無視出来ない
「斉木さん、一生のお願いっス」 帰り、寄らしてください。 今日の授業が終わると同時に鳥束は教室に押しかけ、頼んますと両手を合わせた。 自然と顔が歪む。 嫌です駄目ですと言ったところで、コイツが素直に聞く訳がない。 一生のお願いと頼む体は取っているが、奴の中では既に決定事項で、深い深いため息の後仕方なく連れ立って教室を出る。 六時間目体育とかマジで地獄でした、と、少し後ろをとろとろ歩きながら鳥束がぼやく。 幽霊たちに励まされてなんとか乗り切ったんスけど、ほんときつかったっス。 いつもの覇気がないが、心の中は相変わらずだ。 相変わらず、喧しく僕の名前を喚き立てている。 あまりに鬱陶しいので、そこのゴミ捨て場に置いていきたい衝動にかられた。 『変態エロ坊主の収集日は何曜日だったかな』 「ひでぇっスよ斉木さあん」 うるさい、間延びした声で呼ぶな気色悪い。 のろい鳥束に合わせてゆっくり歩き、玄関を開ける。 『そら、入れてやるからしゃんとしろ』 「ありがと斉木さん、マジ助かるっス」 (うわ入れてやるだって、斉木さんたらもう〜、澄ました顔してほんとスケベなんだからもう〜) 『いっそ庭に埋めるか』 「やだやだ、冗談ですよ斉木さあん」 『そうか、こっちは本気だよ』 玄関に入ったところで、鳥束が前のめりに寄りかかってきた。 重い重くないは別にして、ひたすら鬱陶しい。 もうあと少しだろ、部屋まで我慢出来ないのか。 「そうしたいんスけど、もう身体が……」 言う事を利かなくて。 確かに、頭の中もかなりぐちゃぐちゃになっているな。 その癖僕の事だらけでぞっとする。 『おい、いい加減自分の足で立て、歩け、部屋まであとちょっとなんだからしっかりしろ』 「もういっそここでも……」 『ここでだと、ふざけるな、玄関先で何を言ってる。母さんが失神するだろ』 「そうは言ってももう我慢出来ないっス……斉木さん」 言いながらも覆いかぶさってきて、鳥束の重みがさらに増す。 ああくそ、なんて面倒な。 とはいえ、もう自力では一歩も動けないほどの睡魔に見舞われているのは明らかだ。 鳥束の両手が前に回る。 「斉木さん………して」 おんぶしてだと、ふざけるな。 脳天にゲンコツを振り下ろしてやりたいのをなんとか堪える。 こんなに腹が立っていては、どれだけ力を加減したところでコイツの頭と胴体がさようならするのは間違いない。 玄関先に生首を飾る趣味はないからな。 万一生首を飼うにしても、コイツだけは絶対に御免だ。 仕方なく超能力で運ぶ。 まだ辛うじて意識はあるのか、薄目でこちらを見て、へらへらと感謝を渦巻かせていた。 まったく、寝落ちしそうになっても喧しいなコイツは。 |
「すんません……」 ふらふらと頭を揺らしながらシャツ一枚になり、鳥束はベッドに倒れ込んだ。 眠気の波がいくらか納まったのか、頭の中もやたら元気になっていた。 なんだってコイツはこんな喧しいんだ。 「やだなあ、そんなうるさくしてないっスよお」 『いいやしてる』 顔を合わせても合わせなくても、一日中朝から晩まで僕の名前を呼びっぱなしだ。 口に出しているのと心の中とを合わせたら、一体何万回になるやら。 「ええ、さすがにそこまで連呼は、……してませんよね?」 自分でも不安になるな。 『とにかく呼び過ぎだ、少しは控えろ』 「えーやだー好きな人の名前呼ぶの控えろとか、斉木さんの鬼ー悪魔ー」 お前の母ちゃんの息子でべそー ベッドのスプリングを利用して、鳥束はじたばたと左右に身体を揺すった。 でべそは兄貴に押し付けるか。 そんな事を考えながら、帰ったら読もうと机に置いていた小説を持ってきて、まだじたばたしている鳥束のおでこめがけて振り下ろす。 「斉木さんとお喋りすんのすんげえ楽しいのにーオレの生きがいなのにーなんスかなんスかー」 『やかましい』 ばし、ぐへ。 角ではなく平面で叩いてやったのはせめてもの情けだ、ありがたく思え。 大体何がお喋りだ、こっちが返事ようがしまいが、構わずベラベラ一方的に話して聞かせてるだけじゃないか。 「あいたあ〜……なにするんスかもう、斉木さんの乱暴者!」 鳥束はがばっと起き上がり、額をさすりながら言ってきた。 『喧しい、いいからもう寝ろ、眠いんだろ』 「今のでちょっと目が覚めちゃいましたよ」 『じゃあ帰れ。僕はこれから読書の時間だ』 「つめた……冷たいっス斉木さん」 (そういうところも好き……うふ) 『僕も背筋が冷たくなったよ』 「静かにしますから、もう寝ますし。追い出さないで斉木さあん」 わかったわかった、いいからもう寝ろ。 「はいはいすみません」 まったくめげないやつだな。 昔からそんなに喧しかったのか。 「いやあ、実はオレ、小学生の頃だったか、ちょっと喋れなくなった時期があったんスよ」 さらりと言うものだから、不覚にも息を詰めた。 |
