流血表現、欠損表現がありますご注意ください。
挿入はありませんが性描写も少々。
鳥束君の悪友でオリキャラ出ます。

 

一緒にいきましょう

 

 

 

 

 

 その日、オレは斉木さんと少し遠出をした。
 ちょっと洒落た弁当作って遠出して、綺麗な景色を眺めながら一緒に食べる。そんな、ピクニックを楽しむために、電車とバスを乗り継いで山のてっぺんにある某観光地へと出向いた。
 道中、たくさん写真を撮った。カメラは斉木さんのお父さんが貸してくれたものだ。それでお互いを撮りっこしたし、風景もいっぱい収めた。最高のピクニックデートとなった。
 観光地へ行くって事で始め斉木さんは渋った。人の多い場所はいやだと、つーんとそっぽ向いて断った。オレは食い下がりたかったけど、いつもいつもコーヒーゼリーで釣るのも悪いよなあと躊躇していると、やれやれ仕方ないって折れてくれた。
 無理しなくていいですって中止の方向に行きかけたけど、決めたからには徹底的に楽しむぞと、すごく乗り気になってくれた。
 そのお陰もあって、手作り弁当こだわったり、撮影ポイントに凝ったりと、目一杯満喫する事が出来た。
 途中、ちょっと、斉木さんにしちゃ珍しいなとも思った。こんなにノリノリになってくれるなんて、嬉しいけれどびっくりしちゃう。でもま、楽しいからいいや。オレに嫌々付き合ってくれてるってわけでもないようだし、だったら目一杯デート楽しまないともったいない。
 たくさんの思い出を抱えての帰り道、悲劇は起こった。

 駅に向かうバスが、山道を外れ崖下に転落したのだ。
 え、と思った時には車体は大きく傾いで、全身に激しい衝撃が走った。バスの中で滅茶苦茶に振り回され、あちこちぶつけて頭も背中も腹も痛かった。無我夢中で、隣に座っていた斉木さんへ手を伸ばす。でもオレの手は何もつかめなかった。
 斉木さん、と叫んでも返事はない。
 乗客たちの悲鳴、叫び、青空と緑とがでたらめに入り交じった光景。
 転がったのか滑り降りたのかはたまた真っ逆さまに落ちたのかわからないが、バスはついに崖下に到達した。その、最も大きい衝撃でオレは意識を失った。
 死んだ、と思った。


 目を覚ますと病院のベッドの上だった。
 幸い死ぬ事はなかった。
 その代わりというか、背中の半分近くに火傷を負いしばらく入院が必要だそうだ。
 意識を取り戻したオレに、看護師がそう説明する。続けて、同じバスに乗り合わせた他の乗客たちも、それぞれに負傷し入院したり通院したり様々だという事を聞かされた。
 オレはその誰よりも、斉木さんの身を案じた。
 朦朧とする頭を何とか回転させ安否を問うが、運び込まれた人らの中に斉木姓はいなかったという。
「あの事故で亡くなった方はいないそうですから、きっとご無事ですよ」
 オレもそう飲み込もうとしたが、どうにも引っかかって入っていかなかった。

 そろそろ面会時間が終わるという頃、連絡を受けた親父とお袋が血相変えて病室に駆け込んできた。
 背中の半分火傷で包帯グルグル、全身くまなく打撲でガーゼベタベタというオレの惨状に絶句したが、ちゃんと五体満足だと伝えるとお袋がわっと泣き出した。親父も少し涙ぐんでいた。
 すみません、親不孝者で。


 その夜、火傷の痛みで眠れずうつらうつらしていると、ある時ふと枕元に斉木さんが立っているのに気付いた。
 始めは斉木さんだってわからなかった。消灯時間を過ぎて部屋は暗かったし、ドアの曇りガラスを通して廊下の灯りがぼんやり届く中、誰かがが立っている!
「――!」
 ぎょっとなって目をむく。人影が斉木さんだとわかって、一気に血の気が引いた。だってしょうがない、そんなとこに立つなんて幽霊だと思うじゃないか。実際、その辺りを浮遊する幽霊を何度か見ていたし。事故のショックと火傷の痛みとで言葉は交わしてないが、中には目が合った幽霊もいた。
 だから昼間に聞いたこと――あの事故で死んだ人はいない――は、頭からすっかり抜けていた。
 声も出せず、今にも泣きそうに斉木さんを見つめると、勝手に殺すなと笑ってオレの額に触れてきた。
「あ……生きてる」
『当たり前だろ』
 ちょっとむくれたテレパシー。
 ほっとして、結局泣いた。
 だって、だって。
 斉木さんいないのが不安だったんだ。意識朦朧でうまく聞けなくて不安はどんどん膨らんでくし、今ようやく安心したのだ。
 オレは顔中くしゃくしゃにして泣いた。マイナス近辺でふらついていた感情が、急速に歓喜に振り切れたせいだ。
「さいきさぁん……」
『なんだ、泣き虫』
「すん…すん……さいきさんだって泣いてるっす」
 むきになって言い返す。言ってから、それだけ心配させたんだなと猛反省。
 でも、でもねオレも。
「こわかったっす……」
『そうだな。災難だったな』
 そう言って優しく頭を撫でてくれた。冷たい塊となってオレの胸につかえていた不安が、斉木さんの優しい手のお陰で跡形もなく溶けていく。
「斉木さんは無事だったんすね」
 見たところ何の怪我もしてないようだ。よかった、よかった。ますます涙が出てきた。
 そんなに泣くほどのことかと、少し困った顔で斉木さんは涙を拭ってくれた。
 うう、すんません。
「ありがと……」
 斉木さんは小さく微笑み、頭を撫でながら言ってくれた。
『お前も僕もちゃんと生きてる。もう心配いらない』
「……はい」
 泣き顔で一生懸命笑い返すと、屈んで髪にキスをしてくれた。
 優しいなあ。怪我したから?
 ならオレ、ずっと入院してよっかな。
 そんな考えがちらっと頭を過る。もちろんすぐに、馬鹿言うなと額をこつんと小突かれた。
 冗談です、ごめんなさい。
『痛むせいでうまくいかないだろうが、少しでも眠って身体休めろ』
「ん……」
 あのねあのね今気が付いたんですけど、斉木さんに撫ででもらったからかね、怠くて熱くて痛いのがすっかり薄れたんですよ。
 ぐっすり眠れそうです。
 口を開くのが億劫で、代わりに一心に念じる。
 斉木さんはまた笑って、オレが眠るまで見守ってくれた。


 翌朝、あれは夢だったかと一日ぼーっと考えた。
 夜になり、消灯時間を迎えた後、また斉木さんが現れた。
 昨日みたいに気付くと枕元に立っていた。
 夢じゃなかったよ。ほっとして、顔がにんまり緩む。
 わずかだが、昨日よりは動くようになった身体をよじって斉木さんの方に向く。
「斉木さんいらっしゃい」
『ちゃんと食べたか?』
「ええ、はい。薄味ですけど、病院食うまいっス」
『そりゃ良かった。食べて、寝て、先生の言う事聞いてりゃ、すぐ治るぞ』
「そっスね」
 あ…まいったな。
 斉木さんの何気ない言葉一つひとつに、いちいち感激して涙ぐんでしまう。
 事故に遭ったのも入院するのも初めてだからか、なんだかすごく気弱になってるようだ。
 夜だし、消灯時間越えてて暗いから見えないよね。ってなこと考えちゃ、バレバレか。
 でも斉木さんは泣いているのは見ない振りしてくれた。何も言わず、昨夜みたいに優しく頭を撫でられる。
 ああ…痛みが和らぐ。
 どんな薬より効果があって、心にも染みて、最高の治療薬だ。でも別に斉木さんは超能力を使ってるって訳でもないようだ。
 オレにとってそれだけ心強いのだ、斉木さんという存在は。
 ならばそれに応えて早く治さないとな。
 ぐすぐすめそめそしながら誓っていると、意外な言葉をかけられた。
『そんな顔するな、いい男が台無しだ』
「あっは……めずらし。でもほんとひどいでしょ、顔とか」
 バスの中で思いきり振り回されて、身体中まんべんなく打ったしな。あれで骨折しなかったのは不幸中の幸いだ。
 オレは恐る恐る顔のガーゼに触れてみた。指先でちょっとずつ押しながらあちこち確かめる。
「でも、斉木さんは無事で良かったっス。オレが誘った外出で怪我なんてさせてたら、オレ……合わせる顔無かったっスもん」
『そんな事言うな』
 思いがけず低い声にはっと息を飲む。でも、本当にそう思うのだ。
『いいから、余計な事はいいから、元気になる事だけ考えろ』
 暗い中目を凝らして見た斉木さんの顔は、思った以上に強いものだった。
「……はい」
 ありがとう、斉木さん。


 それからも斉木さんは夜ごと見舞いに来てくれた。
 入院したばかりは一日ベッドに寝たきりだったけど、次の日には少し寝返り打てるようになって、翌日には反対側にも向けるようになって、その次の日には起き上がれるようになって、と、日を追うごとにオレの身体は快方に向かっていった。
 初めは目で斉木さんを追うのが精一杯だったのが、今では起き上がって目線を合わせられるまでになった。
 そして今日は、病室に備え付けのトイレに自力で歩いて行けるようになった。
 つまりオレの身体から、管が一本抜けたのだ。

「やー、せいせいしましたよ。斉木さん知ってます? あれ、痛くはないんですけどね、なんと言いますかこう…おしっこ出し切れてない感じがして、もやもや気持ち悪いんスよ」
 やっぱり自力で出すのが一番スね。自然ですもんね。
「それに、換えてもらう時の気まずい事ったら!」
 オレも年頃の男子ですからね、相応に恥じらいますよ、うん。
 という事を説明すると、斉木さんの目付きが『へえ……』と冷たいものへと変化した。
「あの…スミマセン、オレ全然やましい事なんて考えてないですから……」
 そう言う間もどんどん凍てついていく。
 あーあ語るに落ちるとはまさにこの事。
「あうぅ……本当ですって。斉木さんの顔しか、浮かんでこないっスから」
 力を込めて告げると、いよいよ呆れたって感じで目玉がぐるりと動いた。

 でも本当に、本当だ。
 実は今日の昼間、トイレで、久々に解放されたオレの息子を眺めてシミジミ感動していたら、その、ちょっと……むくむくと湧いてきちゃいまして。性欲が。
 だって随分ご無沙汰なんですもの。
「そん時頭に浮かんだのは斉木さんだけでした。早く斉木さん抱きたいっス」
 オレはこの通りこんなに斉木さん一筋!
 だから機嫌を直してくれと、服の端をそっと摘まんで上目遣いに様子を伺った。
『やれやれ。ま、嘘じゃないのはわかってるよ』
 よかったとぱっと笑顔になると、図に乗るなよとひと睨みされた。
 はい、という良い返事と共に手を引っ込める。
 すると斉木さんはその手を掴んだ。何だと思う間に、今度はベッドに乗り上げてきた。
「え…?え……?」

