素直で誠実
斉木さん 斉木楠雄。 最強の超能力者。 普段は物事に関心薄くて、滅多に動じないお人だけど、ある一点、スイーツに関してはその限りじゃない。 甘いものに限り、この人はとても可愛らしい生き物に変身する。 まあオレは、可愛らしいのはもちろん、辛辣で殺伐な斉木さんも好きだけどね。 迂闊なオレはしょっちゅう命の危機に陥ってるけど、でもやっぱり斉木さんが好きだ。 だって、結局どっちも可愛らしいから。 どれもこれも斉木さんに変わりはないし、どんな斉木さんだろうとオレの好きな人に変わりないし、オレを好きな事に変わりない。 落差が激しい人だけど、それが斉木さんで、オレはそんな斉木さんにベタ惚れ骨抜きで、どんな瞬間も大切に思えて毎日がとても幸せだ。 二月某日のことだ。 珍しく、斉木さんの目があんまり死んでないなあと見つめていたら、すぐに答えがわかった。 『鳥束、今年は何くれるんだ?』 「……また随分ストレートにねだりに来ましたね」 『素直なのが僕の専売特許だからな。僕ほど素直で誠実な人間はいないぞ』 はいはい、そっスね。 苦笑いでなだめると、鳥束の癖に生意気な顔するなとつま先で脛を小突かれた。 「もう、すぐそーなんだから」 『それだけ素直な表れだ』 なんか違うと思いますけど。 『で、何くれるんだ?』 「まあいいです、今年はですね、一風変わった――」 『ほう、そりゃ美味そうじゃないか』 最後まで言い切らぬ内に斉木さんの目がピカリと輝く。 端から見たらここ笑うとこって感じだが、オレらは別に漫才してるわけじゃない。斉木さんはただ者じゃない超能力者、オレの思考を読み取るなんて朝飯前で、だからオレが何を言いたいかは口に出す前にわかるのだ。 オレは、こう言いたかった。 一風変わったガトーショコラ、なんと、コーヒー風味の大人ほろ苦ケーキです、と。 まあ、こんだけ頭の中で強く思っちゃそりゃ斉木さんも先回りしてはしゃぐよな。だってこの人、甘いものに本当に目がないからさ。 その上オレの作る物が大好きときてるから、喜ぶのも無理はない。 オレも嬉しくなっちゃう。 「うんと美味いの、お作りしますからね」 『ま、期待しないで待ってるよ』 そのひねくれた言い方さえも愛しい人。 「それでですね、ちょっとお願いがあるんですけど」 『なんだ、言ってみろ』 「こっちもわかってるのに、わざわざ言わせるんスね」 『聞くだけ聞いてやろうってんだ。さっさと言え』 「えーと、今年は斉木さんと一緒に…作りたいなあー、って」 一緒に作ってくれるだけでいいんです。 オレにくれなくていいです、一緒に作ってくれるだけで本望ですから。 その思い出だけで、生きていけますから! 『わびしい人生だなおい』 「自分でもそう思いますけど……」 口の中で呟く。 「ね、斉木さん、乗り気になって下さいよ。当日は生チョコもおつけしますから。作る手間賃としてそれ差し上げますから、どうかオレと一緒にケーキ作りしてくださいっス!」 『なんだか妙な頼み方だが、ま、スイーツが食べられるなら乗ってやらん事もない』 「あ、あざっス!」 オレは深々と首を垂れた。 「じゃあ、今度の土曜日、お邪魔していいっスか。道具とかは全部持ってくので。もし何か忘れ物あったら貸して下さい」 『わかった。うまいことキッチンを空けておこう』 取り付けた約束にガッツポーズを一つ。 |
当日、お邪魔した斉木さん宅のキッチンでレシピや道具やらを用意していると、斉木さんが何やらもぐもぐしているのが目に入った。 え、これからケーキ作って食べるのに何食べてんのって驚く一方、斉木さんてコーヒーゼリー中毒のきらいがあるから、何するにも食べてないと落ち着かないんだよね…みたいな、妙な納得をしてしまった。 一瞬の内に驚きと納得を済ませたオレだが、手元をよくよく見て、カッと頭の中が熱くなった。 てか斉木さんが食べてるのコーヒーゼリーじゃない! 「ちょ、それ! それオレが持ってきた板チョコ!」 そう、今日作るガトーショコラに使う為に用意した板チョコを、斉木さんは食べていたのだ。つい声も大きくなってしまう。 「ちょ……もー、なんで食べちゃうんですか斉木さん!」 『なんだ、駄目だったか』 「だ、ダメっスよてかここにあったら使うチョコだって思うでしょうが」 『知らん。こんなとこに置いとくお前が悪い』 オレの方を見もせずに斉木さんは素っ気なく言った。その間も、銀紙むいた板チョコをかじっては食べかじっては食べしている。 