なんでもない朝

 

 

 

 

 

 暑い!

 

 溶岩風呂にでも放り込まれたのかという暑苦しさで、僕は目を覚ました。
 起きて、熱気の原因がわかった。
 隣で眠りこけるコイツのせいだ。
 コイツが腕も足も身体もべったり僕に密着させているせいで、息も止まりそうなほど暑かったのだ。
 冬ならまだいくらかありがたく思えたろうが、季節は夏真っ盛り。
 汗ダラダラくらいなら可愛い方で、下手したら死ぬぞこれ。
 冗談抜きで。
 僕は超能力者だからまだ平気だが、常人のコイツはもたないわ。
 幽霊が見えるコイツ自身が霊になる。
 冗談抜きで。
 今にも念力で吹き飛ばしたいのをぐっと堪え…というか、暑くて派手に動きたくないというのが正解だがとにかく、僕は起こさないよう静かに身体を引きはがした。
 無駄に長い手足を振りほどき、デカい身体を押しやって、ついでに申し訳程度にかぶっていたタオルケットも足元に蹴りやる。
 ああ、スッとした。

 昨夜の内にエアコンのタイマーをセットしていたので、少しすれば冷風によって身体のほてりは鎮まった。
 ようやく、隣をうかがう余裕が出てきた。
 僕は深呼吸ののち、ちらりと目玉を向けた。
 今朝のお前も血の巡りは良好、筋肉の色もまずまず、心臓も順調に動いているしいやんなるほど健康体だ。
 なんでも透かす目、憎たらしい。
 でもいい、お前の寝息はちゃんと聞き取れるし、ここにいるって触って確かめられる。
 充分幸せだ。

 まだ眠りの中なので、思考はまばら、時折斉木さん大好きが過るくらいでとりとめのない物ばかり。
 幸せついでに、柄にもないが、頬に唇を寄せる。
「んん……」
 しかしすぐに振り払われた。
 まるで、眠りを邪魔する耳元の蚊のように。
 この僕を、虫扱い!

「すみません、やめてください」
 怒りたいような笑いたいような、とりあえずまあ幸せだって気持ちは、冷たい声によっていともたやすくへし折られた。
「………」
 思わずむっとしてしまう。
 なんだよ、随分よそよそしい声を出すじゃないか。
 眠りを邪魔されて腹立たしいのはわからないではないが、さすがに傷付くぞ。
 実際少し目の奥が熱くなった。
 なんだよお前…頭の中はそんなに僕一色なのに、キスも嫌がるなんてひどいじゃないか。
 寝惚けてるんだってわかったってな、悲しいし寂しい。
 枕に頭を乗せる。
 なんて朝だろう。
 ああもう、厄介だな。
 だから嫌なんだ人と付き合うなんてのは。
 ちょっとの事で上ったり落ちたり忙しなくて、落ち着かない。厄介極まりない。
 ほんの一瞬の間にそうつらつらと考え、でも僕は…そう思った時。

「オレには好きな人がいるんで」
「!…」

 ほぼ寝言であったが、好きな人以外は絶対受け入れないぞと強い意志が感じられた。
 ああ、そういう事――不覚にも息が詰まった。
 好きな人がいると口にした時、頭に浮かんでいたのは、まさに僕だった。
 斉木さん大好き、斉木さん大好き。
 たかがそれしきの事で顔は大いにたるみ、心が隅々まで潤う。
 たった今、つい今しがた胸に広がったいじけたあれこれは綺麗さっぱり消えてなくなり、ただただ、愛しさで満ちていく。
 嗚呼僕はなんて易いのだろうな。
 お前を笑えないや。
 誰かさんみたいに、乙女モードで目が潤んだまさにその瞬間――。
「ふんっ!」
 ブッ!
 気張る声と、元気な放屁の音。