 急速に近付いた顔にどぎまぎしていると、ゆっくりベッドに寝かされた。
「さいきさん……?」
 何をする気だと、半ば答えのわかっている疑問を口にする。
 すぐ傍にある顔が、にやっと笑った。
 あ、やっぱり…瞬く間に病院着がはだけられ、下着から引きずり出されたそれをぱくりと咥えられる。
「うっひ……さいきさっ……あぁ」
 久々の感触に頭の芯がびりびりっと痺れた。
 咥えられただけでいきそうだよー。
 ぬるぬるの舌で先っぽくすぐって、窄めた唇で扱いて、袋をちゅっちゅと吸いまくって、斉木さんは様々に快感を与えてきた。
 どれもいい、全部気持ちいいよ。
 つい、突く動きで腰が震えた。
「でも本当は斉木さんの中に入りたい……」
『まだ、激しい運動は禁物だろ』
「そうすけど……」
『今はこれで我慢しろ。その代わり最高に良くしてやるから』
「ひーん……」
 泣き真似だ。
 あーたまんない
 昼間少し落ち着かせたというのに、何日も溜め込んでいたみたいにガッチガチでさすがにちょっと恥ずかしくなる。
 仕方ない、だって斉木さんにしゃぶってもらってるとか、あー…よすぎて全身とろけそう。
 耳に届く音がまたいやらしくて、たまらないのだ。たっぷりの唾液を纏わせてオレのを扱いているのだろう、ぐちゅぐちゅと響く音が余計劣情を刺激する。
「ね、斉木さん…明かりつけていい?」
 ベッドに備え付けのスイッチに手を伸ばしながら訪ねる。
 予想通り『駄目だ』と返ってきたが、オレの手はもうスイッチを押していた。
『……お前』
「だって、顔見たい……」
 白色ライトがぱっと点灯し、オレらの痴情を照らし出す。本来は枕元を照らすもので、病室での使用なのでそれほど明るさはない。だがそれが返って雰囲気を出す。
 ぼんやりながらも輪郭はわかるし、オレのをしゃぶった斉木さんのいやらしく緩んだ顔が独特の陰影で浮かび上がって、思った以上に欲情を煽った。
「あは…斉木さんいいかお……」
 口の中に収めたオレの先っぽの分だけ頬っぺたが膨らんで、その癖口は一生懸命窄ませてて、目付きはちょっととろんとしてて、最高にエロい。
「うわー……見ちゃった」
 これだけで出そう。それくらい威力が凄まじい。
『お前だって似たような顔してる』
 むきになって斉木さんが言い返す。開き直ったのか、わざとじゅぽじゅぽ音立てて吸われた。一生懸命頭動かして唇で竿扱いて、かと思うと斜めにオレの咥え込んで、頬っぺたに突き刺さったオレの亀頭を頬の上から手のひらでぐりぐり刺激したり、様々な快美感を与えてきた。
「あ、あっ…だって、さいきさん……きもちいい」
 何かもっとこう色々、そう言葉責め、恥ずかしい言葉いっぱい言ってやりたかったのに、情けないことに斉木さんの快楽責めのが一枚上手で、オレの思考は吹き飛んでしまって何も出てこない。
 斉木さんの動きに目が釘付け。もうひたすら気持ち良くって、素直にそう告げるのが精一杯だった。
「あ、そこ…そこいいっす……」
『そうだ、無駄な抵抗しないで善がってろ』
「あひん……でもこれじゃ、オレだけだ……さいきさんは?」
 快感でぼーっとする頭で尋ねる。
『してる』
「え……?」
 見ると、オレのをしゃぶりながら自分で自分のいじってた。
 やだもーえっち!
 でも良かった。
「これで…いっしょにいけるっすね……」
 斉木さんの頭が頷くように揺れた。

 その晩は、立て続けに三回いった。や、斉木さんが口離してくれないから、溜まっちゃってたオレは我慢出来ず続けざまにいっちゃったんだよ。しかも驚いたことに斉木さんは三回ともきっちり飲んでくれた。
 そこまでしてくれたくせに、全然強制なんてしてないむしろ自分から煽っといて、お前何回出したら気が済むんだよなんて憎まれ口利いてさ。もー、オレの恋人可愛すぎてまいっちゃう!
 まあ、三連続はオレでもさすがに疲労感大きくて、すぐに吸い込まれるように眠っちゃったけど。
 その直前、斉木さんが頭撫でながら「愛してる」って言ってくれたのは、ちゃんと聞こえてたよ。
 オレもって告げられなかったのが悔しかったから、斉木さんが来る翌晩までにみっちり練習して、全身全霊の「オレも愛してる」を返した。
 知ってるーとか、わざと白けた目線寄越されるとか、いつもの斉木さんならこんなとこだろうと予想しながらも全力でぶつけたんだけど、意外な事に本気の嬉し泣きの真似されて、もうほんと、斉木さんのツンデレは筋金入りだね。


 それから毎夜、斉木さんに口で抜いてもらった。
 大部屋が空いてないからと個室になったけど、最高だねこれ。
 毎晩斉木さんと、人目を気にせずいちゃいちゃ出来るとか素晴らしい。


「ねえ、たまにはオレの膝の上に来ません?」
 オレのをぱっくりいこうとする斉木さんにそう持ち掛ける。
「そんで互いのくっつけて、一緒に擦りっこするの」
 たまにはそんな風にして、一緒にいきたい。
「あ、もちろん入れませんよ、オレもまだ、本調子じゃないっスから。気持ち良くさせてあげられないっス……」
『……いいが、お前のは触りたくない』
 というかお前に触りたくない。
 普通だったら、恋人からそんな言葉を投げ付けられたらショックのあまり身投げするところだけど、自分の両手を気にして躊躇する斉木さんの様子から、オレは充分的確に察する事が出来た。
 つまりサイコメトリーを発動させたくないのだ。うーむ、気持ち良さ倍増だと思うが、本人が嫌だって言うこと無理強いしちゃよくないよね。
 オレに触りたくないっていうけど、普段は結構触ってくれてるし。不安で仕方ない時に頭撫でてくれたあれは、何より効いた。心に染みた。
 だからオレは全然傷付く事なく、斉木さんのしたいままに任せる気持ちになれた。

 下だけすっぽんぽんになって、おずおずとオレの膝に乗ってくる斉木さん。ううー…かわいいっ!
 しかもしかも、手のやり場に困ったからか、握ったままだけどオレにギュって抱き着いてきちゃって、ますます可愛くて鼻血噴きそう。
「一緒に気持ち良くなりましょうね」
 斉木さんのお尻や太ももを撫でながらそう囁く。
「んっ……」
 腕の中で斉木さんの身体が小刻みに震えた。やだもう、囁きだけで感じちゃいました?
 オレは互いのをひとまとめに握って、ゆっくり扱きはじめた。オレのはもちろん、斉木さんもすでにガチガチに準備万端で、ちょっと擦るだけですぐに先走りが滲んできた。
 ああ好き、好きだ斉木さん。
 早く中に入りたい。
 中を滅茶苦茶にかき回して、思う存分善がらせたい。
 早く元気になりたい。
 早く、二人の家に帰りたい。
 古めかしい2DKだけど、あの絶妙な狭さが丁度いいんだ、いつでもすぐ傍に互いを感じられるから。布団を二つ並べて敷いて、寒い夜は身を寄せ合って、暑い日は毛布蹴飛ばして、すぐ近くにお互いを感じながら生活出来るあの家に。
 オレらの家に帰りたいよ――斉木さん。
 涙の代わりに精液まき散らして、オレは大きく喘いだ。
 達したばかりのとろけた顔、潤んだ瞳をしばし付き合わせた後、オレたちは言葉もなく抱き合った。


 今夜はちょっと、言い出しづらい話があった。
 だから、いつものように斉木さんが瞬間移動で来てくれても、変な顔になってうまく笑えなかった。
『どうした』
「……や、……もう、わかってますよね」
 オレの心の声聞いて、事情は理解出来ましたよね。
 そう目配せすると、斉木さんは軽く頷いた。
 今日の昼間、親父とお袋が見舞いに来た。その時親父から、退院したら一度家に帰ってこないかと持ち掛けられたのだ。
 現在オレは事故を理由に休学中で、復学まではまだあるから、そのあいだに一週間でも帰ってきたらどうかと話をされた。
 絶対帰ってこいという強制ではなかったし、自分の考えも帰らないに傾いているが、二人を心配させたことが心に引っかかっているのは事実で、一度帰って安心させてやりたいって気持ちもあり…ぐらぐら揺れ動いていた。
 それをどう切り出そうか。自分でも定まっていない気持ちが難しくて、口を重くさせていた。
 斉木さんは静かに待っていてくれた。テレパシーでもう伝わっているだろうが、オレがちゃんと口で説明するのを待っている。
 自分の気持ちを固め、オレは切り出した。
 最後まで聞き終えた斉木さん、こう返してきた。
『そうだな、鳥束、僕は賛成だ』
 斉木さんならそう言って快く送り出してくれるだろうと、予想はついていた。でもそうなればなったで、物寂しい複雑な心持ちになる。
 そんな顔をするなと、頭を撫でられる。数回撫でた手は顔に下りてきて、ようやくガーゼの取れた頬をそっとおおった。
『彼らも心配なんだよ』
「それは、わかります…けど……」
『家族は大事なものだ。一度家に帰って、安心させてこい』
 何よりの親孝行だと続けられ、不覚にも泣きそうになる。
「……じゃあ斉木さん!」
 オレは両手で斉木さんの手をぎゅっと握り、一心に念じた。
 一週間だけ留守にします
 戻ったらまた、一緒に大学行きましょうね
 お出かけもいっぱいしましょ、デート!
 ね!
 今生の別れではないが、何だかそんな気持ちになってしまったオレは、馬鹿みたいに涙ぐんで告げた。
 当然ながら斉木さんに、大げさだなと笑われた。笑うなってムカついたけど、笑ってくれて、良かったとも思う。


