やっぱりよくない

 

 

 

 

 

「斉木さんっおはよーございますっ」
 うわーオレ、朝から浮かれた声出してんな。
 ほら、声かけられた斉木さんも見事な「迷惑顔」で、笑っちゃうねまったく。
 でもしょーがない、今日ばっかりはこんな浮かれ切って空高く飛んじゃってる声出しちゃうのも仕方ない。
 だってねえ、うふふ、今日はねえ、うふふふ。
 はー、イベント盛りだくさんの日本に生まれて良かったなあ。
 まだ何も貰ってない内から、オレは感謝。
『なあ鳥束』
 来たっ!
 待ってました!

「はいっ」
 どこの誰よりも良い返事をして、オレはピシッと背筋を正して斉木さんに向き合った。
 時刻は朝、通学途中の小路で、ドキドキ鳴る心臓を押さえて斉木さんの挙動を見守る。
 そんなオレを待っていたのは、昼休み弁当交換しよう、という提案だった。
「……へぁっ?」
 念願の品…チョコを渡されるとばかり思っていたので、オレは反応鈍く目を瞬いた。
 なんか、寝起きに話しかけられて上手く聞き取れない時みたいな、ぼんやりした感じ。
 しばらくして、目をパチパチ。それからハッと息を飲む。
 そうか、お弁当箱にちょっと忍ばせて渡してくるっていう、そういうニクイ演出か!
『昼になったら、部室に集合な』
「はい、はい、喜んで!」
 オレは満面の笑みで了承し、弾む足取りで学校に向かった。

 っかー、斉木さん可愛いなあ。昼が楽しみ!
 教室に入り、自分の席に着くやオレは心を昼休みに飛ばした。タカユキとかが挨拶してくるのをほぼ反射で受け流し、ひたすらお昼の斉木さんを妄想する。
 どんなふうに渡してくるのかな……。
 お弁当、どんなかな……。
 フワフワ〜っと浮き上がっていく気持ちが、不意に地上に引き戻される。今日の弁当の中身を思い出したからだ。
 交換するっていうならオレも、そういった趣向で作ったのにな。
 あと斉木さんの好きなおかずいっぱい詰めて、うんと喜べるバレンタイン弁当、お作りしたのに。
 そこだけが非常に残念だ。


「オレの普段の弁当、すんごくてきとーっスよ」
 いよいよお待ちかねの昼休みを迎え、全速力で部室に駆け込んだオレは、やってきた斉木さんに済まなそうに眉尻を下げた。
「きのことか適当に刻んだ具を入れたオムレツもどきと、イモの甘辛煮にあとなんだっけ、そんでご飯はあとがけふりかけ(たらこ)だし」
 あんまり恥ずかしいので逆に開き直って、オレは思い切りよくがばーっと蓋を開いて見せた。ここでモジモジ長引かせると余計恥ずかしくなるしさ。
 斉木さんは弁当の中身をぐるりと確かめると、軽く肩を竦めた。
『別に、上等じゃないか。お前の作るもの嫌いじゃないし』
「うっ…ふーふーふーっ」
『変な笑い方するなよ』
 しょ、しょうがないでしょ、斉木さんに褒められるとか滅多にないんだもの、笑い方がおかしくなっても仕方ないの。
『じゃあ、僕からのな』
 オレの前に弁当の包みが置かれる。それはもうあっさりと。んーまあね、想像はあくまで想像、個人の妄想に過ぎませんてもんだけどさ。
 いいんだ、だってこれが斉木さんだもの。そこも好きだもの。
 だからオレは簡単に高揚する。
 荒ぶる呼吸、高鳴る心臓、やべぇ気をつけないと昇天しそう。

 数回深呼吸してから、オレは丁寧に包みをほどき蓋に手をかけた。
 さーあ、出でよチョコレート!
 と思ったら、現れたのはシュウマイ弁当。おかずの方にシュウマイが四つぎゅっと詰められ、ご飯は真ん中に梅干一つの日の丸と、なんだかちょっと微笑んじゃう。
 でもこれ、どう見てもシュウマイだねえ。
 はっ、まさか実はそう見えるチョコレート細工!?
『なわけあるか』
「……えっ、だって、だって!」
 オレは大急ぎでチョコを取り出した。
「今日はだって……え?」
『そうだな。友人や恋人、家族に、おもにチョコに添えて感謝の気持ちを伝える日だな』
「ええーそうよっ、待ちに待ったバレンタインデー! で、え、これは?」
『シュウマイ弁当だ』
「ああー、……え?」

『まあ聞け。ちゃんとチョコは作った』
「作っ…た……!」
 じーん!
『全部で八つ、作ったんだ』
 あぁ…神様仏様楠雄様!
『でもな、味見で一個食べたらな、そのな』
 オレは今日という日を忘れない(笑)
「あー……みなまで言うな…っす」
 一個食べたら止まらなくなって、って続くんでしょ。
 心底がっかりだけど、なんだけど、斉木さんならそうなってもしょうがないよなって、笑って許す気分でもある。

 で、渡せないチョコの詫びとしてシュウマイ弁当を作ってきたというわけっスね。
 うーん……くくくくっ
 オレは腹を抱えて笑った。
 ひいひい大笑いして、ようやくお昼にする。

「まあー…チョコは残念っちゃ残念ですけど、でも、気持ちを込めて作ってくれたこのシュウマイ、オレには同じくらい貴重で有難いっス」
 口先だけじゃないっスよ、本当に感謝です。
 オレは深々と頭を下げた。
『そうか、よかった』
 よかったと言う割に、どことなく歯切れの悪い笑顔。
 んもー、そんな顔しないで、ちゃんと気持ち伝わってますから。
 斉木さんが食べたんなら何の問題もないっス。もしこれで他の誰かにくれてたりしたら…家族以外は絶対許さん!

