初夢初笑い初おっふ

 

 

 

 

 

「そういや斉木さんて、年末年始はどんなふうに過ごしてるんスか?」
 昼休み、学食で、オレはサバの味噌煮定食を、斉木さんは唐揚げ定食を頼み、中庭が望める窓際で向かい合って食事の途中、ふっと浮かんだ疑問をぶつけてみた。
 十二月に入ったばかり、数日もしたら期末ナントカというのが始まるようだがオレは端っこの常連として何もしないのが正解、まあそれはそれとして、斉木さんの年越し風景だ。
 超能力者は果たしてどんなふうに年末年始を過ごすのか、むくむくと湧いた好奇心を素直に口に出す。

 すると斉木さんの顔がわずかに険しくなるから、え、この質問てしちゃいけない内容だったかとオレは慌てて口を噤んだ。
『別にそういうわけじゃない。ただ、そういやもうそんな時期かと、ちょっと頭が痛くなっただけだ』
「え大丈夫スか、なんスか、そんな何かひどい記憶があるとかスか?」
 答えはなかったが、見るからにへの字口になったのを目にしたら誰でも「ああ……」ってなるだろう。
 オレは気を回し、そこで話題を切り替えることにした。
 じゃあさっきまで話してた□組の可愛い女子ランキングンの続きでも、と思った時、斉木さんが呟いた。
「いや……そうか」
 そして、新年の福袋買いに行くから付き合え、と誘ってきた。
「ええー、行きます行きます!」
 どこでもどこまでもお供しますよ、それでどこの服屋に?
 オレは飛び上がらんばかりに喜んだ。
『違う、ゲームショップだ』
「ああうんうん……でもーあの、オレ年末年始ちょーっと忙しいんで、寺生まれなんでねへへへ、二日になっちゃうんですけど」
『それでもいい。約束したからな』
「はいもちろん、二日、絶対行きましょうね。あ、なんなら先に並びますよ」
『それもいい』
「えへ、じゃあ一緒に行きましょ、うへへ」
『気持ち悪いぞ』
 さーせ…すみません、でもでもだって年明けすぐから会えるなんてさ、デート出来るなんてさ、嬉しくて舞い上がって気持ち悪くもなっちゃいますよ。
「じゃあじゃあ、お出かけの時間とか待ち合わせ場所とか決まったら連絡下さいね」
 小さく頷く斉木さん、大きく頷くオレ。
 さっきと今とで味がガラリと変わったサバ味噌を口に運びながら、ニコニコで斉木さんを見つめる。

 

 

 

 それから、期末ナンタラをいつも通りやり過ごし、学校では補習だ冬期講習だと忙しなく、寺では年越しのナンタラで忙しなく、気付けば大晦日になっていた。
 あー…斉木さんから連絡なかったなあ。
 いつ来るんだろ。
 年が明けてからかなあ。
 そんな事を考えながら用を足し、手洗い場の鏡で身なりを確認していると「そろそろ行くぞー」と表から声がかけられる。
「はーい」
 じゃーそろそろ行きますか。
 鏡の中の自分にハッパをかける。
 大晦日の寺、ヤバいほど忙しい。春に秋にお彼岸、節分、七夕…一年通して色々、行事は様々あれど、やっぱりこの年越しが一番目が回る。
 オレは早足で部屋に向かい、忘れていた防寒具を持って出ようとした。
 確か押し入れの下段にあったよな。
 前のめり気味にがらりと部屋の戸を開けて、オレはびっくり仰天した。
「すあっ……!」
 喉からひゃっくりみたいな音が出たけどしょうがない。だって、オレのベッドで優雅に寝てる斉木さんがいるんだもの、そりゃたまげるってもんでしょ。
 さっきまでいなかった人がいたら、きっと誰だってひっくり返りそうになるわ。
「な……なにしてんすかー!」
『何って、福袋買いに行く約束しただろ』
 肘で頭を支え、のんびりテレビを見ながら斉木さんは答えた。
「え、ええっ、……え?」
 一方オレは大混乱だ。
「ええええっとえっと、ふ、二日でしたよね?」

 オレなんか聞き間違えしましたか?
 それとも今日って二日でしたっけ?
 オレいつの間にか二日に来てる?
 というか今日行く約束だった?