 今夜は、斉木さんが来るのが待ち遠しかった。三日くらい前に担当医に告げられた時も伝えたが、いよいよ明日に迫って、ますます気分は高揚する。
「いよいよ明日、退院っス」
『良かったな』
 弾んだ声にオレも嬉しくなる。
 でも実のところはちょっと複雑なんだよな。これからしばらく、斉木さんと離れ離れになってしまうから。これまで毎晩顔を合わせていたのに、一週間も会えないなんて。
 まあ、なんにせよ退院できるのは、喜ばしい事だ。
「斉木さんが励ましてくれたお陰っス」
『お前が頑張ったからだよ』
 よしよしと頭を撫でられる。オレは子供みたいに素直にえへへと頭を傾けた。
「明日の朝、迎えに来てくれます?」
『親御さんが迎えに来てくれるんだろ』
「斉木さんにも会いたい……」
『子供じゃないんだから、わがまま言うな』
 むー
 わかってますよう
 オレは思いっきり頬っぺたを膨らませてやった。
 すると斉木さんの手が伸び、むにゅっと顔を掴まれた。
「むぁっ……」
 何事かとされるがままに任せる。
 斉木さんは顔を掴んだまま、オレの目をじっと見つめた。
『いいか鳥束、ちゃんとお父さんお母さんの言う事聞くんだぞ』
「ちょ斉木さん、そんな子供じゃないんだから、……っ!」
 くっそ、さっきの延長か。してやられた。
 腹が立つやら可笑しいやら。
 当の斉木さんも、真剣な顔の端々に笑いが滲んじゃってて、余計笑えた。
「しばらく別々になっちゃいますけど、斉木さんも……ちゃんと、オレがいなくてもちゃんと規則正しく生活するんスよ」
『わかってる』
「はい約束――っ!」
 指切りだと小指を出すと、その手を優しく握り込まれ、唇が重ねられた。
 じわっと広がるあたたかさにオレは目を閉じた。
 そういえば、キスはしばらくしてなかった。それすっとばして、いつもオレのちんこに……ははは。
 久しぶりの感触に、心までとろける気分だった。互いの腕は自然と相手の背中へとまわり、抱きしめ合ったままキスを続けた。
 ずっとこのままでいたい…目の奥がずきりと痛んだ。


 はれて退院を迎えた。
 あたたかい、さっぱりとした晴天が広がる気持ちの良い日だった。
 結局斉木さんは来なかったけど、まあわかってたしと寂しさを振り切り、親父の運転する車でオレは病院を後にした。

 そしてその瞬間から、オレは斉木さんに関する記憶を一切失った。

 


 

 退院から間もなく一ヶ月が過ぎようとしていた。
 実家で一週間のんびり静養したオレは、それから大学に復帰した。始めの数日こそ久しぶりのせいか妙な違和感に苛まれる事もあったが、今ではすっかり落ち着いて、元通りの生活を送っていた。
 朝は目覚ましと競うように起床して、今日も勝ちだと時計相手に勝ち誇る。
 大学近くに借りた典型的な1Kのアパートは、今ではもう目を瞑ってもぶつからず歩き回れるくらい馴染んでいた。まあ、入学当時から住んでるのだから当然か。
 起きたら顔を洗って歯磨きして、一人分の朝食をさっと作ってついでに弁当も一緒に用意する。さらについでに、夕飯の献立も組んでしまう。
 曜日によってアパートを出る時間が違うが、朝は大体同じくらいの時間に起きて、同じくらいの時間に朝食をとる事にしていた。今日は一時間遅いからじゃあ一時間遅い行動で、というのが、どうも馴染めないのだ。
 といっていつでも厳密にきっちり、なんてことはないが、幼少期からの習慣が身についていて、だから遅きゃ遅いなりの時間割で動きたがる人に合わせるのは、難しくも新鮮で面白かった。
「……誰だ、……え?」
 言ってから、オレは今なにを口にしたのだろうと首をひねる。
 隣で、憎たらしい呆け顔の守護霊が、オレの真似して同じように首をひねっていた。

「おー、今日も愛妻弁当か」
 教室で弁当を口に運んでいると、よくつるむ面々が続々と集まってきた。手にしているのは学食の弁当だったりコンビニ弁当だったりみな様々だ。
 そして今声をかけてきた男、オレが一人暮らしなの知ってるしお前ら同様彼女いない身なのもよく知ってるのに白々しい嫌味を言ってきたのは、名前を山岸という。ここだけ切り取ると嫌な奴みたいに思えるがそんなことはない。
 オレはちらっと見やって言い返した。
「そういうお前は三日連続焼肉丼か。舌がおかしいんだな」
「ひでーなもう。今これマイブームなの」
 つまり、こうやって気軽に言い合える間柄ってことだ。
「よく飽きねーな山岸」
「焼肉丼に春巻きとメンチカツと、毎日そっくり同じとか、絶対飽きっだろ」
「飽きません〜」
「あーでも、昨日のクリームこってりスイーツはさすがに堪えたみたいだな。今日は素朴なプリンになってら」
「あれも飽きたわけじゃありませんから〜」
「お前にゃちょっと重すぎだっただけだよな」
「甘いもんは好きだけど、いつもちょびっと残すしな」
「残してねーし。ちゃんといつも食べ切ってますー」
「聞いて聞いて鳥束、こないだもコイツ、俺んち遊び来た時マロンパフェとかいうの買ってきたんだけど、一回で食べ切れなくて一旦冷蔵庫にしまってやんの」
「いや、あれ、ちゃんとあの後全部食ったじゃん」
「でもお前、橋野が言わなきゃ絶対忘れてたろ」
「ちょ…とりつかあ〜」
 助けてくれと、情けない顔で泣き付いてくる山岸に軽く笑いかける。そこでふっと、妙な心持ちに包まれた。
 誰かだったら絶対そんな風に残したりしない。
 一個すら食べ切れずギブアップどころか、一度に二個も三個も平らげる。目の前にずらっと並んだスイーツに顔中とろけさせ、嬉々として一つ残らず口に運んだ事だろう。
「……誰が?」
「んー? なにー?」
「え、あ、いや」
 目を瞬かせ、曖昧に笑う。

 そんな昼間の事などすっかり忘れて、帰り着いたアパートの前で鍵を取り出し部屋に入る。
 ただいまと呟くのは昔からの習慣だ。でも
 靴を脱ぎ散らかす事なく上がって、すぐ左手にあるキッチンで手を洗い、その流れで夕飯に取り掛かる。
 キッチンには小窓がついており、今の時期日没が遅いのでまだ夕暮れが残っていた。でも
 後片付けをしたらすぐに風呂場に向かい、シャワーを浴びてさっぱりする。

 洗面所の鏡に上半身を映す。
 正面から見る限りでは火傷の跡はわからない。毎週病院に通っていて、医者が言うには今は赤味が強いが、段々と薄れていくので心配はいらないですよ、だと。
 たまにほんの少しだけ突っ張りを感じる事もあるが、本当にごくたまになので、生活する上では特に不便を感じた事はない。背中に瞬間的な傷みが走った時も、火傷のせいだと思う事もなくて、全然気にならなくなっていた。
 人間の回復力ってすごいよな。
 転落事故の詳細やどんなふうにして自分がこの火傷を負ったのかについては、退院後に自分で調べて知った。
 ガソリンに引火して一気に炎上したせいだ。オレ、一歩間違えばあのままバスの中で真っ黒こげになってたかもな。
 もしくは、転落の衝撃で首の骨でも折って即死…とか。
 だって、まるでアルミホイルくしゃくしゃにしたみたいに、バスが滅茶苦茶になってたもの。掲載された写真を見た時、あまりの惨状に呆然となった。これに、オレ、乗ってたのか。
 あれでよく誰も死ななかったものだ。オレが一番重傷で、他の人たちは軽い打ち身や擦り傷で済んだそうだ。
 着古した部屋着に袖を通し、部屋に戻る。

 レポートに集中していて、気付けば随分な時間になっていた。
 一区切りついたし、今日はもう寝るとするか。ざっと片付け床に就く。
 明かりを消し、壁に寄せたベッドに潜り込む。

 違和感は落ち着いたと言ったが、実はまだ底の方でじくじくと燻っていた。こうして夜の暗い部屋に身を置くと、じわっと見えてくるのだ。
 でも、何がとはっきりしないのだ。
 大学に入学した時から、この一人暮らし向けの典型的な1Kで生活してるし、ベランダで一人分の洗濯物がはためくのも当たり前、冷蔵庫の中身は大半が作り置きの総菜くらいで、別のもので占領された事など一度もない。
「……はず」
 声に出すとますます違和感は深まった。そもそも、別のものがなんなのかまるで思い浮かばないのに、深い黒色が頭をちらついて離れない。
 中々寝付けなくて、その内にオレはひどい喉の渇きを覚えた。
 冷蔵庫のジュースを思い出しキッチンへと向かう。
 静かに扉を開けたところで、コーヒーゼリーがぎゅう詰めになっている幻を見る。
「!…」
 もちろんそんな事はなかった。タッパーに詰め込んだ作り置きの総菜が整然と並んでいる。
 オレがそうやって、きちんと寸法はかって隙間なく綺麗に整頓しているっていうのに、あの人ってばそんなのお構いなしで『安売りしてたから』とコーヒーゼリーまとめ買いしちゃ、入れるところがないと怒ってよくオレと言い合いになったっけ。
「なに……」
 オレは冷蔵庫を閉めた。身体が震える。冷気に晒されたからじゃなく、身体が震える。火傷の後遺症というわけでもなかった。ただただ、震えが走る。
 そうだ、喉が渇いたんだ。流しのコップを取ったがもう一度冷蔵庫を開ける気にはなれなくて、汲んだ水道水を一気にあおった。
 冷たい水が喉を潤して、少しだけ気分が鎮まる。
 そうか、寝惚けてるんだな、オレ。
 流し台に両手をついて、ふうっと息を吐く。
 そうだ寝惚けてんだ、あんなに根詰めてレポート作成したから、疲れて頭ぐらついてるんだ。
 自分に言い聞かせて納得しようとしたその時、目の端に電子レンジが映った。明日は休みだから、これで適当にパンでも焼くか。と、明朝の段取りを思い浮かべたところで、ふと、そういやゼリーメーカーはどこ置いたっけと気になった。
 いや、待て。ここにはそもそもそんなものないだろ。
「なんだ……?」
 オレはキッチンの灯りをつけ、流し台の下を探し始めた。入っているのは最低限の鍋釜の類で、使う度顔が映るくらい綺麗に洗い上げていたピカピカのボウルなんてない。引き出しに入っているのも菜箸とかコンビニで貰った量産の割りばしくらいで、せっかく使うなら良いものをとちょっと奮発したお高い泡立て器も、かたさが丁度良いゴムベラも、料理用と分けた計量スプーンも見当たらなかった。
 それで当たり前なのに、ショックのあまり愕然とする。
 そんなオレに守護霊がのんびりと声をかけてきた。
「をー? んだ零太、オメーも相棒探してんのか、を?」
 オレは目を一杯に見開いた。


 一体オレに何が起こったって言うんだ。
 得体のしれない違和感が、肌の表面をずっと這いずっている。表面だけじゃない、心の深いところまで入り込んでしまっている。
 まんじりともせず朝を迎えたオレは、ある場所に向かう為アパートを飛び出した。