「あでも!」
 思い付くと同時にオレは斉木さんに抱き着いた。そしてすかさずキスをする。
『なんだ!』
 目を開けたまんまなので、間近の怒り顔がよく見えた。ひぇっ怖いと震え上がるが、オレはまだ口を離さなかった。
 チューっと、チューっと熱烈なキスを続ける。
 いい加減しびれを切らした斉木さんに押しやられるまで、オレはぎゅうぎゅうに押し付けた。けどそれももう終わり。ちぇっ、もうちょっと味わってたかったのに。
『なにを』
「何をって、せめて名残だけでも味わえないかと」
『はあ?』
「だって、その口でオレへのチョコ全部「味見」したわけでしょ、ほんのちょっぴりでも、手作りの味が感じられないかなあって」
 説明すると、斉木さんは片手で顔を覆った。はーっと息を吐きながら、やれやれだと顔を左右する。
『お前な……で、何かあったか?』
「ん−、斉木さんの愛情がありました!」
 あきれ果てたって顔で目玉をぐるり。

 改めてオレたちは席に着いた。
『まあ聞け鳥束。そのシュウマイは、正真正銘僕の手作りだ』
「ぅえっ!」
『感謝を伝える日にちなんで、お前への気持ちをしっかり込めて作ったぞ』
「っいただきます!」
 オレはすぐさま箸を取りシュウマイにかぶりついた。
 直後――!
「ごぉあっげふっ!」
 猛烈な刺激が口の中を走り、涙がボロボロボローっと溢れた。
「げふぁっ……、!?……がはっ!?」
 一体何が起こったと言うのか。
 それでもシュウマイを吐き出さなかったオレ、偉い!
 にしてもなんだよ、なんなんだよ、まるでシュウマイの中に和がらし一杯詰めたみたいなこの痛みとからさなんなんだ!
 オレは泣きながら斉木さんを見やった。涙でぼやけてよく見えないが、なんとなく、笑ってるような気がした。
「げほっげほっ、な……なにこれ?」
『言っただろ、お前への感謝を気持ちを、しっかり込めたって』
 ええ言いましたね。
 まさかこれが、斉木さんのオレへの気持ち?

 どこか楽しげだった笑顔がどす黒いものへと移り変わるのを、はっきりと目にする。
 あーその顔、前に見た事あるぞ。
 そうあれはたしか、オレが断食修行してる時に…そうだ、空腹に耐えかねるオレの目の前でホッカホカの肉まんにかじりついた時の顔!
 え、てことは――!
「……さいきさん」
 情けないほど声が震える。
『別に、からしなんて一切使ってないただし、催眠でそう感じるようにはした』
「さいきさん……」
『懲りずに色々やらかしてくれるお前への感謝の気持ち、たっぷり込めたからな。しっかり受け取れよ』
 斉木さんは箸でシュウマイを一つ摘まむと、オレの口に近付けた。
『そら、あーん』
「うわーんっ!」
 未だかつてこんなに嬉しくない「あーん」があっただろうか。
 絶対口を開けたくないって思うのに、身体は正直、斉木さんからの「あーん」に反応してぱかーっと綺麗に開きやがる。
 やだよー、こんなにボロ泣きしてんのに、涙止まらないのに、なんでオレ口開けてんの?
 そして来る地獄の苦しみに、オレは悶絶する。
『いい食べっぷりだな鳥束』
「ひえぇっ…げほっ!」
『まだあと二つあるからな、じっくり味わってくれ』
 もー、嫌って程味わってますよ!

 はあ、なんて日だまったく。
 バレンタインデーなんてー!



 嫌いだー、と単純に言えないのが難しいところね。
 下宿先に帰り、自分の部屋に入ったオレは、まだどっかジンジン腫れてるような口周りをさすりつつ、ニヘニヘと顔をたるませた。
 だってね、確かに最悪災難な昼休みだったけど、それをひっくり返す良い事もあったんだよ。
 思い出すと心がほっこりしてニヤニヤへらへらしてきちゃう。
 なにかっていうとね、斉木さんがオレのあげたチョコ食べて、美味いなって目を輝かせてくれたの!
 机に倒れてシクシク泣くオレの頭を、でかしたって撫でてくれたの。
 チョコにうっとり酔いしれながら。
 ね、悪い事ばっかでもないでしょ。
 散々な思いしたけど、斉木さんのあのお顔に出会えただけで、この先も生きていけるよ。
 ちょっと泣けて、大いに喜んだ今年のバレンタインデー…おおむねよし!

