束に合わせて身体の向きを変えるが、中々一歩が踏み出せなかった。
 切り札を取り出す。
『寄ってくれたら、星空の下のバーベキューパーティーを約束してやる』
「え……、え!」
 一瞬置いてから、鳥束は僕の発言の意味を正しく理解した。
「ほんと……ほんと斉木さん!」
『ああ本当だ。寄ってくれたら、夜はお前の為に雨雲を払って、バーベキューでも花火でも付き合ってやる。だからあそこのソフトクリーム、食べさせろ』
「はぁ〜……ほんと、アンタって人は」
 スイーツの事となると見境ないんだから。
『ああ、ないぞ。ついでに、お前と一緒に楽しく過ごせるなら、お前が楽しく過ごす為なら、何だってしてやる』
「あぁんもぅ…斉木さぁん」
 感激零太のキモイ乙女モードに苦笑いしつつ、ようやくゲット出来た三つ目のソフトクリームに舌鼓を打つ。

 ソフトクリームは三つで打ち止め、その後はまた別のところの温泉饅頭を頬張り、次は名物のかまぼこをかじった。これは鳥束の希望で、塩気のあるものが食べたいという言葉に僕もつられて一緒にかじった。串にささった揚げかまぼこで、出来立て熱々はこんなに美味しいものかと素直に感動した。
 まだ腹に空きはあったが、夜のバーベキューの事を考慮し食べ歩きはここまでにして、お目当てのチーズケーキをじっくり味わった後、予約していた甘味処に向かう。
 雨の中随分な行列が連なっていた。もちろん僕らは、鳥束が予約しておいたお陰で待たずに入れた。
 これだけ人気なら、味もさぞ期待出来るというものだ。
 果たしてその通り、昼御膳セットは僕を大いに満足させた。
 そんな僕を見て鳥束は喜び感激し、心のフィルムに焼き付けるんだと僕を穴が開くほど見つめてきた。
 うるさくてかなわなかったが、コイツが嬉しそうにするのを見るのは、満更でもないんだよな。
 全然、嫌いじゃない。

 それから夜の為にスーパーに向かい、バーベキューの材料を買い揃える。
 両手いっぱいに買い物をして、僕らはバスに乗り込んだ。
 バス待ちの間にまたパラパラと雨が降り出して、こりゃコテージの方は大雨だろうな…そんな事を思いながら、走り出した車窓をぼんやり眺める。
 コテージ最寄りのバス停は、実は観光ホテルが並ぶ場所であり、バス停周りは結構賑わっている。
 僕らはそれに背を向けて、舗装されていない緩やかな上りの山道に分け入りコテージを目指した。

 降ったり止んだりの空模様、今はちょうど合間の曇りで、傘は差さずに歩いて行けた。
 木々の向こうにバス停が隠れた頃、鳥束は口を開いた。
「ねえ斉木さん、行きみたいに、腕組み、しません?」
 鳥束は、片手に傘とぎゅうぎゅうパンパンの買い物袋、もう片方に同じくらいぎゅう詰めの買い物袋を下げていて、その片方の肘を僕に向けて誘ってきた。
 まあ、してもいいが。
 その場合互いの間でブラブラする買い物袋が歩くのに邪魔だな。
 だから、僕は。
「あ、え!」
 鳥束が下げる買い物袋の半分を掴んだ。そして、鳥束より一歩先んじる。そうすれば上手く上り坂で身長差が釣り合い、一つの荷物を具合よく分け合う事が出来る。
「えー……。えへ、えへへ」
 すぐ後ろから、腑抜けた笑い声が聞こえてきた。
 嬉しくて緩み切った、そんな声に、おぞ気が走るわニヤつくわ、忙しない。
 まったく、何を自分らしくない事してるんだか。
 でもたまにはいいよな。こんな馬鹿馬鹿しい事、たまにはしたっていいよな。
 誰もいないし、幽霊も見てない。ここには生きた人間は僕と鳥束の二人だけ。
 少々の山の生き物が割り込んでくる事もあるが、本当に静かで、過ごしやすい。
 そんな環境を提供してくれた鳥束に、ちょっとお返しくらい、したっていいよな。
「斉木さぁん」
『なんだ』
「夜のバーベキュー、楽しみっすね!」
『……ああ。そうだな』
 僕は肉より野菜より、スイーツだが。
 さっき約束した事で舞い上がったお前が大枚叩いて買ってくれたから、食べ放題出来るほど盛り沢山だ。
 テーブルに全部並べて、どれから食べようか悩んでみようか。星空の下で。ああ、なんて贅沢な。
 僕も、楽しみだよ。