 ようやくその場所にたどり着いた。ここに来るまで、何度も確認しなければならなかったのが心底悔しかった。路線を知ってるはずなのに出てこなくて、必死に調べた時、駅名を見ても全然ピンと来なくて恐る恐る降りた時、北か南か思い出せなかった時、北口に出ても見覚えがあると思えなかった時…何度も何度も、悔しい思いを味わった。
 それでもどうかたどり着く事が出来た。住宅街の中にある少し大きめの二階建て。日当たりのよいリビング、広いバルコニー、思い出せそうであと一歩出てこないけれど、この家で間違いない筈だ。
「をーここだよな、相棒んち!」
 んであそこが相棒の部屋な、を!
 二階の一角を指差して、にこにこ顔で守護霊が伝えてくる。
 そのはずなのに。
 表札の名前も読めるのに、オレの頭はまだぼんやりと曇っていた。
 それが本当に悔しかった。

 チャイムを押して数秒、出てきたのはオレより一つか二つ上くらいの若い男性だった。
「やあ鳥束君いらっしゃい。僕が予測した通りの来訪だね」
 そう言ってその人物は「ははっ」と笑った。
 あの、と切り出すが、言葉はそこで途切れた。
 顔ははっきり認識出来る、わかるのに、名前が出てこないのだ。オレは確かに野郎の顔とか名前を覚えるのが苦手だ。でもこれは、そういうのじゃない。わざと不透明な覆いをかけられたみたいに、誰かにわからなくされてる…そんな不自然さがあるのだ。
 もどかしさに顔をしかめると、向かい合う人物はうんうんと軽く頷いた。
「ここまで来るくらい取り戻したなら上等だ。あいつのマインドコントロールはとにかく厄介だしね。じゃああらためて、自己紹介するとしよう」
 あいつ――マインドコントロール――聞くごとに、強制的にかぶせられた覆いが取り払われていくのを自覚する。
「僕は斉木空助、く――」
「!…斉木さんのお兄さん!」
 不意に目の前がぱあっと開けた。
 すると彼は心底嬉しそうに目を細めた。
「よかったね。まあ立ち話もなんだし、入りなよ」

「斉木さんは、上っスか?」
「いや、部屋にはいないよ。その前に鳥束君、お昼なに食べる? なにかデリバリー頼もうか」
「え、オレは……いいっス」
「えー、よくないよ、ダメだよちゃんと食事はとらなきゃ!」
 きつい口調に圧され目を丸くする。
「あーごめんごめん、しょっちゅう楠雄に言ってるから、癖になっちゃって。ははっ」
「!……なんで」
 なんで、どうして、様々な疑問がいっぺんに浮かぶ。その中で最も強いものがオレの口を突いて出た。
「斉木さんは…今どこに?」
「遠いところ」

 反射的にぞっとしてしまう。だって、その言葉の示すところは。遠いところって、遠いところってつまり――!
「いやー、ほんっとうに遠いんだよ、ママの田舎」
「……は?」
「あそういえば、鳥束君も一度来た事あるよ」
 えあったっけ?
「順を追って詳しく話をするから、その前にお昼にしよう。楠雄にすすめる手前自分も一緒に食べなきゃって事で頑張って規則正しくしてたら、習慣づいちゃって。きちんと三食取らないとお腹減るようになっちゃってさ。ん−、やっぱり日本人だし普通のご飯ものがいいよね。ちょっといいお弁当にしよう。鳥束君も同じものでいいかな」
「……はい、お任せします」
 にこにこと柔らかいが断りがたい空気がこの人にはある。オレは素直に流される事にした。

 ちょっといいって、本当にちょっとだと思うじゃないか。こんな高級な仕出し弁当が届くなんて思わないじゃないか。テーブルに並ぶ豪華な折り詰めにオレは軽い目眩を感じた。
「君の退院祝いも込めて、ちょっとだけ奮発したんだ」
「そっ、知って……スよね。あ、ええ、ありがとうございます」
「今の君じゃあまり食欲湧かないと思うけど、この後わりと大変なことが待ってるからね、少しでも食べて元気をつけないと」
 湯飲みに注がれたお茶が出される。
「……はい、頑張ります」

 案の定、箸はあまり進まなかったが、美味しいと思う余裕はいくらかあった。考えてみると朝も食べてなかったしな、腹は減ってるよな。お兄さん曰くこの後大変らしいし、オレもなんとなく想像つくし、少しでも食べねば。
 頑張って魚の身をほぐし、上品な味付けの煮物を口に運んで、腹に収めていく。
 静かな室内で、お兄さんと二人向かい合って弁当をつつく。オレとは対照的に、一つひとつ味わい充分噛みしめているようだった。
「やっぱりプロの作るものは美味しいね」
「えあ、はい、そっスね」
「最近は自分でもぼちぼち作ったりしてるんだけど、僕、壊滅的にセンスがないみたいでさ。焦がしてダメにするとまではいかないけど、何作っても「まあ不味くはないけど」って出来でさ。そんなだから余計楠雄も食が進まなかったりで、ほとほと困ってたんだ」
 斉木さんのことを聞くと、胸がずきずきと痛んだ。
 何やってんだよ、何やったんだよあの人は。
 どうして、オレに、こんな事をしたんだ。
「そうそう、今日パパとママがいないのは、僕が一週間の旅行をプレゼントしたからなんだ」
「う、へぁ……」
 考え込んでいたせいで、返事が寝惚けたものになってしまった。お兄さんは気にせず言葉を続けた。
「君が殴り込みかけてきた時に二人がいたら、ややこしい事になるからね」
 殴り込みて。
 どういう顔をしたらいいやら。
「じゃあ、お二人は知らない……んスか?」
「うん。転落事故があったのはニュースで見て知っているけど、その乗客に君と楠雄がいたことは知らない。楠雄の力で、うまく隠ぺいされた」
「っ……」
「でもねー、君なら絶対マインドコントロール解いちゃうと思ってたんだ。まあ楠雄には言わなかったけど、密かに自分だけで勝負してた。僕の勝ちだよ、ははっ」
 もう訳が分からない。
 斉木さん、斉木さん。
 会えば、全部わかりますよね。

 その後オレは、お兄さんの「さ、行こうか」にやっと斉木さんに会えると緊張だか興奮だかわからない感情を滾らせたが、あまりに長い長すぎる道程にすっかり疲れ果ててしまった。
 今日はここに泊まろうと旅館の部屋に通され、畳の上にばったりと倒れ込む。
「ああごめんねえ、病み上がりにはきつかったよね」
「……いえ」
 完全に、心にもない言葉。申し訳ないと思う気すら湧かなかった。
 斉木さんちから電車で一時間半、飛行機で二時間の後また電車で二時間…座っていただけとはいえ、しようもなく疲れてしまった。
「ほんっとうに遠いでしょ、うちの田舎」
「……でも、斉木さんに会えるなら」
「うん、明日になるけどね。今日はもうバスがないんだ」
「それで……いいです」
 薄々気付いていたし、何よりこんな状態で会いたくはない。一晩身体を休めて、万全で顔を合わせたい。
 オレにこんなことしてまで身を隠したんだ、引っ張ってでも連れ帰ることになるだろうし、その為には体力回復しなきゃな。
 ああ、それにしても疲れた。腹も減った。
「鳥束君、ここ温泉が有名なんだけど……ああ、ダメそうだね」
 お兄さんが何か言ってるが、ひどい睡魔に襲われ聞き取る事が出来なかった。

 はっと目を覚ますと部屋の中は真っ暗で、オレは小さな混乱に見舞われた。
 ここはどこだ、なんでここにいるんだ、何をしてたっけ。
 様々な疑問が競って浮かんでくるが、それよいも重要なこと。
「腹減った……」
 自分でも情けなくなる呟きをもらしながら、オレはのっそり起き上がった。
 そこで、自分が布団で寝ている事に気付いた。
 布団…ふかふかの。枕もふかふかでいい具合。オレんちじゃない。綺麗な畳敷きの部屋、そう…斉木さんのお兄さんと、旅館に泊まったんだっけ。
「やあ、おはよう。夜の十一時だけど」
 ははっと軽快に笑う声が暗がりの向こうから聞こえてきた。
「僕と仲居さんとで運んだんだよ。布団」
「ありがとうございます」
「畳に転がしたままほったらかしにしたのが楠雄にバレたら、半殺しの目にあうからね」
 夜闇にじっと目を凝らす。次第に、広縁の椅子にもたれているお兄さんが見えてきた。
「すんませんオレ、着くなり寝ちゃったんスね」
「いいよ。寝た事で少しは頭がすっきりしたみたいだね、そういう顔してる」
「え、見えるんスか?」
「いや全然、ただのあてずっぽうだよ」
 ははっと軽快に笑い、お兄さんは明かりをつけた。たちまち光が満ち、着いた時は全然目に入っていなかった部屋の全貌が明らかになる。

 旅館の客室は大体どこも似た造りをしているのだろう。畳と木と、ほっと落ち着く空間になっていて、以前冬に斉木さんと旅行した時に訪れたあの宿が、ぼんやりと思い出された。
 あの時は真冬だったから、部屋にはこたつが置かれていた。二人で向かい合って肩まで入って、ぬくぬくしながら他愛ないお喋りをした。あたたまってくると無性に冷たいジュースが飲みたくなって、どっちが取りに行くかで百回勝負のじゃんけんしたっけ。
 絶対勝てないのは最初からわかりきってたけど、オレは百回までねばった。斉木さんも、飽きずに百回まで付き合ってくれた。それで結局、二人で仲良く冷蔵庫に取りに行ったのはいい思い出だ。
 斉木さんは、そろそろあったかくなりすぎてた頃だから丁度いいとかなんとか、ツンデレっちゃって――ぐぅう

「!?……」
 腹の虫が鳴ったのだ。オレの。
 せっかく思い出に浸ってたのにこんなタイミングで割り込んでくるなんて、オレは、オレは――。
 恥ずかしさと怒りとで顔に血が上った。
「あははっ、夕飯も食べずに寝ちゃったもんね、しょうがないよ」
「……すみません」
「別に謝らなくていいよ。旅館の人に頼んで、夜食作ってもらってあるんだ。はい、食べるでしょ」
 え、と思って見ると、テーブルにおにぎりがあった。綺麗に海苔が巻かれた大きなおにぎりが二つ、ラップされて皿にのっていた。あのおにぎりの形完璧だ、日本人にはたまらない。目にした途端ごくりと喉が音を立てた。
「済みません、わざわざ、オレの為に」
 でも意外だ。
 覚えてる限り、この人は斉木さん以外まったく興味がなくって、その他大勢十把一絡げにどうでもいい存在だったんじゃ。こんな風に人に親切心を出すって人間じゃなかったよね。
「よくわかってるね。けど君は楠雄の一番大切なものだからね。兄としても、同等に扱うよ。ていうかねー、聞いてよ鳥束君、今の楠雄腑抜けすぎててさあ、勝負仕掛けても張り合いがなくってつまんないんだよね。最近に限れば僕の勝ちのが多いけど、あんな楠雄に勝ってもぜんっぜん嬉しくない! むしろ悲しい…もー君だけが頼りだよ。最後の希望」
 ああ、そういう…
 お兄さんは更にブツブツと文句を垂れ続けた。
 うーむこの兄弟、付き合いきれん。オレは無視して握り飯に大口でかぶりついた。