 といった感じでほんわかあったかい時間を過ごしていると、和尚さんにお使いを頼まれた。
 へいへいと渋い返事をしつつ鞄から財布を取り出そうと開けたところで、見慣れない白い箱が目に入った。
「なんだこれ」
 と思うと同時に、ピーンとくる。
 ある人の顔しか浮かばなかった。他の誰も思い浮かばなかった。
 だってこんな、今日という日にこんな包装もしてないシンプルな箱を、こっそり忍ばせるなんて、アンタしかいないでしょ。
「……斉木さん」
 なんだよー、なんだよなんだよ、なんだよー、たまにこういう可愛いことしてくるんだからもー!
 オレは急激に速まった鼓動を耳の側で聞きながら、白い箱を取り出した。

 そういや。そういやさ。
 みなまで言うなって止めちゃったからだけど、斉木さんはひと言も『全部食べた』とは言ってないんだよね。
 オレが勝手に「全部食べちゃった」って決め付けただけなんだよね。
 やられたよ、ははは。
 まったく、斉木さんったら。
 激辛シュウマイだけじゃなく、ちゃんとチョコくれて!…じーん…くれてんじゃん。
 オレはしばし感激に打ち震えた。
「はっ……!」
 いや待てよ、これもあのシュウマイと同じく爆弾が仕込まれてるかもしれない。
 オレはそーっと箱を開け、目にした途端ばっと閉じた。
 今見えたのは…現実か?
 もう一度慎重に蓋を取った。

 四つに仕切られた中に、丸いチョコが一つずつ。
 全部姿が違っていて、チョコだけの丸いの、ココアパウダーが振りかけられた丸いの、白チョコを細くジグザグに絞って飾った丸いの、てっぺんに金粉がチラチラっとのった丸いの。
「なんだよこれ……」
 面白いほど声が震えていた。
 だってとんでもない衝撃受けてるもの。
 これが手作りだって?
 これさ、どっか有名なブランドチョコの詰め合わせじゃないの?
 それくらい完成度が高い、すごい。
 超能力者って本当にすごい。
 もどかしいけど、何かもう「すごい」しか出てこない。

 ふと、蓋の裏に目がいった。何やら文字が書き付けられている。
 なになに…――感謝の気持ちだ、味わって食べろ…うふっうふふふっ。
「さいきさん……」
 こんなに完成度の高い「爆弾」を作るなんて、超能力者パネェわマジで。
「はー……」
 ため息一つ、それからオレは覚悟を決めて、チョコだけの丸いのをがぶりとかじった。
 だってこれ斉木さんの気持ちの塊だもん、どんなに辛くても苦くても激甘でも、最後まで味わうのが恋人の務めってもんだ。
 が――
「……うまいっ!」
 感激のあまり涙がこみ上げるほど、そのチョコは程よい苦味と甘さが混じりあって、染みるように美味しかった。
 オレは夢中で一つ目を味わった。こんなガツガツしてはすぐなくなってしまうそんなのもったいないって気持ちはあるのに、食べたい衝動が止められなかった。

「はぁー……」
 食べ終わり、夢見心地でため息を吐く。
 こんなに美味しいチョコ、オレ、知らない。
 初めて食べた。
 完全にやられた、負けました。
 昼間みたいにボロ泣きしてる。涙が止まんないのよ。でも、昼間みたいに激辛の反射で涙が止まらないんじゃなくて、感激して涙が止まらないの。
「さいきさんだいしゅき……うぐっ」
 あーあ、しゃくり上げるほど泣いてるよ、オレカッコわりー。
 でもまだしばらくは止まりそうもないな。
 斉木さんの指示通り味わって食べた「感謝の気持ち」があんまり嬉しくて、身体中の水分持ってかれそうだ。

 あの人なー…ほんとになー…オレを泣かせるの大好きだよな。
 勝手に泣いてるだけって説もあるけど違うよ、狙いすましたかのようにオレの懐飛び込んで、一番いいタイミングで攻撃してくるんだもの、防ぎようがないじゃん。
 幸せ過ぎて泣いちゃうじゃん。

 斉木さん、ありがとう、感謝の気持ちしかと受け取ったっスよ。
 やらかしてばっか、困らせてばっかなのに、オレと居てくれてありがとう。
 なんて幸せ者なんだろうオレは。
 美しいチョコを前にくねくね、くねくね喜んでいると、まだいたのかって和尚さんが言ってきた。
 やっべ、お使いだった。
「はいはいすぐ行きますよ〜」
 オレは大急ぎで涙を拭うと、買い物バッグに財布を突っ込み寺を飛び出した。
 行先はもちろん、斉木さんちだ。お使いなんて後回しっスよ当然だ。

 オレは全力で走り続けた。受け取った気持ちは三倍、五倍、いや十倍にしてお返ししなきゃ気が済まない。
 もちろんホワイトデーはたっぷり弾みますけど、それとは別に今すぐ返したい。
 オレが今どんなに幸せか、今すぐ知ってもらいたいから走り続ける。

 すぐに着きますから待ってて下さいね、斉木さん!

 

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