「えぇ〜……」 この人はもう。 いつも先回りして思考読みがちな癖に、こういう時だけ。 てか甘いもの絡むとたちまち見境なくなるんだから。いや可愛いよ、可愛いのよ斉木さん。このいきなり視界狭くなって甘いものに突進まっしぐらになるポンコツぶり、本当に可愛いんですけどね。 『それより、言ってた生チョコはどうした』 「はい、それなら――」 『ああ、午後の時間指定で僕んちに届くように手配してあるのか。ならいい』 「……ふう」 ほら、出来るのに。 『生チョコが用意出来なかったから、あの板チョコで勘弁してくれって意味かと思ったぞ』 「そんなわけないでしょ!」 オレが、斉木さんとの約束をそんなむげにする訳ないじゃないっスか。他でもないスイーツを、そんな省略するわけないっス。 『板チョコがいるなら、また買えばいいだろ』 「あーまあ……そうですけどね」 『やれやれ、ほら、とっとと行くぞ』 「もー」 『ちゃんと僕の財布から出してやるから』 あんまりな言い分がかえって可笑しくて、オレは睨まれるくらい笑ってしまった。 |
あの調子じゃ買い物もなんだかんだ時間がかかるかと思ったが、目当ての板チョコをすんなりカゴに入れたあと、ついでにコーヒーゼリーも買うと言うだけですんなりと事は運んだ。 斉木さんの事だから、その三倍はたっぷりかかると思っていた。そしてオレは、それを見越してのんびりモードでいた。 まさかこんな記録的短時間で済むとは驚きだ。 レジで会計が終わって、スーパーを出ても、まだすごいすごい繰り返していたらさすがに鬱陶しくなったのか、斉木さんは面倒そうにしながらも返信してくれた。 『ケーキ作りが待ってるのに、そう時間を割けるか。お前の生チョコも来るのだし、それでチョコは充分だ。間に合ってる』 そうなのか、斉木さんでも、そこまで見境なしじゃなかったね。オレちょっと、アンタを見誤ってたかも。 『そうだな、まったく。今の失礼な物言いは、後日コーヒーゼリーの山で許してやらんこともない』 あ…やっぱり斉木さんは斉木さんでした。オレは苦笑いで斉木さんについていった。 あらためて斉木さん宅で。 レシピと材料とを照らし合わせ、漏れがないか確認したのち、いよいよガトーショコラづくりに取り掛かる。 「そんで斉木さんには、メレンゲづくりをお願いしたいんスけど」 『賢いな。鳥束の癖に』 「え?…へ?」 『チョコレートの湯せんの方だと、僕にこっそり食われる心配があるものな』 「なっ……そういう意味じゃ、別に。じゃあ斉木さん、チョコの方でもいいっスよ」 もう、この人は、時々可愛い事言っちゃ、可愛らしく拗ねたりするんだから、本当にたまらない。 「同時進行したいだけなんで、どっちでもいいんです。じゃ斉木さん、チョコの方、お願いしますね」 刻んだチョコの入ったボウルを任せる。 『いいのか? お前に気付かれずこっそりつまみ食いなんてお手の物だぞ』 「もー、無駄に脅さないの。せっかくのガトーショコラを台無しにするような、オレの斉木さんはそんなじゃないっスからね、ちゃんと信頼してますって」 この言い方で正解だったろうか。 『お前のじゃない』 斉木さんは今にも舌打ちしそうな顔になったが、その実満足そうだから、ちゃんと正解だったようだ。 無性にキスしたくなって、オレは一旦構えたミキサーを置いて斉木さんに腕を回した。 『おいなんだ、邪魔くさいだろ離れろ』 「離れます、あと三十秒したら」 それとキスしたら。 斉木さん、ねえ、オレが近付くの避けるなんてのも、お手の物ですよね。思考読んでるんですから、わかりますもんね。でもそうしなかったんだから、三十秒とキス一回、許してくれますよね。 『……知るか』 あ、もう〜、その唇食べちゃおう。頬っぺたも。 『鬱陶しい。お前の気持ち悪い熱気でチョコが溶けたらどうする』 「湯せんする手間が省けて一石二鳥っスね。なんて」 『そんな気持ち悪いチョコで作ったケーキなんぞ、食べたくない。捨てる』 「あーもー、いいからほら、こっち向いて。向いて下さい。チューしよ斉木さん」 『あと十秒だ』 「はい、じゃあ十秒間、お願いします」 っち。 忌々しげに舌打ちしても、なんだかんだ応えてくれるんだから、斉木さん好き! |