「言った時はね、半分冗談だったんスよ」
『だったな』
「ほんとに、冷蔵庫パンクしそうなほど買いましたね。……スイーツ」
『そうだな』
 鳥束が、せっせと買い物袋の中身を冷蔵庫に詰め込んでいる。
 そう、あのぎゅうぎゅうパンパンの買い物袋に入ってたのは、バーベキューの食材はほんの少々で、大半は僕のスイーツだった。
 なにせ二人だから、バーベキューもそんなに食べられない。生ものだから傷みを考慮して少な目に、でもこんな機会滅多にないからちょっと奮発して良いものを買った。
 鳥束はその肉のパックを見つめ、えっへへと頬を緩ませた。
 僕は、ずらりと並んだ駅前限定スイーツにうふふと目を細めた。
 えへへ、うふふ。
 後で思い返す…までもなく、笑ってる今この瞬間からもう消したい記憶になってる気持ち悪い僕たちだが、緩んだ顔は中々元に戻らない。
 かと思えばパチリと何かスイッチが切り替わったみたいにお互いすっと真顔になって、そこからは、淡々と夕飯のバーベキューの支度にとりかかった。

 二人で黙々と作業をする。
 鳥束は肉類に、僕は野菜に串打ちしていた。
 何とはなしにそういう分担になったので、作業台に二人で並んで、向こうは肉、僕は野菜を切って、組み合わせて、端から一つずつ串にさしていく。
 鳥束の浮かれた思考が流れ込んでくる。ひと続きではなくとりとめがなくて、まるで誰かがラジオをカチカチ適当に回しているのを端で聞いてるような…そんな、ちょっとぼんやりとしていてなんとなくいい気分になる時間。
 単純作業の時は、こんな風になるものだ。
 自分もそうだ。何も考えないってわけじゃなく、かといって一つに集中するでもない、好き勝手転がるままにぼんやり耽る。
 ああ、嫌いじゃないな、こういうの。
 なんともむず痒くて、心地良い、ふわんとした時間に、僕はゆるく浸った。

 鳥束の事だから、ぷかぷか浮かぶ思考は半分くらいえげつない生々しいものが混じるけど、自分はそれに本当には嫌悪感を抱かない。
 まずいな、相当毒されてる。コイツはこれで正常だと、むしろ寛容している。
 まずいまずい、良くない傾向だ。
 でも。
 うるさいとぶっ飛ばして中断するのは惜しいから、仕方なく見逃す。
 そう、仕方なくだ。コイツの煩悩を止める手立てはないし、今更も今更だし、それでもいいと選んだのは僕だし。
 だから、そうだな、いいか。

「ねー、ついでに花火の準備も、しときましょうよ」
 バーベキューの下ごしらえを済ませ、だだっ広いリビングに移ったところで、鳥束はそう提案した。
『そうだな。こまごました事はさっさと済ませておくか』
「わーい、花火!」
 まるで五歳児みたいに無邪気に両手を振り上げ、鳥束はいそいそと取りに行った。
 戻ってくるまで立って待つ事もない、僕はソファーに身を沈めた。正面にあるどっしりした暖炉をしばし眺め、それから背もたれに頭を乗せる。昨日は、あまりに違う環境でくつろげるのかと思っていたが、意外に順応するものだな。

 やがて戻ってきた奴の手には、それ何人分だっていう束が抱えられていた。ちょっとクラっときた。
「はい、花火!」
『……うん』
 あんまり引いちゃ五歳児に悪いと頑張って合わせる努力をするが、慣れない事はするもんじゃないな。本当にちょっと目眩がした。
「いやだって、あのね斉木さん、今って色んな種類ありすぎなんスよ」
 ソファーの前に敷かれたふかふかの絨毯の上にあぐらで座り、鳥束は一つずつ説明する。
「こっちは昔ながらの詰め合わせで、こっちは写真映えする煙の少ないの、でも一個じゃ写真撮り足りないかと思ってもう一個、あとこれはね「火花がハートに見えるステキなレンズ付き!」っていうの!」
『……うん』
「はは、いーっスよーだ」
 どうしても顔が引き攣ってしまう。鳥束はめげずに笑って、最初の定番の袋を開き、一つずつ取り出していった。
 僕も、ソファーから絨毯に移り、その作業を傍で眺める。
「あぁー、楽しみだな」
『そうだな』
「早く夜にならないかな」
 そいつは、ちょっと困る。と思ったら、鳥束もほぼ同時に自分の言葉を打ち消していた。
「やっぱダメだな、そしたら斉木さんとの時間が早く終わっちゃうからダメだ」
『同じ事考えるな』
 浮かんだのも反射的なら、送ってしまったのも、つい反射でだった。
 叩き付けてから、自分にあっと息をのむ。
「――!」
 気付いたら押し倒されていた。超能力者に反撃の余地も与えず襲い掛かるとは、鳥束の癖にやるじゃないか。
 そう思う間に頬に息がかかる。
 山と積まれた僕への気持ちが、どどどっと一気に雪崩を起こして襲い掛かってくる。
 たまらずに目を瞑ると、唇が塞がれた。