 息をするだけで精一杯の中、必死に頭の中をかき回す。
『いや。二日で合ってる』
 二日まで厄介になるぞ
「えっはいっそ、そりゃいいっスけど、あのですね、オレ本当の本当に忙しいんで……全然お構いできませんよ?」
『いい。むしろ構うな、仕事してろ』
 しっしっと追っ払うような仕草にオレはちょっと唇を突き出した。
 なんだい、斉木さん、構われなくっても寂しくならないんスか。
 オレは構えないなんてすっごくすっごく寂しいのに。
 どたどたと斉木さんの側に歩み寄って、下唇を突き出したまま斉木さんの服の裾を掴む。
 斉木さんはチラとも目を向けず、人差し指をくいっとやって押入れを開くと、オレが忘れていた防寒具…襟巻を念力で引き寄せた。
 なんでわかったんだ、なんて驚きは特になく、あーはいはい…これ巻いてとっとと行けって言うんでしょという不満が湧く。
 ちょっとふてくされた気分でオレは襟巻を引っ掴み、乱暴にグルグル巻き始めた。
 はーあ…これから地獄のような一日が始まるってのに、こんな始まり方なんてあんまりだ。

『ここには、避難する為に来た』
「……へ?」
『僕は、ただ静かに年越ししたいだけなんだ。でもいつも何だかんだ叶わないから、ここに来た』
 オレは聞きながら、今夜は斉木さんの求める静かさとは程遠い環境だぞ、なんてことを思った。なんせ、一年分の訪問者がまとめてどっと押し寄せるのが今日の大晦日、斉木さんの嫌いな大勢の人間の心の声が、どっと押し寄せる事間違いなしで、とてもじゃないけど落ち着ける環境じゃないだろうって、心配すら湧いてきた。
 しかもあれよ、結構明け透けな願望や何やらが渦巻いてるだろうし、全然静かにならない場所だけど、……斉木さんならそんなのわかってた事だろうにそれでもオレんトコ来てくれたのはオレと一緒なら少しは和らぐとか顔見るだけで元気が出るとかそういう気持ちが少しはあったりするんかな!
 そんな期待を込めて斉木さんの顔をじっと見つめるが、目線はテレビに釘付けでぴくりとも動かなかった。でも、口が嫌そうにへの字になっていた。
 ただそれだけで『違う』と否定はなかったが、違うなら即座に違うって切り捨てるのが斉木さん、それを言わないって事は、あの不機嫌丸出しのお顔は、オレの予想が的中している何よりの証拠!
「はあぁっ……!」
 うわーいやばーい、キスしたいもう今すぐキスしたい。
 衝動の赴くままがばっといくが、同時にオレを呼ぶ声が廊下の向こうから聞こえてきた。
「うっぐ……はーい!」
 涙を堪え、オレはまた後でと部屋を出た。

 

 一度表に出たら、あっちに駆けてこっちに駆けて息つく暇もなく追い立てられる。普段の静けさ、人のなさが嘘のように人でごった返す中、オレは次から次へ用事をこなし駆けずり回った。
 やって来た皆々様の、えーなんだ、安全だとか無病息災だとか恋愛成就だとかの願いをどうこうするお手伝いで大わらわ。
 そんな忙しい合間を縫って、ちょっとの隙を突いて、オレは何度か斉木さんの様子を見に部屋に向かった。

