たまにはあなたも

 

 

 

 

 

 斉木さんをトイレに引っ張り込むの、これで何度目だろう……。

 こういう関係になってからの数は覚えていないが、今週はこれで二度目なのははっきりしている。
 階数を上がるごとに人の数が減り、四階ともなると全く気配はなくしんと静まり返って、こういう事をするにはとても都合がいい。
 斉木さんの手首を掴んで一番奥の個室に入り、鍵をかける。
 少し見下ろす位置にある斉木さんの顔は真正面を向いていて、特にこれといった表情は浮かんでいない。
 でも、オレが、キスしたくて顔を寄せると、それに応えるように上を向いて薄く口を開いてくれる。
 唇が重なる寸前にもれた湿っぽい吐息に、ただでさえ興奮しているオレはますます催して、斉木さんの身体を壁に押し付けてしつこく舌を吸った。
 しんと静まり返っているせいか、下品でだらしない水音がやけに大きく響いて聞こえた。
 斉木さんの口の中、たまらなく気持ちいい。でもここだけじゃ足りない、もっと熱いところに、もっと深くまで入り込みたい。
 オレは斉木さんの背中に回した腕を下に伸ばして、目指したい場所を指でなぞる。同時に兆している股間を押し付け、同じように硬くなっている斉木さんの熱を感じ取る。
 斉木さんはしゃくり上げるように息を乱し、熱に腫れ上がった眼差しを向けてきた。
(その目たまんない……斉木さん、すげぇエロイ)
(ああ早く入れたい…食べられたい……斉木さん、いい?)
 返事も聞かない内からオレは斉木さんの下半身を脱がせて、便座を跨ぐ格好で自分の方に尻を突き出させると、背中に覆いかぶさり、むき出しになった性器を手の中に包み込んだ。 
 びくりと身体が強張る。
 オレは、嫌な思いをさせたい訳じゃない。斉木さんにも気持ち良くなってもらいたいのだ。まだ足りないところだらけだけど、回数を重ねて段々覚えてきたから、少しは余裕をもって行える……はず。
 斉木さんの首筋に顔を埋め、キスしながら、オレは手にした性器をゆっくり扱いた。硬くて熱くて、先端からはぬるぬるしたよだれが溢れている。
「っ……」
 親指の腹で舐めるように擦ると、ほんのひと声熱い音がもれ、オレの背筋を甘く痺れさせた。
 早く、と斉木さんがねだる。頭の中に響く濡れた声にオレは息もままならない。そのまま勢い任せに抱きそうになってはっと思いとどまる。頭の中では、これまでの斉木さんとオレの妄想とがぐるぐる渦巻いて正直一秒も我慢出来なくなっているが、それ以上に強烈な一度目の赤色がオレを強く制するのだ。二度とあんな事になってはいけない。
 もう少し待って、斉木さん。斉木さんだって、痛くて辛いのはもう二度と御免ですよね。

 

