もうしばらくは
やっぱり来るんじゃなかったな 待ち合わせの場所に到着してまず思ったのは、それだった。 時刻は日没後の午後六時すぎ、人出は…今が一番最高潮だろうか。 いや、これからもっと増えるかもしれないな。 どこから集まってくるのか、段々、段々と密集度を増していく川縁の遊歩道を眺めながら、僕は力なく息を吐いた。 ――今度の週末、川沿いの夜桜見物しに行きませんか? そうやって鳥束に誘われた時、きっぱり断っておくべきだったな。 だって、僕は人混みが大嫌いなんだ。人が多い所は大抵嫌い、ということはこういった夜桜巡りなんてもってのほかで、一番避けるべきイベントであるのに、どうしてあの時の僕は了承してしまったのだろう。 確かに雰囲気は悪くない、屋台もたくさん並んでよりどりみどりで、道行く人は夜桜を楽しみつつ屋台を楽しみつつ、賑やかで華やかでいやな気分になるものは見つからない。 でも、とにかく人が多い。人が多ければそれだけ流れ込んでくるテレパシーも増えるわけで、そのうるささときたら筆舌に尽くしがたい。 これは超能力者でないとわからない苦悩だろうな。 でもなあ、こんな事、話を持ち掛けられた時に容易に想像がついたはずだろうに。 なぜあの時の僕は断らなかったんだ。 僕は再びため息を吐いた。 さっきからなんとなく見つめている屋台の一つ、ベビーカステラの文字をぼんやり目に映したまま、はぁ、と息を押し出す。 屋台は他にも色々あって、チョコバナナ、フルーツあめ、かき氷、わたあめと、それぞれ心躍るカラフルなのれんをはためかせ手招きしている。 なんで僕は律義に鳥束を待ってるのだろう。 屋台のスイーツ一つ残らず一人で堪能してさっさと帰ってしまおうか。 ――すんません斉木さん、すみません! 色々あって遅れてまして……今大急ぎで向かってるので、もうちょっとだけ待ってて下さい! あんなの待たず、好きなもの好きなだけ食べてさっさと帰ればいいのに。 連絡があったのは十分ほど前のこと。アイツの足でどんなに急いでも、あと、大体、十分くらいか。 ……十分も待つのか。 遅れた詫びに好きなもの好きなだけ奢らせるとしても、その為にこの喧騒をあと十分耐えねばならないと思うと本当に頭が痛くなってくる。 何か音楽でも聴いて気を紛らすか。ちょうど音楽プレイヤーも持ってる事だしな。 そんなわけで結局待つ方を選択したのだが、再生の寸前で迷っていた。 だって、そうしたらあいつの声がきちんと拾えないじゃないか。音楽を聴いてしまったら、どんな気持ちを弾ませながらここに向かっているかわからなくなるだろ。だから、聴かない。 周りで好き勝手思いを謳う連中の声ははじめ雑音、騒音であった。 けれど鳥束と出会ってからの事を順に思い返していると、段々聞こえなくなっていった。 人間、一つの事に集中すると周りが目に入らなくなる、聞こえなくなるものだ。 といってもまったくの無音状態になるというわけではなく、音がしているのはわかるがそれが何か認識出来なくなるのだ。 たとえばここで僕あてに電話が鳴ったとしても、それを「電話が鳴ってる」と気付かない。何か音がしてるなあ、くらいで流してしまう。 それまでいちいち拾い上げていた意味のある言葉の数々を、無意味な音の羅列にしてしまうのだ。 そんな感じで、僕はまったく興味のない音楽を聴くようにしながら、鳥束との思い出に耽った。 「……はぁ」 振り返ってみて思うが、本当にろくなものがないなとかえって笑いが込み上げた。 あいつ、楽して大金持ちになりたい、寝ているだけで大金が手に入ったらいいな、何もしなくても美女にちやほやされたい、って根性の持ち主だから、何をするにも腐り切ってるんだよな。 完全に自業自得なのに何かというと僕に泣き付いてきて尻拭いを押し付けてくる。 