 ごちそうさまでしたと手を合わせる。丁度いい具合に満腹だ、米の飯はやっぱり最高だな。
 オレが食べ終わる頃合いを見計らって、お兄さんは広縁の椅子からオレの横に移動した。
 ちょっと質問いいかなと切り出され、いよいよ本題だとオレは居住まいをただした。
「鳥束君の一番大切な人って誰?」
「斉木さんです」
「それじゃ鳥束君はさ、その人を救う為だったら、他の誰がどうなっても構わない派?」
「……いえ、出来るなら、誰一人もらさず救いたいって思います」
「僕は楠雄以外はどーでもいい派。その為なら自分の命も投げ出すよ。って、これがどうでもいいね。誰かさんも鳥束君同様そう願ったけど、叶わなくて、合わせる顔がないってなっちゃったんだ」
「!…」
「てことで鳥束君、楠雄引き取ってくんない?」
「は?……はぁ?」
 な、何言ってんだこの人
「だからね、楠雄は僕のとこにいるから、連れて帰ってって」
 なんか違くない?
 てかこういう時って普通もっとしらばっくれたりかくまったりしない?
 こんなあっさり引き渡そうとするとか、えー?
「いやいや、斉木さんもお兄さんを頼って、その、……え?」
 何言ってんだオレ、完全に混乱してるよ。
 もっとひと悶着あるかと思って、覚悟決めてきたんだよ?
 斉木さんに会わせて下さい――無理だね、弟は君に会いたがってない――そこをなんとか!――みたいな押し問答絶対あると思って、なにがなんでも引かないぞって気持ちでここまで来たってのに、こんなあっさりとか聞いてない

「そりゃあさ、僕も最初はかくまう気でいたよ。気が済むまでいればいい、鳥束君にはうまい事言ってお引き取り願うから――って、いくつものパターンを考えて、弟の意向に沿うよう頑張ろうとしたよ」
 だ、だよねえ。
「けどさっきも言ったように、腑抜け楠雄になっちゃってて……もう見てられないんだよ」
 お兄さんの声が一段低くなる。オレはひゅっと息を飲んだ。

「本意じゃないんだよ。嫌になったから離れた訳じゃないし。であれば、戻りたい、恋しい、会いたいってなるよね」
「な、……ええ、なりますね」
 困惑しつつ頷く。

「ただ、事情はもうちょっと複雑で、ショックを受ける部分もあると思う」
「だから直接楠雄に会う前に、話を聞いてほしい。何がどうなっているのか、それで全部わかる。答えを出すのはそれからだ」
「どうしても受け入れられないと思ったら、帰ってくれて構わないよ」

 


 

 僕の名前は斉木空助。
 霊能力者の恋人を持つ超能力者の弟がいる事以外は至って普通の凡人だ。
 その弟だが、この二ヶ月というもの僕のラボに入り浸ってちっとも帰らないんだ。
 しかも何かっていうとめそめそ泣き出して。今は少し回数も減ってきたけど、泣かれるのはこっちも堪える。
 原因は恋人と別れたから。フラれたとか振ったとかじゃなく、弟曰くやむにやまれぬ事情で関係を切ったと。
 僕としては、弟と勝負出来る時間が増えて嬉しいなってくらい、だったけど、めそめそしながらも強いんだなと思えばじゃんけんであっさり負けて…僕はその日生まれて初めて弟に勝ったわけだが、抜け殻状態の相手に勝てて誰が嬉しく思うだろう。


「ただいま楠雄、戻ったよ」
「………」
 返事はないが、一応おかえりと反応しているのは目線でわかった。
「留守番ありがとね。お陰でいい部品買えたよ。ところで、僕がいない間もちゃんとご飯は食べた?」
 流しに食器は片してあるのは見たけど。
 キッチンの方を指差すと、楠雄はいつものように天井近くの小窓から空を見ながら、のろのろと頷いた。
『……食べた』
「そう、まあ、鳥束君ほど美味しくはないけど、食べなきゃだめだよ」
 いちいちアイツの名前を出すなと、振り向きざまに射殺しそうな目で睨まれる。
「……ごめん。そうだ楠雄、じゃんけんしようか。十回勝負ね」
 楠雄のところまで行って、最初はグーと合図を送る。

 楠雄は勝ったり負けたり。
 僕はちっとも嬉しくなかった。やっぱりねとわかっていたが、やるせない気持ちになる。
 腑抜け楠雄に勝てても嬉しくないし、そもそも僕自身、勝負は気を紛らすために仕掛けてるようなものだからだ。
 弟の負った物を考えると、僕だって人並みに胸が潰れそうに痛む。それを紛らすために…つまり現実逃避の為に下らないじゃんけんを挑むのだ。
 ねえ楠雄、もう泣くのはやめようよ。
 鳥束君のところに帰りなよ。

『帰らない。帰れない』
「どうして」
『仕方ないだろ』
「そうかなあ」
『そうだ。いくら何でもひどすぎる。無関係の彼らにあんなもの負わせて、合わせる顔がない。あいつを助ける為とはいえ、僕は……』
 楠雄の顔が下を向く。
「それで、足の具合はどう?」
『……問題なく機能している』
「まあ、僕の作ったものだしね。楠Ω作る時取ったデータが大いに役に立ったよ」
『……複雑だ』
「ははっ。じゃ、ちょっとメンテするから、外してもらえるかな」
『ああ』
 小窓を見る為に置いた椅子からのっそり立ち上がり、ズボンを脱いでベッドに乗り上げると、楠雄は右足の脛に両手を当てた。そのまますっと、靴下を脱ぐように、義足を外す。
 ふと見ると目に大粒の涙がたまっていた。
 泣きたのは僕の方だよ、楠雄。


 二ヶ月前のことだ。
 突然僕のラボにやってきて、何の用かと見れば潰れた血まみれの右足突き出してくるから、さすがの僕も卒倒しそうになった。
 用件は、右脚をひざ下から切断、および義肢の作成。
 超能力で痛みを麻痺させているから平気だと言うけど、出血した分、顔は青ざめていた。僕も多分同じくらい血の気引いた顔してたと思う。
 一体何があったのか、何故復元しないのか、次々湧く疑問に楠雄は順を追って説明し始めた。
 けど悠長に聞いてる暇はなかった。だって、その間もどんどん顔から血の気が失せていってたし、一刻も早い治療が必要だと判断した僕は迅速に手術を行った。
 でも僕、ただの平凡な科学者で医者じゃないんだけどな。

 それでもどうにか無事に手術は終わり、楠雄にそのことを告げると、気を失うようにして眠ってしまった。
 直前に、九時には絶対起こしてくれと頼んできた。
 顔色は紙のように真っ白で、目の下には濃い隈が刻まれているのを見たら、とてもじゃないが叩き起こすなんて出来ない。弟は僕みたいにごく短時間の睡眠で目覚めてしまう体質じゃない。何より今は、切断手術を終えたばかりの身体だ。いくら超能力者と言えど、ダメージは計り知れない。
 一晩中、いや何日だって存分に寝かせてやりたかった。
 さっき途中で遮った楠雄の説明を思い出す。
 鳥束君と出かけたその帰り、乗っていたバスが転落事故を起こした、そこまでは聞いた。その先は治療を最優先に後回しにした。
 事故。転落事故。
 楠雄なら、そんなもの回避する方法はいくらでも思い付いたはずだ。たとえ未然に防ぐことは出来なくても、多少不自然でも無傷で生還するなんて朝飯前だろう。復元するという手もある。
 けれど現実に弟は大怪我を負い、足の切断を僕に頼んで、今は死んだように眠りこけている。
 つまり、そのようにしなければならない事情があったというわけだ。


「もー、メソメソするのやめようよ。そりゃ怪我した人たちは気の毒だとは思うけどさ、もうみんなそれぞれ復帰してるし、鳥束君だってもう退院したんでしょ」
 今回のが、一番ましだったんでしょ。
 鳥束君の命を助ける為に、乗客みんなで負担するルート。
 僕は出来るだけ明るく声を張り上げた。義足のメンテナンスの為に楠雄に背を向けているのが幸いだ。僕だって人並みにね、楠雄、泣き顔を隠す事だってあるんだよ。
「楠雄が一番、ダメージ大きいけどさ」
 弟は、右足を膝下から失った。僕の作った義足と、彼自身の超能力で、以前のように不自由なく動かせているけど、傷が塞がっても、火傷が治っても、失われたものは戻らない。
 楠雄は、鳥束君の為に無関係の人間に負担を押し付けた罪悪感、無傷で助けたかったが叶わなかった無力感とで、著しく不安定になっていた。
 それでもこの現在が、楠雄の希望に一番近いものだった。


 元々の歴史はこうだ。
 あの日の転落事故で、十六名の乗員乗客の内一名が死亡、十五名が軽傷。
 死亡者一名とは、他でもない鳥束零太。
 そういう時間軸があった。


 それを予知夢で知った楠雄が、どうにか改変すべく細工を行うが、どうあがいても全員無傷での生還は叶わなかった。
 鳥束君を助けると、他の誰かが死ぬ。
 鳥束君が助かるなら誰が死んでもいいなんてことはない。
 楠雄の孤独な戦いが始まった。
 何度も何度も「今日」を繰り返し、鳥束君が死ぬ運命を覆そうとした。
 なんとか助けられたと安堵したのも束の間、乗り合わせた乗客の誰かが命を落とした。
 そこで楠雄は、一人分の命が必要なのだと理解した。
 なら、なら…代わりに自分の命を捧げよう。鳥束君が助かるならそれでいいと覚悟を決めてバスに乗り込むが、土壇場で「鳥束君と一緒に生きたい」と願ってしまった。
 無意識の内に抵抗した結果、一名死亡のところ、乗客全員が何かしら負傷するルートに突入した。
 一人分の命が必要、ならば、乗客全員で負担しようというわけだ。
 結果、誰一人命を落とす事はなかったが、皆それぞれに負傷し、特に楠雄がひどいダメージを負った。
 片足を失った事に後悔はないと楠雄は言った。これで誰も死なないなら軽いもんだ。
 でも、自分が助かりたいが為にこんな方法を選択した自分が不甲斐なくて、合わせる顔がないと一方的に鳥束君と関係を断ち切った。
 それが寂しくて、悲しくて、弟はめそめそと泣いた。


