一緒にいると

 

 

 

 

 

 その日が近付くにつれ、オレはどんどんソワソワと落ち着きをなくしていった。
 あの人喜んでくれるかな、どんな風に喜ぶかな、食べる時はこんな感じ、そしてこんな感じに…毎日毎秒、想像してはムズムズ疼く心に見悶えたりした。

 何にするかは、もうずっと昔から心に決めていた。
 ずっとずっと心に秘めて、夢の一日として思い焦がれていた。
 でもある時、自分にはそんな日は来ないんだと気付いた。
 初恋が破れた日である。
 幽霊に恋をして、破れて散って、幽霊に慰められて、オレはそうやってずっと生きていくんだろう、生身の人間とは単なる戯れにしか関われないのだろうと線を引いて一歩下がって、歩いてきた。

 オレみたいのは世界でただ一人だと驕ったり恨んだり、感情が振れる度に幽霊に愚痴垂れて、ふわふわおぼつかない毎日を送っていた。
 生きてるけど半分死んでるような、どっちつかずで地に足がついてない状態だった。
 それが、斉木さんに会った事で、もうほんとストンと綺麗に着地した。
 オレ専用の台があった、オレにもあったんだ、オレもそっち側で生きていいんだって感じに、見事なまでにね。

 でもね、斉木さんの第一印象はもう最低最悪、別の意味で一生忘れないわって出会い方で、会うまでに膨らんだオレのあれやこれやどーしてくれんだって泣きつきたくなるほどだったけど、それがどうしてこうなった、オレはその人に恋をして、すっかり落ちてはまってのめりこんで、昼間一緒にいる時は幸せの絶頂で、そんで夜一人になると死にたくなるほどの嫉妬に駆られて、独占欲で頭がどうにかなってしまいそうなほど…好きになった。

 オレが最悪だと思うのと同様向こうもオレを最低最悪だと思ってて、そんなお互いが交わったのは何かの間違いだよって呪ってたのに、気付けば好きになって、気付けば、恋仲になっていた。

 その辺りのいきさつがひどくぼんやりしてて霞がかかってるんだけど、好きだって伝えて、あとキスもした。気がする。
 全部夢だった気もするけど。そう思うとそうだしでも、朝早く誰もいない教室で衝動的に「好きです」って口にしてその勢いのまま顔ぶつけた記憶も鮮明にある。
 オレこの人から離れたくない、離したくない、離れていってほしくないって気持ちが強くて、もうそこまで誰かの足音が迫ってるのに掴んだ制服の袖から手を離せなかった事とか、頭は煮えるほどなのにこのままじゃ制服シワになっちゃうな、誰かに見られる事よりそっち気にしてる自分がおかしいなって冷静さを今でもクッキリ思い出せる。

 まあそんな感じでなんとなく、夢と現と行ったり来たりの曖昧さでも、オレたちは何だかんだ一つずつ季節を越えて、顔を突き合わせちゃギスギスしたりイチャイチャしたり、優しかったり辛辣だったり、そんな一日を刻んできた。

 

 そして三月になった。

 

 二月の終わりごろから段々と寒さが緩み、三月に入るともう毎日が「ああ春に向かってるなあ」と実感が増し、それまで必須だった手袋を、今日はしなくていいやと一日コートのポケットにしまいっぱなしの日々が続いていた。
 それがいきなり昨夜から冬に逆戻りしたかのように凍える気温になったので、今日は久々に手袋をしての登校となった。
 当然マフラーもグルグル巻きだ。
 なんで今日に限ってこんな天気なんだ。
 お天気お姉さんも、ひょっとしたら昼から雪が降るかもしれません、だってさ。
 だからオレは傘を忘れず持ってきたが、せっかくの今日のこの日、曇り空はちょっときつい。すれ違う人ほとんどが傘を持ってる。気分までしぐれてきそうだ。
 でもまあ考えようだ、雪が降るならそれはそれで…今日にふさわしい気がするから期待してもいる。
 どうせ降るなら思いきり頼むっス。

 下宿先の寺を出て、学校に向けてズンズン歩いて角を曲がって進んで曲がって更に歩き続けていると、道の先に濃桃の花を見つけた。
 寒さで縮こまっていた気持ちがたちまち緩み、顔が緩み、心が温かくなる。
 オレはその人めがけて小走りに駆けた。

 鼻まですっぽりグルグル巻きにしたマフラーの下で、もごもごと挨拶する。
「はよーっス、斉木さん」
『は?』
 なんだって?
 ちょとー、うそうそ、聞こえないとかないでしょー天下の超能力者サマが、もーわざとらしいったら。
『思考がうるさすぎて聞こえなかった』
「あー…」
 まあ確かに、心の中では口に出した十倍は斉木さんにおはよう言って、言える幸せ噛みしめて、さぞ騒々しかった事でしょう。
 お詫び申し上げます。
『うむ、気をつけろよ』
「えー」
 気をつけろったってなぁ。
 難しいっス。
 この世の誰より、会えるのが嬉しい人だもの。
 今日の斉木さんは今日だけのもので、オレはそれがどんなに有難くて幸せか、ついつい噛みしめちゃうんだ。
 あ、ほら、また頭の中が。
『だから』
「すんません!」
『お前といると本当に疲れるな。朝から晩まで変わる事なく騒々しい』
 すんませんて。
 でも無理なものは無理っス。
『朝からなんでそんなに』
「えー、斉木さんはじゃあ、オレに会えて嬉しいとかないんスか?」
 騒音に悩まされる人って感じに頭を押さえ、忌々しいって顔で見てくるものだから、オレはちょっと心配になって問いかけた。
『随分重装備だな』
 話を逸らされた。