『めんどくさそうだな、飛ばそう』 「いやいやそんなゲームじゃないんスから」 『いっそ電源を切ろう、強制終了はどこ押すんだ』 「×ボタン長押しです、じゃなくて、勝手に喋りますんで斉木さんは聞き流しててください」 『静かにするんじゃなかったのか』 「本読んでていいっスよ」 本当にめげないな。 ならこっちもめげずに本を読もう。 気分を損ねて文句言ってくるだろうと踏むが、鳥束はなんだか嬉しそうだ。 こちらが、本当には無視出来ない人間だと言っているのが癪に障る。 その通りなのが実に腹立たしい。 やれやれ。 気を取り直して本を開く。 |
「最初は意識して喋らなくしたんス」 幽霊見えるなんて嘘つきだって言われるのに、腹立っちゃって。 生きてる人間とはもう喋らない、幽霊とだけ喋るって決めて、親も学校の先生もクラスメイトも全部無視してました。 嘘つきとは喋りたくないだろーって、家とか道端とかで見かける幽霊とだけ喋ることにしたんです。 『ふんふん』 短編集の目次にざっと目を通し、読み始める。 まあ気楽っちゃ気楽だったっス。 無視すれば、嘘つきって言ってくる人間を自分の中でいない事に出来ますし。 『なるほど』 ちょうど一篇読み終わった。 でもある時、幽霊に言われたんです。 わざと無視しちゃ駄目だよ、大丈夫、今に、ちゃんと聞いてくれる人間に会えるよって。 私たちの話にお前が耳を傾けてくれたように、いつかお前の話に耳を傾けてくれる人間に会えるよ、って。 当時は、そんな奴いるもんかーって思ったけど、いい加減わざと聞こえないフリするのも面倒になってたんで、やめにしたんです。 『そうだったのかー』 二篇目に入る。 (マジ全然聞いてねーでもそんな斉木さんいい、そんな斉木さんがいい) 本気で聞かれるとやっぱり恥ずかしいし、変に同情寄せられるのもこそばゆいから、そんな斉木さんでよかった。 「まあ、そんだけの話です。じゃ、寝ますね。一時間したら起こして下さい」 後ろで、布団をかぶる気配がした。 ごそごそと動いてるのは、寝る位置を決めているのだろう。 「はー、ここ斉木さんの匂いで一杯……しあわせー」 ふにゃふにゃにとろけた声が忌々しい。 振り返り、苛々しながら十秒計ってぺちんと鳥束の顔を叩く。 「いたっ…なに?」 『一時間経ったぞ』 「うそ! もう斉木さん、もーホントお願い、マジお願い……ほんと一時間でいいんで寝さしてください……一生のお願い」 最後の方は寝息交じりだった。よっぽど眠いのだろう。 何個でもコーヒーゼリー買ってきますから。 そして寝息が残る。 図太い、図々しい奴め。 一人でべらべらと喋りたくって、気が済んだらお休みなさいとは、厚かましいにも程がある。 面倒な話を聞かせてくれたもんだ。 この埋め合わせは十個や二十個じゃきかないぞ。 長々喋った割には、お前がどうしてこんなに喧しくなったのかわからずじまいじゃないか。 幽霊に諭されて、以前のように生きている人間と喋るようになった、というのはわかったが、それがどうしてどうなってこんなにうるさい人間になったのかがわからない。 幽霊の方がよっぽど優しいって言うくらい、生きている人間は好きではなさそうなのに。 心因性のもではなく、自分で選んで喋るのをやめて、それも面倒だからと飽きてさっさとやめるような、適当でいい加減なコイツの事だから、どうせ下らない理由だな。 |
考えるだけ無駄だな、コイツに時間を割くほど無駄な事はない。 面倒だしやめよう。 それにしても、のんきな顔して寝ているな。 膝立ちで覗き込み、ぺたぺたと頬を叩く。そんな弱い刺激では起きないほど、ぐっすり眠っていた。 何とかトーナメントで夜更かしして眠れなかった、とか言っていたな。いや、直接説明は受けてないのだったかな。 まったく、喧しすぎてどれがどれかわからなくなったぞ。 叩くのはやめて、頬をさする。 ほんのり暖かい肌の感触が手のひらに心地良い。 お前みたいにひっきりなしに人の名前呼んで、煩悩の塊で、四六時中ゲスでエロで下劣な妄想しまくりの喧しい奴、無視出来るならしたいよ。 『なんで出来ないんだ』 くそ 呟いて、心なしか熱くなった顔をベッドに押し付ける。 |