あなたは例外

 

 

 

 

 

 今日最後の授業、その終わりの方、とくれば教室内のみなの思考はほぼ同じで、もうあと何分で解放されると抑えの利かぬ喜びに満ちていた。
 今まで寝ていた者も意識を遠退かせていた者も揃って目を覚まし意識を取り戻し、じっと終わりの時を待ちわびていた。
 実を言うと僕も似たようなもので、終わったら、誰の誘いもお断りしてまっすぐ家に向かう、そして昨日買って半分まで読んだあの小説の続きをじっくり楽しもうと、そんな事ばかりを考えていた。
 そこに、奴からの呼びかけが隣のクラスから飛んでくる。
(斉木さん、昼休みも約束しましたけど、今日お邪魔しますね)
 ああそうだった。確かにそんなような約束をしたのだった。
 となると小説の続きはまた今度か?
 いや意地でも今日読んでやるぞ。
 でも結局邪魔されて読み切れないんだろうな。
(おーい、ねーえ斉木さん)
『真面目に授業を受けろ』
 それがちょっと癪に障ったので、僕は自分を棚に上げて叱責する。
(あ、ちょ、コーヒーゼリー買ってきますから)
 コーヒーゼリー、コーヒーゼリーと一心に念じる鳥束の必死さに、危うく笑ってしまいそうになる。あの野郎、僕がそういつでもコーヒーゼリーに釣られるわけがないだろう。馬鹿だな本当に。
 だがまあ他でもないコーヒーゼリーだし、一度約束したし…にしても昼間の斉木さんはけしからんな、あんな奴とホイホイ約束交わすなんてどうかしてる。
 やれやれ、一緒に帰るか。


 そういった経緯で鳥束をお供に家に帰り着いた僕は、途中で寄ったコンビニで見つけたコーヒーゼリーパフェに早速スプーンを構えた。
 鳥束は、まあ適当にそこらにほっとくか。コンビニで何か買っていたようだし、気にしなくていいな。
 僕は心置きなくコーヒーゼリーパフェに集中した。
 コーヒーゼリーパフェ。ゼリーとムースが幾重にも重なり合い、天辺には惜しげもなくホイップが盛り付けられており、それを囲むようにキューブのコーヒーゼリーが乗っかっている。
 見た目はもちろん味わいも素晴らしいし食感も嫌いじゃない、これ、いいな。
 ゼリーはちょっと苦めで、クリームのすっきりとした甘さとよく合っている。
 コイツは当たりだ。ああ、ずっと、永遠に食べていたい。そうする為の方法はいく通りでも思い付くが、そこをぐっと堪え、儚い美しさを讃える。
 ふう、ごちそうさまでした。
 美味しいコーヒーゼリー、今日もありがとう。
 鳥束にもちょっとだけ。帰宅途中のコンビニではなく国道の向こうに寄ってみようと、なんとなくだが思い付いたお前、でかした。そのお陰でこんな素晴らしい出会いを果たせたからな。

 大変満足し、晴れ晴れとした気持ちで僕は読みかけの小説本を手に取った。挟んでいたしおりを巻末に差し込み、きっと読んだだろうページの頭から文字を追う。
 ああそうやっぱり読んでいたな、そうそう、主人公が友人からの電話で何気ない会話を繰り広げる、そこでのちょっとしたやり取りが事件解決のヒントになる、という場面だったな。
 よしよし…面白くなってきたぞ……。徐々に盛り上がっていく気持ちと共に僕は物語に入り込んでいった。文を追いながら、それから、それから、それからと先へ先へ気持ちが急いていく。
 これだからフィクションはやめられない。
 そんな興奮に、水を差すものがいた。

 うーん
 うーん

 ……っち。
 つい舌打ちしてしまうほど、背後で鳥束がうるさい。
 腹痛とかでうんうん唸っている訳じゃない。
 心の声でわかる。
 宿題に行き詰まって唸っているのでもない。
 そもそもコイツが自主的に宿題に取り組むわけがない。
『おい、さっきからうるさいぞ』
 いい加減無視もつらくなったので、読んでいた小説を閉じ振り返る。
「!…はっ、す、すんません」
 声を出していた自覚はなかったのだろう。心底済まなそうな顔で謝ってくるから、静かにしろと叱りつけるのは止めにして、ちょっとだけ、協力体制に入る。
『何をそんなに悩んでるんだ』
「あの、いえあの……あ、あ、そうね、そっスよね、やっぱり本人に聞くのが一番っスよね」
 すると鳥束はとても嬉しそうにぱあっと顔を輝かせた。
 なんだ、そんな簡単な解決策も思い浮かばないほど思い詰めてたのか。