 オレは飲み込ませた三本の指をゆっくり引き抜くと、柔らかくほぐれた孔に自身の先端を押し付け、待ちわびる斉木さんのそこへあてがった。
『とりつか』
 どこか浮ついた斉木さんの声を聞きながら、オレはゆっくり腰を進めた。瞬きもせず、小さな孔に飲み込まれて行く自分のものを凝視する。斉木さんに食べられていく自身に息が上がった。
 斉木さんの良いところを探しながらゆっくり引いて押して、何度も擦り上げる。
 斉木さん、苦しい?
 平気?
 もっと速くしてもいい?
 強く突いてほしい?
 テレパシーを送る余裕もないのか、斉木さんはただ喘ぐばかりで、けれどオレが訊けばその全部に頷いたり首を振ったりして応えてくれた。
 調子付いて、オレは何度も敏感な箇所を抉った。
 眼下で震える斉木さんの身体を夢見心地で見下ろし、いかせようと躍起になる。
 ふと気付くと、さっきまで正面のタンクに掴まっていたはずの手が、今は握り拳に変わり、引っかけるようにして乗っているだけになっていた。
 限界が近いのだ。あのまま掴まっていたら、蓋を壊していた事だろう。
 始めの頃、一度あのタンクにヒビを入れてしまった事があった。興奮が最高潮に達して、力の制御が出来なくなった為だ。
 それ以来斉木さんはああして自分で回避している。オレはささやかな手助けに、斉木さんの身体を抱いて支え、うんと気持ち良くさせてあげるだけ。
 上手く出来てるかな、斉木さん。
 オレはもうすぐいきそうだけど、あんたはどうです?
 床に崩れてしまわないよう踏ん張って抱え、片手を性器に伸ばす。
 腰を打ち付けながら斉木さんのものを擦り上げ、一緒に絶頂を目指す。
(締まって、気持ち良い……さいきさん、すき、すき……もういきそう)
 ぶるぶるっと震えが走る。
 オレは追い立てられるように斉木さんのものを扱いた。身勝手な行為になってしまうのが何より怖かったのだ。
「斉木さん……」
 オレは縋るように名前を呼んだ。二度、斉木さんが頷く。どんな顔をしているのかここからでは見えないけれど、鳥束とオレを呼ぶ声はこの上なくとろけていた。
 手にした斉木さんの熱は今にも破裂しそうに張りつめ、限界が近い事をオレに教えた。
「っ…んん……!」
 その瞬間は呆気なく訪れた。硬く身を強張らせて、斉木さんは熱を吐き出した。溜まった水の中にぽちゃぽちゃと精液が放たれる。
 斉木さんの押し殺した声とその音が引き金となって、オレも斉木さんの奥深く飲み込まれたところで射精した。
 感じ取ったのか、斉木さんの腰がびくびくと引き攣る。
 その様を涙でぼやける視界に眺め、オレははあはあと荒い息を繰り返していた。

 

 トイレだと、後始末が比較的楽だ。
 座るのに適した場所もあるし、すぐに手も洗える。
 身支度を整え、入ってきた時と同じように特に何の表情もないまま斉木さんが手を洗う。
 同じように見えるけれど、まつげとか眦にはっきりと名残があった。
 それらを鏡越しに見ながら、オレは何気なく口を開いた。
「なんだかんだ、三ヶ月過ぎたっスね」
 斉木さんは蛇口を閉め、ハンカチで手を拭いながら鏡越しにオレの方をちらりと見やった。
『そうだな。お前が盛ってる記憶しかないがな』
「そっ……!」
 そんな事ねえっスよ、ほら、ゲームしたり映画見たり、あと色々スイーツ巡りとかしたじゃないっスか。
 オレ、斉木さん喜ばせたくて色々調べて、今まで行った事ないような店あちこち行くようになって、すげえ楽しい最中なんスから!
 斉木さんだって――。
 頭の中にぐるぐるめぐる記憶をどれだけめくっても、斉木さんの冷ややかな視線は変わらなかった。
 確かに、そういう目をされる覚えはある。
 だが――。
「……これでも、我慢してる方っス」
『そうなのか。お互いの家では足りず、こうして学校でまでするなど相当なケダモノだと思っていたが、その上を行くのか。さすが鳥束だな』
 淡々とした反応がかえって申し訳なくて、オレは首が痛くなるくらい目一杯顔を伏せた。
「すみません……斉木さん見ると、どうしても我慢出来なくて」
 もう三ヶ月経つというのに、ふわふわ浮ついて落ち着かず、どこか夢見がちな部分があった。
 冷静な部分ももちろんあるが、斉木さんと過ごす時間で、オレはたまらなく幸せになり舞い上がって地に足がつかなくなる。
 昼時や、どちらかの家で、斉木さんが大好物のコーヒーゼリーを楽しむのを、良かったねえ嬉しいねえと無欲に眺める時もあれば、頭の中が欲望一色になりどろどろに煮えたぎる時もあった。
 行ったり来たりが激しい。
 斉木さんという存在に狂わされて、自分はこんなものだったのかと驚かされる毎日だ。
 嫌だったですか、斉木さん。
『僕が嫌だって言っても、やめないだろ』
「やめます、絶対手出ししませんそっとしておくっス。ほんとっス!」
 信じて下さい――そこまで言ってオレは青ざめた、もしや、嫌な時があったのだろうか。
 思えばほとんどいつも、自分が手を引っ張っていた。自分の家に、斉木さんちに、その帰る時間さえ我慢出来ないと感じる時は、こうして人けのないトイレだとか空き教室だとかに斉木さんを引っ張り込んで、二人だけの遊びに耽った。
 斉木さんは無理してオレに付き合ってくれていたのか。
 血の気の引いた頭がぐらぐら揺れる。