「五勝五敗だったし次ので勝負ね、そうだ、負けた方が秘密を話すってどう?」
 全く反応はないが、構わず「最初はグー」とまた手を振る。
 僕のパーに対してチョキを繰り出してくる楠雄。
「あー負けちゃった。じゃあ、僕の秘密を話すね。楠雄のマインドコントロールを破った鳥束君が、今隣の部屋で待機してまーす」
『……なんだと!?』
 うそだろと硬直する楠雄。僕は応える代わりに鳥束君に連絡した。すぐに、隣室で待機していた鳥束君が青い顔で駆け込んできた。

 


 

 朝が来て、僕は目を覚ます。もう何度目になるかわからない「今日」だけど、その日はとても晴れ晴れとした気持ちで朝を迎えられた。
 これで最後だ。自分の為にも鳥束の為にも、ほんのわずかも思い残す事がないように過ごすと僕は心ひそかに誓った。
 僕はこの「今日」で初めて、父さんからカメラを借りた。最新モデルだぞ、いいやつだぞとにやけ面で自慢してきて、いつもだったらその横っ面張り飛ばすとこだけど、微笑ましく受け止められた。
「先週買ったばかりなんだ、大事に扱ってくれよ」
 ごめん父さん、出来るだけそうするつもりだけど、大破してしまっても許してください。

 待ち合わせの駅前に赴くと、弁当一式で割と大荷物になった鳥束が待っていた。普段は五分前行動なのに、えらく早いじゃないか。どんだけはしゃいでるんだアイツは。
 僕は遠目から一枚撮ってやった。それから合流し、今写したばかりの画像、まだこちらに気付いてない間抜け面を見せてやると、鳥束は真っ赤になって照れながら「これは斉木さんへの気持ちが駄々洩れになったあのあれ、あのあれ!」としどろもどろになった。
「……もー、消してよ」
 大げさに笑っていると、ちょっと涙目でそう言ってきた。ふん。消したっていいが、僕はあの世まで持っていくからな。

 それからも隙を見ちゃ隠し撮りしてやった。待ち合わせ場所での一枚が効いていて、警戒はするのだが、それをかいくぐるのなんて超能力者には容易いものだ。
 もちろん、普通に撮りもした。一緒に収まるのも率先してやった。これまでそんな気持ちを持ったことがないから表情とかわからなくてぎこちなくなってしまうが、そこは鳥束が上手く誘導してくれた。
 僕を映す時、バックに滝を入れたい、いい構図で撮りたいと凝る鳥束を見習い、見よう見まねでアングルにこだわった。
 もうちょい右とか左とか指示する僕に、鳥束は心の中でびっくりする。そして喜ぶ。
 ――こんなにノリノリになってくれるなんて、嬉しいけれどびっくりしちゃう。でもま、楽しいからいいや!
 鳥束は目一杯はしゃいだ。
 僕もこれが最後になるのだから、出し惜しみせず、普段なら恥ずかしくてやらない事にもどんどん挑戦した。川魚のつかみ取り、ろくろ体験、パラグライダー体験、洞窟探検、ロッククライミング他いろいろ。
 たくさん失敗したが、鳥束は笑って慰め、励ましてくれた。
 ああ鳥束、とりつか――愛してる。

「はーもーくったくた……でも、さいっこーに楽しかったスね」
 バス停に並び、鳥束は今日一日を振り返った。くたくただという言葉に相応しく顔にはいくぶん疲れが滲んでいたが、それ以上に歓喜が頬のつやを良くしていた。
 対して僕は、高まる緊張に顔が強張るのを、悟られないよう隠すので精一杯だった。
「駅着いたら、お土産いっぱい買いましょ。いーっぱい。ご当地スイーツ、山ほど買って帰りましょ」
『……ああ』
 守れそうにない約束にずきりと胸が痛んだ。
 それが鳥束には上手い具合に疲労に映り、今日は早く寝るんスよ、とお母さんを覗かせてきた。
『わかってるよ』
「てかオレのが寝そうっス。バス乗ったら絶対寝るわこれ。寝ちゃったらごめんね斉木さん」
『起きててもお前下らないお喋りしかしないし、とっとと寝ろ』
「あーもーまたそうやって言うー」
 プンプンっスよとわざとらしく頬を膨らませる鳥束。迫力のかけらもない表情、いつもの僕なら知らんぷりした事だろう、でも今は、どんなものでも残しておきたい。
 怒ったって笑ったって拗ねたって、全部のお前が好きだよ。
 やがてバスがやって来た。
 僕を含めて十五名の乗客がバスに乗り込む。僕らは列の最前なので席は選び放題だが、前でも中でも後ろでもあまり関係はないようだから、鳥束の座りたいところに任せた。
 鳥束はまっすぐ、二人掛けの窓際に陣取った。寝る気満々ですんませんと謝ってきたから、僕は笑顔で返した。
 15:10の定刻になり、バスは出発した。

 終わり。終わる。
 緑濃い山道をぼんやり眺めながら、僕は「今日」を振り返る。何度も何度も繰り返し、やがて数えるのをやめた「今日」も、これでようやく終わる。ようやく明日が来る。
 僕にはないけど、鳥束、お前はしっかり歩いて行けよ。
 窓に寄りかかってぐっすり眠る男にそう笑いかける。笑いたかったのに、みっともない泣き顔に歪んだ。
 事故が起こるのは、山頂駅を出発して十分後のこと。
 僕はちらりと時計を確認した。そして、誰からも見えないのをいいことに、鳥束の手を握った。
 あたたかいな。
 離したくない。

 それがいけなかったのだろう。
 僕は生き延びた。

 目の前には惨状が広がっていた。
 大破したバスの中で、乗客の大半が苦しみうめき声をあげていた。
 たすけて
 いたい
 どうなったんだ
 混乱する彼らの心の声がどっと押し寄せる
 右足の感覚がおかしかったが、気にしている暇はなかった。僕が負傷するのは初めてのパターンだけど、それよりも彼らを助けるのが先だ。
 いつもするように救急に連絡を取り、そうしながら鳥束の安否を確かめる。
「……いない」
 愕然となるが、割れた窓ガラスから投げ出されたのだろう。それは何回かあったじゃないか。遠のきそうになる意識を必死に奮い立たせた。
 座席で苦しむ乗客を残らずサイコキネシスで車外へと運び出した時、バスの後方で爆発音がした。
 炎が巻き上がるのを目にする。
 ――たすけてさいきさん!
 頭が割れるほどの叫びに、僕はすぐさま向かった。

 ガソリンに引火して起こった火災はすぐに追い払ったが、鳥束の惨状は目を覆わんばかりだった。
 うつ伏せに倒れた鳥束の背中には、焦げてボロボロになった衣服がはりついていた。見え隠れする皮膚は真っ赤で、さっきの炎上で火傷を負ったのは一目瞭然だ。
「と、とりつか……」
 ひどい、ひどい火傷だ。またも意識が遠のきそうになる。どうにか踏ん張り、僕は能力を発動させようとした。
 でも、これを、どこまで復元していいかわからない。
 他の乗客たちもそうだ。
 出来るだけバスから遠ざけて寝かせたが、今のところ誰も命を落としていない。命の危機に陥っている者もない――鳥束を覗いて。
「あなた……その足!」
 額を押さえて呻いていた年配の女性が、僕を見て声を震わせた。
 そこで初めて自身の負傷具合に気付いた。
 僕の右脚は、膝から下が完全に潰れていた。

 痛みはなかった。
 実感もなく、「どうでもいい」が正直な感想だった。
 それよりもこのルートはどうなのか、それだけが重要だった。
 とても正解とは思えなかった。だって、鳥束の代わりに僕の命一つ渡すはずだったのに、怪我を負ったとはいえ僕は生き延びて、他の人たちもみな何かしら負傷して、鳥束なんてあんなひどい火傷を――!
 誰一人命を落とさなかったとはいえ、こんなのが正解のはずがない。
 全て僕のせいだ。
 潔く命を渡すつもりだったのに、土壇場で願ってしまった。
 鳥束と一緒に歩き続けたい――と、未来を望んでしまった。
 繋いだ手を離したくない未練が、この結果を招いた。
 本当ならすぐに「今日」に戻るべきだろう。
 でも僕はそうしなかった。
 出来なかった。
 わかるからだ。何度やってもきっとここにきてしまうのがわかった。

 遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
 僕は動かなくなった右脚をサイコキネシスで支えて鳥束のもとに向かい、頭へと手をかざした。
 僕に関する記憶を消して、姿を消して、二度と鳥束には会わない。
 だって合わせる顔がない。
 鳥束を助ける為なら自分の命くらいなんともないはずだったのに、そんな簡単な事すら出来ず無関係の彼らまで巻き込んでしまうなんて…地獄行きだろ。
 僕はじっと鳥束の顔を見つめた。今にも閉じそうに目を狭めて、浅い呼吸を繰り返していた。
 かざした手を握り締める。
 鳥束の回復を見届けたら、今度こそ僕を消そう。
 こんな僕でも、それくらいなら出来るよな。

 サイレンの音が段々と近付いてくる。
 年配の女性には悪いが、僕の事を忘れてもらう為に軽い記憶操作をした。
 それから、この身体を何とか出来る唯一の人間のもとへと瞬間移動する。
 空助の唖然とする顔は見ものだったが、それを笑う余裕はまったくなかった。
 事情を話し、切断を頼んだところで僕の意識は途切れた。
 起こされて目を覚ますと、九時を少し過ぎていた。
 でも、約束しただろと空助を怒鳴ることは出来なかった。
 ごめんと小さな声で謝ってくる兄に、笑顔を向ける。
 うまく笑えていたかは自信がない。

 消灯時間の過ぎた病院にこっそり忍び込んで、鳥束の病室を訪ねる。
 顔も身体も包帯だらけだったが、この時間になってもちゃんと生きている姿を見て、しようもなく涙が溢れた。
 でも、手放しで喜ぶのは「今日」が終わってからだ。
 鳥束の寝顔を見つめ、僕は一心に祈った。
 何事もなかったように時は進み、数えきれないほど繰り返した「今日」はとうとう昨日になった。
 興奮のあまり鳥束を叩き起こしそうになった。
 高揚感はしかしすぐにひどい疲労に取って代わり、僕は空助のところへ戻った途端気を失った。