 テレビを見てた。
 家から持ってきたというミカンが、テーブルの中央に綺麗に積まれていた。てっぺんがないのは斉木さんが今食べてるから。
『ん』
 お前も一個食べろという意味で丸々一つ差し出されるが、ああごめんなさい、そこまでの暇はないんです。
 とほほと嘆くオレ目がけて、ミカンがひと房飛んで来た。
 ちょ、危ない!
 ていうのと、
 あ、これあーんじゃん!
 ていうのが入り交じり、オレはがばっと口を開けた。
 すぽっと収まる冬の橙は、甘くて冷たくておいしーい!
 オレは感極まって斉木さんに抱き着きチューした。
 食べる暇はなくってもチューする暇はあるんだよね。

 次見に行くと寝ていた。
 ベッドの上で、肩までしっかり毛布かけて、仰向けにすやすや寝てらした。
 寒空の下足を棒にして駆け回ってるってのに、この人ったらのんきに…くそうああもう愛しいな!
 オレは感極まって斉木さんに覆いかぶさりチューした。
 足は棒みたいだけど心は柔らかポッカポカ。

 次行くといなかった。
 テーブルのミカン積みはちょっと減ってて、ベッドの布団は綺麗に整えられてた。
 居た気配はあるけど、今は居ない。
 今はいない。
 え、帰っちゃった…と膝から力が抜けそうに呆然としていると、トイレ行ってたと背後からぬうっと現れた。
 思わず抱きしめてチューした。

『お前、さっきからなんだまったく』
「えーなにって、、いつもみたいにお構い出来ない分、まとめて構ってあげてるんです」
『構うなって言っただろ』
「やですー構いますー」
『やれやれ、煩悩払いしてこい』
 ふ、ふんだ、あんなもんでオレのこの気持ちが追い払えかっつの。
 寺生まれにして、十六年熟成してきたこの煩悩、甘く見ないでほしいですね。
 ドヤ顔で見つめていると、文字通り蹴り出された。
 いてぇしひでぇ。
 それが恋人にする仕打ちかと、閉じられた戸の向こうに睨みを利かせる。
 けどすぐに緩んじゃうのは、惚れた弱みなんだか何なんだか。

 思えば斉木さんに対する「好き」って、今まであの子やこの子に抱いてきた「好き」とまるで性質が違うなって思う。
 今までは気楽で単純でフワフワ楽しいものだったけど、斉木さんを好きになってから冗談抜きで吐きそうにえぐい事になったりもした。
 ちょっと口じゃ言えないような、恐ろしくて震え上がる想いを抱いた事もあった。
 でもそれ全部ひっくるめて好きなんだと自覚して、今に至る。

 

 いよいよ年越しカウントダウンが始まる。
 除夜の鐘は寺によって様々で、色々細かかったり大らかだったり。
 オレの厄介になってるここでは、年を跨いで除夜の鐘を打つ。大晦日でいくつ、新年になってからいくつ、といった回数にはこれといって制限はなく、始まりの時間だけが決まっている。
 そんでオレは鐘撞き番、の補助。
 やってきた鐘撞きしたい参拝客に、撞く前後の作法を案内したり列整理したりまあ雑用だね。

 家族に夫婦、女子グループやカップルなど様々な希望者たち。みんなそわそわして興奮気味だ。老若男女、みな等しく遊園地の名物アトラクションを待ちわびる子供のようで、それでいて全然雰囲気が違う。
 正直面白い顔だと思う。
 おかしいってんじゃなく、なんだろうな、うーん…人間だって感じかな。

 オレはこれまで、生きた人間より幽霊たちと接してる時間のが長かった。彼らの穏やかな顔を見る時間の方が長いから、たまーにこうして数えきれないほどの欲望抱えた生身の人間の、作る顔に、色んな事を思ってしまう。
 考えて思って、そんで浮かんでくるのは斉木さん。いつも斉木さんに行き着く。
 あの人、とんでもなく人間離れしてるけど、その癖とんでもなく人間臭い。
 全然普通じゃないんだあの人。
 それでいて普通。
 軽く人間の域を超えてるのに人間に縛られててさ、そこがかわいくて、とんでもなく愛おしい。

