「僕は鳥束様の犬です」

 

 

 

 

 

 大通りの、綺麗に刈り込まれたツツジが満開を迎え、緑が生き生きと活動する春という季節…穏やかで過ごしやすくて、そして眠たい。
 冬の厳しい寒さの中、縮こまって寝てきた後のこの穏やかさじゃ、中々起きられないのも無理ないわ。
 何でも緩んじゃうのも仕方ないね。

 という訳で、通学路で出会った斉木さんに嬉々としてあいさつした後、ふわぁっと大あくびが出てしまっても仕方ない。
 したら、斉木さんもちょこっとあくびしちゃったりして、移ってやんの、可愛いなあ。
『あぁ?』
 微笑ましく見た途端、落差エベレスト級の冷淡な眼差しで睨まれた。く…それも可愛いです。
『ふん』
「そんな憎々しげにしないの、せっかくの綺麗な顔が台無しっス」
『朝っぱらから何はしゃいでんだ』
「えー、今日も斉木さんに会えて、嬉しいなあって」
『今日も変態クズに遭遇して、不幸だなあって』
「ちょ、斉木さぁん」
『ふん』
 鼻を鳴らし、スタスタ行ってしまう斉木さんを追って、オレも早足になる。
 なんとも険悪っぽいけど、これでいつも通り、これがオレらのいつも通りの朝の風景。
 これでもあれ、オレらは恋人同士で、二人になると熱々のイチャイチャなんだよね。

「あのねー、斉木さん、聞いてくれますー?」
「おー、相棒、を?」
「………」
 無言、無反応、通学路の先をきちっと見据えて歩き続ける斉木さんに、構わずオレは続ける。あれが聞く姿勢ってもうわかってるので。
「ここ最近、三日連続で夢見が悪くてね、実はよく眠れてないんスよ」
「を? いやんなこたねえぞ零太、いつも朝までぐっすりだぞ、を?」
「………」
「起きてすぐは覚えてるんスけど、しばらくすると忘れちゃうの」
「今日も寝坊してたよな、ぎゃはは」
「………」
「とても怖い夢だってのは覚えてるんですけどね、どんな風に怖いのかが思い出せないんスよ」
「を? その若さでもうボケきたんか?」
『ふうん。女性に悪さして、刺されて殺される夢とかか?』
「ちょ!」
「ぎゃはは! 零太らしいな!」
『だよな』
「を!」
「ち、違いますよ!」
 やっと反応したかと思えば!
 てか燃堂父、お前さっきからうっさいんだよ!
 オレの守護霊だろお前!
 斉木さんも斉木さんで、普段鬱陶しがってるのにこんな時だけ意気投合して!
 そこ、力強く頷き合わない!

「ねえ斉木さん、オレの頭の中覗いてみてくれません? せめてどんな夢か知りたいんスけど」
『無理だな。忘れたり無意識下に沈んだものまでは、僕も拾えない』
「そっスか……」
『忘れてしまうくらいの夢だろ、現実じゃないんだ。そう怖がる事ないんじゃないか?』
「うん、いや……でもほんと、すっげえ嫌な、怖くて嫌な夢なんスよ。出来ればもう見たくないっス」
『ふうむ…なら、夢も見ないほどぐっすり眠ればいいだろ』
「あ、じゃあ斉木さん今夜――」
『また、テニス部の練習に参加させてもらえ。灰呂に頼んでみる、よく眠れるぞ』
「おい! ねえ、今夜泊りに来ません? 適度な運動で――」
 斉木さんの手がオレの首にかかる。もちろん実際にではなく、超能力でだ。
「ごめんなさい! もう言いませんから許して下さい!」
 じわじわと狭まる気道にオレは必死の形相で謝罪を繰り返した。
「にらめっこか零太、を?」
 ちげーよ!
 てかもうお前、しばらくどっか行ってて。
 斉木さんはどこも行かないでね。

 

 

 

 あ、またあの夢だ。
 っかしーよな、起きると内容キレーに忘れるのに、見るとこうして思い出すんだから。
 ほんと変な夢だよ。

 夢の中でオレは、最近知り合った同い年くらいの幽霊にある頼みごとをするのだ。
 オレの頼み事といったら、ずばり女性絡みだ。
 その幽霊は中々親切でよく頼みを聞いてくれて、女湯の様子や、気になるあの子のパンティーの色を教えてくれたりした。
 まさに夢ならではだ、現実ではプライバシーに関わるからと滅多に教えてもらえないし、ちょっとした情報ならまだしも完全に言う事を聞いてもらうなんて夢のまた夢だ。
 まったくいい夢だ。
 その幽霊が、中学上がったばっかのオレと同い年くらいの男子ってのがちょっと心にチクっとくる…幽霊はみんなのんびり平和にやってるけど、いかにも寿命迎えたって爺さん婆さんならまだしも年が若いと思うところはある。子供なら尚更だ。つい、家族はとか、どうして死んだんだよとか、考えてしまう。
 生きてた頃のことは全部忘れて、オレとつるんでのほほんと…まあオレには都合いいんだけど。
 ほんと、こんな良い夢中々ない。