「斉木さん……すき」
 鼻息荒い。口も獣みたいにはぁはぁしてる。まあこういう時は人間も獣になるな。特にコイツじゃ。
 僕だってそう変わらない。最初のキスの時点で、そっちへ行ってる。
「っ…う」
 唇もほっぺたも噛むようについばまれ、痛いのとくすぐったいのと入り交じった感覚にしようもなく震えが走る。
 今にも意識がそちらへ全力で寄りかかりそうなのを、必死に食い止め、寝室に瞬間移動する。
 絨毯の上から、ベッドの上へ。
 鳥束はまるで気にせず愛撫を続けていた。
 薄目で伺えば、すぐそこに鳥束の顔。見え過ぎて嫌だなとちらっと過ったので、睨み付けて消灯する。それでも部屋の中は充分明るい。
 まだ昼間の時間帯なのに、ここには鳥束と僕しかいなくて、でもいつもの無人島じゃなくて、山奥に取り残された僕ら。
 だったら、思う存分、楽しまないと。
 上に乗っかる鳥束をひっくり返して、自分が上になる。
 部屋の中は充分明るいが、光源はない。だから、今鳥束が眩しそうに目を細めて見ているのは、僕以外にない。
 僕もきっと、同じような顔をしているに違いないんだ。

 

 

 

 五月某日、晴れ。

 事前に、よーつぼでとても分かりやすい火起こし動画を見てイメトレしてきたと、もたつきながらも中々の手際の良さで、鳥束はバーベキューの準備を進めた。
 最悪一時間は待つだろう、それくらいなら何とか頑張って我慢しようと辛抱モードでいたので、三十分もしないでバーベキュー開始出来たのは、本当に幸いだ。
 ちょっとうん、ちょっとだけ見直したぞ、鳥束。
 まあ僕はコーヒーゼリーがあれば何時間でも待てるがな。
 そして今僕の手元にはそのコーヒーゼリーがある。
 何故かと言うと、バーベキューの準備をしてくれたそのお礼と、ご飯前のコーヒーゼリーを許されたからだ。
 ウキウキほんわかである。
 それをゆっくり味わっている間に、準備は整った。

『よし、じゃあ鳥束、乾杯の前に何か一言な』
「え、えっ、オレスか?」
 自分を指差す間抜け面に、こっくり頷く。
 ジュースのコップ片手にガタガタ立ち上がり、鳥束はおほんと一つ、わざとらしい咳払いをした。
「あの〜…鳥束零太です」
『斉木楠雄だ』
「斉木さん!」
 すぐさま苦笑いが飛んできた。すまん。
「あーもー、挨拶上手な幽霊もいないし憑依も使えないし、どーしよーもー……」
 緊張で汗がひどいと、鳥束はしきりに手のひらをズボンで擦った。
『お前の思った通りでいいんだよ。そら、約束通り満天の星空にしてやっただろ。明日まで晴れは保証する』
「ううっ、あざっス、ではえと、……斉木さん、今日は……いえ、いつもいつも、ありがとうございます。時々意地悪だけど、すっごく優しくて甘くて、大好きです…どうかこれからも一緒に、いたい、オレ一生懸命頑張りますから、どうぞよろしくお願いします!」
 うん、まあまあだ。そんで乾杯な。
「あ、あっえへ、かんぱい!」
 中身をかける勢いでコップが寄せられる。
 おいあぶないな。
 締まりがないが、お前らしくてよかったよ。
「はぁー……もー急に言うから…よっし、食べましょ!」
 ああ、食べよう。

 バーベキューの間鳥束は何度も満点の星空を見上げては、ぐすぐすと鼻を啜った。
 そうだな、切望した星空の下のバーベキューだものな、何度だって見たいよな。
 何度見ても、感激するよな。
 僕はその顔を見る内に、段々腹が立ってきた。
 最初の内はまあまあ共感出来たし、僕自身、ご飯前のコーヒーゼリーで結構気分が盛り上がっていたが、それも段々と下がってきた。
 そんな僕にはまったく気付かず、鳥束は大はしゃぎで夜空を見ちゃ、綺麗綺麗と僕に手を振る。
 そうでない時は、奮発して買った塊肉にかぶりつき美味い美味いと絶賛した。
「斉木さん食べました? いやー、やっぱお高い肉は違うっスね!」
『そうだな』
 どんどん食べましょうと、鳥束はすすめてきた。
 星空を見ちゃ笑顔、肉を食べちゃ笑顔、僕を見ちゃ笑顔。心の中も同様だ。何をしても、楽しい楽しい、嬉しい、たまらなく幸せ、馬鹿みたいにこれらを繰り返し、心から喜んでいる。

