居場所

 

 

 

 

 

 ある日鳥束と一緒にふと立ち寄った雑貨屋で、二人掛けソファーを見つけた。
 落ち着いた色合いで、形も質素ながら魅かれるものがあり、試しに腰かけてみた。小さめだけど座り心地は中々良くて値段も手ごろだったが、今住んでる物件はソファーを置くには少々手狭なので買おうとは思わなかった。
 ちょっと気紛れに座っただけ。そう思い立ち上がったところで、別の売り場をぶらついていた鳥束がやって来た。お、いいっスねと座った鳥束だが、僕と同じように考えを展開させ、欲しいとも買おうとも口にしなかった。
 そもそも、あの物件に住むにあたってどんな家具を置くか二人であれこれと話し合い、その時点でソファーは却下されていた。断念せざるを得なかったというか。鳥束は熱望していた。奴なりに「一緒に暮らすにあたって」というイメージがあって、例えばそれは休日の服装だったり、朝晩の行動だったり、居間や寝室のインテリアだったり。で、ソファーを置く事はかなり上位にあったようだが、先も言ったように広さが十分でないので諦めるしかなかった。
 そんな訳でその日は、しっかりきっちり計測して条件に見合う小さめのカラーボックスを購入して帰った。
 後日、台所で使用するちょっとした隙間家具がないかと立ち寄ったら、まだソファーはあった。鳥束のある種憧れでもあるソファーのある風景…叶えてやりたい気持ちはなくもないので、少々考えたがやっぱり無理だなと切り替え、店を後にした。
 その日の夜、鳥束がメジャーで居間の一角を測っていた。思考は駄々洩れ筒抜けだから、鳥束も僕と同じようにあの雑貨屋に立ち寄り、まだ売れずにいるソファーを見て「もしかしたら」と思ったようだ。
 伸ばしたメジャーの端と端を見つめ、難しい顔で首を傾げる鳥束。
 やれやれ、考える事は同じだな。僕はメジャーを使用しなくても計測出来る、そしてしていた。だから話しかける。
『なあ鳥束』
「ん、なんです?」
 メジャーをしゅるしゅる戻しながら、鳥束は顔を向けてきた。
『もしも明日帰りに寄ってまだあのソファーがあるようなら、縁があるって事で思い切って買うとするか』
「っ……――!」
 すっかり諦めの目付きだった鳥束の瞳が、僕の言葉でぴかーっと光り輝いた。



 そんなわけでソファーを置く事になった。
「思ってたよりずっと部屋にマッチしますね」
『そうだな』
 居間にでんと鎮座するソファーを眺め、鳥束は晴れやかに笑った。
 心の中では正直に、まあちょっとでかくて部屋圧迫してるけど、と思っている。僕もそう思っている。でも気分はいい。実を言うと、雑貨屋に行くまで少しどきどきしていた。もう売れてしまったのでは。違うものに置き換わっているのでは。そんな、諦める未来がちらついて、鳥束のがっかりした顔を見る事になるのではないかと少し不安だった。超能力者だって一喜一憂するし、出来る事なら喜ぶ顔を多く見たいものだ。
 だから、雑貨屋で再会を果たし大喜びする鳥束の素直さの陰で僕もこっそり小躍りした。ソファーが売れずにいたことと、鳥束が喜んだことに。もちろん心の中でだが。

 で、いざ二人で座ってみると肩がぴったりくっつく。というか押し合うというのが正しい表現だろうか。やはり男二人で使うにはいささか小さかったようだ。
 でも鳥束はその近さがいたく気に入り、なにかと二人で座りたがった。僕が立っていると横をぽんぽん叩いて呼ぶし、僕が座っていれば必ず横に並んだ。
 テーブルで課題をやっつけていたって無理して隣で続きをしたり…筆記が辛いだろうに…とにかく、くっつきたがった。
 一緒に座る事がとにかく重要で、別にそうしなくたって話は出来るだろうにその状態でお喋りする事を鳥束は好んだ。
 だから僕も自然と真似るようになった。
 お喋りったって他愛ないものばかりだ。今日はどんなだった、こんなことがあった、誰それがこれこれで盛り上がっていた…取り立てて口に出すようなものじゃないけど、そうやってお互い伝え合って、笑ったり呆れたり驚いたり。
 始めはもちろん言葉は出にくかった。僕にとってその行為は不慣れだから「こんなのわざわざ喋ることもないな」「こんなの聞いてもつまらないだろ」と飲み込んでいたのだが、試しにちょっと口に出したところ、思ってたより鳥束は耳を傾けてくれて、ああじゃないか、こうじゃないかと反応してくれるのが思いの外楽しく感じられ、徐々に口数が増えていった。
 今日は何かありましたか、と聞かれても始めの内は「別に」としか言いようがなかった。それが段々と変化していく。最初は恐る恐る確かめながら。次第に増えて滑らかに変わっていった。
 そんなどーでもいいお喋りを交わす時間が、少しずつ好きになっていった。