 愛おしくて、好きで好きでたまらなくなった今、何で初めの頃のオレはあんなに斉木さん嫌ってたのか全然思い出せない。
 そう、面白い事に…って面白がるのもなんだけど面白い事に、斉木さんに会って間もない頃は言ったらアレだけど世界で一番嫌いってくらい嫌ってた。
 何が、どこがって全然思い出せないんだけど、嫌ってた事はよく覚えてるんだ。
 まあ単にバカだったんだろうね。オレ。
 バカだから、それでどうして斉木さんを好きになったのかも経緯が思い出せないの。
 けど、そうなる運命だったんだって、運命なんて言葉が一番しっくりくるくらい、ビタっとハマる感じでこの世で一番大切な人になった。

 まあでもなったらなったで大変よ。
 オレはこんなに斉木さん大好きだけど、斉木さんがオレを好きになる状況ってのが全然想像つかなくてね。
 ここでさっきのフワフワした好きに戻るんだけど、甘いばっかりのフワフワ〜っとした「好き」とは程遠い感情に振り回される事になるのよ。
 それまで、曖昧にだって想像した事もないこの世の終わり、つまりオレ自身の終わりをやけに詳しく具体的に思い浮かべたりしてさ、もう、そうするしかないんじゃってくらい追い詰められたりしたんだよ。
 そんくらいつらかったんだ。

 で、実際に廃ビルの屋上に立ってみた事もあった。
 ポーズとかじゃなく本気度はかなり高くって、人生で一番ギリギリに立った気がする。
 特に何か考えることもなくて、長い事ぼーっとしたまま突っ立って、結局そっから飛ぶのはやめた。
 やめにして帰ろうと思って振り返ると、階段口に斉木さんが立ってて、オレは驚きのあまり言葉も出せなくてただ見てた。
 斉木さんはオレの行動になんか云うこともなく。帰るぞって感じに背中を向けて歩き出したんで、オレも慌てて肩を並べて歩き出したんだ。
 歩き出した。一緒に。
 そんな始まりだった。

 

 斉木さん何してっかな。紅白観て盛り上がってるのかな。
 鐘は今いくつめだっけ。
 あー、顔見たい。チューしたい!
 なんでオレこんなとこ立ってんだ、何やってるんだ。
 煩悩払いの鐘なんてくそくらえだ!

 とか罰当たりなこと思ってたら、なんと目の前に斉木さんが現れた!
「っ……!」
 息が止まるほどびっくりした。
 半分くらい心臓飛び出たよ。
 てか、え、なんで誰も驚かないの?
 いきなり現れたのに誰も気に留めないまるで気付いてない、ということはつまり――。
 透明化か!
 なんだよ、雑用に追われてるオレを笑いに来たのかこの人は。
 まだドキドキを引きずる心臓を宥めつつ列を誘導していると、なんと斉木さん、どんどんオレに近付いてくるではないか。
 空中からふわ〜っとオレの前に舞い降りて何する…ってこれあれ、キスする!?
 するの?
 するねえ、キスするねえ!
 え、ちょ、え、ちょ!
 触れたら透明化解除しちゃうんすよね!
 こんな大勢の前で、そんな!
 それはさすがにまずいんじゃないのと思いつつ、内心にやにや喜んじゃうのがオレだけど、こんなチキンレースみたいなのは勘弁だよ斉木さん。
 周りの人間に不審に思われない範囲でじりじり後退するが、斉木さんは気にせずオレに急接近――と思ったらすり抜けた。
 あ、幽体離脱か。
 ――あけましておめでとう
 脱力して安堵するオレを面白そうに笑って、部屋の方に戻っていく斉木さん。
 あ、あけ……明けたのか。
 お…おめでとうございます
 今年もよろしくお願いします
 オレはぽかんと見送っていた。しばらくしてはっと我に返り、かーっと全身が熱くなる。
 くう〜あのイタズラ坊主め、てか年越しキスとかにくい事してくれちゃってからに、戻ったら今の十倍チューしてやるっスからね!