「はぁー……」
『なんだいきなり、深いため息なんてついて』
「だって、だってこんな嬉しい事ってないっスよ」
『大げさな奴だな』
「いやだって斉木さんと旅行して、るんスよ!? その上こんな、オレの想像した通りの満点の星空でバーベキューなんてして…夢じゃなかろうか……」
『ひっぱたいてやろうか?』
「いえそれはいいです」
 びしっと手が立てられる。
「ちゃんと現実だって理解してます」
『そうか』
「残念がらない! 斉木さんてば、すぐぶっ飛ばそうとするんだから」
 でも、そういうとこも好きなんですよ。
『筋金入りの変態だな』
「もー。いっスよーだ」
 斉木さんになら、きっと、何されても嬉しくなると思います。
『怖いな…今後の付き合い、考えるか』
「考えるならいい方向でね」
 ジュースを継ぎ足してきた。
 僕にとって、いい方向なんだがな
「斉木さん、足りてます? コーヒーゼリー持ってきましょうか」
 腰を浮かす鳥束に手を振り、充分だと伝える。
「言って下さいね、すぐ、取ってきますからね」
 美味しいもの食べて飲んで、とことん楽しみましょうと、突き抜けた笑顔が伝えてくる。
 それを見たら、いつまでもくすぶっている自分が馬鹿らしくなった。
 一緒に楽しもうとはしゃいでるんだ、僕も、つまらない事でぐずぐず拗ねてないで乗るとするか。

『よし鳥束、花火するぞ』
「はい、やりましょ!」
 斉木さん、やる気で、嬉しい!
 鳥束の思考が、華やかにパチパチと弾ける。
 まるで花火のような、そんな賑やかな心の声。あまりの眩しさに思わず目を細める。
「まずは定番のからっスね」
 いそいそと準備をして、鳥束は一本僕に寄越してきた。
「これ、いっぱい色が変わるんですって。オレはこっちの、なんかバリバリ言うのにしますね」
 風避けのバケツの中にたてたろうそくで点火し、そっと息をひそめる。
 シュワーっと噴射される赤い光に、鳥束は歓声を上げた。
「わー、キレイキレイ! あ、今度は緑っスね!」
 なんて無邪気に、屈託なく笑うのだろう。
 様々に変わる花火の色につれて、鳥束のそして僕の肌の色もそれらに染まる。
「斉木さんのすごいすごい! オレのもこれすごいっスね!」
 お前の声を聞くと、なんでこんなに胸が締め付けられるのだろう。
 力一杯、喉が張り裂けるくらい叫んで、それでも足りないほどのお前への愛情が、身の内に際限なく膨れ上がっていくようだ。
 いっそどこか山のてっぺん…いや宇宙空間にでも行って、気が済むまで叫んだ方がいいだろうか。
 うわなんだこれ、恥ずかしい、ありえない、自分じゃないみたいだ。
 どくどくと血の流れに乗って全身をめぐるお前への想いが、今にも両の目からあふれ出そうになる。

『よし、鳥束、ここで勉強な。花火の色が変わるのはなぜか、だ』
「はがぁ? なんでいきなり勉強会!?」
 全身で拒絶反応を示し、鳥束は花火を取り落としそうになった。あたふたと踊る様に僕はにんまりと笑い、冗談だと手を振る。
「んがー、もおー! 危うく蕁麻疹出るとこでしたよ!」
 あーびっくりした
 まあ、許せ。さっきお前が星空ばかり見てたのがちょっと癪に障ったのでな、そのうっぷん晴らしだ。
 本当はそんな事、なかったのにな。星空を見るよりたくさん僕を見て、僕といる事を喜んで、何より幸せに感じていた。
 僕はそれがとてもむず痒くて嬉しくて、だからつい悪戯をしてしまったんだ。
「あんまり意地悪するなら、オレだって怒りますよ」
『ふぅーん。ちなみに怒るとどうなるんだ?』
「斉木さんにコーヒーゼリー持ってかなくなります」
『……はぁ』
「自分で取ってきてください」
『ああ……そう』
 困るか?
 いや、あんまり。
 手持ち花火が燃え尽きる。デッキの軒先にひっかけたランタンの灯りだけになった中、僕は質問した。
『ちなみに怒りを解くにはどうすればいいんだ?』
「ここです、ここ」
 自分のほっぺたを指先でつんつんする。
『ははぁ、そこをえぐるようにぶん殴ればいいんだな』
「違うっ!」
 もー、暴力反対!
『わかってるよ、こうだろ』
 顔を寄せると、たちまち鳥束はにまにま気持ち悪い笑顔になった。
 まあ、ここで素直にキスしないのが、僕なんだがな。学習しないなぁ鳥束。
 がぶり
「いでー!」
 絶叫が響き渡る。こういう時山奥の一軒家はいいな、まったく怪しまれない。