 そこから行為になだれ込む事はまあ、半分くらいか。狭いからやるには不向きなんだ、それでな。

 よく触ってはくるのだがな。
 肩とか腕とか。
 特に多いのが太もも。
 自分の膝に手を置くほどの気軽さで、僕の太ももを掴んでくる。
 大体は掴むだけ。揉むのはあんまりないな。
 なんというか、こう、感触を確かめるように軽く力を込めて掴むんだ。
 本人曰く、程よい弾力で落ち着く、何かしっくりくるんですよ、だと。
 触られる方としたらたまったもんじゃない。鬱陶しいだろ、だって。
 テレビ見てるときゅっ。小説読んでいるときゅっ。痛くはないし下品な揉み方でもないのでありといえばあり…いやいや、些細だけど結構気になるものだぞ。

 最初はもちろんすぐにひっぱたいた。
 鬱陶しい、やめろと即座に叩いていたが、何度叩いてもめげないからまあ最近は慣れたというかだいぶ気にならなくなってきてはいる。
 やりたい時は掴むんじゃなく、太もも触ってすぐに股間に移るから、そうじゃないならほっとくか、とこんな感じになった。

 考えるとおかしなものだと思う。
 ソファーを置く前はそんな癖なかったし、というより置いていたテーブルと自分たちの座る位置の関係で、こんな風に近くなるってなかった。
 そう、なかった。なかったな、そういえば。
 そもそもその頃は二人での生活を確立するので手いっぱいだった。ただ一日をつつがなく過ごすのがこんなに大変なことだとは、と、改めて思い知らされる朝から晩までを繰り返していた。
 何が足りないって何もかも足りない、そんな不便を一つずつ解消して、最近ようやくなのだ、余裕が出てきたのは。
 だから、ソファーを置こうかどうしようかという考えが浮かぶようになった。もしもあのソファーを見つけるのがもう少し早かったら、きっと目にも留めなかったことだろう。洗面所に置くのに丁度いいカラーボックスだけさっさと買って、せかせか余裕なく帰っていたに違いない。
 考えると面白いものだと思う。
 座る場所が変わった事で、より濃い時間の共有が生まれた。



 そんな日々を送っていて、ある夜、鳥束が借りてきた映画を見る事になった。
 中を見るとホラー映画が収まっていた。
『お前、怖いの結構苦手だろ』
 幽霊見まくっているくせに、コイツはホラー物が大の苦手だ。
『だからテレビでやるのも極力見ないようにして、レンタルもアクションとかコメディとかにしてるのに』
 なんだって今回に限ってこんなもの借りてきたんだよ。
 鳥束はもじもじしながら目を泳がせた。
「そうなんスけど、ちょ…たまには」
『なんだ、好きなアイドルでも出てるのか?』
「そういうんでもないスけど、あの…だってほら、いつまでも怖がりとかカッコ悪いじゃないっスか」
 つまり克服したいのか。
 別に怖いものは怖いでいいだろ、理屈じゃないんだし、仕方ないだろ。
『それにお前がカッコ悪いのは今に始まった事じゃないから、気にすることもないぞ』
「うるさいっスよ、いいから、今夜でオレは生まれ変わるんスよ!」

 大見得切った鳥束だが、案の定、見ている間はビクビクしっぱなしだった。
 いつもの三倍太もも掴まれた。というか最初から最後まで掴まれっぱなし。で、びっくりシーンでぎゅうっとされる。
 やれやれ、これ僕じゃなかったら翌日青あざ必至だろうな。身体に手形が浮かび上がるとかそっちの方がよっぽどホラーだ、なんて、そんな事を考えて気を紛らす。
 というのも…これは極秘中の極秘だが、実を言うと僕もホラー物はまあまあちょいちょい怖かったりする。
 鳥束の選んだのはとても有名な日本のホラー映画。ぶっちゃけるとリングだ。これまで数えきれないほどネタにさればっちりストーリーも知っているが、それでも引き込まれた。
 ちょいちょいどころではなく怖い。見始めは一歩引いて冷静に見ていたが、進むにつれ頭から全部吹き飛んで引っ張り込まれた。まあ怖いったら。
 ので、鳥束を宥める体を装い掴んでくる手を握ってみたり。
 鳥束はそれにドギマギするわびっくりシーンにドキドキするわで感情大忙しだったようだ。

