寄り道デート

 

 

 

 

 

「えー! もう帰っちゃうんスかー!」
 えー。えー。
 オレは腹に力を込めて繰り返した。
 しかし斉木さんはそんなオレの騒がしさを一切合切綺麗に無視して、帰り支度を始めている。
 オレがついさっき外したシャツのボタンを下から順繰りにしめ、テーブルに散らばったノートや筆記用具の類をカバンに詰めして、目の前で支度はどんどん整っていった。
「こ、これからだったじゃないスかあ!」
 斉木さんの手は止まらない。

 

 スイーツで釣って、テスト勉強という名目で斉木さんに家に来てもらった。もちろん表向きはそうで、本当の目的はお家デート…からのあれこれだ。
 このオレが、大人しく座って素直に勉強なんてするはずないっス。
 斉木さんと肩を並べて座ってるのに、ただノートに向かってるだけなんてそんなのオレじゃない。
 かといってストレートに盛ったら、斉木さんの事だ、渡したスイーツ根こそぎ持って即座に家に帰ってしまうだろう。
 そこでオレは、一問正解するごとにご褒美下さいとねだってみた。
 これなら、勉強も出来てムラムラも発散出来て、一石二鳥だ。
 愛と欲望の為なら、オレはなんだって出来る!
 はず。
 斉木さんはやれやれといった様子で二冊の小冊子を取り出し、続けざまにオレの顔に叩き付けて言った。
 こっちの薄い方が出来たらキス、こっちの厚い方が解けたら最後までしてやる、と。
 俄然やる気が湧いた。
 分厚い方をひったくり、丸ごと斉木さんを目指して無我夢中で挑んだ。
 その結果、オレは珍しい斉木さんの驚き顔を手に入れる事に成功した。
 萎びた青菜みたいにくたくたになってテーブルに倒れ伏すオレを見て、お前本当に鳥束か、なんて言葉までもらった。
 本当に鳥束っスよ、その証拠に、ひどく目が回るってのに斉木さんへの欲望が次々湧いて止まらなくて、爆発寸前になってるんスから。
 という事でいただきますと、まずはキスから始めて、ボタンを一つずつ外し段々見えてくる肌に触ってと順調に進めていた。
 斉木さんの反応も、まんざらでもなかった。
 わざと、こんなに勉強出来るなんてやっぱりお前鳥束じゃないな、なんて声を聞かせてくるから、じゃあ試してみますかと挑発したら、ちゃんと乗ってきてくれた。
 のに、斉木さんは無情にも、時間切れを言い渡してきた。

 

「!――」
 どうにかもう少し残ってもらおうと粘る為、がばっと口を開ける。
 それより早く、斉木さんのテレパシーがゴツンと頭に入ってきた。
『最初に、夕飯に間に合うように帰ると言っただろう』
「……夕飯、早いんスね」
『帰りにお使いを頼まれているからな』
「あ、じゃあ、オレもお供するっス。荷物持ちって事で」
 そんで、お宅までお送りするっス。
「最近は何かと物騒っスからねー、斉木さんみたいなかわいい子、すぐ狙われちゃいますもん」
『それは嫌味か』
「あだだだ! 顔掴まない! 取れちゃう取れちゃう!」
 指を食い込ませ、顔面をはぎ取る勢いの斉木さんに慌てて白旗を上げ、オレは謝った。
『ふん。お前がいつも僕をなんと言ってるか、聞こえてないと思っているのか』
 主に悪口の方をあげつらい、斉木さんは冷たく鼻を鳴らした。
 確かに言ってます、オレの愛読書を粗末に扱ったりした時とか、オレ自身の扱いが粗末だったりした時、ちくしょーちくしょーぼやいてます。
 ええ、わざと聞こえるように言ってやってます。
 言ってないなんてとぼけたりは一切しません、けど、それと同じくらいいやそれ以上に、バラ色の斉木さんを思い浮かべてるの、知ってるくせに。
 恨みがましい目線を送ると、斉木さんはほんの少し口を開けて、おぞましい物を見る目でオレを見ていた。
 こういう時だけテレパシーで何も送ってこないのがまたきつい。
 果たしてどんだけの罵倒を繰り返しているのやら。
 でも、こんなやり取りも好きだったりする。
「とにかく、冗談じゃなく心配してんスから、お供するっス」
『僕を誰だと』
 鼻であしらわれる。ふんともれた音には少し苛々が含まれているようだった。
 確かにどんな凶悪犯だろうと百人束になってかかろうと、斉木さんに敵うものはない。
 侮るなって怒る気持ちはよくわかるけど、そういうの抜きにして湧いてくる心配を少しはわかってもらいたい。
 どう言葉を選んだものかと足りない頭で悩むオレを、斉木さんはやっぱり無言で見やってくる。