 目を覚ますと日はとっぷりと暮れていて、昨夜間に合わなかった義肢が完成していた。透視能力で偽物とすぐにわかったが、画像を見る限りでは本物の足と何ら変わりなく映った。
「それが普通の人の目に映るものだよ。ちょっとくらいなら触ってもわからない」
 着脱方法や動かし方の説明をひと通り受け、僕はまた鳥束の病室に向かった。
 昨日はベッドの上に仰向けのままぴくりとも動けない状態だったが、一日たって、ほんのわずかながら動けるようになっていた。
 そのほんのわずかな寝返りすら嬉しくて、愛しくて、思い付く限り鳥束を甘やかした。
 入院して気弱になった心には少し効果が強過ぎたようで、メソメソされた。
 やめろお前、いい男が台無しだぞ。
 そう言うと鳥束は目を丸くした。うん、なんだ本当に…参るな、言った自分も少しむず痒いよ。
 そんな僕に鳥束が言う。
 ――斉木さんが無事でよかった。
 ――自分が誘った外出で怪我なんてさせてたら、合わせる顔がなかった。
 そんな事言うな鳥束、合わせる顔がないのは自分の方だ。
 真相を知ったら、きっとお前は僕を軽蔑するだろう。
 それでもいい、それでいいから、今だけはお前に会うのを許してほしい。

 夜ばかり選ぶのは、やはり義肢が気になったのと、僕のひどい顔色をごまかすためだ。
 身体の一部を失ったのだ、超能力者といえど回復には時間がかかる。現に昼間はひどく怠くて寝てばかりだった。
 あの空助にさえ心配されるなんて不甲斐なかったが、用意された食事を頑張って流し込んだ。鳥束に余計な気苦労はかけたくないし、少しでも、はっきりする頭で奴に会いたい。

 鳥束と会っている間はとても心穏やかに過ごす事が出来た。なんたって生きている奴に会えるのだ、もう「今日」に怯える必要はないのだ、鳥束の生き生きとした姿を見るたび、目頭が熱くなった。

 日を追うごとに、鳥束は心身共に回復していった。
 入院当初は、事故のショックですっかり萎れてしまっていたが、元気になれば当然…鳥束零太を取り戻す。
 つまり、変態クズが復活したということだ。
 今度こそ最後の思い出にするべく、僕は奴の願いを叶えてやることにした。
 本当は奴の熱を体内に迎え入れたかった。入院中だというのに以前と変わらぬ元気さを見せるものだから、純粋に嬉しいのとよこしまな気持ちとで頭がぐちゃぐちゃになってしまい、鳥束のを貪りながら自分も解放を求めて快楽に耽った。
 鳥束に顔を見られた時は少しひやりとしたが、僕の痴態に目を奪われ気付く事はなかった。なら、安心して没頭出来るというもの。
 とはいえ立て続けに何度もとは、さすが鳥束。
 そりゃ僕も多少煽ったけど、とどまるところをしらないんだから、あいつ。
 なんて呆れた風を装っても、胸の中は嬉しさでいっぱいだった。満足して眠りにつく鳥束に、素直な気持ちを伝える。
 お前のゲスなところも、呆れるほどの性欲も、全部ひっくるめて好きだ。好きだ。愛してる。
 翌晩その返事をもらった時、不覚にもボロボロと泣いてしまった。苦し紛れに、超能力者の嘘泣きすごいだろとごまかす。こんなもので騙せるかと思ったらなんかうまくいった。鳥束でよかった。

 鳥束らしさを取り戻したことに歓喜する一方、それだけ別れが近付いていること、彼をこんなに苦しめてしまったこと、様々な思いから、僕は空助の目も気にせず泣き続けた。
 鳥束、とりつか――本当に済まないと思っている。
 僕のせいで負傷した人たちにも、悔やんでも悔やみきれない。
 僕が片足を失ったのは、きっと、お前は鳥束と一緒に歩んでいってはいけない、そういうことなんだろう。
 わかっている。

 鳥束の退院の日、僕は病院の屋上からそっと見送った。
 制御装置を外して。

 鳥束は大学に戻り、僕は大学を去った。

 あれから毎日未練がましくめそめそ泣いてばかりだが、きっと、じきに、薄れていってくれることだろう。
 今はまだつらい。つらいばっかりだ。
 でもいつかは。
 記憶にある鳥束との思い出を取り出しても、衝動的に泣き出すことはなくなるに違いない。
 とても想像がつかないが、そんないつかの訪れに縋って、歯を食いしばる日々を送っていた。

 空助が、いいジャンク品の売り出し情報を見たとかで、買いに行きたいから留守番を頼めるかと言ってきた。
 ひどく心配そうに話を切り出してきたが、僕に構わず行ってこいと背中を押す。
 確かにメンタルがおかしくなってる自覚はあるが、誰かいないとパニックに陥るとかそんな症状は出ていないし、これで二度目か三度目になるから、ここでの一人の過ごし方も慣れたものだ。
「ご飯はちゃんと用意していくから、食べてね。あのね、夕飯はグラタンに挑戦してみたんだよ。料理もやってみると結構楽しいものだね。そのわりには全然、センスは上達しないけど。ははっ」
 兄はいつも大体において、嘘臭いほど爽やかな笑顔を浮かべる。うすら寒いってよく思ったものだ。今も同じく朗らかに笑うが、それが単に兄の癖だからか、それとも僕にまとわりつく重い空気を少しでも軽くしたいためかは、わからない。
 そもそもこいつにそんな感情あるかもわからないが、もしもそうだとするなら、僕を励まそうとしての胡散臭い爽やかさなら、僕は、そうだな、小指の先ほどは済まなく思う。

 そして奴は出発し、僕は一人広いラボに残った。
 それから確実に時間は経ったはずだが、自分が何をしていたかぼんやりしていて覚えていない。
 空助が用意した食事は、きちんと食べた。
 食べないとうるさいんだ、あいつ。自分は食事も睡眠も適当でいい加減で雑な癖に、僕が来てからは意地でも三食用意して、むきになって平らげた
 だから僕も仕方なく口に運んだ。不味くはないけど、というのが素直な感想だ。そして「けど」のあとに、どうしても思い浮かべてしまう。
 そしてめそめそしてしまう。
 自分でも思ってるんだから、空助はさぞ鬱陶しく感じている事だろう。
 けど今はいないのだから気にせず思いきり泣いてしまおう。
 ああしまった、失敗したな。食べながらだと飲み込むのがより難しくなるんだ、忘れてた。

 それでもなんとか食べ終えて、食器を洗って、何かをやって過ごしていたら、空助が帰ってきた。
 わかってるって、ちゃんと食べたよ。まあまあ美味かった、お前の味にもだいぶ馴染んできた。
 鳥束君の味が恋しくなったんじゃない、と言われ、瞬間的にカッとなって睨み付ける。
「ごめん……」
 違う、あんたに怒ったんじゃない、自分に腹が立って仕方がないのだ。
 だから謝る必要なんてない。
 こんなに情けない、何も出来ない人間だって思い知って、自分に怒りが湧くのだ。
「そうだ楠雄、じゃんけんしようか。十回勝負ね」
 僕の座っている正面まで来て、空助は合図を送ってきた。
 五勝五敗で引き分けに終わった。今は何でも惰性で行っているが、少し気が紛れてよかった。

 その後空助から義肢のメンテナンスを言い渡され、僕は脚を外して渡した。
 痛みはない。
 失くした事も後悔なんてしていない。
 それでも何故か涙が込み上げてきた。
 空助に泣き顔を見られるのが恥ずかしいとか、我慢するんだと言い聞かせるとか、そんな類はほとんどなかった。
 泣いてなくても世界はぼやけているし、色味もあまりないし、現実感もない。
 いつか、この不透明な覆いは取り払われるんだろうか。

 ふと見ると、次で勝負と空助がグーを振っている。
「負けた方が秘密を話すってどう?」
 お前の秘密か、結構色々あるじゃないか。時間はあるのだし、全部聞いてやってもいいぞ。
 結果は、僕がチョキで空助がパーつまり僕の勝ち。
「あー負けちゃった。じゃあ、僕の秘密を話すね。楠雄のマインドコントロールを破った鳥束君が、今隣の部屋で待機してまーす」
『……なんだと!?』
 そんなのうそだと動けなくなる。すぐにラボのドアが開き、鳥束が青い顔で駆け込んできた。

「あ…あっ……」
 右脚のない僕を見て鳥束は絶句した。
 隣には燃堂父が寄り添い、新しい手品か相棒、とのんきに聞いてきた。
 それでようやく硬直が解ける。そうか、燃堂父、お前らがいたんだ鳥束には。
 ああなんて間抜けな一人芝居だろう。

 長い長い沈黙の後、ようやく鳥束は口を開いた。
「好きです、斉木さん」
 ボロボロと大粒の涙を流しながら、言葉を絞り出す。
 鳥束は頭につけていたテレパスキャンセラーをむしり取って手から滑り落とすと、よろけるようにしてベッドに近付いてきた。

 気付いた直後は怖かった。ひたすら、怖かった。
 それが落ち着いたら段々腹が立ってきた。何独りよがりやってんだって、ムカついてしょうがなかった。
 真相を知った今は、たまらなく愛しい。愛しい。何でも一人で背負いこんで、どうしようもないバカ、斉木さん、愛しい――!

 流れ込んでくる思考の数々に、僕は金縛りにあったように動けなくなった。
 そんな僕を、鳥束はあうあう言いながら抱き締めてきた。
 鳥束の匂いと体温が僕を包み込む。
 たった一ヶ月なのに、もう何年も離れていたように懐かしく感じる。
 鳥束は必死に涙を押さえ込むと、真正面から睨み付けてきた。
「合わせる顔がないってなんスかそれ、オレを舐めてんスか! それとも、こんな身体に幻滅した? 愛想尽かした?」
「そんなわけあるか!」
 勢い任せに言い返せたのはそこまでだった。何故だか急に失われたものが恥ずかしく感じて、僕はどうにかして隠そうとした。
「……お前こそ、僕のこんな……」
「こんな? 言わせてもらいますけどね、ふつーにたちますよ。変わんないっスよ! あーもう胸張っちゃうもんね!」
「お前な……!」
「すんませんねぇ変態で。でもだって、パンイチの斉木さんふつーにエロいっすもん! そそるぅ!」
「……ばかやろう」
「ねえほら、ちゃんとオレ見て斉木さん」
 両手で顔を掴まれる。
 僕はびくびくしながら目線を合わせた。

 ああ、こんなに痩せて…大馬鹿野郎が

 ごめん鳥束…ごめん。
 ずっとぼんやりした中で過ごしていたから、お前の澄んだ目が眩しくて仕方ない。
「見てほら、オレ、五体満足っスよ。アンタを抱きしめる腕もちゃんとある」
 アンタの手も!
 今度は両手を掴まれる。
「ちゃんとあるじゃないっスか! 抱きしめられる腕が、ちゃんと残ってるじゃないっスか!」
 閉じ込めるようにして抱きしめられる。
「オレは離しませんからね! 絶対離しませんよ! 離して、たまるか、馬鹿野郎!」
 一言ずつ、言い聞かせるように揺さぶり、鳥束は張り叫んだ。
 ああ鳥束…とりつか
『こんな……僕を』
「こんなってなんすか、アンタ、オレら助ける為に頑張ったんでしょ。頑張って頑張って、足まで失って……おれを、たすけてくれた」
 ありがとう斉木さん
 だから、一緒に生きましょうよ
 一緒に生きて斉木さん。
 お願いだから!
 鳥束の叫びは大泣きに変わった。
 それでも鳥束は頭の中で必死に言葉を綴った。

