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一つ残らず斉木さんが頂きました、ごちそうさまでした。
もう勘弁してくれ
三月に入って最初の登校日、たまたま通学路で鉢合わせた鳥束の顔は気持ち悪いくらいにたるんで輝いていた。 それから数日、きらきらにやにや顔は続いた。 気が重くなった。 きらきら、にやにや、へらへら。 またくだらない挑戦してるなと、横目に見ていた。 滝のように思考がなだれ込んでくるが、聞こえないふりをする。 そうして迎えた当日、それまでのきらきらはどこへやら、見た事ないほどにどんよりと曇った、いや明らかに土砂降りの顔で鳥束は登校してきた。 ああ、へそを曲げられたか。 聞くまでもなく、ひと目でわかった。 実にわかりやすい奴だ。 三月初めのあれは単なるまぐれ当たりだったのだろう。 今に泣きついてくるのだろうな。 愚痴を聞かされるのかと思うと、ますます気が重くなった。 今回鳥束が挑んだ相手は中々手強いようで、上手くご機嫌を取らないとたちまち膨れたり萎んだりするようだ。 バカだな、身の丈に合わない事をするからそうやって痛い目にあうんだ。 人にはそれぞれ分相応ってものがある。 お前はお前に合った事だけやっていればいいんだ。 お前に出来る事は、まあ確かにえらく少ないが、ゼロじゃない。 それをコツコツ積み重ねていけばいいのに、無理して上級に手を出すからそうなる。 |
思惑に反して、午前中も昼時も、鳥束はやってこなかった。 昼間、屋上に一人立ってめそめそぐずぐずしているのが聞こえたが、やってくる気配はなかったので無視した。 そのまま鳥束は顔を出す事はなく、下校時間になった。 なんたあいつ、このまま帰るつもりか。 ぐずぐずとべそをかきながら。 まったく、面倒で厄介だな。 そんな鳥束を無視出来ない僕が、一番面倒で厄介だ。 |
教室を出て、見るからにとぼとぼといった足取りで昇降口に向かう背中を、一定の距離をあけて追っていく。 途中何人か鳥束お気に入りの女子とすれ違う事があったが、意外な事に奴はそのどれにもさしたる反応を示さなかった。 なんだあれ、本当に鳥束か。 心の中もどんより淀んで濁って、やけに重苦しい。 相当重症だな。 鬱陶しい程の繰り言が頭の中に響き渡る。 いつかの夢原さんもかくやというところか。 こっちまで憂鬱な気分になってくる、もう少し距離を取ろう。 わざとゆっくり階段を降りる。 いい加減もう靴を履き替えて玄関から出て行った頃だろうとてくてく向かうと、下駄箱の前で突っ立ちうなだれているのが目に入った。 「あ、あ……斉木さん」 姿を見るなり大げさに後ずさり、へらへらと愛想笑いを浮かべるのはやめろ。 学園一の不良になったようで気分が悪い。 「あー……えー……今帰りスか?」 『そうだ。お前と一緒だな』 「う……ん、お供します」 言おうか迷って閉じた口とは正反対に、心の中はとんでもなく荒れ狂う暴風雨真っただ中だった。 いつもなら、こちらが反応しようがしまいがお構いなしにべらべらとお喋りするのに、やはりというか今日は無言だ。 静かでとても好ましいが、頭の中は非常にうるさい。 差し引きゼロだな。 これなら、下らない無駄話を聞き流している方がよっぽどましだ。 |
『で、それはいつ僕にくれるんだ?』 正門を出ていくらか歩いたところで、普段は見かけない紺色の小さな手提げを指して聞く。 鳥束は、それはもうこの世の終わりとでも言うような顔になって、声を上ずらせた。 「そ、そういうのは、わかっててもこっちが言うまで無視するのがマナーってもんスよ」 そうは言っても待つにも限界がある。 それに、これ以上泣き言を聞かされるのもごめんだ。 手のひらを上にして突き出す。 『だからとっとと出せ。ほら出せ、寄こせ』 「い、いやっス。無理っス、すんません斉木さん」 『もうわかているんだから観念しろ』 「お願いだからやめてください……」 もっと、いつもみたいにぎゃあぎゃあと騒ぎ出すかと思っていたのに、予想に反して鳥束は道端でめそめそと泣き出してしまった。 『ええ……』 さすがに反則だ。 これじゃまるで僕がカツアゲしてるみたいじゃないか。 向こうからやってくる通行人の視線と心の声が痛い。 『もういい、来い』 家が近くだったのは幸いだ。鳥束の襟首を掴み、家まで引きずる。 |