 

 まあいいや、斉木さんのお供、ボディーガードという名目でお使いの分だけもうちょっと長く斉木さんといられる。
 最後まで到達出来なかったのは非常に悔やまれるけれど、次に期待だ。
 今はとにかく、お使いデートに浮かれよう。
 るんるんと弾むオレの顔を見て、斉木さんはわずかに眉を寄せた。
 迷惑がる、呆れ返る、そんな顔だが、それくらいはもう慣れた見慣れたもので、ちょっとやそっとで怯むちゃちなオレじゃありません。
「さ、じゃあ行きますか。まずはどこっスか?」
 いそいそとコートに袖を通し、帰り支度の済んだ斉木さんに並ぶ。

 

 帰りがてらのお使いというから、買い置きの醤油を一本とか、砂糖を一袋とか、洗剤とかティッシュとか、そういった一つをちょっとだと思っていた出発前のオレ…甘かった。
 まさかそれら全部に加え米十キロ二つとか、斉木さんママさん、えぐいぜ。
 あっちのスーパーこっちのスーパー、酒屋に米屋に雑貨屋にとあちこち連れ回されて、もうへとへとだ。
 両手になんとかぶら下げ、今にも指がちぎれるんじゃという重さに耐えつつ、オレは斉木さんの後に続いた。
『次は……』
「まだあるんスか!」
 つい言ってしまった、が。
「最後までお供します!」
 こうなりゃヤケだ、しまいまでいったらあ。
 持ってくれオレの指。
 こみ上げる涙を堪えつつ、修行だか苦行だかわからないお使いのお供を続ける。
 と、下げた荷物の重さが半減した。
 あまりに重すぎて感覚がマヒしてしまったかと思ったが、これは明らかに斉木さんによるものだ。
『元々は僕のお使いだからな』
 斉木さんは軽く人差し指を立てて、半分、持ってくれた。
 脳内のイメージは、一つの袋を二人で分けて持つ感じだ。
 えへへ、なんか新婚さんの買い物帰りみたいだ。
 バカな妄想に続いて、つい、素直な感想が脳裏を過った。
(てか自分のお使いなんだから全部自分で持ってくれればいいのに)
 なんて、ついうっかり思い浮かべたのがいけない。
『おっと手がすべったあ』
「うわ!」
 斉木さんのわざとらしい声を合図に、たちまち荷物の重さが三倍になる。
 なに?
 なにこれ!
 自分の手で分けて持ってるなら、手が滑って相手に全負担とかあるでしょうけど、超能力でそんな事ありえないスよねえ!
 しかも全負担通り越して三倍とか明らかにわざとスよね、悪意こもってるよね!
 ねえ!
(てかマジで指ちぎれちゃうから…マジお願い斉木さん…マジで)
 頭の中でお願いを繰り返していると、ふっと、すべての重みがなくなった。
『持ってるフリだけしてろ』
「……あざっス」
 感謝してから、ハッとなる。
 やれやれって顔してるけど、やれやれ言いたいのはオレの方スからね。
 はあ、もう、これだから斉木さんは。

 