「くぅ……マジいてぇっス」
 ふざける余裕もないくらいと、本気の涙目になってしまったので、詫びも込めて僕は抱き寄せ今度こそちゃんとキスをした。
『まだダメか?』
「うっ…ぐ、すんげぇ嬉しいんスけど、痛いは痛いんで、感情ぐらぐらっス」
『怒ってるか?』
「や、怒ってはないっス。むしろ斉木さんにかじられて、嬉しいような?」
『うわ、やっぱり付き合い考えるよ』
「やあぁーん!」
 奇声を発し、鳥束はがばっと抱き着いてきた。
 おい、これじゃ花火が出来ないだろ。
「もー少しだけ。夜は長いんだから、もうちょっとこうしてて、斉木さん」
『やれやれ』
 なんて言いつつ、鳥束を抱き返す。
 僕だってもう少し、こうしていたい。

『おい、盛るな』
 唇にキスを寄越してくる鳥束に、ぴしゃりとひと言。
「だって、斉木さん、あんまり可愛いから」
 そしてまたキス。
『食べ足りない。飲み足りない。コーヒーゼリーもまだほしいし、花火だってしたい』
 伝えると、鳥束は腹の底から息を吐き出した。やけに熱っぽいそれに思わずぐらりと揺らいだが、食欲が満たされてないのは鳥束も同様で、得も言われぬ顔で笑うと、名残を惜しむキスを一つして、それから離れた。
「バーベキュー終わって、片付けして、その後なら、付き合ってくれますか?」
『その時お前にまだ元気があるならな』
「言いましたね。よっし、予約取り付けたっスよ。オレの底力、舐めないでくださいね」
 舐めてもないし、侮ってもないよ。
 だが今は、肉だ肉。それとコーヒーゼリー、そして花火。
 僕だって、今日だけの夜をとことん楽しみたいんだ。
「よぉっし、食べますよ斉木さん!」
 食べて精力つけて、うふ、今夜は寝かせませんからね。
 う、突如寒気が。
「わざとらしく震えないの!」
 苦笑いの鳥束に軽く肩を竦め、僕はテーブルについた。


 ちなみに。
 宣言通り、鳥束は中々の馬力を見せた。
 やっぱりお高い肉はそこも違うんだな。
 僕らは飽きる事無く互いを求め、日付が変わる頃、気を失うように眠りについた。

 

 

 

 五月某日、晴れ。

 今朝も、昨日と同じく静かで爽やかな朝…とはいかなかった。
 朝日に急かされたのか、やたら早起きの鳥束の心の声に、ある意味叩き起こされた。
 鳥束はこれっぽっちも、起きろだの早く目を覚まさないかなだのは言ってなかった。願ってなかった。むしろ逆だった。
 ゆっくり休んでほしい、もっと長く寝顔を見ていたい、斉木さんの安眠を邪魔したくない、ひたすらそればかりを繰り返していた。
 常人ならば、声に出さぬ限りわからないので、願った通りぐっすり眠りこける事が出来るだろう。
 だがあいにく僕は超能力者で、起きている限り他者の思考を聞き続ける仕様になってる。
 繰り返すが鳥束は、僕の邪魔をしようだなんてわずかも思ってなかった、その逆であった。
 聞き取ってしまう僕が残念なのだ。
 そう、残念ながら鳥束の願いも空しく、僕は鳥束の願いによって叩き起こされる事となった。

 っち、やれやれ、今何時だ……?
 渋々目を開けると、洗面所から戻ってきたばかりの鳥束とぱちりと目が合った。
 視線がぶつかった事に鳥束は無邪気にはしゃいで、いそいそと僕の側によると、おはようのキスとやらを頬にしてきた。
 コイツ朝からうぜぇなあ。
 なんとも贅沢極まりない文句を垂れる。
『いま…何時だ?』
「ちょうどぴったり五時半です」
 あぁ?
 なんだコイツ、年寄りかよ。
 唸りながら身体を丸める。
「斉木さん、起きたならちょうどよかった」
 全然よくないしまだ起きてない。
「お庭がすげーキレーなんスよ」
 そうか、行かない。
「よかったら、ちょっと朝の散歩と洒落込みませんか」
 洒落込みません。
「結構空気ひんやりしてるんで、上着はしっかり着てくださいね」
 行かないっつってるだろ。
『……やれやれ』
 仕方なく顔を出すと、さっきと変わりない、憎たらしいほど爽やかな鳥束の笑顔がそこにあった。