 あれ――じゃあなんでオレは、起きるとあんなに「怖い夢だ、嫌な夢だ」て思うんだろ。
 まあいいや、次はどんな頼み事聞いてもらおっかな。

 そこでオレは、冷や水を浴びせられたようなショックに見舞われた。



 はっと目を開けると、やたらに白ばっかの場所にいた。
 うそ…オレまで死んだ?
『そんなわけあるか』
「ぇあっ!?……斉木さん――ぐぁ!」
 反射的に飛び起きると、こめかみの辺りにズキンと痛みが走った。頭がくらっとして、また倒れ込む。
「うぅ……」
『急に動くな、安静にしてろ。お前、何があったか覚えてるか?』
「え、え……え?」
 オレ、何があったの?
 なんでオレ保健室で寝てんの?
『はぁ…しょうがないか』
 斉木さんの説明を大人しく聞く。

 午前中最後の授業の体育でオレ、貧血でぶっ倒れたんだと。
 運んでくれたのはタケルとタカユキで、その後二人は斉木さんとこ行って、いつもあんたら親しくしてるから、心配かと思って報せとくって。
 斉木さんとこはその時自習中で、早々にプリント終えてたので斉木さんは本読んでたそうだ。
 で、静かに読みたいのに燃堂や海藤らが何かと話しかけちゃ輪に加えよう加えようとして落ち着いて読めないので、オレを口実に保健室に来て、いまに至る――。

「……そうだったんスか」
 言われると、段々思い出してきたな。
 静かに読書出来る場所だからここに来ただけで、オレの具合については二の次なのがちょっと引っかかるけど、お手数おかけしてどうもすみません。
『いや、うん……心配もしてる。二割くらい』
 後の八割は本の続きが気になって仕方ない。
「うぉい!」
『冗談抜きで、済まないと思ってる』
「いやちょ、そんな真面目腐った顔されると、かえって調子狂っちゃいますよ」
 斉木さんはいつも通り、傲岸不遜でいて下さいな
『おい、人を随分な言いようするな』
「え、……へへ」
 ほら、ほらほらそういうとこっス。
 オレはこめかみに滲む冷や汗に喉を震わせた。
『本当に思ってるからな。なにせお前のその寝不足、僕のせいだからな』

「……へ?」
 思わず目を丸くする。
『お前は長く僕と居る、そのせいで何らかの作用が働いて、別の世界の出来事を夢という形で見たのだろう』
「え……あれって…オレの見るあの夢って、別の世界の出来事なんですね」
『そうだ』
「斉木さん、が……」
 死んでる世界。
 声には出せなかった。いくら夢、別の世界とはいえ、この人がそんな。

『まあでも、鳥束、ものは考えようだ』
「………」
『高二で出会うんでなくても、死んでても、お前とは何だかんだ繋がる』
「あ……」
『やれやれだ、本当に』
「……ふふ」
『しかもなんだ、この僕が、お前の忠実なしもべみたいになってるじゃないか。なんだ、女の子の下着の色教えまくりって』
「あは……うわっぶむ!」
 片手で顔を掴まれ、ほっぺたがむにゅっと寄せられる。
『お前は、どこの世界だろうと煩悩まみれで、とんでもないな』
「……らってオレでふし」
『そして僕は、お前の傍にいる。どの世界だろうがお前との縁は切れない』
「……うん」
 そう、面倒な修行の日々、名前も知らないその親切な幽霊との日々は、オレには何よりの癒し、励みになってた。

『この世界でもな、鳥束』
「……、はい」
『そうするぞ』
「えっ!?……し、しん?」
『違う、馬鹿!』
 そこじゃないと斉木さんは目を吊り上げた。
 すんません!
『お前に見つかったのが運の尽きなんだ、とことんまで続けようじゃないか』
 この縁を。
「!…はいぃ」

 あー。
 すっげぇ気が楽になった。
 そうだよな、向こうは向こうで、そりゃそれで楽しくやってんだ。
 そうじゃない世界のオレが、なんで悲しむ必要がある?
 そりゃ失礼ってもんだ。向こうなりの楽しい日々、こっちなりの楽しい日々、それを毎日積み重ねていくんだ。
「なんか安心したら腹減ってきました」
『まあ、あと十分もしないで昼休みだしな』
 腹をさする。今にもぐうとか鳴りそうだ。
『食欲はあるのか』
「あります、出てきました」
 今日はちょっと、ネットで見つけた新しいメニューに挑戦してみたんですよ。
「もし当たりだったら、今度斉木さんにお作りしようと思って」
 頑張って作って、食べるの楽しみにしてたんですよ。
「せっかく頑張って作ったんですから、食べますよ」
『だと思って、お前の弁当、持ってきてる』
「!…え、うわっ、斉木さん愛してる!」
 見覚えのある弁当包みに、オレは目を輝かせた。
「教室に取りに戻るの、正直億劫だなって思ってたんスよ。なんて気遣い上手な恋人だろーね!」
『やれやれ、こんな時だけ調子の良い』
「え、やだなあ、オレは斉木さんをいつでも好きですよ。最高愛してますから」
『わかったわかった』
「む……そういう斉木さんは?」
 オレの鼻先で弁当がぶらぶら揺れる。
『こんな面倒な事、言われなくてもすすんでしてやってる時点でわかれ』
「……もー、そういうとこ、ほんと好きですよ!」

 そうだよ、斉木さん、これからもこんな風にやっていきましょうね。
 オレたちにしか作れない今日を積み重ねて、一緒に歩んでいきましょう。

 

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