 と思ったけど、いざ部屋に戻れた時はもうくたくたのグダグダで、とりあえず寝たいって気持ちばかりでそれどこじゃなかった。
 ぼーっと部屋に戻り、ぼーっとしたままベッドに頭から突っ込んだ。
 あー…寝る、すぐ寝るわこれ。
「もーだめだ……」
 誰かが言ってる。あ、オレか。
 頭が朦朧としてる。
 ははは笑えるね。

 あ…誰か布団かけてくれてる。
 ありがたい。
 斉木さんだったら嬉しいなあ。
「さいきさんだ……」
 気を失うようにして眠りに落ちる寸前、斉木さんの顔が見えた。
 顔がどこまでも緩んだ。
 いや多分これ夢だわ。
 こんな都合のいいモン夢以外考えられない。
 だって、あの斉木さんがオレに布団かけてくれて、オレの頭優しく撫でて、キスまでしてくれるなんて!
 夢でもいいや。
 さいきさんだいすきー
 オレの顔は、気持ちは、どこまでもとろけていった。

 夢だから、唐突に場面が切り替わるのもありがちだよね。
 今の状況なんだこれ、夢ってすげえなおい、オレ、斉木さんの上で腰振ってるよ。
 お互い素っ裸で、斉木さんはオレの下であんあん可愛く喘いでて、オレは溜まりに溜まった欲望を果たすべく力の限り斉木さんを抱いた。
 触れた肌の感触とか、押し付けた唇の柔らかさとか、いった時の「あー出したー」って実感とか、一個一個が夢とは思えないほど生々しいな。
 とにかく気持ち良くて、オレは飽きもせず斉木さんと繋がっていた。
 そんな幸せな夢も、空腹によって現実に引き戻されるのだけど。

 

「……はっ!」
 オレはぱっちりと目を開けた。
 あーだるい…腹が減って腹が減ってもう死にそう!
『というわりに元気よく起き上がるんだな』
「ヴぁっ!」
 斉木さん?
 驚きのあまり汚い叫びを上げ、オレは仰け反った。
 弾みで壁にゴチっと頭ぶつけた。
「いって……なんだこれ」
 オレは状況が飲み込めず、斉木さんを凝視する。
 なんだこれって、ああなんだ、ああそうだ、うちに泊りに来てるんだっけ。斉木さんがいるのはおかしい事じゃないんだっけ。
 疲れと寝起きとで頭が混乱してるようだった。
「すんません……ええと」
 オレは顔面をぎゅうぎゅう揉みながら、これまでの事を思い出そうとした。
 ええと、大晦日から斉木さんが泊まりに来てて、オレは寺の仕事で大わらわで――。
「ああ、全然構えなくってごめんなさい……っ!」
 ぐう〜
 段々と思い出してきた経緯、後悔、それらを詫びた瞬間、オレの腹が盛大に鳴った。

「……聞こえた?」
『胃の動きまでばっちりだ』
「うわあー……斉木さんのエッチ」
『殴るぞこの野郎』
 すんません、でもでも。
 意に反して熱を帯びていくオレの顔面。慌てて両手で隠し、もじもじと小さくなる。
『やめろ気持ち悪い』
 でかい図体してる癖にって、そんなひどい。
「だってぇ」
『そんな事より、そら、こっち来て食べろ』
「……へ?」
 オレは恐る恐る手をどけた。