なんだ? なんなんだ? 稀代の乙女の霊でも憑依しているのか? 部屋に入れた途端、よよと泣き濡れる鳥束に調子が狂う。 ぐすぐすと鼻をすする音が弱まるまで辛抱強く待って、片手を差し出す。 鳥束は観念した顔で、紺色の手提げ袋からあるものを取り出した。 三月に入ってから、鳥束を一喜一憂させた手強い上級、シナモンロール――もどき。 それが六つ。一つひとつ透明な袋に詰められ、丁寧にシールで封がされていた。 鳥束はぽつりぽつりと説明を始めた。 もうとっくに全部聞こえていたし、こちらには全部筒抜けだと鳥束もわかっているだろうに…が、気の済むように喋らせる。 「試作の時は、初めてにしては上出来の仕上がりだったんス。これならきっと斉木さんも気に入る、喜んでくれるって、すげえ舞い上がった、のに……」 迎えた本番は、どこの工程がまずかったのかこの有様で、硬くて粉っぽいものが出来上がってしまったと、まためそめそし出した。 「とても食えたもんじゃないっス」 『どれ』 超能力で一個引き寄せる。 たちまち鳥束はきゃあと高い声を上げ、袋から飛び出した一個を追ってあたふたと手をばたつかせた。 「不格好だしカチカチで美味しくないし、ほんとやめて斉木さん!」 その訴えが心の底からのものであるなら、美味い不味いは別にしてやめていただろう。しかし、ほんのちょっと混じる食べてもらいたいという気持ちを尊重し、遠慮なくかぶりつく。 とても、歯応えがいい。 この世の終わりと悲愴な顔をしている鳥束の前で、もぐもぐと噛みしめる。 鳥束の顔が真っ赤と真っ青とのまだらに染まる。その顔を伏せて冷や汗をにじませていた。今にも額が床につきそうだ。いつ倒れてもおかしくないな。 『試作はどうしたんだ』 「え、あ……」 『全部お前が食べたのか』 「あ……はい。その日の夜と次の日の朝、食べました」 蚊の鳴くような声で鳥束は言った。 なんだ、ぶっ飛ばされると思ってびくびくしているのか。 ばからしい。 『全部お前の腹に入ったならいい。他の奴に分けたなんて言おうものなら、そいつもろともお前を百八つに裂いて海にばらまいていたとこだ』 「ええ……え?」 目を白黒させる鳥束を見ながら、苦労してひと口目を飲み込む。中々手強いな。 続いて二口目にかじりついたところで、鳥束が手を上げ制した。 「ああ、もう……そんなに食べたらお腹壊しちゃいますから、もうやめて、斉木さん」 『何だお前、変なものでも入れたのか』 噛みしめながら、表と裏と透かして見る。これといっておかしなところは見当たらないが。 手袋を取る勇気はないな。そこは悪く思うなよ。 それにそこまでして調べなくても、大体は思い浮かぶ。 お前の企みは先月からもう知ってたしな。 たまたま当たった景品のシナモンロールを食べるとこ見ながら、あんなに脳内ではしゃがれたら、無視も切り捨てる事も出来ないじゃないか。 チョコを貰ったお返しにと今日という日に狙いを定めて、あんなに嬉しそうに。 「そ……そうっスよね」 『そうだ、なんでそこが抜けるんだお前は。で、何か入れたのか?』 「い、入れてませんよ、ちゃんと、本に書いてある通りの材料で作りました」 『ならいいじゃないか』 でも、と鳥束は潤んだ声をもらした。 『めそめそするな。せっかくのパンが不味くなる』 「最初から美味しくないですう……」 |
三口目も遠慮なくがぶりといった。 『なら次は美味しく作れ』 確かに見た目は少々不格好で生地は妙にがっしり歯ごたえがあって、シナモンペーストも粉っぽい。だが嫌いな味ではない。 ジグザクにかけたアイシングの甘さも絶妙だ。丁寧に作った痕跡があちこちに見られて好ましい。 『だから、もっと美味しく作って持ってこい』 「……え」 『そうしたら、お前のそのめそめそは止むか?』 「え、あ……」 鳥束の目に新たな涙がじわりとたまる。 ああもう、どう言えば獲得出来るんだ。 頭をかきむしりたい気分だ。 これはこれで不味くない。 悪くはない。 嫌いじゃない。 これじゃ駄目か? 本当に、これはこれで悪くはないぞ。 でも、もっと美味しく作れるというなら、僕はそれも食べたい。 お前の作ったもの全部食べたい。 これでも駄目か? 「ダメじゃないです……けど」 けどなんだ。 なんでお前はまだ泣くんだ。 泣くとこじゃなくて喜ぶところを見たいんだよ。 お前が先月思い付いたように、こっちだってお前の喜ぶ顔が見たいんだ。 ちゃんと食べてるじゃないか。 無理して食べてるわけじゃないぞ。 お前が作ったものなら何だって、無理してでも食べるがな。 だからもう泣くな。 泣き笑いもやめろ。 抱き着くのもなしだ、せめて食べ終わるまで待て。 やれやれ、もう勘弁してくれ。 |