「いやあ、サプライズは無理としても、「ホワイトデーのお返し何がいいっスか」って直接聞くの、何かアレかな〜って気が引けて」
『引かなくていい』
 むしろ大いに相談しろ。なにせ僕の口に入るスイーツに関する事だからな。お前の作る物に絶対の信頼を置いているが、その中でも特に、ってものはある。
 その旨伝えると、鳥束は今にも泣きそうな顔で喜んだ。
 大げさだな、それはちょっと引くぞ。

 鳥束は、開いたノートを前に頭を抱えうんうん唸っていたのだ。ノートは勉強のそれではなく、鳥束がこれまでコツコツ書き溜めてきたレシピ帳で、その中のどれをご馳走したらホワイトデーに相応しいか決めかねて、血管が切れそうなほど唸っていたのだ。
「オレが作りたいのより斉木さんが食べたいって方が重要っスからね。だからどうぞ、選んでください。あ、字が汚いのはご愛敬なんで、そこは勘弁ってことで」
『ふっどれどれ』
 小さく笑い、僕はノートを受け取った。
 そして、今度は僕が血管切れそうになる番だった。

 ノートには実に様々なスイーツの作り方が書きつけられていた。
 鳥束は変態ゲス坊主の癖して料理の腕は間違いなく、時々面白い失敗をする事もあるけれどコイツの作る味は全然嫌いじゃない。和菓子も洋菓子もそこそこ作れるし、悪くないのだ。
 だからこそ悩む。まさに血管が切れそうなほどに。
 そんな僕を見かねてか、鳥束はそっと話しかけてきた。
「斉木さん、そこに書いてあるもの、何でもいいんですよ」
『……なんでもいいのか?』
「ええ、何でもお作りするっスよ。ひ、ひと、ひと……せめて三つくらいに、絞ってくれれば」
 なんだと、三ついっぺんでもいいのか、なら血管は大丈夫だな。

 僕は何度もページをめくっては戻ってを繰り返し、厳選に厳選を重ねた三つを抜き出した。
 ひと口チョコパイ、ココアサブレ、水まんじゅうの三つだ。
 三つ目について鳥束から若干のあれこれが出てくる。
「いやまあ、何でもいいとは言いましたけど」
 本当にこれでいいんスかと聞いてきた。
 これでいい。
 これがいい。
『作れるだろ?』
「うぇあ、はい、作れます」
『じゃあ何の問題もないだろ』
「そーですけど、いやそーなんですけど、チョイスが、うふふ」
 面白そうに笑うな。自分でも正直ちょっと不思議な感じがしているが、食べたい気持ちが強烈に湧いたんだからしょうがないだろ。
 といったやり取りがありつつ、お互い落ち着いた。

「ああー良かったあ〜、これで斉木さんにお返し出来ます」
 鳥束はそれらに丁寧に付箋を貼り付けると、先月の事を思い浮かべうっとりした表情でノートを抱きしめた。
 先月、一ヶ月前、つまりバレンタインデー。
『という事は、お前も激辛メニューを作ってくるって事か!』
「なんでそーなるんスか!」
 そっちじゃねーよとくわっと目を見開き、鳥束はビシッとばかりにノートを指差した。
「このどれにも、激辛の「ゲ」の字もなかったでしょーが!」
 ふん。ちょっとした戯れだ、そう怒るな。
「うぅ〜、よおし、そんな斉木さんの身も心もとろけるような超絶美味しいスイーツ、お作りしてやるから待ってろっスよー!」
 やたらに熱く宣言してくる鳥束を、僕は冷ややかに見つめ返した。だが面白い、僕に勝負を挑むのだな、よし乗ってやる。

 

 

 

 という事で当日、僕も三種類ほどお返しのスイーツを作った。前回のチョコ作りが思いの外楽しかったので、勝負に便乗して張り切ってみたのだ。
 マシュマロ、マカロン、そしてマフィン。
 好きに作ったら面白い事に「ま」が揃った。特に意味はない。
 お邪魔しますとやって来た鳥束は、恐らく奴が持ってる中で一番綺麗で一番上等な紙袋を片手に提げていた。
 僕がリクエストしたスイーツを何で持ち運ぶか、散々悩んだ末の選択らしい。
 待ちかねたスイーツの到着に堪えきれず、つい凝視してしまった。そのせいで中身が透けて視えたのだが、用意したスイーツはそれぞれ見合う箱に収めリボンなどでラッピングし、さらにそれをまとめてきちっと風呂敷で包んでいるのが、なんとも奴らしく思えて少し笑えた。