 

 斉木さんが本当に自分を好きなのか不安になる。
 だって、誘えば来てくれるけどあんまり誘われる事ないし、オレが女の子にあっちこっちよそ見しても全然気にしないし、もしやオレに興味ない?
 オレがしつこいから、仕方なく、嫌々付き合ってくれてる?
 ああやだな、嫌な汗が出てきた。

 

 でも、待て。
 嫌なら、斉木さんはいくらでも回避する方法がある。
 力がめっぽう強いんだ、オレなんか簡単に振り払える、それ以前に瞬間移動で帰る事も出来るんだ。
 斉木さんの意思表示はそれだ。置き去りにされたオレはそれ以上手を出せない。反省して家に帰る、それだけ。
 でも、思い返してもこの三ヶ月の間、そんな事は一度もなかった。
 という事は、つまり――。
『つまり、そういう事だな』
「あ、待って……!」
 さっさとトイレを出ていく斉木さんの後を追って、オレは小走りに駆けた。
 斉木さんの返事に安心したからか、顔がにやけるのを抑えられない。さっき、どん底に落とされるところだったのだ、安心した反動でにやついてしまっても勘弁してほしい。
 廊下を少し行ったところで、斉木さんは立ち止まった。オレはそこから数歩離れたところで足を止めた。
「斉木さんも、オレとその……するの、好きっスよね」
 瞬きを堪えてじっと見守っていると、ほんの微かながら斉木さんは頷いた。
(なんだよかった、斉木さんもオレと同じケダモノだった)
 嬉しさのあまりそんな事を思い浮かべたのがよくなかった。
 直後、すさまじい殺気を感知し、オレは震え上がった。
 斉木さんの逆鱗に触れてしまったのは確かだ、オレの不要なひと言…いや、頭に思い浮かべただけだが、それがまずかった。
 気付いた時には、斉木さんの鋭い回し蹴りが目前に迫っていた。
「!…」
 本当に驚くと声なんて出ない。喉が狭まって、しゃっくりみたいな音を鳴らすのがやっとだ。
 後ろに仰け反る事で偶然にも回避出来たが、寿命が数年縮んだ気分だ。いやこれ、よくも避けられたな。
 オレは背中を伝う冷や汗に膝をがくがくさせながら、元通り背中を向けた斉木さんに呼び掛ける。
「さ、斉木さん! どうか冷静に!」
『冷静だぞ、ちゃんと僕が後ろに引っ張ってやったんだからな』
 避けられたのは偶然ではないと、斉木さんが笑う。
 汗が目の中にも滲む…ああこれ涙だわ。あまりの恐怖にオレは半分泣いていた。
 破裂しそうになった心臓をどうにか宥め、三回ほど深呼吸して、オレはやっと落ち着いた。
 他に誰もいないしんと静まり返った廊下で、オレと斉木さん、数歩の距離を開けて立っている。
「斉木さん……ね、こっち見て下さいよ」
 肩を掴んで振り向かせる。どうせ、抵抗されるか超能力で振り払われるものと諦め半分だった。
 それが呆気ない程素直にオレの手に従う。せめてもの抵抗か、かざす手で自分の顔を隠し、斉木さんはオレに向き合った。
 それこそ今、瞬間移動で帰ってしまえばいい。
 赤くなった顔を見せるのがそんなに恥ずかしいなら、オレに見られる前に帰れば済むのに。
『そうしたくなったらそうする』
「じゃあ今は、そうしたい時じゃないんスね」
 斉木さんは答えず、手の甲を顔に押し付けたままの姿勢でいた。
「ねえ斉木さん、手を下ろして。顔見せて」
『嫌だ』
 オレは笑ってしまう。隠しているけど全然隠せてなくて、耳まで真っ赤にした恋人が愛しくてたまらない。
 なんだか、見ているこちらまで恥ずかしさが移って赤くなりそうだ。
 もう、半分ほどそうなっていたが。
 オレはそこではっと思い出し、鞄にしまっていた小さな紙袋を取り出した。
「そうだ、斉木さん、これ、貰ってください」
 色とりどりの花の絵が描かれたプレゼント用の袋を、こちらに向いている斉木さんの手のひらに渡す。
 斉木さんは袋を開けるまでもなくわかるだろうから、先んじて云う。
「コーヒーゼリー専用にどうかなと思って、探したっス」
 渡したのは、一本のスプーン。
『三ヶ月記念?』
 オレの頭の中を読み取って、斉木さんが怪訝な顔をする。
 そうっス。
 何スか、顔に合わない?
 オレに合わない?
「いやあ、何かオレ、こういうの考えるの結構好きなんスよ」
 あらためて言われると確かに恥ずかしいが、特別な日、贈り物、そういったのを色々考えるのが好きなのだ。
 気付いたのは、斉木さんと付き合うようになってからだ。
『欲しがって奪うばっかりのお前が、意外だな』
 斉木さん、手厳しい。
 実は自分でも驚いている。こんな部分が自分の中にあったのかとびっくりしているところだ。
 自分で自分にびっくりしながら、斉木さんは何に喜んでくれるかな、どんな事を楽しんでくれるかなと、考えて悩んで苦しむ毎日を満更でもないと思っている。
 オレの毎日に斉木さんは組み込まれて、オレは斉木さんを中心に生活する。
 斉木さんはもう、オレにとってなくてはならないものになっている。