 でもオレも乗っかりたい話題だったので頭を切り替える。
「だって、今日の空気もうキンキンで、凍えそうじゃないっスか」
 通学路で毎朝すれ違うので、顔を覚えたあの姉さんやあの女の子たち、段々春めいた格好になってきてたのに、今日はしっかり冬装備でしたよ。
「斉木さん、マフラーだけで寒くないんスか?」
『常人は大変だな』
 ああ、超能力で調節中か、いいなあ。
 ほんと便利な能力だ。
 オレは、幽霊が見えて話せて…うん、それだけっス。
 っと、そうだったそうだった!

「斉木さんこれ、どうぞ!」
 鞄からそっとお菓子を取り出す。
 ホワイトデーって日本だけのイベントなんだってね。
 まあそれはそれとしてさ、オレ、お返しするの昔っからの夢だったんだよね。
 ついに長年の夢が叶う。
 斉木さんの手がお菓子を受け取る。
「……感無量っス!」
『興奮しすぎだ』
「さーせん」
 謝るが、それでも勝手に顔がにやけてしまう。

「オレね、長年の夢だったから、意味とかそりゃもう色々調べてっスよ。頭に全部入ってるっス」
 アンタが大好き、だから「飴」贈ります。
 どうよオレの愛情!
「受け取って下さい!」
『やだな……』
 斉木さんは手に乗せた袋を身体から遠ざけ、唇をひん曲げた。
 そんな心底嫌そうな顔しない!
 泣いちゃうから勘弁。
『まあいい、スイーツに罪はないしな、もらうか』
「そーそー貰って貰って。あ、ちょっと洒落て金平糖にしたんスよ。色合いが綺麗で春らしい――ってはえーな!」
 最後まで聞かず、斉木さんは袋を開けるやすぐさまポイっと口に放り込んだ。
 しばしコロコロと右へ左へ転がし遊んで、そっと目を閉じる。
『悪くないな』
「でしょ」
 ほんとこの人、はは、甘いものに目がない。

「こないだ作ったガトーショコラ、ほんっとうに美味しかったっス」
 一緒に作って、一緒に食べて…食べさせっこして、何から何まで特別だった。
「美味しくて楽しくて、あんなに楽しいの人生初ってくらいでしたよ」
 あ…思い出したらまた心がほかほかして、身体も一緒にほかほかしてきた気がする。
 その一方で警戒もする。わびしい人生だのなんだの言われそうで、そうなってもいいようオレはちょっと身構えた。
 でも、斉木さんは、そこには触れずにちょっとだけ笑顔を見せた。
『ふっ。僕もまあ、それなりに楽しかったぞ』
 うっわ、ほかほか通り越してポッカポカだ!
「ちょ…あの、オレ、飛び跳ねていいっスか」
『やめろ。落ち着け』
 そう言いつつ、斉木さんはもっとホカホカするものを寄越してきた。
『そら、これやるから大人しくしろ』
「え……これ」
『飴でかぶったが、勘弁しろよ』
 各種キャンディー詰め合わせ小袋。
 オレは袋の中をじっくり眺めた。
 うわ、パインアメとかなつかしー、チェルシーもなつかしい、いちごみるくもたまんないな、ミルキーはふふ〜ん♪、あ、この深紅色の包みの飴ってなんだっけ、ここまで出かかって…何だっけ?
『コーヒーキャンディーな』
「そうそう!…あとこの、渦巻きのもすごく見覚えが!」
『ソフトエクレア』
「そー!」
 もーなんつーか絶妙にくすぐってくるラインナップっスね。
「ちょ、ねえ、ほんとに飛び跳ねていいっスか」
『そうなったらお前を置いて行くだけだが、それでもいいならどうぞ』
 やめます。

 だがこれは、オレだけにじゃなかった。
 いつもつるむ連中にも渡すんだって。
「あ……あーそっスね。うん、や、ありがとうございます」
 飴詰め合わせはママさんからのアドバイスで、クラスのいつメンから友チョコ貰ってたお返し何にしたらいいか悩んでたら、こうしたらいいわと教えてもらったそう。
 で、家にあった飴を片っ端から袋に詰めて持ってきたと、こういう訳だ。
 膨れ上がった気持ちがいびつにしぼむのを感じる。
 やだなこれ、やだやだ。
 斉木さんからの美味しい飴、嬉しいじゃないか。
 オレが一人で勝手に意味だの何だの盛り上がってただけなんだからさ。
『そうだな。お前の長年の夢だのなんだの、僕には関係ない』
「あっああ……ええ」
 まったくその通りなんだけどさ、そんな言い方って…もっと言い方あるだろって――、いや違う、もらえた事を純粋に喜べない自分が、嫌でたまらない。