 階段を降り、中庭に出る。
 鳥束の揃えてくれた靴に履き替え、僕はのろのろと外に出た。
 そして。
『ん』
 半開きの目で鳥束の方を見やり、ぞんざいに手を伸ばす。
「え、え……はい、……?」
 その手をおっかなびっくり掴み、鳥束はうろたえた。
『僕はまだ、半分眠ってる。とりあえず半分だけ付き合ってやるから、半分寝てる僕が躓かないよう、しっかりエスコートしろ』
「わ……わかりました」
 鳥束は神妙な顔で頷き、しっかり手を握ると、ゆっくりと歩き出した。

「さて、どこ行きましょ」
『どこでも。お前の行きたいところに任せる』
「じゃあ、敷地内をぐるっと一周で」
『ああ』
 中々立派な庭園は、今もきちんと手入れがなされ、季節の花々が咲き乱れていた。
 それを眺めながら鳥のさえずりを聞くのは、なんとも贅沢な気分だと、鳥束はご機嫌だ。
 まあ確かに、さえずりの内容を無視すれば爽やかな朝の空気が味わえるな。
 わかったわかった、後でパンくずとか見繕ってちゃんとまいてやるから、そうひもじいひもじい連呼してくれるな。
 どうやら、過去にここに泊まった連中から学習したようで、僕たちがまだ何も寄越さない事にご立腹のようだ。
 仕方ないだろ、雨続きだったんだから。
 やれやれ、ちゃっかりしてるな。ま、たくましく生きろよ。
「寒くないっスか、斉木さん」
『平気だ』
「あれ斉木さん、何か面白いものありました?」
『いや、特には』
 せっかく鳥束はいい気分でいるのだ、余計な事は言わないに限る。

「あー!」
 突然大声出すな、馬鹿。
「見て見て斉木さん、――!」
『見てる』
「見てる? 凄いっスねえ」
 さすが日本一の山っスねえ。
 遠く望む富士山に、鳥束は長い溜息を吐いた。
 この時ばかりは僕もちゃんと目を開け、鳥束と同じものを見た。
 ここら一帯の雨雲を、昨夜思いっきり除けてやったからな、見渡す限りの青空と、白く雪化粧した富士山は、目にも鮮やかだ。
『目的果たせて良かったな』
 ここを選んだ理由の一つ、だものな。
「えへ、斉木さんやさし。嬉しいっス」
 むず痒そうに笑って、鳥束は喜んだ。心の中も歓喜一色で、混じりけなしの喜びは僕にも伝播して、頬を緩ませた。
「を……キレーだな」
 燃堂父すら感激させる、さすが富士は日本一の山だ。



 さて、今日で最終日、この朝食がこのコテージで食べる最後の食事だ。
 というわけで、僕が作るとしようか。
「オレが全部って言ったのに、結局半分は斉木さんにしてもらいましたね。すみません」
『なに、いい。二晩続けてご飯前のコーヒーゼリーもらったからな、とても気分が良いんだ』
「あざっス」
 作るのは、某有名ホテルの朝食、混ぜないスクランブルエッグ。
 以前テレビで紹介されているのを見て、どんなものだろうかと試しに作ってみたところ、びっくりするほどの絶品が出来上がった。
 しかもびっくりするほど簡単なのだ。小難しいテクニックを必要としないのはありがたい。
 これまで何度か、普通のスクランブルエッグに挑戦し、箸が砕ける、フライパンが変形すると、失敗続きの僕でも作れる逸品だ。
 断っておくが、僕は海藤みたいなメシマズ製造機じゃない。地獄の一般的なホニャララなんて、一度も作った事はない。ただ、実際の手足を使う細かい作業は制御が難しく、不向きで、そのせいでありえない失敗をしてしまう、それだけだ。超能力を混ぜればひと通りは行えるからな、そこ勘違いしないでもらいたい。
 そんな僕だが、このスクランブルエッグだけは別だ。細かい作業がほとんどなく、むしろあまり「触らない」のが美味しく作る秘訣なので、礼代わりに振舞うにはうってつけのメニューだろう。

 座って待ってろっていうのに、鳥束の奴、感激で僕の側を離れたがらない。
「写真撮っていいスか?」
『駄目だ』
「そんな事言わずにっ!」
『駄目だ』
「斉木さん、お願いしますっ!」
『……わかったわかった。ただし、変なものが写っていても一切苦情は受け付けませーん』
「意地悪しないでぇ」
 茶番はこれくらいにして。
『撮るならさっさとしろ、もう出来上がるからな』
「あざっス!」
 右から左から、ズームで、何度もシャッターを押す。
『撮ったら速やかに運べよ』
「はいっス!」
 鳥束はいそいそと皿を運び、テーブルに並べた。
「うわー、今朝もまた、貴族の朝食っスよ!」
 バシャバシャ撮りまくり、かと思えば肩を小刻みに震わせ、感極まった様子で目を潤ませた。
「食べるの、もったいないっス……」
『あっそ。いただきます』
 そんな鳥束を尻目にさっさと席に着き、手を合わせる。
「あーあーもー、ちょっとくらい余韻に浸らしてくださいよ」
 鳥束も急いで向かいに座る。
『別に、お前は撮り続けててもいいぞ。僕は僕で好きに食べるから』
「あぁん、一緒に食べましょうよ。すっごく美味そうじゃないっスかこれ!」
 …まあな。ちょっとは自信があるんだ。
『お前の口に合うかはわからんがな』