店で売ってるものにも引けを取らない美しい焼き上がりの姿を前に、オレと斉木さんは揃って小さくため息を吐いた。 『うん、大丈夫、中までしっかり火が通ってる』 通常なら、生焼けかどうか竹串を刺して確認するのだが、斉木さんの目があればその必要もない。 オレはにんまり唇を緩めた。 「始める前は、つまんない事で怒っちゃってすんませんでした。さ、どうぞ斉木さん」 『別に。お前が怒るのは想像に易いし、お前ごときの怒りなどあしらうのは簡単だ』 斉木さんらしい憎まれ口、はは。 オレはケーキを切り分けると、焼きき上がりを待つ間に作った、コーヒー風味のホイップクリームを見栄えよく垂らした。 濃い色のケーキとカフェオレ色のとろーりクリームがあわさって、っかー、最高の出来栄えだな。 『うん、中々じゃないか』 穏やかなテレパシーに心がふわふわあたたかくなる。でしょでしょと、自画自賛でオレはニコニコ顔をたるませた。 「では、めしあがれ」 コーヒーと一緒に振舞う。 思いがけず買い物から斉木さんと始められたの、実は嬉しかった。つまみ食いが原因とはいえむしろ良かったかも。 今日一日を振り返り、ハプニングありつつ概して素敵だったなと思ったところで、オレはハッとなった。 もしかしたら斉木さん、買い物の時点からオレと始めたかったなんて事は…ないよな。 斉木さんの顔をじっと凝視する。 『考え過ぎだ、そんなの』 「そうっスか? 本当に?」 真意を読み取ろうと、オレはむきになって表情を伺った。 『うるさいな、その視線やめろ。そら、お前にも頑張った分の褒美をやるから、静かにしろ』 口元にフォークに刺さったケーキが迫る。 「いや、これは全部斉木さんの……」 『僕が作ったケーキが食えないっていうのか?』 「そんなこと!…てか、オレも作りましたけどね」 『そうだ。一緒に作ったケーキだ。それを、僕一人に食わせて、お前はそれで満足かもしれないが僕にはわびしい思い出だな。僕にそんな一生の思い出を寄越して平気なのか、お前は』 「あっ……」 この人、確かに素直で誠実だわ。出てくる言葉の八割九割はとてつもなく辛辣でちょっと泣きが入ったりもするけど、こういう時があったりするからオレをとらえて離さない。 胸にじいんと迫る感情がたまらなく心地良い。 「ぅぐっ!」 と、強引にケーキが詰め込まれた。 『ぼやぼやしてないでさっさと食べろ』 どっしり濃厚なチョコレートケーキが、オレの喉を塞ぐ。ひと口で食べるには少々大きい塊で、目を白黒させるには十分だった。 なんスかもう! 少しくらい余韻に浸ったっていいでしょ。 目線で抗議するが、斉木さんはどこ吹く風で涼しい顔をしていた。 白々しいったらないなあ、危うく死にそうだってのにちっとも気にも留めちゃいない。 『そんな事はないぞ、お前のその間抜け面、いい思い出になったとニヤついてる』 まーいい性格してらっしゃること! どうにかコーヒーで溶かして飲み込み、オレは大きく息を吐き出した。 『ほら、二人で作ったケーキだ。今度は味わって食べろ』 斉木さんは新たにケーキを切り分けると、手も道具も使わず皿に移しオレへと差し出した。オレがしたようにクリームを垂らし、見栄えよく仕上げる。 それしきでまたじぃんとしちゃうんだから、オレって簡単だよね。 『そこがお前のいいとこだろ』 「そこがオレの好きなとこっスか」 『ああ。嫌いじゃない』 「――!」 やめて! 食べる前から胸一杯になっちゃう! ではあらためて――。 「いただきます」 さっき口にしたけど、飲み込むのに必死でろくに味も確かめられなかったからな。 フォークを先端に突き刺し、斉木さんがしたみたいに少し大きめの塊を取って、待ち構える口に運ぶ。 チョコレートの深い香り、コーヒーの芳醇な香り、それらをまず胸一杯に吸い込み、オレはあーんと大きく口を開けた。 ああもう涎垂れちゃう。 斉木さんと一緒に作ったケーキ、チョコケーキ、大事な思い出のひと口目。 今にもフォークを口に含むということろで、オレの手がオレの意思を離れあらぬ方向に逸れた。 「?……!」 一時的にオレの手じゃなくなったオレの手は、なんと、斉木さんの口へと向かった。 ぱくりとチョコケーキを頬張る顔が、小憎らしいほど愛らしい。 しばし見惚れた後、オレはハッと目を見開いた。 「オレのチョコケーキ!」 モニュモニュ 「一緒に食べようって、斉木さんが言ったんじゃないっスか!」 モニュモニュ 「結局斉木さんが全部食べるってオチっスか!」 モニュモニュ…ごくり。 『うん……悪くない』 「そりゃ良かったっス、……じゃない!」 『騒ぐな。