「うわあー、美味そう!」
 テーブルに置かれた丼、雑煮に、オレは歓声を上げた。
 ほかほか湯気が立ってて盛り付けも綺麗で…ああもう見てるだけでよだれは出るし腹は鳴るしで大忙しだ。
 オレはばさっと毛布を跳ねのけテーブルの前に正座した。そして、雑煮と斉木さんの顔と交互に見やる。
「え、え、なんスかこれ、え、食べていいんスか?」
『ああ』
 なんでも、斉木さんママさんからの差し入れだそうで、オレが起きるのを見計らって斉木さんがあっため直してくれたんだそうな。
 じーん
 なんてありがたい話だろうね。頑張った甲斐があるってもんだ。報われるって嬉しいものだね。
「わーもー本当に! 嬉しい、あー……いい匂い!」
 オレは器に顔を近付け、胸一杯に吸い込んだ。だしの良い匂いが胃袋に染みて、冗談抜きで泣きそうだ。
 ちょっとばかり涙ぐんで見つめていると、そんなオレを見て笑っている斉木さんが視界の端に映った。
「えっへへ……だって。確かに握り飯とか食べましたけどちょっとの隙間に詰め込むだけだし、あんなの、食べたんだか食べてないんだかって感じでしたし」
『知ってる。大体視てたからな』
「あーですよねー……ほんと、毎年あんな感じなんスよ」
 オレは口の端っこを大げさなほどひん曲げた。
『大変だったな』
「へへ、うーん…でも、斉木さんの顔見たら吹っ飛んじゃいましたよ。その上こんな、美味そうなご馳走まで!」
 いただきます
 もう我慢出来ず、オレは箸を手に取った。斉木さんも隣で同じく手を合わせた。
 まずは汁をひとくち……ああうまいっ、美味い。染み渡る。
 言葉もなく、オレは深く深く感動した。

 二つ入っていた餅の片方を食べて少し胃が落ち着いたところで、オレは口を開いた。
「斉木さんは、ちゃんと食べてましたか?」
『ああ。ちょくちょく帰って、それなりに』
「良かった。ね、退屈してませんでした?」
『あっちこっち追われてるお前視てたからな、全然退屈しなかったぞ』
「うぐ、いい趣味だこと……」
 じとっと睨むと、わざとらしく目を逸らし斉木さんはにやりと笑った。
「……はっ、そういやアンタ、さっきはよくもイタズラしてくれたっスね!」
『さて何の事やら』
「なにをすっとぼけて……除夜の鐘、ついてる時っスよ!」
 オレ、本当に慌てたんスからね。
 ギリギリと睨み付けるが、斉木さんは知らんぷり続行してる。

「あそーだ、オレね、いい夢見たんスよ。すっげーいいゆめー!」
 ね、ね、聞きたいっスか?
 すると斉木さんは逸らした目を天井に向け、呆れ果てた顔でため息を吐いた。どうやらオレの心の声で、大体の内容を掴んだようだ。
 構わずオレはニヤニヤしながら話して聞かせた。
「斉木さんとここでやりまくってる夢っスよー。え、予想通り? んまー、それがオレっスからねえ!」
 だらしなく顔をたるませる。
 一旦引き締めて里芋をひと口にほぐして頬張り、もぐもぐごくんしてから再びたるませる。
「最高じゃないっスかこれ、これが初夢とかオレ最高でしょ」
『やれやれ……』
「もおー、斉木さんてばオレに愛されちゃってからにー」
 調子に乗って、オレは斉木さんの肩を軽く叩く。嫌そうに顔を歪める斉木さん。でもオレは全然堪えない。
 けど、あれ?
 斉木さんの肩に触った時、なんかビリビリっときたぞ。くるものがあったぞ。
「え……」
 まさか。
 オレは自分の手をまじまじと見つめた。
 もしや?
『あんだけやりまくっておいて、夢で片付けるとかお前最低だな』
「うそ……」