 そんで、最後のお使いは思った通りというか、斉木さん本人の買い物だった。
 コンビニの新作スイーツを物色だってさ。
「じゃあオレ、外で待ってるっス。荷物多いし」
『すぐ決めるから、一緒に選べ』
 有無を言わさず連れ込まれる。
 すぐ決めるとか、無理だろうなあ。
 いつも大体そうだから、容易に思い浮かぶ。
 今日はこれを買うぞとお目当てがあったって、いつも、もう一つくらいいいだろうと欲が出て、そのもう一つを選ぶのがじっくりたっぷり時間一杯になるのだ。
 今回もやはりというか、思った通りだった。
 ここ最近のお気に入りになっているクリームたっぷりコーヒーゼリーパフェは決まりとして、もう一つが悩ましいのだとか。
 抹茶のロールケーキがいいか、はたまたキャラメルタルトがいいか。
 真剣に悩む横顔…いいなあ。
 オレは、出来るだけ買い物客の邪魔にならないよう身を縮めて、それでいて斉木さんの表情を見逃さない位置に立って、思い悩む様相をじっくり眺めていた。
『おい、お前ならどっちだ?』
 急に振り返られ、オレはついドギマギしてしまった。真剣さの余韻がこっちにまで届いたのだ、見惚れて、呼吸が乱れてしまうのも無理はない。
「あー…どっちも美味そうスよね」
『真面目に選べ』
 ひい、すんません、言われるとは思ってました。
 でも、自分はどちらかといえばそういった洋菓子よりは和菓子が好みで、だから選ぶとしたら、斉木さんが見ている棚の一つ下に並んでいる、わらび餅とか白玉ぜんざいとかに目がいきがちだ。
 そう、もちもちの食感が好きなのだ。
 もちもちと言って真っ先に思い浮かぶのは、斉木さんの肌。
 腕とか背中とか、太腿も外せないな。頬っぺたはもう言うまでもない
 一番なのは唇で……。
 最初は純粋に、もちもち餅への感想だった。むにゅむにゅの食感が好きなんだよなあ、って、食欲一色だったのだが、オレの脳みそときたらすぐにあっち側へと暴走を始める。
 どぎついピンク色のただれた妄想が、次から次へと浮かび上がってきた。
 オレである以上仕方のない事で、なんたってさっきまで部屋で、ちゅーして触ってそんでもって――まずいと思った時には、斉木さんの目が腐りきって悪臭を放つ汚物を見る目になっていた。
「へへへ……さーせん」
 オレである以上、仕方がないんス。
 一瞬にしてレジに向かう斉木さんの背中に、乾いた笑いをもらす。

 

 超能力の手助けもなくなり、ずっしりと指にかかる重みに耐えつつえっちらおっちら表に出る。
 もう随分先まで行ってしまったかと思ったが、オレが出てくるまで待っててくれていた。
 意外だ、あんな顔してたから、とっくにオレを置いて家に帰ってしまったかと思っていた。
『お使いの荷物を捨てられたら困るからな』
「そんな事しませんよ!」
『あと少しだから頑張れ』
「いや頑張りますけど、さっきみたいに半分持ってくださいよ」
『頑張れ、鳥束』
「ああもう、くっそエエ顔するなあ!」
 嬉しさと腹立ちとが混ぜこぜの声で叫ぶ。
 最後の馬鹿力だと、オレは荷物を持ち直した。
 並んで歩く斉木さんの、スイーツが二つぽっち入った軽そうな袋が恨めしい。
 そういや、もう一つに何を選んだのか見てなかったな。

 