 僕んちの玄関を開けるまではとても意気揚々と、はつらつとしていた鳥束だが、迎え出た僕の顔を見た途端空気が変わった。
 渡す際の口上を道々考えてきたようだが、実際その場面になると全て吹っ飛んでしまい、鳥束は真っ赤になって恥じらいもごもごと何やら呟きながら紙袋を差し出してきた。
 しかもなんだ、この期に及んで受け取ってもらえるかという段階から不安炸裂で涙目になってお前、無駄に乙女束を出してくるんじゃない。
 昨日今日付き合ったばかりじゃないし、やる事もやってるし、煮ても焼いても食えぬ仲で犬も猫も避けて通る、そんな間柄でなんでそうなるかな。
『やれやれ、さっさと入れ』
「あの、えと……お邪魔します」
 モジモジするな、気持ち悪いぞ。

 さっさと気持ち切り替えて、今日を楽しむ気分になってもらわないと困る。せっかく作ったのに微妙な雰囲気で空振りなんて悲しいだろ、お互いに。
 部屋へと通す。
 テーブルには、コイツ相手には滅多にないお客様仕様が準備万端で、着席を今か今かと待っていた。
「え、えっ……これは」
『見ての通り、お前あてだ』
 告げている時、鳥束の頭の中に、誰か来客でもあるのか――なんて馬鹿な考えが過っていた。ふざけんな、お前以外誰がいるか。
「ええー……うわあー……」
 僕の手作りと知って鳥束の顔が眩く輝き、そしてすぐに複雑に曇った。主にマシュマロに対してだ。
 一番強かった思考は、ホワイトデーのお返しのマシュマロ=あなたが嫌い、という図式。
 そのフリップがどかんとドアップで映し出された後、猛烈な勢いで思考は転がっていく。
 そもそもの始まりはキャンディーやマシュマロで、マシュマロの白色から「ホワイトデー」という言葉が生まれたぐらいなのにいつの間にか気のない相手に渡すお菓子の代名詞みたいに扱われるようになって、マシュマロが一体何をしたっていうんだ――落ち着け鳥束。
 お前、今日はなんか色々忙しいなおい。
 マシュマロに関する二転三転は僕も大体は知ってる。知っててあえて作った。作れたから作っただけの事でそれ以上の意味はなく、だからお前は安心して受け取れ。
『無駄にヒヤヒヤさせて済まんな』
「ええっ、いえいえ、全然気にしてないっスよ」
『ふうん』
「えへへ…そんなお見通しって顔しないで。ちょっとビビっただけっスから」
『僕も、お前方式を取れば良かったな。食べたいものを聞けばよかった。プレゼントは基本、自分が貰って嬉しいもの、というから、それにのっとって考えたらこうなってしまったんだ』
「そっスか、ははは、確かに斉木さん好きですもんね、甘いの。でも、オレの為に手間暇かけてくれたんだと思うと、全部特別に見えます。ありがたく、いただくっス!」
 うむ、いい心がけだ。

 で、交換してのティータイムに入る。
『うん……全然嫌いじゃない』
 僕はうっとりと天国を味わっていた。
 鳥束も嬉しそうだが、いかんせん僕好みで仕上げたスイーツ、甘いものがそれほど食べられない奴は、一つでギブアップとなった。
 食べる前はキラキラ輝いていた顔が、ひと口飲み込んだところで面白いほど変わる。
『無理するな、食べてもらえただけで充分だからな』
「いや、いや、ちゃんと最後まで……」
 最後まで食べ切りたい気持ちはあるが、こればっかりは無理が効かない、言葉も途切れてしまう。
『本当に無理するな。残った分は僕がちゃんと食べるから』
「でも、……、はい」
 今にも泣きそうな顔で、済まなそうに、鳥束は差し出してきた。
 あまりに思惑通りなので笑ってしまいたいのをぐっと噛み殺し、鳥束の表情に合わせた微笑で応えてスイーツを受け取る。
 マフィンとマカロンはそのまま食べて、マシュマロは、砂糖ちょっとのココアに浮かべてとろけたところを一緒に飲み込む。
 ふふ…至福。
 しかしこういった小細工は結局見破られるのが常というもので、最初は申し訳なさそうにコーヒーを啜っていた鳥束だが、段々と怪しみだした。
 そしてついに。