 ああ、うん、内臓の働きも何の問題もなし、今朝も元気でよかったな……

 やれやれ。
 僕はぎゅうっと目を瞑った。
 じーんと感激した直後の衝撃、どういう顔をしてよいやら複雑だが、これで幻滅しないのだから不思議なものだ。
 幻滅するどころか、むしろ逆に愛おしさが湧いてくるのだから本当に不思議。
 僕を、よくもここまで塗り替えてくれたものだ。

 本当に、なんて朝だろう。
 こんなのが誕生日の幕開けだなんて、笑えて仕方ない。

 もうどうでもいいや、起きるにはまだ早い時間だし、もう少しあと少し眠ろう。
 どうせ起きたら一気に騒がしくなるしな。コイツがうるさくするから。
 僕はあれだ、いつも通りコーヒーゼリーを食べて静かに過ごすだけ。
 今日はそこに豪華なケーキが加わるからまったくすべてがいつも通りとはいかないが、出来るだけいつも通り静かに過ごす。
 静かに過ごしたい…無理な願いか。
 コイツはもちろんの事、両親もそうだし、アイツも来るだろうし、クラスの連中もこぞってやってくるのは間違いなし。静かなのは今だけ。
 仕方ない、一年に一度のことだ、我慢しよう。
 だからもう五分、十分、眠ろう。
 もし寝坊しても夏休みだし問題ない、腹が減ったら起きればいい。

 そうだ、腹が減ったら起きよう。
 起きたら朝ご飯だ。
 その前と後にコーヒーゼリーを食べよう、必ず食べよう。
 ご飯前は絶対駄目だめ言ってくる奴がいるだろうけど、なんとか振り切って食べよう。
 その後母さんが注文したケーキを取ってくるだろうから、ケーキを食べよう。
 ふふ、今日はどれくらい食べられるかな。
 それとあと田舎からも贈り物が届くから、それも食べよう。
 今年は何が届くかな。某有名ホテルの入手困難ロールケーキにするか、某高級洋菓子店のスイーツセットにするか迷っていると祖母は言っていたが、祖父の事だからきっとどちらも届くのは間違いないな。
 ふふふ、食べたいものが一杯だ。
 よし、それに備えてもうひと眠りしよう。

 目を閉じる前に、今一度隣で寝てる奴の顔を確認する。
 見ている間にどんどん血と肉と、骨と、移り変わるお前。
 むにゃむにゃする顎、腹をかく指、呼吸で膨れ収まる肋骨。
 見ても見ても、飽きないな。

 だが、頭の中はいただけない。
 頭蓋骨の形は申し分ないのに。
 その身体に丁度良い大きさで、幾多の骨を見てきた僕でもうんいい形と思う程なのに、詰まっている脳みそもまずまずなのに、思い浮かべるものが残念過ぎる。
 というか、お前の思い浮かべてるそれは誰だ、姿形は僕そっくりだが、お前に都合よく動き過ぎて吐き気がするぞ。
 お前の一挙一動にいちいち感激したり飛び跳ねたりして喜んで、本当に誰なんだよ。
 今まで一度もそんな事してない、そんな顔してないのに、一体全体そいつは誰だ。
 何故みんな、妄想の中で僕をキラキラにしたがるのだろうな。
 お前もお前で、自分を美化するにも程がある。
 何かある度僕に「抱いて!」を言わせるのやめろ、本当にやめろ。
 かゆいかゆい、本気で蕁麻疹出てないかコレ。
 今日をそんな風に過ごしたいとかいい加減にしろこの変態クズ。
 こっちだってまだ寝惚け眼だってのに、なんだってこんなもの見せられなきゃいけないんだ。
 そんな易い人間じゃないぞ、僕は。
 ああ、いや…お前にも負けないほど容易かったな。
 なにせ、痒さに悶え吐きそうに呆れてるのに、全然悪い気しないのだからな。

 今日という日の始まりからお前といられる事を、嬉しく思う。
 そう想いを込めて見つめると、その先でへへと顔をだらしなく緩めた。
 なんて偶然だ、気分よく二度寝出来るってものだ。
 今度こそ目を閉じる。
 じゃ後でな、鳥束。

 

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