 路地の角をいくつか曲がって、ようやく斉木さんの家に着いた。
「荷物は、玄関とこでいいスか」
『いや、ここでいい』
「え、でも、結構重たいスから、もうそこまでだしオレ運びますよ」
『僕を誰だと』
「いや知ってますけど。よおく知ってますけど」
 苦笑いで宥める。ただ単に、もうちょっと長くいたいだけなのだ。敷地の門扉も玄関先もそう変わらないけれど、あとちょっとだけ斉木さんと。
 そんな恥ずかしい乙女心に自分自身悶絶していると、鍵の開く音がして、中から玄関が開いた。
 あら、鳥束くんと、ママさんの声がした。
「あ、こんばんはっス」
「こんばんは。おかえりくーちゃん。まあ、ずいぶん大荷物ね、鳥束くんの?」
「え、いや、ママさんのお使いのお手伝いっス」
 よいしょこらしょと玄関先に運び入れる。
 やっと解放された指を曲げて伸ばして慣らしているオレの横で、ママさんが不思議そうな声を出す。
「あらでも、私が頼んだのはティッシュで――」
「え?」
「きゃ!」」
 突如、全ての荷物がすさまじい勢いでキッチンの方へと飛んで行った。
「まあまあ」
『母さん、荷物の仕分けを頼む』
「わかったわ」
 じゃあ、またね鳥束くん、とキッチンに取って返すママさんに曖昧に手を振り、斉木さんへと目を向ける。
 門扉と玄関との中ほどに立っている斉木さんのもとに近付くと、あからさまに身体ごとそっぽを向いた。
 その態度で、全てが判明した。
「えっと、斉木さん?」
 ママさんは、ティッシュと言っていた。
 つまりママさんが頼んだのは、ティッシュだけだったのは明白だ。
 味噌やら米やらは、今回のお使いには含まれていなかったのだ。
『そうか』
「ねえ、斉木さん」
『その内切れそうだったから、先回りして買っただけだ』
「ああ、そうっスね」
 そりゃ偉い、孝行息子だね。
「でも、別に今日じゃなくてもよかったっスよね」
『今日でもいいはずだ』
「ねえ斉木さん。ちょっと、こっち見て下さいよ」
 ねえ、もしかして斉木さんもオレと同じく、ちょっとでも長く一緒にいたかったんスか?
 だから、寄り道一杯したんスか?
 どうなんスか斉木さん、もしもし斉木さん、斉木さーん!
『うるさい、聞こえてる』
「じゃあちゃんと答えて――」
 全く素直じゃないんだから、と怒り笑いで一歩踏み出すと、けん制か、片腕を突き出された。がさりと音がするので反射的に見やると、さっきのコンビニ袋が差し出されていた。
『お駄賃だ、やる』
「え、あ……あざっス」
 おっかなびっくり受け取る。気付くと斉木さんの手には、コーヒーゼリーパフェの容器があった。では、ここに入っているのは買ったもう一つの方というわけだ。
 なんとなく気になり、オレは覗いてみた。
 と、間近に斉木さんが歩み寄り、気付いた時には唇が触れ合っていた。
「!…」
 日も暮れた閑静な住宅街とはいえ、全く人通りがないわけではない、その角からひょっこり通行人が来るかもしれないし、どっかの家が、閉め忘れたカーテンを今引くかもしれない、そのついでに目撃するかもしれない。
『僕を誰だと』
 知ってます、よおく知ってます。
 だから、誰かに見られる心配は一切なくなったけれど、キスの不意打ちはなかなか心臓にくる。
 斉木さんのもちもちぷるんとした唇は、下半身にくる。
 微かに息がもれる音がして、斉木さんが笑ったのだと気付く。
 だって仕方ないじゃないスか、それがオレなんだから。
『じゃあな』
 斉木さんはすいと身を離すと、有無を言わさぬ力で門扉の外へとオレを押しやった。
『また明日、学校で』
 かちゃんと門扉の閉まる音に振り返ると、斉木さんの姿はもう玄関の向こうだった。
(また明日)
 閉じていくドアの隙間に向けて急いで手を振る。
 斉木さんはちらとも振り返らなかった。

 

 施錠の音に、はあと肩を上下させる。まあ、帰りますけど、でもさっきの答え、聞きたかった。仕方なく帰路につく。
 素直じゃないしひねくれてるし、わかりにくいけど、わかる。
 わかるけど、お前といたかったとか、直接聞きたかった。
 路地を一つ曲がり二つ曲がり進んだところで、そういえば袋の中身を見ていなかったと思い出し、街灯の下まで行って、そっと覗き込んだ。
「……斉木さん」
 目にして、オレはたまらなく嬉しくなり、片手で額を押さえた。
 あの時悩んでいたロールケーキかタルトのどちらかが入っているのだろうと思っていたから、完全に不意打ちだ。
 まさか、俺が言ったわらび餅を選んだなんて、思いも寄らない。
(重くて指がちぎれそうで大変だったけど、寄り道、すっごく楽しかったス)
『僕もだ』
 突如飛んできた声は、どうしても聞きたかった答えだった。
 それだけで身も心もとろけてしまうなんて、ホントにもう、オレってやつは。
 斉木さん、アンタって人は。

 

 火照った顔が元に戻るまで、オレは長い事街灯の下で佇んでいた。

 

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