「……もしかして斉木さん、最初からこのつもりだったんじゃ」
『さて何の事やら』
「そのとぼけ方でバレバレっスよっ!」
 うんそうか、まあ、だよな。
「もー、自分が倍量食べたいからって、手の込んだ事を」
『そっかー、お前、甘いもの好きじゃなかったっけー』
「まーだ続ける……このぉ〜」
『だから僕が好きなんだろ』
「……はへっ?」
 鳩が豆鉄砲を食ったような顔。言葉自体は知っていてもさて「どんな顔?」と大半は疑問に思うところだが、今のコイツを見本画像として乗せれば、百人中百人が納得するだろう見事なびっくり顔だ。
「はー……あ?」
『お前にあんまり甘くないしな』
「あーうん……いえ! 全然そんな事ないっス! 斉木さんは何だかんだオレの事を――あでもね待って待ってー最後まで言わせて! アンタは例外っス!」
 肯定しかけて、すぐに首を振り、かと思うと鳥束はバネ仕掛けの人形かって程の勢いで立ち上がり僕をまっすぐ見据えた。その迫力たるや。超能力者をビビらせるとか、やるじゃないか。
『僕がいつお前に甘くした』
「いつもっス!」
『激辛ばかりだから、ちょっとのことが甘いと勘違いしてるだけだろ』
「んな事ないっス! 今日だって、この後オレやる気満々なんですけど、アンタ全然嫌がらないでいてくれるじゃないっスか!」
 アンタの腹に入っちゃったオレが貰う分だったお返し、取りに行く為に、やる気満々なんスよ!
 さすがにそうズバッと言われると反発したくなるが、どうも僕はこの辺の嘘が下手なようだ。特にコイツにはすぐに見破られてしまうから、無様な姿をさらすよりはと黙したままでいる。
 せめてもの抵抗に睨んでみてもさして効果はなく、絞り出すように「好きです」と言われ、大脳辺縁系がビリビリ痺れた。
「斉木さん……大好きです」
 やれやれまったく、どこの斉木さんだ、こんな奴甘やかすなんてロクなもんじゃないな。

 鳥束が見つめてくるから、僕もじっと見つめ返していた。透けて肉になっても骨になってもお構いなしで見続ける。コイツから流れ込んでくる心の声を聞きながら見続けるのがとにかく気持ち良くて、やめられないでいた。
 と、すっと鳥束の視線が動き、僕の前にある皿に移った。引っ張られるように僕も同じものを見る。
 僕の真横に移動して、鳥束は食べかけの一つを手に取り僕の口に寄せてきた。
 じろりと鳥束の顔を見やる。別に、もう満腹だからとかそういう意味で見た訳じゃない。鳥束だって、そんな心配はみじんもしてない。
 迷惑顔も笑って受け流し、あーんと言ってくる。
 やれやれ。
 僕は素直に口を開いた。

 食べ終わったらやりましょうね。
 オレが食べ切れなかった分を食べた斉木さんを、食べさせて下さい。
 それでチャラにしてあげます。
 甘いもので一杯になった斉木さん、きっとすごく甘いだろうな。
 でも安心してくださいね、アンタは本当に、例外ですから。
 オレがこの世で一番好きな、甘い人。

 やれやれわかったよ、降参だ。
 こうなる事まで計算済みだったよ。想像はしていた。
 面白いくらい予想通りで、面白くない。

 そんなへの字口気分も、鳥束にまたひと口食べさせてもらうと簡単に溶けていく。
 うん…自分で作ったものって、味わいが特別だな。完全に自分好みで、まあ僕は見たままを忠実に描画出来るように料理にしても製菓にしても基本通りお手本通りの面白みのない完璧な仕上がりだけども、それでも「自分で作った」というのはやはり格別なもので、それをそうと感じる部分は普通と変わらないのが、やっぱり嬉しい。
 それから、……どうせお前はこの甘さじゃ食べられないだろうと半笑いだったけども、ちょっとはお前の事も考えて作った。お前への、ちゃんと、その、なんだ、そうだいつもやらかしてくれてありがとうよという気持ちを込めてな。それからあと、先月のチョコレート、悪くなかったっていう気持ちな。
 まあ僕の事はこれくらいでいい。
 お前の作ったものは違った意味で完璧だな。気持ちのこもった味って、こういうものの事を言うのだな。今まで食べたスイーツのどれとも違う別格の甘さ。
 ああ、今日はとても良い日だ。

 僕は甘いものが大好きだからな。
 僕の作った甘いもの、お前のくれた甘いもの、そしてお前。
 順番に味わっていくとするか。

 

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