 

 この頃になるといくらか落ち着いたのか、斉木さんは手を下ろして袋越しにじっくり眺めた。
『ありがたく使わせてもらう。で、肝心のコーヒーゼリーは?』
「それは、これから斉木さんち行く途中で買うっス」
 言われると思った。オレはちょっと苦笑いして、抜かりはないと答える。事前に買ってぬるくなったら不味いですし。
 そう、今日は斉木さんちにお邪魔する予定なのだ。だというのにそれまで待てず、こんな人けのないとこまで引っ張り込んで、オレは……でも斉木さんだって――あぶない!
 また蹴りを食らうところだ、別の事を考えよう。
「どうスかそれ、中々良い感じでしょ」
『ああ悪くない、一切装飾が無いのがかえっていいな』
「良かったー、気に入ってもらえて。あ、お礼はキスでいいっスよ」
 たちまちぎらりと鋭い目が向けられ、オレは即座に、調子に乗り過ぎた事を覚った。
 なんでオレはこう考えなしなんだろうな、後悔先に立たずとはよく言ったものだ。
 冷や汗がひどい。
「あの斉木さん、すんません……」
 蹴りか、いつも通り顔面をはぎ取られるか、はたまた関節技か。
 いずれにしろ訪れるだろう苛烈な攻撃を覚悟して身構えていると、斉木さんの手が動いた。
 あ、顔面狙いだと即座に察しオレはぎゅっと目を瞑り両手で顔をかばった。
 けれど斉木さんにはそんなもの、抵抗の内にも入らない。
 片手を掴まれ、ものすごい力で引っ張られる。よろけながら、このまま腹に膝蹴り食らうんだと覚悟した時、肩を掴まれた。
 全て自分が悪い、もうどうにでもなれと歯を食いしばる。
 しかしオレは顔面をはぎ取られる事も、腹に膝を食らう事もなかった。
 その代わりに訪れた唇への柔らかな接触に、はっと目を見開く。
(んん?)
 気付くと斉木さんに抱きしめられていた。
 まさか、まさか…そう思っている内に離れた唇はとても柔らかくそして熱かった。
「さいきさん……」
 間近でぼやける顔をもっとよく見ようとした時、ふっと姿がかき消えた。
「はっ……ああ」
 帰ってしまった。
 白昼夢から覚めたように、一人呆然と突っ立っていた。
 唇にはくっきりと、あの人の感触が残っている。恥ずかしさに染まった頬も、あの唇と同じくらい熱を帯びていたのだろうな。
 そんな事を思いながら唇に触れる。
 頭には、去り際あの人が残した言葉が強く残っていた。

 ――これからもよろしく頼む。

 こちらこそ、末永くよろしく、斉木さん。

 

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