 ――いただきます

 神妙な顔で手を合わせる鳥束から、僕はさりげなく目を逸らした。
 でもそうしたって、どうしたって、嫌だって、心の声は流れ込んでくる。
 真剣なあまり難しい顔になって、鳥束は初めての味に小さく唸った。
 常人ならここでハラハラするところなんだろうが、僕には全てが筒抜けだ。
 何を感じ、どう思い、どんな感情が爆発しているか、逐一報告される。
 お陰で、嬉しさに笑いたくなるのを必死に堪える始末。
 こういう時、僕もただの人間だと思い知る。
「はぁ……うまーい!」
 感激が追い付かないと、鳥束は全身で喜びを表した。
 僕はテーブルの下でこっそりと拳を握り締めた。


「ごちそうさまでした!」
 お粗末さま
「はー…斉木さんの手料理…こんな美味いもの独り占め出来るなんて、幸せ過ぎて罰当たりそうっス」
『今すぐ天罰下してやろうか?』
「いや、ちょちょちょ、やめて!」
『心当たりはいくらでもあるだろ。その内のどれかだ』
「適当だなーもー」
 ぼやく鳥束にふっと鼻で笑い、さっさと片付けに取り掛かる。
「あら斉木さん、食休み、ちゃんとしないとっスよ」
『まだ一つやり残したことがあるんでな』
「え、なんかありましたっけ?」
 肩越しに振り返り、僕は片方の口端を微妙に持ち上げた。

 わーい、わーい!
 遊園地で誕生日を祝ってもらう子供より大はしゃぎで、鳥束は窓からの眺めに歓声を上げた。
「心残りって、これでしたか!」
『ああ、お前のな』
 計画の時点で、風呂場からも富士山が見える、来る前も来てからも、富士山が富士山がとにかくうるさかったろ。
 きちんと叶えておかないと、後々まで引きずるからな。
「しかも、誘っても誘っても断られ続けた一緒にお風呂も叶えてくれて……零太カンゲキっス」
 斉木さん、ありがとう!
『ハイハイ、良かったな』
 泣き真似じゃなく本当に泣いてるよ。コイツどんだけ涙もろいんだか。
「ぐすっ…斉木さんが泣かせてんスよ、もっと自覚してほしいっス」
『人をいじめっ子みたいに言うな』
「言ってません、斉木さんは人を喜ばせる天才で、優しい人です」
『ふん、それも間違いだ』
「間違いじゃないっス」
 ちゃぷんと湯を波立て、鳥束は抱き着いてきた。
『鬱陶しい』
 心底嫌がる顔をするが、鳥束はぜんぜんめげない。めげるどころか頬に口付け、もう一個願いを叶えてほしいと図々しくも頼み込んできた。
 頼みごとの中身は、聞くまでもない。
 まあ……朝風呂に誘った時点でこうなる事は予測していたというか期待していたというか。
 だが素直に出すのは癪に障る、僕の主義に反する。
『やりたきゃ、僕をその気にしてみろ』
 本当のところはもう、すっかりその気だがな。
「ええはい、望むところっスよ」
『満足出来なきゃ潰すからな』
「ひゃ、おっかね……大丈夫ですよ、自信あります。だって斉木さん、オレの事大好きですもん」
 誰が何だと、コラ。
 肩を掴み、正面から睨み付ける。
「オレの事大好きで、オレの身体大好きで、だから勝ち目しかないですね。それに昨日の肉も、まだ残ってますし」
『ふん、どうだかな』
「じゃあ試してみましょ」
『ああやってみろ』
 お互い見合って、お互い勝ち気に笑う。言い合う内に近付いていった唇が、とうとう重なる。


 言うだけあって、鳥束はきっちりしっかり僕を満足させた。
 そのせいで本人は少々疲れ気味になったが。
 簡単に言うとのぼせたのだ。長風呂のせいで。
 リビングのソファーに寝かせ、水を飲ませる。
「あざっス……」
 恥ずかしそうに笑って、鳥束はごくごく美味そうに飲んだ。
『復元するか?』
 あんまり具合が悪いなら、手を貸すぞ。
「いえ、そこまでは。ちょっと休めば大丈夫っス」
 これもいい思い出ですし
『ふん…悪かったな』
「いえいえ、サイコーでした」
 斉木さんのイイ声一杯聞けたし。
 今の今までぐったり萎れていたのに、思い出した途端元気一杯になるとはさすが鳥束。
『よし、記憶消すか』
「ちょま、やめてやめて、バールのようなもの反対!」
 っち。