さっきお前にくれてやった分を取り返しただけだ。残りは全部お前のだ、心おきなく食べろ』 「ああ、そっ…あ……はい」 オレの元に戻ってきた手で、オレは再びケーキの塊をフォークですくった。 そうね、そうね、さっき斉木さんがオレにひと口くれて、オレも斉木さんにひと口あげた、これでおあいこだね。貸し借りなしだね。 何の問題もなかったと頭が落ち着いたところで、そういや今やったのって、お互いに「あーん」じゃないっスか! 窒息するかしないかの瀬戸際だったからそんなの気にする余裕なかったし、オレの意思じゃなかったから全然気付かなかったし! 「てことで斉木さん、気を取り直してもっかい、ハイあーん」 『キモイ』 斉木さんに向かいかけた手が、グキリと急激に曲がりオレの口へ。 「いだぁ!」 人間そうは手首曲がらんから! 走る激痛に手からフォークが離れた。ケーキはテーブルに落ちて無残に潰れる前に斉木さんの口に無事収まった。 『うむ……この味、全然嫌いじゃない』 「キライじゃない――じゃねっスよ! 斉木さん、オレの手首心配して!」 超能力で無理やり捻られた手首に悶絶するオレには目もくれず、斉木さんはうっとり顔でチョコケーキを満喫していた。 『やれやれ、お前、ケーキ一つ満足に食べられないのか』 可哀想な奴だな。 心底憐れむ顔でオレを見つめ、斉木さんはまた自分のケーキからひと口切り取り、オレに寄越した。 うぅ、誰のせいだと 「……あざっス」 恨めしく見つめながらも、オレは素直に口を開いた。 全部斉木さんに食べてもらうつもりだった、コーヒー風味のガトーショコラ。 本当に、心から美味いっス。 胸にじーんと沁みる味。 なんか、さっきから自分のを自分で食べられてないですね、お互い。 「あ、もしかしてこれが狙いっスか、斉木さん」 『なわけあるか』 即座に返され、オレは口をへの字に曲げた。 「あ、そっか、斉木さんが欲しいのはつまり口移し――」 『その口縫い合わせるぞ』 「ひどい!」 『そののちお前の脳みそを破壊する』 「怖い!」 アンタにとっちゃその程度、朝飯前だものね、オレ本気で震え上がるからほんとやめて。 『そら、下らない事言ってないで、ちゃんと味わえ』 「……わかりましたよう」 自分のケーキに目を向ける。と、視界にずいっと黒い塊が割り込んだ。 オレはそれをじっくり一秒見つめて、それから目を上げ斉木さんに視線を注いだ。 「やっぱりやりたいんじゃないっスか」 『たまにはいいだろ。たまには』 つまらない事でカリカリするなと、余裕の微笑み。あー憎たらしい。 もう、ほんとこの人、ひねくれてる…いや「素直で誠実」だわ。 可愛いったらありゃしない。 オレはゆっくりと微笑み、あーんと口を開けた。 チョコレートケーキってこんなに美味かったんだな、知らなかった。 『お前のもちゃんと、同じ大きさで返せよ』 「もちろんスよ。……はい、あーん」 斉木さんは厳しく大きさ確認すると、ぱかっと口を開いた。 「いただきっ!」 オレはその口めがけて顔を急接近させた。 「……がっ!」 心読める斉木さんに不意打ちなんてまずもって不可能だから、余裕で阻まれるんだけど。 ミシって音がしそうなくらいの力で頭を掴まれ、オレは冷や汗をダラダラ流す。 『……やれやれ』 まったくお前はって言いたげにため息ついて、それでもオレの望む通りキスをしてくれた。 それでオレが幸せポワンで動けなくなったところで、斉木さんはゆっくりと、オレの手を掴み悠然とチョコケーキを口に運んだ。オレの手からフォークをもぎ取るんじゃなく、ちゃんとオレの「あーん」で。 オレはますます動けなくなった。 |
斉木さんから受け取り、斉木さんに食べさせ、結局最後まで互いに自分のを相手に与えた そんな事をしていたら、オレの気持ちがあっち方面に腫れ上がるのも無理はないことで、だって食べるってやっぱりエロイしさ。 直結しちゃってもしょうがないと思うんだよね、うん。 心に秘めておけず斉木さんに切り出すと、まあ当然ながら凍てつく視線をもらいしょんぼりする訳だが、食べ終わるまで待てって言われて、オレは落としかけた目を跳ね上げた。 『食べ終わったら、相手をしてやる』 「……わかりました」 それまで我慢します。 心の中でガッツポーズ。 早くやりたいけど、この時間も大切で愛しい。 今日もああ幸せだ。 オレはこの時間の、オレと斉木さんと全部を脳に焼き付けようと、しっかり、じっくり、味わった。 |