 射殺しそうな目で睨んだ後、斉木さんはおかしそうにふっと笑った。
 それでオレは全てを悟った。
 おいおいちょっと待てよ、どっから夢でどっから現実だ…全部現実か。
 オレに布団をかけてくれたのも、頭を撫ででくれたのも全部本当で、オレがやりまくったのも、全部……夢じゃなかった!
 手から箸が滑り落ちる。
 かたんかたんとテーブルに落ちる箸を見て、斉木さんが噴き出す。
 一方オレは茫然自失。
 その果てに。
「……おっふ」
 ため息一つ。

 

 

 

 

 

 すみれ色の髪をかきむしり、変態クズが叫ぶ。
「うわー、なんてもったいないっ!」
『アホじゃないか』
「アホじゃないっスよ!」

 本当に、なんてもったいない事したんだオレはー!
 斉木さんとやりまくりを夢うつつで流しちゃうなんて、もったいないにも程があるー!
 可愛くてエロくて色気たっぷりの斉木さんをー!

 顔が真っ赤になるほど力んで脳内絶叫を繰り返す鳥束をよそに、僕は黙々と雑煮を食べ続けた。
 こんな状況でよく食事が出来るなと自分でも感心するが、以前と比べて格段に心の声を聞き流す事が出来るようになった。
 常軌を逸する煩悩まみれの変態坊主と付き合ってるお陰で、かなり鍛えられたのだ。と思う。

 嘆きを振り払い、鳥束は一心不乱に食事を続けた。
 美味い、ありがたい、と繰り返しながらつゆの一滴も残さず飲み干し、ごちそうさまでしたと深々と頭を下げる。それから、キッとばかりに目を上げた。
 おお、鳥束にしちゃ結構な迫力だな。
「て事で斉木さん!」
 真面目腐った顔がずいっと近寄る。
「食べ終わった事だし、やり直しましょ」
 今度はちゃんと、隅々までもらさず記憶してあげますからね
 両手で僕の肩を掴むと、鼻息荒く迫ってきた。
 いつもならこの程度難なく振り払えるのに、どうしてかこの時は素直に押し倒されてしまった。
 しかしな鳥束、僕もお前も食べたばかり、しかもお前は空きっ腹にいきなり詰め込んだわけで、それで激しい運動なんてしたら大惨事間違いなしだぞ。
 そんな心配をよそに、鳥束は脳内をフワフワピンクに染め上げてキスしてきた。
 醤油とだしの味のキス。
 母さんの雑煮、全然悪くなかったな…って、ほら、これもだ。これじゃ全然その気にならないぞ。
 だから一旦引け鳥束。今はそんな気分じゃないから、ちょっと時間を置こうか。食休みは大事だぞ。
 そんな僕を置き去りに、鳥束は脳内でひと足先に僕を丸裸にひん剥いて、あんな事やこんな事に及んでいた。
 やれやれ、まったくどうしたものか。
 至極冷静に組み敷かれる僕。
 しかし。
 股間を探られ、目をむく事になる。
「はは…斉木さんもすっげぇ硬くなってますね」
「……えっ」
 下衆な顔で笑う鳥束に思わず声がこぼれた。
 そうなのだ。自分じゃ、こんなに冷静で落ち着いてるのに。と思ってるのに。
「え……え」
 さっきの色気もくそもないキスから…いやそれ以前から、すっかりやる気満々になっていたのだ。
 嘘だろ……。

 鳥束の脳内妄想の通りに全裸に剥かれ、自分の状態を目の当たりにして、僕は遅れて赤面する。
 目にした途端一気に情欲が込み上げてきた。
 ああそうか…と、やっと理解する。
 さっき、鳥束の心の声を聞き流してたと思ったのは間違いだった。完全に僕の思い違いだった。
 僕の方もすでにその気だったから、動揺する事がなかっただけなのだ。
「じゃ、斉木さんの方も改めて……いただきます」
「……おっふ」
 覆いかぶさってくる鳥束にため息一つ。

 こんな新年の始まりも、まあ…悪くないか。

 

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