 そうこうする内に、ここを出る時間が迫った。
 忘れ物を確認し、館を出て、施錠、鍵は元のキーボックスへ。
 そして。
『ん』
「え?」
 手を差し出すと、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、鳥束は動きを止めた。
『まだ本調子じゃないだろ、山道でふらついたら危ないから、バス停まで引っ張ってってやるって言ってるんだ』
「………」
 なんだよ今更、ここでは何度かやったろ。
「ああ…ええ。あの、朝の反対っスね」
 嬉しそうにはにかみながら、鳥束はおずおずと手を握ってきた。

「あーあ、もう帰るのか。寂しい」
『次は、夏休みだな』
「え……えっ!」
『お前と出掛けると、普段出来ないご飯前のコーヒーゼリーが出来るからな、それ目当てだ』
「ふふ、味占めちゃいましたか。じゃあ斉木さん、また一緒にどこか出かけましょうね」
『いいが、お前と本当に二人っきりになれる場所限定な』
「ん−すんませんちゃんと意味わかってはいるんですけど、なんかそれすっごく意味深っスね」
『……そうだな。自分でも言ってから失敗したと思ってる』
「いいじゃないっスか、それもまた旅のだいご味ってことで」
『……ふん』

「ところで斉木さん、普段のオレは、ダメっスかねえ」
 あ?
 何言ってんだコイツ?
「いつものオレは、あーその…嫌っスか?」
 なんだ、何がどうなってそこに行き着いたんだ。
「いつものオレも、コーヒーゼリー大盤振る舞いするようにします」
 ああ、それか。
『ぷっ』
「なんで笑うのぉ」
 人が真面目にぃ
『ああ、いつでもコーヒーゼリー食べ放題、夢のようだな』
「じゃあ、そう――」
『でも別にそうじゃなくても、いい。口うるさくて煩悩の塊で変態クズでどうにもしようがなくて』
「そこまでズバズバ!」
 もうやめてくれぇ
 ぐすぐすべそをかきはじめた。
 いいから聞け。
『救い難くて手の施しようがないけどな、お前と居ると一番気が休まるんだ』
「え、あ……」
 鳥束の頬が、ほんのりピンクに染まる。
『なんの遠慮もいらないしな、……何をするにしても』
「え、あ……」
 鳥束の顔が、げっそり青白く褪める。
『口うるさくてもゲロ甘でも、どんなお前だって、僕は全然嫌いじゃない』
「さいきさん……」
『じゃなきゃこんな旅行、来てない』
 そもそもお前と付き合う事になんか、なったりしない。
『だからこれからもお前の思うように振舞え。僕も僕で、気にくわなきゃ遠慮せずお前をぶちのめす』
「え、はは。お手柔らかに」
 しょうがないなーと笑う鳥束を斜めに見やり、僕も少しだけ笑う。
 よく肝に銘じとけよ。
 気にくわなきゃ遠慮なくぶっ飛ばすし、したいと思ったら、うんと甘やかす。お前の、何倍も。まあ滅多にないがな。

「もー、いつまでもそんな物騒な目してないで、旅の締めくくり、楽しく行きましょ」
 繋いだ手をぎゅっと握られ、僕は一瞬息を詰めた後、ふんと鼻を鳴らした。
「おうちに帰るまでがって言うでしょ」
『はいはいそうだな』
「ねっ」
 前後だったのを相対にして、鳥束はもう片方の手も繋いできた。そして、一歩踏み出す。何が希望かわかったが、嫌でもなんでもないのだが、つい性分で、一歩退いてしまう。
「ちょ、と」
 締まらないなあと苦笑いして、また一歩詰める鳥束。その分後退する僕。まあ、すぐに、傍の木に背中が当たって退路を断たれるのだが。
「はいもー、大人しく」
 もう逃げ場はありませんよ。
 別に逃げたかったわけじゃない。口実が欲しかっただけだよ。
 近付いてくる顔に、僕はすっと目を閉じた。
 やれやれ、我ながらめんどくさいな。キス一つするのに言い訳欲しがるのだから。
 でもお前は笑って流して、受け入れてくれる。
 いつでも、必ず。
「帰ったら、夏休みの計画立てましょうね」
『――ああ、そうだな』
 サボり魔のお前に、今度はどうやって課題を片付けさせようか、今から入念に計画を練らないとな。
 そしてそれ以上にただ純粋に、夏の旅にワクワクしている。
「夏が楽しみっスね!」
 恥ずかしながら、僕もそうだよ。
 夏はどんなお前に会えるのかな。

 

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