 地獄行きだってんならオレも行きますよ
 そもそもオレが死ぬはずだったんでしょ
 地獄に行くのはオレだったんでしょ
 それをアンタが背負ってくれた
 なら、二人で仲良く逝くべきだ
 オレはアンタの忠実な下僕っスからね、どこまでもお供しますよ
 だから――

「お願いします、お願いさいきさん……オレから離れていかないで」
「……とりつか」
「入院して気弱になったオレを、毎日支えて励ましてくれましたよね、あれがどんなに心強かったか……だから今度は、オレが斉木さんを支えます。支えていきます!」
「とりつか……とりつか!」
「あと、これだけは覚えとけよ! アンタがどんなに遠くに行こうが何をしようが、オレは絶対思い出すし探し出してみせるっスから!」
 絶対忘れんなよ!
 ああ、忘れない。もう忘れない。心に刻んだ。お前には幽霊って強力な味方がいるんだものな。
 僕を最初に見つけ出したのも、彼らの協力があってこそだったものな。
 侮って悪かった。勝手に記憶いじって悪かった。
「許してくれるか……?」
「もちろ……いや、いや、戻ってきたら許します。オレと一緒に帰るっていうなら、何でも許します!」
「とりつか……鳥束!」
 しがみ付いて何度も呼びながら、僕は頷いた。
 離れたくない。
 一緒に生きたい
 会いたかった、名前を呼びたかった……呼ばれたかった
 鳥束と別れる、なんて…あっさり覆ってしまったけれど、そう誓った瞬間から後悔していたのだ。それじゃ覆るのも当然だ。
 二人して鼻水まで垂らしながら泣きに泣いた。

「もー、そういうメロドラマは、よそでやってほしいなぁ」
 空助のほっとした声がした。

 


 

 あれから、いくつも季節は廻った。


「はーしんど」
 オレは呟きながら玄関に入った。
 今住んでいるのは小さいながら庭付きの戸建て賃貸で、柿の木が植わっているというのにまず惹かれたし、何より平屋建てなのがいたく気に入りここに決めた。築六十年とかなり古いがその分家賃は安いし、ちゃんとリフォームもしているので暮らすには問題ない。
 キッチンに、六畳の部屋が二つと納戸、小さいけど庭付き、立派な柿の木つき。
 しかし落葉樹であるので、この季節になると落ち葉が大変なことになるのだ。
 三日ほど前からやろうやろうと思って日々を過ごし、今日ようやくの事重い腰を上げた。
 予想通り、息切れするほど大変だった。
 そんな玄関前の掃き掃除を終えたオレは、小休止の後納戸の整理に取り掛かった。南西にある納戸の広さは三畳ほどで、二面に窓がありとても明るい。そこに、まだ荷解きが済んでいない段ボールがいくつか、積まれているのだ。
 これもまた、涼しくなったらやろうやろうと伸ばしに伸ばしていた。
 今日こそ片付けてやるのだと、オレは掃除道具一式を携え納戸に足を踏み入れた。
 段ボールの内の一つは本の類が入っており、それを収める為の本棚はすでに納戸に設置済みだ。
 つまり本腰を入れて取り組めば、あっという間に終わる作業だ。
「おっし、んじゃやりますか!」
 気合の掛け声とともに、箱を開ける。

 一時間後、オレは三冊目のアルバムに手を伸ばしていた。
 一冊目は自分の小さい頃のもので、そう言えば実家から持ってきたのだっけと懐かしく思いながらめくった。
 これはどの部屋で撮ったものだっけ、これはどこへ行った時のものだっけ、ページをめくっては戻り、あの頃を振り返る。
 以前にこれを見た時はまだ若くて、そのせいだろうかただただ気恥ずかしくて、まともに見られずぱらぱらとめくって終わりにした。
 二冊目には、少し成長した自分が満載だった。おぼろげながら思い出せる写真もあり、こうして見ると親は結構残してくれていたのだなと感慨にふける。
 そういう事に感謝できる年齢になったかとしみじみしながら次に手に取ったアルバムをめくり、オレは小さく息を飲んだ。
 そこには、あの人と二人で撮った写真が納まっていた。
「そっか、大事だからってこの手のアルバムに収めたんだっけ」
 よくあるポケット式のフォトブックではなく、台紙に乗せて透明フィルムで保護する大きいサイズのアルバムを、オレはよいしょと抱え直した。
「うっは懐かしー、何年前だこれ」
 変顔で収まるオレとあの人に目を細める。
 何年前かはすぐに出てこないが、どこで撮ったかはくっきり思い出せる。
 あの、事故に遭った日の朝。出発する時に写したものだ。
 カメラはあの人がお父さんから借りたもので、事故で大破してしまったが奇跡的にデータは無事だった。その後のごたごたで写真の事はすっかり忘れていたのだが、全てが丸く収まり落ち着いた頃、お兄さんから再出発祝いと贈られたのをアルバムに収めたのだった。
 オレは一ページずつ、一枚ずつじっくりと眺めていった。
 斉木さん若い、かわいい〜
 オレも〜
 振り返りながら、ここにいないあの人に想いを馳せる。
 ああ、もう…一緒にいきましょうって言ったのに。
 少し唇を尖らす。

 オレはすっかりはまってしまっていた。
 片付けの途中で古い雑誌とかアルバムとか、絶対に見てはいけないのに、いけないのに!
 はたと我に返り、時計を見て青ざめる。
「うわやっべ、こんな時間だよ!」
 そう、熱中するあまりあっという間に時間が過ぎてしまうからだ。
 やべやべやべ!
 オレは大慌てでアルバムを本棚に押し込んだ。片付けるどころか散らかしてちゃ目も当てられないよな。
「うわーやばい駄目だ、時間足りないわ!」
 段ボールにぎっしり詰まった本の束を見て、オレはあっさりギブアップする。
 もういい、昼飯の後にしよう。
 そう切り替えて身体の向きを変えようとした時、背後に立った何者かに、しゃがんだ尻を軽く蹴飛ばされた。
 同時に「おい」と呼びかけられ、オレはがばっと振り返った。

 まず目に入ったのは、オレを蹴った方の足、右足。
 この人の右脚は、義足だ。でもすごい何がすごいって、足の指で物をつまめること。
 もちろんそれはこの人の持つ能力によるものだけど、それを可能にした技術もすごい。この兄弟すごい。
 見た目もまたすごくって、たとえ短パンで街を歩いたとしても、すれ違う人の誰一人としてこの人が義足だなんて気付かないだろう。それくらい、精巧につくられていた。
 なにせ実際にこの目で見たオレでさえ騙された。あー…思い出すー…病室でのあのねっとり濃厚な……って違う!
 オレは現実逃避から帰還する。
 掃除機も雑巾もゴミ袋も、一式ちゃんと用意したのに結局片付け出来てない有様を見て、その人は言った。
『お前、やっちまったなあ』
「あ……はは、おかえりなさい」
 恐る恐る顔を上げると、呆れ笑いの斉木さんがそこにいた。
 あーあー…玄関開ける音もただいまって声も聞こえないほどとか、オレどんだけだよ。
 頭を抱えたくなる。
『いや、瞬間移動で帰ってきたからな』
 あっそう…ほー、そこはまあ良かった。
「すませーん、今からすぐ昼、お作りしますんで!」
 斉木さんは今日、お兄さんのところに行っていた。義足の定期点検の為にだ。一緒に行きましょうかと提案したが、すぐ済むから一人で行くと断られた。帰りは昼になるとの事だったので、オレは約束した。
 ――じゃあ、ご飯用意してお待ちしてますよ
 そう約束したのだが。

『やれやれまったく、お前は十年前と何も変わらないな』
「うー……いつまでも若くてぴちぴち?」
『成長してないって言ってんだ。あと、その発言が若くない』
「くぅ〜」
『それより、昼だ。面倒だから食べに行くか。あっちの定食屋とこっちのうどんとどっちがいい?』
「え、あ、え、ええと……」
 作るって約束したのに、帰ってきて早々また出かけるっていう申し訳なさから、オレはすぐには動けなかった。
 そんなオレの前に、手が差し伸べられる。
『ほら、いいから。一緒に行くんだろ』
 一拍置いてからにこっと笑う。
「はい、一緒に行きましょう!」
 伸ばされた手を握り、オレは元気よく立ち上がった。

 ガラガラ、ぴしゃん、かちゃり。
 鍵をかけて、オレらの家を後にする。

 


 

蛇足

『お前を連れてかなくて正解だったよ』
「え、なんすか、お兄さんのとこ?」
『昨夜お前……覚悟しとけよ、お前帰ったら覚悟しとけ』
「え帰ったらなんすか、怖いんスけど!」
 なになに、オレなんかした?
 一生懸命記憶を辿る。
『見境なく跡つけまくりやがって』
 ギロっと睨まれ、それでやっと理解に至った。
 斉木さんの言う跡とはキスマークの事で、昨夜といえばオレ――。
「いやあのね、聞いて下さいよ!」
 必死に弁明する。
 オレの命を救う為に失われた脚がたまらなく愛しくて、それでつい、たくさんキスしてしまった。
 それを今日の定期検査で見つかって、お兄さんに何かしら言われて、うわああ!
『負けた方が秘密を話すって、あいつ、僕の脚見てにやにやしながら延々勝負仕掛けてきて。ほんっとうに鬱陶しかった。当たり前だが、言ってないけどな』
「そそそそれを言うなら斉木さんだって、いつもオレの背中しつこくチュッチュするじゃないっスか!」
『あぁん? お前が生き延びた証がたまらなく愛しいからだよ。嫌なのか?』
「ええー? そういう、別にそういう意味じゃ……嫌なんてぜんぜん……てかお互い同じならいいじゃないスか!」
『いや良くない。本当に、覚悟しとけよ』
 やべえ、今日がオレの命日になるのか!?
「だだだダメっスよ斉木さん、一緒に逝くって……」
『あんな約束するんじゃなかった』
「そんなぁ……」
『……ふん、冗談だ。今日のところは半殺しで勘弁してやる』
「……さいきさぁん!」
 ホッとしたのも束の間、続く物騒な発言にオレはさーっと青ざめた。

 その夜、オレは違う意味で半殺しにされた。
 ま、一緒に仲良く天国いけたから結果オーライだけどね。

 

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