 昼に差し掛かる頃、雪がちらつき始めた。
 予報の通りだ。
 でもオレはちっとも嬉しくなかった。
 オレってなんてバカでクソな奴だろ。
 あーあ、雪で全部、このまだらの気持ち悪い心も全部白くなればいいのに。
 開けた窓の外へ、はぁっと息を吐き出す。息が白い…寒いんだな。
 あ、……今ので、悪いもの出てってくれたかな。


 放課後になり、帰り支度を始めたところで、ポケットにあった手袋が無くなっているのに気付いた。
 え…、あれ?
 いつも、玄関で靴を履き替える時に外してポケットに、なんだ。
 今日もそうしたはずなんだ。
 だが念の為鞄や机の中を探す――ない。
 タケルたちに聞いてみる――見てない。
「うそだろ……」
 思わず声が出る。熱いような冷えるような、気持ち悪い心地だ。
 朝、ポケットに入れたつもりが落としてしまったのだろうか。

 こういう時は闇雲に探し回るより、超能力者の協力を仰ぐのが一番の近道だ。
 という事でオレは隣のクラスに向かった。
「斉木さん、オレの手袋知らない……あー!」
 あったー!
 なんと、オレの手袋ちゃっかりしてるではないか。
「アン…いつ……オレのっス!」
『僕には少しでかいな』
「あー、でしょうね……じゃないよ!」
 もー、どんだけ探したと、肝を冷やしたと、思ってんだ。
「てか斉木さん、アンタ朝、調節してるから寒くないって!」
『ちょっとでかいがでもまあ、寒さをしのぐにはいいか』
「いいか、じゃない、返して斉木さん。か、返して」

「はは、またやらてんのか、鳥束」
 そんなこんなのやりとりに、ヤス君が微笑ましく言ってくる。
 まあ、ある意味イチャイチャみたいなものだけどさ。でも今日の寒さはシャレになんないから、ちょっとまじで返してほしいっス。
「ちょ、斉木さん、かえしてー」
 帰り支度も済んだと、斉木さんはさっさと歩き出した。オレには見向きもせず教室を出ていく。
 その後をオレは早足で追う。
「じゃーな、相棒」
 シュゴレー君もまたなと燃堂の声が背中にかかる。
 オレは片手で応え、斉木さんの後をうろちょろする。

『っち、やっぱり駄目だな、ぶかぶかムカつく、いらない』
 廊下を進み階段に差し掛かったところで、放って寄越される。
「あーもー!」
 この気紛れいたずらっ子め!
 オレはどうにか空中でキャッチした。
「はー…ったく」
 手袋から目を上げて、もう、踊り場まで階段を下った斉木さんに文句の目付きをぶつける。
 その時。

「……ん?」
 手袋の中に何かかたい物があるのに気付いた。
 なんだろ。
 手のひらにコロンと取り出す。
 白い包み。細長い、なんか。
『キャラメルだ』
「えっ……」
 こんなの、初めて見る。これがキャラメル?
 てか、え、なんでキャラメル?
 なんのキャラメル?
 これ、なに?
 オレはしげしげと眺めた。
 いや、キャラメルって聞いといて「なに?」はないけど、ブツの事じゃなくて、どういう意味ですかって方ね。
 再び斉木さんの方を見る。

『渡したからな』
「え、あ……斉木さん、これ!」
 キャラメルって、これ!
『お前の長年の夢だの希望だの、僕には一切関係ない』
「わっ……かってますよ!」
 なんで蒸し返すの、そんなに何度も言わなくてもいいでしょ
『お前の夢見がちな心を満たしてやる義理なんて、僕には一切ない』
 だからわかってるって
『だから、それは僕の純然たる気持ちだ』
「え……あっ?」
『お前が調べてる事も、意味も、僕だって全部知ってるんだぞ』
「はぁ……って、えー!」
 じゃあじゃあ、キャラメルのその意味を、オレはそのまま受け取っていいって――!
『そうだ。その通り、しっかり意味を込めたからな。よぉく噛みしめろよ』
 そう残して、斉木さんはさっさと階段を下りていった。

 キャラメルをのせた手が、小刻みに震える。

 ほんとオレってバカでクソな奴だよ。
 情けなくて泣ける。
 嬉しくて泣きたい。

 追いかけようと足がむずむずするが、その場からオレは動けなかった。
 一刻も早くキャラメルを食べたくて、気が急いてる。
 階段の際に突っ立ったまま、オレは一粒の甘い包みを口にそっと含んだ。

 ――キャラメル…一緒にいると安心する

 こんなバカでクソなオレを、よくもまあ。
 斉木さんは。

 

目次