まったく、あいつといて良かった事なんて何もないな。何一つ浮かんでこない。 それどころか災難な目に遭わされてばかり、こうやって思う間も本気の殺意がふつふつ込み上げてくるとか本当に笑えるな。 だというのにもう心ががんじがらめで離れられない、どこにいてもこうして奴の事ばかり考えてしまうとか末期もいいとこ。 こんなのが自分だなんて笑えて仕方ない。 こんな自分を昔の自分に見られてみろ、真顔で大笑い間違いなしだ。 でもしょうがない、あいつといる時が本当に、一番心が楽なんだ。 苛々するし殺意は湧くし大忙しなのに、それだけ振り回されても傍にいたくなる。傍にいてほしいと思う。だって、何も心配する事がないのだから。 筋金入りの変態で、とことん女好きで、たとえばデートなるもので一緒に街を歩いていたって、好みの女性がいれば目を奪われ心躍らせる。そういった部分に呆れる事はあっても、多分世間一般の恋人たちが抱く「呆れ」とは異なるだろう。自分がいるのによそ見するなんて、という憤りからの呆れじゃなくもっと単純なものだ。 へらへらしていてフラフラしがちで、おおよそ恋人には不向きな人間に見えるが、これでコイツは一途なのだ。 とてもそうは思えないだろうが、自分にはこれが性に合っていた。 何だかんだ言って離れがたいのだから、誰より相性が良いのだろう。 そう、コイツといると息をするのが本当に楽なんだ。 つまり。 言いたいのは。 鳥束に会えてよかったな。 ようやくそこに行き着いた、ようやくそれを認めた時、それまでただの意味のない音の羅列だった周りの心の声が、何故だか綺麗な音楽になって聞こえてきた。 魔法…夢見心地…いい気分だな。 その一方でチラチラと、こんなの自分じゃないから早く正気にかえれと声がするが、たまにはこんな気分に浸りたい時もあると早々に打ち消す。 確かにこんなの自分らしくないけども、僕だってたまには馬鹿みたいに熱心に鳥束の事だけ考えたい時もあるんだ。 だからまだ魔法にかけられていたい。ふわふわどこまでも浮かんでいく錯覚に浸る中、冷静な部分もあって、きっと後から思い返したら恥ずかしくて消えたくなるだろうなって自分のことだから手に取るようにわかるのだが、それでも、いまだ、身も心も軽く宙に浮いて漂っていた。 恥ずかしくたってなんだって鳥束が好きだってことには向き合う、ちゃんと向き合ってるだろ。だから今こんなにいい気分なんじゃないか。 ただ、あとでそれが全部恥ずかしくなって消したくなるって…いや、いい。いいから。余計な事はもういい、頭から追い払え。 でないと魔法が消えてしまう。 そんなの、悲しい。 せっかく見つけたのだ、もうしばらくはこの気分に酔っていよう どのみち本人が現れたらその落差で魔法も解けるだろうし、たまには夢見がちになるのも悪くないよな。 そのはずだったのに、解けるどころか新たな魔法にかけられてしまった。自分の隣でクズがヘラヘラしてるだけ…と一生懸命念じてるのに僕の胸は妙な動悸に見舞われっぱなしで、そのせいで最悪で最高の夜になったのは言うまでもないので、聞かなかったことにしてくれ。 せっかくの屋台のスイーツ、チョコバナナもりんご飴もベビーカステラも、何一つ味は覚えてないが素晴らしく美味しくてとても楽しかったことだけはしっかり覚えている。 一人で食べていたらきっと何も残らなかったことだろう。 鳥束と一緒だから残った最悪で最高のものは、ずっと心から消えないだろう。 そういったものがこれからも増えていくのは容易に想像がついて、僕はそれがどうにも悔しくてたまらなかった。 ぜんぶとりつかのせいだ。 無駄な抵抗だってのはよくわかっているけれど、もうしばらくはこの無駄なあがきを続けたい。 |