 僕も僕で内心大忙しだったので、エンドロールに移ったところで速攻部屋の灯りをつけた。
 明るくなったことで気持ちが現実に戻ったようで、隣で鳥束が大きなため息を吐いた。
 まだ、太ももは掴まれたまま。
『克服出来たか?』
「あ…うーん……えへへ」
『ところで、いい加減痛いんだが』
「!…はっあっ、あっ、すんません!」
 鳥束は離そうとするが、僕は離さなかった。
「えっあの斉木さん?」
『まあ嘘だが』
「えっもう」
 笑いながら鳥束は怒ってきた。
「いや…にしても……やっぱ怖かったっスね」
『……うん』
 否定しようとして、僕は無駄な抵抗をやめた。怖かったし、面白かったし怖さはトップクラスだし、素直に称賛する。
「あ、じゃあ斉木さんが手を握ったのって、やっぱり怖かったからっスか」
 ほっとするなよ。しょうがないだろ僕だって苦手なものや怖いものはある。
「でもこれはほんと怖いっスよね」
 むっとした顔をしてみせたら、労わるようにフォローしてきた。それもそれでむかつく。
 だから、普段鳥束にされてるように太ももを掴んでやった。

「!…おわっ!」
 尻を少し浮かせて鳥束は驚いた。構わず、少しもみもみしてみた。
 ん。
 んん。
 ふうん。
 なんというか、あまりない弾力だな、これ。ちょっと面白いぞ。
「ちょ、え…ちょ……やだ斉木さん、揉むならもうちょっと奥の方でしょ――あーすんませんすんません!」
 太ももを掴んだままもう一方の手でグーを構えたら、その動作の前段階で察した鳥束が大慌てで謝って来た。
「やめて、おろして! 顔面へこむから! なくなっちゃうから!」
 両手で顔を庇い必死に許しを請う鳥束。
『デコピンで勘弁してやるから両手下ろそうか』
「いや…ひぃっ……斉木さんお慈悲を」
 涙声で言いつつも、鳥束は素直に手を下ろしぎゅっと目を瞑った。
 全身力んだ様子で少し溜飲が下がったのでグーもデコピンも中止にしたが、目を瞑って嵐が過ぎ去るのを待っている様を見たらなんでかムラっときた。
 自分がよくわからないがきてしまったものは仕方ない。
 しっかり引き結ばれた唇に自分のを重ねる。

「ふんっ!?」
 突然のキスに驚いて目を見開く鳥束。
 ちょっと潤んだすみれ色の瞳が、僕をまっすぐ見てくる。
 一瞬事態が飲み込めず混乱した鳥束だが、理解すると同時に瞬時に欲情し、小さなため息から続けざまに舌を入れてきた。
 最初は僕が好きなようにしたが、今は鳥束に好きにされている。
 でも僕はそれが嫌いではない。
 離れてはまた重ねられる唇に酔いしれ、緩慢に腕を絡めて見悶えると、伸ばした足がすぐ傍のテーブルにぶつかった。
 ごと、と大した音に顔を見合わせ、二人同時に苦笑い。
 鳥束の手に引かれるまま寝室に引っ込み、そのまま夜を明かす。



 好きに振り回したり振り回されたりだけど、生活は概して穏やかだった。もちろん時々は災難も降りかかるし面倒ごとにはうんざりさせられるが、ここにただいまと帰ってきて鳥束がおかえりと返してきて、僕はゆっくり息を吐く。
 今日あった事を伝えたいと思う人間がいるって、ものすごいことなんだな。
 そういった本当に大した事なくて、でも重要なものに鳥束は気付かせてくれた。

 冷蔵庫からコーヒーゼリーを取り出し居間に向かう。
「斉木さーん」
 ソファーに収まり、鳥束が隣をぽんぽんと叩く。そうされなくても座るつもりだったし、鳥束もそれをわかっているけれど、僕たちは相変わらずそんな事をする。
 ん、と喉の奥で応えて、僕は隣に腰かける。すると当然のように鳥束の手がぼくの太ももを掴む。そのまま二人で、土曜日のバラエティ番組を緩く楽しむ。

 ここが僕の特等席。
 鳥束の片手は僕の膝が定位置。
 ここが、僕らの居場所。

 

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